プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

Powered By FC2ブログ

166 即断即決即実行

 明暗が交錯した話題の多い一日だった。白鵬の69代横綱昇進、それに藤原紀香陣内智則の披露宴、もう一つ、阪神のやっとこさの勝利で、何とか明るさが保たれた一方で、国会では、久し振りに面白い安倍、小沢の党首討論はあったものの、その後に、ビデオテープを見ているような強行採決のシーンを見せられて、いやな気分を味わった。
 社保庁の入金内容不明の5000万件の問題に関連して、5年時効を取り消し、何とか支払った人の理不尽さを解消しようとする安倍内閣が執ったこの法案は、稀に見る即断即決即実行の思い切ったもので、この法律に関する限り、評価できるのではないかと思っている。過ちに気づけば直ぐに直すということに、誰も異論はないはずだ。走りながらやるのも時には必要である。代案もなく、何でも抵抗する野党側こそ反省すべきではなかろうか。批判が多いメディアの中で、今朝のTBSの朝スバは、そんな姿勢を出していたのに共鳴した。
 話は変わるが、昨夜、放映された藤原紀香さんと陣内智則さんの披露宴は、ついつい見てしまったのだが、お目出度い二人の結びつきの裏に、島田紳助の存在があったことを知って、興味深く思った。
 この島田紳助は京都の大谷高校の出身ということで、筆者は、以前から親しみを持って見ていた。余人をもって替え難い、あのしゃべりの能力、回転の速さには、思わず惹きつけられ、いつのまにかファンの一人になっている。ただ、老婆心ながら、この二人を結びつけた同氏の影の努力は多としながらも、安倍内閣が松岡大臣をかばったように、それが裏目に出ないことを祈っている。
 
連載(131) 難病との闘い 第五章 衝撃の病状悪化(20)

 手首の骨折から、この一階での新しい生活に移るまでの二ヶ月の間に、これまででは見られなかった速度で症状の悪化が進んでいた。二月半ばの捻挫と四月初めの手首骨折が、それまで比較的静かにしていた病魔を一気に活性化させたように、一考は感じていた。それは、左手から始まり、左足、そして右手にまでもその影響が及び始めていたのである。
 6月に入って、雅子の症状が、いよいよ身障者を意識させるような、今までよりも目立つ形で現れて来ていた。病は気からではないが、明らかに日常の活動に支障を及ぼす悪化が進んで来ていた。
 一考を驚かせた症状は、入浴時に、湯船に入ろうとした雅子が、左足が上がらないというアクシデントだった。
 それは、まだリフォームが始まって間もなくの6月1日のことで、風呂場から一考を呼ぶ声に、何事だろうと駆けつけてみると、右足を湯船に入れて、左足を外に出したまま、湯船の淵につかまっていて、左足が上がらないと訴えた。
 ともかくも、それまではお風呂は意地でも自分一人で入っていた。左手が使えなくても、右手一本で、洗髪も何とかこなし、身体を洗うのも、丁寧ではなくても自分で努力して対応していたが、それにも限界が訪れていたのである。
 この種の症状の始まりは、手首の骨折ではめていたギブスを取った直後の5月半ば頃からで、通院時に、電車やエスカレーターの乗降時の段差に出くわすと、足がすくんで立ち止まってしまう現象が最初だった。それが、遂に左足が上がらないというところまで悪化が進んで来ているのを、はからずも直視することになった。
 一考は、止むを得ず、左足を抱えて湯船に入れてやり、湯に浸からせて身体を温めた。そうすることで、湯船から出る時には、症状は多少回復していて、少しサポートするだけで、湯船から出ることは出来た。翌日は、何とか自分で対応できたが、3日目以降は、やはりアシストを必要とするようになった。悪化が着実に進んでいることを、こんな形で認識せざるを得ないことに、一考は気の重さを感じていた。
 この時点では、リフォーム工事も風呂場には及んでいなかった。その後の工事で、浴室への入口の段差はなくなったものの、湯船の高さは、少しは低くなったが、実質的にはほとんどで変わらなかったことから、一考のアシストは、その後も欠かせなくなるのだった。(以下、明日へ続く)
スポンサーサイト

タグ : 藤原紀香 陣内智則 白鵬 島田紳介 党首討論 強行採決

165 乱気流の波紋

 松岡利勝大臣の自殺の波紋は衝撃的で、政界に乱気流を巻き起こしている。現役の大臣の自殺は戦後初めてのようだ。終戦の年に東久邇宮内閣で国務大臣を務めていた近衛文麿がGHQの出頭命令を拒否して青酸カリ自殺をして以来だというから、62年ぶりの悲劇である。
 都知事の石原慎太郎氏は、事の内容は別として、同氏の自殺の報に「武士の魂が生きていた」といった独特の表現をしていたが、この事件のその後の動きを見る限り、衝撃の大きさは当初の予測以上で、安倍内閣の根幹を揺すっている。どんな展開になるか、じっと見守って行きたい。
 そんな暗い話題が続く中に、明るく救いのあるニュースが飛び込んで来た。メキシコで行なわれていた第56回ミスユニバースで、日本代表の森理世さん(20歳)が世界一に選出されたのである。児島明子さん以来48年ぶりの快挙だ。これからの抱負で「どれだけ役割期待に貢献できるか、今後の自分自身に期待している」と卒なく答えていたが、英語でのスピーチは流暢で素晴らしいのが印象的だった。
 
連載(130) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(19)

 先に述べたように、リフォーム工事が始まる前に、寝室だけは先行して一階に移動させていた。これは、工事対象となる子供部屋に押し込んでいた荷物の処理に困っての止むを得ない対応だった。
 新しい寝室とした部屋は、玄関脇にあってそれまでは応接間として使っていた部屋だで、立地条件は良くない。二階の寝室に比べて、スペースも狭く、今までのようにベッドを二つ平行して並べることが出来なかった。止むを得ず、T字形に置いたのだが、双方から、お互いがほとんど見えない位置関係で、介護の面からは不適切な位置関係にならざるを得なかった。加えて、押入れのスペースも狭く、身近に置ける着替えなどが制限されることなど、利便性を犠牲にせざるを得なかった。
 そんな訳で、工事期間中は、日中の生活はそれまで通り二階で行い、寝る際は一階に移動しての生活になっていた。トイレ、洗面所、それに風呂が一階にあるため、雅子の移動回数は、トータル的には多少は少なくなって省力化になっていたが、それでも、その移動には、一考のサポートが不可欠で、雅子の自由度は、徐々に失われつつあった。
 結果論ではあるが、不思議なもので、新しい環境での一階での生活が始まると、それを待っていたかのように、雅子の運動能力は、それに見合った形で衰えて行くようだった。つまり、このリフォーム工事は、雅子の症状にとっては、まさにタイミング的にはぎりぎりでの滑り込みセーフといった際どいもので、一考の打つ対策は、際どい綱渡りをしていたことになる。
 この移動が、ちょうど衣替えの季節に重なったことから、移動直後の最初の仕事が、雅子の衣装の入れ替えだった。二階に詰め込んである衣装箱に、冬物を仕舞い、春、夏物を取り出す作業である。一考が驚いたのには、雅子が持っていた衣装や鞄やアクセサリー等の数の多さだった。それは、雅子の活動の多様さを反映していたのだろうが、こんな症状になってしまった以上、これからは、使うこともほとんどなくなるのではと思うと気の毒な思いだった。一考が、更に驚いたのは、多くの衣装のどれとどれが、どこにしまってあるかをきちんと記憶していることだった。雅子が容易に二階に上がれなくなっていたことで、一考は、その雅子の記憶に従って、必要なものを選び出し、階下の収納ボックスに運び込むのだった。
 狭いスペースでの荷物の移動で、結果的には、今まで生活していた二階が、物置を兼ねることにならざるを得なかった。(以下、明日に続く)

タグ : 松岡利・ゞ甕卻庫石原慎太郎 森理世 児島明子

164 衝撃の自殺

 家にいる時は大抵、テレビは点けっ放しである。昨日、2時前だった。松岡農水相の自殺のテロップが流れたのを、偶然捉えた筆者は「あ、やっちゃた」と思わず呟いた。
 前週末に同氏は、お墓参りや母親を見舞っていた。日曜日には、自分の名前で皇太子を招待していたJRAの日本ダービーにも顔を出さなかった。既にその重い決断を胸に秘めての予定の行動だったのだろう。
 全部で8通の遺書が残されていた。死を決意してそれを書いている同氏の心中は、恐らく、抑えが利かなくなるほどに高揚して行き、それが、自らの命を断つ最後の引き金になったのだろう。本当に痛ましい事件だった。
 自分がそうすることで、どんな波及があるのかを、当然、同氏なりに想定していたと思われるが、それが独りよがりのものではなかったのか。残された者の辛さをもっと深く考えて欲しかった。
 死者に鞭打つ訳ではないが、自殺はある意味では「卑怯な手段」である。どんなことがあっても避けて欲しかった。
 筆者も現役時代、直属の仲間を自殺で失った。悲しい事件だったが、その仲間を救えなかった悔しさもさることながら、事件後のあの時の辛さを思うと、その事件の規模、内容は全く違う範疇ではあるが、安倍総理の心中は察して余りある。
 別件だが、あの「負けないで」のヒットでブレークしたZARD坂井泉水さんが転落死していることが明らかにされた。筆者はよく知らない人ではあるが、才能ある人だっただけにその死を痛む人が多い。松岡農水相も「負けないで」もっと「鈍感」に生きて欲しかった。
 命の大事さを改めて意識させられた一日となった。ご冥福をお祈りします。

連載(129) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(18)

 それまでの二階中心の生活から、一階への移行は、寝室を工事開始前に先行移動していたのに続いて、工事が終わるのを待って、台所、リビングも一階に移した。6月下旬のことだった。かくして、二人の新しい生活が開始された。母屋の陰になって日当たりがよくないのは仕方がないとして、場所を変わることで、気分が変わって、病魔も少しはおとなしくなるのではと、一考にしては、珍しく非科学的な発想で、何かを期待するのだった。
 進行性の病気と言われて久しかったが、あの思いもよらない骨折をするまでは、その進行は緩やかで、こんな程度であればと不覚にも楽観していたこともあったのだが、その骨折を境として、悪化の進行が、目に見える形で、一段とスピードアップしていた。そんな訳で、この生活環境の変化が、そのスピードアップの歯止めになって欲しいとさえ思うのだった。
 この時点で雅子の手足の状態は、長期間に渡って腕を固定していたギブスの後遺症で、左腕が殆ど動かなくなっていたうえに、右手も麻痺状態が見受けられ、雅子が一人で行なえる事柄が、大幅に制約されることになっていた。もちろん、階段を上がり下がりすることはおろか、一人で歩くことさえも、危険で難しくなっていて、一考の介添えは不可欠となっていた。
 食事についても、お箸の握りが覚束なくなり始めていて、大抵のおかずは、口にまで運んで食べさせる形になりつつあったし、ご飯については、海苔で小さく巻いて、手に取り易い形にして、自らが手に取って食べられるよな工夫を施していた。
 また、お風呂についても、身障者用のタイプに替えたことで、段差がなくなり、浴室には入り易くなったが、湯船に入るには、その高さが少し低くなったものの、左足を持ち上げてのサポートは欠かせなかった。このことで、雅子が入浴する際には、一考も、湯船に脚を入れてのサポートしなければならず、厄介な力仕事が増え始め、何らかの新しい工夫が必要だと思い始めていた。(以下、明日へ続く)

タグ : 松岡農水相 安倍総理 ZARD 坂井泉水

163 復活、悲喜こもごも

 女子プロゴルファの不動祐里が13ヶ月ぶりに優勝した。前々週には6ホールのプレイオフで全美貞に敗れ、同嬢に3連覇を許し涙をのんでいただけに、ファンとしても嬉しい復活劇だった。これで41勝目で、歴代5位タイである。少し前に横浜ベイスターズの工藤公康投手が勝って復活していて、これで不動、工藤は、とりあえず長いトンネルを抜けたようだ。これからの本格的な復活に期待している。
 今朝の速報で、カンヌ映画祭で、河瀬直美監督が「殯の森」でグランプリを受賞したという。本人には10年ぶりの快挙ということで、これまたお見事な復活と言えそうだ。このような地道な映画人が評価されるのは嬉しいことだ。
 それに対し、安倍総理の支持率が大幅にダウンした。今朝の日経では41%に12%のダウンである。このところ上昇気味だったということで、どうやら復活の軌道に乗っていると見ていたが、このところの社保庁の5000件不明問題、緑資源の談合疑惑、松岡農水相への疑惑などが大きく影響していると思われる。7月の参院選に不安な暗雲である。
 大相撲では白鵬が連覇し横綱となるようだ。お目出度い事だが、日本人の横綱復活は何時になるのだろうか。トンネルの先は見えない。

連載(128) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(17)

 リフォーム工事は、5月26日から始まったが、それに先立っての荷物の整理には苦労した。何しろ、引越しで東京から持ち帰った大半の荷物を、今回リフォーム対象の子供部屋に押し込んでいたからである。何とかしてその部屋を空にしなければならなかった。そうしなければ、肝心のリフォームが始まらない。
 人間と言うものは、いろいろと物を集めたがるものだ。そして、一旦集めると、それに自分の歴史が反映されるものだから、愛着が生まれる。そのために、棄てることに強い抵抗が生じることは良くある。
 一考自身も、三十年近くに渡って集めて来ていた新聞の切抜きがあった。将来、推理小説の材料にと、殺人事件を主体に事件物をこまめに集めて、それをきちんと分類していた。しかし、もう、自分の戦いもほぼ終わったと自覚していることもあって、この際、思い切って廃棄することにしたのだった。その量たるや、なんと、中くらいの大きさの段ボール箱で、5つぐらいもあった。身を引き裂かれるような切なさがあったが、保管する処がないため、止むを得なかった。
 自分のものはそのように自分で処分が可能なのだが、二人の息子の荷物については、勝手に処分は出来ない。特に、長男の太郎は、幼稚園時代のものから、自分でしっかりとダンボールに入れて残してあるから堪らない。この機会にと、電話で話しても埒が開かない。仕方なく、重い荷物だったが、二階に持ち上げてとりあえず保管せざるを得なかった。その点、次男の二郎の方は、適当に棄ててもいいと淡白だったが、そう言われると、こちらが却って慎重になって、彼らの歴史になるようなものは取り置くと行った矛盾した行為に繋がるから面白い。いずれにしても、子供たちの椅子、机、ベッド、洋服ダンス、書籍類や本箱の類は、一人で二階に持ち上げる作業には、六十五歳の親父には、大変な重労働だった。
 リフォーム工事は約一ヶ月足らずの6月半ば過ぎに完了した。季節はちょうど梅雨の時期になっていたが、幸いなことに、たまたま雨が降らないという幸運に、工事は雨に邪魔されずに終えることができた。この間、大工さんのもてなしなどで、一考は大車輪だった。従って、母親への食事サービスは、姉の久子の配慮もあって、半分くらいは彼女の助けに頼ることになった。
 余談だが、終わった後の荷物の整理は、一旦運び上げた荷物の処理をも含めて、工事前の移動の何倍も大変な厄介で骨の折れる仕事だった。それは、あたかも、引越しを連続二回行なったような大変さだった。(以下、明日へ続く) 

タグ : 不動祐里 工藤公康 河瀬直美 白鵬

162 最近の安倍首相の前向き姿勢

 社保庁で判明した5000万件以上の入金先不明の問題に対し、安倍首相は、その内容の徹底究明、給付期間の5年間時効の撤廃などを明言した。怒りの収まらない国民の大きな不幸に、小さな前向きの一歩となることを期待したい。
 6月にドイツで行なわれるハイリゲンダムサミットで、安倍首相は、環境問題を取り上げ、日本が米欧の架け橋になることを提案するという。京都議定書後の枠組み作りに主導的な立場を取るという。地球温暖化が進む人類の大きな不幸の中で、これまた、小さいが前向きの一歩になって欲しい。
 最近の国会の議論を見ていると、時々、安倍首相が怒りで、大声を張り上げて発言している姿が散見される。大の男がわめいている姿はみっともないことが多いが、最近の安倍さんの怒りには、不思議と男らしい魅力が感じられる。人間、時には、怒らねばならないのではないか。この怒りが国民の幸せに繋がる大きな一歩になればいいのだが。

連載(127) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(16)

 診断を終えた津島医師は、今後の治療の進め方について、ゆっくりと話し始めた。
[今の症状から判断して、薬を注射することで、固縮ジストニア)部分の筋肉を柔らかくすることは可能でしょう。一度の注射で、大体、2,3ヶ月は効果が持続すると思われます。少々、高価な薬ですが、如何されますか?」柔らかい口調で丁寧な問いかけだった。
「今は、可能性があるものにはチャレンジしてみたいと言うのが私の考えです。宜しく、お願いしたいのですが、効果持続が2.3ヶ月ということは、そのタイミングで注射を繰り返すということでしょうか?」第一印象で、同氏への信頼感が強かったこともあって、一考は躊躇なく、津島医師の提案を受け入れると同時に、先行きのことに言及した。
「そういうことです。その柔らかさを維持するには、大体、そのタイミングで打ち続けることになります。経費の面で大変だと思いますが、難病の認定を取得されれば、値段は大幅に安くなるはずです」
「難病の認定ですか? 先日、春日先生からは、障害者手帳の取得を申請することで、ご了解を得たところですが、それとは別なのですね?」
「そうです。それとは別で、正確には特定疾患患者の認定です。市役所で確認して下さい」
「恥ずかしい話ですが、その種の社会保障については、全くの音痴で、この特定疾患患者のことも初めて耳にしました。ありがとう御座いました。直ぐに、確認して必要な手続きをしたいと思います」
「そうして下さい。それでは、今日は、その手始めに、予備的な処置として、効果の確認をしておきたいと思います」津島医師はそういうと雅子を傍のベッドに寝かせで、左手の固まっている手首の一角に注射器で、少量の薬品を注入した。如何にも痛そうな注射だったが、雅子はぐっと頑張った。暫く様子を窺っていた津島医師は、指の動きをチェックし、少し柔らかくなっていることを確認した。
「大丈夫なようですね。今打ったのは、短期効果がある筋肉を麻痺させえる薬です。来月にも、今一度、今日と同じ麻痺薬を打って改めて確認をしてから、本格的な治療は8月から始めることにしましょう」津島医師は、しっかりとした口調でそう言って、数枚の書類を取り出して一考に手渡した。
「これを、よく読んでくださって、ご同意頂けますなら、サインして次回にお持ちいただけますか?」
 どうやら、患者サイドの了解証のようで、最近の病院では少し難しい治療の際には、事前に了解を取っておくということのようだった。
 一考と雅子は丁重に礼を言って診察室を後にした。(以下、明日へ続く)

タグ : 安倍首相 社保庁 ハイリゲンダム サミット 京都議定書 固縮 ジストニア 特定患者疾患

161 強行採決と八百長

 社保庁改革法案が、昨日、衆議院厚生労働委員会で強行採決された。先の教育改革関連3法案、憲法改正国民投票法案に続いてのお馴染みとなった強行採決の風景が、国民の前で堂々と展開された。この風景は、もはや、定番化したと見てよい。野党委員が議長席に駆け寄り阻止しようとのみっともない抵抗、与党は、誰かの合図で訳の分からないまま起立する。周りを囲まれた議長がパントマイムを演じているような宣言で舞台は終わる。この奇妙な風景が国会の舞台で定番化しているのだ。何とかならないものか。ある種の八百長の演技を見せられているように思えて仕方がない。
 八百長といえば大相撲である。白鵬の横綱誕生に向けてのドラマが順調に演じられているように見えて仕方がない。朝青龍のこのところの負けっぷりは演技としてはまずまずかも知れないが、見る人が見れば、疑惑は避けられないのではないか。敢えて言えば、千秋楽の結びの一番で、余計な演技をしなくて済む段取りを図ったことが、多少は、救われるとの見方もある。
 国会も、大相撲も、根底から考え直さなければ、国民から見放されることになるかもしれない。

連載(126) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化'15)

 ジストニア(筋肉固縮)対策で、春日医師から新しい治療の紹介を受けた数日後、テレビで、パーキンソン病の最先端技術の特集番組があった。それは、外科手術による脳深部刺激療法(DBP、Deep Brain Stimulation)と呼ばれるもので、埋め込んだバッテリーで脳を刺激するという大胆なものだった。日本では既に2500以上の実例があるそうで、中でも日本大学の片山容一先生が500以上の手術実績を持っているという。この放映で、一人の方の成功例が纏められていた。この手術に挑戦する患者の勇気、それを受けての高度な技術には感動したものの、人間の生命をバッテリーで動かすという神の領域に入る手術には、すんなりとついてゆけなかった。雅子にそんな治療をやってみたいとも思わなかった。埋め込んだバッテリーを交換するだけでも大変で、そのようにして得られる幸せへの抵抗があった。人間の生命を巡る科学の介在が何処まで許されるのかという、人間と神の領域に関わる極限の問題を意識した。それでも、技術の進歩には目を見張るものを感じたのは事実である。
 その一週間後に一考と雅子は、醍醐にある吉田病院の津島医師を訪ねた。紹介を受けてから10日ほど経った5月末のことだった。アメリカで学んできたと言う津島医師は、まだ四十そこそこの若い研究員といった感じで、如何にも最新の技術を蓄えてきているといった頼もしさが感じられた。力強さと知的な香りが溢れていて頼りになりそうだというのが、一考と雅子の第一印象だった。
「春日先生には大学で教えて頂き、大変お世話になりました。その関係でこの分野の研究に携われることになり、先生の勧めもあって米国で最新技術を学んできました。少しでもお役に立てれば幸いです」津島医師は、自己紹介を兼ねた丁重な挨拶の後、先ずは、雅子の症状を慎重に診察した。そして、予備の確認として、認知症のテストや指の動きの確認を行なった。
 認知症のテストは、マニュアル化されているようで、自分の生年月日、今日の日付、100-7から、順次7を引いてゆく暗算をさせる単純なものだった。聞いていて、何だか馬鹿馬鹿しいように思えたが、それが標準の確認方法らしい。無難にこなした雅子は照れ臭そうに笑っていた。続いて、津島医師は、右手の具合についても、確認のチェックを行った。影絵を作る際の「きつね」の形をさせるのだが、なんと、悲しいことに、それが今の雅子には出来ないのである。うまく指が動かないのだ。
「右手にも、病気の進行が窺われますね」津島医師の診断に、一考はショックを隠せなかった。雅子の今の生命線である右手にまで悪化が進めば、雅子は何もできなくなるではないか。一考は想定外の悪化の兆しに驚きと不安を覚えるのだった。(以下、明日に続く)

タグ : 社保庁改革法案 国民投票法案 教育改革関連3法案 白鵬 朝青龍 DBS Deep Brain Stimulation 認知症

160 何なんだい

 1999年4月に起きた残虐な光市母子殺害事件の差し戻し控訴審が始まったが、この裁判での弁護士側の主張には大きな違和感があり、怒りさえ覚える。殺害後に姦淫した事実を「生き返らせるために容疑者が取った対応」とか「母親に甘える気持ちで背後から抱きついたもので殺意はなかった」といった独断的で説得性のない弁護には呆れてものが言えない。弁護士って「何なんだい」と言いたい。
 緑資源機構の官製談合にやっと東京地検の手が入った。税金を食い物にする組織ぐるみの談合にも「何なんだい」と罵りたい。17年前から不正発注が行なわれていたという。腐りきった天下り組織だ。この種の組織や談合が、我々の知らないところにまだまだ存在しているのではないかと不安になる。
 安倍総理松岡農水相を庇っているのも気になる。大事な参院選を控えてのこの対応にも「何なんだい」と言いたい。緑資源機構の関連会社から松岡農水相に政治献金がされている事実も明らかになっている。何か胡散臭いものの存在を否定できない。この辺りで、思い切った対応を取らないと、安倍総理の命取りになりかねないと心配している。

連載(125) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(14)

「このような筋肉の固縮をジストニアと言うんですが、やはり、長期間ギブスで締め付けられていたことで、この固縮が促進されたのでしょう。前にも一度お話しましたが、この固縮をほぐすのに、局部的に薬を注射する方法があります。私の大学の教え子が、これを扱っておりますので、一度、試しにやってご覧になりますか?」そう言えば、昨年末の診察時にそんな話を聞いたことを一考は思い出した。その時は、まだその必要性について、それほど深刻になっていなかったので、そのまま聞き流していたのだ。それにしても、初めて聞く言葉だったが、この「ジストニア」という言葉の持つ響きが、如何にも、厄介な病であるように一考には感じられた。
「この固まった状態をほぐしてくれるのですか。それは大いに助かりますね。とにかく、可能性のあるものには挑戦してみたいと思います。宜しくお願いします」一考は躊躇することもなく即答した。雅子は、黙ったまま頷いていた。何としても、雅子の症状を軽くしてやりたいとの一考の思いが通じているようだった。
「それじゃ、連絡と取って看ますので」春日医師は、そう言って携帯を取り出して連絡を取り始めた。幸い、直ぐに先方は出たようで、話も直ぐに纏まったようだった。春日医師は、携帯電話切ると、即座に紹介状と思しきメモをさらさらと書き、それを封筒に入れて手渡してくれた。宛書は津島先生となっていた。
「彼は、徳島大学病院の神経内科におりますが、週に一回、醍醐にある吉田病院で診療しています。具体的な日程は、直接連絡を取って決めてください」この前の滋賀医大のMRS診断の件といい、春日医師は、さすがにその道の権威で、豊富な人脈を持っていると一考は思った。
「ところで、先生、別件で、もう一つ、ご意見を伺いたいことがあるのですが?」受け取った手紙を鞄に仕舞うと、改めて先生のアドバイスを求めるべく、一考は再び口を開いた。雅子の症状が進んでいることもあって、今日は、いつもに比べて一考の口数も多い。
「このところの雅子の症状を見ていますと、身障者に該当するのではと思うのですが?」妹の美希子からの示唆に基づいて、担当医の考えを確認したのである。
「そうですね。必要な診断書は作成しますから、申請されるのがいいでしょう。然るべき社会保障の特典が得られるはずです」
「有難う御座います。直ぐに、必要なアクションを取ります。宜しくお願いします」
 間もなく診察は終わったが、いろいろと課題が多かっただけに、診察室を出ると、ほっとしたように、一考は大きく息をついた。雅子も同様に小さく呼吸をした。待合室は相変わらずこんでいた(以下、明日に続く)

タグ : 安倍総理 光市母子殺害 緑資源機構 松岡農水相 ジストニア

159 口笛で世界一

 社保庁での5000万件の記録漏れがあって、その対応が議論されているが、一連の社保庁の失態には腹立たしさを超えた怒りを覚える。まさに「なんたるちあ」の最たるものだ。支払い者が領収書を持ってこいという対応にも「何おかいわんや」である。
 他にも、虐め、子殺し、談合(緑資源機構)、手抜きの施設管理(コースター、エレベーター)隠蔽(原子力)等々、最近の話題は腹立たしいことばかりだ。
 そんな中で、口笛で世界一になった儀間太久美さんの演奏(?)を昨日テレビで聴いた。口笛にもこんなレベルのものがあるのかと驚かされた。いらいらすることの多い昨今の社会の動きの中で、久し振りに爽快なニュースだった。同氏は関学の学生さんで、4月に行なわれた世界大会で、ティーンの部(13-19歳)で優勝したという。又、成人女性部門で総合優勝を勝ち取ったのも埼玉県在住の分山貴美子さんだった。世界の舞台で闘っている日本人は多いが、口笛という技術にも世界大会があるのを教えられた。二人はそれぞれ独学でその技術を物にしたという。器用な日本人には向いているのかもしれないが、その技術は人間国宝の範疇に入るのではと思う。
 さて、昨日の交流戦での横浜の工藤公康投手の健闘も久し振りにすっきりさせてくれるニュースだった。あだ討ちではないが、元いた球団の西武からの勝ち星だけに嬉しさも一入だろう。次は、宿敵となった巨人から堂々と勝ち星を上げて欲しいと期待している。

連載(124) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(13)

 手首骨折後の雅子の症状変化は急激だった。歩行にも多少のサポートを必要となって来ていたし、何事も一人で行なうのが、難しくなり始めていた。物を持つのも覚束なく、電話も自分で受話器をしっかりと握れなくなりつつあった。たまたま連休に静岡から里帰りしていた妹の美希子から「障害者の認定が受けられるのでは?」とのアドバイスを受ける程度まで症状は進行していた。
 負担になっていたギブスは5月11日に外してもらったが、ギブスで押さえついけられていた手首が、そのまま筋肉ごと固まってしまったようで変形した状態になっていた。つまり、指を握った状態で固まっている状態だった。それとほぼ相前後して、足の竦みが顕著となっていた。ちょっとした段差や障害物に出くわすと、足が動かなくなるのだった。
 具体的な事例が5月16日の定期診断の通院時で現れた。それまでは、電車での通院も多少の気遣いは必要だったが、特別な介護的なサポートは必要としなかった。しかし、この日の状況は違っていた。電車及びエスカレーターへの乗降時に、足が竦んで止まってしまう症状が出てしまうのだった。後ろのお客さんに迷惑を掛けることになるので、仕方なく、少し強引だったが、力づくで引っ張り上げることで、何とか対応していたが、それは今までに見られなかった症状で、具体的な顕著な悪化の事例だった。これを機に、その後は駅ではエレベーターを探して利用するようになった。
「立ち竦みは、パーキンソン病の典型的な症状の一つです」その日の診察時に一考が通院時の症状を説明したのに対して、春日医師は「そういうことで、仕方ないんだよ」といった口調での返答だった。一考は、明らかに進行している症状を心配して、その対策に話題を転じた。
「こんなカチカチに左手が固まってしまって困っています。痛くはないそうですが、これじゃ、指の間を拭うこともできなくて、衛生上良くないですし、どうにかならないものでしょうか?」一考が、雅子の手首を指差しながら、具体的な対応策を訊ねた。陽光が窓から差し込んでいて明るい診察室だが、その会話の内容は、その逆に冴えない重苦しいものだった。一考の問い掛けに、春日医師は、少し戸惑っているようだった。が、やがて、慎重な口調でゆっくりと話し始めた。(以下、明日に続く)

タグ : 儀間太久美 分山貴美子 工藤公康 社保庁 緑資源機構

158 交流戦

 今年も交流戦が始まった。出だしからパ・リーグのチームが全部勝つと云う面白い結果だった。毎年、この交流戦がペナントレースに大きな転機を与えることが多いだけに、今年の展開も大いに期待したい。
 筆者も、昨夜は、楽しい交流戦に参加させてもらった。仕事仲間だったSさんのお祝いの会に、幹事のMさんから声を掛けてもらったのである。今年、初めての大阪出陣だった。参加者は、Hさん,Fさん、Mさん、もう一人のSさん、更には現役のSさんと多士済々で楽しいひと時を過ごさせてもらった。介護に明け暮れている筆者には、格別のオアシスとなった。
 和気藹々の楽しさに、時の経つのも忘れていた。気がつくと最終電車のタイミング、ラッキーと思ったのも束の間で、気がつくと、一駅乗り越していた。はっとして飛び降りたのだが、気がつくと、折角もらったSさんからの手土産を車内におき忘れ、駅員に回収を頼んでの帰宅となった。果たして、回収は出来るのか。気がつくと、深夜の田舎の駅には人の姿も見えず、タクシーの姿もない。昔を思い出して、歩いてのご帰還となった。幸い、雅子も元気に待っていてくれてほっと。 
 終盤に乱れはあったものの、大変楽しい交流戦でした。皆様お疲れさまでした。今後とも宜しく。

連載(123) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(12)

 ここで、一考が書き上げた作品「執念」のその後の動きについて少し触れておきたい。
 会社生活での体験をヒントに連続殺人事件に仕上げたフィクション版「執念」とそのノンフィクション版「執念のプロジェクト」を三つのコンテストに応募していた。
 一つは、厚かましく、かつ分不相応だったが、念願の「松本清張賞」への応募である。2004年秋の韓国ツアーから帰国した直後だった。いつも郵便局に持って行くのだが、対応してくれる方が宛先を見てどう感じているかと思うと、何となく照れ臭い。「このおっさん、こんなのを書いたって、無駄骨なのに」と思っているのではと思うと恥ずかしくなる。この時は雅子と一緒だったので、彼女に手続きを代行させた、この時点では、雅子は、まだ手が使える状況だった。何とか予選に通って欲しいと祈っての応募だったが、その願いが叶えられることはなかった。
 二つ目は、2005年秋に応募した「日経小説大賞」だった。日本経済新聞社が創刊130周年を記念して設営した新しいコンテストだった。発表予定は2006年の10月頃とされている。しかし、これもリフォームを始める頃になっても、何の音沙汰もない。多分、没だったのだろうと諦めるのだった。
 そんなことを想定して、数ヶ月前に、某出版社のコンテストに、フィクションと「ノンフィクション」の作品を同時に応募した。三番目の応募で、この作品の最後の戦いの場となった。応募時点では、おこがましくも、若しかして、先の日経大賞とこの出版社賞の両方にパスしたら大変なことになるといった馬鹿げた心配が頭を掠めたが、それは、全くの杞憂だった。
 しかし、この出版社のコンテストの方は、幸い、両方とも一次審査を通過の連絡を受けた。四月の初めのことで、その一週間後には、フィクションの「執念}方が二次審査パスの連絡があった。前回の作品の「なんたるちあ」も二次はパスしていたので、同じレベルまで行ったことにほっとしていた。しかし、結果は、入選はならず、「出版推薦作」に留まった。
 三つの応募の結果を総括し、まあ、そんなものだろう。世の中、そんなに甘くないと自分に言い聞かせながらも、この作品に掛けてきた気持ちを思うと、このまま日の目を見ないことになるのがやるせなかった。かくなる上は、最後の手段、自らが投資をしての出版に訴えるしかない。一考は、その決断に向けて思案し始めていた。(以下、明日に続く)

タグ : 交流戦 執念

157 民法772条

 昨日から、離婚後300日以内に生まれた子供は前夫の子供とするという扱い(民法772条)に対し、法務省通達で「離婚後の妊娠が医師の証明で明らかなもの」については「前夫の子供ではない」ことが認められた。この日の届出は全国で20件あったという。
 この問題が話題になり始めたのは、今年の1月の初めで、筆者も1月19日付けのこのコラムで取り上げた。政府の対応は比較的早かったものの、その内容には大いに不満、異議がある。「DNA鑑定などの科学的に証明された真実」を、認めない今の通達は、即刻改めるべきである。倫理観に悪影響を及ぼすとの考えなどの違った範疇での論理から、科学的な真実を認めない対応は、許されるものではない。年間、3000人に近い対象者の中で、今回の通達では1割程度しか救われないという。戸籍のない人の苦しさを政府は理解できないのであろうか。これこそ、安倍首相は「鶴の一声」を発するべきである。

連載(122) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(11)

 このパーキンソン病の特徴の一つは、「振るえ」と「竦み(すくみ)」である。振るえは、お薬で多少は抑えることが出来る。しかし、竦みは厄介だった。段差や障害物が目に入るだけで、魔物に取り付かれたように、足が動かなくなって立ち止まってしまう。従って、階段や段差のある今の生活空間は、雅子には不適というよりも無理となって来ていた。早晩、今の生活スタイルでは立ち行かなくなることは火を見るより明らかで、新しく住まいを求めるか、或いは新築若しくはリフォームが急務だった。
 一考の考えは堂々巡りをしていた。新築といっても、この土地は母のもので、今でも借りている状況にある。他の女姉妹の手前、勝手に新築なんて考えられない。この機会にマンションを購入することも考えた。タイミング良く、駅の近くのジャスコの前に豪華なマンションが計画されていて、購入には絶好の物件だった。念のため二人で、モデルルームを見に行ったのだが、見ているうちに「これなら」という魅力的な部屋が空いていたので、衝動的に借り予約してしまった。
 しかし、帰って来てから、二人は具体的な生活のことを考えると、そのリアリティのなさに逡巡し、戸惑った。つまり、もしそのマンションで住むとなれば、母を一人ほっておくことになってしまう。それは長男としての責務を放棄することになり、実行は許されない。姉妹達からの非難が目に見えていた。そんなことで、結局は、数日後に断った。
 そうこうしている内に、ある晩、雅子が「手が痛い」と訴える夢を見て目が覚めた。四月半ばのことで、一考は、早急な決断を余儀なくされ、今の部屋のリフォームしか現実的な対応策がないという結論をださざるを得なかった。
 早速、以前に今の家の建築を頼んだプレバブメーカーに連絡を取って、リーフォームの意向を伝え、大よその見積りを出すように要請した。営業の担当者となった下田さんはこの七月末が定年だということで、最後を飾るという意味で記憶に残る立派な仕事にしたいと意欲盛んで、いろいろと知恵を出してくれた。その中には、身障者対策だということで、介護保険の適用が効き、最高二十万円が戻って来るとのおいしい話もあった。その際、必要な手続きは自分の方でやるから任せて欲しいと心強い話だった。
 一考は、予てから考え通り、寝室、リビング、キッチンを一階に移動させ、バスを身障者用に作り変えたいと申し入れた。下田さんは、この機会に経済的に有利なオール電化に切り替えを勧めてくれたので、それをも受け入れ、業者との正式な契約を締結した。ゴールデンウイークを直前に控えた四月末のことで、雅子がまだ左腕にギブスをしたままの状態だった。工事屋さんの都合で、少し間をおいた五月末からの施工開始となった。(以下、明日に続く)

タグ : 民法772条 安倍総理 パーキンソン病

156 たどたどしい優勝スピーチ

 清々しいニュースターの登場である。高校生の石川遼選手が、男子プロゴルフツアーで優勝した。15歳7ヶ月、世界最年少のVだという。17番でのバンカーからのチップインが決め手となったようだ。初出場で初優勝。何とも頼もしい。その優勝スピーチのたどたどしさに、これまた何とも言えない新鮮さがあった。
 人間にはいろんな才能を潜在的に持っていると言われるが、それを見つけ出して開花させてあげる周りの環境が大事で、6歳からゴルフを教えたお父さんの指導が何よりも大事な切っ掛けだったように思う。顧みて、自分が子供の何もして上げられなかったことをしみじみ思う。

連載(121) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(10)

 その骨折の二日後に、一年ぶりに滋賀医大でのMRS追跡診断を受けた。骨折で診断が可能かどうか心配したが、幸い支障がないということで、予定通り実施された。診断は、機器が空いている時間帯で行なわれるため、病院で6時に待ち合わせての診断開始で、終わると8時近くになっていた。前回よりも長時間を要した。新たな項目についての検査が加わったためと言うことだった。
 この測定診断で、病気の進捗具合が数値化されて出て来るので、どの程度 悪化が進行しているかが定量的に分かるので、一考はその変化の大きさに強い関心を持っていた。結果は次回の定期診断時に報告を受けることになっていた。
 その間、岩森医院での骨折部の点検、診断を受け、骨はうまく繋がっていることを確認し、腕の形状の補正などの調整が行なわれた。筋肉が硬くなり始めていて、動きが悪くなり始めている腕であるだけに、ギブスを外した以降の動きが心配だった。
 MRSの診断報告は、4月13日の定期診断時に春日医師から聞くことが出来た。それによると、運動能力関連機能が、この一年で大幅(30%程度)に低下していたが、知能部分の能力には殆ど低下が認められなかった。このことは、近い将来に、手足の動きが更に悪くなることが懸念され、一考の脳裏では、不安が更に深まったのだが、その一方で、いわゆる、認知症の心配は、当面は避けられそうということで、ともかくも大きな不幸中の小さな幸いを思うのだった。介護する立場からは当然な感情で、幾ら尽くしても、理解されない状況になってしまっては介護の遣り甲斐がなくなってしまうからだ。
 かくして、左手の手首にギブスをしての片腕での生活が始まったが、それは予期以上に大変だった。もともと左手が使いにくくなっていた訳だから、直接的には影響は目立たなかったが、手首付近をガードしなければならなかったことから、いろんな面で神経を遣う生活を余儀なくさせられた。
 この頃になって気が付いたことは、足が自由に動かなくなり始めたことだった。捻挫でギブスを着けていたのが影響したのか、正座が出来なくなり、足の形も少し歪んでいるように見えた。特に顕著な変化は、僅か数センチの段差にも足がスムーズに動かず、移動には、結構な時間を必要とするようになった。また、歩行の進む先にスリッパやちょっとした障害物があると、反射的に足が竦む症状が目立ち始めた。
 特に、風呂に入るのが厄介で、バスタブへの出入りの際に、まず右足を上げるのだが、その時にバランスを崩し易く、身体を支えることと、更には、手をサポータで吊り下げていることから、左足を持ち上げてやることが必要になり始めていて、厄介な仕事が増えたのである。
 そんなことで、二階に生活の主体を置く今の生活スタイルには無理が出始め、早急にその対策を講じる必要が出て来たのである。一考は、その対応で迷っていた。(以下、明日に続く)

タグ : 石川遼 MRS

155 発言の重み

 今朝のTBSの時事放談での感想を二つ取り上げる。
 一つは、この対談での自民党元幹事長、野中広務氏の出演である。同氏は例の日本歯科医師会からの献金、一億円授受の場にいた一人で、その事実を否定している立場にある。幾ら、高邁な意見を述べられても、そのことを明確にしない限り、その発言には何の重みもないことを本人は自覚すべきだし、番組を作っているTBSが同氏を出演させる見識を疑うことにならざるを得ない。
 もう一つは、その中でも取り上げられた話題で、先日の天皇陛下の記者会見(?)での発言で「自分は個人的なことで外国訪問はしなかった」と、暗に、皇太子に意見をされたように受け取れた。このご発言の持つ重みは、格別のものだと受け取ったのは筆者一人ではないだろう。天皇家のコミニケーションがどんな具合になっているか知らないが、こんなことは、天皇が直接皇太子に伝えられたらいいことで、何も公式の会見で言わなくてもいいのではと思うのだが。直接、お話になるような機会はないのだろうか?

連載(120) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(9)

 案の定だった。レントゲン撮影の結果、手首の骨折が判明した。打ち所が悪かったのだ。医者のメモに「櫈骨遠位端骨折」という難しい名称が書かれていた。足の捻挫で二週間強のギブス生活の苦しみからやっと抜けたばかりで、まだその状態もすっきりしていないのに、今度は手首にギブスをしなければならない。大変な生活に逆戻りと思うだけで、一考はうんざりするのだった。それでも、この骨折が左手だったことが幸いだったとプラス思考で捉えることにした。若し、右手であったなら、両手が使えない生活を余儀なくされてしまうからだ。かくして、再び、食事、風呂など全ての日常生活に窮屈で大変な生活が始まった。
 この事故には、一考が、それまで以上の「れば」「たら」を考えてしまう裏話があった。それには、このお墓参りを、母親と一緒に行くことになった経緯から話さなければならない。
 母親と一緒にお墓参りをしたことは、今までにも何回もあった。しかし、その都度、スローペースの母親を連れて行くのに、時間が掛かり過ぎるので面倒になって、一考の考えで、最近では、声を掛けるのを止めていた。ところが、少し前に雅子が姑と話している時だった。
「お墓は沢山の人がお参りしてあげた方がお父さんも喜こぶんじゃない」と義母が口にしたのである。
「それは、そうでしょうね。今度行くときは、声を掛けますから、是非、ご一緒してください」雅子はそう言って、その場を繕った。そこには、最近、二人が声を掛けていないことを不満に思っていた義母が、嫁に気を遣いながら、婉曲的な表現で伝えようとしたのだが、それが、却って皮肉に受け取れるという、二世帯家族の無駄な神経の使い合いの悪循環があった。
 しかも、この話には更におまけが付いていた。その日の朝になって、風も強く天候も怪しげだったし、雅子の調子も今一つだったので、翌日に延期しようかと、婉曲的に母に伝えたのだが、耳が遠い母には主旨がうまく通じず、珍しく母親が、明日が月参りの命日だからと主張し、結局、予定通りお参りに行くことにしたのだった。それが、思いも寄らない事故に繋がったのである。
 それだけに、余計に悔やむことになる。もし、この日のお参りを取りやめていたらと思いたくなるのだが、先日のご近所でのお土産の手渡しで転んだように、このところの、雅子の足腰の弱りは進んでいただけに、早晩、そんなことになっていたのかも知れないと、二人は、解釈するようにしている。
 結果的には、この事故以降の雅子の症状の悪化は、皮肉なことに、それまでのゆっくりとした変化と打って変わって、目に見えるハイスピードで進むことになるのだ。(以下、明日に続く)

タグ : 野中広務 天皇家のコミニケーション 櫈骨遠位端骨折

154 喧しい外野席

 29時間ぶりに犯人は逮捕され、長久手町で起きた立てこもり事件は一段落した。林一歩巡査部長の尊い犠牲は痛ましく、ご家族のお気持ちを思うと胸が痛む。
 この事件は、終始メディアが逐一報道していたことから、その推移は事細かく見ることができたが、途中での外野席の喧しさには違和感を覚えた。「戦術が稚屈、何をもたもたしている、思い切って踏み込め、射殺してもいい」といった類の外野席の声を、メディアもこぞって伝えていた。特に、浅間山荘事件で名を上げた佐々淳行氏は声を荒げていた。
 過去の経験を生かすことは大事だ。しかし、それぞれの現場の状況は全く同じとは言えない。その現場にマッチした最適な戦術が必要で、任せた以上は、もっと現場を信頼すべきである。佐々氏の意見などは、報道を通じて言うのではなく、直接現場の責任者に丁寧に伝えるべきものだと思う。メディアも反省すべきだ。
 それにしても、この事件の原因が家族間のトラブルだと聞くと、犠牲者となられた林さんの遺族には堪えられないように思う。

連載(119) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(8)

 2006年4月3日、忘れられない事故が起きた。雅子の症状を急激に悪化させる起爆剤となった事故だった。一考が悔いることになった、「れば」「たら」の最大の事例である。
 それはお墓参りに出掛けようとした時に起きた。母親を連れて行くことにしたのが、そもそもの事故の伏線だった。
 一考が車を車庫から出して来て、母と雅子が待っている門の前に停車させて、二人を乗せるため車を降りようとした時だった。「あっ」という声が聞こえた。一考は急いで声の方向に車の後ろを回ったところで、雅子が転倒し仰向けで門柱の横の石垣を背に横たわっていた。雅子は自分でも何が起きたのか直ぐには理解できなかったようで呆然として身動きもしない。傍では年老いた母が助けようとして前屈みになっていた。そして、もう一人、その声を聞いて、久子が奥から素早く駆けつけて来ていた。一考は、皆を制しながら、ゆっくりと雅子を抱き起こした。幸いだったのは、その石垣で頭を打たなかったことだった。
 ともかくも、母と雅子を車に乗せてから事情を確認すると、車が止まったので、雅子がドアを開けて母親を乗せようとしたのだが、車を止めた路面が蒲鉾上になっていたため、右手に充分力が入らなくて、バランスを失い転倒したというのだ。いつものように雅子の思いやりが作動したが、身体が着いていかなかったために起きた不幸だった。ともかく、この時点では、雅子も特に痛みを訴えることもなかったので、このままお墓のある三井寺霊園に向かった。
 雅子が手首の痛みを訴え出したのは、墓掃除を終え、お参りを済ませて帰って来てからのことだった。一考が心配になって雅子の手首を見ると、少し色が変わっていて、明らかに腫れていた。これはただ事ではないぞと不安を抱き、掛かりつけの浜大津にある岩森医院に急いだ。(以下、明日に続く)

タグ : 長久手町立てこもり事件 林一歩 佐々淳行

153 長久手の戦い

 長久手と聞くと、秀吉と家康の戦った「小牧・長久手の戦い」を思い出すが、そこで、人質を取っての立てこもり事件が起きている。駆けつけて撃たれた巡査部長が5時間も放置されていたのが痛ましいが、その救出に当たった際に、一人の機動隊員に流れ弾に当たって犠牲者となった理不尽さにも胸が痛む。ドラマで見たような、或いは何回かあったような気のする事件である。一刻も早く、解決して平和の街に戻って欲しい。
 昨日、朝鮮半島では、56年ぶりに南北が連結し、南北朝鮮縦断鉄道が運転された。朝鮮動乱で途絶えて以来、半世紀余りを経ての連結は歴史的にも意味が大きく、これが切っ掛けとなって、一日も早い南北の和平が進むことを願いたい。余談だが、そのインフラの南北縦断鉄道は日本軍が作ったものだと聞くと、何だか複雑な思いである。

連載(118)難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(7)

 この温泉旅行には、少し痛さを伴うおまけ話がついていた。帰宅後に、雅子が買って来たお土産を近所の方に届けに、一考と二人で出掛けたが、その玄関先で、まさにお土産を手渡そうとした瞬間、身体のバランスを失い転倒した。傍にいた一考もそれを避けられないほどの一瞬の隙を突かれたものだったが、幸い、骨折などの大事に至らず、足のすねをすりむく痛い思いだけで済んだのは幸いだった。
 その翌日、久し振りに、一考と雅子は揃って散歩に出掛けた。運動不足解消を期したもので、先の捻挫の影響を確認する意味もあった。従って、疲れがたまらない様に、のんびりと二人で楽しもうというつもりだった。それが、なんと往復10Kmの遠距離をこなしたのである。もちろん、途中で昼食を取るなどのんびりとはしていたが、雅子が、そこまでついて来るとは思ってもいなかった。前日の転倒の影響は全くなく、健康的な一日を過ごした。要は、気をつけて歩けば、10Km程度は問題ないということを確認できてほっとしたのである。
 それから、数日後のことだった。夕方、用事があって一考が階下に下りたところ、風呂場から雅子の助けを求めるか細い声があった。何事かと思って覗くと、雅子が湯船の中で立ち上がれないともがいていた。一考のサポートでやっとのことで風呂場を脱出したが、二階に戻るのに四苦八苦で、雅子の体力の低下に、一考は、改めて先行きの不安を覚えた瞬間だった。
 その日から、一考はいろいろと思い悩むのだった。近い将来、雅子が歩けなくなることは容易に予測された。それに対して、どうすべきか。頭の中でいろんな思いが駆け巡っていた。このままの2階を主体とする生活には無理が来ることは目に見えている。改築が必須となるであろう。地主の母親は許可してくれるのだろうか。
 翌日、左手の自由が利かなくなって久しく、片手での入浴では身体を洗うのが不十分とみて、雅子の入浴を手助けしたのだが、手足の弱体化改めて知ることになり、一考の不安は増幅されるのだった。(以下、明日に続く)

タグ : 小牧・長久手の戦い 立てこもり事件 南北朝鮮縦断鉄道

152 血の繋がりって?

 会津若松で起きた猟奇事件、内容が明らかにつれ、理解に苦しむ事実が次々と出て来ている。未だに反省の言葉や母親に対する証言もないという。動機を聞かれても「別に、別に」としか答えていないそうだ。掃除に通っていた母親は、少年にとっては何だったのだろうか。
 生徒を集めて話す校長先生の話は、この種の事件には珍しく説得性が感じられた立派なものだった。難しいのかも知れないが全貌解明が待たれる。
 赤ちゃんポストに関して、21年前に群馬県で同趣旨の「赤ちゃんポスト」が設置されたいたことを報道で知った。吉川英治文学賞受賞者の品川博さんが私財を投じて設営したもので、6年間で10人を育てたという。中には既に結婚もされていて、親の大事さを身を持って実感していると言う。そして、それでも、生みの母親に会ってみたいとの希望を持っておられる方もあるそうだ。血のつながりの重さを改めて感じている。
 血の繋がりには関係ないが、期待していた党首討論だったが、迫力は今一つだったように思う。小沢一郎党首の取り上げた課題が国民の関心事からずれていたように思う。やり取りを聞いている限り、内容はともかく、安倍総理の口数の方が強く印象に残っている。

連載(117) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(6)

 雅子の兄嫁や姉達も雅子の病気を心配して、いろいろと気を遣ってくれていた。前年の九月には、長女の霧子の誘いで、三人の実の姉妹で湯ノ山温泉に一泊旅行をしていた。今回は、兄嫁の香子さんからの発案で、やはり一泊で、少し足を伸ばし、城崎温泉へ行こうというのである。この話が持ち出されたのが、雅子が捻挫をする一週間ほど前の3月初めのことで、思わぬアクシデントで、その可否を心配していたが、幸い、足もほぼ元に戻ったということで、予定通り3月23日、四人は思い切って出掛けることになった。長兄のはからいもあって、経費の一部は兄が支払ってくれるという。
 その朝、一考は京都駅の山陰線乗り場まで雅子を送って行った。お天気は好天とは言えなかったが、いわゆる花曇で、温泉旅行にはもってこいの感じであった。世間では「ライブドアのあの偽メール」事件で騒がしかったが、女性三人の話題になるようなものではなかった。長女の霧子と次女の伸子は、先の湯ノ山温泉で一緒だったので、その時点での雅子の症状は把握していたが、長嫁の香子は、久し振りの対面になるだけに、その変わりようにびっくりするのではとの配慮から、一考は、前もって、その症状について触れておこうと先手を打って話しかけた。
「お姉さんたちの想像以上に、雅子の症状は芳しくありませんので、驚かないで下さい。しかし、口は健康で達者ですから、喧しいかもしれません。宜しくお願いします」多少大げさだったが、一考は、ジョークを交えながら皆の注意を喚起した。
「そうなの? そんな感じはしないけど。旦那様が、ちゃんと、左手の役割を果たしてくれているからなのね」今回の旅行の言い出しっぺである香子が、いつものように愛想よくその場を盛り上げた。自らが前に言った「左手の役割」を出す辺り、香子もなかなかの役者だと一考は受け取った。
「そうね。この前とそんなに変わっているとは見えないけど? 任せておいて。大丈夫よ」霧子もそう言いながらも、少し曇った顔つきであったが、明るさを装って雅子の手を取ってくれた。いろんな姉妹もいるが、雅子の場合は、皆が明るくて優しい。「持つべきものはこんな姉妹だなあ」と一考は思った。
 翌日の夕方、前日と同じホームで、一考は四人を迎えた。雅子は「とても楽しかった」と嬉しそうに笑顔で微笑んでいたが、実際には、旅行中は大変だったらしい。生憎、部屋が二階だったことからも、その上がり下がりなど、姉達が肩を貸してくれて頑張ったらしい。風呂場でも、幸い他の客がいなかったこともあって、あれやこれやと皆が総がかりで雅子の面倒を見てくれたようだった。お陰で、久し振りに楽しい一夜を過ごし、精神的に羽を伸ばした束の間のひと時をエンジョイ出来て、肉体的にも、精神的に温まった温泉旅行だったようだ。次なる悲劇が、その後間もなく、雅子を襲うのだが、この時点では、誰も知る由はない(以下、明日に続く)

タグ : 猟奇事件 赤ちゃんポスト 品川博 吉川英治文学賞 党首討論

151 理解を超える驚き

 福島県の会津若松市で起きた17歳の高校生が犯した猟奇事件には、驚きを超えたものがあって、適当な言葉がない。両親に手を出す犯罪は増えているようだが、犯行後、首を切断して持ち歩くと言う行為には、身の毛のよだつものを覚える。10年前の幼児の首を校門に置いたあの酒鬼薔薇斗の事件が思い出される。とにかく、何があったのかを明らかにして欲しい。
 熊本の赤ちゃんポストで3歳の男の子が入れられていた事実にも、同様の驚きである。恐らく、新幹線に乗って連れてきた親は、今、その反応の大きさに戸惑っていることだろう。今一度、受け取りに現れることを願っている。
 別件だが、今日の午後、久し振りに党首討論が行なわれる。これこそ、理解し易い、建設的な楽しい議論の展開を期待している。特に、小沢一郎さんの仕掛けに注目している

連載(116) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(5)

 この頃から、生活スタイルに変化が出始めていた。一考が、今まで以上に雅子の仕事に取って代わらなければならなくなっていた。
 一番大きな変化は、料理を一考がやらざるを得なくなったことだった。長い間単身赴任生活をして来たが、いつも、そのまま食べられるものを買って来て、あっためたりする程度で、まともな料理は全くやったことがなかった。
 メニューを考えるのは雅子だが、それに応じた買い物は、この時点では、一緒に出掛けていた。そして、雅子の指示、レシピーに則って、一考が料理を担当する形となった。というよりも、そうならざるを得なくなった。自分達も分だけを作るなら、味や見栄えはどうでもいいのだが、母親の分はそういう訳にはいかなく、その辺りの対応は容易でなかった。
 想定外の雅子のアクシデントが起きて、自由が利かなくなった以上、母親の世話は、食事も含めて、久子らに任せればという考え方があるかもしれないが、一考は、それだけは避けたいと思っていた。何故なら、そうでなくとも、大学を卒業後、勝手に東京へ行っちゃって、長男でありながら、家の事は何もしていないという指摘、更には、事ある毎に、親孝行らしきことは何もしておらず、全て自分がやらねばならないと言われることへの抵抗、プライドがあったからだ。
 従って、あの捻挫以降、一考の仕事は、それまでとは大きく変化せざるを得なかった。朝起きると、雅子の着替えを手伝い、自分達の朝食の用意をし、それが終わると、食器洗いを含めた後片付け、母屋の仏さんへの配膳、雨戸明け、洗濯、それを干す、そして、母親を含めた自分達の昼食の用意、昼食、その後片付け、買い物、夕食の準備、洗濯物の取り込み、夕食の配膳、後片付け、更には雅子を風呂に入れること、などなど、多忙な段取りをこなすことが必須作業の定番となって行った。
 しかし、まだこの時点では、幸いなことに、雅子は一人で食事が出来たし、トイレも自分一人で可能だった。(以下、明日に続く)

タグ : 猟奇事件 酒鬼薔薇聖斗 小沢一郎

150 国民投票法案成立

 昨日、漸く、国民投票法案が成立した。現憲法で定められている96条の具体案がやっと決まった訳で、取り敢えずは一歩前進だと思う。とにかく、この60年間、この憲法問題を口にすることすらタブー視されていただけに、一つの壁を乗り越えた達成感は大きい。
 幾つかの問題点が指摘されている中で、最低投票率の問題があるが、筆者は、ともかく決めなくてもいいのではないかと思っている。投票しない人の背景を考察すると、1、どうでもいいと権利放棄している人、2、時間がなくて行けない人、3、身体が悪くて、投票したくても行けない、出来ない人、などが考えられる。このような人たちがどのような比率で存在しているかは分からないが、1に属する人たちは他の人たちに委託したと考えればいい。2のグループの人たちは期日前投票の活用を勧める、3のグループの人たちに、何らかのサポート(代理投票など)を検討すればいいのではなかろうか。
 全くの別件だが、今、テレビの情報で、熊本の赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)の初日に、3~4歳の男の子が入れられていたという報道があった。「そうなのか」といった思いが複雑に筆者の胸中を駆け巡っている。暫く、様子を見守りたい。

連載(115) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(4)

 捻挫した足にはそれほどの痛みはなかったが、雅子はとても憂鬱だった。とにかく、何事も一考のサポートなしには出来なくなったからである。二階に生活の基盤があっただけに、階段の上り下りが大変だった。下から押してもらったり、支えてもらったりしての階段の上り下りとなった。トイレと風呂が階下にあったから、その都度、そのサポートは欠かせなくなった。もちろん、風呂は当面見合わせていたが、衣服の着替え、洗濯、食事などの日常の生活も、大半は一考のサポートが欠かせなくなった。不自由さが、雅子の気分を滅入らせていて、表情が浮かないものになるのは、致し方がなかった。
 思わぬアクシデントで、雅子は、病状が一気に悪化したような落ち込んだ気分になっていた。自分で自由に動けないほど面白くないことはない。一考が、その都度サポートしてくれるが、それだけにあまり迷惑を掛けないようにと余分な気を遣うことになる。
 二日目になって、ギブスの樹脂が脚を痛みつけるので、佐藤病院を訪れ、少しその部分の樹脂を切ってもらって、痛みを和らげた。
 木曜日以外の母親の食事は、雅子が担当していたのだが、この間、一部を久子や長女の綾子の助けをもらうことにした。改めて思うのは、自分達の食事は、見栄えや味などに拘らなくて済むが、他人に食事を用意する場合はそうは行かないだけに、結構、厄介な仕事だということを改めて思う。
 注文しておいた電子治療のドクタートロンが届いたのは2月20日のことで、その日から、就寝時の照射をも受け始めた。血行が良くなれば、治療に効果が現れるはずであり、そのことへの期待は大きかった。捻挫の不自然な体勢での就寝となったが、夢の中では、電子線照射に血が活性化しているように感じていた。
 そして、待望のギブスを外してもらったのは、捻挫から2週間後の3月2日のことだった。足型は少し変形したものになっていたが、それでも、直ぐに、よちよち歩きを開始した。赤子が歩き始めた時と同じように、漸く自由を回復できたことで、雅子に明るさが戻って来ていた。
 そして、翌日には、早速、友人の前田さんたちのグループとの昼食会に声を掛けてもらって出掛けた。病気そのものの症状の悪化に、今回の捻挫の後遺症もあって、よちよち歩きで不安定ではあったが、友人達に支えられての嬉しそうな顔つきは久し振りのものだった。食事もみんなの手助けで何とか食べられて、束の間の楽しいひと時を過ごした。こんな時にこそ、場を作ってくれる友人は「有難い存在だ」と改めて思うのだった。(以下、明日に続く)

タグ : 国民投票法案 96条 赤ちゃんポスト

149 女神が操る「流れ」

 スポーツやゲームなどでは「流れ」はどちらを向いていると言う具合に、多用されている便利な言葉である。「勝利の女神が向いている」といった雰囲気を表す分かり易い言葉だが、実態は、その女神が見える訳でもなければ、手で掴めるものでもないだけに、極めて抽象的な捉えどころがない言葉である。
 不動祐里選手のファンである筆者は、昨日は、朝からインターネットによる日本女子ゴルフの速報と録画によるテレビ放送に引き付けられていた。6ホールという長いプレイオフの結果、不動選手の期待していた復活優勝はならず、逆に金美貞選手の、日本で初めての3週間連続優勝を果たした。
 手に汗する熱戦で、「流れ」は不動にあって有利と思われたが、終盤で追いつくきっかけとなった金美貞のチッップインイーグルが、その「流れ」を大きく変えた。女神が操る「流れ」は浮気性でもあって、ちょっとした事で変わるところにドラマ性がある。しかし、その切っ掛けはやはり本人の力で呼び寄せるものなのであろう。不動祐里選手の今後に期待している。
 一方の米国でのLPGAの今朝の結果を見ると、宮里藍選手は、この日2オーバーと今一つの結果で6位に終わっている。ここでも、初優勝の壁は厚かったようだ。因みに、筆者は宮里選手のファンではない。不動選手の持つ謙虚さが筆者にはなじんでいるからである。
 ところで、昨夜のプロ野球では、今シーズンでは巨人が珍しく連敗、阪神が9連敗後4連勝だった。この「流れ」をどう読んでいいのか、今後が楽しみである。
 また、安倍内閣も、ここに来て支持率が少し回復基調にあるという。この「流れ」の先行きも興味はつきない。参院選を乗り切れるかが、当面の興味の焦点だ。それよりも、筆者自身の人生の「流れ」であるが、混沌としていて、全く先が読めないのが苦しい。女神がいなくなったのかとさえ感じる今日この頃である。

連載(114) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(3)

 いつもは、自分が姑を連れて来る病院なのだが、立場が逆転して、初めて、自分が診察を受けることになって、雅子も戸惑っていた。痛い足を引きずっての診察だった。
「やはり、軽い捻挫ですね」レントゲン写真を見て、佐藤医師は、薄くなった頭を撫でながら、優しい口調でそう告げた。
「やっぱり、そうですか」一考は、やや気落ちした気分で、雅子の顔を見た。きちんと付き添っていなかったという自分の不注意が生んだ事故の被害だけに、一考は、申し訳ない気持ちになるのだった。昨日の出掛ける際に、しっかりと振込先をメモしていれば、こんなことにならなかったのにとの悔やみがあった。この「れば」が、一考が悔やむ二番目の「たら」「れば」である。
「少し、不自由で大変ですが、ギブスで固めておきましょう」佐藤医師はあくまでも優しく慎重である。
「お手数ですが、宜しくお願いします」一考はそう言って頭を下げた。妻のギブスは、初めての経験のはずだ。自分のサポートが、パーキンソン病だけではなく、こんな形で、欠かせなくなったことに苦笑するのだった。ギブスをはめてもらっている間、待合室で待ちながら、本当に何が起きるか分からないと自らに言い聞かせていた。
 手当てを終えて、病院から出ようとして雅子の肩を支えたものの、うまくバランスが取れず、ひっくり返りそうになって、一考は戸惑った。松葉杖を借りたものの、直ぐには使えない。片足で歩こうとするのだが、慣れない雅子は、うまく歩けない。一考が身を挺して懸命に支えるのだが、それでもよたよたとよろけてしまう。見かねた看護婦さんが駆け寄ってきて助けてくれたが、これから始まる大変な生活に不安を覚えての帰宅だった。(以下、明日に続く)

タグ : 不動祐里 宮里藍 金美貞 安倍内閣

148 壁を突破できるか?

 昨日から今朝に掛けて、日米のそれぞれの女子ゴルフツアーで特筆すべき期待の動きがあった。まず、日本では、福岡で行なわれているヴァーナルレディースの二日目で、ここ一年以上に渡って不振を続けていた不動祐里選手が、なんと脅威の7アンダー、ノーボギで、通算ー8でトップに立った。2位に3週連続優勝を狙う金美貞選手が3打差でつけている。何しろ、六年連続賞金王になった不動選手の意外な不振が続いていただけに、今日の最終日の展開が大変興味深い。
 一方、米国のLPGAでは、宮里藍選手が、今朝の結果で、前日までの31位から一気に3位タイに浮上、これまた5アンダー、ノーボギーで首位と4打差で初優勝に期待が掛かる好位置につけた。優勝が近い近いと期待されながら吹っ切れていない宮里選手にはまさに絶好の好機と言えよう。
 不振の壁の不動、初優勝の壁の宮里、更には3週連続優勝の壁の金美貞の3人が、それぞれの難壁打破に立ち向かう。中でも、不動ファンの筆者には、今日は、朝からインターネット速報から目が離せない。
 壁、難敵といえば、北朝鮮拉致被害者の救出も気になるところだが、未だにその手掛かりさえ見出せていない。安倍総理以下の関係者の手腕に掛けるしかないようだが、被害者家族の忍耐力にも、限界の壁が迫って来ている。起死回生の打開策はないのか。

連載(113) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状変化(2)

 一考が、待ち合わせ場所のS銀行のATMが設置されている場所に急いで行くと、雅子が浮かない顔で近くにある休息用の椅子に座って待っていた。
「どうしたの?」一考が心配して訊ねると「あなたに笑われるかもしれないけど、駅の階段のところで転んじゃっただの。少し、足首が痛むけど、大したことはなさそう」とはにかんだような顔で、雅子は自嘲的に答えた。しかし、その声には、いつもの明るい張りがなかった。
「馬鹿だなあ、転んだの? 駅の階段って、何処の階段?」いたずらっぽく、一考はそう言ったが、それが、悪夢の始まりの切っ掛けとは思ってもいなかった。
 何事も、事の始まりは静かで、当人達はそれと気づかない場合が多い。推理小説の出だしなどでは良くあるスタイルで、大したことのないような事件から始まるパターンに似た、雅子の転倒事故だった。
「改札を出た二階のフロアーから、手摺を遣って階段を降り、そこから歩道に出るのに三段ほどステップがあるでしょう。そこでなの。そこは手摺も何もない処だったので、突然バランスを失ってひっくり返っちゃったの。うまく手が着けずに足をねじって強く打ってしまった。たまたま、傍にいた人に助けて起こしてもらって立ち上がったのだが、とても恥ずかしかった」雅子の説明では、左手の不自由さから来るバランスの崩れが原因らしい。一考は、自分がそこまで面倒を見てやらずに、急いで分かれたことで、雅子を一人にしてしまったことを悔やんだが、後の祭りだった。
「まあ、これからは、気をつけなくちゃ」そう言って、雅子の様子が特に気になることもなかったので、一考は、とりあえず、振込み作業にATMに向かった
 その日は、そのまま予定通り買い物を終えた後、西武デパートにまで足を伸ばして帰宅した。雅子の足は、痛みがあったようだが大したことはないということで、そのままいつも通りの段取りで夕食を済ませ、風呂に入って寝たのだった。
 事の重要性が判明したのは、その翌朝のことだった。雅子が、足の痛みを訴えたのである。その足の部分をよく見ると、赤くなって腫れていた。これは捻挫か何かをやってしまったようだと察知した一考は、直ちに、近所の佐藤外科医院を訪ねた。いつも、母親を始め、家族でお世話になっている病院である。一考の頭の中では「まずいことになった」という思いが渦巻いていた。(以下、明日に続く)

タグ : 不動祐里 宮里藍 金美貞 北朝鮮 拉致被害者 安倍総理

147 引退

 扇千景参議院議長が7月の参議院選挙にでないということで、実質的な引退を表明した。なんと30年もの長きに渡って参議院議員を務めたからご苦労さんというべきだろう。多くの党を渡り歩き、国交大臣などの多くの要職を務めるなど、実力以上の活躍はご立派である。人生にゆとりをもっての引退は理想的な形である。
 大関の栃東関の場合は、体力尽き果てての現役力士の引退で、これからの親方としての新しい役割が待っているので、扇さんとは少し違った引退だ。引き続きの活躍を期待している。
 仏大統領のシラク、英首相のブレアは、いずれも政治的に追い込まれての不本意な引退というべき形で、今一つ吹っ切れないものがあるのではと思う。
 そう言えば、数年前に、突然の引退勧告に「政治的テロだ」と激昂して引退した中曽根康弘元首相の場合は、本人の意思を無視された異色の引退劇だった。結果的には、今でも、重鎮としての存在感を誇っているから、決して不幸な引退ではなかったと思う。
 筆者も、今の介護する生活を引退したい気持ちがないと言えば嘘になるが、夫としての責務から引退は許されない。これからも頑張って行く。そこには、多少苦しくても、普通の生活では味わえない人間としての格別の喜び、達成感などがいっぱいある。

連載(112) 難病との闘い 第五章 衝撃の症状悪化(1)

 長い人生で「たら」とか「れば」は言って見ても意味がないことは承知の上での話しだが、この雅子の難病に関しても、その発症から悪化して行くプロセスにおいて、今から思えば、あの時、そうでなかったらの「たら」とか、そうでなければの「れば」が幾つか存在する。
 その一つは、雅子から、電話で「やはり、パーキンソン病らしい」という診断報告を聞いた2002年11月21日の時点での、一考が「今しばらく様子を見よう」ということで東京に居残った判断だった。後になって、姉の久子から、「その時点で、どうして直ぐに帰って来て、雅子の傍に居てやらなかったの。夫なら、妻のピンチにそうするのが当たり前だ。特に、もう会社をリタイアして、何も一人暮らしをする理由はなかったはず」と厳しい非難を受けた。
 正直言って、その時の一考の判断は、軸足を東京に置いていたことは事実で、それに、雅子の「日常生活には殆ど支障はない」という現状報告の甘い言葉があったからである。若し、その時、急遽、大津に帰郷していたらというどうなっていただろうか。雅子の心配を二人で受け止めることが可能であったことは確かで、そのことで、症状の悪化が少しでも食い止められたかどうかは分からないが、症状の進行を遅らせることには、多少なりとも貢献していたかも知れないと思うことがある。
 その「たら、れば」の二つ目が、これから話すうかつな事故に関するものである。それは、忘れもしない2月16日、吉田病院での2月度の定期診断を終えて西大津駅に戻って来た直後に起きた。
 この日、一考は、病院に出掛ける直前に、その日の内に振り込まねばならないある支払いを思い出し、西大津駅に向かう途中にあるジャスコ店内のATMで振込みを行なったのだが、振込み先の口座番号を間違えてメモしていたために、支払いが出来なかった。吉田病院での診察の予約時間が迫っていたこともあって、仕方なく、二人は、そのまま近くのJR西大津駅から京都に向かい、駅前近くの吉田病院に急いだ。
 診察を終えて、二人が西大津駅に戻って来た時は、2時半を少し過ぎていた。振込み時間が3時までだから、時間的に余裕がなかったことから、雅子とは、これから立ち寄る買い物先のジャスコ店内にあるS銀行のATM近くで待ち合わせすることにし、駅の改札口を出たところで一旦別れたのである。そして、一考は、スーパーの駐車場に置いてある車で家に戻り、出掛ける前にメモしておいた振込み口座番号を確認して、約束の場所に戻って来た。
 何しろ、スーパーは歩いて五分ぐらいの距離で、雅子が一人で歩いて行っても、何かが起きるとは考えてもいなかった。
 しかし、一考の考え方は甘かった。不幸にも、この短い距離の移動で、この病気の悪化の促進を誘発することになる最初の事故が起きたのである。(以下、明日に続く)

タグ : 扇千景 シラク ブレア 中曽根康弘

146 脱出

 一昨日はオリックスが10連敗、昨日は阪神が9連敗からやっと脱出した。阪神の場合は守護神JFKを使っての手に汗握る好試合だった。ともかく、連敗脱出に成功したことで新たな展開に期待したい。しかし、阪神の場合は、あくまでも今岡選手の活躍が鍵であることには変わりない。
 さて、政界では、平沼赳夫氏が5ヶ月の病気療養から復帰した。脳梗塞からの脱出成功だ。まだ、声が出ないとか完全復帰には時間が掛かろうが、是々非々をはっきり主張する政治家として、その存在感は大きい。今後の活躍を期待している。
 それに対して疑惑から脱出できず、日歯連からの一億円献金で、一転して有罪となった気の毒な村岡兼造元官房長官は、驚きと怒りの記者会見をしていた。上告は当然で、野中広務氏や青木幹雄氏らの献金授受の場の同席者の罪が問われないのは、筆者も納得できない。 
 もう一つ、9日深夜の東京港区のアパートの火事で、脱出できなくて亡くなった二人の幼い子供の死には胸が痛んだ。母親が外出中だった不運で、長男と長女の二人の脱出成功にはほっとするが、母親の気持ちを思うとじんと来る。
 やはり、困難、危機などからの脱出はなんとしても、成功しなければならない。北朝鮮にいる拉致被害者の脱出は出来ないものか。筆者の妻もパーキンソン症候群病という難病と闘っているが、この病気からの脱出に医学の力を期待したいのだが、……。

連載(111) 難病との戦い 第四章 手探りの二人三脚(44)

 翌日の、二日目に顔を出すと、執拗に「旦那さんも、少し照射を受けられたらどうか」と勧められた。しかし、自分は今のところ特に問題はないので結構だと断りながら、昨日の帰りに浮かんだ質問を投げ掛けて見た。
「昨日も、お話しましたが、雅子は月一回の頻度で、パーキンソン病の治療を受けておりますので、次回の診察時に担当の先生にも確認してみたいと思うのですが、この電子照射による治療法は、医学界ではどのような位置づけになっているのでしょうか?」
「そうですね。今のところ、正式な認定は得ていませんが、日本医学協会からの推薦を頂いておりますし、また、NHKの今日の健康のテキストでも広告を掲載させて頂いており、積極的なPR活動を推進中です」指導員はそういうと、資料箱の中から数枚の資料を取り出して一考に手渡した。
「なるほど。そういうことなんですね。とにかく、今、お世話になっている先生にもご意見を聞いて見て、今後の応接を決めたいと思います」一考はそう言ってから、照射を受けている雅子に向かって声を掛けた。
「どうなんだい? 多少は効果がありそうかい?」
「まだ、分からない。効いている様にも思えるし、そうでもない様だし」
「旦那様、そりゃそうですよ。昨日の今日じゃ。もう少し通ってみてください。その内に分かってもらえると思います」指導員は、少々戸惑い気味にそう言って場をとりなした。
 その後、その会場に通うこと14回に及んだが、効果そのものははっきりしなかった。次回の吉田病院での診察の際に、春日医師に「ドクタートロン」についての見解を訊ねたところ、同氏は少考していたが、やがて、次のようにコメントした。
「電子照射を受けること自体には問題はないでしょう。この病気自体がまだまだ解明されていないことが多々ありますので、可能性のあると思われるものには、いろいろと試してみるのもいいじゃないですか」
高価な機器だけに、購入することを迷っていた一考だったが「春日先生にそうおっしゃって頂けるなら、とにかく試してみよう」と、すんなりと購入に踏み切るのだった。雅子のための投資なら致し方がないと、一考は自分に言い聞かせた。
 そのドクタートロンの機器が家に届いて、使い始めたのは2月20日のことだった。この日の雅子は、後述するが、数日前の思わぬ転倒で、左足首を捻挫していて、キブスで固めた痛々しい状況にあった。(この章は今日で完結、明日からは第五章 衝撃の症状悪化、です)

タグ : 平沼赳夫 村岡兼造 野中広務 青木幹雄 日歯連 ドクタートロン パーキンソン症候群

145 方針転換

 滋賀県の自民系会派「湖翔クラブ」が、新幹線新駅の建設の凍結を容認する方針を決めた。これによって、自民党滋賀県連も活動方針を転換し、凍結を目指す嘉田由紀子知事に解決を委ねることになるという。ここに来て、漸く、県民の意思が反映されることになりそうで、喜ばしいことだと思っている。
 かつて、東京都の青島幸男知事が、悩んだあげく都市博中止を決断した事例はよく知られている。一旦決められたことを変えるには、大変なエネルギーを要するが、間違っていることが判断されるなら、それを改めるのは大事なことだ。
 ところで、特待生の扱いで、大学野球連盟は処分せずを決めたと今朝の新聞が報じている。高野連も世論を尊重して方針転換してはどうだろう。気にするほどのプライドではないと思うが。

連載(110) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(43)

 いつも通っていた美容院からの情報で、近くに電子線治療のお試し用の教室があることを知った雅子が、一考の付き添いで、様子見に出掛けたのは、鍼治療を中断した翌週の1月26日(2006年)だった。特に、前知識があった訳でもなかったが、若しかしたら、この種の病気に効果があるのではとの期待もあって、とにかく、覗いてみることにした。場所は、国道161号線の沿線にあって、自宅からは車で10分程度の近くだった。「ドクタートロン、お試し会場」という小さな案内版が入口に立て掛けてあった。
 ドアを開けて覗くと、数人の客と思われる人たちが、黒いゴムのシート上に座っていて、指導員らしき男の話を聞いていたり、週刊誌などをみたりしていた。二人の新入りの顔を見ると、その指導員らしき男が、「いらっしゃい」と愛想よく近寄ってきて、二人を空いている席に座るように声を掛けた。そこにも、やはり、ゴムのシートが座布団のように置かれている。一考は、取り敢えず、雅子の左手の事情について簡単に説明した。
「なるほど。お聞きした範囲では、ドクタートロンのテリトリーの範囲内だと思います。取り敢えず、この上に座って下さい。そうすることで、自動的に電子線照射を受けることが出来ます」
 そう言ってから、指導員は、立て板に水の口調で、この電子線治療の効能などについて述べ始めた。他の人たちも、一緒になって黙って話を聞いている。それによると、神経痛、筋肉痛に効き、胃腸の働きを活発にさせ、疲労の回復、血行を良くし、筋肉をほぐし、筋肉の疲れを取るといった効用があるという。とにかく、何にでも利くと言っているようで、若しかしたら、雅子のこの難病にも効果があるのでは、という気持ちになってしまうのが不思議だった。
「とにかく、暫く通って頂いて、その効果を見て頂くのが言いと思いますよ」指導員は、自信有り気にそう言って、二人を交互に見た。
「幸い、近くですから、そうさせて頂きます。効果が認められるようでしたら、その機器を購入することも念頭に置いています」一考は、決して冷やかしではないと言わんばかりに、購入を口にして、指導員の顔を見た。(以下、明日に続く)

タグ : 新幹線新駅 滋賀自民県連 湖翔クラブ 嘉田由紀子 青島幸男 ドクタートロン 電子線治療

144 パーキンソン病だったイルカの夫

 シンガーソングライターのイルカさんのヒット曲、なごり雪は筆者の好きな歌の一つだ。そのイルカさんの夫、音楽プロデュサー神部和夫さんのお別れ会があったことを昨日(8日)のワイドショーが取り上げていた。その時、たまたま耳にしたのだが、夫の神部和夫さんは、20年間もの長い間パーキンソン病と闘ってこられて、今年の3月21日に、急逝腎不全で亡くなられたということだった。
 パ-キンソン病と聞くと、無関心でいられないのが最近の筆者である。目下、妻が、その難病と闘っていて、この病名を告げられて、今年で4年目だ。イルカさんの場合、20年間も頑張っていたと聞いて、よく頑張ったなあとつくづく思うと同時に、大いに勇気付けられた気がする。
 神部さんは、59歳で亡くなられたのだから、39歳の時にパーキンソン病の発症があったことになり、随分と若い頃から苦しんで、音楽プロデュサーとして頑張ってこられたことになる。
 イルカさんの手記に寄れば、最後の最後までリハビリを続け、生きる努力をされたというから、その生き様には敬意を表したいと思う気持ちでいっぱいだ。ご冥福をお祈りしたい。

連載(109) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(42)

 正月の慌しさが抜け切らない中で、雅子の頭の中では、ある決断を巡って葛藤が起きていた。諦めるべきか、それとも、何とか更新手続だけでも済ませるべきかの迷いだった。運転免許の切り替えリミットが迫って来ていたのである。誕生日が1月3日だから、1月31日が手続きのリミットなのだ。
 一考が1980年から5年間の大阪勤務をしている間に、雅子は、近くの自動車学校で運転免許を修得した。それ以降、二十数年間に渡って、自分の貴重な足として存分に活用して来ていた。日常の買い物から、夫の両親や子供たちの病院通い、夫の送迎、更には友人達とのお付き合い等々と、いわば、自分の身体の一部として備わっているような機能で、その便利さと快適さを満喫していた。自分自身も運転することが好きで得意でもあったし、そのことで重苦しい毎日の生活の気分転換も図れていた。幸か不幸か、義姉の久子が得意でなかったことから、両親の足に関する限り、久子も雅子に頼っていたことで、多少の優越感さえ感じていた。それだけに、それを手放すのに未練がないと云えば嘘になる。
「何かの時に、身分証明書として使えるのだし、そのために持っているのもいいのじゃないかしら」
 迷った挙句に雅子が遠慮気味に打ち出した提案だった。とにかく、今回の切り替え手続きだけは何とか済ませたいというのだ。
「そうだね。可能なら、そうしたいよね。しかし、更新手続きで、目の検査、写真撮影などで、その手の不具合を気づかれないように済ませられるかなあ」雅子の気持ちが痛いほど分かる一考は、婉曲的な言い方で返答した。
「そうなの。それが問題ね。そこで『手がおかしいなど』と指摘されると自分も惨めだし…」自分に言い聞かせるようにそういう雅子がいじらしかった。気の毒だが致し方ない。
「身分証明書の代わりなら、今では住基カードがあるよ」
「住基カード? あまり、使われていないんでしょう」
 そう言いながらも、雅子は、どうやら諦めがついたようだった。
 雅子にしてみれば、このように、今まで得てきた権利、資格、能力などを、一つ一つ失って行くのは、何とも言えない悲しく、寂しいことだった。(以下、明日に続く)

タグ : イルカ 神部和夫 パーキンソン病 なごり雪

143 世論を見て修正

 松岡農水相小沢民主党代表で話題になったあの事務所費の扱いが、安倍総理の決断で、5万円以上のものに領収書を添付することで、漸く纏まりそうだ。参議院選挙を睨んでの国民感情を反映したと思われる。
 一方、高野連も、特待生の扱いで、今までの強い姿勢を改めて、実情を配慮したものが検討されるという。
 いずれも、世論を見ての対応で、その点では、一方的に突っ走るのを改めたのは、良しとしていいだろう。最初から、国民の気持ち、考え方を汲んだ案を出すべきで、後だしじゃんけんのそしりを免れない。
 その点では、これも、あの離婚後300日以内の生まれた子供の扱いは、未だに杓子定規で、今の案(離婚成立後300日以内)では、年間推定2800人程度あると思われる対象者の一割しか救われないという。科学的にはっきりするものを、どうして認めないのか。これでは「間違ったものを登録せよ」ということであり、決して許されるものではない。菅総務大臣を始めとする役人達の石頭を何とかせねばならない。安倍総理の決断を国民は期待している。

連載(108) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(41)

 徐々にではあったが、雅子は左手の動きだけでなく、右手の動きにも自由度が失われてゆくことを気にし始めていた。既に、衣服の着替え、料理などの支障をきたす面では、夫の助けで取り繕っていたが、その範囲は広がりつつあった。
 雅子本人は、可能な限り、夫の手を煩わせたくないとの配慮と、見栄えの良くない夫を友人達には晒したくないという女のプライドから、通院も、最初のうちは「着いて来ないで」と訴えていたのだが、それが一転、10月からは、夫の付き添いを要求するようになった。電車に乗ったり、歩いたりすることは、何とか一人で出来るのだが、診察依頼を出す際に、フィルムファイルに診察券を差し込む作業が一人で出来なくなったからである。
 また、風呂に関しても、それまでは、洗髪も含めて何とか片手で処理してきていたが、やはり、背中を洗ったり、片手では手の届かない部分も多く、遂に、夫の手助けをもらうようになった。年も押し詰まった12月26日のことである。
 もともと、雅子は、夫と一緒に風呂に入ることを好まず、若い頃は、一考が、無理やりに押しかけたことがあったが、ゆっくりと一緒に入るようなことは許されなかった。皮肉なことだが、こんなことで、一考の念願が叶うことになったのだが、この年になっては、色気も何もあったものではな、いわば、雇われた三助のような役割で、洗髪、背中を流すといった作業に精を出すのだった。
 一方の雅子も、まさか、自分がこのようなことを夫に頼むことになろうとは思ってもいなかっただけに、一歩一歩、自分が追い詰められて行くようで、内心忸怩たるものを感じながらも、背に腹は替えられなかった。
「何だか痩せたようだね」妻の身体の変化に、一考は、少々驚いた思いで雅子に声を掛けた。
「そうかしら。体重は減っていないわよ」
 そう言えば、毎朝、測定していた体重には警戒すべき変化は見られていない。気のせいなのだろうと思い直して、しっかりと食事を取るように、今まで以上に配慮することにした。
 こうして迎えた平成18年(2006年)のお正月は、母親を交えて三人で祝った。長男は趣味のラクビー観戦などで戻ってこず、次男たちは横浜の嫁の実家で過ごす順番だったからである。お雑煮は、いつものように雅子が作った。(以下、明日に続く)

タグ : 松岡農水相 小沢民主党代表 高野連 菅総務大臣 安倍総理

142 話題豊富な黄金週間

 相変わらず話題に事欠かないゴールデンウイークだった。
 速報では、フランスの大統領選挙では、初の女性大統領は誕生しなかった。保守系のサルコシ氏が僅か5ポイント差で勝利、日仏関係には大きな影響がないという。また、今朝の、ゴルフのLPGAでの最終日は、首位と4打差でスタートした宮里藍が頑張って一時トップに並んだが、最終ホールでボギーを叩き、惜しくも3位タイに終わった。後一歩が届かない。
 5日に起きたコースター事故は、勤続疲労によるものだと言うが、気の毒としかいいようがない。亡くなられたのが滋賀県東近江市の方だけに、余計に痛みを覚える。
 この一週間、野球界では、日本では、巨人が好調に対し、阪神の低迷が目立つ。今岡選手のカムバックがない限り、或いは、同氏を外さないと、今年の阪神は浮上しないのではないか。
 米国大リーグでは、松坂大輔井川慶の不甲斐なさに怒りを覚えた週でもあった。味方に大量点の援護をもらいながらの不出来はいただけない。いずれの場合も、皮肉なことにイチローや城島選手に打たれて崩れた訳で、見ていていらいらした。しかし、岡島投手の頑張りで救われている。
大相撲で大関栃東が引退する。二回も関脇に陥落してカンバックした頑張りやだったが、病気には勝てない。こうして、また日本の力士が消えてゆき、外国人力士が目立つようになるのも時代の流れなのかと、少し寂しさを覚える。
 おまけの話題、LPGAでの東尾理子選手だが、早くから米国に渡って頑張っているが、このところ出るたびに、殆ど最下位に近い成績で予選落ちしている。気の毒を通り越して、どうしたの?と声を掛けたい。日本の美人ゴルファーは成功例が少ないようだ。もうそろそろ日本にお帰りになった方がいいのではと、他人事ながら思っている。

連載(107) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(40)

 二人の息子は性格面では対照的だが、今までの歩みそのものは、二人は似たような経過を辿っていた。
 長男の太郎は、慎重で粘り強いのに対し、次男は、現代的で何事も積極的だが、大胆過ぎて軽率なところがある。二人は、共に一浪して大学に入った。長男は理系、次男は文系で、陸上部に属していた。長男は博士課程まで進んだが中退して公務員に、次男は、四年で卒業すると一般の企業に就職した。数年後に、事情は違ってはいたが、共に、一度、仕事を替えている。
 案の定、次男の結婚は早かった。その結婚式の披露宴で、一考と雅子を驚かすエピソードが幾つか紹介された。その一つは、入社早々に、ローンで外車を購入したのだが、その車を誰も見ていないということだった。つまり、車が届いた日に、何か操作ミスをして、車が横転し、それをクレーンで戻そうとした際に、うまく行かず、車をちゃらにしてしまったそうだ。命に別状がなくて幸いだったが、そんな話は全く聞いておらず、驚きでびっくりし。要するに、親にもそんな話をしないという大雑把な性格だとも言えるが、今では、結婚して子供ができて、落ち着き持ち始めたことでほっとしている。
 雅子の心配は、自分の病気のことを別にすると、長男が未だに結婚せずに一人で千葉にいることだった。真面目で几帳面な性格だが、女性に対しても消極的で、弟のように自らが積極的に恋愛をリードするタイプではない。誰かいい人がいないものかと思案していたが、たまたま、姉の霧子の伝で、昔の近所におられた方の娘さんが、ちょうど年頃で、千葉にいるから、一度会って見てはとの話を頂いた。太郎が、話に乗ってくれるかどうか気を揉んだが、とにかく、「会わないと何も始まらないよ」と積極的に前に踏み出すことを諭し、何とか会うことに漕ぎ着けた。
 11月26日、その日は好天だった。お姉さんの霧子が一緒なので大丈夫だろうということで、雅子も同行し、姉のサポートで大きな失敗もなく無難にこなした。
 残念ながら、この話は、それ以上進展することはなかったが、雅子は、息子がともかくもこういう場に顔を出したことで、一歩前進したのではと、自らに言い聞かせるのだった。それにしても、女性扱いに不得手なこの性格は、夫から譲り受けたものではないかと雅子は思うのである。(以下、明日に続く)

タグ : サルコシ 宮里藍 松坂大輔 井川慶 東尾理子 岡島投手

141 希望の言葉の宝物

 今朝のNHK7時のニュースの中で、エッセイスト岸本葉子さんらが希望の言葉を募集し、それを纏めていると言う話が紹介された。その中の一つの言葉が次のようなものだった。
 「手のぬくもりがあればいい。傍にいてくれるだけでいい。笑ってくれればもっといい。生きていることが一番だ」
 今、身障者の妻をサポートして頑張っている筆者には、心に滲み込んでくる言葉である。岸本さんも、自分が病気になったときに、その種の勇気付けられる言葉をもらったことが、今の自分の存在に繋がっていると話していた。言葉の力が生きることに大きな力となっている現実があることに、共鳴を覚えるひとりである。
「きらめく言葉は、希望の言葉の宝物」と彼女が結んでいた。近く、本となって出版されるそうだ。

連載(106) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(39)

 11月に入って姉歯設計の偽装が発覚、世間を騒がせる事態に大きく広がり、連日新聞、テレビを賑わせていた。一考は、このニュースを聞きながら、雅子のこの病気が偽装であってほしいと思ったのも、この頃だった。
 心配だった症状は、更に進んで、お魚を焼く場合に、それをひっくり返すことができなくなっていて、一考の手助けが必要になっていた。2005年11月6日のことである。まさに、徐々に、一歩一歩、症状は悪化して行くのだった。
 この頃、一考は、歩きの延長で、この年の7月半ばから始めていた10Kmのタイムトライアルに高い関心を持つようになっていた。今までの歩きに速度を競おうというのである。しかし、もともと心臓に不安を持っていたこともあって、走ることはなるだけ避けて、早足での時間を競うことにした。
 ちょうど、家の近くにある「ぐるっと琵琶湖サイクルライン」の10Kmの表示板をスタート、ゴールとし、東に回って5Km表標識を折り返す往復10Kmコースである。
 朝早く起きての早足は結構気持ちが良くて、途中で山影から姿を見せる太陽に向かって歩くのは、多少の苦しさはあったが、爽快でもあった。湖岸には、早起きの観光客の姿もあった。散歩から始まった歩きも、こうしてタイムを競うところまでなっていて、この4ヶ月で11回のトライアルに挑戦した。因みに、記録した最高は、1時間19分だった。通常の歩きでは5Kmが50分程度であるから、それなりに頑張った早足だった。しかし、このタイムトライアルも、結果的には11月4日の観音寺往復の5Km歩行が最後となった。
 かくして、帰郷してからも挑戦を続けていた「歩き」も、京都市内、琵琶湖一周、タイムトライアルなどの経緯を経て、ここで一旦、終止符を打つことになった。妻から引き受ける仕事の増加で、時間の余裕がなくなったからである。
 一般に、歴史はいろんな形で反映、投影されるのが常である。一考のこのような「歩きの変化」の中にも、雅子の症状の悪化が反映されていて、それなりに興味深く捉えられる。東京での「坂道探しの歩き」から始まり、京都市内の「碁盤の目の街を縦横に歩き」尽くし、滋賀に移って「琵琶湖一周」を歩破、そして、「タイムトライアル」に挑戦、それに終止符を打つという一連の変化が、雅子の症状の変化と密接に符合している。
 いずれにしても、東京での実績を含めたこの四年間での一考の歩行総距離は、3000Kmを越すものになった。それは、日本4列島を縦断するものに匹敵するもので、一考の後半人生を活性化させた大きな足跡だったと言えよう。しかし、その経緯の裏で、雅子の病状の悪化が、じわじわと進んでいたことに、神のいたづらの無念さを思うのである(以下、明日へ続く)

タグ : 岸本葉子 ぐるっと琵琶湖サイクルライン

140 話題の制度

 このところ、特待生制度、赤ちゃんポスト制度(こうのとりのゆりかご)、それに捜査特別懸賞金制度などのいくつかの「制度」が新聞紙上を賑わしている。いずれも、国民の関心は高い。
 捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)は、つい先日の5月1日から実施されている。凶悪犯人逮捕に掛ける警察庁の思いが制度化されたものだが、お金で国民の関心、記憶を呼び込もうとする思考の原点には、少しわだかまりがないとは言えない。しかし、場合によってはリスクを伴うこともある情報提供もある訳で、割り切って考えるべきなのだろう。
 赤ちゃんポストについては、先日も触れたが、命の尊さには異論がないが、安易な物の考え方を助長してはならない。
 高校野球をゆるがせている特待生制度は、議論伯仲である。今朝の読売テレビの「ウエイクアップ」でキャスターの辛抱治郎氏が「ゲームの途中でルールを変えてはいけない」と発言していたのが印象的だ。
 実は、この辛抱氏の発言と同じことを、筆者も会社の現役時代に、社長に向かって発言したことがある。その時、社長は「君ね、今は、そんなことは当たり前になっているんだよ。そういう中でゲームに勝つことが求められているんだ」と返された言葉は、今もしっかりと記憶のボックスに鎮座している。

連載(105) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(38)

 一考と雅子は、性格においても、趣味においても、かなり違ったタイプだった。雅子は社交的で明るい性格に対し、一考は、どちらかと言えばオタクタイプで、取っ付き難い陰気な感じのするタイプである。ただ、長年の会社勤めで、最低限の社交性を繕ろうことを身につけていたので、付き合ってみると、それほどの陰気な感じはしない。
 趣味、好みの面でも、音楽、映画、芸能面に関心の高い雅子に対し、一考は、これといった趣味はないが、将棋、物書き、それに、最近では歩くといった地味なものに関心を持っていた。いわば、洋食に対し和食、ポピュラーソングに対し歌謡曲、文系、理系といった具合に、面白いほどの好対照で、お互いの共通の面を見出し難い間柄だった。やはり、お見合い結婚ならではの珍しい組み合わせと言える。
 しかし、具体的には、野球では、共に阪神タイガースのファンであり、ゴルフでは不動祐里ファンであった。ただ、不動ファンに関しては、最初は雅子がそうであったのだが、テレビなどを見ているうちに、一考が後からこれに乗っかった形で、共通化して行った経緯がある。ビジュアルではないが、強さと謙虚さを持っている不動の魅力に、一考も惹かれていったのである。
 いずれにしても、話題が合うということは楽しいもので、一緒にテレビを見る機会が増え、会話もそれなりに盛り上がりを見せる。特に、この2005年は、阪神も優勝を目指して快調だったし、不動選手も好調で、6年連続賞金王にまっしぐらだったことで、二人は気分的にも乗った形で大いに楽しんでいた。
 ところで、ドライブ好きで、友人達と食べ歩きなどを楽しんだ雅子に比べて、運動神経が今一つの一考は、一時は運転はしないと決めていたぐらいに運転は隙ではなかった。しかし、雅子に代わって担当せざるを得なくなり、走行距離を積み重ねることで、次第にゆとりを持つ運転が出来るようになっていた。
 言うまでもなく、車は移動する機密空間で、二人が会話を楽しむ場として貴重な存在になりつつあった。一考は、雅子の叶わなくなった気晴らしのためにも、ドライブの場を提供すべく、運転技術の向上を期して地道に走行距離を積み重ねていた。
 10月初めには、6時間掛けて琵琶湖一周の234Kmを一人で走ったのもその一環だった。少し前に、自分が歩いて回った道を車でなぞって走ったのである。この時は、琵琶湖の北にある余呉湖や奥琵琶湖パークウエイのドライブウエイをも走破して、奥琶湖の魅力を満喫したが、それは、いずれ、雅子を乗せて走るためのトレーニングと位置づけていた。
 なお、その時には、あの海津大崎近辺で、歩いていた時に偶然に出会って、みかんを投げ与えた猿のことを思い出したが、この時には猿は全く姿を見せなかった。(以下、明日に続く)

タグ : 特待生制度 捜査特別懸賞金制度 あかちゃんポスト 辛抱治郎

139 横山ノック氏死去

 前大阪府知事の横山ノック氏が死去した。筆者の学生時代から社会人の前半は、漫画トリオで活躍していて、社会を風刺したあの「パンパカパーン」で大いに楽しませてもらった。その後、政界に進出した同氏は、一つの時代を作ったが、晩節を汚したことで失脚したことは遺憾なことだった。波乱万丈の人生を精一杯生きた立派な人生だったのではなかろうか。ご冥福をお祈りします。
 波乱万丈と言えば、昨日のプロ野球の巨人ー中日、阪神ー横浜の二試合は、共に「執念」を燃やした戦いだった。巨人ー中日戦は、八回の表に巨人が3点を取った時点で勝負ありと思ってテレビを消したので、今朝、逆転負けをしていると知って驚いた。これで、横浜が3年ぶりの「執念」の単独首位に立った。これからが面白そうだ。
 執念と言えば、筆者が1月に文芸社から出版した推理小説だが、近くのジャスコの旭書店西大津店で、店長の配慮で、平積みしていただいているのだが、ここ暫く、その高さが変わらないままの状態をみていると、自分の子供が置いてきぼりを食っているようで、何だかかわいそうな気がしている今日この頃である。

連載(104) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(37)

 余談を一つ紹介して置こう。この鍼治療には、通算、十三回通ったのだが、一度だけ信号無視でつかまると言うへまを仕出かしたことがあった。
 それは、12月21日の師走も押し迫った日だった。年内の最後の治療を終えての帰り道で、丸田町通りを白川通りの天王町に出る直前の三叉路で、信号を無視したということでの違反だった。交差点に進入して来たときに黄色に変わっていたのが、そのまま行けると思ってアクセルを踏んだところ、赤に変わったのである。どうしようかと思ったが、他に車も走っていなかったことから、急停車するよりは行き抜けた方が安全と判断した。
 ところがである。直ぐに、後ろからパトカーのサイレンの音が近づいて来た。最初は、自分のこととは思いも寄らず、何かあったのかとのんびりとハンドルを握っていたが、助手席の雅子から、「つかまったのじゃないの」と言われてどきりとして、改めて、ハンドルを握り直した。「しまった!」と思ったが、遅かった。どこかに隠れて、違反者が出るのを待ち構えていたと思われる。一考は、サイレンの音に戸惑いながら、車を道の端に寄せて止めた。何しろ、パトカーに追いかけられたのは初めてのことで、何を、どうしていいのか慌てていた。
「信号を無視されましたね。申し訳ありませんが、免許書を見せていただけますか」若いお巡りさんが運転席の一考に声を掛けて来た。思ったよりも丁寧な言葉遣いだった。一考は、戸惑いながら免許書を取り出して見せた。それを確認したお巡りさんは、車を降りてパトカーの方へ来いと促した。仕方なく、それに従うと、所定の書類にサインをさせられて、違反金、9000円を支払うように命じた。「渡るときは黄色だった。本当に赤信号だったのか」と念を押そうとしたが、内心、忸怩たるものがあって口には出せなかった。
「今後、三ヶ月以内に再犯がありますと、免許書に記載されて減点になりますから、ご注意をして下さい」と言われて、書類のコピーを手渡された。
「9000円ですか。痛いですね。ここでは他に車もなく、実質的に迷惑をかけてはいませよ」と一考は苦情を言ってみたが「規則違反には変わりありません」と言われたので止むを得ず諦めて、自分の車に戻った。痛い、痛い失策だった。それから三ヶ月の執行猶予期間は、なんとも気の重い期間だった。
 よく考えてみると、法律違反をしたのは、二十年ほど前に会社の仕事で、談合をしたことで摘発を受けて以来のことだった。(以下、明日に続く)

タグ : 漫画トリオ 横山ノック 執念 パンパカパーン

138 逆風に向かって

 日経新聞夕刊に、先週から昨日までに掛けて、「逆風に向かって飛べ」と題して、竹中平蔵氏へのインタビューが連載された。小泉純一郎ファンだった筆者には、それに全身全霊で尽くした同氏の忠誠心に感動を覚えた一人だ。
 かつて、大臣になる前に、筆者は或るセミナーで同氏のITに関する講演を聴いたことがあったが、ユーモアに飛んだ面白い内容だったことで同氏のファンになった切っ掛けだった。
「すさまじい戦いになる。一緒に戦場に行ってほしい」と要請を受けたと同氏は語り始め 2002年9月、金融担当相を兼務して不良債権処理に切り込んだ初期が一番苦しかったと述懐している。そこを頑張れたのは、小泉さんのリーダーとしての接し方の見事さで「絶対に考えを曲げるな」「君の考え方が正しいと思って任命したんだから正しいと考えたことを、その通りやれ」と励ましてくれたことだという。いずれにしても、そんな素晴らしい上司と5年5ヶ月一緒に仕事ができたことを誇りにしているようで、羨ましく感じた次第である。いずれにしても、日本経済を甦らせた同氏の手腕はお見事だったと言えよう。小泉総理からみれば、その能力を買われた竹中氏は、まさに特待生だったのだろう。今後の一層の活躍を期待している。
 特待生と言えば、高校球界が揺れている。400校に近い高校で、その制度が実施されていたのだから、今や、皆で渡れば怖くないで、続々と届出が相次いでいて、もっと増えるのではとも思われる。「特待生制度」そのもののの良し悪しには、いろんな議論があろうが、誰もが今年の夏の大会への出場を前提に、高校側は「春の大会の辞退」などで、禊を考えているし、高野連の脇村会長の会見を見る限り、夏の大会を成立させる前提での「阿吽の呼吸」での対応で、それは、まさに「暗黙の談合」の範疇に入るもので、大いに疑問を抱くのである。
 筆者は、長期的には、今、常識化している野球留学を規制して、高校生までは郷土を愛すると意識を醸成し、地元での教育を前提とした「特待生制度」を認める方向を打ち出してはと思うが、どうだろう。

連載(103) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(36)

 その頃だった。雅子の姉の霧子から、鍼治療が、この病気に効果的ではないかという情報を持って来てくれた。幼い頃は、一回りも違っていたこともあって、母親のように面倒を見ていたこともあり、妹の不幸をなんとかしてやりたいと、いろいろと気を配っていてくれていた。そのことを、春日医師に相談すると、何でも試してみることはいいのではとのお墨付きを得たので、雅子姉妹は揃って紹介者と一緒に、初めてその鍼治療の先生のところを訪ねた。2005年10月13日のことだった。北区の加茂街道から紫明通りに西に少し入った一角にその鍼治療病院はあった。
 今まで、雅子はこの種の治療を受けたことがなかった。新しいことには躊躇する性格の雅子だったが、とにかく何らかの手掛かりが得たいとの思いも強く、チャレンジしてみようということになった。この時点での雅子の症状は、左手の指が曲がっていて、自由が利き難い状態だったので、どんな効果が得られるのか、様子を見ることになった。
 一考は、元来、そのような理屈のはっきりしない治療には、乗り気ではなかったが、自分の妻の気の毒さを見ていると、若しかして、何らかの効果があるのではとの、藁をも掴む心境で、僅かな期待をするようになっていた。
 治療を受けた雅子の話では、治療そのものは、マッサージでもなく、何か気を吹き込むような神秘的な治療法で、おまじないのような感じもあり、精神的な面での刺激が狙いのようにも受け取れるとのことだった。いずれにしても、二人には、理屈はどうであれ、とにかく、効果がでれば、それはそれで良かったのだ。
 それ以降、向こう三ヶ月に渡って、週一回の頻度で通い続けることになるのだが、最初の頃は、曲がっていた指が伸びるような感じもあって、先行きの展開に期待を持たせたが、結局は、どうも効果がはっきりしないということと、新たに、雅子の通う美容院の店長から、電子治療という新しい治療法の紹介を受けたこともあって、この鍼治療を取りやめることにしたのである。2006年に入って間もなくのことだった。(明日に続く)

タグ : 竹中平蔵 小泉純一郎 特待生 高野連の脇村会長 談合 野球留学 鍼治療

137 AED回生の好リリーフ

 昨日大阪で行なわれていた春季高校野球大阪府大会で、心臓付近に打球の直撃を受けた投手が転倒、脈が止まり、呼吸も停止する緊急事態が起きた。ラッキーだったのは、たまたま休日で観戦に来ていた救急救命士がいて、直ぐにその対応に当たってくれたことだった。殊勲甲だったのは、その時に、生徒達が持ち込んだAED(自動体外式除細動機)だった。これにより文字通り、起死回生に繋がったのだが、筆者が感動したのは、よくぞ、このAEDのことを思い出し、それを速やかに持ち込んだ行為である。
 何事も、緊急事態になると慌てふためいて何も出来なくなってしまうものだが、このことを思い出して運び込んだ行為は、実に立派な行動だった。
 命を救うという点で、いよいよ赤ちゃんポストが10日から運営開始される。「こうのとりのゆりかご」と名付けられているが、どんな結果が待っているのだろうか。悲惨な事件が起きている現実を思うと、そんな対応もあった方がいいと思う一方で、子供を生むという責任の重さをどう植えつけてゆくのか、具体的な教育のあり方が改めて問われている。

連載(102) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(35)

 2005年の夏、時の経つのは早いもので、雅子が吉田病院に通院し始めて、既に二年近くが経過していた。その間の治療を振り返ってみると、最初の一年は、原点に戻って見直すという春日医師の判断で、改めて、基本的な診断から開始された。若しかしたら、パーキンソン病でないかもしれないとの見方をも含めての対応だったので、一考は「さすがに、権威者の春日先生だ」と受け取っていたが、一年が経過した時点で、同氏が出した診断は、やはりパーキンソンの関連の病気だとの診断だった。一考は、密かに「パーキンソン病」ではないとの期待を持っていただけに落胆は小さくなかった。
 その後は、薬の投与による治療が続けられていて、それも、はや一年近くになる。結果的には、最初の日赤での一年間に渡る治療が生かされることなく、改めて薬治療を続けていることに、一時は、遠回りをしているような思いになることもあったが、それは、あくまでも結果論であって、念には念をというその道の権威の治療方針には、それは、それで必要な対応だった解釈している。
 その雅子の左手の指に明らかな変化が出始めていた。それは、親指を除く他の指も曲がり始めたのと同時に、親指に余計な力が入り過ぎる様になってきたのである。それまでは、親指だけが元気があって、いろんな作業はこの親指を頼りとして来たのだが、その傾向が現れ始めると、一旦、何かを握ると、それを離すのが大変で、場合によっては、自分の右手を使って左手を離すといった作業を必要とした。
 例えば、母親に食事を届ける際に、お盆をテーブルの上に置いた後、なかなか指がお盆から離れない。見かねた母親が、それをはがしてくれるような、一見滑稽と思えるような光景も幾たびか繰り返されるようになっていた。これは、先の病院で診断書を提出する際に、フィルムファイルをうまく扱えなかったことに次ぐ大きな症状悪化と言うべき変化だった。
 そして、頼りにしていた左手のその親指が急に他の指と同じように曲がり始めたのは、その後間もなくで、夏も過ぎて秋に入った頃だった。台所でじゃがいもの皮を剥いていたとこのことである。ちょっとしたことで力を入れた際に、急に親指がおかしくなったのである。雅子には、命綱の親指だっただけに、受けたショックは小さくなかった。遂に、左手が使いものにならなくなって、これ以降の日常生活に大きな支障が出始めたのである。(以下、明日へ続く)

タグ : AED 赤ちゃんポスト こうのとりのゆりかご パーキンソン病

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE