プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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1644 棋界の大器 屋敷伸之九段

 天才棋士と呼ばれた一人であると同時に、努力家、頑張り屋、大器晩成型でもある。プロ入り後、1年そこそこでタイトル獲得といった天才ぶりを見せた一方で、22年もかけて、将棋界の最高クラスA級に昇級を果した頑張り屋の棋士でもある。

1.独り言コラム
 関西で「やしき」と言えば、「やしきたかじん(屋鋪隆仁)を連想する人が多い。今やテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」や「たかじんの胸いっぱい」などの番組では、常に高視聴率を取っている大物タレントだ。それ以外の連想では、かつて、阪神でもプレイしたことがある「本屋敷錦吾」選手を思い浮かべる方もいるだろう。同氏は芦屋高校で活躍し、甲子園での優勝経験もあり、大学では立教大学であの長島茂雄選手と三遊間を組んだ名遊撃手だった。また、最近では、NHK大河ドラマ「篤姫」や今年の「江、姫たちの戦国」などのチーフプロデューサーの屋敷陽太郎さんの名前に気付いている方がいるかもしれない。いずれにしても珍しい名字である。
 今朝は、将棋界で再びその存在を大きくして来ている「屋敷伸之九段」の凄さを紹介してみたい。筆者も密かに応援して来ていた棋士である。同氏の凄さは、次の二つの実績から理解いただけると思う。
 一つは、天才少年だったことである。それを示す実績としては、プロ入り一年少々でタイトル戦、棋聖戦に挑戦者として登場し、最年少タイトル挑戦者の記録保持者である。その際の挑戦では、当時の中原誠棋聖にフルセットの末に惜しくも敗れたが、次期の棋聖戦(1990年)でも連続挑戦者となり、その時には中原棋聖を逆転で破り、18才6ヶ月で棋聖位のタイトルを奪取したのである。この最年少タイトル獲得記録も、今でも破られていない。なお、棋聖位は、通算3期獲得した天才少年だった。
 もう一つの実績(?)は、将棋界のクラスは5つあるのだが、下から2番目のC1クラスで14年間も在位を余儀無くされ、長いトンネルに入ったまま苦しんだ時期があった(1990-2003年)。仕組みが、同じ成績でも席順の上位者が昇級するシステムで、いわゆる「頭はね」を4度も食らう苦い経験を重ねた時期であった。しかし、14年間にも渡る地道な努力で何とかそのC1クラスを克服したのである。。その後、B2、B1クラスを、それぞれ4年に渡る厳しい戦いに打ち勝って、やっとのことで、今年から名人挑戦権を狙えるA級に昇級を果した努力の棋士でもある。筆者が大いに惹かれたのは、若い頃の天才的な時期での活躍よりも、その後訪れた長い不運な時期を克服し、遂にA級に昇格を果した不屈の努力への感動である。
 そして、昨日、来年の名人戦挑戦者を決めるA級での一回戦に登場し、3期も名人位を獲得している実力者、佐藤康光九段と対局、終始攻め続ける会心の一局で幸先いい、貴重な1勝を上げた。
 天才、そして努力の棋士、屋敷伸之九段へのこれからの期待が大きい。筆者の直感だが、今期は名人戦挑戦者争いには、同氏は間違いなく、その一角に加わることだろう。期待して、その活躍を見守りたい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時50分起床。体重、62.8Kg.。お天気は雨模様だが、夕方には一時的には回復しそう。
 昨日の雅子は、時々なのだが、目は開けてくれる一方で、身体の震えが大きく、その目が何かを訴えているような顔つきを見せてくれていた。そのことに大いに戸惑ったのである。しかも、その時には体の右側で凄く汗をかいているのである。昨日にして悟ったのだが、これは明らかに、前回からお薬を変えたことの影響であると思う。散歩しているときや眠って入るときは、震えはない。いずれにしても、気付くのが遅かったが、今朝の症状を確認して、必要なアクションを取らねばならないと思っている。

3.連載、難病との闘い(229) 第三部 施設、病院での介護生活(130)
  第六章 緊急入院(26)

  (3)いざ勝負 (その5)
 再びソファーに座った一考の頭の中では、映画の続きを見るように、目下手術室で行なわれている手術の模様を想像するのだった。恐らく、手始めの開腹手術は終り、いよいよ、今回の手術のターゲットである胆嚢の切除が開始されるのだろう。琵琶湖大橋病院に入院した当初は、肺炎ということだったのだが、意外にも、敵は本能寺、つまり、胆嚢結石であることが判明し、そのための切除手術が必要となった。その本能寺での決戦が、今まさに始まろうとしているのである。
 ところで、それまでの先生の話を総合すれば、一般的には、この胆嚢切除の手術は、特に高度な医療技術を必要としないようだ。今回、雅子のケースが難しいとされたのは、パーキンソン病下での全身麻酔にあった訳で、この切除手術そのものは、恐らく何ら問題もなく行なわれるはずだ。一考は、今回の手術の流れをそんな風に捉えていた。
 従って、雅子の戦いの次なる厄介な山は、まさしく三井先生が言っておられた手術後に人工呼吸器のチューブを外すステップであろう。それがうまく外せるかどうかが、大きな運命の分かれ道となるのだ。今の看護婦さんの話では、それは今日は行なわれずに、明日以降の対応になるという。安全を期しての慎重な対応なのだろうと一考は考えていた。
 そういうことで、今日の段階では、とにかく大きな問題なく事が運びそうだと、一考は一息つくのだった。いずれにしても、明日が重要な日になると、自らに言い聞かせたのである。
 当然な事と言えばそれまでだが、この手術の重要な鍵を握っている人工呼吸器というものについて、一考は全くと言っていいほど何の知識をも持ち合わせていなかった。例えば、それが、どんな形をした機器なのか、どのぐらいの大きさのものなのか、どんな具合に雅子の身体に繋がっているかなどと言った具体的な内容については、全く何の知見もなく、想像する手掛かりになるような知見さえも、一考の頭の中には存在していなかった。従って、三井先生が幾度も示唆しておられた、若し、それが外せなくなった場合に、雅子がどんな具合になるのかといったことは、想像の域を遥かに超えていたのである。
 一考と霧子が、それぞれの思いの中でじっと待機している中で、時間は静かに着実に経過していった。一考は、そんな中で、手術室での作業がどんな具合に行なわれているのだろうかと想像を逞しくさせてみるのだが、テレビ映画などで見る一般的な手術のシーンしか浮んで来なかった。
 とにかく、全身麻酔で行なわれていることから、雅子が痛さで苦しんでいることがないはずだというのが、一考にはせめてもの慰めだった。どうやら、少し心のゆとりも戻って来たようで、一考は持って来ていた本を取り出して、それに目を通し始めた。
 そういえば、最近の一考には、病院や施設での見舞いや付き添いの合間が貴重な読書時間になっている。残り少なくなった人生だけに、時間の使い方には結構けちになっていて、在宅時に椅子に座って読書することは滅多にしない。そういう時間は、なるべく、物を書いたりして、少しでもクリエイティブな事に使いたいと心掛けているのだが、実際には、つまらないテレビなどを見て空費しまっていることが多い。(以下、明日に続く)
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1605 3人の「しんいち」さん

 「しんいちさん」と云うと、我々の時代の者にとっては、森進一、星新一、市川森一さんなどを思いつく。しかし、最近の若い女性がいう「しんいちさん」は、ちょっと味のあるイケメンたちである。

1.独り言コラム
 この週末は、いろいろと面白くない事が多かった。ゴルフでは不動祐理さんの不発、それにまたしても韓国のアンソンジュンさんの優勝、プロ野球では阪神の横浜銀行壊滅、趣味の将棋では羽生名人の名人戦での意外な3連敗など、面白くないことばかりだったので、話題を思い切って変えてみた。
 二週間ほど前だったが、病院のロビーにある週刊誌をぱらぱらと見ていて、「しんいちさん」と呼ばれる40代そこそこの三人の人気アナウンサーの特集記事を見つけた。確か、女性週刊誌だったと思う。
 その三人とは、NHKの夜の「ニュースウオッチ7」の武田真一さん、日本テレビのズームイン・スーパーからテレビ朝日の朝のワイドショー「モーニング・バード」に移った羽鳥慎一さん、それにTBSの土曜日の夜の「情報7Days、ニュースセンター」を、たけしさんと一緒に担当している安住紳一郎さんのことだった。いずれの方の番組も、筆者も良く見ている方である。どちらかと言えば、いずれも紳士然としていて感じのいいアナウンサーたちだ。
 武田真一さんはさすがにNHK然としていて、優等生のアナウンサーだ。硬い感じが売り物なのだろうが、その記事では、カラオケにはぐっと入れ込むタイプとのコメントがあった。ちょっと想像が難しいのだが、そう言ったギャップが魅力になのだろう。
 羽鳥慎一さんは、見た目が少しおどけた表情があって、視聴者にはその柔らかさが魅力になっているのだろう。機転が利く方で、その辺りのソフトな会話が一つの魅了と思う。先ごろ、一念発起して日本テレビを退社してフリーになった。しかし、その直後に、テレビ朝日のワイドショーに乗り換えるといった荒業は顔からは想像しにくい。かなりのやり手なのだろう。4月の出だしでは視聴率は上がったが、それは珍らしもの好きな視聴者が流れたようで、本番はこれからが勝負となるのだろう。これといった特徴があるアナウンサーでないだけに、同氏にとっては、これからも容易でない闘いが続くだろう。
 安住紳一郎さんもどちらかと言えば羽鳥さんと良く似たタイプである。少し軟らかくてバラエティー風な番組には適任であろう。それとなくこぼす呟き的な発言に魅力があり、その辺りに活路があるのではなかろうか。
 いずれにしても男の働き盛りであり、人生の勝負はこれからの方たちばかりだ。今後の一層のご活躍を祈念する。
 ついでに、ここで、筆者が最近気に入っている3人の女性アナウンサーについて触れておこう。二人は、NHKアナウンサーで、「ニュースウオッチ7」の小郷知子さんと「ニュースウオッチ9」に抜擢された井上あさひさんであり、もう一人は、関西ローカルの読売テレビの川田裕美さんだ。特に、小郷さんの清純さ、井上あさひさんの気品ある清新さ、加えて、彼女の持つ何とも言えない重みはなかなかである。また、川田さんは、その底抜けの明るさの裏に感じさせるちょっとした女っぽさが何とも言えない魅力である。移り気な筆者は、今やこの三人の大ファンだ。
 余談だが、小郷さんの前任者だった野村正育アナウンサーは、滋賀県の膳所高/京大の出身であることを最近になって知り、改めて親しみを覚えた方である。今後の更なるご活躍を期待している。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.7Kg.お天気は午前中はまずまずだが、下り坂のようだ。
 昨日の雅子も、比較的に安定していた。午後からは長男の太郎も顔を出し、傍にいてくれて、車椅子での散歩も一緒にしたのだが、目を開けることはほんの少しの間で、相変わらず目を瞑っている時間が大半だった。この日は暖かく、風もそれほどではなかったので、比較的長い時間を屋上で外気に触れて過ごした。いずれにしても、長男が顔を出してくれたことは、母の日の最高のプレゼントだったと思う。

3.連載、難病との闘い(195) 第三部 施設、病院での介護生活(96)
  第五章 頑張りの報酬(28)

 (4)施設に戻って(5)
 この施設では、毎月の最終日曜日に体重測定が行なわれる。健康管理の一つの指標として、一考が重要視しているデータである。
 体重測定に関しては、2004年末に、一考が急遽東京から帰郷した以降は、自宅で毎朝測定することが日課の一つだった。自分の場合もそうなのだが、そのデータの微妙な変化を捉えながら、体調の管理に使っていたのである。
 しかし、その2年後の2006年末になって、雅子が計測器の上に、バランスを保ってきちんと立てなくなってしまい、計測が不可能となり、仕方なく、その後はそのデータのないまま、いわゆるバックミラーなしで毎日を送って来ていたのである。
 それが、ほぼ2年後の2007年12月にアクティバ琵琶に入居後、月一回の頻度だが、体重測定が復活した。在宅の場合と違って、車椅子で衣服を着たままで測定するので、以前の在宅時とのデータと絶対値を比較する訳にはいかないが、少なくとも時系列的な変化を捉えることが出来るようになった。
 改めて、そのデータを見てみると、施設に入居当初は、僅かずつでだが、体重が増加傾向にあったのだが、前年(2008年)の11月から連続して、かなり大幅に減少し始めたのである。1月までの3ヶ月でおよそ5Kg(10%強)の減少で、これは何かが起きているのではと心配していたが、幸いなことに、2月度の測定で一応下げ止まった数字が出たことから、心配が一気に解消したわけではなかったが、ほっとしたのも事実だった。しかし、ここに来て、口が充分に開かない傾向が続いていて、食事が半分程度しか進まない日が目立ち始めていたことから、先行きを心配していた。
 食事の量の減退、体重の減少は明らかに連動していて、体力の減退にも連動していることは間違いないが、それ以外に、どんなところにその影響が現れてくるのかが心配であった。
 そこで、3月度の定期診断時に春日先生にそのことを相談すると、栄養の補給にいては、点滴や胃にチューブで直接注入する方法などいろいろあるので、施設の病院と相談することを勧められた。
 施設に戻った一考は、差し当たっては、施設の看護士さんに報告し、対応を話し合った。3月中頃の話で、その時の判断は、3月末での体重の計測結果を待って、必要があれば、栄養剤の補給を検討しようと云うことにしたのである。それにしても、胃から直接注入との話には、一考にはちょっとした衝撃だった。スパゲティ状態なんて言葉が脳裏に浮かんで、意識してそれを打ち消すのだった。
 悪いことは重なるもので、そんな状況に加えて、ストローで吸う行為も難しくなって来ていた。まさに泣き面に蜂の状態で、何とも言えない危機感さえ覚えていた。
 一考としては、何とかこの吸うという機能をなんとかうまく行くようにしてあげたいといろいろと試みたのだが、意の如くならなかった。それでも、最初は、その液体を少し口に含ませて、それを飲み込んだのを確認してから、直ぐにストローをくわえさせてあげると、少しずつだったか飲み始めたのである。これは、いわゆる井戸の呼び水に相当する手法で、液体がお茶だったことで、呼び茶と名付けていたのだが、それも最近になってその効果が出難くなって来ている。さあ、どうしたらいいのだろうか、戸惑う毎日だった。
 こうして雅子の症状の悪化を見ると、非情で苛酷な厳しさは、本当に止まるところを知らないのが、不思議なくらいである。雅子には神の配慮が閉ざされてしまっているようで、その理不尽さを厳しい虐めだとさえ思うのである。(以下、明日に続く)

1534 作曲家、都倉俊一さん

 時代を超えて通用する多くのヒット曲を手がけた作曲家だ。しかし、それらのヒット曲は同氏の若い頃の作品だ。才能は一気に開花するものかもしれない。

1.独り言コラム
 先週の日経新聞の夕刊に、都倉俊一氏の活躍ぶりが5回に渡って連載されていた。同氏は筆者よりも7年若いのだが、ある意味で時代を共有したと言える。若くして音楽の世界に頭角を現しただけに、筆者の若い頃を思い出させてくれる興味深い連載だった。
 外交官の息子で海外での生活が同氏の才能を育てたのではなかろうか。学習院大学3年の時に作った中山千夏の「あなたの心に」が大ヒット、作曲家への階段を駆け上がったという。その直後に、その頃は、まだそれほど有名でなかった作詞家の阿久悠さんとの出会いがあって、大爆発のエネルギーをじっくりと育んだようだ。大学卒業を前にして、将来、どうしようと悩んでいる頃に、阿久さんから5千枚もの五線譜の束が送られてきたと言う。しかも、一枚一枚に「都倉俊一」と名前が印刷されていたそうだ。言葉ではなく無言の後ろから背中を押されたと感じだったという。
 そして、案の定、その後に、フィンガー5、山口百恵、ピンクレディ、山本リンダといった方々の多くのヒット曲の量産を生み出したのである。
 どうにもとまらない、ジョニィへの伝言「五番街へのマリーへ」、ペッパー警部、S・O・、S、渚のシンドバッド、ウオンテッド、UFO、サウスポーなど枚挙に暇が無い。これらはいずれもデビュー10年以内に作られた作品だ。
 その後プロデューサーの道を進むが、この頃から女性との話題が週刊誌に取り沙汰され始め、ヒット曲から遠ざかることになったようだ。話題になった女性の一人として、あの「水沢アキ」というグラマーな女性がいたことを思い出す。どうやら、女は、男の才能を育てる場合と壊してしまう場合があるようだ。
 同氏は今62歳である。演劇を学ぶ日本の若者を育てたいと頑張っておられるようだし、JASRACの会長でもある。筆者から見ても、素晴らしい人生を歩まれていると思う。ますますのご健闘を祈念したい。
 さて、才能という面では、もう一つの話題について触れておきたい。それは、昨日の日経新聞の夕刊で知ったのだが、先日、芥川賞を受賞した朝吹真理子さんの話題である。先日、このコラムで、その受賞作「きことわ」というタイトルの命名の仕方の奇抜さに驚いたことを紹介した(1529をご参照)。ところが、昨日の記事では、彼女はとても将棋が好きだという紹介だった。若いのに将棋という古風な世界への趣味の広さにびっくりだった。将棋は、指すよりも見るのが好きだと言うのだが、その辺りは筆者と同じであって大いに共鳴、改めて彼女への関心を深めることになった。
 更に驚いたのは、この4月の上旬に掲載予定の日経新聞主催の王座戦の2次予選決勝の「郷田真隆九段―村山慈明五段」戦の観戦記に、彼女が挑戦するということだ。芥川賞受賞者の将棋観戦記は初めてのことではなかろうか。対局者が筆者のファンの郷田さんだけに、今から大いに楽しみにしている。但し、贔屓の郷田さんが勝たないと面白さも半減以下になってしまうのだが、…。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.6Kg.お天気は曇りだという。
 昨日の雅子は、相変わらず、反応が今一つの一日だった。一昨日、昨日と、このところの雅子は、気分がローな日が続いていて少し寂しい。午後には、車椅子での散歩を行なったが、途中で、うっかり車椅子を放置したまま、半時間ぐらいうとうと寝てしまっていた。このところ、一考の疲れも出て来ているようだ。幸い、何事もなかった。

3.連載、難病との闘い(126) 第三部 施設、病院での介護生活(27)
  第二章 入居生活の始まり (その7)

 (2)入居直後の雅子の心境(その1)
 雅子は、この一週間の施設での具体的な生活体験を通して、なんとなくほっとした気持ちを抱いていた。それまでに頭の中であれこれ考えて、不安に思っていたことも、ここでの具体的な生活に触れて、何とか、ここで生活してゆくのに自信と云うほどではないが、何とかなるのではと思うようになっていた。同時に、ここに入居できたことで、それまでの夫の負担を軽減できたことで、自らの心中は穏やかになるのだった。
 新しい生活が始まって、雅子が最も気にしていたのは、生きて行くための基本の三条件を如何にクリヤー出来るかどうかだった。その三条件とは、食事、トイレ、そして睡眠である。これらのバランスが取れて、初めて無難に生きるという日常生活が維持できるからである。
 食事については、幸い、適度な食欲は維持しており、また、食べることも、口の中に運んでもらう介護は不可欠だったが、それでもおいしく食事を楽しむことができた。硬いものは食べ難いが、それ以外は、苦手なものもなく、正常な食欲を意維持していた。また、飲むことも、粘調なものは、スプーンで口に入れて頂き、それ以外はストローで吸い上げて飲むことが可能だった。
 しかし、トイレは問題だった。これは、何もこの施設に移ってから問題になった訳ではない。自宅にいるときから便秘気味で、食物繊維であるファイバー製品を服用することで、何とか数日置きに通じを確保してきていた。しかし、こちらに移って、環境が変わり、生活リズムが変わったことで、どんな影響が出るかで心配していたのだが、幸いなことに、二日目と五日目の昼間に二度の通じがあった。いずれも、ちょうど夫が出向いて来てくれている時のことだった。そういう意味では、まだ、精神的な面で、この場の環境に馴染んでいないという不安があって、早く、こちらの介護士さんの介護で出来るようになりたいと思っている。時間の問題だと思うが、今後、しっかりと努力したいと思うのだった。
 さて、三番目の睡眠については、在宅時と同様で、夜中に目が覚めることが多く、その時に時計がベッドに横になっていても見られる時計がセットされていないことから、何時だかが分からず、不安で熟睡が出来ずに朝を迎えることが何日かあった。
 そのことについては、間もなく、夫がその対応を取ってくれたのだが、身動きできない自分がマッチするようにその時計をセットするのには苦労したようだった。何しろ、新築物件だっただけに壁や柱に傷を付けたりする事が許されない状態だっただけに、それなりの工夫を必要としたようだ。結局、窓ガラスのカーテンレールにある引っ掛け金具を使っての対応になったようだ。ライトアップについては、これも自宅で今まで使っていた特殊な電気スタンドを持ち込み、楽譜たての先端にくっつけて何とか見えるようにセットしてくれた。こうして、この3番目の不安は解消されたのである。入居して六日目のことだった。
 その日、ちょうど、掛け時計のセットが終わった直後に、義姉の久子がNHKの俳句天国に出演しているのを見つけた夫が、事前に家族から知らせてくれなかったことから、水臭いということで不機嫌になっていた。夫から、テレビ画面を指して「久子じゃない?」と聞かれたのだが、その時には、まさかと言うこともあって「似ているけれど、年がちょっと違うのじゃない」と答えたのを覚えている。(以下、明日に続く)

1323 下村脩氏の人生に感動

 当月の日経新聞に連載されたノーベル化学賞受賞者の下村脩氏の私の履歴書は凄く読ませる内容だった。

1.独り言コラム
 同氏の名前が「脩」(おさむ)で、この漢字は、筆者の本名に使っている漢字で、何となく親しみを覚えていたこともあるが、当月の「私の履歴書」を拝読して、同氏の歩んで来られた人生に大きな感動を覚えた。
 その一つは、「どんな難しいことでも、努力すればできるという信念」で研究に携わって来られたひたむきな研究への姿勢である。本格的な研究の第一歩として取り組んだウミボタルの発光物質のルシフェリンの結晶化に、誰もが予想もしなかった方法で成功する。確かに、幸運もあったにせよ、努力を続けなかったら出来ていなかった訳で、同氏がその信念を強くされた背景は良く理解できる。つまり、同氏は、与えられた土俵では、常に精いっぱいの戦いを続けてこられたという姿勢に感動を覚えるのである。
 更に、同氏は、それまでに仕えた恩師に恵まれていたことも印象的だった。最初の長崎医科大附属薬学部で出会った安永峻五教授の内地留学という配慮、その留学先の先生を紹介するために付き添って名古屋まで出て来るが、会おうとしていた先生が不在だった。この辺りが人生の実に微妙な綾の最たるくだりで、結果的に、名古屋大学の平田義正教授のところで受け入れてもらう。そこでもらったウミボタルの発光成分ルシフェリンの結晶化のテーマが同氏の行く先を大きく支配した。そもそも、このテーマに出会わなかったら、その後の下村氏の人生は全く違ったものになっていただろう。この課題に取り組んで10箇月後に偶然、その成功に至るのだが、そこでも同氏の持って生まれた努力が結実した賜物なのだろう。
 そこから、一旦、長崎大学薬学部の助手に戻るが、ルシフェリンの結晶化の成果を知った米国プリンストン大学のジョンソン教授から一緒に研究しないかと声を掛けられる。そこで、相談を受けた薬学部長の小林五郎教授もご立派で、その申し出に賛同されて米国留学に向かうことになった。峻五、五郎というお二人の「五」のご縁が大きかった。海外に出ることを知った平田先生が、アメリカに行く以上は博士号を持っていることの大事さを説き、手続きなどをやってくれたという。この辺りの、周りの先生方の厚い配慮には心温まるところである。
 なお、平田義正先生の名前は、筆者にも親しみを覚える繋がりがある。極めて優秀な先生だそうで、そこを卒業された何人かの方と、筆者が東レに入社して基礎研究所に在籍していた時に一緒させてもらったが、彼らの優秀さを目の当たりにして、強い刺激を受けたことを思い出す。
 米国に渡って以降も、下村氏の不屈の努力は延々と続く。オワンクラゲとの取り組み。家族も揃ってのオワングラゲを採り。そして、遂に、その発光のメカニズムを解明につながり、その基の蛋白質であるイクオリンに行き着く。その後の更なる苦難な研究の果てに、緑色蛍光蛋白質のGFPの解明に至るのである。  
 何しろ、研究対象となったオワングラゲの数は、何十万匹と言った大変な数だったそうで、捕獲そのものの努力を考えてみるだけでも、この研究の大変さの一端を思うのである。
 最後に、他の研究者によって、このGFPが医学において、マーカー蛋白質として欠くことのできないツールとしての重要性が見つけられ、それがノーベル賞に結びついたという辺りにも、同氏がもって生まれた恵まれた真面目な人間性を慮った神の偉大な配慮という一側面を思うのである。
 今日の最終回もなかなか読ませてくれる。研究に行き詰まった時にどうするかの質問に「がんばれ、がんばれ」と答えたとある。冷たく聞こえたかもしれないが、結局はこの単純なこの言葉に尽きるというのだ。そして、最後に「あらかじめ予定されている成功などはない」と結んでおられる。大変重みのある言葉だ。
 いずれにしても、山あり、谷ありの大変な人生を乗り切ってこられた下村脩先生の人間ドラマに改めて強い感動を覚えたのである。特に、同氏に数多く訪れた「人生の分かれ道」での選択で、結果的には全てが正解の選択であったことを思うと、将棋に喩えれば、恰も50手以上の長手数の終盤の将棋を間違いなく指し切ったな鮮やかな着手の連続で相手玉をしとめたようで、まさに稀有の天才と申し上げても過言でないと思う。
 それにしても、いつも思うのだが、日経新聞のこの私の履歴書は素晴らしい読み物だ。今年に入って特にそう思う。細川護煕、木功、高原慶一朗(ユニチャーム)有馬稲子、河竹登志夫(演劇研究家)野田順弘(オービック)の方々の人生は大変面白かったし、明日からは元野球監督の広岡達郎氏が登場する。筆者には、また新たな楽しみが始まることになる。
 余談だが、この企画はどんな具合に人選が行なわれているのだろうか、筆者には興味深い。何しろ、一年に12人しか選ばれない貴重な人選なのだから。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時20分起床。体重、61,2Kg.なお、7月度の平均体重も61,2Kg.で前月(61.5Kg)までずっと増加傾向にあった体重に漸く歯止めが掛かった。天気は、今現在は(AM5時)曇り空
 昨日の雅子は痰も少なく症状は安定していた。午後には車椅子での散歩。この安定した症状が持続してくれれば退院も遠くはないと思われる。この日は、看護婦さんからの痰を吸引しましょうかの申し出を始めて断った記念すべき日であった。

3.連載、難病との闘い(1288) 第五部 どこまで続くこの苦闘(65)
  第一章 十年目の闘い(63)

 (3)アクシデント&トラブル(25)-接触事故の顛末 ⑥-
 翌朝、一考は冴えない気分で病院を訪れた。前日の夕方の接触事故については、雅子には、心配をさせない程度にジョーク交じりに軽く伝えた。そして、余計な費用も必要ないし心配することはないと付け加えた。雅子がどんな気持ちで聞いていたかは分からない。
 その話を終えて暫くした時である。10時少し前だった。珍しくポケットの中にある一考の携帯が振動した。何処からか電話が入ったのである。一考は、急いで病室を出て廊下の窓際で受話器を取った。相手の保険会社の代理店の方からの電話だった。こちらの保険会社の名前を知りたいという。どうやら、保険会社同士で話し合いを始めるようだ。一考は、その電話が終ったところで、自分の携帯の着信履歴を調べてみた。するると既に自分の保険会社と思われるところから着信があることが分かったので、折り返し電話を入れたのである。
 案の定、一考が考えた通りで、この事故を担当される山倉(仮称)さんと云う方が電話に出て来られた。その声ではまだ若い30代ぐらいの女性である。彼女は、早速、事故の詳しい話を聞きたいという。そこで、一考は、得たりや応と今回の事故の詳しい状況を報告し、事故に対する自分の考えをも詳しく伝えたのである。ポイントは、事故が起きたその道は熟知した通いなれた道で、幾ら風雨が強かったとは言え、自分には非があるとは思えないと強く訴えた。
 それに対し山倉さんの話は、昨夜相談したトヨタの担当のSさんが話してくれたとほぼ同じ内容だった。つまり、本事故は、幹線道路にわき道から侵入した車が、直進して来た車と接触事故を起したよくあるパターンで、今までの判例を見る限り、生憎の激しい風雨で見通しも良くなかったことを勘案すれば、わき道から割り込み車が不利な立場にある典型的な事例だという。
 しかし、一考には、自らがこれといったミスをしたという自覚はなく、そのように一般的な判断をされることへの不満と理不尽さを覚えたのである。そんな馬鹿なという思いが強かった。何しろ、相手はまだ二十歳そこそこの学生で運転のキャリアー浅く、未熟な運転者ではないか。一考は、とても納得できなかった。(以下、明日に続く)

1312 俵万智の場合

 子供を女性が引き取って育てるシングルマザーの事例は多くなっている。俵万智さんの場合もその一例で、子供が欲しくて、好きな人の子供を生んで一人で育てているという。筆者は、そんなケースの相手となった男の気持ちに強い関心を抱いている。

1、独り言コラム
 先日、病院に向かう車の中で、テレビ朝日の徹子の部屋で、あの「サラダ記念日」でブレークした俵万智さんの対談を部分的に聞いていたことは、既にこの欄で紹介した(1300をご参照)。
 今では、彼女が息子さんを育てることに生きがいを持っているとの話だった。気になった、その子供の父親についてはノーコメントで、子供には、どうやらもう既に亡くなっていると話しているようだった。
 その彼女の生き方に強い関心を持った筆者は、直ぐに、彼女が書いた自伝的な小説「トライアングル」を取り寄せてて興味深く読ませてもらった。この小説では、それまでに関係のあった三人の男性を登場させる設定となっている。一人が早大時代から付き合っていた「アイツ」、二人目が、仕事を通じて知り合った写真家のM、そして、もう一人が、飲み屋で知り合った7歳若いフリーターで、いずれも深い関係を持った男達である。その中で、彼女が心から愛していたのは、写真家のMで12歳年上で既に結婚して子供もいる家庭持ちである。彼女が、Mさんの奥さんに嫉妬するとか、別れて欲しいとかいった気持ちがないのが珍しい。
 小説の後半で、彼女が女性として子供を生む限界年齢と言われる40歳が近づくにつれて、何とか子供を欲しいと思案した上で決意する。その場合、その相手としては、当然そのMしか考えられないと彼女は考えるところで小説は終っている。
 その最後の部分で、彼女は、結婚については「お互いの関係がよりよくなると思えるなら結婚すればいい」と考え、自分の場合は「結婚と恋愛はセットにならない」と言い切っている。そして子供を持つ事については、「たぶん、子どもは何かのために生むのではない。私がその子に会いたいから生む。会いたい気持ちをあきらめたくないから生む。」というのが自分の主張のようである。
 そして、彼女はその決意を大胆にも実行に移した。この小説が自伝であれば、彼女の子供の父親はMであろう。
筆者の関心は、「そのMの子供を生むに際して、彼女はMの了解を得ていたのだろうか、いや、そうではなく、Mに負担を掛けたくないの一心で、密かに彼が意識しない虚をついた形で妊娠への行動に出たのだろうか。」という点である。
 若し、前者であれば、Mの気持ちは実に大胆である。家族以外に別の子供を持つということを決意するのは、そんな容易なことではない。この場合の男の気持ちはなかなか理解できない。徹子の部屋での彼女の話では、子供には一切会っていないということのようだから、Mの気持ちは、それで収まっているのだろうか。
 若し、後者のケースだったとして、Mが全く気付かない中での俵万智さんの思い切った行為で生んだということであれば、Mは俵さんに子供が出来た事実をどう解釈しているのであろうか。恐らく、その子供は自分の子供ではなかろうかと一時的に悩んだに違いない。しかし、今では俵さんと子供が逞しく生きているという事実にほっとし、密かに温かく見守っているのだろう。
 筆者は、後者のケースのようなMの気持ちを味わうのも、もう一つの幸せを満喫できそうで、ちょっと憧れてみるのである。しかし、この場合は、あくまでも女性に生活力が伴っていることが前提である。いずれにしても、俵万智さんは大胆な人生をエンジョイしていると申し上げておこう。
 蛇足だが、彼女はなかなかセックスの表現がお得意のようで、至る処に「おっ」と思う表現が出て来る。参考に、その一例を引用しておこう。
 「Mは顔をずらして私の下腹部にむかった。ムカデがなめくじに変わる。これをされると、全身の力が抜けて、足の付け根に次々と花が咲くような錯覚に見舞われる。そして、もっと敏感な部分は、食虫植物になって、近づいて来るなめくじを待っている。」

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、測定をうっかりして忘れていた。今日も暑そう。
 昨日の雅子も、朝方は痰に苦しんでいたが、午後には比較的軽くなって穏やかな一日だった。午後には、3時頃から1時間程度車椅子で散歩した。

3.連載、難病との闘い(1277) 第五部 どこまで続くこの苦闘(54)
  第一章 十年目の闘い(52)

 (3)アクシデント&トラブル(14)-施設アクティバ解約 ⑤-
 解約額の試算は、入居申請を扱った営業部が担当していた。そこで、具体的に、4月末と8月末、それに今年度末の3つのタイミングについての返還額の試算を依頼した。3月半ばの頃である。数日後に営業部から試算結果の返事があった。それによると、一考が思っていたよりも返還額は大きかった。正直なところ、高々数百万円ぐらいの返還だろうと軽く考えていたのだったが、それを少し上回っていた。例えば、4月末で解約すれば、半分とはいかないまでも、そこそこの額の返還があるという。そういう試算を知ると、一考の気持ちの中では、解約促進に拍車がかかることになったのである。
 そこまで確認した段階で、一考は雅子の実兄に自分の考え方を打ち明けた。3月にご夫婦揃ってお見舞いに来てもらった時のことだったと思う。その時の具体的な説明は、次の内容を骨子としたものだった。
 1)このところの雅子の症状からして、この入院は長引きそうであること。加えて、この病院には年単位の長さで入院している方も結構おられること、
 2)入院しておれば、雅子の症状の変化に応じてタイムリーに適切な対応が施してもらえるので安心であること。つまり、ここでお世話になっていることが、雅子には都合がいいのではと考えている。
 3)自分の経済的な面から、その方が大変有利であること。實を言えば、何もなくても、一考が75才になるまでには、国が経営しているいわゆる特養に変わりたいと考えていて、既に1年半前に申請済みであること。それと言うのも、75歳で企業年金が大幅にカットされることになっていて、その後は、毎月が持ち出しの生活になるといった事情についても説明した。
 そういう意味では、いずれは、アクティバの解約は想定済みであって、言ってみれば、その切り替えを前倒しで行なうに過ぎないのである。
 幸い、申し込み済みの特養施設での待機順番も徐々に上がって来ていること、更には、退院時の対応策についても、既に、その特養の窓口の方にも、その辺りの事情を説明してお願いの布石を打っていることを話した。(以下、明日に続く)

1183 女王

 女王にもいろんな女王がいる。女王といわれて、筆者の頭に最初に浮ぶのが、エリザベス女王である。
 将棋界には、三年ほど前に創設された「女王」というタイトルがあって、初代から矢内理絵子女王がタイトルを保持している。
 スポーツ界では、先のオリンピックでフィギュアーの女王が、荒川静香からキムヨナ選手に変わった。その対抗馬だった浅田真央も、CM界では、一時はCM界の女王と呼ばれていたという。

1.独り言コラム
 今朝の新聞で、あの越山会の女王と呼ばれていた佐藤昭子さん(81歳)が、11日に亡くなったことを知った。田中角栄元首相の政治団体である越山会の会計責任者としての金庫番を務めたことは有名だ。しかし、元首相が病に倒れた時に、娘の田中真紀子元外相によって解雇された。その後は政治団体を主宰していたという。
 一週間ほど前に発売された新潮45の別冊「小沢一郎研究」で、佐藤さんも寄稿しておられて、「田中角栄と小沢一郎」というタイトルで書いておられる。今朝、彼女の訃報を知って、購入済みのその雑誌のその部分に、急いで目を通した。これが、恐らく女王の最後の公式の執筆だったと思うと、いろいろと感じるところが多い。筆者の好きでない小沢一郎氏のことを淡々とした目で観察しておられて、最後の部分に「イッちゃんが総理になることは、もう、多分ないのではないかと私は思っている」とある。しかし、この寄稿文全体に流れる彼女の小沢一郎氏への思いには、切々とした愛情が感じられた。
 かつては、立花隆氏の「田中角栄研究」では、越山会の女王として取り上げられた彼女だったが、今度は「小沢一郎研究」で、自らが寄稿しておられるのが何とも印象深い。
 さらに、何かの因縁を覚えるのが、昨日の国会で「高校授業料無償化」を議論していた文部科学委員会で、本法案が強行採決しされていたが、その委員長が田中真紀子氏で、自民党の厳しい反対に会って、困惑の表情を見せていた姿が、何とも言えない因縁を感じさせた。人生、歴史の綾に感動である。
 17歳の時に田中角栄氏の選挙を手伝ったのが切っ掛けで、思いもしなかった権力者を支えた女王としての女の一生を送ることになったが、その後継者である小沢一郎の今の苦境に心配しながらの逝去となった。心残りであったに違いない。訃報を聞いた小沢氏は、11日の昼に佐藤さんが亡くなった病院に駆けつけ、「ママ、長い間お世話になったね」と涙していたという。人生の機微に、筆者は改めて強い感動を覚えた。
 佐藤昭子さんのご冥福をお祈りします。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時40分起床。体重、61.0Kg。寒さも穏やか。
 昨日の雅子も比較的安定していた。熱もなく、痰も少なかった。夜は、7時からの雅子の好きな娯楽番組を聞かせてあげるため、8時まで付き添った。

3.難病との闘い(1148)  第四部 特別番外編 衝撃の告白
  ―出会えない出会い系との奮闘記―(24)
 
2 瞳という女(その19)
 この出会い系のメールを始めてから、直ぐに気付いたことなのだが、つまらないメールを送ってくることが多い。メール代だって馬鹿にならないのにと、時には多少の苛立ちを覚えた一考だったが、そうすることで、二人の理解が深まるというステップだということで、ある程度は止むを得ないのかもしれないと思い直すのだった。やはり、見え見えの欲望を丸出しで、そのことだけに会話を持って行こうとするのでは、相手の理解を得難いのだろうと考えることにしていた。
 この瞳さんの場合も、その例に漏れず、その辺りのくどさが一考には何となく気掛かりだった。何といっても、じれったいのと同時に、経費も馬鹿にならないからである。それでも、明日には会えるのだという期待が、全ての不満や苛々を昇華させていたように思う。そして、恰も一考のそんなやきもきする気持ちを逆撫でするように、彼女からのつまらないメールは更に続いて入ってきた。
 「泳げない魚さん解りました。服装などは明日報告する形で大丈夫ですね?」
 このように、必ず返事を必要とするような形でメールをしてくるのが気に食わなかった。いちいち返事しなければならないという煩わしさもさることながら、無駄遣いに他ならなかったからである。いずれにしても、それらの不満は、明日会えるんだという期待で、今の一考には、全ての免罪符となっていた。
 この日も、それ以上のの無駄なメールをストップさせようと考えた一考は、「分かったよ。それで結構です。私は、これから病院に出かけますので、暫くメールはできなくなりますよ」と書いて、返信したのだが、それでも「泳げない魚さん解りました」なんて、また返事をよこして来たのには、辟易とするものを覚えていた。
 さすがに、一考は、それには答えずに放置しておいた。とにかく、無駄な会話を誘ってくるつまらぬメールが多過ぎることが、一考を不機嫌にしていることは確かだった。しかし、その辺りのカラクリは、後になって明らかになるのだが、ここでは、一考の単なる愚痴だとして、止めておこう。
 そして、いよいよ、正確に言えば、二度目のいよいよの「待ち合わせの日」がやって来たのである。(以下、明日に続く)

593 異能の男の勝負の仕方

 3000本安打は、単なる通過点だと見ていたので、そんなに大きく取り上げることもなかろうと思っていたが、当のイチロー選手は、意外にも気合が入っていたのにびっくりさせられた。「第一球目から勝負するつもりで狙っていました。ホームランでなかったのが残念」とインタービューに明るく、多弁に答えていたのが気持ち良かった。一本、一本の積み重ねで築いた作品で、たゆまぬ汗と努力の結晶だ。 
 1995年の春に「3000安打を打つのはおまえだ。最終的には抜いてもらいたい」と大先輩の張本選手から託されたのを思い出すという。今朝の日経は「挑戦は終わらない」として、8年連続200安打、メジャー2000安打、そして、過去二人の4000安打があると、目標を羅列し、「すごく遠いけど見えないことはない」と話すイチローの言葉を伝えている。異能の天才の今後の勝負の行方に、国民の関心は高まるばかりだ。
 さて、島田紳助がプロデュースしているアラジンというグループの新曲「陽は、また昇る」が、今日発売されるらしい。発売前から、テレビ番組の「ヘキサゴン」での前宣伝の効果も大きく、大ヒットの予感をさせている。明るく、元気が出る歌で、サラリーマンの応援歌だという。
 それにしても、この異能の男、島田紳助の能力には思わず惹きつけられてしまう。話術の巧みさを武器に、番組を作る能力、そしてスターを生み出し、作品を作り出す多彩な能力は、実に大したもので、その底なしの能力の深さに感心するばかりだ。芸能界だけでなく、ビジネスの世界でも成功しているというから驚きだ。「好事魔多し」というから、変なことで転ばぬように願いたい。
 昨日の午前中の関西テレビの番組で「中条きよし」の挫折から栄光の座への苦労を取り上げていた。面白かったのは、彼の出世の切っ掛けとなった「全日本歌謡選手権」という番組で、10週抜きの栄冠を物にするのだが、その勝負処の7週目で、思い切って審査員であった淡谷のり子の持ち歌「別れのブルース」で勝負に出たという。そこには、その曲を作った服部良一さんも同席していて、お二人から絶賛の言葉を得たという。淡谷さんは「私よりお上手」といい、服部良一さんは「感無量です」とコメントしたという。真っ向勝負する男の生き様に少し感動した。
 そんな中で、福田総理もいよいよ内閣改造の勝負に踏み切るようだ。一見煮え切らないように見える掴みどころの難しい総理だが、どんな異能ぶりを見せてくれるのか、大いに注目して見守りたい。

2.連載(558) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(186)
  第五章 施設生活半年を終えての総括(24)

(4)小さな幸せの事例(その2)
B. 優しさ、親切、好意
 施設でお世話になっていて感じることは、ご担当頂だいている介護士さん、看護師さんたちの優しさで、大変有難いことだと思っている。介護と云う大変苛酷なお仕事だが、皆さん、嫌な顔も見せずに一生懸命尽くしてくださる。人事異動があってちょっぴり寂しい思いをすることもあるが、新しい方も含めて一貫した優しさ、真面目さ、忠実さがあってその有難さに感謝している毎日である。時として、雅子が体調のバランスを乱して、介護士さんに余計な迷惑を掛けることも多くあるが、苦情もなく、適切に処理頂いていることには、頭が下がる思いである。こんな時には、小さな幸せと云うよりも大きな幸せを実感するのである。
 今でも記憶に生々しく刻まれている幸せを覚えたシーンがある。それは或る時の通院時での駐車場で受けた優しいサポートの有難さでだった。診察を終えて駐車場に戻り、雅子を車に乗せようとした時だった。一考の車の隣に、別の車がぴったりと止められていて、作業がいつものように出来ず、大苦戦となったのである。
 困り果てて、通り掛かった方の車を止めて、助けをお願いしたのだが、快く応じて頂いたその時の優しい手助けに、「小さな」ではなく、「大きな幸せ」を覚えたのである。馬鹿げた話だが、駐車場には、一般車の駐車場と車椅子の専用駐車位置があるのを知らないという基礎知識の欠如が失敗の原因だった。お陰で、今では無難にマネージできている。
 さて、障害者を抱える立場になった一考が思うことは、皆様が大変親切で優しいことだ。施設に入る前からも、多くの温かい気遣いを頂いたことが心に残っている。たとえば、電車で通院していた時の気遣いもそうだったし、最近でも、車椅子で道を進んでいる時にも、周りの方の優しさ、温かい心遣いが溢れていて、うれしい限りである。日本も、まだまだ棄てたものではないと前にも書いたが、今でもその気持ちに変わりない。(以下、明日に続く)

3.速報、昨日の雅子(204) 7月30日分
 この日は、何故か今一つ元気がなかった。この日から、朗読は村山由佳の新作、『おいしいコーヒーの入れ方、第2部、2巻、「明日の約束」』を開始した。相変わらず、年上の女性、元教え子の恋愛小説だ。

482 井上怜奈

 昨夜のNHK「クローズアップ現代」で「がんに負けない、怖がらない」の放映があった。その中でアメリカの国籍を取ったフィギュアスケートの井上怜奈さんを取り上げていた。怪我や故障に打ち勝ったばかりでなく、肺がん、頭蓋骨骨折、その後の後遺症でストレス(PTSD)と闘い、それらの全ての壁をに打ち勝ってのオリンピック出場を果たす。そして、パートナーのボルドウインさんの競技が終わった後のリンク上でのプロポーズを受けて結婚したという。
 彼女の半生は、まさに、これ以上ないような艱難辛苦を乗り越えたもので、工夫を凝らしたドラマティックな小説も遥かに及ばない闘いの連続に、見事に打ち勝った劇的なものだった。その素晴らしさには、筆者は大いに感動し、思わずその画面に見入っていた。
 彼女が、教えてくれた「負けない、怖がらない」の気持ちで取り組んでいけば、越えられない壁はないという意味で大いに勇気付けられた。筆者も、厄介な難病と闘う雅子を勇気付け、壁を乗り越えるように頑張りたいと改めて誓った次第である。
 なお、話題はそれるが、このクローズアップ現代のキャスターを務めている国谷裕子さんの魅力は抜群だ。その能力、流暢な英語、知的な器量など、他のキャスターの追随を許さない素晴らしさがある。ファンとして、彼女の履歴を調べたが、49歳でアメリカの大学の卒業である以外に、情報がないのが気になる。

2.昨日の雅子(98)
 特に変わったことはなし。通じもあって順調。但し、言葉探しで少しとらぶった。最初が「え」次が「ふ」、その次が「ろ」と来て4文字で、上半身にあるという。なかなか分からなかった。答えは明日に。

3.連載(447) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(74)
  第三章 施設に戻って (20)

(3)一日の過ごし方(その3)
 一考は、昼食が始まる時間が近づくと、介護士さんたちに「宜しく」とお願いをして、一旦このドリームスペースを引き上げる。
 雅子の昼食は、やはり1時間近く掛かって済ませる。介護して下さる介護士さんには感謝、感謝だ。その後は、朝食後の場合と同じように、お薬の服用、歯磨き、口ゆすぎ、そしてトイレの順での介護を受ける。この辺りの段取りは、ベルトコンベアーに乗ったような感じで進められる。雅子も、要領を得ていて、そのリズムに乗った形でそれに応じているようだ。
 一考が2回目の顔を出すのは、入浴のない日は、昼食関連の一連の段取りが終わったタイミングで、1時半から2時に掛けてである。火曜日と金曜日は昼食後に入浴をさせてもらうので、それが終わって部屋に戻って来るのが2時頃になっているので、一考もそれに合わせたタイミングで顔を出すようにしている。入浴はメインとサブの二人の介護士さんで対応してもらっている。
 一考が顔を出すと、大抵の場合は、雅子は椅子に座ってのんびりとテレビを見ているが、入浴した日は、ベッドに横に寝かせてもらっていることが多い。やはり、入浴で多少疲れるからである。二人の会話は、「何か、変わったことはないか」という一考のいつもの挨拶から始まるが、殆どの場合「何もない」と雅子が首を横に振って答えるパターンである。それを確認して、とりあえず、一考は「自分でインスタントコーヒーを入れ、それを飲んで一息つくのだ。そして、暫く、雅子の傍で一緒にテレビを眺めている。何となくほっとする時間帯だ。雅子がベッドで横になっている場合は、一考の顔を見ると、早く起こして欲しいとせがむことが多いが、なるべく長く横になっている方が疲れなくていいと思って、暫くそのまま寝かせて置くことが多い。雅子は、その間、しきりに早く起こしてと不満を訴える。その辺りのタイミングで、介護士さんが、ファイバー食品をとろみで混ぜてもって来てくれるので、一考が飲ませてやる。
 やがて、3時のおやつの時間になるので、予め、一考が持ち込んだものや姉達が見舞い時に持って来てくれたものを出して食べさせてあげる。大抵は、プリン、果物、アイスクリームのいずれかである。そして、それが終わると、何か飲み物となるが、これも大抵はお茶か、ジュース、ヤクルトといったものが主流だが、このところはジュース、ヤクルトがが多い。ピーナッツやチョコボールなどの硬いものは禁物だ。飲み込めなくて、後で口に手を入れて取り出さねばならないからだ。(以下、明日に続く)

タグ : 井上怜奈 国谷裕子

470 卒業 竹村健一

 ちょうどこの時期は卒業式の季節でもあり、人事異動の時期である。先日の14日に、敬宮愛子さんも学習院幼稚園を卒業して、4月からは学習院の初等科に進まれる。また。あのジャイアンツの桑田真澄投手もメジャーから戦力外を通告を受けて、爽やかに現役引退を表明した。卒業、引退といった別れ、旅立ちが相告ぐ季節だ。
 テレビの世界でも、コメンテーターの竹村健一氏が、今朝の出演を最後に「報道2001」から卒業するということで、特番が目下放映中だ。同氏は、1979年からフジテレビ系列の報道番組「世相を斬る」の初回からの出演で、以来、ほぼ30年間、独特な個性、話法で存在感を示してきた。筆者も同氏の「だいたいはね!」{モーレツ」「ビューティフル」とか「マクルーハンの世界」といった言葉が強く印象に残っている。まだ、年齢的には80歳には達しておられない若さだが、さすがに言葉がスムーズに出なくなって来ていて、タイミングのいい卒業だと思う。人間引き際、散り方が大事だが、さすがにそのことをよく弁えた人だといえよう。長い間、ご苦労さんでしたと申し上げたい。
 散り方といえば、昨日の高校野球での北大津高校は健闘空しく爽やかに散った。頂上を狙うにはまだ早過ぎたのだろう。夏に期待したい。

2.昨日の雅子(86)
 穏やかな一日。ここでも人事異動の話があって、ついこの間、2Fから移ってこられたばかりの介護士さんが、4月からまた移動される。雅子もちょっぴり寂しそうだった。

3.連載(435) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(62)
  第三章 施設に戻って (8)

(1)定着への頑張り(その8)
 一人の人間のある側面の変化を追跡することで、そこに投影された結果を通して、対象者の人生の歴史の一側面を捉えることが出来る。雅子の美容院通いのここ数年の変遷の歴史も、まさにその一つであって、雅子の難病の闘いにおける症状の悪化の進捗状況をしっかりと捉えている。
 具体的に、この3年余りの雅子の美容院通いの実情を振り返ってみよう。一考が、雅子の異常を知って急遽帰郷したのは2004年12月末だっただが、その頃の雅子は、自分で車を運転して美容院に通っていた。その美容院は、車で10分程度の距離にあるJR唐崎駅近くのビルの2階にあった。
 しかし、2005年2月からは、これ以上の雅子の運転は危険だと判断し、車の運転は一考が取って代わった。従って、雅子も美容院へは一考の運転の送迎で通うことになった。そのやり方は、送って行ってから、一戸は一旦家に戻り、時間を見計らって迎えに行くという形を取った。ビルの2階への階段を上り下りは、暫くは何ら問題なく、雅子がひとりで行なっていた。
 それから一年少し過ぎた頃から、その階段の上り下りには、一考のサポートが必要になり始めた。そのサポートは、、最初は、手を繋ぐ程度の軽いサポートでよかったが、それから段々とエスカレートし、2006年後半には、次第に雅子の身体を抱えるようなサポートが必要になって行った。そして、2006年12月末がその階段の上り下りの最後となったのである。その時点では、しっかりと抱かかえながら階段を一段ずつ、ゆっくりと必死に上り下りしなければならなかった。今では、それも懐かしい介護の思い出でもある。
 かくして、2007年初めからは、車椅子で通えることが出来る近くのスーパーの店内にある美容院に替えたのである。その店には、この施設に入居するまでのほぼ一年間に8回通った。そして、この日の2008年1月16日、この館内のこのお店に、初めてお世話になることになったのである。
 以上が、この3年余りの雅子の美容院通いの小史である。そこに、雅子の厄介な病気の悪化の進行具合がリアルに投影されているのが分かる。それは、取りも直さず、一考の介護の変化の歴史でもある。
 特に、興味深く面白いのは、介護の困難さが、雅子の病気の悪化と、必ずしも正比例しているのではないことだ。つまり、唐崎駅近くのビルの2階にある美容院の階段を、必死に雅子を抱えて上り下りした最後の通いが、美容院通いの介護に関しては最も大変なMAXの状況であったのだが、それ以降は、車椅子を押したり、作業中の途中の洗髪時に、車椅子から専用椅子に座らせる程度の介護で済む訳で、そのMAX時に比べれば、随分と楽になっているのである。(以下、明日に続く)

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411 グリーンスパン氏の履歴書

 日経の私の履歴書は、今月は、FRB議長を歴任した「アラン・グリーンスパン」氏で、読みごたえのある内容だった。現代史の隠されていた真実の披露、多くの共鳴を呼ぶ格調高い言葉がユーモアのに満ち満ちていて、大袈裟に言えば、毎日が感動だった。
 今日の最終回でも「文明を前進させるイノイベーションを事前に予測することは誰にも出来ない。しかし、常に必ず起きてきた。それは、人間の本性に根ざしているものだと思う」と言い切り、それを促す土壌が資本主義だという。このコンピューター時代の次は何が来るのか、筆者はそんな期待に思いを馳せた。
 同氏は「逆境に耐え、現実に適応して行く能力は人間に備わっている。だからこそ、人類は前に進んできた。この確信は揺らいでいない」と結んでいる。この言葉に、筆者も、大いに勇気付けられた思いだ。
 そんな高邁な思いから現実に戻ると、政界では、前夜につなぎ法案を提出するという、思い切ったスクイズ作戦に出た与党だったが、突如振り出した雨のような両院議長の斡旋で、戦いはサスペンディッドになってしまった。その一方で、中国食品の恐怖が今朝の紙面を覆っている。筆者も、慌てて冷蔵庫の中を点検、残っていた中国製の冷凍食品を廃棄することにした。一方、ハンドボールはなかなかのいい試合で、前夜の女子の完敗を補った形で、ファンを取り戻したようだ。
 相変わらず、何が起きるか分からない世の中である。

2.昨日の雅子(28)
 前夜は、久し振りによく睡眠が取れたようで、この日は体調もよく、落ち着いた一日だった。長く、椅子にすわっていると、お尻が痛くなるようなので、時々座る位置を変えてやった。食欲も堅調である。

3.連載(376) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(2)

  第一章 入居生活の始まり (その2)
(1)新たな門出 (その2)
 自分の生活がどんな具合に取り扱ってもらえるのか、ドリームスペースとの契約が終わった直後には、雅子の頭の中では、漠然とした掴まえ所のない不安が広がっていた。今までは、住みなれた在宅での介護生活で、しかも、その介護者が気心の知れた夫であったことで、病気への不安はともかく、介護については、すっかり頼り切った形で、何とかこの二年間を過ごして来られた。
 それが、第三者の方々のサポートを頂戴しての生活に換わるのだ。最近では、言葉にも障害が出て来ていて、言いたいことがスムーズに伝えられない状況にあるだけにとても心細く、まさに見知らぬ世界に飛び込んで行くようで、何とも言えない不安が募って来ていた。
 しかし、そんな気持ちではいけないと、入居日が決まった頃から、それを断ち切るように、雅子は自ら決意し、意識改革を試みていた。介護に当たってくれる方々の暖かさを信じ、その方たちに身を委ねよう。そうすることで、皆さんからの貴重な愛情を頂戴することになり、新たな穏やかさを得られるのではないか。雅子は自分の心に、そう言い聞かせることで、それまで拡がっていた不安も心の隅に追いやっていたのである。そして、迎えたのが今日のスタートの日であった。
 この日も夫は、いつもの朝の定番メニューである、着替え、朝食、トイレ、洗顔などを、いつもよりは手早いペースで終えてくれた。そして、出発準備の段取りに取り掛かってくれたのは、9時過ぎだった。前夜までに、新居となるドリームスペースに持ち込むべきものを纏め、大小二つの旅行鞄と幾つかの紙袋に入れて、差し当たっての準備は終えてあった。夫は、先ずは、それらを車に運び込んだ。車が小さいので、数度に分けて運ばねばならないかと心配していたが、幸い、すんなりと全部が収まったようで、夫もほっとしているようだった。
 続いて、夫は、私の衣装変えに取り掛かってくれた。昨夜、希望を聞いてくれて準備しておいた衣装に着替えさせてくれるのである。何も、わざわざそんな別な衣装に着替えることをしなくてもという気持ちもあるが、自分の新しい旅立ちでもある。それなりに自分の気持ちを整えておきたいと思いでの着替えなのだ。この着替えも、身体が不自由だから結構手間が掛かる。夫は慣れた手つきでそれを終えると、今度は、外出前のいつもの手順で口紅を薄く塗ってくれた。これで、自分なりに気持ちの切り替えも出来て、旅立のセレモニーを終えた気分になっていた。(以下、明日に続く)

タグ : グリーンスパン つなぎ法案

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