あの早実出身の
ハンカチ王子、
齋藤佑樹投手が、東京六大学春季リーグ戦の開幕第一戦の先発投手として登板した。新入生がチームの開幕戦に登板するのは、1930年の東京帝大(東大)の高橋投手依頼の77年ぶりだそうだ。早大の
応武篤良監督の思い切った起用で、歴史に名を刻んだ。この記録は、今までに、5人の事例があるようだが、その中で勝ち投手になったのは、1927年の慶応大学の
宮武三郎投手だけということだから、その点では80年ぶりの快挙ということになる。齋藤投手は、あの長島や江川以上と云う見方もある。結果も見事で6回を1安打で完封した。見事な出だしであり、四年間にどんな記録を作るのかが今から楽しみだ。
何年ぶりの記録と言うと、2年前に
イチローが作った米大リーグのレギュラーシーズンの安打数262本は、86年ぶりの記録更新だった。記録達成を目前とした際の日米でのあの興奮ぶりは、今でも生々しく記憶にある。
話は変わるが、昨日帰国した
温家宝首相が国会で演説を行なったが、中国の要人の国会での演説は、85年4月の彭真全国人民代表大会委員長以来、22年ぶりだったそうだ。終始ソフトムードでの氷を解かす旅は、それなりの成果を出したようだ。
何年ぶりという表現を使うことで、その話題を四次元の世界で捉えられ、それだけイメージを拡大させたものに仕上げることで、リアリティに富んだより感慨深い実感に繋がる。
そんな意味で筆者の自分史を振り返ってみると、2004年末に雅子の病状変化で、東京を撤退して帰郷し、長い単身生活から同居生活に戻ったのは19年ぶりだったという事例を拾い出せる。それまでの結婚生活の半分以上に相当し、雅子に苦労を掛けた深さが改めて思い出され、複雑な思いになる。
連載(85)難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(18)
「ところで、母の所に食事を運んだ際など、戻って来るのに随分と時間が掛かっているが、一体、何を話しているんだい?」
既に触れたが、安全のために食事は階下までは一考が運ぶが、そこからは雅子が義母のいるところまで運ぶことにしている。雅子と義母との顔合わせの機会を減らさないための一考の配慮だ。
「お義母さんは、よく昔話をして下さるのよ。その時々に思い出した話をされるの。貴方の子供時代の話から、ご姉妹の幼い頃の話など、事細かに話して下さるの。大抵は自慢話だけれど。初めて聞く時はまだ面白くて楽しいんだけど、その内に同じ話が幾度も出てきたりして、この二十何年間で、何度同じ話を聞かされたか数え切れないわ。お義母さんは、とてもお話好きなんだから」
丁寧な言い方の中に雅子の精一杯の皮肉が込められている。
「年を取ってもうろくしているんだよ。そんな時は、その話はもう聞いたと言ってしまえばいいじゃない?」
「しかし、そうも言えないし、仕方なく黙って聞いてあげているの」
「君は、人が良過ぎるんだよ。そう云えば、このところ、お義母さんに目薬をさしに行ってるんだよな」
「ええ、年末にされた白内障の手術後の消毒のためなの。お義母さん一人では無理なので、お義姉さんから手伝ってあげてと頼まれているの。それも、四時間おきにね」
帰郷直前に姉から手術の相談を受け、自分はもう年だから無理しない方がいいのではと反対したが、姉はそれを聞き入れずに手術を敢行した。取り敢えずは片方の目だけにし、もう一方は近々することになっていることを思い出した。何事も、全て姉が取り仕切っていることが一考には気に入らない。
「四時間置きか。それは大変だ!」
一考は、顔をしかめながら、その面倒さを思うのだった。
「食事の準備に、この目薬、それに時々庭の草引きもしなくてはいけない。結局、他には何もできないのよ。諦めているけれどね」
雅子の言葉は淡々としていた。ここの庭は結構広く、春から秋にかけては、草引きは不可欠で、ほっておくと手に負えなくなるほど雑草が茂る。
「なるほど。草引きもね。これじゃ、我々には殆ど自由がないじゃないね。食事の世話、外出の足回り、それに話の聞き役、更には草引きか」
「そうよ。常にお母様中心に事が回っているのだから」
帰郷後、僅かの期間で悟った一考の皮肉交じりの問いかけに、思わず、雅子もそうだと言わんばかりに大きくうなずいた。
「これじゃ、体のいい軟禁状態同然だよね」
一考は雅子の顔に視線を送って、どうしようもないといった顔つきでにんまりと笑った。(以下、明日に続く)
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