プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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74 妥当 不安 遺憾

 君が代の国歌伴奏命令は合憲との最高裁の判決が出た。国民統合の象徴である国歌、国旗には異論はない。至極妥当な判断だと思う。
 インフルエンザの薬「タミフル」を服用した患者の53人が死亡、その内、3人が異常行動で亡くなった。お薬との因果関係がはっきりしていないということだが、不安は大きい。
 大きい不安と言えば、今朝のニューヨーク市場での暴落だ。 ダウは416円、3,29%という大幅なものだ。東証でやっと18000円台になったばかりで期待していただけに、悪夢の始まりにならなければと願っている。
 NHKは今国会に提出する法案で徴収料金の義務化を見送るようだ。一方、昨日、NHKから電話があって、放送受信料の未支払い分を支払って欲しいと言って来た。年間契約しているので、そんな覚えがないのでクレームをつけた。しかし、よく調べてみると、昨年、八月の請求時に、NHKに対する不満が溜まっていて、一時自動引き落としを年末までストップさせたことがあった。年末にはそれを解除し、一年分が引き落とされて、領収書を受け取っていた。それをよく見ると。その引き落としは昨年12月分からの一年分で、8月から11月分が抜けていることが分かった。私の言い分は、一時ストップはしたが、支払わないとは言っておらず、NHKが勝手にその分を除いて引き落としているのであって、こちらサイドのの手落ちではない。その説明で、NHKは詫びて、支払い期間を調整するということで話はついたが、何事も、コンピューター処理で中身を点検しないやり方で、不愉快な支払い請求をしてくるやり方は、はなはだ遺憾なことだと思っている。

連載(39) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(30)

 一考の頭の中は、不安でいっぱいになる一方で、個人差があるというこの病気に甘える部分もあった。同じパーキンソン病でも、雅子には、体が動かなくなるような最悪の症状にはならないのではないかという楽観で、今の症状が極軽い指先の動きに限られていたからである。よしんば片手の不自由まで拡大しても、充分に自分がカバーしてやれると考えていた。とにかく、今、あれこれと悩み、考え過ぎても、何もならない。後になって、笑い話で楽しめることになるのじゃないか。そんな期待感が一方では支配しつつあった。
「さあ、これから、さし当たってどうすればいいのか」
 一考は、一息つきながら、当面の自分の対応に視点を切り替えて、一人住まいのマンションを見回した。このマンション住まいも、もう丸一年を過ぎた。漸く、ここでの生活リズムも確立し、それなりの愛着も出て来て、密かに期している人生最後の挑戦にも闘志が燃え始めている。一考の頭の中では、そのリズム、愛着を優先したいとの考えが、判断基準の主導権を握っていた。
 幸いなことに、今のところ、生活にはほとんど支障がないとの雅子の言葉を信じ、差し当たっては、その言葉に甘えて、東京での生活を続けて、様子を見るしかないだろう。一考は、自分に言い聞かせるように「それでいいかい?」と雅子に問い掛けるように呟いて、座っていた椅子から立ち上がった。椅子のきしむ音が、静かなマンションの室内に、「OK」と言っているように響いた。
 翌日の夜も雅子から電話があった。薬を飲み続けているが、効いているとも思えないといった不満の電話だった。パーキンソン病というボディブローが効いてきて、不安を感じているのだろうと思ったが、どうすることも出来ず、「まあ、もう少し様子を見ようや。心配することはない。自分が責任を持ってサポートするから」との慰めの言葉を伝えて電話を切った。今から考えると、その時、雅子は不安の頂点にいたのかもしれない。
 結果的には、それから二年間に渡って、一考は、いわゆる、WALKとWRITEの2Wにかまけた東京での一人生活を継続することになるのだった。(この章は終わり、以下、第三章は明日に続く)
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タグ : 国歌伴奏、タミフル 放送受信料

73 袴田事件

 昨日の夜のニュースステーションで袴田事件を取り上げ、元裁判官だった熊本典道氏のインタビューを放映していた。同氏の話として、三人いた裁判官の中で、自分は一人犯人ではないと考え、死刑に反対したのだが、あとの二人が賛成したため、結局、その判決文を書かされることになったという。以来、このことを思い出さない日がなかったとも語っていた。
 袴田事件は、1966年、今から41年前に起きた一家惨殺事件で、従業員だった元ボクサーの袴田が犯人として逮捕、厳しい取り調べて自白した。目下、冤罪ということで、再審請求がされている事件である。
 この報道で、もし本当に冤罪であったなら、何と云う気の毒な袴田氏の人生であったかということで、怒りの驚きを禁じえない。袴田氏は、子供に「自分は犯人でない。いずれ裁判官は分かってくれる」と書き送っているそうだ。そうだとしたら、真犯人は今頃どうしているのか、許せないでは済まされない。いずれにしても、熊本元裁判官の勇気ある発言に拍手を送りたい。
 もう一つ、別の意味で驚いたのが、昨日のアカデミー受賞式での渡辺謙氏の英語の素晴らしさだった。見た目からは考えられないような流暢で日本人離れしていた。思わず、自分の作品「執念」で登場する秘書役のモデルに使わせてもらった彼女の英会話の流暢さを思い出していた。

連載(38) 難病との闘い  第二章 病名との弟子(29)

 電話を切った後、一考は考え込んでいた。先日、雅子から初めてパーキンソン病の名前を聞いた後、一応インターネットで病気の概要については情報を得たものの、実感の伴わないものだった。特に、気になったのが、この病気が進行性のものである点だった。どの程度の速度でどのように進行するのか、雅子の話では、個人差があり過ぎて、一般的な話は、必ずしも当てはまらないということだった。いずれにしても、頼みは唯一つ、薬がうまくマッチして、病気の進行を食い止めてくれればいいのだ。是非とも、そんな薬に巡りあうことを願うのだった。
 それにしても、気の毒で、可哀そうなのは雅子だ。何故、雅子が厄介な病気に巻き込まれてしまったのだろうか。彼女は、多くの小姑の中で、年老いた一考の両親の世話をしながら、二人の子供たちをしっかりと育ててくれた。近所の方々とも、愛想よく積極的に付き合ってくれて、地域への貢献も一考になり代わって努めてくれて、その評判も悪くなかった。友人も多く、合間をぬってそれなりの付き合いも楽しんでいた。そのことで、一時は、外で遊んでいるのではと誤解されたこともあったが、一考の姉妹達とは違って社交的な雅子の普通の活動だった。いずれにしても、何も悪いことはしていない。全ての点で非の打ち所がない働きだったと一考は高く評価している。それなのに、そんな雅子が、どうして、こんな厄介な病気に巻き込まれなければならなかったのか。神様も罪なことをしてくれるものだ。一考はそんなことを思いながら、やるせない思考を巡らせていた。
 そのうちに、一考の思考は、次第に過激な方向に拡大して行く。若し、雅子の左手が使えなくなったら、いや、両手に支障が出てきたら、更には、歩けなくなったら、動けなくなったらと言った悪い展開ばかりが、頭の中を次から次へと浮かんでは過ぎって行った。「どうしたらいいのだろう」考えは堂々巡りをするばかりで、明快な回答が得られるのものではない。いずれにしても、ともかく、自分がしっかりとサポートして、頑張って行くしかない。可哀そうなのは雅子なのだ。「今、雅子はどんな思いでいるのだろうか」そう考えると、一考の胸中は、思わず熱くなるのだった。(以下、明日に続く)

タグ : 袴田事件 渡辺謙 熊本典道 執念 パーキンソン病

72 さわやかでうれしい話

 爽やかな話題、嬉しい話題を三つ取り上げる。
 昨日書いたLPGAの宮里藍選手の最終日の追い上げは見事で、爽やかだった。残念ながら、一歩及ばず3位に終わったが、ファンの方々には、前週の予選落ちからの復活で、さぞかし嬉しかったであろう。力はある訳だから勝利はま近だと思いたい。ただ、筆者は彼女のファンではない。彼女にいま少し謙虚さがあればいいのだが。
 世界ノルディックスキーのジャンプ団体で見事3位に入った。一人のミスをカバーしての健闘は爽やかだ。
 それよりも、爽やかだったのは、落語の三遊亭円楽さんが現役引退を宣言した。「だめですね、こんな調子で」と自分の限界を悟っての決意だそうだ。何処かの知事さんにも、少しはこのような自分を見る目を持ってもらったら、いいのだがと思う。
 余談で、個人的な話だが、最近、ご近所の方々から「執念を買ったよ」と言って頂くことが増えた。押し付けがましいお願いが受け入れられていることに、爽やかさを越したこの上ない嬉しさを感じている。また、このブログにも目を通していただいているようで、嬉しさは拡大している。今後とも宜しくお願い申し上げたい。

連載(37) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(28)

 それから一週間後の11月21日、雅子は再び日赤病院を訪ね、再度大西医師の診察を受けた。特に変わった検査を受けた訳ではなかったが、医師は、改めて、「やはり、パーキンソン病、若しくは、パーキンソン症候群のようですね」と診断、それを伝える医師の言い方には前回よりも自信有り気であった。雅子は「やっぱり、そうなのか」という、重罪の判決を受けたような気分だったが、今のところ、具体的にそれらしい症状が認められていないことから、不安はいっぱいあったものの、さし当たっては「なるようになれ」といった開き直った気持ちで受け止めようとしていた。
「いずれにしても、なるべく早く、この前にお話した心臓検査(RI検査)をやって、更に確認をしましょう。帰りにでも、検査の予約手続きして下さい。今、その設備が込んでいますので、一週間ぐらい待たされるかもしれません。それまでは 今飲んでもらっているお薬を続けてもらいましょう。お薬が効いてきて、病気の進行が止まればいいのですが」端正な顔を引き締めた大西医師は、当面の段取りを話した。
「特に、何か注意しなければならないことはありますか?」どう対応していいか分からない雅子は、藁にでもすがり付くような気持ちで、アドバイスを仰いだ。
「そうですね、特にありません。お薬が効いてくれるのを待つだけです。厄介なのは、この薬の効果には個人差が大きいのです」
「個人差ですか? お薬の効果は飲み始めて、どのくらいの時間で表れて来るものなのですか?」
「そうですね。まあ、2~3週間でしょうか」
「しかし、私の場合には、それが効いているのかどうかは、判断できませんよね。今は、ほとんど実害が無い程度ですから」
「そういうことですね。結果的に、それ以上悪くならなければ、効いているということになりますが」
「そうあって欲しいです」
 雅子は、分かったような、分からないような、そんなやり取りをしながら、自分自身でも納得しかねていた。
 心臓検査の予約手続きの結果、大西医師が言っていた通り、込んでいたため、一週間後と決まった。
 その夜、電話でその報告を聞いた一考は、戸惑いながら話しかけた。
「まあ、様子を見るしかないね、将来、どんなことになっても、僕が責任を持って面倒を看るから心配はいらない」と勇気付けたが、内心では、モハメッドアリの震える手で聖火を握っている姿が脳裏に浮かんで来て、胸中の不安は拡がっていた。(以下、明日に続く)

タグ : 円楽 宮里藍 ジャンプ団体 執念

71 カットライン

 ハワイで行なわれているLPGAの今期の第二戦、フィルドオープン最終日の決戦が今行なわれている。二日目が雨でサスペンドになった関係で、何人かが今朝、その残りをホールアウトした。その結果、昨日終わった時点で、予選通過がほぼ確実だと思われていた+1グループの諸見里しのぶ選手、それに、今朝無難に纏めて+1で終わった大山志保選手の予選通過が、そのカットラインが際どく揺れ動き、結局は、予選通過がならなかった。カットラインがイーブンになるのか+1になるのかが、プレイ中の各選手がホールを終えるごとに揺れ動き、決勝に備えて練習して待機していた選手には、耐え難い不安な時の流れであったと思われる。これも勝負の綾で致し方ないことだろうが、遥か日本から参加していただけに、最終ラウンドには、何としてもプレイしたかったはずで、その無念さに同情したい。特に大山志保選手は、昨年の日本の賞金王だっただけに、無念さも並みではなかろう。その悔しさをバネにして、次なる挑戦に繋げて欲しい。
 目下、進行中の最終日は、宮里藍選手がバーディスタートで、優勝の可能性が残されている。しかし、上田桃子選手は2番でダボを叩き躓いた。お二人の頑張りに期待したい(記録は8時15分現在)
 このようなことは、我々の日常生活でも多々ある訳だが、常に最善の努力を尽くしての結果であれば、止むを得ないもので、それが人生なんだろうと思う。

連載(36) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(27)

 夜になって、一考は、雅子から再び電話を貰った。その日の夕方、実家に顔を出した義姉の久子から呼ばれて、「そんな薬は飲まない方がいいよ」とアドバイスを受けたというのである。さすがの雅子も、その一方的なアドバイスに戸惑っているようで、その声はいらついた響きである。
「医者の言うことを聞くなと言うんだね。余計なお節介だよ」一考もびっくりしたような声で、雅子のセリフを繰り返した。
「今日、先生から治療方針を伺ってもらって来たお薬ですから、そんな勝手なことはできないでしょう」雅子の言い分は正論である。
「そりゃそうだ。何でそんなことを言い出したのだい?」一考もあっけに取られて、その背景を知りたがった。
「旦那さんのご親戚の方が、この病気で亡くなられたそうなのよ」少し、声のトーンを落としてそのアドバイスの背景を伝えた。
「親戚にそんな人がいたのかい。知らなかった。何時頃の話しだい?」一考も、驚いたようだった。何だか、きつねに騙されたような気分だ。
「詳しくは知らない。どうやら、お薬を飲んだのがいけなかったと思っているみたい」唐突な義姉の訴えに、雅子もあっけに取られたのだろう。
「しかし、パーキンソン病は命には関係ないはずだ。先生もそう言ったんだろう?」
「そう、そう言ったわ。でも、その方は亡くなったそうよ」
「まあね、良かれと思って言ってくれてるんだろうが、こればかりはそのまま受け入れる訳にはいかんだろう。聞き流して置こうよ」一考も、幾ら姉の話だとしても「はいはい」とは受け入れる訳には行かない。
「そうするわ」雅子はそう言って電話を切った。
 その日の一考に日誌に「よかったね 心筋梗塞 疑い晴れて」とメモした。一考の感覚では、その時点では、パーキンソン病よりも心筋梗塞を恐れていたことが分かる。(以下、明日に続く)

タグ : 宮里藍 諸見里しのぶ パーキンソン病

70 ふるさとの暖かさ

 今朝は、拙書「執念」の話である。
 一昨日の夕方、近所のAさん宅に所用で伺った際に、厚かましいことだと思ったが、自分が出版した本のことを話した。有難いことに、Aさんは好意的に受け取って頂き、直ぐに町内会の会長さんに「町内回覧の可能性を検討してもらおう」との望外のご提案を頂戴した。そして、昨日、Aさんが訪ねて来られ、会長さんの了解が出て、直ぐに回覧でPR頂けるというのである。
 即断、即決、即行動という、今の世の中では、とても考えられないスピーディな展開で、私には、このところあまりお目にかかっていない幸せを独り占めしたような嬉しい一日となりました。
 最初に話を聞いて頂いたAさんの発想、アクション、それを受けての会長さんのジャッジが直線的に結ばれて、この上ない朗報となったのです。同じ町内であるにせよ、身に余る温かいご配慮に預かり、感謝でいっぱいです。
 何しろ、三年前に帰郷するまで、大学を出て以来、この町内で生活したのは、大阪勤務時代の5年間だけで、ご近所の皆様とは疎遠であっただけに、改めてふるさとの暖かさを実感させていただきました。感謝、感謝であります。
 会長さんは、随分、進んでおられる方で、もう1年数ヶ月前からブログを開設しておられます。(http://blog.goo.ne.jp/steelpony_2005) 早速、そのブログに「執念」のことも書いて頂きました。有難いお話で、大変嬉しい一日でした。Aさんと会長さんには、改めて、厚く御礼を申し上げます。町内の皆様には、少しでも多くの方に関心を持って頂けたら、この上ない幸せです。宜しく、お願いいたします。

連載(35)難病との闘い 第二章 病名との出会い(26)

 昼過ぎに、雅子は東京にいる一考に電話して、MRIの検査結果の第一報を伝えた。
「とにかく、脳梗塞ではなかったんだね。それはよかった」そう言う一考の声には、ほっとしたものが感じられた。何しろ、脳梗塞と云う恐ろしい病気ではないと分かったからだった。
「でも、パーキンソン病かパーキンソン症候群の可能性があるのよ」雅子の声は冴えない。
「それなんだがね。この間、インターネットで調べた限りでは、結構、厄介な病気のようだけど、個人差があるようだから、神様も、君にはそんなに厳しく苛めたりはしないんじゃない。先生も言っている通り、何でもない可能性もあるんだから」
「私も、そうあって欲しいと願っているの」訴えるような雅子の声に、一考も込み上げる切なさを感じる。
「今のところは、左手の人差し指が使い難いだけなんだろう。まあ、そのお薬を飲んで、心臓検査(RI検査)の結果を待とうよ。ばたばたしても始まらないからね」一考は、内心とは別に明るく繕って雅子の気持ちを気楽にさせようと気遣っての発言だった。あの、モハメッドアリの手の震えの話は、自分の頭の中に仕舞いこんでいた。なるだけ、余計な心配をさせないためだ。
「そうね。何だか、このところ、判決を待っている被告のような気持ちで毎日を過ごしているのよ。精神的に辛いわ」話しているうちに、雅子も弱気になって来ているようだった。
「被告の気持ちって大げさじゃない? 気楽に行こうよ。仮に、有罪の判決が出たって、そのお薬がマッチして、病気の進行が止まってくれたらいいんだから」あくまでも、楽観的に装って、雅子を落ち着かせようと努めた。
「そうあって欲しいわ。いずれにしても、大変気が重いの。あなたと違って、私は張本人ですから。あなたにも、余計な迷惑を掛けるのも嫌だし」当事者の気持ちは、痛いほど分かるだけに、一考も辛い。
「そんなことを、今から心配しても始まらない。なるようになるだけだから、運を天に任せて待つことにしよう」あくまでも、気を紛らわせようと一考も一生懸命だった。
「簡単に言うけど、そんな気持ちになれないの」病院から帰って来た直後だけに、雅子の気持ちには不安定さが目立つ。
「今からそれじゃ持たないよ。そうなったら、そうなったで、僕が何とかするから、心配はいらない」一考は力強くそう言って、電話を切った。雅子のことを慮って、言葉を選んで話したせいか、一考も少し疲れたようで、重い気持ちになっていた。(以下、明日に続く)
 

タグ : 執念 パーキンソン病

69 中学生女流棋士、初タイトル獲得ならず

 天才中学生、里見香奈一級のタイトル奪取なるかで注目されていた女流将棋のレディースオープン決勝三番勝負の第三局は、今までにない多くの報道陣が注視する中で行なわれたが、矢内理絵子女流名人が貫録勝ちをした。先の、卓球でも、同じく天才中学生の石川佳純もベスト4止まりで、里見香奈と同様に、今後の活躍が楽しみな二人である。
 女流将棋界は目下、実力者、清水王位、斎田倉敷藤花、中井六段の三人のベテラン組みと、それを追う、矢内名人、千葉王将、石橋三段の三人の中堅組が競ってはいるが、何と言っても層が薄い。それだけに、この里見香奈の登場は、女流棋界には久方ぶりの福音である。折から、日本将棋連盟から独立して女流の新法人の設立の検討が進んでいるタイミングだけに、彼女の登場は、女流棋界には格好の好材料なのである。
 話は違うが、昨朝、都心の空中に突如、奇抜なオブジェ(?)が現れて、都民を驚かせた。何が起きるか分からない今日この頃だが、そんな中で、矢内女流名人は、堂々と女流棋界の格を守った点でさすがだと思う(筆者は数年前に彼女の色紙をもらっていて、大のファンなのだ)

連載(34) 難病との闘い  第二章病名とのであい(25)

「先日の初診の際に、このパーキンソン病は進行性の病気だと説明され、先ほども、進行を食い止めるお薬は幾つか開発されているとおっしゃいました。進行性の病気とは具体的には、どういう意味なのか、具体的に教えていただきたいのですが」不安の中身をはっきりさせたいという雅子の強い意志が、その眼差いっぱいに表れている。それも当然なことで、突然、降りかかってきた思わぬ現実を受け入れるのは、それほど容易ではないのだ。
「それは、ですね、文字通り、この病気が時間と共に進行、つまり、悪化して行く病気だということです。先ほども言いましたように、その進行を抑える薬が幾つか見つかってはいますが、この病気を完全に治癒する医療技術が見つかっておりません。しかも、その抑制する薬の効果にも個人差があって、効果が認められないケースも多くあります。その場合を、パーキンソン病と区別して、パーキンソン症候群と呼んでいます。あなたの場合が、そのどちらに属するかは、お薬の効果を見て判断することになります」
「ということは、パーキンソン症候群の場合は、症状の悪化がどんどん進むということになるのですね」
「まあ、分かり易く言えば、そういうことです」
「いずれにしても、私の場合は、パーキンソン病か、パーキンソン症候群のどちらかであるということなんでしょうか?」
「そうだと決め付けるのは早計ですが、指の症状の悪化が進めば、そういうことになります。しかし、症状の変化が見られなければ、どちらでもないということになります」
「なるほど。どちらでもないこともあり得るのですね」
「もちろん、あり得ますが」大西医師は断定せず、そこで言葉を切った。雅子は、医師の「どちらでもないことがあり得る」という言葉に活路を求めたく、そうあって欲しいと祈るような気持ちになっていた。
 診察を終え、近くの薬局でお薬を受け取ったが、すっきりしない気持ちだった。家に着くと、姑と義姉の久子が、心配げな顔で駆け寄ってきて、検査結果を訊ねるのだった。雅子の報告に、二人は何かと元気付けてくれたが、雅子は黙って暗い気持ちで、そのリップサービスに耳を傾けていた。(以下、明日に続く)

タグ : 里見香奈 石川佳純 パーキンソン病 矢内理絵子

68 政策金利0,25%上げ

 前月は待ったがかかった日銀の政策金利が、0.25%上げることが福井総裁から発表された。これが、社会全体にどのような影響を及ばすか興味深い。株の動きを見る限りは、このニュースが速報された時点で一旦下げたが、終値時点では、元に戻っていた。恐らく、全体的な影響は、そんな感じなのではなかろうか。金利がこんなに低いのは異常であり、やはり、一日も早い調整が必要だと思う。
 東京都知事に黒川紀章氏が立候補を表明、もたもたしている民主党に活を入れた感じである。同氏は、オリンピック招致に反対していて、石原氏との対決が面白そうだ。
 宮崎県議会の代表質問が始まった。報道されるやり取りを見ていて、東国原知事にゆとりが感じられ、予期以上によくやっていて、順調な滑り出しのようだ。「おぬしなかなかやるじゃない」

連載(33) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(24)

 雅子の頭の中は混乱していた。脳梗塞じゃないが、パーキンソン病の疑いがあるという医者の説明への理解が今一つだったのである。雅子は、改めて大西医師に理解できるように解説を求めた。医者の説明は次のような内容だった。
 今の、雅子の症状は、確かにパーキンソン病に似ている。しかし、パーキンソン病の症状に似ていて、パーキンソン病でない疾患が幾つかあって、脳梗塞はその代表的な一つだという。つまり、脳梗塞は、脳にある血管が詰まって、その先に血液が届かず、パーキンソン病と同じような障害を起こすというのだ。しかし、脳梗塞の場合は、MRI検査で異常が出るために区別できる。今回の検査では、何ら異常が認められなかったことから、脳梗塞でないと判断できた訳で、その結果、その左手の異常は、パーキンソン病の疑いが残ったというのである。
「なるほど、何となく分かったような気がします。それで、今後のことですが、お薬で様子を見るというのは、どういう意味なんでしょうか?」雅子は、医者の説明をほぼ理解出来たが、その先のことが心配になったのである。
「パーキンソン病はまだまだ解明されていないことも多いのですが、それでも、その進行を止めるための薬は幾つか開発されています。それらの薬を服用して見て、効果の有無を調べて、パーキンソン病か、それ以外のものかを見分けようという考え方です」端正な顔をしてはいる大西医師が、雅子の食いつきに少し強張った表情になって、言葉を選びながら治療方針を説明した。
「そうしますと、そのお薬は、パーキンソン病か否かを区別するリトマス試験紙のようなものなのでしょうか?」。雅子は、今一度、自分の理解のほどを確かめる意味での質問を続けた。その表情には今までにない真剣さが溢れている。
「まあ、そう考えて頂いていいと思います。だだし、この薬の効き方には、結構、個人差がありますので、その辺りも考慮して判断することになります。それとは別に、近いうちに、心臓の検査(RI検査)をします。血液の流れ具合を検査して、異常の中身を知ろうというもので、それらの結果を総合して、パーキンソン病か否かの判断が出来ると思います」あくまでも、大西医師の応接は慎重である。
「技術的なことはお任せするとして、一つ、気掛かりなことがあるのですが、…」雅子は、そこまで言って、大西医師の顔を窺ってから、ゆっくりと言葉を続けた。(以下、明日に続く)

タグ : 福井総裁 黒川紀章 東国原知事

67 目先のことには鈍感であれ

 今朝の朝日新聞に小泉前総理の首記の言葉だ出ているようだ。支持率などの目先のことに捉われずにやるべきことをしっかりやれということで、安倍総理を励ました言葉だ。久し振りの小泉節に一ファンとしては溜飲を下げた。
 一方、民主党の小沢代表は事務所経費を率先して公開するとして、多額の不動産の内容をオープンにしたようだが、同氏は主旨を間違っているのではないか。何でもオープンにすれば、それでOKというものではない、多額の不動産をそんな経費で処理していること自体がルール違反であって、大きな顔をして、さあ、他の人たちもそうすべきとは、筋違いも甚だしい。自分の失態をごまかすつもりなのであろうか。
 全くの別件であるが、ある方のお力添えで、私の「執念」の紹介記事が化学工業日報(2月16日の10ページ下あたり)に掲載された。立派な全国紙であり、嬉しさもひとしおだ。

連載(32) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(23)

 父の三回忌を11月2日に済ませた。母親と姉妹夫婦だけの簡単なものだった上に、母親が健在であり、長男の出番も限られていたことから、気楽な法事だった。1903年生まれの父は、あと六十日足らずで二十一世紀を迎える直前での逝去だっただけに、残念だったろうとの思いがある。いずれにしても、人の寿命こそ神様にしか分からないものであることを改めて思った。
 雅子のMRIの検査が一週間後の予定だったため、東京での幾つかの約束がある一考は、三回忌の翌日に東京に戻ることにした。気にしていた雅子の状況については、診断結果をも含めて、逐次連絡を取ることにした。また、この滞在期間を通じて、取り掛かっていた父の蔵書の整理は、通算、39時間、1750冊を整理したが、全体のほぼ25-30%を終了したに過ぎず、とても、全体を仕上げる気力は失せていた。なかなか手に負える相手でないと悟り、諦めて本件から退散することにした。
 東京に戻った一考は、新しい作品の核に予定している大先輩の牧原氏との面談に回を重ねていた。同氏の誕生から現在に至る経緯、歴史を楽しんで聴取していたのだった。人の半生には、時としてドラマティックなものがあり、味わい深い綾があることを幾度も感じた。結果的には、通算で8回、時間にしておよそ25時間に渡って、取材と云う厚かましい名目で、楽しいひと時を過ごさせてもらった。
 雅子のMRIの検査は、一考が東京に戻った次の週に行なわれた。30分程度の単純な撮影で、何事もなくスムーズに終了した。そして、その結果の報告が一週間後の11月14日に行なわれるとの連絡を受けた。
 雅子は、その日の朝一番に日赤の神経内科を訪ねた。いつもと違って、胸をどきどきさせて診察室に入ると、あの中年の大西医師が、手にした報告書に見入っていたが、雅子が挨拶をして正面の椅子に腰を下ろすと、ゆっくりとした口調で話し始めた。雅子は、裁判での判決を聞くような緊張で、その報告の結果に耳を傾けた。
「MRIの検査では異常が認められませんでした。つまり、脳梗塞ではありません」最初の診断の際に見せたおどおどした様子はなかった。ともかく。雅子の頭には、「脳梗塞ではない」という医師の言葉が強くインプットされた。瞬間、ほっとした気持ちが全身を走った。「良かった。脳梗塞ではなかった」との思いがそれまでの緊張を解くことになった。しかし、雅子の心の動きとは関係なく、大西医師は更に言葉を続けた。
「そういうことで、パーキンソン病の可能性が残ります。これから暫くは、お薬を飲んで頂いて様子を見ることにしましょう」(以下、明日に続く)

タグ : 小泉前総理 安倍総理 小沢代表 執念

66 なんたるちあ 三題

 馬鹿馬鹿しい、あきれた、痛ましい話題を三つ取り上げる。
 中川幹事長が安倍内閣に対して「忠誠心なき閣僚は去れ」と苦言を呈した話は、なんと馬鹿馬鹿しい話だと言葉も出ない。安倍総理が入室した際に起立しないし、私語を止めないという。小学生でもあるまいし、開いた口が閉まらない。
 茨城県でこの三ヶ月間に半鐘が16個も持ち去られたという。重いもので80Kgもあるものだそうで、これまた驚きである。北京オリンキックのための建設ラッシュで銅が足りないという話が報道されているが、割りに合うのか「どう」か、多分、犯人は茨城県にいるのだろう。
 スキーのバスツアーで起きた事故で、16歳のアルバイト添乗員が犠牲となった。運転手の弟だったというから、何とも、痛ましい話である。「うとうとしていた」と語っている運転手の言葉に、命を預けている乗客は堪ったものではない。過重労働、ルール違反といろいろ問題がありそうだ。
 これらは、いずれも、筆者がいう「なんたるちあ」の典型的な事例である。

連載(31) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(22)

 雅子が落ち込んだ気持ちで帰宅すると、待ち構えていた一考は、「どうだった?」とせっつく様に確認して来た。
「何、パーキンソン病!」雅子の話しを聞き終えると、一考は、ぽつりとそう言って腕を組んで考え込んだ。医学に知見の少ない一考だったが、その病名には、どこかで耳にした記憶があった。しかし、直ぐには思い出せず、かゆいところに手が届かないような、吹っ切れない焦燥感を覚えていた。
 いろいろと思いを馳せているうちに、一考は、アトランタオリンピックの最終聖火ランナーだったモハメドアリ選手がパーキンソン病だったことを思い出した。ちょうど、母屋にある仏壇のお線香に火をつけようとした時だった。あの聖火に点火する際に、アリの手が激しく震えていたあのシーンは今でも印象に残っている。「あの震えがそうなのか」一考は、具体的な映像を思い出たことでし、抱いていた掴みどころのない不安が具体的なものになってくるのだった。
 一考はそれまでやっていた蔵書の整理をそっちのけにして、直ぐに、インターネットで、更なる情報を確認した。瞬くうちに多くの情報を取り出すことが出来たが、具体的な病気の内容を知るにつれて、不安は一層増すばかりだった。
「パーキンソン病の可能性があると言ったんだね」夕食時に、一考は雅子に、改めて医者の言葉を確認した。
「パーキンソン病かもしれないと言ってたわ」雅子には珍しく、少しぶっきらぼうな言い方で答えた。気持ちが高ぶっているのだろうと一考は忖度した。
「と云うことは、そうでないということもあるというんだね」自分に言い聞かせるように一考は頷いて見せた。
「MRIを撮れば、その辺りははっきりしてくるんじゃないかしら」雅子は淡々たる口調で付け加えた。
「そうなんだろうね」一考は、そう相槌を打ったが、不安は募るだけだった。
 その日の日誌に「明るさに かげりが気になる 秋の暮れ」と、一考はその気持ちをメモした。(以下、明日に続く)

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65 600/30000の妙?

 冷たい雨の中だったが、第一回東京マラソンが3万人以上が参加して行なわれた。心配された大きな混乱もなく終わったことで、総じて、成功裏に終わったと言えそうだ。
 驚いたのは、何と96.4%の参加者が完走を果たしたことだ。恐らく、そのためのそれぞれの日々の特訓がその背景にあったと思う。表に出ない面で、市民の健康管理に寄与したことになる。いろんな話題がある中で、スタート近くに設置されたトイレの数が600(500という報道もある)というのが実に面白い。仮に、全員がスタート前にトイレを使ったとしたら、一つのトイレが50回使用されたことになり、これをスタート前の1時間半で賄ったとなると、トイレの使用時間は1.8分という計算になる。実際には、全員が使ったとは思われず、半分程度と考えれば、3.6分で、スペースのことを勘案すれば、妥当な? 設置個数だったと言えるのではと思う。
 レースそのもので特筆すべきは女子に新星ランナーが生まれたことだ。優勝した新谷仁美は18歳で初マラソン、北京に向けた機体の星と言えそうだ。あの小出監督が指導するというだけに、期待は大きい。なお、あの有森裕子さんのラストランも話題だったが、殆ど報道されていないが、頑張って2位に入った谷川真理さんは、筆者が好きなランナーなので、ここに取り上げて置きたい。

連載(30) 難病との闘い 第二章 病名との闘い (21)

「その病気は、どんな病気なんですか?」雅子は不安そうな顔で、二人の医師を見やりながら踏み込んで訊ねた。
「脳の神経細胞の一部が変性し、体が思うように動かなくなってゆく進行性の病気でして、ふるえたり、動きが遅くなったり、筋肉がこわばったりする症状が出てくるのです。その点では、脳梗塞と似た病気です」
 大西医師は、端正な顔をを少しゆがめて、難しい病気の内容を解説した。
「大変恐ろしい病気なんですね」予期しなかった病名に、雅子の頭の中は混乱していた。突然、けたぐりを食った力士のように、雅子は、唖然とした。しかし、今の状態は、ほとんど支障を感じていない状態だけに、実感が伴わず、完全に意表を突かれたもので、それだけに、そのショックは大きい。
「そうなんですが、その症状は、極めて軽い症状のものから、大変重いものまで幅が広く、人によって様々なんですよ。あなたの場合は、今のところ、それほど心配することもないと思いますよ」心配そうな雅子の顔を見て、隣にいた部長と呼ばれた医師が、助け舟を出すように、症状には、個人差があって一様ではないと付け加えた。
「それに、この病気は、脳梗塞とは違って、命には別状はありませんから」今度は、大西医師が補足した。
「脳梗塞の可能性もあるんですか?」命に別状がないと聞かされて、ほっとはしたものの、頭の中で拡がって行く何とも言えない不安を打ち消したくて、雅子は、医師の口から飛び出した「脳梗塞」という言葉に反応した。脳梗塞は、雅子にも、多くの場合、死に直結する怖い病気との認識があったからである。
「今のところは、そうではないと思います。いずれにしても、MRIを撮れば、そうなのか、そうでないのかは、直ぐ分かります」医師はそう言いながら、カルテに診断結果を書き込んだ。
 診察を終えると、雅子は教えられたMRIの検査室に向かい、検査の予約手続きを済ませた。検査の機械が込んでいたこともあって、検査日は一週間後の午後と決まった。病院から戻る雅子の足取りは、言いようのない重たさであった。(明日に続く)

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64 東京マラソン

 今日、あと数分後に、第一回東京マラソンがスタートする。三万ほどのランナーが参加する大規模なもので、ニュヨークマラソンなどの世界の市民マラソンを意識したものだという。そのための準備、交通規制なども今までに例を見ない大規模で、都民の積極的な協力は欠かせない。大都会でのこのような催しに、いろんな意見もあろうが、これも、年に一度の東京のお祭りと考えれば、それも楽しくていいのではと考える一人である。
 筆者も、退職後に東京に居残ってた三年間で、散歩から始まり、マラソン距離の42.195Kmの歩行にも16回も挑戦した実績を持っている。いろんなコースを設定して歩いた思いでは楽しいものばかりだ。所要時間は、8時間半から10時間半で、その日のコース、体調でかなりの幅があった。今回設定されているコースも、筆者が何回か歩いた道で懐かしい。マラソンの醍醐味は、何と言っても走り(歩き)切った達成感で、これほど充実したものを他から得ようとするのは至難の業だと思う。
 話は変わるが、昨日、神戸の生田神社で結婚式を挙げた陣内智則氏と藤原紀香さんのお二人だが、婚約発表の時点では、芸人と美人女優との異色の組み合わせで、大丈夫なのかと思った筆者だが、改めて見ていて、それなりに息の合ったやり取りをしていて、結構幸せそうだったことから、お似合いの二人なのだろうと思った。お二人も、マラソンに喩えれば、長いレースのスタートを切ったことになる、仲むつまじく、最後まで完走してもらいたい。

連載(29) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(20)

 手の抜けない用事がはいっていたため、雅子が日赤病院の神経内科を訪ねたのは、3日後の10月31日だった。
 診察を担当してくれたのは、四十台と思われる中年の医者で、大西と名乗った。長身で端正な顔の持ち主で、真面目そうな紳士だった。前任の部長が、近々病院を辞めて、自宅で開業することが決まっていたので、その後任として、この大西医師が引き継ぐことになっていた。
 型通りの問診、それに左手の状況を診察した大西医師は、暫く考え込んでいたが、やがて、おもむろに口を開いた。
「先ずは、MRIを撮ってみましょう。具体的な対応はそれからですね」大西医師は、少し戸惑いを見せながらそう言った。何となく自信無げな口調だった。
「病名は何なんでしょうか」雅子が不安そうに訊ねた。彼女が最も気にしているポイントである
 大西医師は、躊躇しながら少し間を置いて、思案しているようだったが、その時、入口のドアが開いて一人の年配の男が入って来た。
「部長、何か御用でも?」考え込んでいた大西医師が、得たりやおうと声を掛けた。同氏の顔が、急にほころんで明るい顔になっていた。
「辞める前に、君に話しておきたいことがあってね」部長と呼ばれた男は親しげにそう言って、つかつかと近寄って来た。雅子は、この男性が、岩森女医から聞いていた、近々ここを辞めて開業する部長なのだと理解した。
「そうですか。それよりも、丁度良い時にいらして頂きました」大西医師の端正な顔が、急に少し緩るんだ顔に変わっていた。直ぐに立ち上がった大西医師は、その男性を笑顔で迎え、直ぐ後ろにあるテーブルの近くで小声で話し始めた。どうやら、二人は、自分の病気のことで意見を交換しているようだった。雅子には理解し難い専門的な言葉が行き交いしていたからである。やがて、大西医師が席に戻って口を開いた。
「失礼しました。少し判断に躊躇していましたので、前任部長のお考えを確認させて頂いていましたので」と弁解するような口調で話し始めた。
「可能性の一つとして、パーキンソン病が考えられます」大西医師の声は、それまでとは違って、それなりの力強さが感じられた。その隣で、アドバイスしたと思われる前任部長が静かに頷いている。
「パーキンソン病?」聞きなれない病名に、雅子は思わずそれを反復した。(以下、明日に続く)

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63 「出足良し」だけでは

 何事も先行きの展開を読むのは容易じゃない。昨日、速報したLPGAの今シーズンの初戦での宮里藍だが、何と、予選落ち確実の7オーバー、113位(AM8時現在)で、先ほど二日目をホールアウトした。昨日の出だしのホールで、幸先良いバーディでのスタートし、期待を持たせたが、その後、今朝のラウンドも含めて9つのボギーを出し、終盤でやっと一つバーディを返したに止まった。まさかの惨敗で、彼女にとっては、今シーズンも大変な一年になりそうだ。しかし、見方によっては、最初に膿を出してしまったから、との楽観的な見方もあろうが、結果を残すことの難しさを改めて思う。
 そういう意味では、目下旋風を巻き起こしている東国晴知事も、先ずはバーディ並みのスタートだが、これからが本番であり、楽観は禁物だろう。
 六カ国協議で合意に漕ぎ着けたのも、単にティショットを打ったばかりで、何となくフェアウエイの方向に飛んではいるといった状況で、北風の吹き方次第で、全く余談を許さない。
 そんな見方をすれば、安倍総理だってそうであり、これから始まる米大リーグでの松阪、井川らの初参加組も、出足だけでなくその後の活躍を期待したい。

連載(28) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(19)

 一考は、「バネ指」と聞いて一瞬首を傾げた。聞き覚えのない珍しい病名だったからである。それでも、雅子の「大したことはない」との報告に、ほっとする一方で、医師が勧めた神経内科での診察を受けることに、一考は一抹の不安を覚えるのだった。
「それで、その左手の指の状態だけど、今はどうなんだい?」その不安を打ち払うように、一考は話題を転じた。
「今朝も話した通り、肩こりだということで、治ったように思っているんだけど、細かい作業をするときに、少し梃子摺る程度で、毎日の生活にはそれほど支障は感じないわ」
「僕に余計な心配をさせまいとの君の心遣いは分からないでもないが、こと、健康に関することは、これからは、そんな配慮することなく、何でも直ぐに話して欲しい」一難さってまた一難の嫌な気分を跳ね除けるように、一考は明るさを装って、さりげなく忠告した。
「分かったわ。でも、本当にほとんど気にしない程度だったのよ。この間のギリシャの旅行でも、自分のバッグはちゃんと持てていたし、日常生活では殆ど支障がなかったから」雅子はそう言って頷いて見せた。
「そう言えば、そうだったね。旅行中には、そんな素振りは全く見られなかったね。結構、重い鞄も持っていたし、高いところへも登っていたし…」思い出すように、一考はそう言って雅子を見た。
「そうなのよ。旅行中は台所仕事から解放されていたから、左手のことは、全く意識することはなかったわ。要するに、その程度なのよ。確かに、包丁を握って細かい作業をする際には、少しは梃子摺ったりはするけれど」雅子も、特に隠していた訳ではないと言いたげに、具体的に説明を加えた。
「とにかく、自分がここにいる間に、紹介された日赤病院の神経内科で看てもらって欲しい。早い方がいいよ」親父の蔵書の整理に精を出して取り組んでいる一考は、まだ、少しここに居残って頑張るつもりだった。
「そうするわ。いろいろとご心配を掛けて申し訳ないわ」雅子はそう言って、内心の不安さを出さずに平静を装った。
 リビングルームでの何気ないやり取りだったが、そこには、夫婦であるが故の、相互の思いやりが交錯した二人ならではの会話だった。(以下、明日に続く)

タグ : 宮里藍 東国原知事 安倍総理

62 デビュー

 昨日、宮崎県の東国原知事が華々しいデビューを飾った。傍聴席がいっぱいになるという、宮崎県では歴史的な一日となった。このところ、食傷気味の話題であるが、これだけメディアのフォローがあると心強いし、頑張らねばならないだろう。今朝も、TBSテレビに生で顔を出していた。結果を出さねばならないプレッシャーは大変だと思う。
 北海道駒大苫小牧高校出身で楽天に入った田中将大投手も昨日の紅白戦でデビューした。ホームラン2発の洗礼を浴びたが、将来性のある大物の片鱗を見せたようだ。本番での頑張りを期待したい。
 一方、女子ゴルフのLPGAも今週が初戦、注目されている宮里藍が、丁度スタートした直後で、最初のホールで見事バーディーのスタート、2番でボギーを叩いたものの、現時点(8時30分現在)で4番を終わってイーブンでまずまずの出だしである。何時、初優勝するのかが当面の興味の的である。
 いずれのケースも結果が問われる厳しい世界での挑戦だ。頑張れといいたい。

連載(27) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(18)

「差し当たって、炎症部分に注射を打っておきます。多分、それで充分だと思いますが、暫くの間は、なるだけ、この指を使う作業を控えて休ませてあげるといいですね」副院長は優しくそう言って、助手に注射の準備をさせた。
「心配ないと伺ってほっとしました。やはり、使い過ぎだったんですね。実は、大分前からのことなんですが、左手の人差し指に力が入らないことがあって、何となく、無意識のうちに、この右手に負担がかかり過ぎていたと思うんです」もう、治ったと思ってはいたが、まだ何となく、違和感が残っているその指を見ながら、雅子は自分に納得させるように話した。人生は、実に微妙な綾の連続と思うことがあるが、雅子のこの何気ない話しが、後の展開で大きな鍵を握ることになる。
「左手の人差し指に力が入らないのですか?」雅子のその説明内容が気になったのか、女医は即座に反応した。
「ええ、日赤病院の整形外科で看てもらったんですが、肩こりだということで、マッサージなどをしてもらって、直ぐに治ったようでした。事実、普段の生活ではほとんど支障はありませんでしたが、それでも、何かあると、反射的にその手をかばっていたようです」雅子は、気にすることなくそう答えながら、先生の顔を見た。
「それは、何時頃のお話なの?」女医は真顔でフォローしてきた。
「今年の2月の初めだったと思います」女医の更なる確認に雅子は神妙な顔に変わっていた。
「力が入らないって、具体的にどんな具合だったの?」踏み込んでくる女医の顔は、どうやら、何かを感じている顔である。
「物をしっかりと握れないとか、ボタンを留めたりするときには、その指が使えなくて梃子摺ったり、また料理の時にも包丁使いで小回りが利かないとか、まあ、細かいことがし難いのです。車のハンドルを握ったりする場合などは、全部の指を使いますから、影響はないのですが」雅子は、自分の落ち度を突かれて、弁明しているような気分になっていた。
「一度、日赤の神経内科で看てもらった方がいいわ。紹介状を書くから」岩森女医はすかさずそう言って、便箋を取り出し、ペンを握った。 雅子は、自分がつい口走った左手の指のことで、事態が思わぬ展開になっていることに、何か掴まえ所のない不安を覚え始めていて、折からのブラインドの隙間から差し込む陽光にも、すがりたいような不安な気持ちになるのだった。
 岩森女医のこの判断が、本当の病名との出会いを作った、絶妙の好判断だったのである。(以下、明日に続く)

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61 顔

 今や、宮崎県の顔となった東国原知事であるが、いよいよ今日から議会が始まり、所信表明演説行うようだ。懸案の副知事も総務部長の河野俊嗣氏が指名されることが内定しているという。今後の一層の活躍を期待したい。
 一方、注目されている東京都の顔である石原都知事の対抗馬だが、未だにはっきりしていない。元宮城県知事が浮上してきているようだが、果たして誰に落ち着くのであろうか。なお、別件だが、参議院選挙の東京地方区の候補に今朝の報道でキャスターの小谷真生子氏が大きく扱われている。ファンだけに今後の動向を注視したい。
 ところで、朝のニュース、ワイドショーの顔、特に女性キャスターにも筆者は関心が深い。朝、4時からの日テレ系「おはよん」では中田有紀が、TBSのみのもんだの番組では竹内香苗やお天気おね姉さんの根本さん、加えてレポーターの米田やすみは、筆者好みだ。(米田さんとは昨年、彼女が大津に来た際に駆けつけて、一緒に写真を撮ってもらった。それ以来のファンだ)しかし、何と言ってもNHKのニュースの顔である、朝7時の担当の座を巡る最近の争いは興味深かった。漸く決着が着き、5時と6時は小郷知子が、そして最も重要視されている7時は、首藤奈知子がポジションを獲得したようだ。両氏とも才色兼備で如何にもNHKらしい。

連載(26) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(17)

「年を取って、血の巡りが悪くなっているんじゃないの?」一考は、冗談っぽくからかうように言いながら、雅子のベッドに近寄って来た。
「血の巡りが悪いのは昔からよ。冗談はよして。真剣に話しているんだから」雅子は、自分が気にしていたことを、真面目に話したにも関わらず、夫の言い方が面白くなかったので、少し憤慨した顔で夫を睨みつけた。
「ごめん、ごめん。そんなつもりで言った訳じゃないんだ。 それで、その左手に力が入らないって、何時頃からなんだい?」今まであまりお目にかかったことのないような雅子の厳しい顔つきに、一考はまずかったと思ったのか、真剣な顔つきになって確認した。雅子は、気分を取り直して、「義父の百か日が過ぎた頃だった」と説明した。
「とにかく、直ぐに病院へ行って診察を受けることだね。君とは違って、自分には医学の知識は皆無だからね」一考はそう言って、雅子のその親指に手を遣った。
「医者の娘だからと言って、そんな専門的なことは何も分からないわ」いつも、医者の娘だから、病気のことには詳しいと思っている夫の考えが、雅子には気に入らなかった。
 雅子は、その朝早く家を出て、相坂家の人たちが多くお世話になっている浜大津の近くにある岩森整形外科医院に向かった。友人たちのアドバイスで日赤病院に行って以来の自分のための病院行きだった。
「これはね、バネ指ですね」ふっくらとした身体つきの女医、岩森副院長は、問診後、その指の状態を看てそう診断を下した。この病院の院長はお父さんだが、今は、殆ど引退したも同然で、全てを娘に任せているのだ。相坂家では事ある毎にここに通うことが多く、医師への信頼は厚い。
「バネ指っていうんですか。確かに、今朝も指を伸ばそうとしたら、ばねのように跳ねました。その通りの名前なんですね」雅子は、なるほどと頷きながら、小さく笑って見せた。
「そうなのよ。曲がった指を無理に伸ばそうとすると、まるでバネの現象のように、ビヨーンと伸びるのでバネ指って呼んでるのよ。指の屈筋腱に起こる腱鞘炎で、発生部位は拇指が多いのですよ。中高年の人に多く、慢性的な機械的刺激、つまり、使い過ぎが原因していることが多いのですが、体質的な要因も大きく関係しているとも考えられています。いずれにしても、それほど、心配はありません」岩森医師はそう言って、心配そうな顔をしている雅子を、とりあえず安心させて、更に言葉を続けた。(以下、明日に続く)

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60 安倍善戦、野党エース級と論戦

 久し振りに国会中継を楽しんだ。衆議院予算委員会での野党の、菅、馬渕、前原、岡田、志位、そして、あの亀井といったエース級が次々と登場して、丁々発止の面白い論戦が展開された。各氏の持ち味を出しての追求に、安倍総理は、まずまずの応戦、中でも最後に登場した亀井氏には、結構強く反発した。安倍総理の強さが出た場面で、多少、支持率アップに貢献したのではないかと思う。全体を通じて感じることは、どうやら、安倍総理は結構短気な面がありそうだ。それはそれでいいと思う。
 蛇足だが、いつも国会中継で気になるのが、速記を取っている人たちの多さで、馬鹿にならない人件費と思う。記録媒体がいろいろ進歩している現在で、今まで通りのこの速記録は必要なのだろうか。
 さて、長時間を掛けて行なわれていた六カ国会議だが、案の定、北朝鮮の「ごね得作戦」が功を奏する形での合意書が採択された。形式的には、前に山崎拓氏が暗示していた「一歩前進」と映るが、これも今後の北朝鮮の対応次第であるから、何が起きるか分からない。今度こそ、「騙しのテクニック」の轍を踏むことにならないことを望みたいが、どうなるのだろうか。

連載(25) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(16)

 この日の朝、起きようとした時だった。
 「どうしたのかしら?」雅子は小声で呟いた。右手の親指が曲がったまま伸びないのだ。痛みはないが、気持ちが悪い。こんなことは今までにない初めての経験だった。気持ちは焦っていたが、雅子は「落ち着いて」と自らに言い聞かせて、精神を統一するようにして指に神経を注いで伸ばそうとした。すると、バネが利いたように指はピンと伸びたのである。ほっとしたものと、何なんだろうという気持ちが混じった複雑な気分だった。
「ねえ、変なの、親指の動きが?」雅子は隣のベッドで眠っている一考に声を掛けた。
「親指が、どうしたんだい!」一拍間を置いて、眠そうな声で一考が返事した。自宅に戻って来て以来、父親の残した本の整理で疲れが溜まっているのかも知れないが、何だか迷惑そうな様子である。
「親指が曲がって、伸ばそうとすると、跳ねる様な感じで、気持ちが悪いの」
「指が跳ねる? 痛いのかい?」漸く、事情が分かって来たようで、心配そうな言葉遣いになっている。
「痛くはないの。でも、変なの。実はね、もう大分前の話になるんだけど、左手の人差し指に力が入らなくなって、お医者さんに看てもらったことがあるの。その時は、多分、肩こりから来ているんだろうということだったので、マッサージなどを受けて治った気になっていたんだけど、最近、やはり、そんな感じは少し残っているようで、気にしていたところだったの。あなたには言わなかったけれど」雅子は、自分がこのところ気になっていることを、併せて話して聞かせた。
「何? 左手の人差し指が変で、今度は右手の親指に異変かい?」怪訝な顔で一考はベッドに起き上がり、目覚めたばかりで、頭の回転が今一つの一考は、雅子の言った言葉を繰り返しならが、その訴えを理解しようとした。(以下、明日に続く)

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59 瀬戸際の攻防

 奇跡の生還と無念の死という二つのニュースが駆け巡った。
 マグロはえ縄船の転覆で、行方不明になっていた三人が絶望の淵から生還したニュースは、全国民を歓喜の渦に巻き込んだ。三人は、救命ボートの中で、終始励まし合いながら、また水をかき出す作業を続けながら、チャンスを待っていたという。瀬戸際の闘いがひしひしと伝わり、聞く者の心を熱くした。筆者も久振りの朗報に気分も明るくしていた。
 しかし、その数時間後に、危篤状態の瀬戸際で闘っていた板橋署の宮本巡査部長の無念の死亡が伝えられた。職務に忠実であったが故の同氏の死亡だっただけに、実に悲しい堪えられない痛みを覚えた。ご冥福をお祈りしたい。
 瀬戸際の醜い闘いは北京でも六カ国会議が延々と続いていた。毎度のことながら、北朝鮮のしぶとい、巧妙?な駆け引きには、全く辟易とする。いい加減にしろと言いたい。

連載(24) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(15)

 ギリシャツアーから帰国したのは10月11日だったが、その二週間後の2002年10月19日から11月4日のほぼ2週間に渡って、相坂一考は、東京のマンションを離れて実家で過ごすことになった。それというのも、この間に、珍しく二つの身内の結婚式が関西で予定されていたし、その直後に父の三回忌を行なうことにしていたからである。
 単身で生活するようになって、十七年目になるが、二週間も妻と一緒に生活するのは初めてで、一考は、何だか落ち着かない気分になっていた。退職後にも、敢えて別居生活を続けているという異常さがもたらした副産物だった。
 二つの結婚式はいずれも姪の結婚で、滞りなく華やかに行なわれた。一考も雅子と揃って顔を出し、母親も九十歳を向かえていたが、車椅子を使っての出席していた。少なくとも、この時点でも、雅子には何の異常も一考は承知していなかった。
 一考は、この二週間に渡る実家での滞在を利用して、父が所有していた書籍の整理をしようと考えていた。父は教育に人生を捧げる一方で、国文学、古典、漢詩などに踏み込んだ研究をしていたことから、大変な蔵書があった。母屋の一角にある一部屋を書庫としていたが、そこは、父が二年前に亡くなった時のまま放置したままだった。蔵書の数は、数えたことはなかったが、全部で一万冊程度はあったようで、中には、結構高価な書物もあって、かつては古本屋さんが訪ねて来て、購入を希望した書物も何冊かあったという。一考にはどれがそうなのか、さっぱり分かっていなかった。一考はこの蔵書の扱いに苦慮していたが、先ずは中身を知らなければと思い、この機会に本のリストを作ろうと考えたのである。これによって、父がどんな分野の本を持っていて、どんな研究をしていたかの一端でも知ることが出来ればと幸いだと一考は考えていた。
 しかし、書庫が生憎、母親の居間兼寝室の隣にあったため、姉の久子からは、母親の睡眠などに邪魔になるからとのクレームもあったりして、一考が目指したコンピューターによる分類作業は、思うようには捗らず苦闘していた。そんな最中に、雅子に異変が起きたのである。10月28日朝のことだった。(以下、明日に続く)

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58 わきまえた決断

 六カ国会議が案の定難航している。今回は出だしがすんなりと始まっただけに、何とかまとまり、北朝鮮の核廃棄に貴重な切っ掛けを作ってくれるのではと期待したが、今のところ裏切られた形になっている。北朝鮮の限度をわきまえぬ非常識な要求という駆け引きに埒が明かないからだ。そういう意味では今回も北朝鮮ペースである。どんな結論が出るのか、見守りたい。無理かも知れないが、北朝鮮には「わきまえた決断」を期待する。
 限度をわきまえぬという点で気になるのが、東国原知事のテレビ出演回数の多さだ。週末から今朝に掛けても驚くほどの生出演が続いていて、今も、TBSのみのもんたの番組に出演中だ。少し出過ぎではないだろうか。「他にやることがあるのに」と県民に不安を与えかねない。
 筆者が気になったのは、昨日のお昼に「あっこにおまかせ」というバラエティ番組に出ていたことで、折角固まりつつある同氏の知事のイメージが壊れるのではないかと懸念する。「そのままま東」に戻って欲しくはないと密かに思っており、その意味で、出演する番組は選んで、わきまえた決断をして欲しいと思う。
 もう一つ、昨日、このブログで紹介した朝日放送のアナウンサー、赤江珠緒が、昨日のサンプロで、朝日放送を退社すると表明していた。4月から、昨年まで担当していた「スーパーモーニング」に戻るという。彼女をそれほど評価していなかった朝日放送に退社というわきまえた果敢な決断で応えた彼女に拍手を送りたいし、今後の一層の活躍を期待している。
 なお、筆者の処女作「執念」(文芸社刊、一月発売)だが、近所にある旭屋書店の西大津店で、店長の温かいご配慮があって、再び書店のいい位置に横積みしていただいていたが、一冊ずつ減っていることに嬉しさを覚えている。多分、ご近所の方々の「わきまえた」ご協力によるものと感謝している次第です。

連載(23) 難病との闘い  第二章 病名との出会い (14)

 その日の夜はアクロポリスを見に行った。ライトアップされて美しく浮き彫りにされたパルテノンに見入る。町の真中にあるだけに、ギリシャ人には24時間生アクロポリスで、幸せだと思う一方で、毎日見ていると、食傷気味になって、その価値をないがしろにしてしまうのではないかとも懸念する。9時から、近くの繁華街のプラカで食事をした後、ギリシャの踊りと歌を楽しんだ。グループの何人かが舞台に引き出されてエンジョイしたが、幸か不幸か、雅子には声がかからなかった。12時ごろホテルに戻る。
 翌9日は、いよいよ実質最終日。7時半にホテルを出て、エーゲ海サロニカ湾のクルーズで一日を過ごした。幾つかの島を回って、夕方の7時過ぎにアテネに戻った。夕食を、海岸のミクロリーマ(小さな港の意)で取ったが、期待したロブスターはかなりのこぶりでがっかりした。
 翌朝は早朝4時にホテルを出てアテネ空港に向かう強行軍だった。来た時と同じミラノ経由のルートで、ほぼ予定通り戻り、一週間ぶりに成田に戻った、なお、このツアー中に、CNNニュースで拉致家族が一時帰国することを耳にし、ドラマチックな再会が展開されることに、それまでに無い胸を躍らすような興奮を覚えていた。
 余談になるが、海外旅行をする際には、水盃をする訳ではないが、いつも若しかしたらと、ある種の覚悟をして出掛ける。それだけに、無事帰国すると「自分に更なる人生を与えてくれた」と神に感謝するのが常だ。古い人間なのかも知れない。今回もそんな感謝の思いに浸りつつ、改めて、歩き、執筆に頑張ろうと心に誓った。一方の雅子も、この一週間、姑の世話から解放されて、久し振りにリフレッシュが出来たことで満足そうだった。 
 しかし、二週間後に。雅子は思いも寄らぬアクシデントに見舞われるのである。それは、まさしく厄介な病名との出会いの入口だった。(以下、明日に続く)


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57 日曜討論番組の女性キャスター

 今日はやわらかい話題を取り上げる人物論の2回目である。
 日曜日の筆者のテレビ視聴は朝5時半からのTBSの「時事放談」から始まり、7時半からの「報道2001」9時からのNHK日曜討論」を経て、最後に、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」までの一連の番組を楽しんでいる。硬い番組だけに、女性キャスターの存在は番組の味付け面で欠かせない。その意味から、NHKを除く三つの番組での三人のキャスターには、それなりの関心を持って視聴している。その意味で、時事放談の小島慶子はさて置き、フジテレビの島田彩夏(丁度今番組に出演中、最近きれいになったようだね)とサンプロの赤江珠緒は筆者の好みのタイプのキャスターだ。それぞれ、無難にその役割をこなしている。
 特に、最近、サンプロに抜擢された赤井珠緒は、大阪の朝日放送のアナウンサーで、全国区に抜擢されているのだが、その明るいキャラクターと難しい田原総一郎からの不意打ち的な質問を振られても、無難に応接している辺りはなかなかのもので、田原氏も気に入っているのではとみている。
 同アナは、少し前にもテレビ朝日の朝のワイドショー「スーパーモーニング」のキャスターに前任者の不祥事で辞めた後を、二年間務めた実績を持っていて、その能力は既に実証済みだ。しかし、不思議なことに、地元に戻った同アナの起用を見ていると首をかしげたくなる。具体的には、土曜日の朝だけの、何だかつまらないバラエティに起用されているだけだ。
 人を育て、その潜在能力を引き出すのは、その上に立つ上司の責任だが、その点で、全国区のサンプロに抜擢したプロヂューサー及び関係者の眼力を称えたいと思っている。赤江珠緒アナの更なる頑張りを期待している。

連載(22) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(13)

 メテオラに近づいて行くバスの中から次第にそそり立つ奇岩が見え始めた。その神秘的な眺めの中で、何とも言えない感動が込み上げてきて、バスの中の雰囲気は異様な盛り上がりとなる。「俗世間から離れ、全てを神に捧げたい。祈りの中で神に近づきたい」そう願った修道士達の思いが、屹立した奇岩の上にこんな修道院をつくったという。メテオラとは、空中に吊り下げられたという意味だそうだが、まさにそんなイメージが違和感なく理解できた。
 よくもこんなところにこんな修道院を立てたものだと改めて思う。バスを降りて、修道院の中を見学した。建物そのものに目立った特徴はなかったが、それでも気分は壮麗なものに高まっていた。環境が精神を高揚させていたのである。雅子もそれなりに満足そうだった。両親を世話する毎日の多忙さから離れ、厳粛な環境の中で、新たな自分を見出しているようだった。ともかくも、写真で見ていた通りの世界の中に、自分達がいることに感慨を覚え、その高揚した思いの中で、つまらぬ煩悩が消え失せて行くように感じた。一考は持っていたメモ帳に、「そそり立つ 奇岩に煩悩 消え失せぬ」と認めた。一通りの見学を終えて、5時半頃、カランバカのホテルにチェックインした。
 翌8日は、7時半にカランバカのホテルを後に一路アテネへ向かう。次第に遠ざかる奇岩の上の修道院に名残惜しさを残しながらのおよそ360キロのバスの旅だった。因みに、このギリシャの旅を通して、バスの走行距離は1200キロに及ぶものだった。アテネ近郊では、マラトンを遠望して、マラソンの起源に思いを馳せるのだった。因みに、マラトンからアテネまでの正確な距離は40キロだという。
 昼食後はアテネ市内巡りで、圧巻はアクロポリスのパルテノン神殿だった。写真で見ていたそのものを目の当たりにすると、思わず「ここまで来たんだ」といった感慨を覚える。ゆっくりと味わうように見て廻りながら、古代の都市国家時代に思いを馳せる。続いて、近代オリンピック競技場へ。総大理石のスタンドが壮観だ。トラックは現在の公認の形状ではないが、一周は400メートルである。オリンピックの開会式やマラソンのゴールに使用されるということだったので、一考は、記念にジョギングでそのグランドを一周した。雅子の視線もその姿を追って一緒に一周していた。(以下、明日に続く)

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56 副知事選任で苦慮

 宮崎県知事の東国原氏が副知事指名で苦慮しているようだ。打診して内諾を得ていたライバル候補だった持永氏を断念したようである。県民の反対の意向に配慮したというようだが、難しい決断だったと言える。
 筆者は、ライバル候補にも関わらず、能力などから判断して持永氏を候補の一人に選択した発想は高く評価したい。「なかなかやる」と云うのが、このニュースを耳にした時の第一印象だった。今までの芸能人だったというイメージを一掃する響きを与えたことは事実だ。
 県民の指示を得て選ばれただけに、県民の意向を重視することは大事なことかも知れないが、顔色ばかりを窺っているようでは思い切った施策は困難になる。時には、自らの信念に基づいて、それが宮崎県民のためになると考えるなら、多少強引だったとしても堂々と打ち出して、県民を引っ張って行く手法も必要になるだろう。まだまだ、スタートラインにたったばかりだ。ゴールは遥か彼方である。完走を目指してのご健闘を祈っている。

連載(21) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(12)

 こうして、歩き(WALK)と執筆(WRITE)の二つのWの活動を併行して展開する中で、ギリシャ旅行に出発する10月4日を迎えた。この旅行こそ、一考は、もう一つの大切な「W」である妻へのサービスに注力する一週間と位置づけていた。
 この朝の二人の出で立ちは、中型の旅行鞄一つと二人の機内持ち込みの小型鞄がそれぞれ一つずつの二つという比較的軽装な出で立ちだった。つまり、雅子も自分の鞄を自ら持っていた訳で、そこには手の不自由なんてことは全く存在していなかった。
 二人は、11時前に成田空港の所定の待ち合わせ場所で、ツアーグループの他のメンバー達と合流し、ミラノに向けて成田を発ったのは午後1時前だった。飛行は概ね順調だった。ミラノで乗り継いでアテネに到着、そのままホテルに直行した。チェックインしたのは、日付が変わった5日の深夜の1時ごろだった。長時間の旅で疲れていたのだが、初っ端のそのホテルで、鍵が壊れていたり、風呂の栓が無いという不愉快なトラブルに巻き込まれ、眠りについたのは3時近くになっていた。さすがに妻もぐったりと疲れていたようだったが、幸い健康そのものには変わりなく元気だった。
 翌朝、天気はすこぶる良好で、8時にバスでホテルを出発、ペロポソネス半島の付け根のコリントスからミケーネへ向かった。空はコバルトブルーで気持ちがいい。遺跡を追って525フィートの丘の上まで登る。ここは、シュリーマンが1878年に、ホロメスの叙事詩をもとに、執念で発見した遺跡だった。夢のある執念を持つことは人生の励みとなる。この後、セントアンドリュースの教会に立ち寄った後、オリンピアに向かい。7時半過ぎに二日目のホテルに入った。この日のホテルの部屋は万事OKで、ほっとした次第である。
 翌日の6日は、午前中は、オリンピック博物館から、古代オリンピック競技場、ゼウス神殿へと向かった。うす曇で天気が不安定だったが、何とか降らずに持ってくれた。午後3時半頃、フェリーでコリントス湾を渡る。オリンピックを控え、橋をかける工事が進んでいたが、その工事の進み具合をみて、間に合うのかどうか、他国のことながら心配になった。バスは海岸沿いにかなり走って山に向かいデルフィーへと入った。途中、ボーキサイトの産地、レパントの戦いが行われた海岸を通った。その頃から雨が降り出した。そして、7時頃、デルフィーのゼウスホテルにチェックインした。
 翌日の7日は、幸いに天候は回復していて晴天だった。添乗員から、自民党の野中氏に似ていると云われて、一考は「またか」とうんざりする。その頃は、何人かの人から、同じようなことを言われていたので、さほど抵抗感がなかったが、抵抗勢力ではないとジョークで返した。午前中の博物館と世界遺産デルフィーの観光を終えると、午後には、いよいよ圧巻のメテオラの奇岩の上に立つ修道院に向かった。(以下、明日に続く)

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55 山崎拓氏の予言的中?

 一ヶ月半ぶりに六カ国協議が始まった。いつも、北朝鮮ペースで空回りしていたのだが、今回は様子が違う。合意文章の草案が昨夜遅くにも示された模様だ。どうやら、先の米中二国間協議でシナリオが出来上がっていたらしい。あれほど、二国間協議はしないといっていた米国が妥協したとしか思えない。これまた、北朝鮮ペースと言えそうだ。
 そういう意味では、先に不評を買って訪朝した山崎拓氏が帰国後に語っていたことが、具体的になってきたように思われる。同氏は、「近いうちに大きな変化があるだろう」「北朝鮮は、もう日本にこの会議に出る資格がないとは言わないだろう」などはぴたりである。同氏の役割には、まだはっきりしないものが残っているが、何かを果たしたとも言えないでもない。
 それに対しての日本政府の立場だが、何か完全に置いてきぼりを食っているようだ。一体何をしているのかとさえ思われる。
 「一体、何をやっているのか」という点では民主党を含む野党の衆議院予算委員会での少子化問題に絞った集中審議での言葉尻?を捉えた柳沢厚労大臣への繰り返しの質問である。大臣の繰り返しのお詫びも冴えないが、野党だ一等らしく、もっと本格的な少子化対策を論じてもらいたい。そうでないと政権を任す訳にはいかない。

連載(20) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(11)

 その頃、一考の耳には、身内のものから「そんな活動を、一人でこそこそやっていても無理で、やる以上は、然るべき先生の内弟子になるとか、カルチャーセンターなどのセミナーに出て、しっかりした基礎を身に着けないとものにはならない」と言った主旨の批判が伝わってきていた。長いこと何の成果を見ない独りよがりの創作活動に、いい意味での励ましのアドバイスをくれたのだろうが、才能がないのだろうということで、落ち込んでいた一考には、傷ついた心に更に厳しい鞭打ちを受けたような痛みがあった。事実、それまでにも、一考はもう書くのが嫌になり、今日で止そうと自分に言い聞かせたことが幾たびもあった。読者のいない作品に掛ける闘志が萎えて来るのは致し方なく、ぼおーとキーボードを眺めていたことを、何回も繰り返したものだった。
 そんな繰り返しの中でも、一考には最後の闘志を燃やす対象が残されていた。どうしても書いてみたい題材を残していたからである。会社勤めをして四十年近いその殆どを、日米の合弁会社で仕事をして来た。幸いだったのは、その会社の創立時から加わっていたことで、会社への愛着も強かった。それだけに、米国親会社の子会社支配への執拗な戦略、戦術が展開される渦中にいた一人として、その執念深さには、敵ながらあっぱれといった凄さを感じていた一人だった。しかも、その最後のステップでは、自らが乗り込んで来る外人部隊に絨毯を敷いて迎えてやるといったプロジェクトを引き受けたことから、どうしても、その辺りの彼らの狙いをしっかりと書いてみたいと思い続けていた。言わば、温存して来ていた最後の切り札を持っていたのである。会社生活を終えた男の人生の最後の仕事として、それを何んらかの形にしてみたいとの強い思いを持っていた。それこそ、一考の執念の塊のようなもので、後に初めての出版を決意する文字通り「執念」という作品になるのである。
 ギリシャ旅行を一ヶ月半先に控えて、一考は、その作品に着手したのだった。手始めに、主人公の一人として想定していた合弁会社の実質の創設者だった大先輩に、時間を頂いて、地道な取材活動を開始したのは、八月中頃のことである。(以下、明日に続く)

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54 飯島氏、夕張市長選に立候補?

 テレ朝系列の関西の朝日放送が夕方に放送している「ムーブ」はなかなか活気のある面白い番組だ。
 昨日、レポーターの須田慎一郎氏が、ビッグな特ダネ情報を紹介していた。「夕張の市長選挙に、小泉元総理の秘書官だった飯島勲氏が立つ可能性がある」というものだった。須田氏は直接本人から聞いたということで、その信憑性は高いという。同氏の話では、夕張の市長選挙には、誰も出ないのではとの懸念もあるようで、その辺りを心配して果敢に乗り込むということらしい。財政再建に関しても、びっくりするような秘策を検討しているようで、もし、そうであれば、頼もしい限りである。具体的な秘策の一つとして、市町村合併の大掛かりなものを適用する案で、例えば、横浜市との合併で、飛び地として夕張を位置づけるといったような破天荒なアイディアが披露されていた。夕張の危機を救うための決死の立候補であれば、それは、ジャンヌダルクの現代版を思い起こさせる美談になる。
 しかし、百戦錬磨の飯島氏である。額面通り受け取っていいかどうかは疑問が残るが、筆者としては前向きに、見上げた姿勢であると見て、期待して見守りたい。

連載(19) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(10)

 退職後の相坂一考は、友人たちに「今、どうしているの?」と聞かれると、「3Wに徹しているんだ」とかっこをつけて、コンパクトに答えることにしていた。そうすると、「3Wって何なんだい?」という質問を引き出すことになり、やおら、もったいぶって解説するといったパターンで会話に誘導していた。
 一考の言う「3W」とは、文字通り、三つの単語、WALK, WRITE、WIFEのイニシアルを取ったもので、歩き、書き、そして、妻への配慮を意味していた。三番目の妻に関する部分は、あくまでも建前で、一種のジョークに属する飾りであって、妻へのリップサービスだった。それというのも、その頃の一考の頭の中では、自分が余計な配慮をしなくても、子供達もそれぞれ大学入って、子育ても一段落していたことで、雅子自身が、充分に人生を楽しんでいると考えていたからである。
 ギリシャ旅行に出掛けるまでの間も、一考はその3Wに徹した活動に浸っていた。最も果敢に取り組んでいたのが、WALKだった。誰に気遣うことも無く、自分のペースで適度な汗をかきながら、歩くという単純な運動は、多少の疲れは伴うが、気分は実に爽快で達成感も伴っていた。健康の確保と云う大儀名文が、歩きそのものを正当化できて、せっせせっせと歩きまくっていたのである。話は少し先行するが、二年も経つと、23区内の77箇所の警察署を織り込んだ42の散歩コースもほぼ全部攻略を終え、気に入ったコースについては2回目の歩行に入っていた。
 二つ目の「W」であるWRITEの方は、地道な活動に終始していた。それでも、ギリシャ旅行を行なう前には、退職前から書き始めていた「なんたるちあ」が何とか完成の域に達していた。これは、負け犬サラリーマンの悲哀を描いたもので、公私共に裏切られる気の毒なアンチヒーローの人生を描いたもので、そこに、予てから温めておいたとっぴなアイディアを絡ませ、一考としてはそれなりの異色の自信作だった。そのとっぴなアイディアとは、「新幹線を合法的に格安に乗車する研究」と称する受けを狙った興味を惹く取って置きの内容だった。ある出版社に原稿を持ち込んだところ、共同出版を勧められたが、経費の点で折り合わず、つい数日前に、見送りを決断したばかりだった。この話は一年後になって、出版社から突然、「改めて、企画出版の候補に取り上げたい」との話が持ち出され、「やった!」と内心大いに喜んだが、結局は、肝心のそのアイディアの部分が、社会に誤解を招く恐れあるということで、残念ながら没になるのだが、一考にしてみれば、寝ている子を起こされたようで、悔しいぬか喜びを味わうのである。(以下、明日に続く)

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53 八百長

 週刊誌で朝青龍横綱の八百長が告発記事として大きく扱われ、相撲界が揺れている。昨年の九州場所では十五番のうち十番程度で行なわれていたと言うから驚きも半端ではない。相撲界からの内部告発があったとされていて、出版社側は裁判での争いも辞さないという。
 今までにも八百長は何回も告発されていたし、力士だった「板井」の告発は有名だ。しかし、今回の場合、横綱の強さに、双方が怪我を回避っするための八百長というから、驚きも今までのものとは違って「なるほど」と思う一方で「なんたるちあ」との怒りを覚える。日本の国技であるだけに、その伝統を守るためにも、この辺りは、はっきりと決着をつけて貰いたい。 
 ところで、国会で審議拒否をしていた野党が今日から出席して議論に参加するという。この間、平成18年度の補正予算はお陰様で速やかに成立した。あの無策な審議拒否とは一体何だったのか、相撲でいう「無気力相撲」に相当し、「八百長」と呼ばれても仕方がないのではと思う。
 一方、柳沢厚労大臣がまた誤解されるような発言をして問題になっている。これは「八百長」ではなく、本人のデリカシーを欠いた発言だ。今は、あまりしゃべらない方が本人のためには、いいのではと思う。揚げ足を狙っている多くの連中が待ち構えているからだ。

連載(18) 難病との闘い 第二章 病名との出会い(9)

「そうなんだよ。一目ぼ惚れなんだよ。大きな岩の上に立てられた修道院が、あたかも、中空に浮かんでいるように見えて、実に壮観なんだ」上ずった一考の声が踊っているように雅子には響いた。
「修道院が中空に浮かんでるんですって?」
「そうなんだ。メテオラの修道院というのだが、高い絶壁のような奇岩の上に立てられていて、お伽の国のような別世界を感じるんだ。そんなところへ行けば、日常生活でのもやもやしているものや、ちっぽけな不安なんぞは、みんな吹っ飛んでしまうんじゃないかと思ってね」珍しくつやのある一考の声が炸裂しているようだった。その写真を見て興奮しているのだろうと雅子は感じていた。
「悩みが解消するって言うの?」
「そう。そんな気がするんだ。いいだろう、そこに決めて?」
「良いも悪いもないよ。貴方に全てお任せしているんだから。でも、幸いなことに、今は、吹っ飛ばして欲しいようなもやもや、不安のようなものはないみたい」雅子は、そう答えながら、一考のいう「別世界で悩みが吹っ飛ぶ」というセリフに、何となく身体の底から共鳴している別の自分を意識していた。今思えば、そこには、まだ自分でも気づいていない良くない何かの潜在を感じていて、無意識の中で、そんなものを全て吹っ飛ばしてみたいという衝動に駆られていたのかもしれない。
「じゃ、そこに決めるよ」一考は楽しそうにそう言って電話を切った。
 一考が交通公社にギリシャ行きのツアーに申し込んだのは五月末のことだったが、正式にツアーが成立し、詳細な日程が決まったのは、九月に入って間もなくのことで、成田出発が十月四日で帰国が十月十一日と設定された。(以下、明日に続く) 

タグ : 朝青龍 審議拒否 柳沢厚労大臣 なんたるちあ

52 線維筋痛症

日本テレビの大杉君枝アナウンサーが自殺?された。子供を生んだ後に発症した「線維筋痛症」という耳慣れない難病に苦しまれていたようだ。妻がパーキンソン症候群という難病である筆者には、身につまされる衝撃的なニュースである。明るくて快活なアナウンサーぶりは筆者の記憶の中でも鮮明に残っている。ご冥福をお祈りしたい。
 ところで、この病気は、ほとんど研究が進んでいなくて、原因も分からず、従って治療法も無いというのが実情のようだ。医者の話では、「体の中にガラスの破片が入っていて、それが体中を動き回るような痛さ」があるという。もちろん、個人差があって、痛さも様々らしいが、40-50歳台の人に多く、国内に200万人ほどの患者がいるとの事だ。そんな話を聞くと、筆者の妻の場合は、パーキンソン関連病で自分でほとんど何も出来ない症状になって苦しんでいるが、そんな痛みがないだけ幸いとも言える。世の中には、まだまだ分かっていない難病があり、それに苦しんでいる人が多いことに改めて驚く。科学技術の一層の進歩を望んで止まない。

連載(17) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(8)

「ギリシャに決めようと思っているんが、どう思う? 二年後にオリンピックが行なわれることになっているし、先にその辺りを見ておくのもいいと思ってね」一考は、前置きなしに、いきなりそう切り出した。その声には普段と違って興奮している時の特徴である声の上ずりが認められた。
「オリンピックね。それもいいのじゃない。正直言って、ギリシャって、首都がアテネという以外は何も知らないわ」雅子は、自分の無知を恥じるでもなく、あっけらかんにそう言って、一考の反応を窺った。
「それは、お互い様だ。先ほどインターネットで調べてみたんだが、ギリシャは日本に比べて面積が三分の一、人口は一千万人程度で、そのうち400万人がアテネにいるらしい。GDPは20兆円で経済的にもそれほど豊かではない。一部のホテルを除いて、下水のパイプが細いことからトイレに紙を流してはいけないというから、この種のインフラも充分ではないようだ。そんなことで、目下、オリンピックを目指して、いろんな突貫工事が進んでいるらしい。それで、ギリシャに決めた理由だが、もちろん、オリンピックの話題も一つだが、実は、ある凄い写真が決め手になったんだよ」更に声を上ずらせて、一考は一気にそこまで捲くし立てた。
「随分と興奮しているじゃない。一体、何の写真なの?」雅子は、一考の得意げな話に水を差す訳にも行かず、成り行き上、そう問い掛けた。
「世界遺産という雑誌に紹介されていた写真なんだが、それに一目惚れしたんだよ」
「一目惚れ? 私にじゃなくて?」雅子は冗談っぽく言って、小声で軽く笑った。(以下、明日に続く)

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51 どうする柳沢大臣

 自民と民主が真っ向から戦った昨日の二つの選挙は一勝一敗だった。さあ、この結果をどう捉えて、安倍総理はどう決断するか、興味深い。私は、柳沢厚労大臣自らが潔い決断をするのがいいと考えている。
 話題はスポーツに変わるが、昨日は、二つの素晴らしい復活劇があった。マラソンの藤田敦史選手とテニスのヒンギス選手だ。スポーツ選手に限らず、一度挫折すると復活するには大変な頑張りがないと難しいのが世の常だ。それだけに、二人の健闘を称えたい。藤田選手には、この調子を保って北京を目指して欲しいし、惜しくも負けた佐藤淳之選手は、個人的には大のファンであり、出来れば、二人の「アツシ」で揃って北京での出場を望んでいる。
 もう一つ、宮崎県知事の東国原知事に関する続報で、今朝のワイドショウで、筆者が気にしていた元奥様の加藤さんから「身体に気をつけて頑張って」とのメールがあったと報じていた。何だかほっとした気持ちだ。少し、前のブログでこのことに触れ、加藤さんの人間性に「?」をつけたが、これで、その「?」も目出度く解消出来た。知事もそんな気持ちでないだろうか。

連載(16) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(7)

 夫の一考から、突然、海外旅行をしようと思わぬ誘いを受けたのは、2002年5月の連休明けの頃だった。
「どこか行ってみたい処はないかい?」夫の唐突な問い掛けに、雅子は戸惑った。この頃は、義姉の久子が大津に戻って来ていたことから、義母の世話は、一週間程度ならお願いできて、家を空けることは可能だった。久し振りの海外旅行が楽しめるということで、心は少しずつ弾んで来たが、さりとて、何処へ行き方かと言われても、直ぐにここへ行きたいというような処は思い浮かんで来ない。
 そう言えば、これまでに、勤続、二十五周年、三十周年の節目に、それぞれ会社からの援助があって、シンガポール、パリ、イタリアに連れて行ってもらったことが思い出された。いずれの場合も、夫の決めた案について行っただけだった。特に、パリの場合は、将棋に強い関心を持っていた夫が、大きなタイトル戦である竜王戦ツアーがあるので、それに参加したいというものだった。自分は、全く関心が無かったが、さりとて反対するような別のアイディアがあった訳でもなく、そのまま従ったのだった。それでも、ツアーで弁舌滑らかに楽しませてくれた今は亡き原田九段や、今をときめく羽生さんや佐藤さんなどの有名な棋士さん達とひと時を共に出来たのは、今でも楽しい思い出として記憶に残っている。また、将棋の月刊誌「将棋世界」のグラビアに対局する二人の後ろに自分が写っているのも、貴重なワンカットである。
「どこでも結構よ。あなたに任せるわ。」雅子は、そう言ってボールを一考に投げ返した。
「分かった。考えて置く」一考はそう言って電話を切った。その件で、一考から再び電話があったのは数日後だった。(以下、明日に続く)

 

タグ : 柳沢厚労相、東国原知事

50 審議拒否戦術

 安倍内閣が迷路に入っている。如何に脱出するかは、大将である安倍総理の決断と実行にかかっていることは申すまでもない。恰も、新築して半年足らずの物件に、幾つかのひび割れが生じているようで、その対策は急務である。それにしても、野党の執る審議拒否戦術の陳腐さには毎度ながら辟易とする。今回は、大臣の首をはねることが目的のようだが、その戦術はマンネリ化さえあって、肝心の迫力が感じられない。チャンス到来での民主党だが、今の迫力なさでは迫りきれないだろう。その意味では、安倍内閣にはまだラッキーさが残っているとも言える。今日の二つの地方選挙で、国民がどんな意見を反映させるかは興味深い。
 因みに、迷路脱出の最良手段は、上から全体の路線図を鳥瞰することだと思うが、………。

連載(15) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(6)

 一考自身にとって意外な展開だったのは、東京での生活の主体が、次第に歩くことに夢中になって行ったことだった。今時の言葉で言う「歩くことにはまる」という言い方が分かり易いのかもしれない。そこには、何事をやるにも健康でなければ始まらないとの考えから、運動音痴の一考に出来る格好の運動が「歩き」だったからである。
 一考は、退職後の東京での居残りのことを考えて、退職予定の半年前に、杉並区の永福町にワンルームマンションを購入していた。嘘をつくつもりはなかったが、その時点では適当な口実が見つからなかったにで、雅子には、投資の一環だと言い訳していた。そして、それまで二十年近く住んでいた横浜の社宅から、そのマンションに移ったのは、雅子の了解を得た直後の、退職の数ヶ月前のことだった。
 そんな訳で、自ずからそのマンションが歩きの起点となった。当初は、その近辺を探索する散歩から始めたが、そのうちに、ただ単にむやみに歩き回るだけでは、直ぐに飽きてしまうので、何か適当な目標を設定して、その達成を目指して歩く方が励みになって面白いと考えるようになった。
 そこで、最初のターゲットに取り上げたのが、東京23区にある警察署を全部回ってみることにした。推理小説を書く際にも、事件現場や捜査本部などの設定で役立つだろうとの単純な考えからだった。インターネットで事前調査をしてみると、都内23区内には77箇所の警察署があることが分かり、それらを一つ一つ回り始めたのである。そのうちに、三十年近く東京に勤務しながら、東京を殆ど知らない自分に愕然とし、この機会に名所旧跡なども回ってみたいと考えるようになり、直ぐに、市販されている23区内の散歩コース案内を入手した。それらの散歩コースは、それぞれ大体4Kmから6Km程度のコースで散歩には格好の距離であり、然るべき観光名所もしっかりと織り込まれていた。一考は、そこに、警察署を組み込んでの新しいコースにアレンジしたのである。こうして、77箇所の警察署はもちろんのこと、紹介されていた都内23区内の42コースをおよそ二年間で全部攻略、気に入ったコースは2回目の歩行をも行なった。
 その頃の一考は。まさに、「歩き魔」になっていた。部屋にいて物を書こうとしていても、天気が良いとじっとしておられず、直ぐに着替えて歩き始める始末だった。その内に、有名な「通り」を歩いてみようということになり、環八、環七、山手、国道1号線など主だった有名な通りの殆どを制覇することになる。何事もそうだが、一つのことを始めると、そこからまた新たな興味が芽生えて来るものだ。一考の歩きもまさにその通りで、新たなターゲットが次々と出てくるのだが、それについては後に紹介するとして、ここで話を少し遡ってみたい。
 歩き始めて間もなくのことだった。会社から、退職時に頂いた家族旅行のクーポンを使用するかどうかの確認の電話を貰った。「そう言えば、そんなのがあったなあ」と思い出した一考は、渡りに船と、雅子との海外旅行を思い立ったのである。(以下、明日に続く)

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49 父との死別

 昨日書いた郷田九段の名人戦挑戦権獲得という華やかなニュースの裏で、同氏のお父さんが亡くなっていたという悲しいドラマが同時進行であったことを新聞の夕刊で知った。対局終了後にそのことを知った同氏は、呆然とした表情で椅子に座り込んだという。将棋の手ほどきをしたお父さんにしてみれば、息子の活躍に一喜一憂していたはずである。それだけに、息子の晴れ姿を確認せずに他界されたのはなんとも痛ましい。こうなれば、何としても、名人を獲得することで、お父さんの死に報いるべく頑張って欲しい。一ファンとしても、新名人の誕生に期待している。
 このように、親の死に目に立ち会えないことが殆どだというのが実情だろう。職業によっては、そのことを気にしていられない場合もある。その点で、自分の場合は、非常にラッキーなことに、その瞬間にその場に居合わせて、身体を支えてあげたのを思い出す。
 ところで、昨日の報道で、北朝鮮の金正男がマカオにいるところが確認されてインタビューを受けていた。彼の場合は、どんな形で父親との死別を向かえることになるのか、非常に興味深い。世界が注目しているはずである。

連載(14) 難病との闘い 第二章 病名との出会い (5)

 雅子の夫である相坂一考は2002年1月31日会社を定年退職した。会社の好意で退職時期を一年延長してもらっていたので、退職時は61歳だった。退職に際して、一考は「遣り残したことがあるので、帰郷を延ばし、もう少し東京に留まりたい」と雅子に申し入れた。
「こんな鬱陶しい家には帰って来きたくないんでしょう。けれど、ご両親は、貴方の帰郷を、首を長くして待っておられるのよ。困った人ね。でも、まあ、長い間のお勤めをして頂いたんだから、暫く、のんびりと好きなことをするのもいいんじゃない」
 雅子は、一考の気持ちを忖度して、その申し入れを思いの外すんなりと受け入れた。その背景には、この頃の雅子は、気にしていた左手の人差し指に力が入らないという一件も、単なる肩こりからのものだという診断を得ていて、実生活でも殆ど支障が認められなかったことから、治ったような気になっていたからでもある。また、その辺りの事情については、夫に余計な心配を掛けたくないとの雅子の配慮から、一考は何も知らないまま軽い気持ちで、雅子に申し入れたのだった。つまり、二人の間には、運命的な阿吽の呼吸が働いていた。
 かくして、一考は雅子の理解ある了解を得て、東京に居残こることになり、二人の別居生活は、夫の退職後にも継続するという異例のものとなった。そんなにまで、一考が居残りに拘った背景には、会社生活で吹っ切れず、充実感の伴わない退職への無念さに一矢報いたいという強い闘志があったからだった。もう一仕事して、納得する引き際にしたい。そんな気持ちが一考を支えていた。いわば、勝手な自己満足を求めていたのだ。
 さし当たっての目標は、今まで断片的にやってきていた推理小説を書き上げることだった。かくして、才能もない一考が、無謀な挑戦を試みることになる。皮肉なことだが、後から考えてみると、その頃から、雅子の身体の奥深くで、病魔が誰にも気づかれないまま、ゆっくり立ち上がり始めていたことになる。(以下、明日へ続く)

タグ : 郷田九段 金正男

48 郷田九段が将棋名人戦の挑戦者に

 今年の四月から始まる第65期将棋名人戦で、森内名人への挑戦者に、郷田九段が最終局を待たずに決まった。郷田九段は羽生王将、森内名人、佐藤棋聖などと同期であるが、最近は今一つチャンスに恵まれていなかったが、漸くにして晴れの舞台への登場となった。大のファンである筆者は、昨夜は深夜まで、手に汗して、その成り行きを見守っていたが、対抗馬の谷川九段が羽生王将に敗れた時点で、郷田九段の挑戦が確定した。名人戦本番での活躍に期待している。
 ところで、この名人戦は、第66期から、その主催新聞社が、今までの毎日新聞社単独から、朝日新聞社との共催に変わることで話題となったが、筆者が、今、最も興味を持っている話題は、「第十八世永世名人」が誰になるかと云うことである。将棋界では、名人を五期保持すると、永世名人の称号が与えられる。実力名人が誕生するようになって、今までに誕生した永世名人は、木村十四世、大山十五世、中原十六世、そして谷川十七世の四人で、目下十八世名人を森内名人と羽生王将が共に四期で、あと一期と競っている。この四月からのシリーズで森内名人が防衛を果たすと、念願の十八世永世名人の資格を得る。今まで、互いにライバルとされながらも、羽生王将が七冠を独占するなどタイトル数や実績で圧倒的にリードして来ているだけに、羽生王将としては、この永世名人で森内に先を越されることには、内心忸怩たるものがあるに違いない。それだけに、郷田の頑張りを期待しているのは、私のような郷田ファンだけでなく、多くの羽生ファンもきっとそうに違いない。

連載(13) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(4)

 レントゲンの結果が出たということで、再び診察室に呼ばれたのは、それから三十分ほど経ってからだった。
「レントゲンには異常が認められません。大したことはないと思います。単純な肩こりかも知れませんね」
 椅子にどっかと座っていた老練な感じのするその医師は、届けられたレントゲンの写真を丁寧に点検しながら自信有り気に結論づけた。
「よかった!」思わず、雅子は呟いた。それまでの重苦しかった気持ちが一瞬にして吹っ飛んだ感じだった。何しろ、前日に、友人の若村さんから「脳梗塞」の疑いがあるといわれて以来、一人悶々と悩んでいただけに、疑いが晴れたことで、天国に昇るような軽やかな気持ちになるのだった。
 今後の対応として、医師は、マッサージや肩揉みなどでほぐしてみることを勧めてくれた。雅子は丁重に礼を言って診察室を出た。腕時計に目を遣ると、もう、正午近くになっていた。
 直ちに、義父がよく使う病院にお願いして、マッサージと肩揉を受けることになった。数回通っているうちに、何だか治ったような気がしたので、やはりそうだったのかと安心するのだった。あれほど心配だったことが杞憂に終わったことで、雅子の気持ちはさっぱりした秋晴れになっていた。そして、直ぐに、前田さんや若村さんなど仲間の皆に電話を入れて、検査結果を報告した。雅子の明るい声を聞いた仲間達は、皆一様に喜んでくれた。そして、それから暫くは、何事も無く時は経過して行った。左手の指に力が入らない状態は残っていたが、日常生活に差し障りがなかったことで、雅子も気にすることはなかった。雅子が、再び、心を痛める鬱っとしい気分に見舞われるのは、それから何とおよそ一年後のことである。(以下、明日に続く)

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47 国会空転

 女性を子供を生む機械とたとえた柳沢厚労相の罷免を求める流れは、ここに来て加速している。この流れは、そう簡単には止められそうにもない。安倍総理の早い決断が待たれる。それにしても、馬鹿なことを口走ったものだ。弁解の余地は無い。このところ、内閣に幾つかの軋みが表面化しており、政治の流れは余談を許さない。民主党などの野党は勢いづき全面審議拒否に出ていて、適切な手が打たれないと続いている国会空転は解消されないだろう。ただ、攻める民主党にそれほどの精彩がないのは、不幸中の幸いだが、いずれにしても、安倍内閣の命運を占う試練の場のようだ。

連載(12) 難病との闘い  第二章 病名との出会い(3)

 健康を自慢にして来た雅子だっただけに、自分のことで、病院を訪ねるのは本当に久しぶりのことだった。取りあえず、相談窓口で、何科で受診すべきかを相談してみることにした。
「なるほど。それで、足にはしびれはありませんか?」雅子の症状の説明を聞き終えると、すかさず、窓口の看護婦はそう質問してきた。
「足には、今のところ、異常はありません」
「それなら脳梗塞ではないでしょう。整形外科を紹介しますので、先ず、そこで看てもらって下さい」相談に乗ってくれた看護婦は親切気にそう言って、場所を示す簡略図を手渡してくれた。雅子は丁重に礼を言って、図に示されている場所に急いだ。
 整形外科の診察室は一階の奥まったところにあった。既に多くの患者がその辺りの待ち合い席を占めて順番を待っていた。雅子は、受付の窓口に診察を申し込んで、同様に順番を待つことになった。
 子供の頃には健康優良児にも選ばれ、健康、体力には格別の自信を持っていた。それだけに、その自分が込み入った話で病院にお世話になるのは、子供を生む際に産婦人科にお世話になって以来だった。夫からも「君の最大の取り得は健康だよね」なんて馬鹿にされたような褒め方をされて、気に入らなかったこともあったが、今の気持ちは、その自信のあった根底に亀裂が生じているようで、掴みどころのいない不安が先行していた。
 それでも、「脳梗塞ではない」との先ほどの看護婦の言葉で、重苦しかった気持ちは、少しは軽くなったように感じていた。それにしても、随分多くの患者がいるものだと改めて、その辺りを見回した。診察を終えた人よりも、新たに診察を受けに来る人の方が多いようで、その辺りの待合のスペースがいっぱいになって来ていて、一体、どの位待てばいいのかが分からない。雅子は仕方なく忍耐強く、じっと時の過ぎ行くのを待っていた。あれやこれやと取り留めもないことが頭を過ぎって行く。ともかく、最悪の事態が避けられたのかもしれないという思いが、その忍耐を支えているようだった。やっと順番が回ってきたのは、およそ二時間ほど経過した頃だった。
「指の異常ということは、一般的には首筋に原因があることが考えられます。首筋のレントゲンを撮って確認してみましょう」もう五十歳を過ぎたと思われるその道の権威と思しき医師は、幾つかの問診の後、そう言って看護婦にその準備を命じた。(以下、明日に続く)

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