プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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471 半世紀ぶりの快挙

 年度末というと、いろんなものの変わり目のタイミングで話題には事欠かない。その最たる話題が、混乱が心配されているのがガソリンの価格だ。筆者も、暫くは、車のガソリンの残量を睨みながらの適切な対応を考えることになる。
 新年度からの新たな動きは、他にも多くあるようで、暮らしの面でも年金、医療で新しい制度が始まるほか、身近な動きでは、食品などの生活に直結する面での値上げが目白押しで、我々の負担増が心配である。
 明るい話題が乏しい中で、前向きの話題を強引に拾い上げてみた。ローカルな話題で恐縮だが、JR湖西線の二つの駅名が改称された。一つは、筆者の自宅の最寄の駅だった西大津駅が「大津京」に、妻が入居している施設の最寄り駅の雄琴駅が「おごと温泉駅」に改名された。いずれも地域活性化の一環で、2週間前から改称されている。大津京と云う名称は、歴史的な根拠が曖昧と云うことで一部の反対意あったようだが、単なる方角を示す「西大津」よりは、歴史を反映させた「大津京」の方が、評価できるのではと筆者は思っている。なお、おごと温泉駅には、新たに無料の足湯が設けられていて、観光客の増加を期待している。さあ、この駅名改称は、本当に明るい話題になるのだろうか、活性化に繋がるのだろうか、先行きを見守りたい。
 さて、そんなちまちました話題はさて置いて、この週末の重苦しい気分を一転、明るくしてくれたのが、あの巨人軍の堂々の3連敗の出だしだ。毎年大型補強に惜しげもなく大金を使っている巨人軍だけに、筆者は堪らない痛快さを覚える。報道によると、ヤクルトが巨人に開幕3連勝したのは、1959年の国鉄時代以来で、50年ぶり、つまり、半世紀ぶりの快挙だという。ヤクルト高田監督の高笑いが聞こえてくるようだ。

2.昨日の雅子(87)
 毎月の最終日曜日には体重測定が行なわれる。昨日がその日で、測定結果は、ほぼ前月並みだった。まあまあ、安定した体調が保持されている。この日も通じがあって、このところは低位安定といえそうだ。

3.連載(436) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(63)
  第三章 施設に戻って (9)

(1)定着への頑張り(その9)
 1月17日は雪が舞う寒い日だった。雅子の大学時代の友人が見舞いに来てくれるという。年賀状を見て、初めて雅子の病気の深刻さを知って心配になり、数日前に電話をもらっていた。お住まいが、大阪の南で大分遠いところだということなので、わざわざ来て頂くということで恐縮していた。
 湖西線の快速が停車する最寄り駅の比叡山坂本駅まで、一考が送迎したのだが、結構雪が激しく降っていたので、その気の毒さに、一考も申し訳なく思うのだった、とにかく、ちょっとした投資だったが、車のタイヤを冬用に換えておいてよかったとつくづく思いながら送迎した。
 部屋にお連れした友人の顔を見るなり、雅子の目には涙がいっぱいになった。友人も駆け寄って雅子に一生懸命話しかけてくれた。雅子からの言葉は、殆ど通じなかったと思うが、それでも、二人は、大学時代のことを思い出し、旧交を温めていた。恐らく、友人は、雅子の変わりように驚かれたと思うが、そんな素振りを見せずに、一生懸命に語りかけてくれた。そこには、雅子の言葉の不自由さも、それほど邪魔にはならないような友人の思いやりがあった。雅子も、何とかその気持ちを伝えようと懸命に頑張っていたが、友人は、自らがその言葉の意味を咀嚼して話しかけてくれていた。雅子は大変嬉しかったようで、在りし日の学生時代のことを思い出しているようだった。
 いずれにしても、病気が病気だけに、この種のお見舞いは、極力、固辞するようにしているのだが、それでも、どうしてもというケースもあって、わざわざご足労頂くことも何回かあった。この施設に入居後も、年末にお二人の方のお見舞いを頂戴したが、雅子の気持ちを推察するに、お会いしたいという気持ちには、並々ならぬものがある一方で、自分の惨めさを露呈することになり、心境は複雑なものがあると見ている。一考自身も、せめて、雅子が、もう少し話ができるなら、そういう機会も意味深くなるのだが、如何せん、今のようにお話が出来ないとなると、見ていて気の毒で、あまり気が進まない。また、折角、貴重な時間を割いて来て頂いた方も、手持ち無沙汰だし、その対応が難しいのではないか。特に、この病気が将来に回復の見込みがあるのなら、それなりの勇気付けもできるが、この病気に限っては、「頑張って下さい」としか適当な言葉がないだけに大変なのだ。
 しkし、そんな苦しい状況の中で、一考なら此処まで頑張れるかと思うぐらい雅子が懸命に頑張っているのをみると、胸が痛くなる。
 いずれにしても、正直な気持ちとして、お見舞いに来て頂くことに、躊躇し戸惑っている今日この頃である。(以下、明日に続く)
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タグ : 大津京 おごと温泉駅 高田監督

470 卒業 竹村健一

 ちょうどこの時期は卒業式の季節でもあり、人事異動の時期である。先日の14日に、敬宮愛子さんも学習院幼稚園を卒業して、4月からは学習院の初等科に進まれる。また。あのジャイアンツの桑田真澄投手もメジャーから戦力外を通告を受けて、爽やかに現役引退を表明した。卒業、引退といった別れ、旅立ちが相告ぐ季節だ。
 テレビの世界でも、コメンテーターの竹村健一氏が、今朝の出演を最後に「報道2001」から卒業するということで、特番が目下放映中だ。同氏は、1979年からフジテレビ系列の報道番組「世相を斬る」の初回からの出演で、以来、ほぼ30年間、独特な個性、話法で存在感を示してきた。筆者も同氏の「だいたいはね!」{モーレツ」「ビューティフル」とか「マクルーハンの世界」といった言葉が強く印象に残っている。まだ、年齢的には80歳には達しておられない若さだが、さすがに言葉がスムーズに出なくなって来ていて、タイミングのいい卒業だと思う。人間引き際、散り方が大事だが、さすがにそのことをよく弁えた人だといえよう。長い間、ご苦労さんでしたと申し上げたい。
 散り方といえば、昨日の高校野球での北大津高校は健闘空しく爽やかに散った。頂上を狙うにはまだ早過ぎたのだろう。夏に期待したい。

2.昨日の雅子(86)
 穏やかな一日。ここでも人事異動の話があって、ついこの間、2Fから移ってこられたばかりの介護士さんが、4月からまた移動される。雅子もちょっぴり寂しそうだった。

3.連載(435) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(62)
  第三章 施設に戻って (8)

(1)定着への頑張り(その8)
 一人の人間のある側面の変化を追跡することで、そこに投影された結果を通して、対象者の人生の歴史の一側面を捉えることが出来る。雅子の美容院通いのここ数年の変遷の歴史も、まさにその一つであって、雅子の難病の闘いにおける症状の悪化の進捗状況をしっかりと捉えている。
 具体的に、この3年余りの雅子の美容院通いの実情を振り返ってみよう。一考が、雅子の異常を知って急遽帰郷したのは2004年12月末だっただが、その頃の雅子は、自分で車を運転して美容院に通っていた。その美容院は、車で10分程度の距離にあるJR唐崎駅近くのビルの2階にあった。
 しかし、2005年2月からは、これ以上の雅子の運転は危険だと判断し、車の運転は一考が取って代わった。従って、雅子も美容院へは一考の運転の送迎で通うことになった。そのやり方は、送って行ってから、一戸は一旦家に戻り、時間を見計らって迎えに行くという形を取った。ビルの2階への階段を上り下りは、暫くは何ら問題なく、雅子がひとりで行なっていた。
 それから一年少し過ぎた頃から、その階段の上り下りには、一考のサポートが必要になり始めた。そのサポートは、、最初は、手を繋ぐ程度の軽いサポートでよかったが、それから段々とエスカレートし、2006年後半には、次第に雅子の身体を抱えるようなサポートが必要になって行った。そして、2006年12月末がその階段の上り下りの最後となったのである。その時点では、しっかりと抱かかえながら階段を一段ずつ、ゆっくりと必死に上り下りしなければならなかった。今では、それも懐かしい介護の思い出でもある。
 かくして、2007年初めからは、車椅子で通えることが出来る近くのスーパーの店内にある美容院に替えたのである。その店には、この施設に入居するまでのほぼ一年間に8回通った。そして、この日の2008年1月16日、この館内のこのお店に、初めてお世話になることになったのである。
 以上が、この3年余りの雅子の美容院通いの小史である。そこに、雅子の厄介な病気の悪化の進行具合がリアルに投影されているのが分かる。それは、取りも直さず、一考の介護の変化の歴史でもある。
 特に、興味深く面白いのは、介護の困難さが、雅子の病気の悪化と、必ずしも正比例しているのではないことだ。つまり、唐崎駅近くのビルの2階にある美容院の階段を、必死に雅子を抱えて上り下りした最後の通いが、美容院通いの介護に関しては最も大変なMAXの状況であったのだが、それ以降は、車椅子を押したり、作業中の途中の洗髪時に、車椅子から専用椅子に座らせる程度の介護で済む訳で、そのMAX時に比べれば、随分と楽になっているのである。(以下、明日に続く)

タグ : 敬宮愛子 桑田真澄 竹村健一 北大津高校 世相を斬る 報道2001

469 道連れ

  道連れと聞くと頭に浮ぶのは「旅は道連れ、世は情け」というフレーズだ。昔のよき時代の言葉で、今の世の中では、うかつに知らない人について行くと、大変な目に会うこともあり、鵜呑みにすると危険である。そういう意味では、道連れは、一般的にはよくない意味で使われることが多い。
 28日未明に東京の文京区で起きた一家六人の無理心中は「道連れ」の典型的なよくない意味での事例だ。筆者が気にしている介護者が犯す介護殺人も「道連れ」の痛ましい事例だ。
 さて、今朝の日経新聞では一面のトップに「道連れ増税」回避と出ている。乾坤一擲で打ち出された福田新提案が宙に浮く中で、国民生活の混乱を避けようとの「つなぎ法案」で、3月末で期限切れを迎えるガソリン税を除く八つの税に関する法案が、2ヶ月延長されたのだ。
 筆者は、アンチ小沢一郎だけに、国民のためという大儀をかざして、政局を睨んでの、現実無視の勝手な論理を振り回している民主党の対応を、はなはだ腹立たしく思っている。確かに、ガソリン代が1リットル当たり25円下がるのは有難い話しだが、その分の財源補填に具体的な名案があるのだろうか。これは他人事ではない。
 別件だが、今朝の米国女子ゴルフツアーの速報では、二人の日本人プレイヤーの宮里藍と上田桃子は、共に予選通過ラインを巡っての戦いだったが、結果的には、宮里が後半にミドルホールでのイーグルがあってパスしたが、上田は完全な予選落ちで、二人は「道連れ」にはならなかったようだ。このところの上田桃子の絶不調が気になる。来週は今年最初のメジャーツアーだけに、心機一転の頑張りに期待したい。
 
2.昨日の雅子(85)
 一考が訪問した時は、ちょうど入浴を終えてベッドで横になっていた。少し疲れもあったのか、珍しく1時間ぐらいうつらうつらしていた。帰り際には「通じ」もあって、平穏な一日であったようだ。

3.連載(434) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(61)
  第三章 施設に戻って (7)

(1)定着への頑張り(その7)
 このドリームスペースの新館である楽裕館の一階に専用の美容室がある。雅子がそこで初めてお世話になったのは、施設に戻って9日後の1月16日のことだった。そこには、常時美容師はいないのだが、予約を受けて、本館(旧舘)にある美容院から美容師さんが出張して来て対応してくれることになっている。従って、以前のように外出の必要がないのが有難かった。
 この日の雅子の予約時間は10時であったが、その少し前に、美容室から連絡があり、それを受けてから車椅子に乗り換えてエレベーターで1階に下りた。初めてということで、介護士さんが同行してくれた。車椅子で、そのこじんまりした店に入ると、一人の美容師さんが愛想よく迎えてくれた。作業は、効率的に待ち時間ゼロで直ぐに取り掛かってくれた。予約制だから、他には客は誰もいない。そういう意味では、美容室は、いわば貸切の状態であり、気分的にもリラックスでき、落ち着いてお願い出来るので、特に身障者には適した環境である。
 また、余計な気遣いをしないで済むことも有難いことだった。一般の美容室では、先ずは、雅子が身障者であって特別な配慮をしてもらわねばならず、事前にそのことを説明してお願いして置く必要があった。それに、他のお客さんも多くおられることもあって、なんとなく気が引けたり、それなりの気遣いが必要だった。もちろん、以前から長く通っていた唐崎の店では、雅子が健康な時からお世話になっていて、途中から、徐々に症状が悪化して行ったから、そんな説明は必要なく、行届いたサービスを頂戴していて、最後の段階になっても、自宅まで行って、対応して上げますとまで言って頂いたのには恐縮した。
 しかし、ここでは、そういう余計な気遣いなどが一切不要で、精神的にも楽なのである。この日はカットだけであったので、作業はあっという間で、ものの半時間ほどで全てが終了した。
 一考にとっても、今までのように、車椅子の雅子を、車で移動する手間と苦労が省けたので、余計な力仕事もなくて、大いに助かった。しかし、帰り際に聞いた話では、毛染めの場合は、本館の美容室でないと出来ないということだった。そうなると、一旦は、館外に出なければならないので、雨が降ったりすると、少し厄介になると一考は思った。なお、この情報は、後になって間違いだと分かるのが、それを知らずに、次回は、生憎の悪天候の中を本館(旧舘)に通うことになるのだ。世の中は、結構、皮肉に出来ている。(以下、明日に続く)

タグ : つなぎ法案 福田新提案 宮里藍

468 やった! 快挙だ!

 多くの話題で賑わった一日だった。
 何と言っても衝撃だったのは、センバツ野球で北大津が、あの横浜を堂々と破って3回戦に駒を進めたことだ。一泡吹かせて欲しいとは思っていたが、勝ちに繋げられるとは思っていなかった。快挙である。ここまで来ると、優勝の期待も現実味を帯びてくる。
 エンディバーが無事に宇宙からの帰還を果たした。宇宙ステーションに「きぼう」という実験室の組み立てに成功した土井隆雄さんの活躍は、その重要な使命を果たすお見事な快挙だった。これからの新たな宇宙時代の幕開けであり、期待は大きい。
 あの松井選手の結婚も、やった!と云う意味ではファンを沸かせたと思う。しかし、本人の勝負はこれからで、今年のレギュラーを確保できるかどうかが注目される。
 前日に連敗を止めた楽天が、昨日も岩隈投手の快投で連勝した。岩隈投手の完封は4年ぶりとのことだ。この快挙に、野村監督も「言うことなし」と言ったそうだ。
 話は飛ぶが、昨日放送されたテレビ朝日の「アップダウンクイズ」特番で、宮崎美子麻木久仁子の活躍はお見事だった。一分間の勝負の連続は、その集中力の限界に挑戦したもので、見ていても迫力満点だった。宮崎美子の優勝は文字通り「やった!」であり感動的だった。筆者は麻木久仁子ファンだが、彼女の魅力を十分に満喫できた。
 そんな一方で、福田総理も、大きく一歩踏み込んで新提案を提示した。来年から、道路特定財源の一般財源化を行なうという。快挙とまでは言えないまでも、現時点ではベストな提案だと思う。しかし、民主党がこれを無視するのはいただけない。話し合いに応ずるべきだ。

2.昨日の雅子 (84)
 お天気が良かったので、初めて雅子を車椅子で屋上に連れて出た。しかし、風が思ったよりも強
かったので、直ぐに戻ったが、雄大な琵琶湖、美形の近江富士の眺望は、少なからず心を癒してくれた。

3.連載(433) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(60)
  第三章 施設に戻って (6)

(1)定着への頑張り(その6)
 この施設では、居住者が皆で楽しむ機会を積極的に設けてくれているようだ。その最初が誕生パーティだった。施設に戻って4日目の1月13日の日曜日に、この日吉グループで、1月生まれの居住者を祝うお誕生日パーティが行なわれた。雅子もその一人で、もうお一人の方のHさんの二人がお祝いされる立場だった。
 この日は、たまたま霧子姉さんもお見舞いに来てくれていた。あの入居日に来てもらって以来の訪問で、久し振りに妹との水入らずの面会を楽しんでいた。恐らく、霧子さんも、言葉がますます聞き取り難くなっているのを感じ取っていただろう。一考が、午後に顔を出した際には、ちょうど二人で意思疎通を図っていた最中だった。誕生会があると聞かされて、雅子も一言喋ろうと「有難うございます」を一生懸命に練習していた。
 パーティは、3時のおやつの時間が充当され、皆でケーキと飲み物を楽しみながら、歌を歌ったり、カラオケを楽しもうというのだ。最初に、この日吉グループのユニットリーダーの松井さんがりーどして、ハッピバースデーを皆で歌って楽しんだ。その後は、お話を楽しみながらのカラオケに移った。このグループには、カラオケのお好きな元気な長老Mさんがおられて、その方が一人頑張ってマイクを握っておられた。若手の男の介護士の柊さんは、なかなかの芸達者で、リクエストに応えて、何曲か得意な曲を披露され、雰囲気を盛り上げておられた。一考も、昔のことを思い出し、ちょっと歌ってみたい衝動に駆られたほどだった。明るい雰囲気の中で、誕生会は、それなりに盛り上がったものになった。 パーティは4,50分ほどであったが、最後に誕生日の二人の挨拶に映ったところで、雅子に代わって、一考がマイクを握った。
 「楽しいお祝いをして頂き有難う御座いました。残念ながら、本人はなかなか言いたいことが言えない状態ですので、私が代行させて頂きます。私達は結婚して40年になりますが、雅子には、今日が一番盛大な誕生会ではなかったかと思います。長いお付き合いになると思いますが、これからも宜しくお願いします」と締め括った。終わって、部屋に戻ると霧子さんから、「雅子にも一言、喋らせてあげたらよかったのに。あれほど練習していたんだから」との一言に、気がつかずにでしゃばり過ぎたことを反省した。 (以下、明日に続く)

タグ : 北大津 土井隆雄 エンディバー 松井選手 岩隈投手 アップダウンクイズ 宮崎美子 麻木久仁子 福田総理

467 顔の表情

 名は体を表すというが、顔の表情は、その人の現況、心理状態などを如実に表している。
 あの石原都知事のこのところの顔つきは、今までに見たこともない憔悴した苦悩の顔だ。新銀行東京を設置した政策の失敗で、更に400億円の出資をするという。引くに引けないというが、都民は納得は出来ないだろう。
 昨日の楽天、野村監督は、さすがに嬉しそうだった。「初春や、初物尽くしの 初勝利」とご機嫌で、筆者が昨日期待していた勝利の女神のお陰だろう。
 国の代表である福田総理の顔は、表情に乏しく、今では、全く冴えない顔の代表格だ。手の打ちようがないどうしようもない苦境に追い込まれているが、それでも、KYな受け答えでこなしているのは大したものだと言えるのかもしれない。
 一方、昨日の朝も、府内に若手を集めて自分の考え方をぶっている橋下大阪府知事は、厳しい問題を抱えながらも明るいのがよい。何かをやってくれるのだろうとの期待が高い支持率に繋がっているのであり、それを裏切った時点で、瓦解が起きると思われる。しっかり頑張って欲しい。
 そういう意味では、今の自分の顔はどんな具合なのだろうか。明るくないのは確かだが、見たくはない顔である。

2 昨日の雅子(83)
 このところ、通じがなかったので、看護士さんんから便秘薬の服用を勧められた。お昼の3時頃で、筆者が傍にいる時だった。本人の意志を確認すると、服用はもう少し待ってということだった。そして、その直後に通じがあった。やはり、本人が一番分かっているようで安心した。同様なケースが、3月8日にもあった。服用の準備に入った直前で、この日と同じように通じがあった。(昨日の雅子の65を参照)
 便秘薬の服用は、インターバルと服用の時間帯の選択が重要で、それを誤ると、介護士さんに迷惑を掛けることになるので、細かな神経を遣う。服用後、効果が出るまでの時間が大事なのだが、自宅で介護していた時は、4日目の就寝前に服用していたが、殆どの場合に、翌朝、朝食前後に通じがあった。しかし、この施設に入居しての2回のトライ(昨日の雅子、57と62を記録参照)では、効果が早くあって、深夜に、介護士さんに大変な迷惑を掛けた、筆者の感触では、失敗したこの2回は、雅子の体調と服用間隔、或いは服用時間、タイミング(夕食後)に、微妙なバランスの齟齬があったのではと見ている。

3.連載(432) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(59)
  第三章 施設に戻って (5)

(1)定着への頑張り(その5)
 翌日からは通常の介護生活に戻った。 12月の3週間の体験で、ここでの生活のリズム、パターンはほぼ体得出来ていて、食事、洗顔、トイレ、それに入浴といった介護の基本については、雅子は身体で覚えていた。従って、10日間のブランクがあったが、それほど大きな影響はなく、直ぐにその感覚を取り戻すことはできたようだった。
 一考の心配をよそに、雅子はむしろ、施設での生活の方が身に合っているといった感想を口にするようになり、一考は、安心する一方で、若干複雑な気持ちだった。早く、新しい環境に慣れてくれたことは大いに歓迎すべきだったが、その一方で、自分の存在感が希薄になって来ていることへの寂しさを感じていたからである。
 さて、雅子が入居して以来、いわゆる、旧舘の自立棟にいる姉の伸子がよく顔を見せてくれるようになった。妹のことを思って訪ねて来てくれるのだが、無口な性格なのでほとんど会話がない。ただ黙って、雅子の手首をさすってくれている。しかし、雅子が思うように口を利けないので、会話にはならない。二人が黙って並んでテレビを見ている姿は、とても重苦しい感じがして仕方がない。見舞ってくれる気持ちは有難いのだが、変な静寂の時間で息苦しい。一考がいる場合は、雅子に話しかける一方通行の会話になっている。雅子におやつを出す際にも、伸子のことも考えなければならない。しかし、伸子は、たとえ出してあげても、食べようとしないから、始末に悪い。もともと、伸子が自立棟に入居する話から、一緒なら相互に都合がいいのではとの姉達の判断で、雅子も、この施設にしたのだが、その主旨は生きていない。
 伸子がいてくれる間は、介護士さんも遠慮して顔を出さないようにしておられるので、雅子も、結果的に放置された状態になっている。
 ところで、入居直後から、心配していた雅子と介護士さんとのコミニケーションだが、結局はこれといった名案がなく、地道に介護士さんが見計らって雅子の部屋に顔を出してもらっていることで、今のところは何とか凌いできている。つまり、雅子と介護士さんとの阿吽の呼吸が大事な絆になっている。それに、一考が、午前、午後の2回の訪問で在居中は、その役割の一端を担っていることになる。しかし、伸子さんの来訪は、そういう意味でも、あまり役立っているようには思われない。(以下、明日に続く)

タグ : 石原都知事 野村監督 福田総理 橋下大阪府知事

466 ぼやきは永遠なり

 野球も、高校野球、プロ野球が始まって、春が実感できる今日この頃だ。昨日からはMLBが東京で始まり、レッドソックスの松坂投手が凱旋の開幕投手としてマウンドに上がった。しかし、さすがに緊張したのか、立ち上がりは制球も悪く、ホームランを打たれるなどで2点を献上した。しかし、3回以降は立ち直って何とか面目を保った。本人は、思わぬ不出来に「ぼやき」たかったに違いない。その一方で、押さえに出てきた岡島投手は、しっかりとその役目を果たし、勝ち投手になったのはさすがである。
 「ぼやき」と言えば、楽天の野村監督だ。惜しい試合が続いての連敗中で、「ぼやき」も絶好調のようで、「ぼやきは永遠なり」と開き直っていた。今日辺りは、勝利の女神に微笑んでもらいたいのがファンの願いだ
 「ぼやき」は野球だけではない。福田党首(首相)も、日銀総裁が決まらず、道路特定財源の暫定税率の問題では全く埒が明かず、支持率がどんどん低下する一方で、今や、「ぼやき」のオンパレードかもしれない。日常生活に影響を及ぼすことになる「ぼやき」には、国民も「ぼやき」たい心境だ。

2.昨日の雅子(82)
 雅子の部屋に顔を出したタイミングは、ちょうど入浴を終えてベッドに横になった直後だった。安らかな表情に、筆者もほっとしたものを感じた。最近は、目がぱっちりと開かない状態が多く、少し気になっているのだが、それでも、きちんと見えているという。この日、大津市から車椅子購入時のサポートが承認された旨の書状が届いた。現在は無料でリースしてもらっているが、新しい車椅子が近々届くことになる。

3.連載(431) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(58)
  第三章 施設に戻って (4)

(1)定着への頑張り(その4)
 その日、帰宅した一考に一通の郵便が届いていた。出し先をみるとドリームスペースからのもので、待望(?)の請求書第一号が同封してあった。初めての請求書で、一考は、ちょっとした緊張を覚えながら開封した。通信簿をもらったような緊張を覚えての中身の確認だった。契約前に大よその見積もりなどで、ある程度の予測額を頭に置いてはいだが、それでも、実際に幾ら掛かったのかは、今後の対応を考える上で大事な実績結果である。
 恐る恐る中身を見て、一考はとりあえず、「そんなものだろう」と思う気持ちと、「やっぱりそれだけ掛かるか」といった気持ちが交じり合った複雑な心境だった。一考の頭の中では、「これは3分の2ヶ月分」であるというフレーズがリフレインしていた。一ヶ月通したものでないと考えると、頭の片隅に潜んでいた不安が拡がるのだった。やはり、一月をフルに通した額を確認することが大事で、改めて、来月以降の結果を確認する要があると自分に言い聞かせるのだった。管理費や、介護費用などの大きな費用が、契約日が10日であったことから、3分の2で日割り計上してあったからである。
 いずれにしても、先の見通しが立つまでは、なるべく節約し経費の低減に務めようと考えていた。その意味では、既に、おやつ、飲み物については、午前と午後の2回の訪問時に、自前で自分がサービスすることにしていたし、便秘用のファイバ-スティックやテッシュペーパー、トイレットペーパーなどの消耗品なども、一考が持ち込んでいた。また、お姉さん達が、見舞い時にジュースやスナックを置いて行ってくれるので、それらをあてがうことで、経費削減には役立っっていた。また、お風呂で使う洗顔石鹸や湯上り後のクリームなどの化粧品は、雅子が今まで家で使っていたものを持ち込んでいる。明日には、目がむしゃくしゃするので目薬を持ち込む予定である。
 細かいことだが、ちりも積もればの精神である。しかし、他の皆さんと違った扱いをお願いすることになるので、介護士さんたちに、余計な気を遣わせることになるのが気掛かりだ。「細かいことを要求するおっさんだ」と思われるだろうが、背に腹は換えられない。何しろ、年金生活者であるだけに、その辺りの細かい努力は、見通しがはっきりするまでは、欠かせないと思うのだった。(以下、明日に続く)

タグ : 松坂投手 岡島投手 福田党首 野村監督

465 人生の宝物

 心地よい二日酔いでこのブログを書いている。それというのも、昨夜は、久し振りにお会いしたお二人とご一緒したことで、羽目を外すほどおいしいお酒で舞い上がっていたからだ。お二人とも、仕事を通じて知り合ったのだが、筆者が現役を退いた今でも、こんな素晴らしい関係が保たれていることに、人生の幸せを覚える。
 一人は、まだ現役ばりばりの繁和産業社長の東代清隆さん、一人は、元東邦化学取締役だった遠藤政二さんで、三人で席を共にしたのは昨夜が初めてだった。
 東代社長は、以前のイメージとはお変わりなかったが、厳しい経済環境の中で経営を司っておられるどっしりとした貫禄が今まで以上に滲み出ていて、さすがだという印象だった。同氏には、昨年に筆者が初めての本「執念」を出版をした際に、望外の力強い応援を頂いたのが嬉しく、感謝、感謝の連続だったのを思い出す。また、筆者の会社の仲間だった何人かが、今では社長の会社でお世話になっているのも、嬉しい話しである。
 一方の遠藤さんは、筆者が東レから出向して、新しく設立されたトーレ・シリコーン(今の、東レ・ダウコーニング)に移って、初めて営業を担当していた時に、重要顧客の一つだった東邦化学の技術責任者だった方である。今では、悠々自適の人生を楽しんでおられるのだが、その容貌は、当時とは大きく変わっておられ、普段着姿の親しみがあった。海外にも繁く足を運んでおられるのだが、いわゆる観光地を巡るのではなく、スマトラ、ニューギニア、更にはサハラなどの野性味溢れ世界を廻ってでおられる辺りが並みではない。
 そんなお二人と昔話に花を咲かせたひと時をエンジョイしたが、気の置けないお二人との会話に、介護疲れだった魂が洗われたような心地を味わった。素晴らしい友人は、人生の掛け替えのない宝物であるとつくづく感じた一夜だった。

2.昨日の雅子(81)
 この日の午前中にお墓参り済ませたことを報告すると、ほっとした表情で雅子は「有難う」と言ってくれた。前日に、雅子から頼まれていたのだ。最近ではこのように細かなことにも気を遣う雅子が多く見受けられる。特記事項なし。

3.連載(430) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(57)
  第三章 施設に戻って (3)

(1)定着への頑張り(その3)
 施設に戻って、三日目の1月10日は通院日だった。幸い、この日も好天だったので有難かった。もともと、この通院を済ませてから、施設に戻って来るつもりであったのを、自分の介護の限界を悟り、桜井係長さんのアドバイスで、急遽、施設に戻っていたので、施設からの初めての通院となった。
 病院の予約時間、2時30分なのだが、この日は、その前にMRIを撮影することになっていたので、1時間前には到着していなければならなかった。そのために、多少の余裕を考えると12時前には、この施設を出なければならない。
 従って、昼食は皆さんとは別に、11時過ぎに一考が用意したカステラ、みかん、それにソフトドリンクで、簡単に済ませた。そして、お薬、歯磨き、トイレの一連の段取りを済ませると、ちょうどグッドタイミングになっていたので、部屋を出て階下におりて、雅子を車に運び込んだ。雅子を車に乗出るのが一仕事である。
 施設を出たのは、ほぼ予定通りの12時少し前だった。そこからは、雄琴駅(今はおごと温泉駅)近くのインターチェンジから湖西道路に入る。この道が西大津バイパスにつながっているので、時間的には、今までの自宅からに比べても15分ぐらい長く掛かる程度で、以前とそれほど変わらない。いつもの通り、山科から五条通に出て、河原町通りを通って京都駅に向かう。幸い順調に走り、1時過ぎには病院に到着した。少し早かったが、受付に行くと、直ぐにMRIの撮影が可能だと言う。早いに越したことはないので、予約時間より1時間近く早かったが、直ぐに撮影をして貰らった。そのため、2時半の診察までには少し待つことになった。
 診察では、撮りたてのMRIのフィルム写真をみながら、春日医師は「やはり、左右の差が大きく出ていますね」と写真の部分を指差しながら説明してくれた。しかし、今後どうなるかについての説明はなかった。新しいお薬が出たのでそれを試してみたいという話があった。何でも挑戦してみるのが、今の一考の考え方なので、お薬が一種類増えることになるが、その提案を受けた。いずれにしても、治療に関しては、先生の知見と判断に任せるしかない。
 なお、この日から、お薬は、看護士さんからの要求で一包化して貰うことにした。介護士さんが服用させやすいように、一回分の全てのお薬を纏めて包んでもらうのである。
 全ての段取りを終えて施設に戻ったのは、5時半を過ぎていた。従って、夕食は直ぐに始まった。二人には、多忙で疲れた一日だった。(以下、明日に続く) 

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464 まさかの幕切れ

 週末のスポーツでは、幾つかの思いもよらないまさかの展開があってファンをびっくりさせた。あのフィギュアの世界選手権で、浅田真央高橋大輔の驚く転倒があった直後だけに、悲喜こもごもの面白さを改めて見せてくれた。とにかく、下駄を履くまで分からないのがスポーツの世界だ。
 最も驚いたのが「さくら散る」だった。2打リードしていた横峯さくらが打った18番のティーショットが少し右にそれてラフに入ったものの、これで勝負あったと思って、チャンネルを大相撲に切り替えたのだが、その後のスポーツニュースで、2位だったはずの韓国の申智愛選手が優勝したと伝えていた。何、何、と思って確認してみると、さくらが18番で50センチぐらいのボギーパットを、まさかの外しでプレイオフになり、その後、申選手がロングパットを決めて逆転勝ちしていた。まさかの逆転劇だった。
 この日のセンバツ高校野球の第二試合で、9回の土壇場で、2本のホームランで同点に追いついた下関商業だったが、延長10回裏の2死2塁で、下関商業のセンターの竹之内君が、飛んできたライナーをまさかの落球で、大阪の履正社に、痛いさよなら負けを喫した。涙の止まらない竹之内君で気の毒だが、この苦い思い出をプラス思考で生かして頑張って欲しい。
 注目された大相撲の2場所続けての同星決戦では、じっくり攻めると思われていた白鵬の意外な速攻が裏目に出て、朝青龍が4場所ぶりの22回目の優勝を果たした。熱戦を期待していただけに、まさかのあっけない幕切れだった。
 スポーツだけではなく、まさかの無差別殺人事件も起きていた。茨城県土浦市で昨日の白昼に刃物を持った男が通行人を殺傷したのである。被害者のまさかの突然の死亡には、その理不尽さに気の毒で言葉がない。この種の事件に打つ手がないのか。他人事ではない。

2.昨日の雅子(80)
 特記事項なし。通じは順調? 喋ろうとする時の口の動きが少し不自然なのが気になる。

3.連載(429) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(56)
  第三章 施設に戻って (2)

(1)定着への頑張り(その2)
 慌しく準備を終えて、家を出たのは午後の2時過ぎだった。一考は、雅子の気持ちが心配だったが、それは一考の単なる杞憂に過ぎなかった。むしろ、雅子は、それが最初からの予定であったかのような自然な受け取り方で、一考が驚いたくらいだった。それというのも、雅子自身が一考の介護を気の毒に思うようになっていて、自らもそのように望んでいたようだった。結果的には、介護に関しては、一考が自らの限界を悟ることになり、寂しく思うと同時に、何か忸怩たるものを覚えたのだった。
  ドリームスペースに着いたのは2時半頃で、一階の大広間では新年のイベントであるコンサートが行なわれていた。迎えに出てくれた介護士さんに歓迎されて、早速その広間の一角に連れて行ってもらった雅子は、その新年の催しに溶け込むのだった。
 雅子を介護士さんに任せて先に部屋に戻った一考は、持って戻ってきた荷物の整理を行なった。そして、それが一段落すると、不思議なことに、自分でも何となく落ち着いた気分になるのだった。
 半時間ぐらいして、雅子が介護士さんに車椅子を押されて戻って来た。入居後、とても親しく、優しくして頂いていた介護士さんで、その方から、早く帰って来たことを大歓迎されて、よほど嬉しかったのか、涙、涙の雅子だった。
 一考は、不思議な気分になっていた。明らかに、雅子は自宅にいた時よりも嬉しそうで明るい顔になっている。せめて、お正月期間だけでも、家族と一緒に自宅で寛いでもらおうとした一考の気持ちだった。しかし、エアコンのトラブルがあったことはさて置いても、こんな楽しそうな雅子の顔を見ていると、既に、雅子は一考の介護の手から離れて、介護士さんたちの優しい対応にしっかりと馴染んでいたのである。これからの長い介護生活を続けることになるだけに、雅子も、早くその生活に慣れようとして、自ら努力していたと思われる。それは一考の望外の展開に結びついていたと言える。
 そのことを、一考は嬉しく思う一方で、ちょっぴりとほろ苦さ、寂しさを覚える複雑な気持ちでもあった。そんな自分に、一考は、人間は、結構わがままで勝手な動物なのだと、つくづく思うのだった。(以下、明日に続く)

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463 北大津高逆転勝ち

 中盤にリードを許して重苦しい試合展開だったが、終盤で見事にひっくり返した北大津高校の執念の勝利だった。2004年夏の大会で、あのダルビッシュに押さえられて大差で負けた相手だっただけに、リベンジできて嬉しかったに違いない。。
 北大津高校は大津市北部の仰木の里にある。今、妻の雅子がお世話になっている雄琴にある施設、アクティバ琵琶のごく近くで、いわゆるレークピアと呼ばれる、自然環境に恵まれた住宅ゾーンの一角にある。その意味では親しさを持って、雅子と一緒にテレビ観戦を楽しんだ。
 滋賀県勢は、スポーツだけでなく何事も余り目立たない県である。つまり、全国的には中位レベルのものが多い県だ。例えば、昨日の夕刊に(毎日新聞)情報公開度ランキングが発表されていたが、滋賀県は19位(前年度は23位)だった。
 それでも、琵琶湖が全国一の湖であるように、探せば幾つかの全国レベルのものもある。最近の新聞やテレビの報道で、比較的上位のレベルのものを拾い集めてみた。このコラムでも書いたが、2005年度の男子の平均余命の伸び率が全国トップ(367)、国宝の数が全国5位(388)、更に、日経新聞が土曜版で毎週発表している先週のアンケートで、「光に映える夜桜の名所」で三井寺が9位にランクされている。
 スポーツでも、多くは低調なレベルにあるが、それでも、2005年には野洲高校がサッカーで全国制覇、野球も2001年夏の大会で、近江高校が準優勝を果たしている。果たして、今回の北大津高校は何処まで勝ち進めるか、次の相手が強豪の横浜勢であるだけに容易ではないが、一泡吹かせて欲しいと淡い期待をしている。

2.昨日の雅子(79)
 特記事項なし。時々、思い出したように、息子のことや衣服のことなどの細かなことを口にする。季節の変わり目で気になることも多いのだろう。

3.連載(428) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(55)
  第三章 施設に戻って (1)

(1)定着への頑張り(その1)
 一考の当初の予定では、1月10日が雅子の定期の吉田病院への通院日だったので、その日の診察を終えて、その夜は、もう一晩自宅で過ごし、翌日の午後にドリームスペースに戻る予定を考えていた。しかし、年明けからの気分的な落ち込みと予想外の体力の消耗が、全く予期せぬ展開に繋がることになった。
 事の始まりは単純だった。雅子の施設への帰還日程を、通院の日に診断を終えれば、自宅に戻らずに直接施設に戻ることにしようと考えた。それは、予定より一日早く戻ることになるために、施設に変更の電話を入れたのである。苦情を受けたブログの書き換、修正を終えた直後だった。電話を受けて頂いたのが、介護の責任者の桜井係長だった。彼女の機転の利いた応接が一考の変心を決断させることになったのである。
 「お一人での介護は大変だと思いますよ。何なら、今日からでもいいですよ」と思い切った声を掛けてもらったのである。彼女の優しく甘い声が何とも心地よく一考の胸に響いた。
 「でも、10日に通院がありますので、それだけは済ませた方がいいと考えているのですか」一考が、少し考えるように返答した。
 「病院へはこちらから、直接向かわれてもいいんじゃないですか。その方が楽ですよ」適格なアドバイスである。人の話を聞くだけでなく、そこから明解な方向を指し示す辺りは、さすが、優れた管理職の証である。一考は改めて彼女の能力に惹かれるものを感じていた。そして、そのタイムリーな提案に、どうしたものかと一瞬ためらった一考だったが、そのまま階下にいる雅子にその意思を確認して、急遽、そに日の午後に、施設に戻ることにしたのである。電光石火の決断だった。
 もし、一考の電話に、他の方が出ておられたら、そのような展開になっていたどうかは分からない。それだけ、桜井係長には、決断と実行を促す強い何かを持っておられる方だと一考は改めて、その魅力を思うのだった。
 家族一緒で、家庭での介護を施してやりたいと一時帰宅をさせたこの年末年始の一考の思いも、エアコンの故障と言うアクシデントもあって、その意図したことが果たせないまま、急遽、予定変更で施設のドリームスペースに戻ることになったのは、実に皮肉な結果であった。
 軸足を家と施設で半々ぐらいにしたいとさえ考えていた一考の思いは、早くも、もろく崩れ始めていた。(以下、明日に続く)

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462 落胆から歓喜への執念

 期待の浅田真央の演技は、のっけから衝撃的な、滅多に見られない大転倒から始まった。絶望の淵から不死鳥のように立ち上がった浅田真央は、最後まで渾身の演技を展開し、勝利への執念で頑張った。しかし、それが金メダルに届いたのは、やはり奇跡と呼ぶべきものだったと思う。
 演技が終わった直後の結果速報では、そのようなアクシデントの事は全く伝えられていなかっただけに、その特番は、心を揺さぶる驚きの感動劇となった。結果的には、二日目の自由演技では、韓国のキムヨナ選手がトップを奪ったが、浅田真央のずば抜けた演技力が高く評価されて、転倒の失点をカバー出来て、総合での奇跡のメダルの奪取となった。あれほどの派手な転倒をして、優勝した事例は、恐らく初めてだろう。
 この種の採点競技でいつも思うのは、その採点の微妙さだ。昨日の競技でも、素人目には、あの中野友加里のミスのない演技が、何故そんなに低い採点だったのかとの疑問がある。
 これで、日本女子選手としては1989年の伊藤みどり、94年の佐藤有香、2004年の荒川静香、昨年の安藤美姫に次いで5人目の優勝で、17歳での制覇は最年少という。暫くは、日本女子フィギュアは黄金時代が続くことになりそうだ。
 なお、最後まで競技に挑もうとした安藤美姫の執念も立派で、視聴者の胸を熱くさせた。 
 いずれにしても、いろんな意味で大きな感動を与えてくれた日本の3選手に、大拍手を送りたい。(敬称略)

2.昨日の雅子(78)
 午前中、近くの幼稚園生の慰問があり、初めての貴重な体験を楽しませてもらった。雅子の身体の不自由さに、相手してもらった幼稚園生も、少しびっくりされたようだ。昼食後は入浴、さっぱりしたところに実姉の霧子さんのお見舞いを受けて嬉しそうだった。朝からの楽しい日程で、少し、疲れたかな? といった感じであった。

3.連載(427) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(54)
  第二章 年末年始は自宅で (15)

(4)円形脱毛症(その2)
 円形脱毛症は、雅子には新たに起きた変化だったが、このお正月期間の介護を通じて気がついた事は、老人ホームに入居する前に比べて、介護がずっと大変になっていることだった。施設へ入居する3週間前までは、それほど意識することなく、一考一人で無難にこなしていた介護だったが、僅か3週間の施設での入居生活後には、この年末年始の限られた期間だと言うのに、一考は、大変な負担を感じるようになっていた。自分の体力が劣化したこともあろうが、やはり、介護そのもののに、大変さが増していたのだろう。
 その最たるのが、夜のトイレが新たに加わったことだった。夜中に一度起きるのは、一考には、思った以上に肉体的な負担となったと思われる。夜勤担当の方がおられる施設では可能であっても、一考一人が24時間介護に当たる場合は、どうしても無理が利かなくなるのだった。それも、一日や二日の短期間限定ならなんとかなるのだが、一週間以上も続くと寝不足からくる体力の消耗が激しく、腰の痛みや身体の節々の痛みにつながり、介護を遂行するのを妨げるようになるのだった。
 エアコンの故障も直って、やっと落ち着いたのが1月5日だったが、朝から腰が痛むので、一考は、久し振りにコルセットを着けて対応していた。幸い、母親の食事は、妹の美希子が作っておいてくれたもので間に合わせられるということで、スキップできた。
 しかし、その一方で、年明けと云うのにも関わらず、一考の気分は冴えなかった。それと言うのも、一考の気掛かりなことが全て面白くない方向に動いていたからである。その一つは株の動きだった。米国の年明けの株価、それを受けての日本の株の大幅な下げは、今年の景気の低迷を予測させていたし、現実的に大幅な含み資産の減少は気分を重くさせていた。また、趣味の世界でも、将棋の名人戦挑戦者決定リーグで、期待していた郷田九段が、年明けの最初の対局で、大事な星を落として挑戦者争いから脱落したことも、ファンとして心の拠り所失う面白くない結果だった。
 それらに加えて、一考の気分を一層重くしたのは、連載中のブログの内容で、関係者の方から苦情を受けたことだった。それは、雅子の姉の霧子を通じて伝えられたが、気分的には、少なからない落ち込みとなった。確かに、そのブログの表現に、一考の不用意な勇み足の部分があったことは不徳の致すところだが、それまでの構想の変更を迫られることにもなった。とりあえず、施設名を仮称のドリームスペースに置き換えて、苦情の対象となった部分を書き換えたり、削除したりして対応した。1月8日の朝方のことだった。(本章は今回で終り、明日からは第三章 施設に戻って を連載します)

タグ : 浅田真央 中野友加里 安藤美姫 伊藤みどり 佐藤由香 荒川静香 キムヨナ

461 アラジール症候群

 昨日の春分の日、関西の朝日放送が「こども未来プロジェクト」と題して特集番組を放映していた。その中で、大阪市に住む幼い子供、「真翔(まさと)」君の難病と闘う家族を取り上げていた。病名は初めて聞く「アラジール症候群」という10万人に1人という珍しい病気で、原因はまだはっきりと解明されていないという。我妻の闘っている「パーキンソン病」は、1000人に1人というから、如何に珍しい病気かが窺える。
 病気は、染色体の異変によるもので、肝機能障害、心血管系や骨格系の異常、更には、風貌などの変貌、発育障害、知能障害などの懸念があるという。人によってその障害の出方に個人差があり、将来への不安を含んだ病気のようだ。この放送で見た範囲では、身体が異常に痒くて、かきむしってしまって、身体が血だらけになっていた映像が、大変痛ましかった。ただ、この病気は、いわゆる難病指定されている123疾患には入っていない。
 世の中には、こうした大変な病気と闘っている方が多い。筆者達も、そんな方々の頑張りに勇気をもらって、しっかりと頑張ってゆきたい。

 全くの別件だが、先ほどのインターネット速報で、注目していた女子フィギュア世界選手権で、浅田真央が初優勝、中野友加里が4位という結果が配信された。とにかく、おめでとう と申し上げたい。なお、安藤美姫選手は棄権したようだ。今、NHKの7時のニュースで、速報で簡単に結果だけを伝えていた。さすがに、優勝したという大きなニュースは、夜のフジテレビの録画放送まで、缶詰には出来ないようだ。

2.昨日の雅子(77)
 平穏な一日。特記事項なし。拙書の未発表の作品を朗読して聴かせているが、その感想は、そんなに面白くないという。がっかり。

3.連載(426) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(52)
  第二章 年末年始は自宅で (14)

(4)円形脱毛症(その1)
 エアコンの故障騒ぎの中で気づいたのが、雅子の円形脱毛症だった。その日の入浴を終えて、頭を拭ってやっている時だった。雅子の頭のてっぺん辺りの部分の毛がなくなって、ぼっかりと穴が空いているのを見つけたのである。
 正直言って驚きだった。円形脱毛症と云う言葉は幾度も耳にはしていたが、実際にそれを身近に見るのは初めてで、文字通り、円形に髪の毛が抜けていたのである。見た目には気持ちのいい光景でないことは確かである。
 インターネットで調べて見ると、、頭に十円玉大の脱毛部分が出来る病気の事で、その原因については、はっきりと分かっていないとある。考えられる原因としては、「精神的ストレス」「内分泌異常」「自己免疫疾患」「遺伝的素因」等があるという。最も有力な説として「自己免疫疾患」があげられ、精神的なストレスがきっかけになるということもあるという。ストレスが原因で、生活環境に変化がなかったかを見直す必要があると説明してあった。
 この説明を読む限り、原因は明らかだった。長い難病との闘いがあって、施設に入居したという大きな環境変化である。難病でなくても、施設に入居したことの変化だけでも、その原因になりそうで、そこに厳しい難病の悪化が進んだ訳で、そうならないのがおかしいとも言えた。
 ここ丸3年以上、雅子に付き添っていて思うのだが、雅子が実に我慢強いことだった。病気の悪化が進行する厳しい状況の中でも、ほとんど弱音は吐かなかった。強い意志で頑張り、逆に夫を支えていたと言える。
 病院などで、痛い注射を打たれるような物理的な痛さだけでなく、こんな状態になって、身近な人からの厳しい言葉、心無い批判に対しても、精神的に乱れることなく、それに反論をすることなく、じっと堪えていた。一考は、その健気な雅子の頑張りには、頭が下がる思いだった。
 しかし、さすがに、雅子の身体は正直だった。こんな形でその意志、辛さを表現したのである。一考は、思わずその円形の部分をなぜてやりながら、こんな厳しい虐めをしている神様に、もう、この辺にしておいてくれと、そっと呟くのだった。(以下、明日に続く)

タグ : アラジール症候群 真翔 浅田真央 中野友加里 安藤美姫 パーキンソン病

460 許せない報道談合

 インターネットでの報道では、スエーデンのイエーテボリで行なわれているフィギュアースケート世界選手権の女子フィギュアの第一日のSPで、浅田真央が2位、中野友加里が3位、安藤美姫が8位、韓国のキムが5位だったと報じている。1位はイタリアの選手で、浅田真央とは僅差であり、逆転優勝の期待は大きい。しかし、今朝のテレビ各局はこのことは、今のところNHKをも含めて一切報道していない。いわゆる、報道協定、談合によるものである。それは、今夜7時から、フジテレビで放送があるためだ。この種のことは、ゴルフでも常に行なわれていて、放送時間までは、スコアのインターネット速報も中断される。
 ニュースを缶詰にしてタイムリーな報道をしないとはどういうことか。ドラマなら放送時間までの缶詰は当たり前なのは分かる。さすれば、スポーツはfドラマなのかと言いたいが、恐らく、誰もがそうだとは言わないだろう。しかし、そう考えているふしはある。編集して放送される内容は、盛り上げんがために、過去の結果をしつこいぐらい織り込んで、肝心の勝負の放映を焦らせている。そのやり方がまた気に食わない。スポーツだから、ストレートに分かり易く結果を伝える手法を取ってほしい。デコレーションで飾り付け過ぎた手法は、いらいらさせて不愉快だ。
 いずれにしても、、独占放映権を取った局のために、各社がそれに協調すると言うのは、自由主義国家である日本では納得できない。速報性を命にしている報道を、缶詰にしている今のやり方は、即刻改めて欲しい。独占権を主張するなら、生中継をして速報性を大事にすべきだろう。ゴルフのように、数時間ずらせて録画放送するなら、「まあ、まあ」とも言えないでもないが、今回のフィギュアのように20時間以上も缶詰にしているのは如何なものか。因みに、ゴルフ中継の場合、外国のツアーであれば、放送の有無に関わらず、インターネット速報は中断しない。
 話は少しずれるが、HNKが将棋トーナメントを主催し放映している。これが録画放送であることは承知の上で見ているが、勝負の結果は放映までは原則として発表されない。これは、NHK主催であるから納得だが、それでも、今年からは、決勝戦は生放送に切り替えた。英断だ。
 このインターネット時代にニュースの缶詰は無理でもあり、極めていただけない対応であると苦情を申し上げたい。

2.昨日の雅子(76)
 午前中、別館(旧舘)にある美容院へ。カットと染めをしてもらって久し振りにすっきりしてご機嫌だったが、何と、2時間半もかかってしまった。予約してあったのだが、別のお客さんとかち合ったからのようだった。身障者で大変だったが、雅子は少し長い待ち時間でも、しっかりと耐えていた。生憎、終わった時点では、雨が本降りとなってしまい、車椅子を運ぶ車でのお迎えを頂いた。感謝、感謝。
 3時頃からは、今月のお誕生会があった。雅子のお隣の部屋の方が、米寿を迎えられたのだ。皆で楽しいひと時を過ごしたようだ。所用があったので、筆者は途中で失礼した。

3.連載(425) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(51)
  第二章 年末年始は自宅で (13)

(3)エアコントラブル(その5)
 結構、時間の掛かる作業だった。前日の段階でフィルターのほこり取りが不十分と言うつまらぬ原因で迷惑を掛けたということで恐縮していたことが、実はそうでなかったことで、一考は、一応の面目が立ったのではといった変な気分になるのだった。作業が終わる頃は、短い冬の日が終わり、もうすっかり暗くなっていた。お陰で、漸くにしてエアコンの暖かさを回復することが出来て、二人はほっとしてお正月気分を取り戻そうと気を取り直すのだった。
 結局、大事なこのお正月の期間で、足掛け三日間に渡ってエアコントラブルのとばっちりを受けたことになり、折角の雅子の一時帰宅を、台無しにしてしまったのは残念なことで、全くの想定外のことだった。世の中、思うようには運ばないものだと、一考は、今年も前途多難を思うのだった。
 そして、そのことを象徴するような形で、世界の経済界も大荒れの出だしで、新しい年が始まっていた。ニューヨークの米国株価が大幅なダウンで始まり、その影響を受けて、東証の大発会でも、日経平均で616円という史上何番目かの大幅なダウンでのスタートとなった。それは、今年の経済界の大変さを示唆するものだと取りざたされる始末だった。そこには、いわゆるサブプライム問題の根深さを物語っているのだが、その底深さ、広がりが見えていないという証でもあった。そして、その次の日のニューヨーク株も、東証の動きを受けて二日連続の大幅ダウンとなり、それを切っ掛けに世界同時株安のスパイラルが始まっていた。ここでも、寒さが身に沁みる出だしとなったのである。
 幸いだったのは、この間、静岡にいる四女の美希子が帰って来てくれていたことで、母親の食事作りから解放されていたことで、一考には久し振りの開放感になっていた。
 週明けには、障害者手帳の変更手続きの申請を行なった。審査に1~2ヶ月掛かるという。とにかく、じっと待つことになる。
 そんな、こんなで、ばたばたしている間に正月は過ぎていった。(以下、明日に続く)

タグ : 浅田真央 中野友加里 安藤美姫

459 空席

 一般的には空席と聞くとほっとすることが多い。飛行機や新幹線などの予約する場合はその典型で、会社などの人事でも、次は誰がつくのか、自分をも含めてある種の期待に繋がる。
 しかし、今度の日銀総裁の場合の空席はどうしても避けなければと言われてきていたが、遂に、その空席が実現することが確実となった。政府が十八日に出した代案の「田波耕治」に、民主党が不同意を決めたからである。先に武藤敏郎氏に不同意をした際に、旧大蔵次官経験者には反対だとしていた民主党に、再びその経歴の持ち主を選んできた福田総理に「空気が読めない」ということで、反発が広がっているそうだ。今朝のニュースでは「空席になっても大したことはない」という民主党員の発言が伝えられていたが、そんなことなら、そんなに騒がなくてもという気もするのだが。
 別件で、昨日、一昨日はうっかりして、このブログの通しナンバーを誤って付記し、その結果、456から466までが空席ではなく、空白になっていました。これも、どうでもいいことかも知れないが、訂正しお詫びします。
 なお、筆者の妻の雅子は難病と闘いながら、施設に移っていますが、筆者の妻の座が空席になったわけではありません。つまらぬ空席論でした。

2.昨日の雅子(75)
 昨日は筆者の大きなへまがあって、介護士さんたちに迷惑を掛けてしまった。抱き上げてかわいがっていた子供を、うっかりとして落っことしてしまい、怪我をさせたような大失態のへまだった。いかん、いかん、少しぼけたのかなあ。

3.連載(424) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(50)
  第二章 年末年始は自宅で (12)

(3)エアコントラブル(その4)
 実を言うと、オリジナルなこの日の予定は、午後に京都の吉田病院に行くことを段取りしていた。車椅子購入に関して、市からの資金援助を受けるために、身障者手帳の更新手続きに必要な医師の診断書を受け取るためだった。診断書は年末に出来上がったとの連絡を受けていたのだが、役所も休みに入っていたので、来週の月曜日の役所の実質的な仕事始めに間に合えばと考えていて、受け取りは、この日で、タイミング的に間に合うと考えていたからである。それが、朝からのエアコントラブルの再発で、さあ、どうしようかと戸惑っている時だった。
 従って、竹中さんからの電話で、市役所が今朝から実質的な仕事が始まっている話に、そうだったのかと驚きながら、どうやら、今日は診断書で、ばたばたする一日になるんだと苦笑するのだった。
 「それなら、直ぐにお持ちしますので、そこで待っていて下さい」一考は、そう言って、慌しく家を出た。市役所までは7,8分の距離である。
 「急なお願いで申し訳ありません」持ってきた保険証を手渡すと、竹中さんは恐縮してそう言って頭を下げた。
 「雅子のことですから、こちらがお礼を言わなくちゃ。年始早々からご苦労様です。4日から市役所で仕事が始まっているとは思ってもいませんでした。本当に、有難う御座います」一考も恐縮して頭を下げた。そして、それに必要な診断書の作成のお願いは、午後に病院に出掛けるので、自分が持って行く方が少しでも早くなるのではと申し出た。
 その日の午後、一考は吉田病院に向かった。テクノサービスの方が来られるまでに戻らねばならず、今年最初の京都への慌しい往復となった。
 テクノサービスの技術屋さんの二人がお見えになったのは、その日の午後4時頃だった。昨日来られた方に、新たに一人が加わっていた。コンプレッサーの交換には溶接技術が必要で、そのための技術者が同伴したのである。
 作業は、戸外での厳しい寒さの中で行なわれた。一考は、自分のたってのお願いを受け入れてくれた二人に感謝の気持ちで、その作業を見守っていた。作業は、戸外に設置している部品を解体してのコンプレッサーの取替えであった。(以下、明日に続く) 

タグ : 田波耕治 武藤敏郎 日銀総裁

458 強さの持続

 今朝の日本テレビワイドショーで、女子モーグルのW杯で、年間総合優勝を果たした上村愛子選手について、かつての優勝者の荻原健司選手が、スキーの総合優勝の難しさを語っていた。生身の人間であるだけに、シーズンを通じて好調を持続することに、大変な難しさがあることを指摘していた。実績のある方の話には説得力がある。世界の舞台で勝つことの素晴らしさ、凄さを改めて教えてくれた今朝のズームインだった。
 好調さの持続と云う意味では、生涯の記録、勝ち星の数は、その凄さを裏付ける記録だ。昨日、64勝目を、昨秋からの5連勝で達成したタイガー・ウッズの強さは、同氏の健在さを示した勝利だった。たまたま、今朝の早い時間でNHKが録画放送をしていたのを見ていたのだが、最後の8メートルのロングパットを決めて、躍り上がった姿には、勝者の神々しい喜びが表現されていて、実に感動的だった。64勝は歴代3位の記録で、まだ、サムスニードの82勝、ジャックにクラウスの73勝があるが、いずれ、この記録に肉薄してゆくのだろう。大したものである。
 そういう意味で、付記しておきたいのが、尾崎将司選手の113勝(?)、樋口久子選手の73勝というとてつもない生涯記録がある。土俵が違うとか、歴史が違うと言う見方もあるが、とにかく、そのずば抜けた記録には強さを持続した凄さがある、やはり一目置くべきだろう。昨日の女子ゴルフの不動祐里選手が43勝目を上げたが、樋口選手の記録は遥か雲の上である。
 勝負師の凄さは、世界の舞台での勝利がもっとも分かり易いが、他方、勝ち星の数で見るのも単純で分かり易い一つの見方である。振り返って、我が人生には勝ち星と言えるものは、今の妻を娶ったことぐらいである。

2.昨日の雅子(74)
 お天気が良かったので、介護士さんに散歩に連れてもらって気分転換していた。なお、夜中に小用の後、お尻が痛くて眠れなかったと言う。前日昼間のトイレ時の出血と関連があるのだろうか。幸い、その後は痛みはなくなっているという。

3.連載(423) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(49)
  第二章 年末年始は自宅で (11)

(3)エアコントラブル(その3)
 その翌朝、朝起きてスイッチを入れた直後は、順調に稼動していたエアコンだったが、暫くすると、再び動かなくなったのである。朝食が一段落し、一考が二階でブログを配信して降りて来ると、温まっていた部屋が寒くなっていたのである。前日と同じ現象だった。エアコンの噴出し口からエアが全く出ていない。どうしたことか。単純なフィルターの問題ではなかったのか。がっかりして、再び、昨日来てもらったメーカーのテクノサービスに電話を入れた。しかし、受話器をとったご婦人は、昨日のことは知らない方で、話がなかなかかみ合わず、今日は、担当者がそれぞれ、いろいろと予約が入っていて、余裕がなく、対応は明日になるということだった。そこで、一考は、とにかく、前日来て頂いた方に何とか連絡をつけて欲しいと粘り強く申し入れた。相手してくれていた女性は、一考のその粘りに止むを得ず、その方と連絡を取るので、暫く時間を欲しいということになった。物事は、粘ってみるものだと一考はほっとするのだった。
 その粘りが幸いして、その方から電話が入ったのは、一時間ぐらい経過した頃だった。そして、遅くなるが、夕方には何とか訪問してくれることになったのである。その際の話では、どうやら、コンプレッサーを取り替えなければような、厄介なトラブルだと思われるとのことだった。
 とにかく、テクノサービスから遅くなっても来てくれるという電話をもらって、ほっとした直後だった。ドリームスペースのケアマネージャーの竹中さんから突然、電話をもらった。
 「今、介護保険証の更新手続きで市役所に来ているのだが、健康保険証が必要なことが分かったので、今から取りに行きたいので場所を教えて欲しい」という藪から棒の内容だった。
 この日は、1月4日である。まさに仕事始めの日だった。そんな日に、雅子の件で手続きに走ってくれている竹中さんに、驚きと感謝の入り混じった複雑なものを感じていた。エアコン騒動の最中であっただけに余計にそんな気持ちが強かった。幸いに、テクノサービスとの話が一段落していたので、一考自らが、市役所に保険証を持参することにした(以下、明日に続く) 

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457 緊迫の戦い

 中国が自治領としているチベットで騒乱が起きている。中国からの独立を目指す戦いの一環と見ることが出来る。ソ連でも、ユーゴスラビアでもそうであった。民族の独立、自由の獲得には、どうしても血を流す戦いを伴うことになるのは、歴史が証明するところである。これで、北京オリンピック開催に赤ランプが点ってくれば、事態は予断を許さなくなるのだが、果たして、そこまで辿り着けるかどうかは、今のところ分からない。暫くは、緊迫の日々が続くのではないか。
 日銀総裁の後継者問題も土壇場での攻防で緊迫している。福田総理が、今日にでも新たな候補者を提示するとの話もあるが、最終的にどんな裁定を下すのかが注目される。民主党との道路関連法案を巡る緊迫の戦いも大詰めに入って来ている。
 緊迫といえば、昨日の日本女子ゴルフでの不動祐里さんの戦いだった。4打差を追ってスタートした最終日、じりじり追い上げて終盤で一旦トップに立ったが、結局、プレイオフに持ち込まれた。はらはらする緊迫のプレイが続いたが、相手のミスに助けられ、不動が今季初勝利を挙げた。昔の名前が帰って来て、ファンとしては嬉しい一日となった。

2.昨日の雅子(73)
 トイレで少し出血があったのを介護士さんが気づいて看護師さんに連絡、暫く、経過を注意深く見守ることになった。この辺りの連携した慎重な対応に、筆者も、さすが、アクティバ琵琶(施設の実名)はプロの施設だと感心、そして安心を覚えるのだった。なお、この日の午後は、テレビで女子ゴルフを楽しんだ。不動さんの勝ちに、雅子も嬉しそうだった。

3.連載(422) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(48)
  第二章 年末年始は自宅で (10)

(3)エアコントラブル(その2)

 正月最中の2日の昼前ということで、電話がつながるかどうか心配だったが、何と、通じたのである。助かったという思いで、すがるような気持ちで懸命にアシストを求めた。電話に出てくれた女性は、一考のトラブルの内容説明を聞いて「スイッチを一旦切ってリセットしては」とアドバイスしてくれた。「なるほど」と思いながら、直ぐにそのことを試みたが駄目だった。何とかならないものかとすがり付くと、それほど遠くない栗東市にあるテクノサービスが営業していると言うので、そこを紹介してもらって電話を入れた。しかし、事情を話してみたが電話では埒が開かない。多忙で、直ぐには対応できないという。そこで、改めて、近くの電気屋さんに何回か電話を掛けなおしたが、どうしても繋がらない。遂に、仕方なく、この日は諦めて寒いお正月に堪えることにした。
 翌日も、寒さとの戦いだった、とりあえず、午前中にお墓参りを済ませて来てから、電気屋さんに改めて電話すると、ラッキーなことに、今度は電話が通じ、しかも、社長が電話口に出てくれたのである。年末にはお見舞いの花を贈ってくれた社長である。雅子が帰宅している事情を承知してもらっていたことから、そのテクノサービスに強くお願いしてもらったことで、急遽、点検に来てくれることになった。これこそ地獄の中での仏であった。ともかくは、社長の顔が利いたことに感謝、感謝だった。
 技術の方がお見えになったのは、午後3時過ぎで、早速点検してもらった結果、原因はどうやらフィルターのつまりではないかと云うことになり、早速それを水洗いしてもらったところ、何と、ちゃんと作動するではないか。「なあんだ、そんなことだったのか」と肩透かしを食らったような気持ちだったし、そんな程度のことで、わざわざ多忙な中も煩わせてしまったことに、逆に恐縮するのだった。
 ともかく、解決できたことにほっとし、テクノサービスの方には丁重な挨拶をしながら、常日頃の手入れをしておけば防げたトラブルだと反省するのだった。電気屋さんに電話すると、社長は「ファイルターの詰まりでしたか」と、少し力ない返事だった。折角、自分が強力にお願いしたのだが、ユーザーサイドの管理不足という単純なトラブルだったことで、少々ご不満だったかもしれない。
 ともかくも、暖かいお正月が戻ってくれたことで、二人は、小さな幸せを覚えていた。しかし、である。不幸は、それで終わったわけではなかったのである。(以下、明日に続く)

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456 愛子さん、頑張る

 元気で頑張っている「愛子」さんの話である。
 14日に学習院幼稚園を卒業された敬宮愛子さんの元気な姿をニュース映像で見た。その日の夕方に、天皇、皇后両陛下を皇太子、雅子さんと3人で、皇居、御所に訪問された時の映像だったが、そこにはすこぶる元気に頑張っている(?)愛子さんの姿があった。あの羽毛田宮内庁長官から両陛下への挨拶が少ないと苦情を受けて以来の訪問だったそうだ。そういう意味では、確かに訪問頻度は多くないように思う。四月からは、愛子さんもいよいよ学習院初等科に進まれる訳で、皇太子、雅子さんもその辺りの配慮は必要だろう。
 スキーのモーグルの上村愛子さんは、このところ絶好調で、今期のワールドカップでは5連勝を飾り、堂々の総合優勝を果たした。1998年の長野オリンピックでは7位だったが、10年かかって頂上に登りつめた。ご立派である。2年後のバンクーバーオリンピックでの金メダルが期待される。皮肉にも、あの長野で金メダルを取った里谷多英さんは、その後変な話題を提供してくれたが、肝心の競技では冴えていない。
 さて、元気な愛子さんがもう一人、筆者のごく身近にいる。手前味噌で恐縮だが、筆者の母親だ。今年で96歳になる。相方だった父親が97歳で他界したのが2000年の暮だったが、それよりも長生きする可能性が出てきた。ここまでくると、生きるのも大変だが、懸命に頑張っている。

2.昨日の雅子(72)
 特記事項なし。前日とほぼ同じ状況でまあまあ平穏な一日。 

3.連載(421) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(47)
  第二章 年末年始は自宅で (9)

(3)エアコントラブル(その1)
 1月2日の朝だった。思いも寄らないトラブルに見舞われた。エアコンの故障である。しかも、それが悪いことに、雅子が大半の時間を過ごすリビングのエアコンだった。
 一考が二階の自分の部屋でブログを終えて、雅子の部屋に降りて来ると、部屋が少し寒かった。雅子に「寒くないかい?」と聞くと、少し寒いと言う。エアコンを確かめると、風を吹き出す口から風が出ていないのだ。どうしたのかと、いろいろリモコンをいじってみたが、どうしても温風が出てこない。これは困ったことになったと思案して、いつもお世話になっている購入先の電気屋さんに電話を入れた。しかし、生憎、お正月である。誰も電話には出ない。
 折角、雅子が帰って来てくれているのに、暖が取れなくてはどうしようもない。とりあえず、今は使っておらず。2階にほおってあった電器ヒーターを持ち出して来て一時凌ぎを図る。しかし、部屋全体を温めるにはパワー不足だった。生憎、石油ストーブは持ち合わせていない。折角の雅子の帰宅に水を差されたようで、一考は面白くなく、そのリカバーに焦燥感を覚えていた。
 驚いたのは、一考がこのエアコンの扱いについて、全く知見を持ち合わせていないことだった。急遽、その取扱書を探したのだが、それがどこにあるのか見つからない。一年半前に、この部屋をリフォームした際に新たに購入し取り付けたエアコンなのだが、その時に台所や風呂のオール電化を同時に行なったので、それらの説明書などと一緒に保管していると思っていた。しかし、その中にエアコンの説明書だけがない。何回か繰り返し探したが見つからなかった。
 やむを得ず、一旦諦めて昼食を取ってから、改めて部屋全体に捜索範囲を広げて探したところ、やっと部屋の隅から見つかってほっとした。そして、直ちに故障の説明部分に目を通したが、それに該当するような説明を見つけることが出来なかった。困ったことになったと、半ばやけになってその説明書をテーブルの上に投げ出した。その時、ラッキーが微笑んでくれたのである。その裏のページに書かれていたメーカーのコールセンターの電話番号が目に付いた。藁をも掴みたい心境だった一考は、とりあえずその番号に電話してみた。(以下、明日に続く)

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455 介護者の悲劇

 一昨日奈良県で起きた事件である。自宅の寝室で、認知症の妻(84)の首を絞めて窒息死させたとして、殺人容疑で夫(87)が昨日逮捕された。逮捕された夫は「介護に疲れた」と容疑を認めている。二人は、娘夫婦と同居していたが、その時は外出中だったという。
 この種の痛ましい事件は、後を絶たない。三日前には、神戸地裁で、同種の事件で殺人罪に問われていた被告(85)に、懲役3年、執行猶予付きの判決があった。事件は、昨年の11月11日に起きた悲劇で、大腸癌と診断された夫が、認知症の妻の将来を悲観して絞殺したのだった。被告は約50年前に長男をなくし、6年間妻を一人で介護していた。なお、被告は逮捕後に癌の摘出手術を受けていて、経過は順調だと言う。
 難病の妻を持つ筆者は、この種の事件に無関心ではおられない。幸い、施設にお世話になったことで、今は介護の大変さからはほぼ解放されたが、80歳後半以上になっての介護の大変さは想像に難くない。いわゆる、後期高齢者のウエイトが高まってゆく日本の実情の中で、この種の悲劇を避けるのは至難の業ではないだろう。どうすればいいのだろうか。神戸地裁ではその判決の中で、「社会全体で取り組んでいかねばならない問題を内在している」としている。
 筆者も、社会保障の恩恵で、経済的な面では助けられていて感謝しているのだが、その種のセイフティネットにも限度があり、不安を完全に解消するのは不可能だろう。長寿社会の喜びの裏側で、対応の難しい深刻な課題である。
 幸い、筆者は、今は元気で体力もそれなりにあることから、「生きることの大切さ」を二人で語り合い、雅子を励ましている毎日だ。なるだけ、遠い将来のことは今は考えないようにしている。

2.昨日の雅子 (71)
 朗読して聞かせていた自分の小説「執念」を一昨日に読み終え、昨日からは未発表の短編小説「視角」に移った。まさしく、この「視角」の最初の読者(?)である。「執念」に関しては、「難しくて面白くいなかった」とそっけない感想で、覚悟はしていたが、少し落ち込んだ。発声力が少し落ちてきているようで気になる。言葉を聞き取るのが大変なのだ。

3.連載(420) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(46)
  第二章 年末年始は自宅で (8)

(2)束の間のお正月(その4)
 そういうことで、一考は、この正月の期間は苦手な料理などの雑用から一切解放される。自分達の食事は、手配して置いたおせち料理で充分間に合う。今年も琵琶湖ホテルのものを購入したが、これが結構おいしく、何とか三日間を賄えそうだった。そういう意味では、一考にも有難い貴重なお休み期間である。
 さて、お正月の楽しみの一つはテレビで駅伝を楽しむことだ。元日には実業団、そして、明日、明後日には伝統の箱根駅伝がある。しかし、さすがに元日は、何かと忙しく駅伝を楽しむ余裕がなかった。それだけ、雅子への介護、太郎への気遣いで大変だったといえよう。
 その一つが、おしゃべりの相手、そしてトイレの介護だった。ドリームスペースで3週間を過ごした訳だが、その間で雅子の介護で大きく変わったのが、先にも述べたように、トイレの回数だった。
 自宅にいる時には、寝る前には保険として、紙パンツをはく様にしていた。そのため、夜中に起きる必要はなかったのだが、ドリームスペースでは、紙おむつの使用は、雅子の肌が弱いから避けた方がよいということで、一旦は使用しなくなった。そのため、安全を期するために、夜中の1時半、それに明け方の5時頃に、小用に起こしてくれていたのである。
 そのペースが雅子の身に着いたことで、自宅に戻って来てからも、そのパターンを踏襲することいになり、夜中に起こす作業が加わって、一日のトイレの回数が8回を数えるようになっていた。その上、もっと厄介だったのは、以前には、握り棒に手を置くことで、何とか自分の身体を支えられたのだが、それが全く出来なくなっていた。体力がそれだけ弱って来ていたのだ。従って、一回のトイレでも、その作業のきつさは、それまでにないレベルになっていた。若し、このペースでの介護を続けないといけないとすれば、一考の身体がもたなくなるのではと不安に思うのだった。
 又、暫く介護から離れていたことで、その手順の取り違えから、思わぬ失敗もあった。昼寝から起こそうとして、上着を取ろうと手を離した瞬間に、雅子がベッドの下に崩れるように転がり落ちた。彼女の症状の悪化がそれだけ進んでいたのだが、その辺りの理解が充分でなかったのだ。そして、慌てて抱き起こそうとしたのだが、脚が折れ曲がって思うようにならない。雅子も痛がって声を出すものだから、慌ててしまい、こちらも足が滑って転んでしまい。思わぬ苦戦を強いられた。「初転び、助けてこずり、自らも転ぶ」笑い事ではなかった。(以下、明日に続く)

454 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

 今から二十数年前、筆者が大阪勤務時代に、共に仕事をした仲間の一人が東京転勤になるというので、昨夜、OB連中が大阪に集まって壮行会を行なった。遠路、愛媛や名張からも駆けつけたOBもいて、今まで行なわれたOB会以上の盛り上がりとなった。まさに、彼女の良き人柄の証である。
 彼女は昭和53年に入社、それ以降、30年間に渡って大阪で地道に頑張って来ていた。清楚で、真面目で、落ち着きがあって、その上スタイルも良く、美形で、好感度抜群の女性である。それだけに、筆者をはじめとして、多くの男性の憧れの的だった。久し振りにお会いしたが、そのイメージはそのまま健在で、ほのぼのするものを感じて嬉しかった。
 連想ゲームではないが、彼女の名前を耳にすると、何故か筆者の頭に浮かぶ短歌があった。 百人一首の中の11番目の参議篁(さんぎたかむら)(802~852) のものである。
   わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海女の釣舟 
 筆者の連想は、彼女の名前の一部が組み込まれているからという単純なもので、全く他意はなかったのだが、今度の東京転勤という話しを重ねると、偶然であるにせよ、何か特別な意味をもっている様にも思えるから不思議だ。しかし、敢えて、次のように解釈することで、無難に話の辻褄を合せられる。
 「人生は、常に挑戦することで味が出るものだ。今回の入社後30年を経ての東京勤務は、まさに貴重な挑戦の場を頂戴したもので、今まで以上に自分の力を発揮して頑張ってきますと、皆様にはお伝え下さい」
 つまり、新たな彼女の挑戦の意志表示と解釈すればいいのだ。味のある新たなページが彼女の人生史に付け加わることになるはずだ。折りしも、今朝の新聞は「ドル急落99円台」という活字が躍っている。東京は荒海の中心だ。遣り甲斐のある仕事が待っているはずである。
 改めて、「頑張れ! 八十原弘江さん」 と申し上げる次第である

2.昨日の雅子(70)
 穏やかな天候だったので、車椅子で屋上に連れてもらって、久し振りに琵琶湖を眺め、その雄大さを堪能したという。総じて、平穏な一日だったようだ。

3.連載(419) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(45)
  第二章 年末年始は自宅で (7)

(2)束の間のお正月(その3)
 夕方に太郎が帰るので、西大津駅まで送ってやった。折角、時間とお金をかけて、千葉から遠路帰郷したが、その滞在時間が僅か24時間そこそこでの帰宅で、単価が高くついた帰郷だった。明日行なわれる国立競技場でのラクビーを見たいというのだ。趣味で発散するのも健康の一つだから、それはそれでいいと一考には不満がなかった。いずれにしても、帰って来てくれたこと自体に意義があり、雅子も大いに感激していた。
 一般的には、娘なら、何をさて置いても優先的に帰って来てくれる傾向があると言われているが、息子の場合は、仕事との関係もあって、その辺りの対応が本質的に違う。次男の場合も、年末まで仕事があって、なかなか帰る時間が取り難いということだったので、無理をしなくてもいいと伝えて、今年は帰宅しないことになった。孫の顔を見られないので寂しいが、止むを得ない。それだけに、たとえ、24時間という短い滞在でも、自分の様子を窺いに帰って来てくれた太郎の帰宅は、雅子には、大変嬉しかったに違いない。気掛かりは、その太郎が未だに独り身でいることで、良縁に恵まれることに期待しているのだ。今年こそいい年であって欲しいと雅子は心底願っているのだ。
 折角帰って来た太郎だったが、雅子のことで手一杯だったことで、太郎のことまで面倒を見てやる余裕はなかった。従って、駅まで送って、ほっとしたというのも一考の正直な気持ちだった。
 その後は、好むと好まざるに関わらず、水入らずでの雅子との正月となった。雅子の症状を考えると、今後、このような形でのお正月を迎えられるかどうか、先行きについては分からない。とにかく、じっくりと味わったお正月にしたいと思うのだった。しかし、そうは言っても、普通の人たち同士のように会話は弾まない。一考が通訳をかねての一人しゃべりの時間にならざるを得なかった。つまり、雅子の言わんとしていることを確認しながらのおしゃべりするのである。じれったい会話ではあったが、そうすることで、一考自身も結構楽しんでいるとも言えた。
 幸い、この期間は、母親の食事は、姉達が用意してくれていたので、こちらが気を使うことはなかった。明日には、静岡にいる妹も帰って来て、数日間は面倒を見てくれることになっている。従って、その間は、毎日2回顔を出している久子も、ここに出て来ることもせず、一年間で貴重な数日間の休日を自宅で過ごすことになっている。(以下、明日に続く) 

タグ : 参議篁 ドル急落

453 ドッキング

 日本時間で今日の午後、エンディバーと国際宇宙ステーションがドッキングする。そして、明日には、土井隆雄さんがロボットアームを使って施設となる「きぼう」をそのステーションに取り付ける作業を行なう。宇宙空間に初めて日本独自の宇宙空間が登場する歴史的な日となる。
 その土井隆雄さんに関して、コラムニスト勝谷誠彦氏が昨日のコラム(有料)で披露した内容に強い感動を覚えたので、無断で申し訳ないが、その一部を引用させてもらう。
 同氏は、土井さんとの共通体験を披露するのfだが、その最初はアポロ11号の月着陸だったと述懐している。その頃、土井さんは中学生になっていたが、勝谷氏はまだ小学3年生だった。母親の買い物についていって、立ち寄った八百屋の店頭に置かれたテレビでから流れる、荒れた白黒映像で、月着陸を見たという。
 土井さんが宇宙飛行士になったのは85年で、勝谷氏が文藝春秋に入社した年で、三浦和義が逮捕され、日航機が墜落し、阪神タイガースが優勝、夏目雅子さんが逝った年だった。
 初飛行まで12年、2度目の飛行はさらに11年。コロンビア号の空中分解事故では、親しい飛行士を失い苦しい時間を過ごした土井さんが、忍耐強く待った理由は、「宇宙は子供時代からのあこがれ」だったからだという。
 勝谷氏は、土井さんの生き方の事例を細かく紹介しながら、「自分を探して」ではなく、自分が望んでいる場所に立つために、ただひたすら歩いて来たことを訴えたかったのだろう。同氏は、自分の座右の銘の「ただ生きるな、よく生きよ」を引き合いに出し、たとえ到達しなくてもいい。しかし、いくつになっても、到達したのなら、そこに立ちたい。途中、いちどは宇宙に出て、衛星のハンドキャッチという離れ業をやってのけたとはいえ、待ち続けた土井さんの23年間は、まさに「よく生き」てきた時間ではなかったのかとも指摘している。
 勝手に咀嚼して引用したので、勝谷氏の真意から外れてしまっているかもしれないが、土井さんの宇宙へのひたすらの人生を語りながら、そこに自分の人生を重ねて見ている勝谷氏に、一見荒削りに見える同氏の人柄にロマンチックさを見たのだった。
 余談かも知れないが、コラムニストとして確固たる地位を得た同氏だが、最近、文春時代の当時の上司だった花田紀凱氏と並んで、テレビ出演しているのを見て、筆者は、何か心温まるものを感じている。扱い難い部下の典型だったと思われる勝谷氏の力を見抜いて、育て上げた花田氏の慧眼さはさすがだと言いたい。二人が並んでいる映像は、サラリーマンの世界では珍しい風景で、心が和む。今でも、勝谷氏のやんちゃ坊主的な一面は健在で、とかく品性はよくないと見られがちだが、こんなタイプのコメンテーターも貴重で必要だ。また、失礼な言い方だが、見た目以上に物知りである。今日は、勝谷誠彦氏オンパレードの「ひとり言」となってしまった。

2.昨日の雅子 (69)
 前日よりも少し元気を回復しているようで、ほっとした。一生懸命に生きている雅子を見ていると、自分の心が勇気付けられる。しっかり生きなければと改めて思う。

3.連載(418) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(44)
  第二章 年末年始は自宅で (6)

(2)束の間のお正月(その2)
 そういう意味では、ブログは唯一のクリエイティブな活動ではないかというように捉えていた。自分でも驚いているのは、ある意味では思いつきで始めたこのブログが、一年以上も続けられていて、その上に、連載し始めた雅子の「難病との闘い」が、これまた、ずっと継続できていることである。
 こうして、二人の大変な闘いを記録することで、自分達の闘いのドギュメントを仕上げて行く。それが何になるかとか、どんな意味があるとかは深く考えない。人生は、自分の歴史を創ることだと考えたのは、会社に入って間もなくの頃だった。そういう意味で、何か記録に残すことで、自分の歴史の証になるのではと考えている。趣味の小説を書くことも、広く言えば、その一環だった。自分の思考や歩みを、拙くても小説という形で作品に仕上げることで、その足跡を形にしておく。逆に言えば、それらを、繋いでみることで、自分の人生のある側面を捉えらえることが可能になる。
 その一方で、同じような苦しみを味わっておれる方々に、多少なりとも参考になったり、勇気付けにでもなれば、それはそれで幸いなことである。また、そのことは、こちらが勇気付けられることになり、スパイラルな相関関係が成り立ち、自分の存在感が確認できることにでもなり、望外の嬉しさに出会うことになる。
 いずれにしても、意識して自分の人生の意味、目的を捜し求めながらの新年のスタートになり、逆に言えば、今までにない新鮮ささえ覚えるのだった。
 進行性の病気の厳しさを、この一年間を実感してきていただけに、一体何処まで悪化が進むのかに大きな不安を抱いている。残酷な言い方になるが、早く、その悪化が行き着くところまで行って欲しいという気持ちも大きい。ここが終りで、これ以上は悪くならないということでの安心感を得たいからである。いずれにしても、マイナスにも終点があるはずだと思いながら、今年は、その終点を一刻も早く確認したいという気持ちが強い。
 今までの新年になかったいろんな複雑な思いが交錯する中で、静かにお正月がゆっくりと過ぎて行くのだった。(以下、明日に続く)

タグ : 勝谷誠彦 土井隆雄 花田紀凱 三浦和義 夏目雅子

452 三人乗り自転車

 スペースシャトル・エンディバー土井隆雄さんら、7人を乗せて打ち上げられた。今回は、20年来の構想だった日本初の有人施設「きぼう」の建設に着手される。夢は壮大である。
 トヨタが、4人乗りの超コンパクトカーを発表した。ヨーロッパで人気のあるサイズで、環境対策が施されており、その動向が注目されている。
 一方、子供2人を乗せた3人乗りの自転車が、ご婦人からの強い要望を受けて、その対策車の開発検討が行なわれている。自転車は、車を運転している者からみると、大変気を遣う対象なのだが、3人乗りとなれば尚更で、その安定性確保は絶対条件だ。
 一般的には、三角形に代表されるように、「3」は安定を示唆することが多い数字だが、この3人乗り自転車は例外だ。また、今の民主党の小沢、菅、鳩山の3人体制も、不安定体制の格好の事例だ。常に不安懸念が内在しているだけに、その綻びが何時出るのか、興味津々だ。今回の日銀総裁の扱いでは、取り敢えずは、纏まって政府案に不同意を決めたようだが、これは世論を甘く見た対応だと言いたい。今朝の新聞各紙の論調は、全て、それを強く批判している。さあ、どうなるか、今後の動向に注目したい。
 さて、余談だが、何人乗っかろうが構わない株の話だが、心配していた昨日の東証だったが、午後になって反発した。それを受けて、今朝の米国ダウも、400ドルを越す超反発となった。株の動きは誰にも分からないだけに面白い。今朝の東証も大きく動きそうだ。

2.昨日の雅子 (68)
 一考が訪問した時点では、雅子は入浴直後で、ベッドで少し横になっていて、何となく、元気がないように見えた。言葉も、それまで以上に不鮮明なのが気になった。前夜、小用のタイミングがずれて、介護士さんには大変なお世話になったようだ。

3.連載(417) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(43)
  第二章 年末年始は自宅で (その5)

(2) 束の間のお正月(1)

 一考は、元旦は4時起きだった。その前の3時に雅子の小用を介護していたので、その後、少しうつらうつらしての目覚めだったが、新年ということで、気持ちが高揚していてすんなりと起きられた。気合が入っていたと言える。
 直ぐにお雑煮の準備に入った。昨年に続いてのことで、慣れていると思っていたが、どうもうまく行かない。お餅がすんなりと柔らかくならないのだ。それでも、取り敢えずは、二人だけで先に済ませた。
 暫くして太郎が起きてきたので、雑煮を用意してやった。その後、母親が11時頃に久子の介護で起きたので、改めて雑煮を用意して母屋に運んで、取り敢えずの元旦の雑煮のセレモニーを終えた。何だか、落ち着かない元旦だった。
 一息ついて、届いた年賀状を仕分けしながら、一考はしみじみと新年に掛ける思いに耽っていた。いつもなら、今年はこんなことをしたいと言うような希望に満ちたものを頭に描いて楽しむことが多いのだ。例えば、昨年の正月は、雅子の厳しい状況を憂いつつも、自分の人生で初めて長年の夢だった出版である種の達成感に満たされ、どの程度の関心が得られるか、読者の反響などへの期待と不安でわくわくしていた。結果的には、残念ながら、期待からは程遠く空回りをした形に終わった。いずれにしても、何かに賭ける思いで、新しい年を迎えるのが常だった。
 しかし、今年はそんな燃え立たせるようなものは全く思い浮かばない。あるのは、雅子の施設での新しい人生がどんな具合に展開して行くのかといった重苦しい思いが頭を占めていた。端的に言えば、不安先行で、ネガティブな思考で、頭は一杯になっていた。そんな重苦しい中で、何かクリエイティブな明るいものを見つけていかねばならない。大きな不幸の中で、小さな幸せを捜し求める地味な人生を切り開いていかねばならないが、さりとて、何から何をどうすればいいのかという具体的な話になると、どうしていいか分からず、雅子の様子を見ながらじっと待って、耐える形の一年になりそうだと自分に言い聞かせるのだった。(以下、明日に続く)

タグ : エンディバー 土井隆雄

451 不安拡大

 日銀総裁人事を巡って与党と民主党がにらみ合いを続けている。今日、その候補者である武藤敏郎現副総裁から所信表明を受けて質疑が行なわれるが、民主党をはじめ野党は全て反対の意向で埒が明きそうもない。若し、福井現総裁の任期切れの19日までに決まらないと、この重要なタイミングでの総裁不在となり、不安が拡大することになる。相撲なら、にらみ合っていても、制限時間が来れば、両者が立ち上がることになっているが、この場合は、制限時間はどのように扱われるのか。果たして、福田総理が、どのような舵取りをするのか、妙手があるのか、今後の展開は読めない状況にある。
 同様に、不安が拡大し、今後の展開が読めないのが今の株価である。昨日の東証は2年半ぶりの安値で12500円台になった。一時、18000円台であったことを考えると、その低迷振りに目を覆いたくなる。しかも、今朝の米国ダウは160ドル近い下げてあり、今日の東証は更なる下げが予想され、今や、底なし状態にあると言える。筆者の持ち株資産も、インターネットで株を始めて3年になるが、今やその最低額を更新中であって、不安を越えた諦め状態だ。

2.昨日の雅子 (67)
 通じもあって体調は順調のようだ。なお、一昨日は少し温かかったこともあって、介護士さんに車椅子を押してもらって、しばし、外の散歩を楽しんだという。介護士さんもいろいろと気を使ってくれている。

3.連載(416) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(42)
  第二章 年末年始は自宅で (その4)

(1) 年末の慌しさ(4)
 なるべく新年をゆったりとした気分で迎えたいと、雅子のお風呂は早目の2時過ぎに済ませることにした。要領は、以前と同様な介護方法で対応できた。湯船では、手を離すことは出来ず、慎重にしっかり手で支えながら安定を保ったままの入浴だった。てこずったのは、雅子を湯船に出し入れする作業で、バランスを保ちながらの力仕事で結構大変だった。それでも、身体全体がお湯の中にしっかりと浸かれたことで、気持ちよさそうな顔を見て、一考もほっとするのだった。
 どこの家庭でもそうだが、大晦日は、いつもよりも雑用が多い。部屋の掃除、お正月の飾りつけなどが必要となるが、いずれも、必要最小限に止めざるを得なかった。おせち料理は、前年同様に琵琶湖ホテルのものを予約しておいたのだが、それは、お昼前には配達されていた。
 4時過ぎには、長男の太郎が帰宅した。一晩だけこちらで過ごすと言う。慌しい帰郷である。何しろ、ラクビーの大のファンで、特に、自分の卒業した慶応と公務員になった後で夜学で勉強した早稲田のファンだから堪らない。今年はその2校で2日に大学選手権の決勝が国立競技場で行なわれるので、それを見るために元日の夕方に東京に戻ると言うのである。それでも、次郎が、仕事の関係で帰って来れないから、雅子には嬉しい長男の24時間滞在となるのだ。
 とにかく、雅子も太郎に会うのは久し振りで、その元気そうな顔を見て嬉しそうだったが、太郎の方は、雅子の変わりように戸惑っていた。それでも、傍に寄って、二人で近況を話し合っている姿に、一考はほっとしたものを感じていた。最近の、太郎は暇つぶしに映画などのエキストラに関心があるようで、しきりに自分が参加したドラマなどの話を、雅子に聞かせていた。
 暫くして、3人で、とりあえず蕎麦を食べた。大晦日の恒例のセレモニーである。後は、手間の掛からない安いステーキを焼いて大晦日を過ごすことになった。雅子も、この日だけは、いつもの施設での9時就寝ではなく、NHKの紅白歌合戦を最後まで見て、新年を迎えることになった。
 こうして、慌しく、2007年はあっけなく幕を閉じた。雅子にとっては、ますます症状悪化が進み、手足だけでなく、身体の自由が完全に失われることになった厳しい一年だった。その結果、年初には、二人の頭には全く存在しなかった、老人ホームでお世話になるという大変な展開となったのだった。(以下、明日に続く)

タグ : 日銀総裁 武藤敏郎

450 失速

 あまりにも簡単に期待が裏切られた。驚きの失速だった。筆者は、マラソンがスタートしたのを見届けて、雅子がいる施設に向かったのだが、そこでテレビを見た時点では、既に、高橋尚子は先頭集団から遅れていた。「ええ1」と驚く一方で「やっぱり」という思いでで複雑な気分だった。
 先の大阪女子マラソンで、あの福士加代子が30Km過ぎから失速したケースとは違う。今回の高橋尚子の場合は、それまでの報道で、必要な準備をしっかりして満を持しての出場と見ていただけに、何だか騙されたような気持ちだった。レース後に、膝の半月版の手術をしていたとの告白があったが、それにしては、レース前の数多くのインタビューで、結構はしゃいでいただけに何ともしっくりしない衝撃的な結果だった。ただ、39歳の弘山晴美が9位に入ったのが、高橋の望みを繋ぎとめる励みになったのだろうとみている。
 なお、このレースで初めて知ったが、陸連が選手のために、予め指定トイレを用意していると言う事実である。カメラがそこに駆け込む高橋の姿が捉えていたが、そこにはプライドも何もない彼女があり、見た目以上に苦しい完走だったと気の毒に思った。
 失速と言えば、福田内閣も既に大分前からそんな状態である。この場合は、完走を諦めて、早目のリタイヤーが望ましいとの声が大きいが、何とか頑張って、失速回復を図って欲しい。一方、昨日の女子ゴルフでも、横峯さくら古閑美穂も、失速した典型的な事例だろう。勝負は、下駄を履くまで分からない。かく言う筆者は、失速どころか、もともとスピードなんかなかったのだから論外だ。(文中敬称略)

2.昨日の雅子(66)
 昼食後、ベッドに少し横になって身体を休めていたが、体調に異変があった訳ではない。雅子は以前から女子ゴルフが好きで、元気な頃は、自分も少しやって楽しんでいた。昔から不動祐里のファンだが、彼女の場合は、失速ではないが、かつての冴えは見られない。今年は、何とか、もう一花咲かせて欲しいものだ。雅子は、少し精彩を欠いているように見えたが、久し振りのゴルフ中継を楽しんでいた。平穏な一日。

3.連載(415) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(41)
  第二章 年末年始は自宅で (その3)

(1) 年末の慌しさ(3)
 自宅での一考による介護再開ドラマは、雅子の何気ない一言で幕を開けた。、
 「ドリームスペースの方が居心地が良かったわ」無事帰宅した雅子が発した一言だったが、一考は、複雑な思いで受け止めていた。この一言は、紛れもなく、雅子がドリームスペースの生活に馴染んでいることを意味していて、喜ぶべき、また安堵すべき内容であることは確かだった。しかし、その一方で、少しでも温かい家庭での生活を提供しようと考えていた一考だけに、何だか単純に喜べない心境になるのだった。いずれにしても、こうして、一考の懸命な介護の生活が再開されたのである。
 その日は、移動の疲れもあって、介護でもっとも大変なお風呂はスキップし、翌日の大晦日に、早めにゆっくりと入れてあげることにした。久し振りの家での食事だったが、これも、一考が期待したほど、雅子は喜んだ訳ではなかった。ここでも、ドリームスペースでの食事を雅子が気に入っていたことの証でもあった。
 いずれにしても、久し振りの介護に、一考自身が戸惑っていた。それまでやっていた要領を忘れていたこともあって、梃子摺ることが目立った。そういう意味では、この種の仕事でも、慣れと継続という行為は、如何に大事であるかということを改めて知るのだった。
 それまでの介護と違った一つは、トイレの回数が増えたことで、それによる段取りの変化だった。ドリームスペースに入居した直後から、夜のトイレが一回加わっていた。つまり、トイレは、ほぼ3~4時間間隔で対応するペースになっていて、それまでになかった深夜にも介護が必要になっていたのである。
 そして、帰宅した日の深夜、と云うよりは、日が変わった直後の12時過ぎに一考は、雅子に起こされた。ちょうど寝入りばなだったので、てっきりそれがトイレだと錯覚して、直ぐに雅子をトイレに運んだのだが、実は、点けっ放しのテレビを消して欲しいというものだった。一考の早とちりだったが、とにかく深夜のトイレを済ませたので、次回は夜明け前だろうと自分に言い聞かせて、再びベッドに横になった。
 果たせるかな、4時過ぎだった。雅子から声が掛かり、急いでトイレへ。そして、再びベッドにもぐりこんだが、うつらうつらしたま朝を迎えた。結局、5時半前に起床し、朝の準備、雅子の着替え、朝食と進めたが、3週間ぶりということで、自分のペースを取り戻すのに少々戸惑っていた。(以下、明日に続く) 

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449 26年ぶりのプロ野球

 昨日の朝、病院に行くために皇子山球場の前を通ったところ、いつにない多くの人で賑わっているのを見て、プロ野球のオープン戦阪神西武戦が行なわれるのを思い出した。何しろ、大津でプロ野球が行なわれるのは26年ぶりで、1982年に西武ー中日戦のオープン戦以来だという。
 筆者は、この試合を、施設で雅子と一緒にテレビ観戦した。地元のびわ湖放送が時間延長して放映してくれていた。見た目には外野席もほぼ満席で、かなりの盛況のように思われた。高校野球しか見ない筆者には、これほど満席になったのは、今までの記憶にはなかった。しかし、今朝、新聞で確認すると観衆の数は、11543人だという。そんな程度だったのかと思いながら、昨日行なわれた他の球場でのオープン戦と比較してみると、京セラドームよりは多く入っていたが、それ以外とは大幅に少ない。これでは、ビジネス面からは、それほども魅力はないのかも知れないと思った。
 とにかく、大津ではプロ野球の公式戦はまだ一度も行なわれていない。因みに、彦根球場では戦後2試合の公式戦が行なわれている。球場の格付けも、皇子山球場が昨年に改修を終えるまでは、彦根球場が上位にランクされていたようだ。
 筆者は、大津人として、いつも彦根を意識するのだが、いろんな面で、追い込まれているような気がしてならない。高校野球大会でも、昨年、やっと、準決勝、決勝戦を皇子山球場に取り戻したが、今年からはどうなるのだろう。県庁所在地としてのプライドはしっかり守って欲しいと思っている。
 さて、プライドと言えば、今日、いよいよ女子マラソンの北京オリンピック出場権を掛けた最後の選考レースとなる名古屋国際女子マラソンが行なわれる。あの高橋尚子選手が、そのプライドを維持できるのかどうか、全国のファンが固唾を飲んで注視する。筆者は、今では彼女のファンではないが、彼女に最後のチャンスを与えてあげるのも良いのではと思っている。果たして、彼女は夢を叶えられるのか。頑張れ、高橋尚子!!

2.昨日の雅子(65)
 午後、雅子と一緒に皇子山球場からの中継を楽しんだ。夕方、暫く、便秘が続いていたので、コーラックを服用しようと準備してもらっている段階で、通じがあった。介護士さんともども、「よかった、よかった」と一安心だった。

3.連載(414) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(40)
  第二章 年末年始は自宅で (その2)

(1) 年末の慌しさ(2)
 家族と一緒に自宅で過ごす方が、より温かな正月を過ごせると考えたのは、あくまでも、一考の独断的な判断だった。年配の人間ほど、そんな古い概念で、この種の施設や介護について間違った理解をしてしまっていることが多い。一考の両親などはその典型で、姉の久子から聞いた話だが、父親が生前に「母親だけは、施設に預けることだけはしないでやってくれ」と言っていたという。施設が、いわば、姨捨山と言われていた時代が長く、両親などは、そんな時代に生きていた。今日のように手厚い看護で楽しい生活を送れるなんて思いも寄らなかった時代の話で、止むを得ない判断だったと思う。
 時代が移り、世の中の仕組みが大きく変わって来ている。一考自身も、この一ヶ月の経験で、現在の施設の環境、介護の実態に接し、それまでの一般的な概念とは大きく違っていることに気づいていて、それなりの理解者になって来てはいたが、それでも、その理解は十分とは言えず、未だ古い人間の範疇に属していると言えるのかもしれない。
 加えて、一考のそれまでの読み、判断は、結果的に見れば、いつも甘さがあった。そこには、予期以上の雅子の症状の悪化が進んだこともあったが、この二年半に渡る介護生活では、幾たびか思惑と違った展開となった。それでも、いつもぎりぎりとなりながらも、うまくピンチをすり抜けて来られたことは幸いなことだった。大津への帰郷のタイミングといい、リフォームのタイミングなどは、その典型的な事例で、ゆとりをもって決断したはずだったが、結果的には、もう少し遅れていたら、大変な厳しい事態に追い込まれていたと言える。そういう意味では、この老人ホームへの入居についても、まだまだ自分で介護ができると言うことで「軸足を施設に置きながらも、半分ぐらいは自宅で、云々」と言っていた訳だが、これからの結果を見ても明らかになるのだが、先の見通しについては、随分と見間違っていたことになる。
 この一時外泊にしても、自宅で過ごす正月の方が、雅子が温かい正月になると言うのも、これまた典型的な一考の独断で、結果もそんなことを実証することになるから、人生は結構皮肉に出来ていて面白いのだ。。
 その日、昼食が終わるのを待って、一時帰宅の準備に入った。着替えのセーターなども幾つか逆に持ち帰る。また、長男の太郎が帰って来るということで、いつもコンピューターを使っている一考の部屋を開けなくてはならないので、そのために、ここに持ち込んでいた小さなテーブルも一旦、持ち帰る必要があり、ちょっとした荷物運びも必要だった。
 いずれにしても、雅子にとっては3週間ぶりの帰宅である。何人かの介護士さんらに見送られて、「早く帰って来てね」との優しい言葉を頂いて、ドリームスペースを出たのは1時半前だった。その時点で、朝からのどんよりとした曇り空から、細かい雨がこぼれ始めていて、これからの厳しさを暗示しているようであった。(以下、明日に続く)

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448 19年目の春

 将棋界も、この3月は年度末で、昇級、昇段に関わる順位戦が各クラス共に最終局を迎える。ご承知の方も多いと思うが、この順位戦は名人戦に繋がる棋戦であり、加えて、棋士の基本給と連動している。それだけに、棋士が最も重要視している棋戦なのだ。あの「将棋界で最も長い日」としてNHKが生中継して取り上げたような悲喜こもごものドラマが各クラスで展開される。
 昨日行なわれたB2クラス(将棋界には、A,B1,B2,C1,C2の5つのクラスがある)で、屋敷伸之九段が念願のB1級への昇級を果たした。生憎、昨日の対局では敗れたが、競争相手も敗れたことでのラッキーな昇級だった。
 同氏は、プロになって直ぐに18歳6ヶ月でタイトルを奪取(この記録は今でも破られていない)するなど、お化け屋敷と言われて、順位戦以外の棋戦では大活躍をして来ていて、既に九段の称号を得ているのだが、どうしたことか、この順位戦では星に恵まれず、C1クラスでは、何と14年も足踏み、このB2クラスでも今年で4年目でのやっとの昇級だった。プロになって、何と19年かかってのB1クラスである。かくして、やっとA級が視界に捉えられた訳で、名人位を目指してのこれからの活躍を期待している。
 世の中には、力があっても、肝心な試合に勝てない不運な人も多い。しかし、それでも、努力して頑張れば、やがて春が巡ってくる。筆者も、19年目の春を迎えた同氏に、おめでとうと申し上げたく、名人戦中継の応援掲示板にメールを送った。
 
2.昨日の雅子(64)
 午後の入浴が終わって一段落した2時半頃、雅子の長兄夫婦に次姉の伸子さんの見舞いを受けた。兄夫婦は1ヶ月に一度の頻度で来てくれている。伸子さんは久し振りの訪問だ。雅子の顔も嬉しそうで、楽しいひと時を過ごしていた。やはり、血の通った兄妹ならではの安堵感が滲み出ていた。平穏な一日。

3.連載(413) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(39)
  第二章 年末年始は自宅で (その1)

 雅子が施設に入居して最初の年末年始は、入居3週間後にやってきた。一考にとっては満を持しての介護生活の再開となる。二年近く続けていた雅子への介護から解放されて、多少の寂しさを覚え始めていたタイミングだった。
 とにかく、正月期間ぐらいは、少しでも温かい家庭での生活を楽しんでもらおうと考えたのだった。しかし、そこには一考の予期せぬ悲喜こもごものドラマが展開されることになる。その辺りについて紹介をしてみたい。

(1)年末の慌しさ(その1)
 繰り返すことになるが、一考がこのドリームスペースとの入居契約を急いだ背景は、若しかの時に、つまり、急に施設への入居が必要となった時のことを考えて、その入居権を確保して置くことの必要性を考えていたからである。というのも、急に、探して見ても、直ぐに入居できる施設を見つけるのが難しいと聞いていたからだった。
 そういうことで、ドリームスペースに入居を決めた時点では、雅子の介護に関しては、軸足は施設に置きながらも、出来れば半分ぐらいは自宅で過ごさせ、自分が介護をすることを念頭に置いていた。そこには、まだ体力的に自分で介護を続けられるという自信があったし、雅子にも家庭の温かさを感じてもらいたかった。加えて、そうすることで、経費も多少は軽減できるからとの計算もあった。
 そんな訳で、雅子が、昼間座って過ごすためのマッサージ付きの大型の電動椅子もリビングに残したままにしていたし、寝室のベッドもリースが出来なくなるというので、新たに電動式のものを購入していた。また、トイレの握り棒のついた型枠も、リースから購入に切り替えて設置していて、雅子がいつ帰って来ても、ここでの生活が続けられるように準備していた。
 こうして、12月30日を迎えた。一時帰宅の日である。このタイミングは、入居して、3週間目に入っていて 漸く、雅子が施設での生活に慣れ始めた頃で、この一時帰宅が、適切なタイミングかどうか、一考も多少は躊躇していたのだったが、やはり、当初の予定通り、年末年始ぐらいは自宅で一緒に過ごす方がいいと考えて、施設でいう「外泊願い」を申請していたのだった。
 生憎、この日は、朝からどんよりと曇っており、時々小雨が降っていて、何時、雪に変わるかと思われるような寒い日だった。(以下、明日に続く)

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447 それ見たことか!

 大人気ない話だが、今朝は「それ見たことか!」と言ってやりたい二人の話である。
 その一つは、石原都知事である。石原銀行といわれる新銀行東京に400億円追加出資がされる。86億円の回収不能、132億円の滞納もあって、その存続が危ぶまれている。この銀行を作る時の石原都知事の意気込みは凄く、例によって、そのアイディアに溺れているような勢いがあった。それがどうだろう、昨日の記者会見での追い込まれた様子は、当時の面影は見る影もなかった。やはり、その道のプロがいなかったのではないか。今や、引くに引けない状況にあるようだ。「それ見たことか!」である。
 一方、昨日、住基ネットは合憲という判断が最高裁でなされた。「IT技術をもっと有効に使おう」という主旨で開設されたもので、筆者はかつて、名前だけだったが、IT部長を担当したこともあって、その主旨に大いに賛成の立場だった。しかし、今でも頭に残っているのは、あの桜井よしこさんが、親の敵のように、如何にも尤もらしく、あの真顔でこれの不安を訴えて反対をぶち上げていた。この方にも、「それ見たことか!」と言ってやりたい。
 因みに、私は、本質的には、このお二人のファンである。

2.昨日の雅子(63)
 通院日だった。その途中で、今までにない苦戦を強いられた。一つはトイレ、今一つは、帰りの駐車場でのトラブルである。自宅での介護では、何とかこなしていたトイレだが、今の雅子の症状は、物に捉まっても、自分で身体が支えられないので、一人で対応するのには厳し過ぎた。何とか、つぎはぎでやり終えたが、大苦戦だった。次が、そのトイレを終えて、駐車場で車に乗せようとしたのだが、駐車時には空いていた隣に、車が入っていて、その間隔が狭くなっていた。そのため、ドアが充分に開けられず、雅子の足がドアに引っかかり、どうしても一人では乗せられないのだ。困ったあげく、走ってきた車を強引に止めさせてもらい、手助けを頂戴して事無きを得た。突然の強引な申し入れにも関わらず、親切な方のご協力には頭が下がる思いだった。お名前も伺わず失礼しましたが、厚く御礼申し上げます。自分の力の限界を改めて知ることになった67歳の老人である。
 
3.連載(412) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(38)
  第一章 入居生活の始まり (その38)

(2)定着への試行錯誤 (その22) 
 友人の野田さんから一度お見舞いに行きたいと電話をもらったのは、正月の一時外泊(自宅で正月を過ごす)を翌々日に控えた12月28日の朝だった。野田さんからお見舞いといえば、あの、参議院選挙の日にお見舞いを頂いたことが思い出された。今回の申し出は、雅子からの要請で、先日、このドリームスペースに移ったことを伝えていたからだった。
 一考が、自分が毎日2往復しているので、ご案内申し上げると申し出たが、息子さんが帰っておられて、ちょうど堅田の方に用事があるから、そのついでに送ってくれるので、案内は不要ということになった。一考を煩わせないとする細かい心遣いだった。息子さんには、折角の帰郷の貴重な時間を無駄に使わせることになったのは申し訳なかった。
 野田さんが息子さんの車で、雅子の部屋に見えたのは2時半過ぎだった。久し振りの顔合わせに二人は感激し、野田さんは、優しく慰めてくれていた。三十分ほど二人で通じない会話を楽しんだようで、雅子はとても嬉しそうだった。手土産は不要と念を押しておいたが、それでも、お気遣いいただいたのには恐縮した。
 翌日は、一時帰宅の前日で、雅子もそわそわしていた。一考は、天候が明日から冷え込み、大雪も予想されるとの予報があったことから、車のタイヤを冬用に交換しておく必要性を感じていた。そこで、いつもお世話になっているトヨタの担当者に相談しようと電話を入れたのだが、生憎、前日で仕事納めになっていて、誰もいなかった。車のことに知見の乏しい一考は、介護士さんの話から、ガソリンスタンドでもやってくれるとの話を聞いて、いつもガソリンをお願いしているスタンドに立ち寄った。
 そこで、タイヤの交換をお願いしたのである。結構、費用が掛かることが分かったが、命には代えられないとの単純な判断で決断した。
 驚いたのは、交換してもらったタイヤのボリュームの大きさだった。小型車のパッソには、後部座席を使わないと収容できない。いざ、持ち帰ったものの、その重さは見た目以上で、適当な置き所がなかった。仕方なく、二階の空いている隅に積み上げたのだが、そのスペースのとり方も半端ではなかった。
 いつも何とも思っていなかったタイヤの存在を、これほど大きく感じたことはなかった。考えてみれば当然なことで、だからこそ、高速にも堪えて、我々の命を守ってくれているのだと納得したのだった。とかく、この世では、裏方の役割の大きさは見過ごしがちなのだ。(本章は今日で終り、明日から、第二章、年末年始は自宅で を連載します)

タグ : 新東京銀行 石原都知事 住基ネット 桜井よしこ

446 ヒラリー崖っぷちで踏ん張る

 米大統領予備選で、民主党は、オバマ氏に崖っぷちに追い込まれていたヒラリークリントン氏が、大票田のオハイオ、テキサス両州をを制して、決着を最終の党大会まで持ち越すことになったようだ。稀に見る接戦が続いているが、面白おかしく言えば、国民もこの接戦のゲームを楽しんでいるのではないか。どうやら、上下両院議員や党幹部の特別代議員の800人が勝敗の鍵を握ることになりそうで、まだ先が長い戦いだ。
 さて、崖っぷちといえば、福田内閣も笑ってはいられない。支持率の低下は止まらず、ここに来て、国会は止まっていて、予算関連法案の扱いが不透明、更には、日銀総裁の後継者問題、石破防衛大臣の扱いなどで、次第の威崖っぷちに追い込まれてきている。果たして、どのように凌ぐのか、これまた興味は大きい。ヒラリーのように、テキサスヒットでヒラリとかわせるかどうかだが、……。
 筆者の生活も、妻を施設に預けたことで、肉体的な大変さからは、崖っぷちをかわすことが出来たが、経済的jには予断は許されない。特に、企業年金が大幅に減る75歳以降には、崖っぷちとの戦いが必至である。まだ先の長い話しだが、がんばらなくっちゃ!

2.昨日の雅子(62)
 先日悪天候で延期になったお買い物ツアーが実施された。比叡グループ(仮称)の9人の皆さんが、揃って車椅子での出陣となった。2台の車に分譲して、近くの堅田駅近くのスーパーで、一時の息抜きをしてもらおうとの企画である。店内で思い思いの買い物したり、軽食をそれぞれが楽しんでおられたようだ。雅子も、入居して初めての経験だったが、それなりに楽しんでいたようだ。筆者も雅子のリクエストで付き添った。
 施設も、このように、いろんな機会を作って、居住人の気分転換の場を提供してくれている。介護士さんも、他のグループからの応援もあって、総力を挙げて場を作ってくれていた。有難いことだ。

3.連載(411) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(37)
  第一章 入居生活の始まり (その37)

(2)定着への試行錯誤 (その21) 
 この施設の自立棟に入居した雅子の二番目の姉の伸子さんが、頻繁に雅子を訪ねて来てくれるようになった。もともと、そういうことが可能だと言うことも、雅子がこの老人ホームを選択する一つの大きな理由だった。最初の内は、雅子もそういうことで嬉しそうだったが、如何せん、雅子の言葉がはっきりしない上に、伸子さんはもともと口数が少ない女性である。従って、二人は、殆ど黙ったまま、じっと並んで座っているだけだ。一考が、顔を出していても、そのパターンは変わらない。それでも、伸子さんは、お姉さんらしく、雅子の手首辺りをマッサージしてくれているのだが、雅子に確認すると、それの効果はほとんだなく、却ってくすぐったく気分はよくなさそうだ。まあ、しかし、姉妹だけに、一考には分からない通じ合うものがあるのだろうと、暫く見守ることにした。
 クリスマスイブの夕方、綺麗なお花が届いた。送り主を見ると、あの電気屋さんの社長さんからだった。細やかな心遣いに、有難さを思う一方で、購入した電気製品の支払いから、その分差し引いてもらってもよかったとの現実的な計算が脳裏の一角を占めていた。人間って、厚かましいものだと自己分析する自分がおかしかった。
 その二日後、入居して二週間余り過ぎた12月26日、、いつものように一考が朝、ドリームスペースに顔を出すと、急遽、ケアコンファレンスが行なわれることになった。介護に当たる関係者が集まって、現状の確認、今後の対応などについて話し合う会議である。出席者は、ケアマネジャーの竹中さん、介護係長の桜井さん、それに、ここのグループのユニットリーダーである松井さんに、我々二人を加えた五人である。以前、在宅介護を受けていた時に、ケアマネージャーだったカインドサービス24の深田さんが一度開催してくれたことを思い出していた。
 会議では、今の雅子の症状の確認から始まり、介護の対応で、なるだけリハビリにも注力することが取り上げられた他、一考が、一番気にしていたコミニケーションの方法については、可能な限り介護士さんが雅子の部屋を覗くようにして頂くということで、暫く、様子をみることになった。
 会議を終わって、出席者の皆さんの気遣いぶりに一考は感謝すると同時に、それぞれ、なかなか魅力に富んだ女性たちであることが印象深かった。(以下、明日に続く)

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445 空席

 昨日の参議院予算委員会は、鴻池祥肇委員長の職権で会議を召集した。福田総理を初め全閣僚が席に着いて待機していたが、野党議員が欠席して会議は成立せず流会となった。ニュースで見ると空席がいっぱいで、何とも言えない空しさを覚えた。
 空席と言うと、3月19日で任期が切れる福井俊彦総裁の後任人事でも民主党の同意が得られないと空席となる。福田総理は「一日たりとも、空席にすることはゆるされない」と強調したようだ。このところ、ねじれ国会の最たる緊張した場面が続くことになる。民主党の見せ場なのか、失態になるのかは、国民が判断する。
 さて、海の向こうの米国では、空席ではないが、民主党の大統領候補者の一つの席を巡って、最後の山場に入っていて、間もなくテキサス、オハイオ州らの四つの州での結果が出る。クリントンが生き残れるか、撤退となるかの分かれ目だ。昼前には結果が出る。
 余談だが、福田総理の支持率は未だに微減傾向にある。その指導力のなさが指摘されていて、口の悪い人は、総理の席は、今や「空席」のようだと揶揄する人もいる。
 ついでに、席を巡る言葉の羅列だが、空席だけでなく、満席、退席、離籍、除籍、首席、末席、出席、欠席など多士済々だが、厳しいドラマを伴うことが多いようで、無難な席は「寄席」ぐらいかもしれない。

2.昨日の雅子(62)
 前夜の夕食時に便秘薬を服用したが、体調との関係で深夜に効果が出たこともあって。担当の介護士さんには大変なご迷惑を掛けたようだ。今までなら、就寝前に服用して、朝に効果が出ていたのだが、そのバランスが崩れているようなので、改めてその辺りを検討してもらう。午後、入浴、まずまずの一日。

3.連載(410) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(36)
  第一章 入居生活の始まり (その36)

(2)定着への試行錯誤 (その20) 
 ここでの生活も、十日も過ぎると、何となく「こんな形だ」といった生活のパターンが分かるようになってきた。食事時に顔を合わせることから、このフロアーに自分を含めて8人ぐらいお世話になっている方がいて、その中では、もっとも手厚い介護を受けていることが分かり、自分の立場が把握できるようになった。(このグループには、その後一人が入居されて、08年2月末現在では9人)
 一方、介護して下さる介護士さんも、入れ替わり立ち代りで、ローテーションされていて、既に一回り顔を合わせたような気もするが、その後も新しい方が入って来られているようで、名前を覚えるのに戸惑っている。
 夫が、この辺りはまめで、自分でリストを作って整理してくれている。此処には、介護士さんだけではなく、お薬の担当である薬事関係の看護師さんも多く顔を見せてくれるし、ケアマネージャーや事務課の方、更には、付設のクリニックの担当の先生も時々来られて様子を看てくれている。先客万来というほどではないが、スタッフは数多い。
 総じて言えることは、皆な優しく、丁寧に対応して頂いていることだ。客相手のお仕事は、大抵はそのような細かい気遣いが要求されるものだろうが、介護関係の方々は、病人が相手だけに、それ以上の気遣いが要求される。それでも、決して嫌な顔を見せずに、甲斐甲斐しく、明るく、優しく対応して頂いている。スチュアーデスのような華やかさはないが、地道な中に温かい人間性が感じられて嬉しい限りである。
 そんな方々に接していて、十日間という短い期間での経験だが、何か生きていける勇気をもらっているようで、それなりの自信が出て来ているのが嬉しい。
 心配していた便秘も、こちらに移った直後は少し違和感があってペースうを乱したが、その後、何とか普通のペースに戻った気がする。最大の難題のコミニケーションのだが、自分は一生懸命に話しているのだが、その意志がなかなか伝わらないのが辛い。自らが、リハビリなどに努力して頑張ねばと思っている。
 今のところ、夫も生活に慣れるまではということで、朝夕、二回訪ねて来てくれているのも、何となく心強い。トイレも夫が来てくれた時に、最初の通じもあった。やはり、安心感があったのだと思うが、これからは、そんな甘えを棄てて、自ら叱咤激励して、律してゆきたいと思っている(以下、明日に続く)

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444 羽生王座王将が名人戦挑戦者に

 5局同時に行なわれたA級リーグ最終戦の将棋を満喫した一日だった。朝10時に始まった戦いの全てが終わったのは、何と今朝の3時前で、筆者も朝起きて結果を知ったのである。
 結果は、羽生王座王将の3年ぶりのの名人戦挑戦、久保八段のA級からの降級、そして来期のA級の順位は2位が三浦八段、3位が筆者の贔屓の郷田九段と決まった。
 この日の圧巻は、降級の危機にあった佐藤棋聖の頑張りだった。終始有利に進めていた佐藤棋聖だったが、脅威の粘りの木村八段が終盤で一旦逆転、しかし時間に追われた木村八段が勝ちを逃し、辛うじて佐藤がA級の地位を守った。最後の数十手は互いに一分将棋の手に汗握る激戦で、佐藤棋聖の苦渋の顔が、次第に緩む変化のシーンを衛星放送のカメラは見事に映し出していた。素晴らしい戦いが他にも多くあって、本当に将棋を楽しんだ一日だった。
 この日の午後、将棋放送の合間をぬって雅子の部屋を訪ねたのだが、3時から始まった衛星放送の中継を見ていて妙なことに気が付いた。衛星放送の画面が、変な案内メールの映像で画面全体の40%ぐらいが邪魔されていて、肝心の部分が見にくいのである。そう言えば、先に俳句天国をここで見た時もそうだったと思い出したのだが、これが、一般にこの地区に放映されている案内だと思っていた。しかし、なかなか消えないので、何事かと思い、リモコンのスイッチをああでもない、こうでもないといじったが埒が明かなかった。半時間ぐらいして、やっとのことで、その解除方法が分かり、電話で然るべきところに連絡して取り除いてもらったのである。
 このテレビは、雅子が入居した際に新たに購入したテレビだったことで、事前にそんな手続きを必要としてようだった。なるほど、デジタル放送ならではの技術で、このようなことが出来るという。ならば、受信料未払いの方に適用すればいいのではと思った次第である。但し、そのことをよく説明してくれないと、ちょうど年金特別便の内容と同じで、一般の視聴者、国民には極めてわかり難く、その点での改善はしっかりやって欲しい。

2.昨日の雅子(61)
 ひな祭りで、昼食は散らし寿司。おかげさまで平穏。

3.連載(409) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(35)
  第一章 入居生活の始まり (その35)

(2)定着への試行錯誤 (その19)  
 「雅子、小沢さんだよ。ご主人様が車で送ってきて来られたんだよ。私が駅までお迎えしようと思っていたんだけど、その方が安心だからそうしてもらった」一考は、朝方、自分が連れて来ると行ったことを訂正した
 「雅子ちゃん、ごめんね。こんなに遅くなって、もっと早く来たかったんだけど」小沢さんは、部屋に入って雅子の顔を見るなり雅子に駆け寄り、抱きしめるようにしてそう言った。
 「有難う」辛うじて雅子はそう言って絶句した。それ以上の言葉が出てこないのである。
 「かわいそうに。どうして、雅子がこんなに苛められるの? いろいろとみんなのために尽くしてくれたのに。楽しかったよ。あなたがいつも盛り上げてくれていたし、いろんなところに連れて行ってくれたし、……」小沢さんも、半分、涙声だった。
 「神さんは、結構、意地悪なんですよ」傍で二人の様子を見ていた一考が口を挟んだ。
 「そうね。本当に、そうだわ」小沢さんも真面目な方のようで、一考の言葉に無条件で同意してくれた。
 「人間、いつ何時、どんな不幸が襲って来るか分からないものですね。私が、長い間、厄介なことを全て丸投げしてほおって置いた付けが回って来たのだと思っています」一考は、自嘲的にそう言って小沢さんを見た。
 「そんなことはないと思いますが、雅子ちゃんは、健康そのものだっただけに、信じられません。難しい病気だと聞いていますので、大変でしょうが頑張ってください」小沢さんは、話す言葉を選びながら、二人を勇気づけるのだった。
 その後、二人は、昔話に話題を移し、当時を偲んでいるようだった。何しろ、雅子が自由に話しできないだけに、小沢さんが多くを話し、雅子が相槌を打つと言うパターンでのやりとりだった。
 半時間余り話し合っていたが、やがて、小沢さんは「頑張ってね」と言って部屋を後にした。一考が一階まで見送りに階下まで同行した。残された雅子は、首を動かせないので、暫し、呆然として悲しげに正面の壁を見つめていた。(以下、明日に続く) 

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443 羽生、名人戦挑戦権獲得なるか?

 何年前からだったか記憶ははっきりしないが、NHKが「将棋界の最も長い日」として、名人戦挑戦者リーグ(A級リーグ)の最終日を中継してくれている。今年は第66期を迎え、今までにない長い放送時間枠を取って、10時から同時に始まる5局をしっかりと中継してくれるから、将棋ファンは堪らない。今日は一日将棋を堪能できるのだ。
 今年の見所は、楽しみは次の3点である。
 1.森内名人への挑戦者は羽生王座王将か、三浦八段か。 2.リーグ降格者のあと一人は、久保八段か佐藤棋聖か。 3、来期の順位はどうなるか。前年度挑戦者の郷田九段は2位確保なるか。
 放送は朝の9時40分から11時54分、3時から6時、そして22時45分から翌日の午前2時までの総時間は、8時間29分と随分と豪華である。じっくり、楽しんでみたい。(なお、対局は、羽生ー谷川、三浦ー久保、佐藤ー木村、郷田ー行方、藤井ー丸山の5局である。)
 ところで、昨日は、琵琶湖毎日マラソンのスタートを皇子山陸上競技場へ見に行った。この競技場に入ったのは、かつて短距離選手だった息子の次郎が高校生の時に応援に行って以来だ。好天に恵まれ、200人近いアスリート達の迫力ある息吹を目の当たりにし感動した。結果は、大崎悟史選手が見事に、対抗馬の藤原選手の記録を4秒上回って日本人選手で1位を確保、オリンピック出場権をほぼ手中にした。おめでとう。

2.昨日の雅子 (60)
 筆者の母親(95歳)と姉の久子がそれぞれ2回目の見舞いに訪れた。雅子も、懸命に、そして神妙に応接していた。精神的に疲れただろうと思う。

3.連載(408) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(34)
  第一章 入居生活の始まり (その34)

(2)定着への試行錯誤 (その18)  
 その翌朝、12月17日、夫はいつものように顔を出すと、嬉しそうに自分に話しかけて来た・
 「今朝、小沢さんから電話があって、お見舞いに来たいとおっしゃって、今日の午後にこられることになったの。多分、駅まで迎えに行って、お連れすることになるかもしれない。楽しみだろう」
 「小沢さんとは中学時代からのお友達なの。とても嬉しいわ。でも、こんな姿をお見せするのは辛いけれど、仕方ないわね。それよりも、あなたがお連れするなんて、大丈夫かしら」この日の、雅子の言葉は、多少はマシだが、それでも正確に聞き取るには聞き直しが必要で時間が掛かる。
 「それに、必ず、手ぶらで来て欲しいと強くお願いしておいたから。とにかく、此処まで顔を見せてもらうだけで十分なんだから」
 「有難う。何から何までお世話になって、申し訳ないわ」雅子は恐縮した様子で、一考の方に向かって頭を下げた。
 「夫として、当然なことだけれど、自分の車にお乗せするのは大丈夫かどうかが、ちょっぴり心配だけど」夫も、自分の運転技術についてはわきまえているようだ。
 「でも、随分と上手になったんじゃない?」雅子は、不安をよそに夫を持ち上げて、尽くしてくれる夫への労いを表そうとした。
  夫は、いつものようにコーヒーを飲んで一息つき、それからブログを呼んでくれて雑談をし、その友人を連れてくるために早目に一旦帰宅した。
 雅子は、此処まで友人が訪ねて来てくれるということで、いささか興奮していた。この老人ホームに入居することは、誰にも知らせないで置こうと思ってはいたが、それまで、親しくしていただいたお二人には、夫から電話で、此処に移ったことを連絡してもらっていたのである。今朝の一考の話は、まさに、その一人の方からの申し出だった。頭の中で、雅子は、連絡したことが良かったのか、却って、気を使わせえることになったのではと、心中揺れていた。
 昼食が終り、お薬、トイレが一段落して、自分の常席に落ち着いて間もなく、一考が小沢さんを伴って部屋に入って来た。雅子の目から思わず涙が込み上げて来るのを押さえることは出来なかった。(以下、明日に続く)

タグ : 琵琶湖毎日マラソン 大崎悟史選手 将棋界の最も長い日 森内名人 羽生王座王将 佐藤棋聖

442 琵琶湖毎日マラソン

 第63回琵琶湖毎日マラソンが本日12時半皇子山陸上競技場スタート・ゴールで行なわれる。筆者の自宅のごく近くに皇子山陸上競技場があって親しみのある大会だ。まだ東京で単身生活をしていた04年の正月に帰郷した際に、ほぼこのコースを8時間39分44秒掛けて歩いたことが、今ではいい思い出だ。
 この大会は、1962年の第17回大会から、それまで大阪で行なわれていたのが交通事情でこの琵琶湖周辺に移った。一時は筆者の自宅に近い近江神宮からの参道を走っていた時期があり、あのアベベ選手がそこを走ったのを記憶している。また、アメリカのショーター選手が、途中の畑の中でトイレをして、なおかつ優勝したことも記憶に残っている。その頃は、確か、琵琶湖大橋を渡っていた。
 そんなことを書きながらも、筆者はまだ一度も生までこの大会を見たことがない。今日は、妻を見舞う前に、何とか時間を作って、スタート地点近くで見てみたいと思っている。天候も良いので、好レースを期待している。
 見所は、北京オリンピック選考の目安となる先の東京マラソンで優勝した藤原新さんの記録(2時間8分40秒)だ。どんな選手が飛び出してくるかに大いに期待と興味がある。

2.昨日の雅子(59)
 初めて長男の太郎が見舞いに来た。所用で大津に来たついでの立ち寄ったのだ。プリンを食べさせてもらったり、ヤクルトを飲ませてもらって、雅子は嬉しそうだった。言葉は相変わらず不鮮明で、太郎も解読に苦労していた。総じて平穏な一日。

3.連載(407) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(33)
  第一章 入居生活の始まり (その33)

(2)定着への試行錯誤 (その17)
 そんなたわいもない会話で時間を過ごした後、その朝のブログのコピーを取り出して、読んで聞かせてくれる。自分のことが書かれているだけに、妙な気分で面映い。このブログが今では夫の生きがいの一つのようなので、黙って聞いて上げることにしている。しかし、内容が気に入らないときは、修正を申し出る。最近は、コンピューターを持ち歩いていないので、それらは、一旦帰宅した後に修正されるので、、それまでに配信されてしまっている分はどうしようもなく、止むを得ない。また、慌てているせいか、誤字、当て字が多く、自分でも慌てているが、帰るまではどうしようもないので、開き直っているようだ。
 ブログを読み終わると、しばらく一緒にテレビを見て、10時半頃には一旦、自宅に戻って行く。自分の昼食、母親の夕食のための買い物、それに、ブログの訂正が待っている。
 雅子の昼食は、11時半ごろから始まる。このフロアーに自分も数えて8人(その後一人加わって今は9人)の住人がいる。自分がもっとも手が掛かるので、介護士さんには申し訳ないと思っている。他の皆さんにその分しわ寄せが行っていないか心配だ。それが終わると、お薬、歯磨き、トイレを助けてもらい、いつもの椅子に戻って、再び一段落する。場合によっては、ベッドで暫く横になることもある。こうすることで、お尻の痛さを緩和するのだ。
 夫が、再び顔を出してくれるのは、それから暫くしてで、大抵は、3時のおやつの時間の30分ほど前が多い。
 「どうだい?」やはり、この会話で始まる。
 「大丈夫よ」と私は答えて、夫を安心させる。夫は、足早に入ってくると、自分でコーーヒを作って飲み始める。そして、私にも「何か、飲むかい? 食べるかい?」と聞いてくる。大抵は、「いらない」と答えるが、時々、ジュースやちょっとしたつまみ的なお菓子を所望する。先日、兄夫婦が来てくれた時に置いていったチョコレートもらう。暫く、二人は、つけてあるテレビを見ながら、何気ない会話をするが、取り立てて取り上げるような内容ではない。(以下、明日に続く)

タグ : 琵琶湖毎日マラソン アベベ ショーター 藤原新 皇子山陸上競技場

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