プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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135 支持率、男の生き方

 今朝の日経新聞によれば、安倍内閣の支持率が53%に回復している。数字には一喜一憂しないと言いながらも、回復傾向にはほっとするのが人情だ。最近の総理の姿勢で、自分を出し始めたことが評価を高めているように思う。やはり、自分を出すこと、そのことを評価してくれる人たちがいることが、男の人生では、大事で幸せなことだと思う。
 支持率と言えば、宮崎県の東国原知事のそれは、一般紙で80%台、地元の新聞では90%台と圧倒的な支持を得ている。心強いことだが、この支持に応えてゆかねば、数字は直ぐに降下することになるだけに、プレッシャーも大きいに違いない。ここでも、男の生き方が問われていることになる。今のところメディアを味方にした対応は、力になっているはずだ。今も、みのもんたの「朝ズバ」に出ている。タフな人だ。もっと、もっと頑張って欲しい。本人も言っているが、あまり馬鹿げた「バラエティ」には出ない方がいい。
 男の生き方で、心を捉えたのが、日経新聞の「私の履歴書」に当月登場したセブン&アイホールディング会長の鈴木敏文氏の生き方だ。今朝の最終回に「言いたいことを言い、やりたいことをやる私のような部下は、他のの経営者の下だったら三日でくびになったはずだ。そんな私を後継者にまで選んだ伊藤さんの懐が深く、云々」と上司に恵まれたことを記している。やはり、自分を理解してもらえる上司に巡り会えるほど男にとって幸せなことはない。
 そんな意味で連想したのが、ABC放送(テレビ朝日系)の人気ワイド番組「ムーブ」にコメンテーターとして出ている花田凱紀氏と勝谷誠彦氏の文春時代の上下の関係だ。あのあくの強い、扱いにくい勝谷氏を部下にしていた花田氏が、今は、大きく出世した勝谷氏と同席してムーブに出演しているのに、人間関係の面白さを覚えると同時に、何か熱いものを感じている。いずれにしても、男は「勝たねば話にならない」のだが。

連載(100) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(33)

 気分転換という観点では、一考は、雅子の友人達にも大いに感謝していた。まさに「持つべきものは友人」である。それと言うのも、雅子が厄介な病気に巻き込まれていく中で、彼女達は、いろいろと細やかな気遣いをして、とかく、運動不足になりがちな雅子を、外へ引き出してくれる機会をつくってくれていた。例えば、それまで、続いていた月一回の食事会も、頻度こそ減ったものの、友情の証として続けられていた。それまでは、雅子が車を運転して、皆を連れて行くことが多かったが、今では、皆に送り迎えをしてもらってのスタイルに変わっていた。雅子は、皆の温かい配慮を嬉しく思うと同時に、いい友人を持ったことに感謝するのだった。
 中でも、近くに住んでいる前田さんは、実に細やかで、タイミングを見計らって、近くのデパートに買い物などの外出の機会をつくって、連れ出してくれていた。運動不足を心配しての気遣いだった。また、二人が好きなアーティストである小田和正の公演に大阪にまで出向いて楽しいひと時を持つなど、精神的にも思い切った発散の場を作ってもらった。
 しかし、ここに来て、その辺りの遠出は次第に無理となり、近場のデパートにウエイトが移り、段々とその頻度が少なくなって行くのだが、症状の悪化で、致し方ないことだった。この辺りの変化は、雅子の気の毒さの軌跡をみているようで、一考も心の痛さを覚えるのだった。
 その後の具体的な外出の事例では、2005年9月3日には、前田さんの誘いでバスで西武デパートへ、9月11日のあの郵政選挙の日には、いつもの友人達と車で長浜へ観光に出掛けている。
 その後も、タイミングを見て、声を掛けてもらい11月に入っても27日に西武デパート、12月12日には昼食会に引っ張り出してもらっている。そして、その友情は年が明けも続き、1月8日には西武デパートへ、更に、1月25日は、前田さん宅での昼食会に招いてもらっている。有難い配慮の積み重ねに一考は心から感謝していた。このような記録を見る限り、この時点でも、手を引くなどのサポートで、雅子は、まだ、ゆっくりとした歩行は可能だったのである。(以下、明日に続く)
 
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タグ : 安倍内閣 東国原知事 鈴木敏文 花田凱紀 勝谷誠彦

134 昭和の日

 今日は、新たに定められた祝日で、初めての昭和の日である。人生の大半を昭和時代に生きた筆者には、それなりに感じるものがある。
 ところで、ひ先の日経の「富田メモ」今回の朝日の「卜部メモ」の公開で、今まで憶測に過ぎなかった天皇の心の中が、少しずつ明らかになりつつある。特に、靖国神社にA級戦犯が合祀されたことへの天皇の不快感は事実だったと裏付けられた。
 筆者は、天皇がどの程度戦争指導に関わっていたかに関心をもっていて、若い頃は、天皇が戦争を指導した最高責任者ではなかったかと思っていたが、最近では、その二つのメモなども勘案して、軍の力に抗しきれず、やむなく戦争に踏み込まざるを得なかった気の毒な立場にあったと解釈するように変わってきた。 
 今朝のフジテレビの報道2001でも、この問題が取り上げられていたが、議論の主旨は、筆者の思いを後押ししてくれる流れだった。なお。(この番組の女性キャスターが筆者がファンだった島田彩夏が若い長野翼に変わったが、彼女も可愛くて卒なく頑張っている。これからも応援したい。)
 いずれにしても、国民が、激動の昭和を改めて思い出す、或いは回顧する日として、昭和を生きた人間には、この「昭和の日」の存在意義小さくない。

連載(99) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(32)

 雅子の健康維持には食事の管理に加えて、適度な運動は不可欠だった。そんな時に、雅子の実の姉の霧子から、湯ノ花温泉への一泊旅行の誘いがあった。
 湯ノ花温泉は京の裏座敷と言われていて隠れた人気がある温泉街だ。京都からも近くて、20分程度の亀岡にある。
 雅子の一番上の姉の霧子は、雅子とは一回り上で、雅子が生まれた直後に実母が亡くなった不幸もあって、母親のように細やかに面倒を見てくれてたこともあり、厄介な病気に巻き込まれた雅子には、格別の思いでいろいろと気遣ってくれていた。今回の湯ノ花温泉旅行も、そんな優しい霧子の配慮によるもので、9月15日、16日(2005年)の二日間に渡るもので、次女の貞子も加わっての三人の水入らずの旅だった。
 姉妹と言えど、それぞれ結婚して家庭を持てば、子育てや夫の管理で精一杯で、精神的にも時間的にも、それほどのゆとりがないのが世の常だ。法事や結婚式などの冠婚葬祭があるときに顔を合わせるのがやっというのが一般的である。
 そういう意味では、幸い、子供も独立し、夫も退職して一段落した霧子であったことから、妹の気の毒な身を案じての、このような優しい配慮も可能だったと思われる。
 雅子は久し振りに、姉妹水入らずのひと時を、思いっきり楽しむことができた。もちろん、今までとは一味違う気分転換にもなった。霧子のそんな気遣いに感謝する一方で、このようにして出掛けられるのが何時まで可能なのかと、雅子は捉えどころのない不安を抱くのだった。楽しさは大きかったが、そんな不安の募りは小さくなかった。
 このとき、一考は雅子を近くの西大津駅に送り、翌日は京都駅まで迎えに行っていったのだが、一人で電車に乗り降り出来て、荷物も普通の旅行バッグを自分で持って移動していた。左手の人差し指の不自由さは、この時点では、それほど大きな支障にはなっていなかった。(以下、明日に続く)

タグ : 昭和の日 昭和天皇 A級戦犯合祀 島田彩夏 長野翼 富田メモ 卜部メモ

133 日米首脳会談

 首相就任後異例の7ヵ月後という遅い訪米での、安倍総理ブッシュ大統領日米首脳会談が行なわれ、日米の強固な同盟関係が再確認された。幾つかの問題が話し合われたが、中でも、北朝鮮問題、従軍慰安婦問題などが、セレモニー的に取り繕われ、表面的には無難に終わったようだ。残り任期の短いブッシュに、小泉前総理とは違ったペースで取り組む安倍総理の考え方にも一理あるようで、今後の総理の手腕に注目して行きたい。 
 この日、日本では慰安婦訴訟の4件に最高裁の判決があり、いずれも原告敗訴が確定した。これらは、中国人の被害者の遺族が日本政府や日本企業に戦後保障求めていたものである。戦争中であっても、この種の行為は非難されるべきものであろうが、それを言い出せば切がないのも事実だ。
 今、日経新聞で連載中の小説で、チンギスハンの戦いが描かれているが、それによると、女性は戦勝側にとっては、貴重な戦利品であって、そこには人権などは全く存在していない。時代が違う歴史上の話ではあるが、いつまでも、日本だけがこの問題で槍玉に挙げられるのは遺憾である。
 さて、今日からゴールデンウイークが始まったが、個人的にはいつもと変わらない介護の毎日だ。地道にゆっくりと過ごす中に、小さな幸せを見つけたい。

連載(98) 難病との闘い 第四章手探りの二人三脚(31)

 帰郷した一考が、雅子の健康管理の一環として始めたことの一つが、体重測定である。一考は、もう十数年前から、健康のバロメーターとして体重の変化をその目安として捉えて来ていた。雅子についても、同様に体重の変化で健康状態をモニターすることを始めたのは7月に入って直ぐのことだった。
 雅子の話では、学生時代は52-53Kgほどあったというのだが、実際に測定してみると、44Kgそこそこで、病気の影響がどの程度出ているかは、はっきりしていなかった。
 その後の彼女の体重は安定していて、変化も穏やかなものだったが、7月下旬から8月初めにかけて、43Kgを割り込み始めた。一考は、この病気で何か変化が起きようとしているのではと不安に思い、ともかく、43Kgをキープしなければと、食事に配慮するように心掛けた。
 二日後の8月の定期通院の日に、一考は、久し振りに雅子に同行して、そのことを春日医師に確認してみた。
「体重の減少傾向が気掛かりです。この病気によるものなのか、或いは、何か他の病気が併発しているのか心配です。一度、健康診断をし頂くのは如何でしょうか」一考の申し出に、先生は少し考えていたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「取り敢えず、血液検査をしてみましょう。その結果を見て、相談しましょう」その一言で、方針が決まり、その日、直ちに採血が行なわれた。
 そして、その結果は、次回の9月の検診時に判明し、特に、他に悪いところは認められないということだった。幸い、体重の方も43Kg台に回復していた。どうやら、一考の心配は杞憂だった。(以下、明日に続く)

タグ : 日米首脳会談 安倍総理 ブッシュ大統領 従軍慰安婦問題

132 米ダウ平均、史上最高値

 今朝の米国ダウ平均は13105.5ドルで、終値ベースでは3日連続で史上最高値を記録した。企業収益が予想を上回る好決算を出していることによると見られている。米国市場の動きが日本での動きに注目である
 その東証も、昨日で17429円と18000円台に向けて再び動くかどうかに関心をもっている。自分の話で恐縮だが、持ち株の含み資産の動きが、昨年の7月に記録した最低値から見ると、この10ヶ月で、およそ、30%増加(東証の伸び率は20%)していて、ややほくほくである。
 その理由の一つが新規上場株での儲けがある。今、お世話になっていれ証券会社からの紹介による新株での望外のプラスの貢献は大きい。この期間でも2件があって美味しく頂いた。とはいえ、このところ、不特定の証券会社からは、連日のように、多くの新株上場の話が持ち込まれるが、素性の知れないそれらの話には一切乗らないことにしている。当面は、信頼すべき証券会社の担当者とのつながりを大事にしておこうと思っている。
 さて、何事も米国頼みの日本だが、安倍総理が米国、ワシントンに入った。集団的自衛権行使を視野に置く有識者懇談会の設置がお土産になるのだろうか。小泉時代と違った安倍外交の手腕に注目している。

連載(97) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(30)

 さて、琵琶湖一周歩行は、順調に進んでいて、彦根まで進んで来ていたが、4日目を迎える数日前に思わぬアクシデントに襲われた。一種の心筋梗塞症状が一考を襲ったのである。6月23日の昼前のことだった。急に心臓が痛むのだ。会社勤務していた現役時代にも、何回かあって、その都度、横になって静かにして収まるのを待つのであるが、この日も、「またか」と思いながら、ベッドに横になって痛みが過ぎ去るのを待った。この時「若し、歩行中に襲われたらどうするか」という不安が脳裏を過ぎった。一種の持病と思い、この方十年ぐらいそのままにして来ていた。時々、このまま死んでしまうのではと思うこともあったが、結果的には、大事に至らず、事無きを得ていた。このことが、いずれ、不整脈によるものと判明するのは、一年数ヶ月後のことで、それまでは、一考は、この持病については,深く追求することはなかった。今から思うと怖いもの知らずの若さが、たまたま幸いしていたのだ。
 そんなことがあって、4日目を何時にするか迷ったが、予定通り、一週間後の6月26日に断行した。天候は曇りで歩くには絶好のコンディションだった。
 朝6時41分彦根駅をスタート。彦根城の前を通って湖岸出て、そのまま湖岸通り(さざなみ街道)を真っ直ぐ南下した。圧巻の一つは、伊勢崎から近江八幡の休暇村をぐるっと回って長命寺へ出る5Kmの森林コースである。何も無い林の中を無心で歩く。陽が遮られて適度な涼が得られて気持ちがいい。途中の水が浜辺りは、まさにオアシス、ビールが最高だった。しかし、その後の10Kmはあまりにも単調な何も無いコースで、太陽をしっかりと受けて、途中でバテ気味となった。やっと見つけたレストランでビールで回復を図った。その後は野洲川河口からJR守山駅に向かったのだが、予期外の長距離で必死に頑張って、薄暗くなった夕方6時42分に駅に辿り着いた。この日の推定歩行距離、48.7Km、歩行時間12時間は連続歩行時間の自己新記録だった。帰宅は7時半を過ぎていた。
 そして、いよいよ最終日、第5日は7月6日に行なった。この日は天候がはっきりしなかったため、決行するかどうかで躊躇したが、結局、断行する。6時12分守山駅をスタート。重苦しい空模様。気持ちは複雑。ともかく前へ。守山街道に出て一路湖岸を目指す。三宅、欲賀、浜街道の山賀に出る。この辺りは、中学生の頃に過ごした処で懐かしい。歩行は、そこから更に湖岸に出て、一路大津を目指した。
 唐橋の起終点に12時20分に到着。後は気合で歩いて、12時23分に思いの外、早く自宅にゴールを果たした。推定歩行距離29.3Kmで、所要時間およそ6時間12分。
 かくして、琵琶湖一周歩行が完成した。総合記録で、推定歩行距離、197Km,所要時間、46時間32分だった。この日のメモには「やり終えて 心穏やか 気分良し」メモした。
 一方、この頃の雅子は、左手の人差し指が曲がってきていて、左手は使えない状態にあったが、まだまだ日常生活については、自分一人で対応できていたのである。(以下、明日に続く)

タグ : 新規上場株 集団的自衛権 安倍総理 琵琶湖一周

131 まだ始まったばかり、勝負はこれから

 将棋名人戦七番勝負第二局が、24、25日の二日間に渡って行なわれ、挑戦者の郷田真隆九段が2連勝と好スタートを切った。内容は手に汗する大熱戦で、序盤で有利になった郷田だったが、中盤から終盤に掛けて森内名人が一旦、逆転したようで、郷田ファンの筆者もご機嫌斜めだったが、粘りに粘った郷田が最後は見事に再逆転で寄せ切った。まさに、勝利の女神は行ったり来たりだったようだが、郷田ファンのみならず、羽生ファンの喜びは大きい。しかし、未だ始まったばかりで、あと2勝が大変だが、郷田の名人奪取を期待している。
 なお、第一局で、扇子の音が邪魔になると苦情を受けた郷田九段は、この対局中は扇子は使わずに通し、対局が終わってから出したようだ。立派な男の意地であろう。逆に言えば、苦情を口にした森内に、しこりが無いとはいえない。このシリーズこの扇子が鍵を握りそうだ。
 将棋界だけでない。新年度に入って各界も動き出した。スポーツ界でも話題は多い。プロ野球では、今年は巨人が強そうだ。米国大リーグに移った松坂大輔井川慶は予想以上の苦労している。女子ゴルフでは、昨年の賞金王の大山志保が今一つで、ニューヒロインが続々誕生していて活気がある。
 テレビでもワイドショーやニュースなどのキャスターにも動きがある。テレビ朝日の朝のワイドショーで抜擢された赤江珠緒さんも頑張っている。夜ではTBSの膳場貴子がNHK時代に見られなかった味をだしている。しかし、未だ始まったばかりで、これからが勝負だ。
 その意味では安倍総理も、ここに来て支持率にも歯止めが掛かってきたようた。七月の参院選に大きな山があり、これからが勝負だ。頑張って欲しい。

連載(96) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(29)

 この琵琶湖一周歩行を始めるに際して、何回に分けて行なうかについて思案していたが、第一日目の結果から、5回が必要だと言う考え方になっていた。ざっと見て一周、192Kmあるから、5回だと一日平均40Km弱で、今までの歩行の実績から見て、妥当な距離であると考えた。
 さて、その二日目は、ほぼ一週間後の6月13日に敢行した。この日も好天で歩くにはもってこいの日だった。朝一番の電車で新旭駅まで向かった。歩きは、7時3分に新旭駅をスタート、一旦、国道161号線に出た。そこから今津浜を北上、海津大崎へ。崖が湖岸に迫っていて、道は狭い。そしてその崖をくり貫く形で作られた5つのトンネルを抜ける。この辺りの景色はなかなかのものである。途中で、ひょっこりと現れた一匹の猿に出くわした。近くで崖の工事が行なわれていたが、猿は悪びれることなく道をひょこひょこと横切っていた。こんな湖岸近くにまで出てくるのは、恐らく食糧事情が悪いのだろうと思い、持っていたみかんを投げてやると、びっくりしたようだったが、様子を窺いながらそれをくわえて、山の中に姿を消した。多分、お腹が空いていたのだろうと一考は思った。
 その後、一旦、JR永原駅に出て少し休息し、303号線に出て、岩熊第二、賤ガ岳トンネルを抜けて木之本へ出た。トンネル内は騒音で喧しく、車が疾走していて、歩くのは危険な感じだった。
 この日、スタートする際には長浜をゴールに想定していたが、疲れが酷く、急遽、高月駅を二日目のゴールにした。この日の歩行距離は、42.9Kmで、所要時間は9時間56分だった。
 三日目は、6月19日に行なった。この日も晴天に恵まれた。朝、8時に高月駅をスタート、湖岸に出るまでにおよそ1時間半を要した。爽やかさを買い占めたような気分で、途中には、道の駅もあってトイレの不安はなく、快適だった。淡々と湖岸を南下する。竹生島を遠くに見ながら、野鳥センターの林を通過、只ひたすら南を目指した。この日のゴールは、無理せずに、彦根駅とした。推定歩行距離は31.9Kmで所要時間7時間51分42秒だった。例の17文字日記には、「振り返る 湖岸の曲線 感無量」記した。(以下、明日に続く)  

タグ : 郷田真隆 森内名人 松坂大輔 井川慶 赤江珠緒 膳場貴子 安倍総理

130 存在感の大小

 楽しみにしていた「党首討論」が最近では行なわれていない。聞く所によると、民主党の党首の小沢一郎氏が避けているようだ。もともと、この討論の提案者は小沢氏で、自らがその役割を担うと出て来ないとはどういうことなのか。このところの、同氏の「存在感」が小さく見えるのもそんなことが影響しているのは確かである。7月参院選決戦を控えての同氏の対応は注目されるが、流れを変えるには、あまりにもその「存在感」が小さいように思う。
 一方、その存在感が目立つのが宮崎県知事の東国腹英夫氏だ。知事になって4ヶ月目に入ったばかりだが、依然として話題は豊富で、マスコミを味方につけている。最初は、タレント出身知事ということでの一時的な人気と見ていたが、最近では、宮崎県の県庁を取り込んだ観光ツアーを表に人気を稼いでいる。次から次へと話題つくりで、同氏の率先力は大したものである。
 いずれにしても、このところの、この二人の政治家の存在感の対照的な違いに注目している。
 注目と言えば、名人戦の第2局が昨日から始まった。第一局で話題になった扇子の行方を気にしていたが、この日は二人とも使っていないようだった。一日目の封じての直前(20分前)に森内俊之名人が指して、封じ手を郷田真隆挑戦者に渡したのが、如何にも挑発的で、今日の勝敗の結果が注目される。
 十八世永世名人が掛かっているだけに森内名人に力が入っていることは確かだ。しかし、実績で圧倒的な羽生3冠を差し置いて、森内十八世永世名人を誕生させるのか、神のみぞ知るところだが、筆者は神の適切な采配を信じているものである。

連載(95) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(28)

ぐるっと琵琶湖サイクルライン」と称する自転車での琵琶湖周回道路が設けられている。一周が192Kmで、起点と終点が瀬田の唐橋、西詰め寄りに設定されてある。一考の家の近くの湖西線に沿って、そのコースが通っていて、丁度西回り10Kmと東回り182Km地点の標識が、家から極近くにある。
 帰郷後間もなく、そのコースを知った一考は、いずれ、近いうちにそのコースを歩いてみたいと思うようになっていた。当たり前の事だが、192Kmを一気に歩くことは不可能で、何回かに分けて挑戦することになるのだが、四回で可能なのか、5回を必要とするのかで躊躇していた。その内に、京都市内を歩き尽くした一考は、6月に入って、遂に、その琵琶湖一周への挑戦を決意したのである。何回に分けるかは、第一日を終了した時点で考えることにした。
 2005年6月7日、梅雨の時期が近づいていたが、幸い良いお天気だった。雅子には必要な準備をしておいて、朝、7時50分、西大津駅に近い自宅をスタートした。琵琶湖周回歩行の第一日が始まった。湖西線高架下の小道をひたすら歩く。二つ目の駅、比叡山坂本からは、国道161号線沿いに北に向かう。そこから、和邇駅までの近辺には姉妹達、三人の住まいがあるが、それらを遠く臨みながら北へ北へと歩き続ける。この間、琵琶湖がところどころで顔を見せてくれるので、気分転換には役立つ。しかし、蓬莱辺りから、琵琶湖から少し離れて山沿いの道になるが、やがて、近江舞子からは再び湖岸に出て、眺望が開ける。小松を過ぎて更に進むと、湖の中に鳥居が見えてくる。白髭神社だ。
 どの辺りを、この日のゴールにしようかと迷うが、JRの駅でなければ家に帰れない。夕暮れガ近づいて来ていて、疲れも厳しくなっていたが、ともかく頑張って、次のJRの駅を目指す。やがて、高島市に入り、近江高島駅が近くなった。すると、不思議なことに、また元気が甦り、もう一駅、もう一駅という具合に足が進んで、安曇川から、新旭駅まで頑張った。駅到着は、6時半を過ぎていて、もう薄暗くなっていた。歩行推定距離は46.7Kmで所要時間はおよそ10時間33分だった。
 電車で自宅に戻ったのは7時半で、この日の17文字メモに「久しぶり 長距離歩いて 気が晴れる」と記した。(以下、明日へ続く)

タグ : 小沢一郎 東国腹英夫 森内俊之 郷田真隆 ぐるっと琵琶湖サイクルライン

129 ペレストロイカ

 ロシアのエリティン前大統領の死去が伝えられた。あの酒好きの指導者という印象が甦ったが、ゴルバチョフの後を引き継ぎ、ペレストロイカという言葉を世界に発信し、それを成し遂げ、歴史を動かした偉大な指導者だったことを改めて思う。北方領土に関して、細川総理との間での「東京宣言」に続いて、橋本総理との間で交わされた平和条約締結で合意など、前向きに取り組んだことは印象深い。
 歴史を動かすという意味では、サミットはその舞台の一つだが、来年の舞台に北海道の洞爺湖が選ばれた。格差をなくする一つの選択なのだろう。安倍総理の「美しい国」の舞台には相応しい。
 話は変わるが、スポーツの世界での日本選手の活躍は目覚しい。これらも新しい歴史を生み出していると言える。スコットランドリーグで年間のMVPを獲得したサッカーの中村俊介選手は、その一人だ。同氏のフリーキックでの凄さには芸術的な美しさと感動を覚える。また、大リーグの松坂大輔井川慶らは、目下、その試練の真っ只中だ。今後の一層の活躍を期待している。

連載(94) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(27)

 帰郷後、二人三脚での生活が安定化してくると、一考は、それまで多忙で余裕がなくて控えていた「歩き」をまたぞろ始めるのである。この時点(2005年前半)では、雅子は車の運転はできなくなったが、大まかなことはまだ自分でマネージすることは可能だった。洗顔、入浴、トイレ、食事、それに友人たちとの会食、通院など、多少の支障はあっても何とか一人で出来たので、必要な準備をきちんとしておけば、一考が、外出することも出来たのである。
 とにかく、滋賀、京都を歩いてみようということになり、二月頃からあの碁盤の目の街を、とことこと順次歩き出した。大津に住んでいて、学生時代は京都の大学に通っていたにも関わらず、恥ずかしい話だが、ほとんど歩いていなかった。そういうことから、京都の街をしらみ潰しに、のんびりした歩行を展開した。とにかく、外に出て歩く快感が何とも言えなかった。東京での三年間で、身についてしまった快感は、関西でもしっかりと生きていたのである。歩く起点は京都駅か、若しくは、京津線、御陵駅からだった。記憶に残る長距離歩行は、御陵駅から蹴上に出て、白河通りを北上、三千院を折り返し、京都駅までを8時間24分で歩いたし、また東西では、御陵から蹴上、二条通り、西大路通り、金閣寺、龍安寺、仁和寺、念仏寺、渡月橋、四条烏丸、京都駅の37Kmを8時間42分、京都駅から西方寺、鈴虫寺、渡月橋往復など、5月頃までに300Kmを制覇した。
 歩いて感じることは、東京と違って、京都は狭いということだ。歩いていて楽しいことも多いが、直ぐに突き抜けてしまう感じで、物足りない気もする。また、三千院への往復で感じたが、道が狭くて歩道がなく、とても危険が伴うことも、東京では経験しなかったことである。
 こうして、諦めていた歩きの楽しみ改めて味わうことが出来、一考の創作への意欲もまた燃えてくるのだった。(以下、明日に続く)

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128 有権者は妥当な見方

 参院補選と統一地方選の後半戦が行なわれたが、有権者は妥当な判断を下したと言うのが筆者の感想である。
 注目された参院補選では、接戦の沖縄は与党が勝って1勝1敗、あの凶弾に倒れた長崎市の伊藤市長の後任では、娘婿を破って市の課長が勝った。やはり、長崎市をよく知っていて、即戦力の政治への手腕が、感情的な弔合戦を上回った。注目の夕張市も地元の藤倉肇氏が勝利、いずれも、地元を大事にする市民の考え方が反映された。前半戦での東京都知事で石原慎太郎氏が元宮城知事の浅野氏を破ったのと共通する国民感情で、日本人に共通する物の考え方とも言えるのではと思う。但し、夕張市で時点になった羽柴秀吉氏が意外に多くの票を集めていて、いっそう、誰か他の人に任せてみたいという市民の別の面が見え隠れしているのが面白い。
 また、高知県の東洋町も注目されたが、核処理場誘致の考え方が拒否された。一方の新幹線新駅設置で話題の滋賀県栗東町では、残念ながら、推進派が多数を占めたが、これは投票前に決まっていて、候補を立てられなかった反対派の戦略上不戦敗だったのは一考を要する。
 今回の傾向を見る限り、七月の参院選挙は、与党が逃げ切るのではとの見方が筆者の印象である。民主党の小沢一郎党首の印象が薄い。

連載(93) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(26)

 一考の長姉、福井綾子から、福井家の十三回忌の法要に、綾子の家を訪ねたのは2005年5月21日の午後だった。綾子の家は、湖西線の西大津から二つ目の叡山阪本駅近くにある。一考が到着した時には、既に、直ぐ下の妹の三女の井坂奈美子夫妻は到着していたし、福井家の親戚関係の数人も、前夜から来て泊まっていた様で、それぞれくつろいだ様子で待機していた。
 間もなく、一番下の妹、五女の良美の旦那の内藤道彦が到着し、参列予定者が全て揃った。
 一考は、親戚の中では、この内藤道彦や井坂堅一らとは年齢もほぼ同じということで、気心は通じていて、この種の集まりでは、相互にお酒を楽しむことが多かった。この日も、セレモニーが終わった後は、三人での会話が盛り上がっていた。
「今、考えていることはね、俗っぽいけど『つぐない』だね。雅子には、何もかも丸投げで任せてきたから、その埋め合わせだよ」道彦から、これからの人生で考えていることは何か、と聞かれて、一考が咄嗟に答えた内容だった。
「何年だったっけ。別居生活は?」井坂堅一が口を挟んだ。日本酒が好きな堅一は、少し大きめのぐい飲みのお猪口をテーブルの上に置いて、傍のつまみに手を伸ばした。
「ちょうど、二十年だった。結婚生活の六割以上だよ。我ながら長かったと思うよ」
「雅子さんの手の具合が悪いと聞いているが、それが心配だね」地声が大きな道彦だが、お酒が入って、更に大きくなっている。
「まあ、今のところは大したことはないけどね。それでも、左手が使えなくなっていて、細かいことは出来なくなって来ている。気の毒だよ」
「そういう意味では、つぐないに徹することだね。罪滅ぼしだ」堅一が尤もだと言わんばかりに頷いて、自らとっくりを掴んで、お猪口に注いだ。
「お兄ちゃんは、何も、そんな『つぐない』なんてすることはないわ。雅子さんは、結構、勝手なことをして楽しんでいたんだから。それに、その手の具合も、どんなものか、分からないし」台所で手伝っていた奈美子がいつの間にか部屋に戻って来ていて、口を挟んだ。兄貴のことを思っての発言のようだ。
「勝手なことって、どういう意味なんだ?」一考は、美奈子が言った言葉に引っかかって確認した。
「本人に聞いてみたら。私が顔を出す時は、いつも外出していて顔を見たことがないわ」美奈子の言い方には突き放したものがあった、三人の男達は、一瞬、狐につままれたように顔を合わせた。
「そんなことはない。彼女を一人に放っておいた自分が悪かったんだ」一考は、そう言ってその場を繕ったが、奈美子の真意が今一つ理解できなかった。相坂家の兄妹の結束が強いと言えば、当たりは悪くないが、雅子にしてみれば、やり難い小姑ということになる。一考は、はからずも、直に、小姑の徒ならぬ風当たりを知って、呆然とするのだった。いずれ、美奈子の言った真意を確認しなければと心した。(以下、明日に続く)

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127 背番号99のニューヒーロー

 背番号99と言えば、今年は中日の中村紀洋選手が、シーズン前から話題になっていて、目下、レギュラーの位置を確保して頑張っている。
 ところが、もう一人の背番号99の選手がいきなりヒーローとなって現れ、この二日間のスポーツ新聞の紙上を賑わしている。阪神の狩野恵輔選手だ。何しろ、タイガースには大型捕手の矢野選手がいたこともあって、その存在すら、ほとんどの人が知らなかった捕手の一人だ。
 6年前の2000年のドラフトで3位に指名された群馬の前橋高校出身で、赤星と同期だという。同期選手が早くから活躍する中で、じっとと耐えて、練習の虫として頑張って来たのが報われたのだから、こんなに嬉しいことはないだろう。必ずしも、努力が報われる世界で無いだけに、自分の事のように嬉しい。
 それにしても、与えられた数少ないチャンスに見事に応え、自らが掴み取ったヒーローだ。これからの人生を大きく変えることになるはずである。素晴らしいことだが、逆に、力があっても生かせないこともあるだけに、怖い世界でもある。
 球界だけでなく、世の中には、このように、力を持ちながらも、チャンスを掴めず、或いは、生かせず、埋もれたままの人たちが沢山いると思う。管理者が如何に潜在的な実力者を探し出すのかも、問われていると思う。

連載(92) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(25)

 ゴールデンウイークが明けて一週間後の5月12日が、吉田病院での定期診断日だった。二週間ほど前に受けたMRS診断の結果が聞けるということで、一考も緊張して雅子と一緒に病院を訪ねた。
 診断の予約時間は10時過ぎだったが、いつものように、一時間ぐらい待たされるのだ。春日先生への診断が混んでいるといえばそれまでだが、予約時間とのずれがいつも一時間以上になることが多く、一層のこと、予約時間の設定にもう少しゆとりを持たせるようにすればと一考は思っているのだが、いつも同じパターンであるのが頂けない。
 結局、呼び出しを受けて診察室に入ったのは11時半近くになっていた。いつもの通りの問診から始まり、手足の動きのチェックを終えてから、一考が注目していた、先日のMRS診断結果の報告を受けた。
「こんな具合なんですよ」春日医師は一枚のグラフを書類受けから取り出し、それを広げて見せながら話し始めた。
「このグラフは、59歳の男子の健常者との比較を示したものです。横軸に脳の各領域を取り、縦軸がその反応を示す強さを示しています。ご覧になってお分かりの様に、この二つの領域は健常者とそれと変わらない強さになっていますが、その他は、多少のばらつきが認められますが、総じて、30パーセント程度、特にこの部分は、50パーセントほどのの低下が認められます」それぞれの該当するグラフの部分を指で指しを示しながら、春日医師は説明した。
「なるほど。この二つの強さが変わっていない領域というのは、具体的にどんな役割の部分ですか」春日医師の説明に頷きながら、一考は、その内容の中身を確認した。最も知りたい内容である。
「そうですね。この部分は、どちらかと言えば、知的な役割を受け持っている部分です。つまり、知的な面は今のところ健康な人と変っていないと言えます。それに対して、それ以外、つまり、運動能力を中心とする領域は、全てについて、かなりの能力低下が見られます」一考は、腹にぐっと力を入れながら、そのグラフに見入っていた。確かに、雅子の今の症状は、春日医師の言う通りだ。運動機能が目に見えて低下して来ているのだ、なるほど、と思いながらデータの意味を頭の中で反すうしてみる。
「知的な能力が保持されているという結果にはほっとしていますが、これから先もそうなのかどうかは分からないですよね」一考は、ほっとしたものを感じる一方で、これから先の不安を思うのだった。
「そうですね。この一回だけの検査結果だけで、今後も、この傾向を予測することは難しいですが、一応、今の傾向が基本になっていると見ることは出来るでしょう。一年後に、もう一度診断することで、その辺りの傾向は更に明確に把握することは出来ると思います」
「有難う御座いました。とてもよく分かりました。ともかくも、今の段階では、知的な面では正常さが確保されていることでほっとしています。是非、一年後にでも、今一度検査して頂けます様にお願いしておきます」
「そうですね。是非、検査はするようにしましょう」
 医師のその言葉に、「宜しくお願いします」と言って、診察室を出た。一考は、何だか、いつもと違って少し疲れたような気分だった。隣の雅子に視線を遣ると、黙ったまま頷くように首をゆっくりと動かしていた。病院のロビーにある掛け時計は正午を示していた。(以下、明日に続く)

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126 誘拐ビジネス

 パラグアイで誘拐されていた統一教会関係の土地管理会社社長の太田洪量氏が事件発生以来19日ぶりに解放された。身代金、1600万円が支払われたという。
 海外での誘拐事件というと、古くは、三井物産のマニラ支店長だった若王子信行さんの事件が有名だが、この時には1000万ドル(11億8千万円)が支払われている。
 しかし、その前にも大きなお金が動いた誘拐事件があった。1978年12月にエルサルバドルで武装ゲリラに誘拐されたインシンカ社の鈴木孝和氏の事件で、この時も、10数億円のお金が動いたとされている。この鈴木氏は、筆者の親会社の出向者だったことで、強い関心があって、拙書「執念」(今年1月、文芸社から刊行)にフィクションとして一部を物語に取り入れている。
 いずれにしても、最近では、この種の誘拐はビジネス化しているというから驚く。
 そんな中で、このビジネスを最も大胆に行なって、政治的に切り札に使っているのが、北朝鮮金正日だ。全く許せない行為だ。人の人生を台無しにしてしまうような誘拐事件の根絶はできないものだろうか。

連載(91) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(24)

 その注目のMRS検査は4月27日(2005年)に行なわれることになった。一考が雅子を連れての滋賀医大に担当の鍋和医師を訪ねたのは、夕方の6時近くだったが、まだ太陽は健在で明るさは保たれていた。
 鍋和医師は、春日医師と同様に吉田病院の部長であり、週一回の外来を受け持っていて、同医師とは昔からの付き合いがあって懇意な間柄のようだった。
「検査にはおよそ一時間程度掛かります。必要があれば、トイレなどを済ませておいて下さい。準備が出来次第、ここへお迎えに参りますので、少しお待ち頂けますか」玄関を入ったロビーで迎えてくれた鍋和医師は、そう言って、検査室の方へと戻って行った。春日医師とほぼ同年輩だが、身体つきは少し大柄だが、同様に温和な感じであった。
「一時間って、随分と掛かるんだね。トイレにでも行っておいたら?」一考は、雅子にそう声を掛けながら、辺りをゆっくりと見回した。時間が時間だけに、ロビーには誰もいなくて、がらんと静まり返っている。
「大丈夫よ。このまま待つわ。おトイレは家で済ませてきたから」けろっとした顔で、雅子は、そのまま椅子に腰を下ろした。
 それから、三十分ぐらいして、鍋和医師が再び現れて、二人を検査室に案内した。廊下を二回ほど折れた奥の方の部屋だった。入口を入った正面の小部屋に測定機器があるようで、鍋和医師は、雅子を連れてその中に入って行った。一考も続こうとしたが、「ここで待っていて欲しい」と部屋の入口のところにある椅子を指差した。ここから先は入っては駄目ということだった。
 その椅子席からは、他に二人ほどの人の姿が見られ、何か事務をしているようで、部屋全体は静かだった。時間が遅いだけに、他の人たちはもう帰ってしまっているのだろうと一考は思った。雅子と医師は検査室に入ると扉を閉めた。暫くすると、鍋和医師はそこから出て来て、少し外出して来ると一考に告げるとその部屋を出て行った。一人ぽっちで検査室に残された雅子のことが心配になった。若し何か不測のことが起きたらとの不安が頭を過ぎったが、じっと待つしかなかった。15分ぐらい過ぎた頃、部屋の奥の方から、多くの若い研究者風の人たちが話しをしながらぞろぞろと現れ、その部屋から出て行った。どうやら食事にでも行く様子だった。この奥の方が広い部屋があるのだろうと思うと同時に、こんな時間に随分多くの人たちが未だいたことに、さすが医大だなあと一考は感心しながら、彼ら出て行くのを見送った。
 それから、半時間ぐらいして鍋和医師が戻って来た。一考に軽く会釈すると、ゆっくりとした歩調で検査室に姿を消した。雅子のことが心配だったから、ほっとした気持ちになった。しかし、直ぐに検査室から出て来た鍋和医師は、そのまま部屋の奥の方に姿を消した。随分と待たされると思いながら我慢して待っていた。漸く、鍋和医師が検査室に入り、雅子を連れて出てきたのは、それから更に10数分経過していた。
「お待たせしました。終わりました。結果は、次回の春日医師の診断の際に、お話させてもらうことになります。どうも、お疲れ様でした」
ほっとした二人は、丁重にお礼を言って診断室を後にした。病院を出ると、来た時には輝いていた太陽の姿は無く、夜の帳が下りていた。病院からの帰りの車の中で、どうだったと聞いてみた。
「MRI検査の場合と同様で、ベッドに横たわっているだけで、退屈だった」とそっけなく応えたが、かなり、疲れているようだった。(以下、明日に続く)

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125 官製談合の決定版

 今朝の毎日新聞の一面で扱われている緑資源機構の談合事件は、見事な仕組みで仕事の一環として堂々と行なわれていた官製談合の決定版といえるものだ。朝のズームインでの辛抱治郎解説員も指摘しているが、林野庁OBの天下りを背景とした身内だけで税金を食い物にしている見事な構図である。
 前にも自白したが、筆者も二十年前にちっぽけな建築資材の値上げで公取委に摘発された前科者だが、恒常的な赤字解消を意図したものと違って、規模と仕組みが違う。しかも税金を食い物にしている。そこには意図的な偽装などの小細工もされていて、許されない。
 また、昨日の夕刊によると、鉄鋼メーカーが水道管での談合が摘発されている。自分達の事件から、二十年経過しても、談合は減らず、ますます規模も大きくなり、巧妙になって来ていることに、辟易としているのである。
 辟易ではないが、唖然としているのが、バージニア工科大学での乱射事件で、犯人のチョ・スンヒの公開された「テープ、写真などの事前の準備」などを見せつけられると、全く理解できない人間がいることに、身の毛がよだつ思いがする。
 朗報としては、ヤンキースの井川慶が嬉しい一勝を挙げたこと。これからが同氏の腕の見せ処だろう。期待している。

連載(90) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(23)

 パーキンソン病が進行性の難病だと言われているが、この「進行性」という意味が一般の人にはピンとこないことがある。文字通り、病気が日を追って進行する訳で、雅子の場合も、日を追って症状は僅かずつではあるが、悪化していた。左手に人差し指に力が入らないという異変から始まったのだったが、次第にその指全体が自由を失い、更には、左手そのものの自由度が阻害されつつあった。
 少し前のことだったが、姉の久子が「進行性の病気だと言っても、誰でも、皆、年を取れば、身体は悪くなって行くもので、取り立ててそんな言い方をしなくても」と言われた。それは、そんなことをあまり気にしなくてもいいのではとの配慮の言葉だったのかも知れないが、一考には気に入らなかった。「進行性の病気」と一般の老化現象を一緒にされては堪らない。老化現象なら、こんなに心配することはない。
 いずれにしても、何か、定量的な数値で示されるような検査方法がないものかと考えていた。それによって、確かに数値的に病気が進んでいて「進行性の病気」である証をもとに、いずれは、こんなことが予測されるといった検査が欲しかった。
 4月度の定期健診時に、たまたま付き添っていた一考がそんな思いを先生に訴えたところ、少し考えていた春日先生から、思わぬ返事が返って来た。
「私の同僚が研究しているのですが、MRSという設備で検査を受けると、具体的に、脳のどの部分が、どの程度悪化しているかが把握できるのですが、一度、受けてみられますか?」淡々たる口調だが、飛び出して来た話の内容は、一考が期待していた内容をカバーするに充分なものだった。
「そんな検査機器があるのですか。それは、願ってもないことです。是非お願いします」さすがに、その道の権威者だと、一考は初めてその一面を覗けた気がして、飛びつくような思いで、その提案に同意した。
「お分かりだと思いますが、これはあくまでも検査であって、治療ではありません。それで、宜しいんですね」春日医師は慎重な口調で、一考の考えを確認した。
「もちろん、分かっています。その検査結果で何かのヒントが得られて、治療に反映できることもあるのでしょう?」とにかく、何らかの新たな展開が欲しかった。ちんたらちんたらとお薬を服用しての結果を追う治療だけでは埒が開かないように感じていた一考だけに、藁にでもすがりつくような気持ちだった。
「もちろん、そうですが、この検査は、滋賀医大にある機器で行なってもらいます。お宅の近くですよね」春日医師は、そう言いながら、直ぐに携帯電話を取り出して、その担当医師と連絡を取り始めた。(以下、明日に続く)

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124 ほっとした人たち

 バージニア工科大学での惨劇の衝撃は並みではない。多くの犠牲者の中でも、ドアを身を挺して閉めならが犠牲となった教授の死は特に痛ましい。際どく難を逃れた人たちはほっとしているだろうが、仲間を失った虚脱感は、喩えようもないだろう。
 この事件で、ほっとしている人たちの最たる一人は、間違いなく安倍総理ではなかろうか。若し、犯人が日本人であったらと思うとぞっとする。韓国大統領の右往左往の対応振りを見ていると身につまされる。
 やはり、銃の保持を禁止することに踏み切り、悲劇の温床を断ち切らない限り、同様な事件再発の危険はなくならない。
 昨夜、もう一人ほっとした人がいる。あの「まーくん」の田中将大投手だ。いずれ、勝つだろうと先日も書いたばかりだが、完投で13奪三振の好投で初白星を飾った。テレビの中継がなくて、インターネット速報で経過を追っていたが、勝利の瞬間には、思わず、筆者も声を出してニューヒーローの誕生を祝した。野村監督も言っていたが、強運の持ち主でもある。一回の表の無死満塁を1点で凌ぎきった三連続三振は見事だった。
 これに対して、昨日の松坂大輔投手はついていなかった、好投しながら、途中のちょっとした乱れが惜しまれる。それも、単なるショートゴロをヒットにて得点を与えた味方の野手の拙守は悔やまれる。しかし、前回の敗戦で過剰な不安を与えた同氏の力が、改めて確認されたことで、ファンはほっとしているのかもしれない。

連載(89) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(22)

 それから数日後のことだった。一考は雅子から、銀行のセールスの方が母を訪ねて来ることを聞かされた。積立定期の契約更新についての打ち合わせだという。具体的な契約内容については全て母親が直接当たるのだが、先方からの電話連絡などはいつも雅子が受けていた。それというのも、母は耳が遠くなっていて、電話で正確な応答が出来ないからである。そのこと自体は九十三歳という年齢から考えても致し方ないことだが、母が自ら契約内容の折衝をしていること自体に、一考は驚きを覚えるのだった。
「積み立て定期って誰の名義なの?」
「それぞれの娘さん名義で加入しているもので、それらが順次満期になるので、その更新手続きなの」淡々と話す雅子の表情には屈託が無い。
「ええ、そうなのかい。手っ取り早い話、それは遺言の一つということなんだね」
「そうかもね。でも、あなたの分はないわよ」
「そりゃ、構わないけど。君の分はどうなんだ?」
「もちろん、ないわよ。私は他人なんだから」
「なるほど。娘達が可愛いんだ! しかし、そんなのは、遺言できちんと書いておけば済む話だよね。どうでもいいことだけど」
 一考は、そう言いながらも、何かすっきりしないものを感じていた。
「そのことで、この間、そのセールスの方が、これからは、娘さん名義の扱いは、今までよりも厳しくなって、住所も本人のものに変えなくてはならなくなり、それらの手続きも大変なの。それに、お母さんよりも先に娘さんが亡くなられるようなことになると、受取人は娘さんの旦那さん、若しくはその親族の方になるんですよと説明されたが、よく分かっておられなかったようよ。また、その方が、私に気遣って、お嫁さんの分にはお入りにならないのですか声を掛けて下さったの」
「それで?」
「そうね。次は雅子さんの分に入ることを考えますわとは言って下さったけど」少し照れた顔つきは、いつもの明るい雅子のそれとは違っていた。自分がこれだけ尽くして来た結果、訳の分からない難病に付け込まれたことへの微妙な心の動きが反映されているのだと一考は気の毒に思うのだった。
「母親がどう思おうと、君はよく尽くしてくれたよ。僕はずっと放ったらかしで、君に任せっきりだったから心から感謝している。つぐないは僕がするから安心して呉れ給え」
 珍しく、一考は素直な表現で自分の気持ちを伝えた。厄介な病気にさせてしまったという悔恨の思いがその根底にあった。
 一考は、皮肉な現状に複雑な思いだった。それは、妻の雅子が家庭を犠牲にした努力や、姉の久子の異常な母思いの献身的な愛情で、母親が最も元気な状況にあるということだった。しかし、現状は。雅子は思わぬ難病に取り付かれ、久子も結構身体を弱めている。一番長生きをするのは母ではないかとさえ一考は思うのだった。
 そんな元気な母を精神的に支えているのが趣味の俳句だった。母も凝り性で、創作に取り掛かると時間を忘れ、明け方まで夢中になることもあり、久子からは夜なべは健康にいけないと厳しく注意されることもしばしばだった。それでも、数年前には、それまでの作品を集めた作品集を自費出版していた。
 そんな姑の素敵な人生を裏方として支え続けて二十五年、その結果がパーキンソン病という思いも寄らない奇病に巻き込まれることになった雅子の気の毒さに、一考には何とも言えない心の痛みを感じるのであった。(以下、明日に続く)

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123 理不尽な事件

 米国バージニア州ブラックスバーグのバージニア工科大学での無差別銃乱射事件、更には長崎市長銃殺事件は、我々にも大きな衝撃を与えている。
 問答無用の銃による殺人事件ほど理不尽なものは無い。米国での事件は死者が32人に及ぶ史上最悪の事件となった。世界的にも、この種の事件は後を絶たない。特に銃の保有を認められている米国では、今後も起こりうる事件で、その場にいないラッキーさを願うしか、事件に巻き込まれない手段が無いのだ。やはり、銃の保有の禁止が取り敢えずのステップだと思うのだが。

連載(88) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(21)

 新しい生活リズムに戸惑っているうちに、帰郷後、二ヶ月があっという間に過ぎ去った。母屋でのんびりとした生活をしている母は、今年で九十二歳になるが、元気そのもので、息子の帰郷をそれとなく喜んでいるようだった。三月に入って間もなくの昼過ぎだった。
 一考が、自分の部屋で各種資料の整理をしていると、雅子が来て、母親が近くの銀行に連れて行って欲しいという。ごった返している書類と格闘している一考を見て、近くだから自分で運転して連れて行こうと申し出た。帰郷後は、車の運転は一考が一手に引き受けていた。雅子は不満そうだったが、事故を起こしては元も子もないということで何とか納得させていた。しかし、一考が多忙そうなのを見て、久しぶりに自分で運転したい気になった雅子の気持ちを察しながらも、一考は、これだけは万全の上にも万全を期さなければと雅子を諭して、書類をそのままにして立ち上がった。
「それにしても、大したもんだね。預金の出し入れを、未だに自分でやるというんだから」一考は母の年を思い、そこまで頭もしっかりしている母に、半ば感心しながら、そんなのは、こちらに任せてくれればいいのにと思いで雅子の顔を見た。
「でもね。お母さんは、昔の方だから、今のATMとかキャッシュカードは駄目なの。銀行に預けていることさえ不安で、誰かに悪いことをされないかって心配でしようがないみたい。だから、自分で窓口に行って昔通りにやっておられるの。私も、こと、お金に関しては、あまり立ち入って差し出がましいことを言うのもどうかと思って控えているんだけど」雅子は、自分の申し出が叶わなかったことに不満そうだったが、仕方がないといった顔つきで姑の今の時代に即さない対応の仕方を話して聞かせた。
「頭はしっかりしていても、時代の流れにはついて行けないんだね。それじゃ、時間と手間が掛かって大変だ!」
 一考は、そう言いながら、昨年の末に帰宅した際のタンス株券の特定口座への申し込みのことを思い出した。申し込み締め切り期日が迫っていたこともあって、多少、強引ではあったが、やっとのことで、母の了解を得て、証券会社に保護預かりを果たしたのだった。要するに、頭は正常に作動しているのだが、歯車が昔のままなので、現代の仕組みを理解し、活用するには、大きなギャップがあって、それを埋めるのに一筋縄では行かない苦労を必要とした一例だった。
 いずれにしても、そんな母親の面倒を見ていた雅子の苦労を今更ながら思うのだった。
 話は余談になるが、現在の銀行の仕組みということでは、帰郷した一考が驚いたことがある。それは、都市銀行が滋賀県には、みずほ銀行大津店の一店しかないことだった。今まで、都市銀行しか使っていなかった一考には、不便きわまりなく、必要がある毎に京都にまで出なくてはならない。これは、ローカル銀行への配慮した、一種の銀行間の談合ではないか」といったとっぴでもない一考の思考に繋がっていた。(以下、明日に続く)

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122 裏金

 専修大学附属北上高校の野球部が解散届けを出した。裏金問題と特待生制度などで野球憲章違反があったからという。
 裏金と言えば。今までは政界、官界、経済界での話が通例であったように思うが、あの、西武からの金銭供与の問題以来、アマ野球界に拡大している。この問題、果たして北上高校だけなのであろうか。若しかしたら、高校球界への汚染がもっと広く蔓延しているのでないかと不安を抱くのは、筆者だけではないだろう。
 一方、落語家の林屋正蔵さんが所得隠しで国税局から指摘を受け追徴金を支払ったという。温厚そうな方だけに、意外に感じた訳で、人は見かけによらずである。祝儀袋が見つかったことでの発覚というから、まさに、頭かくして尻隠さずのようだ。
 金に関する問題とは別物だが、東国原知事が定例記者会見が無駄ではないかと問題提起した。今朝のワイドショーでは同知事の評判は悪いが、筆者は何事も新しい目で捉えようとする同氏の姿勢にはサポートすべき点があると思っている。のんべんだらりとした定例会見を、より活性化した建設的なものにするために、今までのやり方を一度見直してみる良い機会にすればいいのではないか。

連載(87) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(20)

 病院へは月一回の割合で通い、その都度、順次、然るべき薬を与えられ、その効果を確認するといった治療を続けている。医者の話ではおよそ二十種の基本的なパーキンソン病の薬があるという。毎回の治療は、症状を見ながら、最新の情報を元に、それらの薬の組み合わせを試行錯誤しながら、効果をフォローするステップの繰り返しである。こんな作業の繰り返しで宝物は、見つかるのだろうかと思う一方で、他に治療の方法もない訳だから、どうしようもなく、じっと我慢しながら効果が出るのを忍耐強く待っている。
 その雅子の症状なのだが、帰郷してまだに二ヶ月足らずではあるが、一考の目にも彼女の不具合が、僅かではあるが悪化しているのが認められる。左手を使う作業は徐々に遅くなり、それまで出来た作業もし辛くなる作業が増えていた。洗濯物を干したり、料理で食材の皮を剥いたり、細かく切ったりする作業は一考が買って出ることが多くなっていた。やはり、傍にいて逐一雅子の行動に目を配っていると、ちょっとした変化も捉えられるのだ。それだけに、病名を告げられながら、そのまま東京に居残っていた自分の怠慢さが悔やまれてくる。雅子も、一考が帰って来たことで、張りつめていたものが弱められたことで、ついつい夫に頼りかちになっていることもあろうが、ここに来て病魔が改めて牙を剥き始めたことが窺われ、先行きの不安が募り始めていた。
 2005年2月13日、雅子の次兄の一年後の法要が京都で行われた。法事が終わった後の食事会で、偶々、隣り合わせた雅子の兄嫁の香子さんから「雅子ちゃんの左手になってあげてね」とアダバイスを受けた。この言葉が印象深く、後々まで、一考の頭の中に残ることになった。それは、改めて、自分の責任を自覚した時でもあった
 その時、向かいの席にいた雅子は、誰のサポートも受けず、自分一人で食事をしていて、この時点でも、日常生活には、致命的な支障とはなってはおらず、まだ、何とか、一人でもマネージ出来ていたのである。 しかし、いずれ、雅子の不具合が左手だけではなく、更に拡大して行き、悲劇が深刻になる事態が待ち受けているのだが、そのことは未だ誰も知る由もない。(以下、明日に続く)

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121 生みの苦しみ

 早いもので4月もはや半ばが過ぎた。スポーツ界では、注目されていた松坂大輔齋藤佑樹投手は初戦で、見事な1勝を上げて幸先のいい順調なスタートを切った。
 しかし、ヤンキースの井川慶や楽天の田中将大投手は、健闘はしているが、まだ勝ち星を得られないでいる。また、ゴルフのあの宮里藍も、直ぐにも優勝に手が届きそうな下馬評の中で、未だ女神に恵まれず、今朝の結果も24位に終わった。彼らは、今まさに「生みの苦しみ」を味わっている。努力は裏切らないはずであり、今週には、朗報が聞けるものと期待している。いずれにしても、長い勝負の道であり、出だしだけでどうこう言う必要はないだろう。
 気になるのは巨人からトレードされた工藤公康投手だ。今シーズン出るたびに火達磨になっている。年齢的な限界との闘いでもあるが、男の意地として、何としても、巨人から勝ちを奪って鮮やかな復活を果たして欲しい。スケートのあの安藤美姫選手が、見事な復活で金メダルを奪った快挙は、まだ鮮やかに記憶に残っている。地道な努力が結果に結びつくことは嬉しいことだ。工藤選手の復活劇を強く期待して止まない。
 そういえば、このところの安倍総理の支持率が上向きにあるようだ。自分を前に出し始めた点で評価が上がっているようで、これも、ある意味では復活劇の始まりといえるのだろう。

連載(86) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚 (19)

 2005年の正月期間も終わり、荷物の整理をしていた時だった、一考は書斎の一角で、妻が購入していたパーキンソン病に関する三冊の単行本を見つけた。いずれも、まだ新しいもので、かなりの詳しい専門的な内容だったが、既に、部分的に入念に目を通した跡が残されていた。
 雅子がショッキングな病名を告げられ、募る不安を覚えながら、藁をも掴む気持ちで、人気の少ない本屋の医療コーナーで、医師からの紹介あれたそれらの本を購入したものだろう。それらを探している雅子の姿を脳裏に浮かべるだけで、一考の胸には熱いものがこみ上げて来るのだった。せめて、自分が傍にいて相談に乗ってあげるべきだったと、一考は忸怩たる気持ちになるのだった。
 一考は、合間をぬって、それらの本に目を通し始めが、読み進むに連れて、それまでインターネットで即席に仕入れた知識の浅さを反省しながら、改めて、この病気が一筋縄でない厄介なものであることを知るのだった。
 三冊の本のほとんどに目を通し終えた一考は、将来の不安を掻き立てる内容の多さに、雅子がどんな気持ちで目を通していたのだろうかとその切なさを思った。そして、症状がその内容にあるように進行しているを考えると、本人には、これ以上は読ませない方がいいのではとさえ思うのだった。
 雅子が、その専門医の治療を受けて、はや一年半になる。最初は、パーキンソン病ではないのではとの診断で、原点に戻って、一から診察、治療のやり直しが行なわれたのだが、ほぼ一年を経過した昨年の十月時点で、やはり、パーキンソン病なのだろうと診断され、改めて、それ用の薬を服用し始めた。その時、最初の日赤病院での一年の治療を無駄にしてしまったと一考は大いに悔やんだことを覚えている。それから半年近くが経過しているが、残念ながら、未だに雅子に適合する薬は見出せておらず、見通しのはっきりしないまま闇の中にいる。彼女の気持ちを思うと胸が痛いが、どうしようもないじれったさを覚えている今日この頃だ。その間、非情にも、徐々にではあるが、症状の悪化は確実に進行しているのだ。(以下、明日に続く)

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120 ○○年ぶりの話

 あの早実出身のハンカチ王子齋藤佑樹投手が、東京六大学春季リーグ戦の開幕第一戦の先発投手として登板した。新入生がチームの開幕戦に登板するのは、1930年の東京帝大(東大)の高橋投手依頼の77年ぶりだそうだ。早大の応武篤良監督の思い切った起用で、歴史に名を刻んだ。この記録は、今までに、5人の事例があるようだが、その中で勝ち投手になったのは、1927年の慶応大学の宮武三郎投手だけということだから、その点では80年ぶりの快挙ということになる。齋藤投手は、あの長島や江川以上と云う見方もある。結果も見事で6回を1安打で完封した。見事な出だしであり、四年間にどんな記録を作るのかが今から楽しみだ。
 何年ぶりの記録と言うと、2年前にイチローが作った米大リーグのレギュラーシーズンの安打数262本は、86年ぶりの記録更新だった。記録達成を目前とした際の日米でのあの興奮ぶりは、今でも生々しく記憶にある。
 話は変わるが、昨日帰国した温家宝首相が国会で演説を行なったが、中国の要人の国会での演説は、85年4月の彭真全国人民代表大会委員長以来、22年ぶりだったそうだ。終始ソフトムードでの氷を解かす旅は、それなりの成果を出したようだ。
 何年ぶりという表現を使うことで、その話題を四次元の世界で捉えられ、それだけイメージを拡大させたものに仕上げることで、リアリティに富んだより感慨深い実感に繋がる。
 そんな意味で筆者の自分史を振り返ってみると、2004年末に雅子の病状変化で、東京を撤退して帰郷し、長い単身生活から同居生活に戻ったのは19年ぶりだったという事例を拾い出せる。それまでの結婚生活の半分以上に相当し、雅子に苦労を掛けた深さが改めて思い出され、複雑な思いになる。

連載(85)難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(18)

「ところで、母の所に食事を運んだ際など、戻って来るのに随分と時間が掛かっているが、一体、何を話しているんだい?」
 既に触れたが、安全のために食事は階下までは一考が運ぶが、そこからは雅子が義母のいるところまで運ぶことにしている。雅子と義母との顔合わせの機会を減らさないための一考の配慮だ。
「お義母さんは、よく昔話をして下さるのよ。その時々に思い出した話をされるの。貴方の子供時代の話から、ご姉妹の幼い頃の話など、事細かに話して下さるの。大抵は自慢話だけれど。初めて聞く時はまだ面白くて楽しいんだけど、その内に同じ話が幾度も出てきたりして、この二十何年間で、何度同じ話を聞かされたか数え切れないわ。お義母さんは、とてもお話好きなんだから」
 丁寧な言い方の中に雅子の精一杯の皮肉が込められている。
「年を取ってもうろくしているんだよ。そんな時は、その話はもう聞いたと言ってしまえばいいじゃない?」
「しかし、そうも言えないし、仕方なく黙って聞いてあげているの」
「君は、人が良過ぎるんだよ。そう云えば、このところ、お義母さんに目薬をさしに行ってるんだよな」
「ええ、年末にされた白内障の手術後の消毒のためなの。お義母さん一人では無理なので、お義姉さんから手伝ってあげてと頼まれているの。それも、四時間おきにね」
 帰郷直前に姉から手術の相談を受け、自分はもう年だから無理しない方がいいのではと反対したが、姉はそれを聞き入れずに手術を敢行した。取り敢えずは片方の目だけにし、もう一方は近々することになっていることを思い出した。何事も、全て姉が取り仕切っていることが一考には気に入らない。
「四時間置きか。それは大変だ!」
 一考は、顔をしかめながら、その面倒さを思うのだった。
「食事の準備に、この目薬、それに時々庭の草引きもしなくてはいけない。結局、他には何もできないのよ。諦めているけれどね」
 雅子の言葉は淡々としていた。ここの庭は結構広く、春から秋にかけては、草引きは不可欠で、ほっておくと手に負えなくなるほど雑草が茂る。
「なるほど。草引きもね。これじゃ、我々には殆ど自由がないじゃないね。食事の世話、外出の足回り、それに話の聞き役、更には草引きか」
「そうよ。常にお母様中心に事が回っているのだから」
 帰郷後、僅かの期間で悟った一考の皮肉交じりの問いかけに、思わず、雅子もそうだと言わんばかりに大きくうなずいた。
「これじゃ、体のいい軟禁状態同然だよね」
 一考は雅子の顔に視線を送って、どうしようもないといった顔つきでにんまりと笑った。(以下、明日に続く)

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119 安倍政策が動き出す

 夜来の雨が上がって清々しい朝である。阪神ファンは、昨夜の主砲金本選手のバッターボックスでの止むを得ないフィナーレに未練が残ったかも知れないが、あの激しい雨が新しい朝を運んできたようだ。
 そして、ここに来て安倍総理が掲げている重要政策がバタバタと進み始めた。それには、来日していた中国の温家宝首相の「氷を解かす旅」がもたらしたほんわかムードが加速した感もある。
 先ず、民主党の反対のための反対を押し切って、国民投票法案が衆議院を通過、また、公務員天下り防止に関する動きも、自民党の妥協があって政府案との合意が図られた。更には、問題になっている事務所費の扱いに関する政治資金規制に関する議論にも、方向が定まったようである。安倍総理が漸く、自分の強いカラーを出し始めたようだ。支持率の回復が期待できるのではないか。

連載(84) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(17)

「それなら、今までに作った料理を整理してメニュー表に纏めて、それを参考に、周期的に順次選んで作ればいいじゃない? そんなことで悩むなんてもったいないよ」一考は助け舟を出して雅子の様子を見た。
「限られたレパートリーだから、それも一案だけど、でもね、その日の雰囲気に合ったメニューを出すことが大事だと思っているの」
「そりゃあ、それに越したことはないと思うけど、メニューを考えるだけで、無駄なエネルギーを使うのもどうかと思うよ」
「理屈はおっしゃる通りなんだけど。とにかく、お口に会うものを食べさせてあげようとする気持ちが強過ぎるのね」
「そうなんだよ。もっと、機械的に考えればいいんだ」
「それはちょっと? やはり、心がこもっていないといけないと思うの。それに、前にも話したと思うけど、食べた後で、口調は優しいけれど、その料理について思ったことは、はっきりとおっしゃるわよ。」
「メニューのことは言わないが、味についいては煩いのか。それはそれでいいことじゃないか。分かり易くて。今後の参考にすればいい訳だから」
「これは、おいしかったとか、これは味が少し薄かったとか。この間もね、目玉焼きが少し辛かったとか、ご飯が少し硬いとか、量が多過ぎたとか、その感覚はとても鋭いのよ。最近は、左手の自由が利かないので、薬味のおネギを、細かく切ったものを買ってきて使っているの。そうしたら『やはり、おネギは切りネギではなく、生のものが風味があっていいね』とおっしゃるの。また、お出しにジャコを使った際も、うっかり頭を取らずに使うたりすると、ちゃんと気がついたようで『頭を取らないと味がえぐくなるよ』と指摘されたのよ」
「それは。凄いじゃない。こちらの手抜きは全てお見通しか」
「そうなの。だから、前にも話したと思うけど、食材を選ぶ場合も結構気を遣っているのよ。お肉一つ選ぶにしても、お魚にしても、お義母さんの分は特上のものを選んでいるのよ」雅子の訴えは今までにない熱を帯びたものになっていた。
「なるほど、いろいろと苦労を掛けていたんだね」一考はそう言って雅子の細やかな配慮を改めて労った。そして、話題を転じて、自分が最近、気にしていることについて、雅子に尋ねた。(以下、明日に続く)

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118 代理母公募

 今朝の新聞で、代理母の容認を訴えて長野県の諏訪マタニティークリニック根津八紘院長が記者会見を開き、代理母公募の考えを明らかにした。先日の、向井亜紀高田延彦の会見直後だけにインパクトのある話題だ。
 この課題は、いろいろと考えさせられる。筆者は基本的には「人間はあくまでも与えられた条件で生きるべきだ」との考えの持ち主で、人口機器を使ってまでの延命工作などは良しとしない考え方だった。それが運命だと思うのだが、科学の進歩は素晴らしくかつ永遠で、その基本的な考えも揺らぎ始めている。現に、入れ歯にお世話になっているし、必要な治療を受けている訳だから、そんなに偉そうなことは言えない。
 技術があって、それを使うことを希望する人がいて、それに呼応する人がいれば、法律でそれを規制する必要もないだろうと今は考えている。子供が欲しいという切実な要求に、素晴らしい科学と思いやりのあるポランティアが応えることは、美しい国づくりの足を引っ張るもにではないだろう。また、そこに、必要な然るべき経費が掛かるのも、関係者が同意すれば、それは、それでいいのではと思う。

連載(83) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚 (16)

 いざ、取り組んで見て、母の世話は思いのほか面倒で、一日を通して自分達の自由になる時間がほとんどと云っていい位無くなってしまう現実に、一考はその想定外の展開に苦笑すると同時に、うんざり感を覚えるのだった。
 雅子が担当していた役割の中には、いろんな気苦労があったが、毎日の食事のメニューを考えることも、彼女を悩ます作業の一つだった。
義母の好みを考えて用意するのだが、戦前、戦後を生きて来た女性だけに、洋食は苦手のようで、和食でも刺身が口に合わないという。また、最近の西洋野菜なども苦手のようだった。
「あなたそっくりで、結構、好き嫌いも多くあって、何にしていいかいつも迷うの」少し捓揄するような人懐っこい顔つきで、雅子は一考の顔を見た。
「そっくりとは迷惑な話だなあ。でも、そんなの本人に何を食べたいか聞けばいいじゃない?」
「それが、素直に答えてくれるなら苦労はしないわ。幾度聞いても、何でもいいの、としか答えてくれないの。あなたが作ってくれるのが、とても美味しいの、とリップサービスをおっしゃるだけ。多分、私に気を遣って頂いてるんだと思うのだけど」
「お互いに気ばかり遣い合っているなんて、馬鹿げた話だね」
「そう思うんだけど、どうしようもないの。何だか、二人で柔らかい言葉のやり取りをしているみたいで、核心を捉えられないじれったさを感じるわ」
「言葉の遊びなんだ! 気遣いだけでは前進はないね」一考の言葉もそっけない。
「その通りなの。だから、いつも何にしようかとメニューを考えるだけで嫌になっちゃうの」本当に困った様子だ。そんなことに悩んでいる雅子の顔を見ていると、妙に気の毒になるのだった。
 一考は、現役時代のことを思い出していた。会社内外での会話は、どちらかと言えば、すばりと本音で話すことは少なく、相手の顔色を窺いながら婉曲的な表現で相手の様子に気を配って、言葉を選んでいたことが多かった。しかし、まさか、家庭内でも、そんなに気配りが必要になるとは、今まではそれほど念頭に置いていなかった。家庭内では、鎧を脱いでくつろぐところだとばかり思っていた一考は、雅子の思わぬ苦労を気の毒に思いながら、自らの提案を口にした。(以下、明日に続く)

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117 勝負の微妙な綾に感動

 自分の人生での勝負はともかく、世の中のあらゆる戦いでの勝負の綾には感動させられることが多い。
 まず、昨日までの二日間に渡って行なわれた将棋名人戦の第一局は、稀に見る熱戦で、終盤には手に汗握る激戦となったが、挑戦者の郷田真隆九段に勝利の女神は微笑んだ。解説によれば、最後の最後で森内俊之名人に見落としがあったようだ。この一戦、一日目で扇子の音を巡っての口論という椿事があっただけに、盤外勝負でも注目された。勝った郷田九段は、二日目は扇子を使わずに済ませたようで、男の意地を通したところに感動した。未だ先は長いが名人位奪取を期待している。
 日中首脳会談は、安倍首相温家宝首相の間で行なわれ、経済連携強化で合意した。こじれていた日中間の水面下のせめぎ合いは熾烈を極めたようで、合意文書の一語一語にその苦労が滲み出ている。これまた、勝負はこれからで、利権を巡る戦いは永遠の課題だ。
 今年の阪神タイガースの戦いも、一味違う。苦手の中日に追いつき引き分けに持ち込んだ昨日の戦いも面白かった。三人のJFKがよく頑張っているが、長期のペナンとレースで持つのかが心配だ。こうなれば、九人のJFK相当の投手を揃えて、各人一回限定で投げる方式を確立すると面白いのではと思う。
 代理出産の向井亜紀高田延彦の子供さんの扱いでの戦いも、見ていて同情を感じる面もある。科学が進歩することを法律は何処までついて行くのか、大きな課題だ。
 今朝は、これからイチロー松坂大輔との戦いが始める。勝負の綾はどう出るか、楽しく観戦したい。
 そんなことを書いている筆者も、目下、難病と必至で闘っている。連載の手記を先走る訳ではないが、雅子は現時点では自分では何もできない状態に追い込まれている。神は今後どのような更なる試練を課して来るか、筆者はあくまでも全力で闘う覚悟である。

連載(82) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚 (15)

 母屋との調整でいくつかの揉め事があった。一つはドアホーンを新たに取り替えることに関することだった。それまでは、玄関ブザーは母屋と一考宅の両方に受信機があって、どちらからも応答できた。しかし、一考の部屋は二階の奥にあって、そのブザーが聞こえない。雅子の症状が悪化してきていることを考えると、一考が対応する形にしないとまずい訳で、この機会に新たなアイホーンに切り替えることにした。しかし、紹介された設備は、受信機が2セットしかなかったので、今まで通り、雅子のいる居間と、一考の部屋に取り付け、母親の部屋はオミットしようとした。久子も、母親も高齢だから、それでいいのではということで工事を終えたのだが、母親が、自分にも来客があるのに、その連絡が直接と届かないのは寂しいと苦情を言い出した。一考が、自分達が必要なときには連絡すると諭したが、納得せず、止むを得ず、もう一個の受信機を追加発注することになった。年寄りに「寂しい」と言われるととても叶わないと一考は脱帽だった。元気な年寄りには到底勝てない。
 もう一つは新聞だった。それまでは、母屋が京都新聞、雅子が毎日新聞を取っていて、母親は一日遅れで毎日新聞にも目を通していた。一考が帰って来て、毎日新聞を止めて日経に替えることにした。そのため、母親に、どちらを残すかと聞いたところ、毎日新聞でいいと云う返事だったので、京都新聞を断った。ところが、数日して、久子から「母親は地元のことに関心が強いから京都新聞が読みたいはずだ」と言ってきた。それで、一旦断った京都新聞を復活させ、毎日新聞を断ったのである。ところが、母親から、毎日新聞の日曜版に連載されている小説は引き続き読みたいから、日曜だけでも毎日新聞を買って来て欲しいということになり、止むを得ず、日曜の朝は、駅まで行って、毎日新聞を買って来て手渡すということになった。しかし、二ヶ月ほど過ぎた頃、自分はやはり毎日新聞を見たいので替えて欲しいといい出した。母親の面倒を見ていると自負していた久子の見方が誤っていた訳で、三度、毎日を復活させて、京都新聞を断ると言う手続きを余儀なくされたのだった。
元はといえば、自分の考えをはっきりと言わない母親に原因があるのだが、母親のことは何でも自分が知っていると思っている久子の誤解もいただけない。
 もう一つは、夕食の時間に関することだった。一考が帰郷した頃は、雅子が、久子の帰りを確認してから夕食を出すと言うことにしていたため、日によってのばらつきが多く、遅いときには八時前にもなることがあって、一考はじっと待つことに堪えられなくなっていた。雅子は、気を使って幾たびと無く、久子が帰ったかどうかを確認するために、階段を上がり下がりしていた。それでも、雅子が、小姑達との和を大事にしているので、そのままにしておいて欲しいとの考えから、暫くは様子を見ていたのだが、一考は遂に我慢できなくなり、夕食の時間を6時半にしようと久子に持ちかけた。一考が帰郷して半年ぐらい後のことだった。相互に時間の無駄をなくする意味では有効な決断だった。
 つまらないことばかりだが、事を円満に運ぶには、いろいろと神経を遣うことは多い。雅子は、そんな環境で苦労していたのかと思うと、病気が、そんな弱みを突いて来たようにも思われた。(以下、明日に続く)

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116 椿事、将棋名人戦で名人が口撃

 第65期将棋名人戦七番勝負の第一局が昨日から山口県長門市で始まったのだが、その序盤で将棋ファンがびっくりする椿事が起きた。森内俊之名人が「自分が考えている時には、扇子の音を控えて欲しい」と挑戦者の郷田真隆九段に直接、苦言を呈したのである。それに対し郷田九段が「常識の範囲内のもので、納得できない」と反発。急遽、立会人が収拾を図るという事態になった。
 対局中の二人が言い合うというのは極めて稀で、このような大舞台では、筆者の知る範囲内では初めてだ。森内名人の言い分は「長い間将棋を指しているが、これほど激しいのは初めてだ」という。このため、対局は30分間中断した。その間、森内名人は鼻血を出していたという。お互いに精神的にかなりの動揺があったことは否めず、今朝の封じ手開封以降の展開が大いに注目される。二人は羽生三冠らと同期で、小学生時代からのライバルだけに、この対局にかける漲る闘志は並みではないはずだ。(この件、主催の毎日新聞は、今朝の新聞では何も報じていない。なぜなの?)
 今回の名人戦で、森内名人が防衛すれば、名人位5期確保ということで、今までの実績で勝る羽生善治3冠を差し置いて十八世永世名人を名乗る資格を得ることになる。木村十四世、大山十五世、中原十六世、そして谷川十七世というそうそうたる一員に加われるだけに、森内の意欲は高く、何としても負けられないこともあって、思わず苦情を呈してしまったのかもしれない。しかし、高が「扇子」の音での揉め事だけに、「センス」がないとの揶揄もあり、名人たるものの器がどうであったかという見方もできる。筆者は郷田ファンであり、また羽生ファンでもあるだけに、何とか、郷田九段が名人位を奪取して、羽生善治三冠にも十八世名人のチャンスを残して欲しいと期待している。さあ、どうなるか、興味深深である。
 センスがない対立は、政界にも多い。国民投票法案での与党VS民主党、公務員制度改革での政府VS自民党の戦いも先行きが不透明だ。前者は投票の対象を憲法以外にも広げるかどうかでの対立、後者は、今までの権限維持を巡っての対立だ。筆者は、前者は、対象を広げる枠は作っておくが、その対象の選定基準に知恵を出す必要があると見ている。後者については、既成権限を一旦なくすのが改革に繋がると思うのだが、さあ、どうなるか、これらの成り行きも、目が離せない。

連載(81) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(14)

 スローペースの典型は昼間の外出時に顕著に現れる。老人会への参加、定期診断やちょっとした風邪などでの病院通い、加えて、預金を下ろしたり、定期の解約などの手続きに自らが出かける銀行などがその主な出先なのだが、時間の観念に乏しく約束時間にもルーズで、また、遅れたからといって、それほど気にしないから困ったものだ。年を取っているから仕方ないと言えばそれまでだが、それまでの雅子は、車を車庫から出して、何時でも出かけられる準備をして待っていたと言う。一考に代わったこの数日の対応でも、雅子の忍耐強さに一目置くのだった。
「いつも、こうなのかい? もう一時間になるよ」姑の準備具合を確認するため、何回か階下に下りて、その様子を窺う雅子を見て、運転手役を引き受けた一考は、少しいらつきながら思わず声をかけた。
「お年なのだから。でも、待つことにはもう慣れたわ」事も無げに、そう答える雅子の顔は思いのほか明るいのが救いである。
「至れり尽くせりの徹底したサービスだね。よくやるよ、全く。でも、これからは、二人三脚で対応する訳だから、気分的には少しは楽になるかもね」これまで、雅子が気長にそんな大変な対応をしていてくれたことに、一考は改めて彼女の面倒見の我慢強さに感謝するのだった。
「話は変わるけど、お義姉さんは、私と違って時間にはとても厳しいので、お義母さんもその対応に大変そうだわ。それに、お義姉さんは、全ての事柄に、ああしちゃいけない、こうしちゃいけないなんて細かく管理されるから、お母さんも自分はロボットじゃないから、もっと自由にさせてとおっしゃるらしく、挙句の果ては、いつも結構な口喧嘩なの。母親思いもそこまで行くとどうかと思うことがあるくらいだわ」一考の慰めにほっとしたのか、雅子が珍しく自分の気持ちをストレートに口にした。
「いつも口喧嘩か。母娘だから何でも言い合える仲で、愛し合っている二人の痴話喧嘩のようなものなんだろうね」一考は、敢えてそんなコメントをして雅子の反応を見た。
「とにかく、お義母さんはまだまだ元気でしっかりされているのよ。もっともっと自分でやりたいことをやらせてあげる方がいいと思うの。その方が健康にもいいはずだわ」 雅子は普段から感じていることを披露した。それらの指摘は尤もだと一考は頷いていた。(以下、明日に続く)

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115 石原氏三選、都民のプライド

 都知事選は、公示前には、新たな風な吹きそうな状況にあり、石原慎太郎氏にも反省すべきことがあって、苦戦が予想されていた。しかし、浅野史郎氏の立候補で流れが変わった。案の定、石原慎太郎氏の圧勝だった。
 この根底には、都民のプライドがあったと見ている。大胆に言えば、高が宮城県の知事ではないか、といったもので、浅野氏が、その見方を打ち破る何物も持っていなかったからだろう。先ず、立候補の仕方が、焦らしたような、成り行きを見定めるようなあの姿勢はいただけなかった。また、何かを訴える強さも無かった。東京オリンピック招致を否定するのも、インパクトはあったとしても、都民の夢、日本国民の夢を否定するものと受け取られたのではなかろうか。
 かつて、兵庫県知事だった「阪本勝」氏が都知事に挑戦したことがあった。今から四十年ほど前のことだったが、美濃部亮吉氏に完敗している。明らかに、都民にはローカルの知事なんかには任せられないと言うプライドが潜在しているのであろう。仮に、今、風に乗っている宮崎県知事の東国原英夫氏が立候補しても、同じ結果になることのではなかろうか。根底に潜在する都民のプライドは軟弱なものではないと思う。

連載(80) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(13)

 スローな年寄りのペースに合わせることは、どちらかと言えば、気短だった一考には厄介な対応だった。一考も六十四歳という年齢になって、それまでのようにスピーディな対応は難しくなっていたが、それでも、九十を過ぎた高齢者とは比較にならない。特に、東京では、暇を見つけて、歩くことに強い関心を持っていて、行動的な生活を楽しんできていただけに、じっと待つという忍耐を要することは不得手であった。
 スローペースは、まずは、母親の起床時間のばらつきから始まる。元々から夜なべするタイプであって、就寝時間がまちまちになることから、起床時間は、日替わりで大幅にずれることがある。テレビを見たり、新聞を読んだり、最近では俳句に凝っていて、夜遅くまで起きていることが多いのである。
 母の夜なべというと、童謡の「母さんが夜なべをして靴下編んでくれた」の歌詞ではないが、思い出すのは、小学生の頃に繰り返された母親の不思議な対応能力の話だ。明日が遠足とか、運動会という前日、寝る前には、着て行く服とか、ズボン、或いは、持って行く小物などの準備が全く出来ておらず、心配しながら寝たことが幾度もあったが、朝起きてみると、不思議と、枕元に出来上がったものがちゃんと並べられているのを見て、母親の不思議な力にほっとして、感謝したものだった。母も、その頃は健康だったから、夜なべしてやることは、どちらかと言えば、母の得意芸で、しっかりと身についていたのだろうと思う。
 また、朝から訪ねて来ている姉の久子のマッサージサービスが母親の眠気を誘うことも、朝が遅くなる一因だった。久子の朝の主な仕事は、洗濯、風呂掃除などであるが、その合間をぬって、起きかけている母親に手足などのマッサージを行なうのだ。その効果があって、一旦目覚めかけた母が、気持ちよくなって再びうつらうつらすることもあって、結果的に、起床時間を大きくばらつかせることになる。
 いずれにしても、起床時間のばらつきは、なるべく温かいものを食べさせて上げようとの雅子の気遣いに負担を掛ける要因のひとつだった。(以下、明日に続く)

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114 滋賀 嘉田派 躍進

 昨日の第十六回統一地方選で、注目の滋賀県では「もったいない」の嘉田派が躍進し、自民、公明を過半数割れに追い込んだ。従来は、全国的には、知名度が低かった滋賀だが、嘉田由紀子氏が知事になったことで、一転して、注目の選挙区となった。新幹線新駅を巡る論争も、ここで大きな転換点を迎えることになろう。筆者は、どうみても、新駅は不要だと考えており、今後の展開を注目してゆきたい。
 それにしても、最近の選挙速報には味が無くなった。(ローカルな県会議員のような選挙は別だが)コンピューターによる出口調査で、投票締め切りと同時に結果が出てしまうからである。早く結果が出ることに越したことはないが、いわゆる、どんでん返しのようなドラマ性がなくなったことで、面白みが消えたのは寂しい。しかし、そんなところにドラマ性を求めなくてもいい。世の中には、いたるところ、ドラマでいっぱいだ。

連載(79) 難病との戦い 第四章 手探りの二人三脚 (12)

 お正月明け、博多の息子の家から戻って数日後のスーパーでことだった。今夜は久し振りにステーキにしようということで、肉売り場で食材を選んでいると、雅子が上等の分と標準的なレベルの二種類のお肉を買おうとしていた。一考が不思議に思って、何故、そんな買い方をするのかと確認した。
「お母さんは、口が肥えてらして、上等なものでないと満足されないのよ」雅子はさりげなくそう答えて一考の顔を見た。
「そうなのか。母には特上のものにし、我々のものと別々に仕込むのか。結構、大変だね。自分は最近の母は知らないが、戦後の厳しい時代を、六人の子供を育てるということで大変苦労しただけに、質素な生活に徹していると思っていたんだがね」一考の脳裏には、戦後間もない頃、母に着いて買出しに行ったことが思い出された。まだ幼稚園に行く前のことだったが、不思議にその光景が記憶に残っている。
「お父さんが亡くなられて、結構なお金を残されていたことで、老後になって初めて自分の思い通りにできるようになられたからでしょう。表向きの柔らかさ、優しさの裏に、芯の強さがあり、自尊心も大事にしておられ、しっかりなさってますよ」雅子は、相手が夫だと安心しているのか、結構、厳しい見方を披露した。
「そうか。親父が厳しくて苦労していただけに、改めて、人生をエンジョイしているんだね」一考はしみじみとした口調で呟くように言って雅子の顔を見た。
「今までのご苦労の反動なのでしょうね。それだけに、食事に関しても、味には厳しいところがありますよ」雅子は手にしていた肉のトレイを一考に手渡した。
「それは、取りも直さず、しっかりしている証そのもの。大したものだ。あの齢になってもね」一考は、手渡されたトレイを持っていた買い物籠に入れながら、目をぱちぱちさせて、大いに感心した素振りを見せた。
「そうなの。とにかく、我が家はお母様を最優先にしての対応が不可欠なのよ。これからは、あなたにもしっかりと協力して貰わなくては。あなたの大事なお母樣々なんだから」
 雅子は、そう言って意味あり気に微笑んだ。この時点では、雅子の歩行はまだしっかりしていた。(以下、明日に続く)

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113 やっぱり、井川慶

 今朝も朝2時からのテレビ中継を見ていた。元阪神タオガースの井川慶投手の米大リーグ公式戦のデビュー戦での活躍を見るためだった。しかし、初回からその期待は簡単に裏切られ、5回で7点を失う乱調だった。阪神時代でも、結構、一発を食らうことや、四球を出して乱れることが多かっただけに、「やっぱり」と大きく落胆して、やはり「松坂大輔は凄いなあ」と思いながら、途中で寝てしまった。
 気がつくと、ゲームは9回に進んでいて、ヤンキースが一点差に追い上げていた、おやおやと思いながら、最後の攻撃に期待したが、それも、あっという間に、2アウト、ランナーなし、残念ながら、これまでかと思った。ところがドラマは劇的な結末を用意していた。そこから、なんと、ヒット、四球、デッドボールで二死満塁となり、4番のロドリゲスがホームランを放ってヤンキースの逆転勝ちとなったのである。まさに、絵に書いたような劇的な展開で、お陰で、井川慶の負け星が消えた。彼も強運の持ち主かも知れない。次に期待したい。頑張って欲しい。
 
連載(78) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(11)

 姉の久子は、以前から、両親の世話で頻繁に実家に出入りすることから、便宜上合鍵を持っていた。従って、彼女が朝夕訪ねて来る時も、帰って行く時も、何の挨拶もなく、自由に出入りが行なわれていた。一考が、そのことに気づいて確認すると、雅子は、困惑した顔つきで言葉を返して来た。
「でもね、お義姉さんは、お母さんの所に来ていて、私達の所に来ている訳じゃないのよ。玄関は一つだけどね。つまり、娘が、お母さんの所に訪ねて来る訳だから、私達に一々挨拶は不要じゃないの。他のご姉妹も同じよ。皆それぞれが合鍵を持っていて、出入りは自由になっているの。それに、多くの場合は、縁側の廊下から出入りされるので、殆どの場合は顔を合わせることもないのよ。もっとも、私も、一々挨拶されたら、それこそ大変だけど」
「そうか、皆な勝手に出入りしているのか。それじゃ、何時、誰が来たのかも分からないんだね?」何たることといった顔つきで、やや興奮気味に一考が確認した。
「分からなくたっていいじゃない!」珍しく、やや雅子が開き直った顔つきで言い放った。
「それは尋常じゃないよ。無用心だしね。今までは、僕がいなくて君一人だったのだから、それで良しとしても、僕も帰って来たんだから、その辺りのけじめはきちんとつけておいた方がいいんじゃない。僕から皆に言ってやるよ」当然な話だと一考は胸を張って雅子に申し出た。
「筋論はその通りだと思うけど、今は、そのことを皆に言うのは止めて欲しいの。私の気持ちは、皆とギクシャクした関係にはしたくないの。皆と仲良くやってゆくことに徹して来て、何とか良好な関係が保てている訳で、そんなことで気まずい関係にはなりたくないの。あなたには理解し難いことかもしれないが、ここは私の言うことを聞いて欲しいの」
 いつもの明るい雅子の表情とは違って、恰も懇願するような口調で訴えた。それは、何かに怯えているような不安を覗かせての懸命の訴えだった。
 その雅子の切実な訴えを聞いていて、一考は、結婚を決意した時に雅子が漏らした言葉を思い出していた。それは、雅子の健気な決意表明で、長男の嫁となったからには、皆との「和」を大事にして、うまくやってゆきたいし、必要な気配りに心掛けたいので協力して欲しいというものだった。
「分かった。君らしい考え方で、それが大事かもしれないね。当分は様子を見ることにしよう」
 それほどまで、小姑達に気を使っている雅子の一途な考え方に、一考は胸に熱いものを感じながら、それまでの、彼女の積み重ねて来た努力を多とすべしとして、その申し出を受け入れた。(以下、明日に続く)

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112 氷山の一角

 プロ野球の入団前の裏金問題は、希望枠撤廃への方向に進んだが、西武球団が更なる調査結果を発表するに至って、この問題の根深さが露呈されてきている。最初に表面化した東京ガスの木村、早稲田の清水の二人の選手は実名までが明らかになったが、これは。やっぱり「氷山の一角」だったのだ。二人は、これ見よがしの見せしめを受けた訳で、気の毒な限りである。このことで、読売のトップが苦情を言って怒っているのは、まさに「なんたるちあ」の典型である
 タミフルの調査結果も、最初の報告からその規模、実態が大きく変わってきている。政治家の事務所経費の問題もしかり、偽装設計、談合の問題など、最初の発覚時はいずれも「氷山の一角」だったということのようだ。
 推理小説ではよく使われる手法で、発端はなんでもないような事件から始まり、最後には政界に及ぶような巨悪を巡る事件を浮き彫りにしてゆくような展開はなかなか面白い。しかし、このように、我々の日常生活の中で、氷山の一角だけが取り上げられて、真実が解明されないままで終わってしまうことになっては、これまた「なんたるちあ」だ。真実を究明し、再発防止を徹底する展開を国民は拙に願っている。
 そんな話に比べると、昨日の松阪大輔のインタビューは素晴らしく、痛快だった。「不思議なぐらい平常心で投げられた」という本人の口調も、勝ち奢ったものではなく、落ち着いた平常心が出ていて好感を持った。我々、凡人は、社内でのプレゼンテーションをやるだけでも、あがってしまってうまく行かないことが多かった。それなのに、日米からの大きな期待と云うプレッシャーの中の檜舞台で、堂々の平常心は、やはり天才といっていいのだろう。今後の更なる活躍を期待している。

連載(77) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚 (10)

 そういう訳で、夕食を出す場合も、料理の最後の処理段階を保留して、じっと我慢して、母親がそれらの準備を終えるのを待つことになるのだ。大抵は、六時半頃が夕食の目安となっていたが、それが、日によってずれて、遅い場合には一時間以上も遅れて八時近くになることも何回かあった。その間、気分的に落ち着かないことから、一考たちは、自分達だけが先に食事を採る気がせず、姉が帰って、母に食事を出すまでは、読み尽くした新聞に目を走らせたり、テレビを見たりして、空腹のままじっと我慢して待機しているのである。
 帰郷して、一週間ほど経過した或る日の事だった。夕食の準備をほぼ終えた段階で、雅子が幾度も階下の様子を窺って、部屋を出たり入ったりしているのに気づいた一考が、不思議に思って、その訳を聞いた。
「今、お母さんをお風呂が終わって、お義姉さんが、寝巻きに着替えさせ、お帰りになるのを確認しているのよ。なるべく、温かいものを食べさせて上げたいので、仕上げのタイミングを計っているの」雅子は、少し声を落として遠慮気味に説明した。
「それなら、姉が帰る時に声を掛けてもらえばいいじゃない?」
「でもね。そうすると、一々挨拶もせねばならず、お互いに厄介だから」
「しかし、そんなに何回も見計らって階下の様子を窺うのは面倒で無駄じゃないの? 余計な気も使うし、大変だよ」一考は呆れて、思わず大声で雅子を見た。
 その時、一考は、かつて、姉の久子から聞かされた話を思い出した。それは、以前に、雅子が、たまたま所用で出掛けた際に、早めに出して置いた食事を捉えて「冷たい食事がポイと置いてあったので、なるべく温かいものを出してあげて欲しい」と雅子に苦言を呈したという話だった。一考は、その時「ポイと置いてあった」という久子の表現に、瞬間「頭にカチンと来た」のを今でも生々しく記憶している。雅子なりに一生懸命尽くしていると招致していたからである。
 雅子が、なるべく温かいもの、出来立てのものをということで、その出すタイミングに、必要以上の神経を遣って気を配っているのも、そんな苦言があったからなのだろう。一考は雅子のそんな気遣いに胸の痛みを覚えるのだった。(以下、明日に続く)

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111 期待を裏切らない男

 たかが野球と言いながら、松坂大輔の公式戦初登板を早朝からテレビ観戦した。テレビをつけたまま寝ていたので、気がついたら4回を終わっていた。5回には、ホームランを打たれ、更に追撃のヒットでピンチを迎えたが、幸運な判定(盗塁アウト)もあって何とか凌いだ。6回ももたもた。しかし、7回をきちんと投げきり、10個の三振を奪って勝ち投手となった。筆者もほっとした訳で、やはり、典型的に日本人なのだろうと思う。
 気温3度という厳しい条件下で、日米からの大変な期待を背負って、しっかりと結果を出す辺りは、やはり、非凡な大投手である。 昨日のあるワイドショウで、同氏の原点は横浜高校の2年生の夏の横浜予選の淳決勝で、横浜商高に九回裏、自らの暴投でさよなら負けを喫したところにあったというエピソードを紹介していた。つまり、その負けが、練習嫌いだった彼を大きく変えたのだという。如何なる人間にも、才能だけでは大成するものではなく、そこに訓練、努力なくして栄光はないはずだ。謙虚さを忘れず米大リーグの歴史に残る大投手になって欲しいと期待している。
 昨日は、日本でも、あの話題の高校出身の田中将大投手も二回目の登板で、6回を投げ好投した。勝敗は付かなかったが、同氏への期待も大きい。

連載(76) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚 (9)

 何しろ九十三歳になろうとする母親である。そこには母親固有の生活ペースがあった。生来のスローな母の性格で長い人生を送って来ていて、これを今更、代えろと言っても無理な注文だ。加えて、高齢であることから、肉体的な衰えから来るスローダウンもあって、何事をするにも結構な時間が掛かる。外出する時の準備も一筋縄ではなく、延々と待たされることになる。一考も焦らずに、じっと我慢して堪えるしかなかった。帰郷後、母親の幾つかのスローな事例に直面する度に、一考はそう自分に言い聞かせるのだった。
 その一つが、仏様や神様へのお祈りである。大体、午後の三時頃から始まるが、それが実に入念で、通常で一時間近く、場合によってはそれ以上になることもある。手を合わせ、しきりに何か口で唱えているようだが、毎日、毎日、一体何を祈っているのか、一考には全く理解できず、神様も迷惑ではと思うこともある。どんなご利益があるかは知らないが、神への祈りを「止めておけ」という理由はない。
 また、なかなかの知識人で、新聞は端から端までしっかりと目を通す。この年で、そこまでやるのは立派の一語に尽きる。親父が研究肌の教育者だった影響を受けて、自らもそんな分野に関心を深めたのだろう。趣味は俳句で、先ごろ句集の自費出版も行なった。従って、俳句に取り組むと、深夜までも頑張っていることがある。もともと宵っ張りだけに尚更だ。そのため、翌朝の段取りも遅れがちになる。
 時間を食う日課のもう一つが、毎日入るお風呂である。姉の久子が、朝夕、二回に渡って来訪し、母の着替え、洗濯、マッサージなどの身の回りの世話をしてくれているのだが、お風呂に関しても、洗髪する際には久子が手伝っている。思いの外時間が掛かるのは、上がってからの乾燥や整髪などの入念な手入れである。夕食を出すのは、それらが一段落した後になるので、結構、待たされることが多い。
 雅子も、それまで、じっと耐えて我慢して姑の世話を続けてきたのだと思うと、一考は、彼女が堪え続けたそのご苦労には、心から同情せざるを得なかった。(以下、明日に続く) 

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110 酒鬼薔薇聖斗

 昨日、東京では19年ぶりに4月に雪が舞ったようだ。当時、東京で勤務していた筆者は、その19年まえのことはよく覚えている。というのは、不名誉なことだが、その前年に、今も、横行している「談合」の疑いで公正取引委員会から尋問を受けていて、公正取引委員会とその黒白をかけて闘っていた時で、それだけに、その雪の「白」には、必勝を期した思い出がある。
 さて、それから9年後に、あの驚愕の神戸児童殺傷事件が起きたのだが、それから10年が過ぎて、事件も風化されつつある中で、昨日のテレビ朝日のニュースステーションでキャスターの古館伊知郎が被害者の一人である土師淳君のお父さんにインタビューしていた。
 淡々としたお父さんの語り口の中に、言葉に尽くせない怒りがあることがよく伝わっていた。犯人には会いたくないとしながらも、「何故、どうして、自分の息子にそんなことをしたのか」を手紙でいいからきちんと説明して欲しいと語っていたが、当の犯人は、既に社会復帰しているという。全く、居たたまれない気持ちにさせられて、テレビに見入っていた。
 この種のインアタビューは難しいのだが、古館氏はうまくこなしていたと思う。

連載(75) 難病との戦い 第四章 手探りの二人三脚 (8)

 両親の世話に関しては、既に触れたが、一考の直ぐ上の姉、久子の存在を抜きにしては語れない。何しろ、彼女は狂信的な両親思いで「自分は両親の世話をするために生まれて来た」と云って憚らない特異な存在だった。世界一の親孝行者とも云える存在で、古い日本人の考え方をも超越した思想の持ち主で、このことが、雅子には有難いことではあったが、反面、精神的な面での負担となったことは否めない。一考は、帰郷直後からそのことが気になっていた。
 久子は、数年前に夫の定年時期を早めて退職したのを機に、東京から両親のいる大津市内に移って来て、毎朝夕、定期便のように顔を出すようになり、両親には、余計なことは何もさせまいと自らが介護を買って出てくれていた。父親が亡くなる直前の面倒見でも至れり尽くせりの介護に努めてくれた。雅子が遠慮して手出ししなかった入浴や下の世話、洗濯などの下半身に関わる仕事を一手に引き受け、誰にも手出しをさせない介護だった。この種の面倒見は、世話される両親も、嫁に頼むよりは、娘の方が頼み易いということもあって、そのまま久子任せになっていた。この事で、雅子には忸怩たる思いが潜在していたが、自分には出来ないことと諦めることで納得していた。
 父の死後は、久子の介護は母一人にフォーカスされたこともあって、それまで以上に入念なものとなった。その甲斐あってか、この年の九月で九十三才となる母だが、足腰が弱くなっているものの、少々なら自分で歩けるし、ある程度の身の回りのことは自分で出来るくらいの元気さである。
 雅子と久子の介護の分担は、入浴や洗濯などの下の世話を久子が、食事や掃除、それに車を必要とする外出、特に、定期診断などの病院通いや買い物、或いは趣味でやっている俳句の会などへの送迎を、雅子が引き受ける分担になっていた。一考は、この雅子の担当してきた役割を、そのまま手助けすることで引き継ぐことにした。
 この分担を見る限り、雅子の仕事は、一見、大した事はないように思えるのだが、実際に立ち会ってみて分かったことだが、それが聞くと見るでは大違いだった。一考は、帰郷直後から、それらが容易でないことに直面するのだった。(以下、明日に続く) 

タグ : 酒鬼薔薇聖斗 古館伊知郎 土師淳

109 社保庁のミスになんたるちあ

 このところ事故、事件はてんこ盛り、スポーツも花盛りで話題は尽きない。
 その中で、今朝の新聞が伝えている社保庁の記録に不一致があったという実態の大きさに怒りを覚える。多少のミスならまだしも、加入者からの記録の照会が180万件あったのに対し、24万件に記録の不一致、記録不在で再調査が2万5千件に達したという。これじゃ全く信用が出来ず、もらえる人がもらえないことも生じているはずである。まさに、「なんたつちあ」で、一体、彼らはどんな仕事をしていたのかとさえ思う。銀行に預けていた預金額が、正確に記録されていないのと同じで、支払いをしたくないと思う人が増えるのも頷ける。一刻も早い社保庁の解体と出直しは急務だ。

連載(74) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚 (7)

 主婦の仕事は結構幅広く多様で多忙だった。一考は、好むと好まざるに関わらず、この流れに巻き込まれることになった。
 まず、朝起きると雨戸を開けて、新聞を取り込み、パンとコーヒーで簡単な朝食を済ませる。その後は、ゴミ出し、洗濯などを行い、風呂、トイレや部屋の掃除を矢継ぎ早に済ませる。そして、一息つく間もなく、昼食の準備に取り掛かる。母親は昼前に起きるので、昼食と夕食を用意すればいいことになっている。
 昼食の片付けを終えると、日によっては庭の草引きなどの掃除を済ませ、頃合を見て近くのスーパーに買い物に行き、戻って来ると夕食の下準備、夕方には洗濯物を取り込む。また、その準備の合間をぬって風呂を沸かすといった按配である。
 この間、見計らって母屋の雨戸を閉めるのも雅子の担当だった。二人にとって、一日の中で、最も神経を遣うメインイベントというべきものは、母に夕食を供することなのだが、そのメニューを考えるのも一仕事である。厄介なのは、いくら「好きなものは何なの?」と聞いても、「何でもいいの。貴方が作ってくれるものは、何でも美味しいから」と云って、自分から希望を言わないことだ。昔の人間だから、遠慮しているのだろうが、雅子がその辺りを慮って、好みと思われるものを見繕ってサービスすることになる。それでいて、結構好き嫌いは多い。例えば、生ものは苦手で、刺身でも、マグロの上等なものしか口にしないし、野菜も、最近の新しいセロリーなどの西洋野菜などは口に合わない。そんなことで、毎日毎日の食材選びにも、結構神経を使うのだ。しかし、まだこの時点では、雅子が主体的に今まで通り行なっていて、一考は、この種のしごとには、時たまサポートする程度だけだった。
 ともかく、夕食を終えて後片付けを済ませると、ほっとするのだが、日によっては、アイロン掛けをしなければならなし、最後には翌日の準備といった具合に息つぐ暇もないくらいの多忙さだった。
 そんな多様な仕事の中で、母屋にいる母親に食事を運ぶことが、雅子には難しい作業となってきていた。それは、階段を上がり下がりしなければならず、それまでなら、何の支障もなかったが、左手に支障が出始めてからである。特に、スープやお味噌汁などの液状の料理を運ぶ場合には、片手では、そのバランスを保ち難く、時にはこぼしたりして、余計な気遣いとコツが必要となっていた。
 帰郷間もなく、そのことに気づいた一考が、その運ぶ仕事を引き受け、階下まで運ぶことにしたのだった。細かい包丁使いや、調味料などの入れ物の蓋を開ける作業に次いで、一考の二つ目の担当業務となった。なお、入浴は、多少時間が掛かるのは別にして、雅子一人で、何とかマネージが可能だった。(以下、明日に続く)

タグ : 社保庁 なんたるちあ

108 黄砂と共に新年度

 昨日、3時過ぎ買い物に出掛けようと外に出たら、西の山が白く煙っていた。最初は雨が近づいているのかと思っていたら、なんと黄砂だと後で分かり、ここまで来ているのかと実感した。
 黄砂だけでなく、4月に入っていろんな話題が飛び込んできていて、我々も大いに活性化されつつある。
 米大リーグが始まった。松井秀喜にはヒットが出なかったが、岩村昭憲選手はヒット一本打った。今、ちょうどマリナーズの試合が始まった。日本でも既にペナントレースが始まっていて、いろいろ話題も多い。高校野球は今日が決勝戦、新しい名前の高校同士の決戦だ。新しい息吹が感じられる。
 昨日は、新しい社会人が多く誕生した。例によって、迎える側の訓示も幾つか話題になった。東国原知事の「タミフルを思い切り飲んだ云々」はジョークを織り込んで盛り上げようとした意図は理解できるが、ジョークの限界を超えていた。埼玉県の上田知事の「自衛隊員は人殺し云々」の話に至っては、同氏の人柄からは考えられない失言だ。いずれも、少し振りかぶり過ぎと言えよう。
 今朝の日経新聞で、筆者の出身会社の新しい役員人事が発表されていた。次の時代を視野に入れた興味深い人事だと感じた。新しく役員になった亀井氏には強い期待をしている一人である。また、モリコート事業部門の人事もなるほどと思わせる妙手だと思う。新監査役の魚森氏もよく頑張ったご褒美なのだろう。おめでとうと申し上げたい。
 いずれにしても、会社のますますの発展を期して止まない。

連載(73) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚 (6)

 一考が直ぐに取り組んだもう一つの作業は、雅子の日常生活を、少しでも楽にし易くするための対応だった。一日の生活の実態を振り返ってみると、台所、リビングや寝室が最も生活時間を多く消費するスペースで、そこでの仕事を心地よく、動き易くすることは、仕事の能率面からだけでなく、精神面でのゆとりを生み出す意味で、とても大事な対応だった。空間の圧迫感をなるべく少なくし、動きを機能的にスムーズにする工夫は大事なのだが、多忙の中で、整理、整頓されずに放置されて来ているのが実態である。やはり、こういった機会に思い切ったアクションは大切だと、一考は自分に言い聞かせて果敢に取り組んだ。
 二人の住まいは、二十五年前に東京勤務から大阪に転勤して来た際に、両親の面倒を看易くするために、実家の両親宅の直ぐ傍に新築し、二つの住まいを通路で連結した、いわゆる二世帯住宅だった。父親の土地を借りての建築だったことから、土地の広さの制約があったことと、まだ二人が若かったこともあって、日常生活の主体空間を二階に置いたのだった。広くないスペースに、いろんなものをぎちぎちに配置していたことから、高齢になって、使い難いスペースになって来ていた。加えて、このところの、雅子の左手の不自由さが原因で、細かい作業を阻んでいたこともあって、その辺りの整理、整頓がうまく行き届かず仕舞いになっていた。
 そういう状況下では、一考が東京から持ち帰った組立家具は抜群の威力を発揮したのである。空間を有効に活用できる立体的な棚をふんだんに取り入れた。ポールとパネル板、キャスターなどの部品をつなぎ合わせて組み立てるだけの単純なもので、融通性があって応用が利くだけに、自分の書斎だけでなく、雅子の主体生活空間である台所、洗濯室、リビングで、スペースの有効活用を図ると同時に、少しでも仕事をし易くする模様替えを行なった。一考の東京の狭いマンション生活での着想、工夫が、うまく生かされることになったのは、望外の喜びでもあり、楽しみでもあった。
 しかし、一考が東京から運び込んだ荷物の処理は大変で、あれだけ不要なものは廃棄してきたにも関わらず、置き場を探すのが困難で、とりあえず、子供部屋としていた一階のスペースを荷物置き場として使わざるを得なくなった。子供たちが帰って来る時には、その時に対応を考えることにした。(以下、明日に続く)

タグ : 黄砂 松井秀喜 岩村昭憲 東国原知事 上田知事

107 インターネットオタク

 将棋界でインターネットで対局する新棋戦が、昨日夜に、郷田真隆九段と島朗九段の対局で開幕した。大和証券の主催で、毎日曜日の8時から中継される。緊迫感があってなかなか面白い対局だった。ファンの郷田真隆九段が快勝、間もなく始まる名人戦挑戦に幸先良い勝星となった。
 インターネットにはいろんな中継があって、大いに活用させてもらっている。将棋中継のほか、ゴルフや野球のスコア速報、それに、昼間は日本の株式取引、夜は、米国のダウの動きなど楽しみは尽きない。最近では、ほぼ一日中楽しんでいることが多い。
 筆者の一日の事例を紹介すると、介護などの朝の仕事が一段落すると、まず、このブログの更新、それが終わる頃から、株式の動きを追い、場合によっては取引を行なう。緊迫感のある時間帯である。株式は3時まで続く、この間、将棋中継があれば、それをチェックしながら、昼食、買い物などの雑用を済ませる。夜も、朝から始まっている将棋のフォロー、夜中には、米国でのゴルフ、野球、株式の動きなどを追っていると、ほぼ24時間インターネットで楽しんでいることになる。但し、妻を病院に連れて行く日は、ブログの更新などは時間を変更して間に合わせている。まさに、インターネットオタクのようで、モバイルによるユビキタスが可能となればと思う今日この頃である。

連載(72) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(5)

 博多から戻った後、一考が最初に取り組んだ課題は、車の運転に慣れることだった。買い物をはじめ、母を病院に連れて行ったり、ちょっとした外出には車は不可欠だった。三十数年前に免許を取得したが、生まれつき不器用な上に、運動神経が鈍かったこともあって、大変苦労しての取得だった。また、取得後は、ほとんど運転する機会がないまま、いわゆる典型的なペーパードラバーで過ごした。例外的に、海外出張時に、止むを得ず、ハンドルを握ったことはあったが、国内ではほとんど運転実績がなく、つい先日、雅子がS字カーブで梃子摺った際に、急遽運転の練習で少し走っただけで現在に至っていた。それというのも、結婚後に取得した妻の運転が思っていたよりもうまく、しっかりした技能を備えていたことからも、助手席でのんびりとエンジョイするのが常態化していた。
 そんな訳で、雅子を助手席に乗せての泥縄式の特訓を敢行し、一日も早い交代を目指した。この間、雅子の運転も止むを得ず継続せざるを得なかったが、やはり、手の動きが今まで通りには行かず、引っ掛けたりして、車に傷をつけることも起きていて、一日も早い交代が必要だった。
 一考が正式に運転を担当するようになったのは1月15日からだった。その数日後のことである。
「何だかとても寂しいわ」
 近くのスーパーに買い物に行く途中、雅子が助手席から、か細い声で話しかけて来た。
「そりゃそうだろうね。何と言おうと、三十年近く握ってきたハンドルだからね。いわば、恋人以上の相手と別れたようなものだから。転ばぬ先の杖だ。そのうちに、助手席の快適さが楽しめるようになるよ」
 一考は雅子の気持ちが痛いほど理解できた。行動派であっただけに、自分ではまだ充分に出来ると思っているのを、いわば、強引に恋人との間を裂いたようなもので、急に、助手席での楽しみを新たな恋人にせよと言っても、ピンとは来ないのも理解できた。
「貴方の運転って、随分と慎重なのね。私とは随分違うみたい。快適さはまだまだ先のようね」
「のろのろ運転ってことかい? 仕方がないよ、初心者が、VIP様をお乗せしているものですから」
 一考は、珍しく皮肉っぽい言い方をする雅子に、軽くジャブを放った。
「VIP様ですか」
 雅子は苦笑しながら呟いたが、その顔は曇ったままだった。煙草好きの人に、あなたの健康のために、今日から吸ってはいけませんと云われたような辛さがあるのではと、一考は雅子の気の毒さを忖度するのだった。(以下、明日に続く)

タグ : ユビキタス 郷田真隆 島朗

106 長寿番組

 今日から四月、新年度が始まった。テレビ視聴が軸となっている今の生活リズムの微調整が始まる時期でもある。番組の改編やキャスターやレギュラー担当者、コメンテーターなどの入れ替えがあって、自分の好みにあわせての視聴番組の新たな選択が必要となる。
 交代、入れ替えなどの変化は歓迎だ。新しい展開、興味が期待できるからである。夢とか将来への期待なくして、我々の生活が活性化されることはない。そういう意味では、何かを期待しての新しいシーズンが始まったのである。気分を一新して自分達もその生活に活を入れてゆきたい。
 その一方で、長寿番組は堂々とその回数を重ねている。三分クッキング皇室アルバム笑点などはその代表例だ。それらは、それなりに味があるとか、国民生活の中に溶け込んでしまっていて、今更新たな変化を必要としていないからだろう。世代を超えて、何千回も続いている番組は、いまや貴重な文化遺産とも言うべきで、敬意を表したい気持ちである。
 今、筆者は障害者の妻を抱えての介護生活を続けている。障害の内容からみて、この生活スタイルは、今後、永遠に続くことになろう。自分の人生では、貴重な「長寿番組」に相当するものであり、しっかりとその継続を図って行かねばならない。余談だが、今、連載中の「難病との闘い」は、これからが本番であり、今のところ、最終回が何時になるか、筆者も把握していない。少しでも多くの読者にお付き合い願えれば、それ以上の幸いなことはない。

連載(71) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(4)

 大津の実家に戻ると、一考たちには、新しい人生が始まっていた。年末の慌しい引越しだったため、暫くは引越し荷物に埋もれての落ち着かなかったが、母親を交えた夫婦三人の生活には、新鮮さはなかったものの、今まで凍結していた家庭の温かさや、心を和ます安らぎがあった。
 心配だった雅子の左手の症状は、見た目にはそれほど目立たなかったが、傍で一緒に生活してみると、日常生活のあらゆる面で、大変な厄介さであることを知ることになった。それは、両手が不自由なく使えている人間には、直ぐには理解し難い厄介さで、料理、掃除、衣服の着脱など、ほとんどの日常生活での作業が、無意識に左手のサポートを不可欠としていたからである。
 例えば、料理の場合では、食材の皮を剥いたり、細かく切ったり、巻いたりする単純なことも片手では簡単ではない。また、各種調味料などのパックの蓋を開けるようなことでも、一筋縄では思うようには運ばない。特に最近のパックはしっかりとくっついていることが多く、封を切ることだって大変で、その殆どの作業が容易でないことが分かる。中には、両手が使える一考さえも結構大変な作業となるものも幾つかあった。
 衣服の着脱も料理以上に厄介だった。ボタンを掛けたり、外したり、ファスナーの上下移動やアイロン掛けも片方の手で押さえていないとうまく運ばない。また、それまで雅子が得意としていた裁縫に至っては、針に糸を通すことが出来ず、全く出来なくなったと云ってよい。これらの作業に、この頃の雅子は、まだ左手も親指が少し動かせたこともあって、何とか自分でやろうとして、自分からは手伝ってとは云わなかったが、妻が苦労しているのを見つける度に、思わず手を貸す形でのアシストとなった。
 特に、一考が梃子摺ったのは、アクセサリーの着脱だった。もともと小物である上に、一見、気づかないような巧妙な着脱の仕掛けが施されているだけに、左手が不自由な状態ではとても一人では操作出来ず、一考のサポートは不可欠だった。しかしながら、生憎、一考は、この年になっても、女性のアクセサリーには不案内で、その種の仕組みを全く承知していなかったこともあって、雅子からの説明に従って、何とか応接したものの、その作業に思わぬ悪戦苦闘するのだった。
 掃除、洗濯もスイッチを押す程度は無難だが、物を運んだり、広げたり、干したりする作業も容易ではなかった。
 かくして、帰郷早々にして、一考は、予期以上の雅子の支障に心を痛めると同時に、この病気が進行性の病気であるだけに、先行きの不安を募らせると同時に、自分の役割の益々の重要さを自覚した。(以下、明日へ続く)


タグ : 長寿番組 皇室アルバム 笑点 三分クッキング

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