プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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836 将棋界、この一年

 何処の世界にも次代を担う新しい人材の台頭がないと面白くない。政治の世界が、そういう面で、、最も面白くない代表かもしれない。世論調査で、次の総理に相応しい人に、新しい顔が見えないのが寂しい。

1.独り言コラム
 今日で平成20年度が終る。今朝は、筆者の趣味の世界の一つである将棋界の一年を振り返ってみたい。今年度は、今までになかった傾向、動きがあった激動の一年だった。次の三つが主な動きとして総括できる。
 (1)将棋界で、今までになかった3連敗、4連勝というドラマティックな大どんでん返しが起きた。羽生善治名人と渡邉明竜王との間で戦われた竜王戦で、羽生名人が逆転負けを喫した衝撃的なタイトル戦だった。
 (2)タイトル保持者が、初めて順位戦で降格した。深浦王位のA級リーグからのB1級への陥落である。
 (3)後手の勝率が先手のそれを上回った。今までに見られなかった傾向だ。テニスで言えば、サービス権を持った方がゲームを落とすようなことで、後手番の戦い方に新しい傾向が出て来ていると言えそうだ。
 ここで、7つのタイトルの動きを総括しておこう。移動があったのは3つで、名人が森内俊之から羽生善治に移り、羽生第十九世永世名人が誕生した。また、佐藤康光棋聖が失冠し、羽生棋聖が復活した。そして、三つ目が、昨日行なわれた棋王戦最終局で、久保利明棋王が誕生した。フルセットの末、佐藤棋王を破っての奪取で、久保さんとしては、初のタイトル獲得である。それ以外の深浦王位、羽生王座、渡邉竜王、羽生王将は、それぞれタイトル防衛に成功した。従って、現在は、羽生4冠である。なお。その羽生4冠は、昨年の王将戦から、今年の王将戦まで、連続8つのタイトル戦に登場するという「驚異の記録を残した。残念ながら、その内、二つの挑戦では、いずれも3-4で敗れてタイトル奪取は出来なかった。大した棋士である。
 人の動きでは、中原誠第十六世永世名人が現役を引退した。長くファンだった筆者は寂しい。
一方、女流の世界では、高校生の里見香菜が清水市代から倉敷藤花のタイトルを奪取して初のタイトル保持者になった。矢内理絵子名人が失冠し清水市代名人が復位した。新しい棋戦で矢内女王の誕生も話題であった。また、日本将棋連盟から離脱を強要され、頑張っている日本女子プロ将棋協会(LPSA)の唯一のタイトルを、師匠の清水を激戦の末、破って防衛を果たした石橋幸緒王位の奮闘は見事だった。この他、ごく最近になって、14歳の成田弥穂、アマ王位が次の新しい星として、注目され始めている。楽しみだ。
 さあ、間もなく、第67期名人戦が始まる。筆者の贔屓の郷田真隆九段の名人位奪取に期待している。
 
2.プライベートコーナー
 5時10分起床。体重、59.5Kg。(飲みすぎ?)朝は穏やか。
 昨日の雅子は、筆者が訪問した際には、珍しく、熟睡していた。暫くして起きたが、トイレの後、ヨーグルトを少し食したが、直ぐにベッドに寝かせてくれと要求。体調が優れないのだろうかと心配。その一方で、できたら、大阪に行きたいと言っていたので、気を遣ってくれたのかもしれないと勝手に解釈し早目に帰宅し、それ幸いと大阪に向かった。
 この日予定されていたOBメンバーによる後輩、S君の退職祝いの集いに急遽、顔を出したのである。久し振りの皆との顔合わせを大いに楽しんだ。この日は、珍しく、記憶がしっかりしたまま、10時過ぎにはきちんと帰宅できた。
 久し振りの大阪だったが、帰りの電車で、高槻と山崎の間に新駅ができていたこと、神足駅が桂川駅になっていたことに気づいてびっくり。いまや、田舎者の代表かもしれない。

3.連載、難病との闘い(801) 第三部 戦いはまだまだ続く(95)
  第四章  09年の新たな闘い(9)

  1.施設に戻った雅子(9)
 本当に止まるところを知らない雅子の病気の悪化である。もう、そろそろ収まるところまで来たのではと思ったことが幾たびもあったが、結局はその度に裏切られて来ているのである。
 外見的に見て直ぐ分かる身体の悪化の段階は、もう大分前に終っているのだが、最近は見えないところでの悪化になって来ているから厄介だし、毎日の生活に更なる厳しさを与えてきている。
 その一つが、口の開け方が小さくなり始めると同時に、開けるタイミングにも時間が掛かるようになって来ている。直接的には食事、お薬の服用、それに合間に取るお茶やおやつの時間でのちょっとしたヨーグルトやプリンなどを食べさせる作業にも大きな影響が出て来ている。
 年が明けて、食事をスキップすることが少し目立って来ている。口がうまく開かずに、体調が優れないように見えることも多く、暫くベッドに横になって休むことが増えて来ているようだ。
 例えば、1月11日のことだった。一考が施設に顔を出すと、うまく口が開かなかったので、朝食はカットしたが、昼食はしっかりと食べてくれたという介護士さんの報告を受けた。心配だったが、昼食を食べたなら、まあ、いいやということで、一考は自分を納得させた。その日、3時にヨーグルトを食べさせると、何とか、口を開けてくれたので、食べさせることは出来た。しかし、その開け具合は、やはり大変そうだった。
 1月20日、昼食時に元気がなく血圧を測ると少し低血圧だったので、昼食を中断してベッドに横にさせてもらったという。この日も、3時には何とかヨーグルトは食べてくれた。しかし、心配は絶えない。
 1月26日、1時過ぎに施設に顔を出すと、やはり、昼食時にあまり口が開かなかったようで、ベッドに寝かせてもらっていたが、トイレに行きたい様子だったので、それを済ませて、再びベッドに寝かせた。暫く、様子を見ていると、少し回復気配が見られたので、お薬を飲ませた後に、改めて昼食をお願いした。幸いなことに、何とか半分ぐらい食べられるまで回復してくれていた。
 こんな具合に、口の開き方、食事の様子で、気になる症状が目立って来ている。これも、病気の悪化が進んでいる結果なのだろう。先行きどうなってゆくのだろうか。心配、不安は絶えないのである。(以下、明日に続く)
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835 神の手

 週末には、いろんな戦いに決着がつくことが多い。そこに、何とも言えない悲喜こもごものドラマが交錯する。昨日の結果では、千葉県知事選での森田健作氏の勝利は、小沢一郎民主党代表には、痛い結果だった。加えて、今朝の新聞各紙の世論調査の結果も厳しい。一郎ちゃんも、土壇場に追い詰められていることは確かである。

1.独り言コラム
 神の手と言えば、アルゼンチンのサッカーのマドラーナー選手のプレイを連想する。ビデオで見る限り、明らかにファールなのたが、それは神の手であったというのだ。素晴らしい技術が超ルールの判定を誘ったのである。
 さて、昨日の夜、たまたま見ていたフジテレビの番組「エチカの鏡」で不妊治療のスペシャリストである浅田義正医師を紹介していた。名古屋市に住む産婦人科医で、顕微授精と呼ばれる技術を駆使して、今までに4000人に及ぶ赴任で苦しむ方に妊娠を授けたという。
 同氏の技術の凄さは、一般の医師では、3分程度掛かる技術に対し、浅田医師は僅か30秒で行なえる卓越した技術の持ち主で、そのことで神の手と呼ばれているそうだ。何しろ、生きている卵子と精子をプレパラート上で結合させる技術だけに、短い時間で処理する技術は極めて大事であると思われる。
 同じ「浅田」という名前で、こじつけになるが、昨日の女子フィギュアの世界選手権で、期待されていた真央ちゃんが不覚にも転倒というアクシデントで、メダルさえも逃してしまったのだが、浅田医師のような神の手があったらとふと思ったのである。
 因みに、インターネットで、神の手を検索すると、癌の名医の福島孝徳医師が天才脳外科医として紹介されている。医学の世界では、神の手による超人的な技術の存在を如何に多くの方が強く望んでいるかが分かる。「出でよ、天才名医、神の手よ」である。
  
2.プライベートコーナー
 3時50分起床。体重、58.9Kg。いわゆる花冷えなのか、少し寒さが戻っている。
 昨日の雅子は、前日並みだったが、体重測定があって、前月よりもまた2Kgも減少した。2月度で一旦下げ止まったようだったのでほっとしていたが、大ショックである。とにかく、ここ半年で、7Kg以上の大幅な減少だ。食事の量が減っているのが原因だが、それだけ体力の衰えに繋がっているはず、専門家に相談する必要があると思っている。その一方で、ストローで吸い上げる機能には、少し回復が窺える。
 いずれにしても、雅子にも、表題の「神の手」なるものが現れてくれないのだろうか、とふと思うのである。

3.連載、難病との闘い(800) 第三部 戦いはまだまだ続く(94)
  第四章  09年の新たな闘い(8)

  1.施設に戻った雅子(8)
 話は行ったり来たりするが、一月初めの頃の話に戻る。成人の日を含む連休が明けた13日に美容院の予約を入れていた。雅子も、この辺りの自分の身だしなみには、しっかりとした考えを持っていて、逆に、一考はそういう雅子に安心するのだった。午後の1時からということで、この日は一考も少し早めに顔を出したが、施設に着くと、介護士さんから、その日、美容師さんの都合が悪くなったということで、2日後の15日にして欲しいという。いわゆるドタキャンを食ったのである。この前にもそんなことがあったが、どうも、この店とは連絡が今一つのところがあるようで、今後は、その辺りについては、前日にでも、今一度念を押しておくことが必要なようだ。
 その2日後の15日、改めて、一考は早めに施設に出向き、雅子に付き添って一階にある美容室に出向いた。ここに、美容師さんが出張して来てくれるのである。冒頭の会話で、二日前には先約があったのを間違ってダブルブッキングしたということが分かった。まあ、今後も長くお世話になるので、その連絡の拙さなどで多少の不満はあったが、この辺りは深追いせずに、穏便に収めた。
 この日は、毛染めはせず、ヘアカットだけである。従って、車椅子に座ったままでよく、雅子を美容室の専用の椅子に移動させる必要がないことで楽な対応で済む。しかし、その様子を見ていると、いつもより首が前に傾いていて、美容師さんがやりにくそうに見えたので、途中から、一考が雅子の首を少し持ち上げてやることにした。最初のうちはそうでもなかったが、その内に、この持ち上げるサポートが結構大変で、手がだるくなる作業だった。それでも、我慢して世間話をしながら何とかその作業を終えることができた。
 聞くところによると、この美容師さんも結構なお年のようだが、それでも別に店を持って頑張っているという。事情があって、主として身障者を対象にしておられるという。人にはそれぞれの事情があってそれなりに頑張っておられるのだ。
 また2ヵ月後にはお世話になる予定だ。その時は、毛染めもお願いすることになるが、その場合は、洗髪の時に、専用の椅子に仰向けで座らねばならないステップがある。果たして、その段階で、雅子がそれに対応できる状態を維持できているかどうかに、心配がないと言えば嘘になる。雅子の症状の悪化がこれ以上進まないようにと切に祈っているのである。(以下、明日に続く)

834 皆、それぞれ頑張っている

 仕事が出来る女性達の性愛を描いた二つの作品に、男性と変わらない欲望の存在を知り、凄さ、驚き、共鳴、感動を覚え、躊躇しながらも納得している。高樹のぶ子、村山由佳の二人の作家に拍手である。

1.独り言コラム
 昨日のW杯サッカーアジア予選で、中村俊輔の左足の見事な一蹴りでの辛勝、米国ゴルフツアーでの今田竜二、宮里藍の善戦、大相撲の白鵬の全勝、女子フィギューの浅田真央、安藤美姫の懸命の演技、センバツ高校野球のPL投手の幻のノーヒットノーラン、アースマラソンの間寛平さん、それに、小沢一郎代表の居座り、みんなそれぞれ懸命に頑張っている。 
 中でも、間寛平さんは、カリフォルニア州から、昨日はネバダ州入りを果たし、今日はアリゾナ州に移る。このところ、毎日50Kmのペースに上がっていて、着々と東に向かって進んでいる。この頑張りの凄さを、地図で追いながら、筆者も感動を共有させてもらっている毎日である。
 話しは一転するが、昨日、村山由佳さんの長編小説「ダブルファンタジー」を読了した。このお正月過ぎに大阪に出た際に、梅田の紀伊国屋書店でたまたま立ち読みし、興味を持っていて、その後暫くして、毎日新聞の2月10日付け夕刊に「新境地を開く」という書評が出ていて、それに触発されて、近くの書店で購入したのだが、期待通り大変面白かった。
 仕事が出来る才能ある女性(39歳?)が主人公で、男なしには生きてゆけない女性を描いていて、筆者が強い関心を持っている永遠のテーマである。自らも離婚して挑戦した作品だそうたが、ここでは、5人の違ったタイプの男性との性愛を綿密に描き上げている。その凄い性愛描写には、それまでの彼女の作品にはない新しい魅力を覚えた。
 同様なテーマに取り組んでいるのが、目下、日経新聞に連載中の高樹のぶ子さんの「甘苦上海」だ。ここでは51歳のおんな社長の欲望が描かれている。物語りも、ここに来て、男の背景にある謎が浮び上がって来ていて、新たな興味が加わった。毎朝が楽しみな連載である。
 男女とも、やはり、仕事が出来るというその裏面には、そのエネルギーの源泉に、性愛は欠かせない存在なのだろうと改めて思うのである。「英雄色を好む」というが、「ヒロインも、またしかり」であろ。とにかく、共に離婚を経験しているところが共通している女性作家だが、二人とも大いに頑張っていると言える。今後の更なる新作を楽しみにしている。

2.プライベートコーナー
 5時10分起床。体重、59.0Kg。今日も穏やかな一日になりそうだ。
 昨日の雅子は、一考が訪れた時はベッドに横になっていて、一考の呼びかけにも反応が乏しく、心配し、一時は悲しい思いに襲われた。しかし、4時前にトイレに行って以降、少し元気を取り戻したのでほっとしたのである。一喜一憂の毎日だ。

3.連載、難病との闘い(799) 第三部 戦いはまだまだ続く(93)
  第四章  09年の新たな闘い(7)

  1.施設に戻った雅子(7)
 結局、その音声モニターの持ち込みに関して、事前の折衝をしていたにも関わらず、実際の入居に際しては、幸か不幸か、それ以上の折衝をする必要がなくなっていた。その後の雅子の言葉で伝える機能の悪化が、非情にも更に進んだからだった。雅子が発する言葉が不明朗になり始めた上に、発する声も弱々しくなり始めていて、その赤ちゃん用の音声モニター機器が、その音声を拾うのが難しくなっていたのである。一考には、とても無念なことだった。
 そんな思いも寄らない悪化の進行で、一考は、どう対応すべきかをいろいろと考えたが、これはという明解な対処法は見つからなかった。そこで、止むを得ず取った対応は、介護士さんに適時部屋に入って、雅子の様子を確認してもらうといった対応しかなくなっていてのである。
 その頃から、雅子とのコミニケーションは、言葉の片言を繋ぎ合わせるとか、言葉を文字分解して単語を探し当て、そこから雅子の言わんとすることを確認する対応になっていったのである。そして、暫くは、時間は掛かるが、そんな苦労を続けながら何とかコミニケーションを図ってきていたが、それも、時間と共に、次第にうまく行かなくなり始めた。雅子の応答が分かり難くなり、雅子の意図する言葉を捜し当てる作業がうまく行かなくなったのである。仕方なく採用したのが、質問形式でイエス、ノーを確認して、言わんとすることを探し当てる手法に辿り着いた。
 その頼みの綱のイエス、ノー、方式でも、3月に入って陰りが見え始めているのである。イエス、ノーが上手く表現で出来なくなって来ているのだ。つまり、今では、イエス、ノーに関して、雅子の発声だけでは容易に確認できず、それに、顎を動かさせることを併用して、何とか雅子の意志を確認しようとしている。
 しかし、そのための二人の苦闘には変わりない、とにかく、現状は、雅子が発声する音声が極めて小さくて弱いこと、また、顎を動かすサインも、その時の体調で上手く行く場合と、そうでない場合があって容易ではないからである。
 そんなことで、二人の毎日コミニケーションでは、格闘技のような懸命の闘いが続いていて、双方共に、結構な疲労を伴うことを余儀なくされている。
 それでも、幸いなことには、まだ、一考が話すことはしっかりと雅子に伝わっていることだ。つまり、頭はしっかりと正常に働いてくれている。それさえ保たれれば、何とかなる訳で、残された細い絆を頼りにして、二人が必死の闘いに取り組んでいる今日この頃である。(以下、明日に続く)

833 あっぱれ

 あっぱれという素晴らしい結果は、素質、努力、天運に恵まれた時に生まれる。それは、参加者や見ている人たちに、爽やかで心地よい感動を与えると同時に、素晴らしい記録の誕生に結びつくこともある。

1.独り言コラム
 日本で初めての女性の野球選手の吉田えりが、昨日開幕した関西独立リーグでデビューした。二人の打者と対戦し、四球を与えたが、三振を奪ってのあっぱれなデビューだった。三振した選手のコメントに球が揺れていたとあったが、本当にアウトを取ったのが不思議な感じだった。恰も、何かショーでも見せられているようで、激しいスポーツという実感が伴わない。今後の活躍に期待しよう。
 さて、WBCの影で、薄れていた高校野球だが、昨日の甲子園で大記録が生まれた。報徳学園の平本選手が6打数6安打。2本塁打。2三塁打、2シングルと大暴れし、16塁打の新記録を作った。サイクルヒットという記録があるが、敢えてそれを狙わず、3塁まで走ったのは立派だ。筆者はサイクルヒットに特別の意味があるとは思わない。単なる数字遊びに過ぎないからだ。昨日の場合で言えば、2塁打より、3塁打、本塁打の方が、明らかにいいに決まっている。
 その一方で、あっぱれを期待されていたプロゴルフの石川遼選手が、昨日の6番のロングホールで9打という大変な記録だった。池ポチャ2回、それにアンプレイアブルがあったという。これも、貴重な経験になったと思う。因みに、今朝は1オーバーで回ったが、予選落ちには変わりない。そんな中で、日本の今田竜二選手が、3位タイ、女子では宮里藍選手が、10位タイで頑張っている。(7時現在)あっぱれに繋がるかどうかは、これからの戦いで決まる。
 政界では、小沢一郎民主党代表が逆風の中で頑張っている(?)。しかし、多くの人はあっぱれとは言っていないようだ。世論の動向を見ているというが、そんな姿勢では、あっぱれは生まれないだろう。

2.プライベートコーナー
 5時起床。体重、59.4Kg。昨日よりも増えている。寒さは穏やか。
 昨日の雅子は、珍しく、3時ごろのトイレの後に、ベッドに横になりたいと言った。いつも起して欲しいと言うことがほとんどだけに、少し心配である。

3.連載、難病との闘い(798) 第三部 戦いはまだまだ続く(92)
  第四章  09年の新たな闘い(6)

  1.施設に戻った雅子(6)
 ここに来て、一考は大きな不安を覚え始めていた。それは、雅子との命綱のような存在になっている、イエス、ノーによるコミニケーションが行き詰まり始めていたことだった。その後の症状の悪化が、発声、意思表示にまで影響を及ぼすようになって来ていたのである。こうなると、コミニケーションは、今までにない厳しい状況に追い込まれていて、一考はどんな対応をしていくかで戸惑うのだった。
 今までの悪化の経緯を改めて振り返ってみると、手の震えから始まり、手の自由が利かなくなり、そして、その不自由が足にまで拡大し、遂には、身体全体の自由が奪われていくという、いわゆる、悪化のスパイラルであった。
 症状の悪化も、その辺りまでで終ってくれていれば、との願いも叶わず、大事な言葉の自由を失う事にまでに至ったのである。非情に悲しい症状悪化の進展だった。そして、まだその悪化は更に続いていて、口が上手く開けられないとか、液体が上手く吸い上げられないといった口の動きにまで進んで来ている。加えて、見えない内臓の動きにも微妙な影響が出始めている様でもあり、一体、病気が何処まで進んでゆくのか、皆目想像ができない状況にある。急速な悪化が進み出してからは、僅か3年程度での大きな変化だった。それは、雅子の人生を、非情にも暗転させた魔の3年だったと言えよう。
 その悪化具合を、角度を変えて、雅子の行動面から見てみると、先ずは小さなキーパッドなどのボタンが押せなくなり始めたのが、06年6月にリフォームを終えた頃からで、それが次第に大きなボタンまでに至ったのだが、トイレのウオッシュレットのボタンが押せなくなったのが、この施設に入る直前の07年12月に少し前であった。
 その段階では、雅子の言葉の機能は、まだ生きていたので、この施設に入るに際して、介護士さん達とのコミニケーションの手段として、自宅で使っていた、お母さんが赤ちゃんの声をモニターできる無線の機器を持ち込むことを申し入れていた。そのため、事前に機器を持ち込んでテストし、それが作動することを確認していた。しかし、それを実際に持ち込むことでは、施設の管理者からは、常にモニターしていなければならず、今の介護士の人数や仕事量などを勘案するとその対応が大変で、直ぐにイエスと言ってもらえる状況ではなかった。
 いずれにしても、そんなことを議論していたことは、入居の直前の雅子は、お話が出来る能力を保持してした証だったが、僅か一年で、悲しいことに、更なる悪化が進んでしまったのである。(以下、明日に続く)

832 一粒で二度美味しい

 一粒で二度美味しいよいうキャッチコピーは、昭和30年頃にアーモンドグリコの宣伝に使われたものなのだが、…。

1、独り言コラム
 女優、タレントの藤原紀香とお笑い芸能人の陣内智則の離婚のニュースは、案の定、連日大きく取り扱われている。2年前の5億円をかけての大掛かりな結婚式で話題になっていただけに、あまりにも早い離婚という展開にファンもびっくりのようだ。もともと、この結婚は格差結婚と呼ばれていて、いずれこうなると見ていた人も多かったと思う。筆者もその一人である。
 人気商売のタレントたちは、そういう意味では、穿った捉え方かもしれないが、一度の結婚で、2度美味しい話題の対象になれるだけに、ある意味では有難いのではなかろうか。それよりも、離婚できる人が、筆者には羨ましくも見える。
 西松建設の献金で、小沢一郎代表の公設第一秘書の逮捕では、結局は、政治資金規正法違反だけの起訴となったが、自民党の二階俊博経済産業相の場合には、政治資金規正法違反に加えて、事務所費穴埋めへの新たな疑惑が出て来ているようだ。特捜部としては、一粒で二度美味しい展開になりつつある。
 日体大では、先に、大麻違反で陸上部の男子学生が逮捕されて、お前もかと云う世間の批判を浴びたが、その際の捜査で、偽札が押収されていることが分かった。名門大学での闇の部分が徐々に明らかになって来ている。一件の捜査で、別の事件の手掛かりが得られることはよくあることで、捜査陣にとっては、まさに、一粒で2度美味しい典型なのである。
 羽生王将が、またも深浦王位に2-3と追い込まれていた王将戦だったが、その後タイに持ち込み、昨日の最終戦に勝って4-3で、見事な逆転防衛を果たした。羽生名人にとっては、昨日の1勝は単に王将防衛を果たしただけでなく、間もなく始まる郷田九段を迎えての名人戦に繋げる貴重な1勝で、いわゆる、一粒で2度美味しい味だったように思う。郷田九段と羽生ファンである筆者は、複雑な心境だ。
 今、現在、アーノルド・パーマインビテーショナルトーナメントでプレイ中の石川遼選手だが、出だしバーディーと幸先良かったが、6番のロングホールで、何があったか分からないが、何と「9」を叩いた。1粒で2度美味しいどころじゃなくて、1ホールで意欲喪失の苦い結果で、この試合を一気にパーにしたのではないだろうか。
 59年ぶりに甲子園出場を果たして期待されていた彦根東高校だったが、エースの金子投手に思わぬアクシデントがあって、無念のさよなら負けを喫した。念願の出場で、甲子園での初得点は果たしたが、初勝利は叶わず、2度美味しいという訳にはいかなかった。
 一粒で二度美味しいような話は、そんなには転がっているものではない。当たり前のことだが、何事も、筋書き通りには行かないものだ。

2.プライベートコーナー
 4時10分起床、体重、59.2Kg。どうしたか、異常に増えた! 寒さは普通だ。昨日の雅子は、帰り際に、久し振りに何かを訴えたが、時間切れで、分からず仕舞いに帰らざるを得なかった。申し訳ない。
 
3.連載、難病との闘い(797) 第三部 戦いはまだまだ続く(91)
  第四章  09年の新たな闘い(5)

  1.施設に戻った雅子(5)
 その二日後の1月17日は、醍醐にある吉田病院への通院日だった。この病院へは最近は3ヶ月に一度の通院になった。ここでは、ジストマ(筋肉硬化)に対する治療で、左手の手のひらや手首、場合によっては首筋に注射を打ってもらって、少し柔らかさを回復させる治療である。春日先生のお薬による治療とは違って、具体的な効果が直接期待される治療である。
 少し前までは、注射を打って頂いた翌月には、その経過を確認してもらう検査のために通院していたのだが、ある時、その日が大変な雨だったので、雅子を連れて行くことが難しく、電話で断りを入れて通院をキャンセルしたことがあった。それと云うのも、その検査の診察では、単に、その手のひらなどの注射の跡を見せて、異常の有無を確認するだけの診断だったので、その際には、一考が看て、何の異常もなく問題ないと判断してのキャンセルだった。それが、切っ掛けとなって、その後は、それまでの3ヶ月に2回の通院が、3ヶ月に一度の通院になったので、一考の負担を少なくすることになり、一考には大変有難いことだった。とにかく、通院日は一日がかりの付き合いと結構な疲れを伴うことになるので、それが省けるのは実に有難いのである。
 そんな訳で、その日の醍醐の吉田病院へは3ヶ月ぶりの通院日だった。幸い、この日もお天気に恵まれていた。予約時間がいつもよりも遅く1時半だったので、施設のアクティバ琵琶を出たのが、いつもよりも少し遅い11時半頃だった。通院への正味の必要時間は30分程度なのだが、土曜日だけに途中混む心配もあって、余裕を見ての早めの出発である。運転が得意でない一考だから時間に攻め立てられるのは好まない。幸い、この日は、殆ど渋滞もなく病院には12時少し過ぎた頃に到着した。珍しく、何時のも駐車場が込んでいて数分待たされたが、診察室の前には12時半少し前に到着することが出来た。一時間ぐらいの待つ時間を覚悟していたのだが、何とこの日は、12時半過ぎに呼び出しがあり、待ち時間ほぼゼロでの診察となった。
 いつもの通りの注射である。この注射は、とても痛いそうなのだが、雅子も自分のためだということで頑張って堪えていた。スムーズに無事に終って、施設に戻ったのは1時半過ぎだった。
 これで、一月度の雅子の二度に渡る通院は無事終了し、一考はほっとするのだった。(以下、明日に続く)

831 「笑顔を見たくない人」のリストからの指定削除

 昨年は、北朝鮮が米国のテロ指定国家のリストからの削除を獲得して話題となった。ところで、筆者には、笑顔を見たくない人の指定リストがあるが、今回のWBC2連覇で、そのリストを見直すことにした。

1.独り言コラム
 一夜明けて、連覇を果たしたサムライジャパンの一行が凱旋帰国した。米国を出る直前での会見、そして、昨夜の成田到着後の会見で、サムライ達はその胸中を爽やかに明かしてくれた。やはり、功なり名を遂げた人達の言葉には、何とも言えない重みがある。
 中でも、このシリーズを通じてイチローが発した、いわゆるイチロー語録には、なかなか味わい深いものが多かった。筆者の記憶にある幾つかを拾い出してみた。
 「苦しみが辛さに変わり、それが痛さになって行った」「凹みました」「心が折れそうになるのをぎりぎり食い止めた」「他のチームのユニホームを着てプレイしているようだったが、最後にジャパンのユニホームを着ることができた」「足を引っ張り続けました」「最後に神が降りた」「美味しいところだけを頂いた」「チームにはリーダーなんて必要ない。一人一人に向上心があれば十分だ」。とにかく、最近のイチローは、よく喋ってくれるし、味がある言葉を残してくれている。
 一方、同じく、前夜に続投宣言をして一夜明けた民主党の一郎さんだが、党内からは、自発的な辞任を期待する発言が噴出して来ている。今後の国民世論が大きく影響しそうだ。どんな展開になって行くのだろうか。
 ところで、筆者は昨年の初めに、笑顔を見たくない人として、民主党の小沢一郎、巨人軍監督の原辰徳、そして女子ゴルファーの宮里藍の三人をリストアップしていた。小沢氏は気まぐれ過ぎるし、巨人軍はお金で勝負することで好きにはなれなかったし、宮里藍さんには、自信過剰な傲慢さが鼻について気に入らなかったからである。一部の方から批判を頂いていたが、筆者の気持ちは変わらなかった。
 しかし、今回のWBCの2連覇で、原辰徳さんはこのリスト指定から削除することにした。何といっても、連覇して新たな歴史を刻んだ実績は大きい。結果として、星野仙一北京オリンピック監督をシャットアウトした。お見事な結果だったと言っておこう。だからと言って巨人軍を応援するつもりはない。
 従って、現在生きている筆者の「笑顔を見たくないリスト」は、小沢一郎、宮里藍の二人になった。少し寂しいので、近く、もう一人をリストアップしたいと考えている。

2.プライベートコーナー
 4時半起床、体重、58.7Kg。今朝は少し寒さが戻っている。昨日の雅子は、ここ数日、安定した状態でトラブルらしいものはない。お陰で、今まで余裕がなくて出来なかった読書が少し進んだ。 今読んでいる村山由佳の「ダブルファンタジー」は、今までの村山作品と趣を異にしていて大変面白い。読了後に、独り言コラムで取り上げたいと思っている。

3.連載、難病との闘い(796) 第三部 戦いはまだまだ続く(90)
  第四章  09年の新たな闘い(4)

  1.施設に戻った雅子(4)
 雅子は、懸命になって何かを伝えようと訴えていた。一考がひとりの時には、今までにも何回も経験していることであったが、他人の前で、そのような訴えは初めてのことだった。しかし、今の雅子とのコミニケーションでは、この場での速やかな解読は難しい。診察室の前では順番を待っておられる方も多い。仕方なく、先生には、一旦失礼をしてから、外に出て雅子の言うことが分かった時点で、それが大事なことであれば、看護婦さんにお伝えするので、その際には今一度宜しくお願いしたいと伝えて診察室を出たのである。
 待合室に戻って、適当なスペースに車椅子を止めると、一考は時間をかけて、いつものような手順で雅子の言わんとすることの解読に掛かった。心の中では、大そうなことになったとの思いがあった。一考は、雅子を焦らせてはいけないと、意識的に鷹揚に構えて、質問を繰り返す形での確認作業に取り掛かった。
 先ずは、病気に関することだねと聞くと、「そうだ」という。そこで、どこか別のところが痛いとか、何か困ったことがあるのかと確認すると、やはり「そうだ」と云う。それならば、その部分はどこかと順次確認していったところ、「顔」だということが分かり、それなら、唇付近の出来物のことかと聞くと、「その通り」だということが分かった。思っていたよりもスムーズに解明できたことに満足し、一考は心底ほっと一息つくのだった。
 そこで、改めて看護婦さんにそのことを伝えると、何と、春日先生が、直ぐに、雅子の車椅子のところまで出て来て頂いたのである。こんなことは初めてだった。一考は。えらく恐縮してお礼を申し上げた。先生は、改めて、雅子の唇辺りをみながら、「大丈夫だよ、メンソレタームのような塗り薬を塗っておけば充分だよ」と、優しく声を掛けていただいたのである。先生の思わぬ優しい一面を見せてもらって、雅子もいつになく大変嬉しそうだった。
 数年前に、大津の日赤病院で、この厄介な病気だと告知されて悩んでいた頃に、自らが専門書で調べて、春日先生の存在を知り、知り合いを通じて紹介をもらったのである。言ってみれば、春日先生は、雅子からのご指名の先生だった。それだけに、自分の訴えに、わざわざ診察室から出て来て頂いて励ましてくれた優しさに、雅子は満更でない嬉しさを感じていたようだった。(以下、明日に続く)

830 歓喜の涙と悔し涙

 昨日は大阪で桜の開花宣言があったが、日本中は、世界一のWBC歓喜の花が開花して大いに沸いた。その一方で、民主党小沢代表の涙の続投表明があった。

1.独り言コラム
 緊迫した長いゲームで、見守っていた筆者もかなり疲れていた。途中の6回表の日本の攻撃に入った所で、観戦を一旦打ち切り、雅子のいるアクティバ琵琶に向かった。雅子の部屋に到着した時には、ちょうど7回表の日本の攻撃中で、中島裕之選手のヒットで勝ち越し点を奪うシーンを見ることが出来た。
 9回にダルビッシュが出て来た時、何となく不安があったが、不幸にして、その予感が当たった。しかし、終ってみれば、世界のイチローの興奮、感激、劇的なシーンを演出するための舞台作りであったと考えると、なるほどと思えるのだ。そのイチローの粘って、粘っての8球目をセンター前に弾じき返したのは、まさに主役が演じた最高の演技で、世紀のあっぱれだった。
 とにかく、神風は日本に吹いてくれた。心情的に韓国にだけは負けて欲しくなかったので、本当によかったと思う。
 気掛かりなことを一つ。阪神、藤川投手の気持ちだ。原采配に問題があった訳ではないが、何処のメディアでも何も伝えていないのが、気になるのだ
 最後に苦情を一つ。独占放送権を確保したTBSだが、途中の2回裏の韓国の攻撃時に、長々とニュースを流してして、放送を再開した時にはその攻撃は終っていた。ゼロに押さえていたので事無きを得たが、極めて不愉快だった。ニュースを見たい人は、他のチャンネルの殆どがやっている訳で、独占放送権を取った以上は、野球放送に徹するべきだった。
 日本中が、そんな興奮している中で、民主党の小沢代表が、悔し涙で続投を表明した。続投は、昨日のWBCの岩隈久志、杉内俊哉、それにダルビッシュ有だけでいい。こわもての小沢氏には、涙は似合わない。

2.プライベートコーナー
 4時50分起床。体重、58.7Kg。昨日より少し寒い感じがする。雅子の様子は、大きな変化はないが、少し痩せたような気がしないでもない。
 日韓戦が延長10回に入ったタイミングで、トイレに行きたいというので、介護士さんに頼んでサポートをお願いした。イチローが打った瞬間は、ちょうど、サポート中で、耳でその状況を聞いていた。

3.連載、難病との闘い(795) 第三部 戦いはまだまだ続く(89)
  第四章  09年の新たな闘い(3)

  1.施設に戻った雅子(3)
 しかし、幸いなことに、車で通院を始めて3年になるが、今までに、雨で大変だったのは、ほんの1、2回である。一週間前の予報で雨が予測されていても、その日が近づくと、うまくずれてくれて助かることが多かった。よしんば、運悪く雨の日であっても、ちょうどその時間帯だけでも、止んでくれたり、降っていても、それほど影響を受けないようなラッキーな恩恵に巡り合い、結果的には大きな迷惑を蒙ることなく今日を迎えていたのである。その点では、一考は、神様の配慮には感謝しているのである。
 この日も、幸い、朝から曇りの日であったが、雨が降る心配はなかった。京都駅の近くにあるいつも使う駐車場には、自分が何時も専用的に使っているスペースも空いていて、何の心配もなかった。
 かつては、うっかりと、一般のスペースに駐車してしまって、大変なトラブルに見舞われたことがあった。隣のスペースが空いていたので、気にすることなく駐車してしまったのがまずく、帰りになって気がつくと、隣りのスペースにぴったりと駐車されていて、車椅子での作業が出来ずに大変困ったこともあった。今では身障者用のスペースを確保することができて、その種のトラブルからはフリーになっている。
 この日の診察は予約時間から15分ぐらいの待ち時間で順番が回って来た。いつもなら、場合によっては1時間ぐらい待たされることがあるのだが、この日は、診察も順調に進んでいたようだ。
 診察室に入ると、雅子を乗せた車椅子を先生に前に止める。そして、一考から、最近の症状、特に、この一ヶ月の変化についてかいつまんで説明をする。いつもの通りの手順である。春日先生は、それを聞きながらコンピューターの雅子の画面をオープンしながら、必要な内容をインプットしてゆく。その間、雅子の身体を部分的に触ったりして症状を確認される。一段落して、今後のお薬のレシピーの調整に入るのだが、少しふるえが気になるという一考の報告に基づいて、その関係のお薬を少し増量しようという。加えて、便秘に苦労しているということで、それ用のお薬を付けてくれることになった。
 いつもの手順で診断を終えたので、お礼を言って診察室を出ようとしたのだが、この日は、これで終らなかった。雅子が何かを訴え始めたのである。(以下、明日に続く)

829 風のいたずら

 急激な風の変化をウインドシアというらしい。広辞苑では、気象用語で、地表付近の小さな範囲で突発的に発生する乱気流、特に着陸時の航空機には危険な影響を及ぼすこともある、と出ている。

1.独り言コラム
 昨日の朝、成田空港で起きた米貨物機の事故は、ウインドシアによるもののようだ。一度バウンドして横転し炎上した。旅客機でなくてよかったと言えるが、亡くなった機長らお二人にはお気の毒な事故だった。風のいたずらなんて、やわなことを言っている場合じゃないかもしれない。
 鎌倉時代に、二度に渡る元寇の際に吹いたといわれる「神風」に代表されるように、台風やカリブ海でのハリケーン、インド洋のサイクロン、それに、最近頻発する竜巻などは、大きな被害をもたらす風の代表的な怖い事例で、今回のウインドシアもその同類と言えそうだ。
 その一方で、目下、世界不況の中で取り上げられているグリーン・ニューディール政策では、風のエネルギーの活用も一つのターゲットになっている。しかし、これらの凶悪な風は対象にはなっていないかもしれない。
 さて、その種の風のいたずらだが、自分達の味方に働いてくれれば、それはまさに神風である。そういう目で見れば、神風は、我々の身近な日常生活でも、しばしば起きていて、ドラマを盛り上げてくれていることも多い。
 昨日のWBCの野球でも、そんな事例があった。米国選手が左翼へ打ったホームラン性の大飛球が、風に戻されてレフトが捕球できたし、ランナーを置いて打ったライト前の小飛球が、風で切れてファウルグランドに落ちて救われたこともあった。いずれも、日本チームには神風となって味方してくれたのだ。
 政界でも、風は大事な助っ人である、今まで民主党に吹いていた風が、ここに来て微妙に変化し始めている。今日、東京地検特捜部が、逮捕している小沢一郎民主党代表の第一公設秘書を起訴するかどうかで、その風の向きが大きく変わると言われている。もう、総理の席の奪取に一浪も出来ない一郎だけに、今後の民主党の出方が注目されている。
 米国株が、今朝、500ドル近く大幅に上げて、取引を終えた。昨日の東証も上げていたから、経済界で何か風が変わって来ているようにも思えるが、…。
 また、大阪府では橋下徹知事が提案していた、府庁をWTCに移す議案が、今朝未明に否決された。橋下提案が否決されたのは初めてのことで、ここでも風が少し変化し始めたようにも思える。
 まあ、何をさておいても、今日の日韓大決戦では、日本に味方してくれる風なら、どんな風でも大歓迎だ。たとえ、それがウインドシアのような乱気流であってもいい。ここまで来たら、2連覇を逃してもらいたくはない。神様はどんな裁定をするのだろうか。楽しんで見守りたい。

2.プライベートコーナー
 3時半起床。何故か早く目が覚めた。体重、58.7Kg。穏やかな感じの朝。昨日の雅子は、穏やかで、特にこれといったトラブルもなかった。しかし、コミニケーションは、やはりスムーズではない。
 連載し始めたばかりの「忘れ得ぬ人」ですが、急遽、今日から連載を中断することにしました。何か苦情を受けたとかいったからではありません。タレントや、有名人の方を取り上げるのは別に問題はないと思うのですが、一般の方のことを、本人様の了解も得ずにネットに書いてしまうことに躊躇し始めたからです。この辺り、法的にはどんなものなのでしょうか。また、気持ちが変われば再開することもあるかも知れません。読んで頂いている方には、勝手な判断で申し訳ありませんでした。お詫び申し上げます。

3.連載、難病との闘い(794) 第三部 戦いはまだまだ続く(88)
  第四章  09年の新たな闘い(2)

  1.施設に戻った雅子(2)
 付き合ってくれた長男、太郎はどんな気持ちだったろうか。母親の大変な状態を直接見ることになっただけでなく、一回だけではあったが、トイレの介護を手助けしてくれたことで、今までにない驚きと心配を覚えたのではないだろうか。自分の母親がそんな状況になろうとは思ってもいなかったはずである。しかも、その症状が思っていた以上の厳しさだったことから、長男という立場であるだけに、先行きのことには無関心ではおられないはずで、今まで以上に、心を痛めたに違いない。
 ところで、当人の雅子は、どんな具合に感じていたのだろうか。折角施設での落ち着いた生活をしていたのに、無理に連れ戻され、しかも、その対応がドタバタしたことで、とんだ迷惑を覚えていたのではと、一考は少し心配したのだったが、後に確認した範囲内では、それなりに楽しかったということであり、一考もほっとするのだった。逆に、そうしてもらうことで、皆に大変な負担を掛けたことを気遣っていた。一考としては、今後も一年に数回はトライしてみたいとも思っている。
 とにかく、その日から、雅子には、単調だが、それなりの落ち着いた生活が戻ったことで、精神的にも安定したものが戻って来ているように思われた。一考にも、再び、それまでのアクティバ琵琶通いが始まり、まずまずの生活リズムが戻ったのである。
 施設に戻って、ほぼ一週間後が、この年の初めての通院日だった。数日前から、それまでの発声、返答が曖昧などの困った症状に加えて、唇の周りに少し何かにきびのような出来物があって気になっていたが、それ以外には大きな変化は出て来ていなかった。
 いつも、通院日が迫って来ると気にし始めるのが、その日の天気予報である。一週間前から週間予報が出始めるのだが、その場合に、その目的日を挟んで前後ともずっと晴天が予測されている場合は安心しているのだが、雨の予報になっている場合とか、その前後に雨が予測されている場合は心配で、毎日その予報の変化に気を遣うのである。大抵の場合、一週間先の天気予報は、1日、若しくは2日ぐらいのずれが出ることがままあるからである。
 天候が悪いと困るのは、車から車椅子、車椅子での病院への移動が大変だからである。京都駅前の駐車場の場合は、きちんとした屋内の駐車場であるから、車から車椅子への移動は問題ないが、その駐車場から病院までが200メートルぐらいあって、雨、風がきついとその移動が厄介なのだ。一方の醍醐にある吉田病院の場合は、駐車場が青空駐車場なので、車と車椅子間の移動も厄介で、下手すると、雅子がずぶ濡れになってしまう心配もある。いずれにしても、雨が降ってもらっては困るのである。(以下、明日に続く)

828 火事は怖い

 人生も歴史も地道に積み重ねられて作られるものだが、火事というのは、それらを一気に崩壊、喪失させる恐ろしい凶器である。

1.独り言コラム
 大磯の旧吉田茂邸が全焼し、貴重な歴史の証人が失しなわれたのは残念だ。1週間前には、旧住友家別邸も放火で貴重な建物が全焼している。また、数日前には、群馬渋川市の老人ホームの火災で10人の尊い命が奪われた。この時期は、一年で最も火事が多いという。火事は怖い。全てが一気にパーになるから、特に全焼は金輪際お断りしたいが、大相撲の朝青龍、白鵬の両横綱の全勝は大歓迎である。
 麻生太郎総理は、今回のおじいさんの邸宅の全焼をどんな思いで受け止めているのだろうか。しかし、自分の内閣も目下延焼中のような状態だから、それどころではないかもしれない。そういえば、民主党も代表の小沢一郎氏に火の手が迫っていて他人事でもなさそうだ。
 そんな風に考えると、日本全体、いや世界全体が、今や大きな火事に見舞われているようだ。どうやら、この執拗な火事は暫く消えそうにもない。我慢して、避難して堪えるしかないのだろうか。
 なお、今日は、朝からWBCでアメリカと対決する。これに勝って、明日の韓国との最後の大決戦にも勝って、2連覇の悲願を果たして欲しい。ここでは、サムライジャパンの打線は、遠慮なく大いに燃えて欲しい。

2.プライベートコーナー
 3時50分起床。体重、58.9Kg。今朝も上着一枚少なくてよさそう。昨日の雅子は、前日に続いて、便秘薬なしで通じがあった。珍しいこと、何かが変化しているのであろうか。見守りたい。

 連載、忘れ得ぬ人(6)辻二郎さん
 東レに入社して、基礎研究所に配属された時の上司である。昭和26年に京都大学理学部化学のご卒業であるから、何と筆者と同じ学部、学科の大先輩である。奥様も同じ学部の嘉子さん(旧姓、高橋)で大恋愛だったとお聞きしている。
 とにかく、3年少しという短い期間だったが、パラジウム触媒による有機化学反応という素晴らしい研究陣の一人として席を置かせて頂いたことは、大変光栄なことだった。
 とても感謝しているのは、米国の一流の化学雑誌のJACS(Journal of American ChemicalSociety)に、ショートコミニケーションではあるが、協力者として名前を連ねさせて頂いたことである。大変名誉なことで、基礎研時代の大きな財産と言える。この研究は、実質的には、筆者の高校、大学の5年先輩の森川正信さんの研究で、パラジウム触媒で、アセチレンに一酸化炭素を付加させて、ムコン酸を合成する反応である。
 5年前の平成16年に、辻さんは、それまでの研究が評価されて、第94回学士院賞を受賞された。その時のお祝いのパーティで久し振りにお会いしたが、まだ現役でご活躍中で、その若さには随分と驚かされた。
 筆者が2年前に刊行した「執念」をお贈りさせて頂いたところ、面白かったとのご丁寧なお手紙を頂戴した。素直に嬉しく、記念に大事に保管してある。(次回は、今回名前を出させて頂いた先輩の森川正信さんの予定です。)

3.連載、難病との闘い(793) 第三部 戦いはまだまだ続く(87)
  第四章  09年の新たな闘い(1)

 僅か二泊三日という短期間だったが、大晦日に、一年ぶりに、雅子を自宅に連れ戻した。慌しく、ぎこちない対応だったが、雅子は元日を自宅で過ごし、1月2日の午後には再び施設のアクティバ琵琶に戻った。短かったにも関わらず、一考が一人で対応する介護はさすがにきつく、限界ぎりぎりの闘いだった、
 こうして、雅子は、二年目の施設での生活を再開したのである。今日からは、春を迎えるまでの雅子の闘いについて紹介することにしたい。

1.施設に戻った雅子(1)

 雅子は09年1月2日、午後2時過ぎに、一考と長男の太郎と一緒に施設に戻った。介護士さん達から新年の挨拶と改めての歓迎を受ける。介護士さん達の明るい対応にほっとしたものを覚えながら部屋に入ると、三人は、ともかくも一息をつくのだった。
 僅か2泊3日の自宅での滞在に過ぎなかったが、三人には、それぞれに、いろんな思いが頭の中を駆け巡っていた。
 一考の頭の中では、大きな事故もなく、所期の目的を無事に終えたことでの満足感、達成感が優先していた。とにかく、一年ぶりに雅子を自宅で過ごさせてあげたことへの満足感、そしてその間の48時間介護の大変さに苦労はしたが、それを成し遂げたという達成感だった。一年前までは自分で全てをやっていた24時間介護だったが、今回の介護とは、その大変さにおいて雲泥の差があった。
 その第一は、やはり、病状の悪化から来る雅子の体力の衰えがもっとも大きな違いで、それまでは、雅子が自力で自分の身体を支えられたのが、それが全く出来なくなってしまったという病気の進行が、介護を大変にしていたのである。最も、大きな影響を受けたのが、トイレでの介護であった。何しろ、それは、予期以上に、一考の体力の厳しい消耗を強いたのである。
 加えて、言葉の不鮮明さ、つまり、コミニケーションの悪化が、それに輪をかけることになった。一年前までは、とにかくその意志をそんな苦労もなく伝えられていた。特に、トイレについては、自分が行きたいとの意志が自由に出来たことで、それに応じて対応することで事が足りていたのだが、それが出来ないことから、結果的には3時間おきにトイレをさせることになり、その対応回数が一日8回と増えたことでの介護量の増大だった。
 食事についても、症状悪化はその食事の内容にも影響が出ることになり、介護する立場からは、いろんな制約も増えて、厄介さが増えることになった。
 そう言った苦しさもあったことが、逆に、それらを成し終えたと言う充足感を満足させたのも事実である。今回の経験から、2泊3日は厳しいが、1泊2日なら、雅子が希望すれば、今後も対応してやりたいと思っている。(以下、明日に続く)

827 予選突破

 戦いには、大抵の場合予選がある。先ずはそれを勝ち上がらなければ始まらない。しかし、闘いには予選というようなものはないようだ。

1.独り言コラム
 ゴルフの石川遼選手が、17歳6ヶ月の若さで米国ツアー2戦目で予選を突破したのは、日本人ではトップ、史上でも5番目の若さだと言う。あのタイガーウッズでさえも、予選を通過したのは8戦目だというから、やはり大したものである。これからが大いに楽しみだ。しかし、今朝の3日目ではスコアーを4つ落として、順位を大きく下げている。まあ、素質はある訳だから、じっくりとその成長を見守ってあげよう。
 いよいよ春到来である。各地での厳しい予選で好成績を残したチームから選抜された32校によるセンバツ高校野球が始まった。初日の第一試合で、延長12回で、倉敷工が12-11という大逆転で、金光大阪を破るという好試合があった。先行き楽しみなセンバツである。滋賀県からも59年ぶりに県内随一の進学高である彦根東高校が出場するが、その活躍を大いに期待している。
 WBCも予選が終って、いよいよ今日から、ロサンゼルスで決勝トーナメントが始まる。ここまで来れば、2連覇は是非果たしてもらいたい。
 政治の世界でも、総理の座を狙うには、予選というべきステップがある。党大会がそれであって、そこで代表に選任されて初めて総理への権利が生じる。要するに、このステップで本当の実力者が選ばれないと、いい総理は生まれない。自民党の場合、ここ三回に渡って、その予選段階での選任がうまく作動していなかったといわざるを得ない。
 残念なのは、今週の女子ゴルフで、女王の不動祐理さんが予選落ちした。まだまだ若いのだから頑張って欲しい。
 蛇足だが、筆者の妻の難病との闘いには、予選というべきステップはなかったように思う。いきなり、ぶっつけ本番だった。今後どんなに厳しい闘いになろうとも、最後まで、しっかりと闘っていかねばならないと、二人で話し合っている。

2.プライベートコーナー
 5時起床、体重、58.6Kg。雨模様。昨日の雅子も、しきりに何かを訴えていたが、その内容が分からず仕舞いだった。しかし、帰りは素直にOKしてくれた。

 連載、忘れ得ぬ人(5) 楠田明さん
 直接、間接を問わなければ、筆者のサラリーマン生活の大半、つまり、四半世紀に及ぶ長い期間に渡っての上司だった。言ってみれば、親父よりも実質的に長いお付き合いを頂いた大先輩である。
 東レの基礎研究所から、別世界である営業マンに転向して来た新人に、営業の楽しさ、難しさ、お酒の飲み方に至るまで、あらゆることを身を持って教えて頂いた。口幅ったい言い方だが、大変気遣っていただき、自他共に認める楠田一家の一員だったと言っておこう。
 楠田大先輩は、一口に言えば、怖い上司だった。怖い要因は、感情的に激しい一面をお持ちだったこと、その言い方、迫り方に鋭さがあったからだと思う。しかし、その一方で、何とも言えない暖かさがあって、設立間もない会社の福利厚生面の充実に注力されていたのが思い出される。従業員、部下への思い遣りには、大変な熱いものを持っておられたと思う。しかし、その怖いという一面が強く、多くの方から恐れられていた存在でもあった。
 大先輩については、書きたいことは山ほどあるが、とても書き切れないので、印象深い話題を二つ紹介するに留めたい。
1.貴重な論文
 「1972年度、営業部5ヵ年計画」と題する楠田さんが書かれた論文がある。B5の用紙で16ページもある大作(?)だ。筆者の手元にそのコピーが残っている。楠田さんは1973年に取締役に就任されているから、その論文が役員への大きな手掛かりだったと思われる。
 とにかく書類はお好きではなかった。部下への指示やトップへの報告などは、ほとんどが口頭で行なわれた。それだけに貴重な資料である。このコピーは、奥様、若しくは、ご子息にでもお返しするのがいいのではと思っている。
2 仕事は面白いか?
 いわゆる出世争いから外れて、スタッフ業務に携わっていた頃の話である。退職されていた楠田さんが、何かの所用で会社に来られた際に、筆者のところにもお見えになり、「どうだ、仕事は面白いか?」と声を掛けられた。単なる挨拶だということで「いや、どうも、今一つでして」とうっかりと言ったのがいけなかったようだ。同氏が、暫くして再び筆者のところに戻って来られて「上の連中に言っておいたからなあ」という言葉を頂戴したのにはびっくりした。
 事ほど左様に、昔の部下にまで気遣いされる性格の持ち主だった。後日譚だが、このことで、当時の直属上司に、ご迷惑をお掛けしたようだった。挨拶なんだから、嘘でも「仕事は面白い」と言っておくべきだった。苦い思い出の一つである。
 天命とはいえ、若くしてお亡くなりになったのが、惜しまれたが、あちらの国で、つい先日亡くなられた伊勢村前社長に会われて、「君、早すぎるよ」と、例の大きな声で叱っておられるのが聞こえて来るようだ。いずれ、お会い出来るのを楽しみにしています。(次回は、会社に入って最初の上司の辻二郎さんです)

3.連載、難病との闘い(792) 第三部 戦いはまだまだ続く(86)
  第三章 施設での生活一年間の総括(32)

 (2)入居生活初年度の総括(その17)
 ⑤ 数字地面からの総括
 さて、この一年を総括するに当たって、最後に統計的な数字から見ておきたい。
 先ず、9951Km、これは雅子が入居後の1年1ヶ月間で走った車の距離である。それまでの一年間での走行距離が、およそ3000Km程度であったから、3倍以上の距離を走ったことになる。
 この間にアクティバ琵琶に通った回数は、471回に及んだ。1往復が18Kmであるから、そのアクティバ琵琶への通いだけで、8478Kmになる訳で、およそ85%の距離は、その施設への通いであった。その以外に走ったのは、毎日の買い物にスーパーに通うが、これが往復2Kmの距離で、およそ350回程度と思われるので、それで700Km,となり、残りは、雅子の病院、それに一考の病院通いであった、こうみると、一考の一年が如何に単調であったかが理解できる。言い方を変えれば、それだけ真面目に雅子の介護に努めたかと云うことになる。
 それの一つの証として、雅子が施設に入居後は、欠かさずに毎日通う記録を継続中である。一泊二日で東京に出かけた時にも、出掛ける日と帰宅した日に顔を出していた。また、必要があれば、一日三回通った記録もある。今では、この毎日通うことは、どんなことがあっても続けたいと思っている。
 また、雅子の介護以外の仕事として、母親の夕食を担当した。その回数は、180回で一年のおよそ半分を担当したことになる。その前年の前半までは、朝食も担当し、しかも、担当日が週6回だったことから考えると、随分と楽にしてもらったということになる。
 一番気掛かりな経費の話になるが、これは頭も痛い大変な問題なのだが、ここでは具体的な数字を記載する訳にもいかないので抽象的な表現になってしまうのをお許し願いたい。
 先ず、入居権確保のためのイニシアル資金が数千万円必要である。これは一時的な支払いなので別扱いにするとして、毎月支払う管理経費が大変である。08年度の実績では、いわゆるプライマリーバランスが若干マイナスになったと思われるレベルであり、全経費に占める施設管理費のウエイト、いわば、アクティバ係数は、およそ、55~60%ぐらいを占めていた。そういう意味では、今後、先行き、特に一考が75歳以降、若しくは一考が亡くなった以降の対応が心配になる。
 つまり、75歳以降は企業からの年金が30%に減ることなるし、死亡後はゼロになる訳で、蓄えの切り崩しや息子達の支援が必要になってくるだろう。心配だが、今はそのことを深く考えず、ケセラセラでいようと思っている。(この章は本日で終わり、明日からは、第四章、09年の新たな闘い を連載します)

826 WBCとWTC

 群馬県の老人施設で火災があり、気の毒にも7人の方が亡くなった。自分で動けない方もいたと聞くと、アクティバ琵琶にいる妻、雅子のことを思い、他人事ではないと不安になった。

1.独り言コラム
 サンディエゴで行なわれていたWBCの野球は、いよいよ場所をロサンゼルスに移して準決勝、決勝が行なわれる。ここでは、今までのダブルエリミネーション方式ではなく、単純なトーナメント方式だ。このWBCの方式は、いろんな制約もあって、ややこしい。
 サンディエゴは、筆者も1966年11月に、初めて米国出張をさせてもらった帰り(67年1月)に、知人を訪ねて一人で立ち寄ったところで、何となく懐かさを覚えるところだ。思い出すのは、サンディエゴからロスに戻る際に霧が深く、飛行機が飛ぶかどうかで心配したことがあった。殆どの航空会社が飛ばない中で、一社が飛ぶことが分かり、それに飛び乗ってロスに戻ったのが思い出される。
 日本チームはそこを好成績で無事堂々と卒業できた訳で、ロスでの決戦で悲願の2連覇を目指して欲しい。頑張れ! サムライジャパン。
 話はWBCから、WTCの話に変わる。大阪府庁をそこに移したいとする橋下大阪府知事の提案だが、府議会の2/3以上の賛成が必要だと言うことで、懸命な説得が行なわれてきたが。その説得工作もどうやら難しそうで、来週、早々には否決される見通しのようだ。あの橋下氏にもいろいろと壁はある。めげずに改革を推進して欲しい。頑張れ! 橋下徹知事。
 今朝の速報だが、アメリカのフロリダ州タンパで行なわれているPGAゴルフツアーの二日目の石川遼選手の成績だが、14番を終って(7時25分現在)、昨日より1打落として-1で27位タイにいる。1オーバーぐらいまでなら、何とか予選通過できそうだ。頑張れ! 石川遼。

2.プライベートコーナー
 5時50分起床。(朝寝坊してしまった)体重、59.8Kg。春の気配、穏やかな朝。昨日の雅子は穏やかだったが、帰り際に、何かを訴えていたのだが、どうしても分からず、そのまま帰宅。気になったが、…。

 連載、忘れ得ぬ人、は本日は休載。(楠田明さんの予定ですが、なかなかコンパクトに纏めきれず、苦戦中)

3.連載、難病との闘い(791) 第三部 戦いはまだまだ続く(86)
  第三章 施設での生活一年間の総括(32)

 (2)入居生活初年度の総括(その17)
 ④ 介護施設入居後の悪化()
 最後に、それ以外の介護サービスについての変化について簡単に触れておきたい。既に紹介して重複するものは簡単にしておく。
 お薬については、既に紹介した通りで、特に付記することはない。但し、便秘に関して、08年の10月度の診断時から、病院からも便秘薬を加えてもらった。それまでのファイバーの服用とも合わせた形で服用中だが、相変わらず、自然な形での通じはほとんどなく、4日間隔でコーラックを併用することで、何とか通じを強制した形で済ませてきている
 なお、お薬の服用の仕方は、いずれの場合も、前にも紹介した通り、粘調なトロミクリアと呼ばれる調整剤にくるんだ形で恰も食べるようにして服用している。
 次に、歯磨き、洗顔についてだが、これらについては、自宅でやっていたのと基本的には同じである。毎食後に実施してもらっている。この一年間での変化は、今まで使っていた電動歯ブラシが少し大きいので、口に入り難くなったため、施設の方で用意してもらった小さな羽歯ブラシを使ってもらっている。相変わらず、結構手間と忍耐が掛かる介護が必要である。
 マッサージは、 自宅にいた時には、健康保険証の適用を受けて、訪問介護でのマッサージサービスを受けていたが、この施設に移った直後には、その種のサービスがなく困っていたが、08年5月の末になって、経費は少し高くつくが、サービスが可能になった。今では、週3回の頻度でそのサービスを受けている。また、時々であるが、持ち込んだマッサージチェアでマッサージを行なっているが、頻度はそれほど多くない。
 お風呂のサービスは、当初は一般の車椅子で入れる大風呂を使っていたが、その後、もう少し深く浸かれるようにするため。機械で操作する部屋での入浴に変わっている。幸い、今のところ、問題もなさそうである。週二日という少ない頻度だが、雅子には有難いサービスである。
 このほかのサービスでは、何か身体に異常があれば、看護師さんが直ぐに必要な対応をしてくれる。それでも心配な時には、この施設の一角にあるクリニックに連れて行ってくれるので、この点では安心しておられるのだ。(明日に続く)

825 やってくれるじゃない!

 世界を相手に頑張っている日本人には、理屈抜きに拍手を送りたい気持ちになる。中でも昨日のサムライジャパンは、理屈抜きに素晴らしかった。また、今朝のゴルフの石川遼選手もしかりである。「なかなかやってくれるじゃない!」である。
 
1.独り言コラム
 今週は、宇宙、地球、世界を相手に日本人がしっかりと頑張ってくれている。「やってくれるじゃない!」という気持ちで、何となく嬉しい。
 先ずは、野球のWBCだが、土壇場に追い込まれたサムライジャパンだったが、本当によく頑張った。後のない崖っぷちで、岩隈久志投手、杉内俊哉投手、それに木宣親選手の3人の素晴らしい活躍には、込み上げる感動を覚えたくらいである。今日は負けてもいいのだが、それでも、相手が宿敵、韓国だけに、なんとしても勝って欲しい。
 ゴルフの石川遼も、米国での二回目のツアーで頑張っている。今朝終った第一日目で2アンダーでホールアウトし、暫定だが14位タイである。出だしに2つのホールでバーディを奪い、16番までは3アンダーだったが、17番のショートホールで初めてのボギーを叩いての2アンダーである。明日もしっかり頑張って、何とか、先ずは予選を突破して欲しい。
 スペースシャトルの若田光一さんも、早速アームを操作して機体点検の初仕事を行なった。とにかく、3ヶ月もそこに止まって、宇宙での生活を続けるのだから大変だろろと思う。課せられた多くの仕事を果たすことで、新たな人類の夢の実現に向けての宇宙との戦いとも言える。「やってくれるじゃないか!」と思いつつ、その活躍を見守っている。頑張って欲しい。
 地球一周をマラソンとヨットで挑戦中の間寛平さんの戦いも、いよいよアメリカ本土に移っていて、順調に段取りをなしているようだ。昨日は初めての休みを取ったようだが、日本時間の今現在、この日も既に35Kmを走破したという。先の長い戦いだけに健康管理が大事だろう。
 もう一つ、連続52日間、マラソン距離を走り切るマラソンに挑戦中の人がいる。立教大学の出身で、箱根駅伝を走ったことのあるという楠田昭徳さん61歳である。イタリアの方が51日間の記録を持っているということで、その記録を塗り替えるのが目的だそうだ。既に、昨日までに、48日間を走り切っていて、今日を含めてあと3日の勝負に迫って来ている。今までに、脚を痛めて苦しんだ日もあったようだが、何とか乗り切って来ている。今度の日曜日の東京マラソンが、その大記録を達成する大舞台となる段取りである。寛平さんの戦いの縮小版のようだが、イタリア人の記録を塗り替えるという意味で、これも世界を相手にしている闘いだ、頑張って達成して欲しい。
 とにかく、何かに挑戦することの素晴らしさに、共鳴と感動を覚えるのである。

2.プライベートコーナー
 4時50分起床。体重、58.9Kg。穏やかな温かさ。昨日の雅子は、昼食後、ヘアカットと髪染めを受けた。筆者はそれに付っきり。途中で、WBCの野球の様子を確認に抜け出し、その展開にそわそわだった。なお、髪染めの後の水洗時に、上向きに反り返る難しい姿勢が要求されるのたが、雅子はよく頑張ってクリヤーした。自分のためだからということで、頑張れたのだろう。

 連載、忘れ得ぬ人(4) 下井将惟さん
 昭和38年に東レに入社した同期の仲間である。二人が顔を合わせたのは、筆者が新会社に移って暫くしてからだった。そのずんぐりとした体型といい、ものの考え方といい、何か哲学者を思わせる風貌といい、まさに夭折した下江秀行君に生き写しを感じさせてくれたのを覚えている。名前が「下井」「下江」というからも、不思議な奇縁を覚えたのだった。
 昭和40年代後半から50年代初めに掛けて、新会社の営業部門を取り仕切っておられた上司の楠田明さんには、共に大事にしてもらっていたことからも、自然と親しくなっていた。
 筆者の結婚式にも出て頂いたし、同氏の結婚式にも招かれて、「頑張れ! 多面体」と色紙に書いたのを記憶している。彼が多くの面で優れていることを言いたくての表現で、随分と懐かしい。
 しかし、筆者が大阪営業部の責任者になった頃から少しぎくしゃくし始めたように思う。大阪部長に、筆者の後任として就任されたのだが、その際に「世直しせねばならない」との発言が、彼との関係で唯一面白くないエピソード(?)だった。しかし、それも今となれば、……。
 いずれにしても、彼の能力とその頑張りには、今でも尊敬している。
 もう、時効だと思われるので、、一つのエピソードを紹介しておこう。それは、或る時、当時の上司の楠田明さんから直接聞かされた話なのだが、「君と下井を比較すると評価が分かれるんだよ。何人かの連中の話を総合すると、全体的なバランスでは、君が少しいいというようなのだが、自分は、下井が上だと思っている」と云うのだった。本人を前にして、よくもそんな厳しいことをおっしゃると思っていたが、さすがに、同氏には、先見の明があったと言えよう。その後、下井常務が実現したことがそれを証明している。下井さんにしてみれば、会社の頂上に後一歩だったのが、唯一の気残りだったのではと忖度している。
 いずrにしても、いい意味でのよきライバルだった。また会う機会があれば幸いである。(次回は、今回の話題に出た、上司だった楠田明さん)

3.連載、難病との闘い(790) 第三部 戦いはまだまだ続く(85)
  第三章 施設での生活一年間の総括(31)

 (2)入居生活初年度の総括(その16)
④ 介護施設入居後の悪化(3)
 施設に移って最初の頃は、雅子の生活のリズムが、介護頂くリズムと合わないことがあって、と云うよりは、介護士さん達からすれば、雅子の生活リズムが充分に把握出来ていないことから、その応接タイミングにずれが生じて、結果としてトラブルが発生し、介護士さんに迷惑をかけることが何回かあった。特に目立ったのが、トイレのタイミングだった。
 とにかく、他の入居者のように、自分から連絡が取れないことから、巡回して来てくれる介護士さんのタイミングが合わないと、そそうは免れない。そんなことで、最初の頃は、紙パンツのお世話になることが多かった。介護士さんが雅子に付きっきりという訳にはいかず、一考が自宅で常に傍にいて気を遣っていたような対応は不可能で、止むを得ないことだった。特に、夜中の対応が難しかったのだが、その後は、雅子のリズムなどをよく把握頂いたり、ゴムシートなどの必要製品なども揃えて、その対策に万全を期してもらったお陰で、幸いなことに、今ではうまくいっていて、そそうもなく順調である。
 次に、食事に関することに触れる。この施設での食事のレベルには、難易度に応じて通常、みじん切り、超みじん切り、ミキサーの4段階に区別されている。このことについては、既に、紹介済みなので、此処では詳細は省略するが、雅子の場合は、08年8月以降は、おかずは超みじん切り、ご飯はおかゆの内容になっている。
 厄介なことは、食物が喉を通り難くなって来ていることに加えた、口を開けるのが厳しくなってきていることも一因である。本人は、一生懸命になって口を開けようとするのだが、うまく開かないことが多くなりつつある。今までの経験では、一旦開け始めると、徐々に開き易くなる傾向があるので、最初に少し開けさせるために、うまくエンジンを掛けるコツが、ポイントになってきている。。
 2009年に入って、この傾向は更に進んでいて、体重の減少傾向が見られ始めた。これらの詳細については、次の2009年最新の症状のところで詳しく紹介する予定である。(以下、明日に続く)

824 やっぱり

 期待が大きいほど、それが叶わない時の落胆は大きい。さむらいジャパンはまたしても、宿敵韓国に良い処なく完敗だった。「やっぱり」という無念さがある。

1.独り言コラム
 その日韓戦は、初回の守りが全.てだった。相手にかき回されて、ダルビッシュの若さが露呈した。何回も顔を合わせている相手だけに、ある種の苦手意識がプレッシャーとなっていたようだ。 
今日は、勝っても、負けても「やっぱり」という気持ちになるだろう。どちらにも転ぶ可能性がある。何とか、今日勝って、生き延びて欲しいが、…。
 昨日の大相撲で、横綱朝青龍が、初顔の栃煌山を破って初顔との対戦で30連勝を果たした。一般的には、対戦相手が初めてだと戦い難いものだが、あの力任せの朝青龍の居丈高な戦いぶりから見ると「やっぱり」といった気がする。いずれにしても、30連勝は、なかなかの記録である。
 ところで、今朝のスポーツ紙の一面に、あの藤原紀香さんと陣内智則夫婦の離婚という活字が踊っている。「やっぱり」という感じで、特別な驚きはない。元々、不釣合いな結婚と素人なりに思っていた。
 40年前の3億円事件よりは規模は小さいが、2億円の現金強奪事件が、昨日、三重県鈴鹿で起きた。二人組みの犯人で「やっぱり」その辺りの事情に通じたものだと思われる。車のナンバーがメモされていたようで、これが、何らかの手掛かりになるのかどうかだが、…。
 名古屋で起きた、闇サイトで知り合った三人の男が犯した殺人事件で、二人が死刑、一人が無期懲役の判決が言い渡された。しかし、その判決を不服として、双方が上告するという。「やっぱり」の感が強い。犯行があまりにも残虐過ぎる。自首の扱いが微妙だ。しかし、それがなかったら、事件の解明ができたかどうか、この辺りにジレンマが残る。
 
2.プライベートコーナー
 4時起床。体重、58.6Kg。もう春が来ていると言えそうな感じである。昨日の雅子には、大きな変化はなかった。悪いながらも頑張っている。

 連載、忘れ得ぬ人(3)下江秀之さん(友人)
 膳所高時代、共に勉学に励んだ仲間の一人だった。何となく気が合って、何となく親しくなったのである。
 山口県の出身で、母親を早く亡くし、親父さん一人の手で育てられた男だ。ずんぐりした体つき、おっとりした性格、物事を深く考えるタイプで、哲学者的な雰囲気を感じさせる男だった。共に京都大学を受験したが、彼は残念ながら浪人、しかし、頑張って、見事に医学部に合格を果たして、親父さんを大いに喜ばせた。しかし、大学入学後は、学部が違うことなどもあって、二人の付き合いは、ほぼなくなっていた。
 それから何年か経って、彼の親父さんが、突然、大津の拙宅を訪ねて来られたのである。筆者は、その時点では既に就職し、東レが作った新会社に移って東京勤務だったことで、筆者の親父が会ってくれた。そこで、下江氏の訃報が伝えられたのである。彼の親父さんにしてみれば、息子が親しくしていた友人にでもあって、在りし日の息子を偲びたかったのだろう。親父さんの話では、彼は大学に入学後、学生運動に走ったようで、そのことが原因で身体を悪くしたようだ。この辺りの事情については、全く承知していなかったので、ただただ驚きと気の毒さでいっぱいだった。筆者の親父の話では、がっかりして落ち込んでおられた姿が痛々しく、大変気の毒に思ったようだ。昭和42年の初めの頃の話である。
 親父からのその話に、筆者は絶句したのを覚えている。彼が何故学生運動に走ったのかは、それまでの彼の考え方からは信じられないことだった。男手一つで育て上げた息子のあっけない死だっただけに、親父さんの落胆は察して余りある。筆者は、彼の夭折に、人生のまか不思議さ、非情さを思うのだった。
 輪廻転生というが、その下江君のことを思い出させてくれる日がやって来たのである。新会社に移って間もなくのことだった。彼の姿を髣髴とさせる人物に巡りあうことになったのである。彼の生き変わりじゃないかとさえ思わせるぐらいよく似ていた。同期の仲間の一人である。次回は、その下江さんに生き写しの友人を取り上げる予定である。

3.連載、難病との闘い(789) 第三部 戦いはまだまだ続く(84)
  第三章 施設での生活一年間の総括(30)

 (2)入居生活初年度の総括(その15)
④ 介護施設入居後の悪化(2)
 ここで、症状の悪化とは少しずれるが、お薬に関する情報を付記して置く。
 施設に戻って、介護士さんによる介護生活を再開したのだが、介護の主任から、お薬を服用するのに、新たな方法の紹介があった。
 それは、雅子の症状を勘案し、より容易に服用できる方法で、この施設でも、既に何人かの入居者での実績のある方法だった。具体的には、粘調なシロップ上の流体にお薬を絡ませて飲ませる方法で、言ってみれば、飲ませるというよりも、食べさせるといった感覚である。本人に確認すると、この方が服用し易くなるということで切り替えた。こうすることで、介護する立場でも服用させ易く、介護の作業性は高まったはずである。この「トロミ剤」が少し高価なのが気になる。
 この頃から、吉田病院での定期診断時でも、症状の変化を捉えながら、お薬の種類だけでなく、その配合比での調整の試行錯誤が始まった。今まで通りに、新しいお薬を試す以外に、お薬を取り止めたり減らす方向での検討である。その切っ掛けは、一考が、あまりにも多くのお薬を服用することへの大変さから先生に検討を申し入れたことからだった。
 言うまでもなく、長い時間を掛けて、ここまでお薬の組み合わせでの実績を積み重ねてきていることから、それをいじることは、そこに成立している微妙なバランスを崩すのではないかという不安があった。言ってみれば、それらのお薬の組み合わせのレシピーは、まさに、壊れ易い芸術品を作り上げて来たような微妙さがあって、下手にそのレシピーを変えると、その作品そのものを台無しにしてしまう心配があった。
 今までの実績でも、お薬のバランスが崩れたと思われる症状の変化の事例が二度あった。一つは、施設に入る以前の2007年2月のことで、ふるえ対策用のリポトロールを増量した際で、結果的には薬の量を元に戻して事無きを得た。今一つは、欧州で実績が出ている新薬を服用始めたのだが、増量し過ぎた結果のトラブルだった。この時のことは、既に詳しく紹介済みなので、ここでは割愛する。(ブログ794回、連載754回を参照)。
 結果的には、今回の取り組みで、一種のお薬を取り止め、別のお薬の量を半減することに成功した。とにかく、一歩前進だった。(以下、明日に続く)

823 欠陥輸入製品

 今日の正午から、この大会で三度目のWBC,日韓戦が行なわれる。勝てばベスト4進出、負ければ、またキューバと決戦となる注目の大一番だ。朝から、何となくそわそわしている自分がいる。自分の損得に何の関わりもないこんなことを楽しみにしていること自体は、一つの老化現象と見るべきものだろう。

1.独り言コラム
 二日前の16日早朝に、静岡県牧之原市の東名高速で、JR関東の夜行バスが全焼する事故があった。乗客にけが人がなく事なきを得たのは幸いだった。調査の結果、この同型の車両が、昨年の5月に名神高速の大津市内を走行中に同様な全焼事故を起していたことが分かった。この車両は、ドイツのネオプラント社製造のバスで、日本には4台輸入されたうちの2台だったという。ドイツでの事故の有無は分かっていないが、日本では明らかに問題がある車両だ。
 この種の大型の海外からの製品では、3年程前にシンドラー社のエレベーターが事故を起す事件が相次いで話題になった。日本では日立、東芝、三菱の三社が90%のシェアーを持っているとされているので、マイナーな存在だったが、一気にその名前が知られることになった。定期点検などのメンテが不十分だったことも一因だとも言われている。
 一方、飛行機でも、最近では、ボンバルディア社(カナダ)製造の機体の事故が目立っている。命に直結するこの種のものは安全第一であるべきだ。
 中国ギョーザなどのような初めから問題製品の輸入は論外だが、最近では、インテルのコンピューターが安価であることから、日本でもシェアーを拡大しているようだ。この場合には、技術サービス体制がどの程度しっかりとカバーされているかが気になる。
 いずれにしても、安全性が担保されていて、安くて性能の優れた製品なら、何処の国の製品であっても、大いに歓迎である。

2.プライベートコーナー
 3時半起床。昨夜早く寝たので早く目が覚めた。体重、587Kg。新聞を取りに外に出たが、寒くない。昨日の雅子は、総じて大人しかった。食事は、比較的しっかりと食べたようだ。

 忘れ得ぬ人(2) 堀口(奥村)幸子さん

 昨日とは一転、ほろ苦い青春の思い出だ。若しも、ご本人(幸子さん)が、このブログをご覧になったら、さぞかしびっくりされることだろうと思う。自分にはそんな意識は微塵もなかったと強く否定される可能性が高いのではと思う。
 昨日取り上げた八耳先生のクラスにいた同級生の中に、筆者好みの、楚々とした美形の利発そうな女生徒がいて、筆者には3年間を通して何となく気になる存在だった。同クラスだった一年生のある時、席替えがあったのだが、その時に八耳先生が、一旦決まった席の全体を見て、そのバランスか何か分からなかったが、この幸子さんに「君、後ろの席に替わってくれない」と言われたのだが、彼女が「ここがいいのです」としっかりと拒否したのである。彼女の席が、私の直ぐ近くの席だったから、何となく筆者もほっとしたのを記憶している。
 その頃は、女性と口を利くことも出来なかった頃の話で、時々、膳所駅に向かう帰り道で、少し先を歩いている彼女の後ろを追う様に歩いていたのを思い出す。(ストーカーではないよ)ある時、一陣の風が彼女のスカートを襲ったことがあったのだが、その際に、彼女が如何にも慎ましく、スカートをそっと抑えた含羞のこもった姿が今も鮮やかに我が脳裏に残っている。
 二年生になってクラスは別々になったが、その終わり(?)に行なわれた九州への修学旅行で、幸い同じ日程になって喜んだのだが、(学年に10クラスあって、旅行は数組に分かれて実施されていた)しかし、口を利く機会も作れないまま、遠く離れたところから、彼女の写真を撮るのが精いっぱいだった。結局、3年間を通じて、ほとんど口を交わすかチャンスもなく卒業したのだが、或る日、大学に通う満員の京阪電車の中で、少し離れた距離で見かけたのが、彼女を見た最後だった。
 同窓会名簿を見て、京都市内に住んでおられるのは承知しているが、全く会う機会がないまま今日に至っている。幼かった青春の本当に淡い片思いの思い出である。具体的に何もなかったのに、こんなに記憶が生々しく残っていることが不思議である。(次回は、高校時代、気心を通じていた数少ない友人だった、今は亡き下江秀之さん)

3.連載、難病との闘い(788) 第三部 戦いはまだまだ続く(83)
  第三章 施設での生活一年間の総括(30)

 (2)入居生活初年度の総括(その14)

④ 介護施設入居後の悪化(1)
 雅子にとって、人生で初めての施設での生活が、2007年12月10日から始まったのだが、あっという間に一年が過ぎ去ったのである。ここからは、この一年余りの施設生活の中での雅子の症状の変化について総括してみたい。
 とにかく、雅子の生活環境が大きく変わった。それまでの自宅での一考の介護生活から、介護士さん達による介護生活になったのである。そのことが、症状変化にどんな影響を与えたかは、暫くは、何も気づかないまま過ごしていた。しかし、それは、思いも寄らないところに顔を出していたのである。
 それに気がついたのは、年末、年始を自宅で過ごさせてあげようと、自宅に連れ戻した二日目だった。頭のてっぺん近くにぽっかりと禿が出来ていたのである。いわゆる神経性の円形脱毛症だった。一考には少なからない驚きであった。
 雅子が施設に入居した頃は、午前と午後の二回に渡って施設通いをしていたのだが、その辺りの雅子の変化には全く気がついていなかった。ちょうど、入居して20日が経過した段階でお正月を迎えたので、自宅に連れて帰って来て、初めて気がついたのである。その大きさは、ちょうど5円玉一個ぐらいの大きさだった。やはり、生活環境が大きく変わったことで、それだけ神経を遣っていたのだろう。
 幸い、その円形脱毛症は、すんなりと回復してくれて、ほっとしたのだったが、それ以外でも悪化の進行は、目に見える形で進んでいた。
 それは、もう、一考一人で自宅で介護することが難しくなったという、大きな変化だった。つい一ヶ月前までは、介護作業が大変だったにせよ、一考が一人で在宅での24時間の介護を担当できていた。それが、このお正月の限定期間だったにも関わらず、一人で担当することが難しくなって、予定していた期間よりも早く雅子を施設に戻すことになったのである。入居して20日間程度、施設でお世話になっただけだったが、新しい環境下での生活リズムが、雅子の症状悪化にしっかりと繋がっていたのである。もちろん、そこには、一考の体力の衰えが進んだことも勘案する必要があろうが、それを差し引いても、雅子の状態の悪化が進んだ結果、一考の手に負えなくなっていたのであった。(以下、明日に続く)

822 徹底して叩く

 それらは共に、昨日の朝、8時43分だった。二画面テレビを見ていた筆者は、思わず唸っていた。一方の画面ではキューバの最後の打者が打ち上げたフライを福留選手がキャッチする瞬間を捉えていたし、もう一方の画面では、若田光一さんらを乗せたシャトルが打ち上げられ宇宙に向かって飛んでいる画面だった。二つの画面が同時に、世界を舞台にした快挙を伝えていたのを目撃して、少なからず興奮していた。

1.独り言コラム
 野球のWBCでサムライジャパンが強敵キューバを破った。これほど完璧な勝利を得るとは全く想定外だったから、何か張り詰めていたものが抜けてしまったような、今までにない爽快感があった。何といっても松坂大輔投手の快投は光っていた。MLBに移って以降は、よく打たれるというイメージがあっただけに、改めて見直した気分である。
 明日は、またしても宿敵「韓国」との対戦である。また大変な戦いになるだろうが、この際徹底して叩いて、宿敵と言う冠を木っ端微塵にして欲しい。朗報を待っている。
 日テレの社長が引責辞任した。「真相報道バンキシャ!」での虚偽報道の責任を取ったものだが、唐突だったので驚いている。同様な事件では、関西テレビの「あるある大辞典」でやらせがあったということで責任を問われたことがあったが、今度は報道番組であるから責任はもっと重い。日テレでは、前に視聴率を上げるための工作が発覚して話題になったが、この種の問題は徹底して叩き潰さねばならない。
 麻生総理が有識者83人から意見と聞くと云う。今頃やって間に合うの? と言いたいが、いいと思うことはしっかりやってもらいたい。しかし、聞くだけではなく、政策に反映してもらわないと意味がない。橋下徹、東国原両知事も、その83人に入っているというから、彼らがどんな提案をするかにも関心はある。いい意味で、二人は、今抱えている課題を徹底して叩いてもらって、活気ある政治を取り戻す切っ掛けを作って欲しい。
 政府から資金援助を受けた米国AIGだが、役員のボーナスに多額のお金が支払われると云う。さすがにオバマ大統領も、何事ぞという怒りを込めて徹底して叩いていた。当然なことなのだが、当人達の考え方が甘すぎて解せない。
 徹底して叩くという行為は、心棒を叩き直すということであり、必要な試練であり、制裁でもある。筆者の最近の「慢性化しつつある怠け心」もその叩き直す対象の一つかもしれない。

2.プライベートコーナー
 4時50分起床、体重、58.2Kg。昨日もそうだが、このところの雅子の食事だが、口が開き難く、その結果、食べる量が減っている。心配だが、もう少し様子を見たい。
 
 いよいよ、今朝から新企画の「忘れ得ぬ人」シリーズの開始です。宜しくお願いします。

 忘れ得ぬ人 (1) 八耳順朗先生
 筆者は、昭和31年に県立膳所高校に入学した。その一年生の担任が八耳順朗先生だった。昭和26年京都大学薬学部のご卒業で化学の担当だった。「八耳」という名字もユニークだが、顔も二枚目とは縁のない特徴のある顔立ちで、関西弁でぼんぼんと話される、あけっぴろげな明るい方だった。
 大袈裟に言えば、自分が、後に化学を専攻することになった切っ掛けは、まさしく、この先生の感化にあったと思う。非常に楽しい授業で、自然に自分の興味が化学に惹かれていったのである。
 先生の指導で思い出すのがホームルームだった。文化勲章受章者を、順次、生徒全員に割り当てて調査させ、その結果を皆の前で発表させるのである。化学以外の面での幅広い知識をつけさせよとの面白い企画だった。ある時、筆者が「津田左右吉」という文学者を担当することになった際に、先生は筆者の父親が文学に造詣が深いことを知って下さっていて、「おまはんの親父さんに聞いてごらん」と言われたのだが、この親しみ深いセリフは今もって筆者の耳に残っている。
 自分がある失敗をした際に先生から頂戴した「人間万事塞翁が馬」という言葉は、今でも筆者の好きな言葉である。
 筆者が東レ(当時の東洋レーヨン)に入った後も、出張などで自宅に戻ってきた際に、偶然だったが、何回かお会いしたことがある。当初は東レの基礎研究所に配属されていたので、そのことを報告すると嬉しそうだった。先生と最後にお会いしたのも、やはり帰省時に大津駅から乗ったバスの中での偶然の出会いだった。相変わらず「どうしてる?」と聞かれたのが、ついこの間のような気がする。先生のお家は、今の拙宅の50メートルぐらいの真向かいにあって、自分の部屋からいつでも眺められる。そのお家を見る度に先生を思い出すのである。我が人生では、大変お世話になった大切なな恩師と呼べるお一人である。(次回は、その八耳先生の同じクラスにいて、片思いに終ったある女性です)

3.連載、難病との闘い(787) 第三部 戦いはまだまだ続く(82)
  第三章 施設での生活一年間の総括(29)

 (2)入居生活初年度の総括(その13)
  ③病状の変化の総括 6
 ナ) 2006年7月中頃から8月に掛けて、症状の悪化が具体的に目に見える形で進んだ時期であった。具体的には、歩行が怪しくなり、転倒することが多くなる一方で、電動歯ブラシのスイッチが押せなくなったり、トイレでの下着の上げ下げのような細かな作業が出来なくなり始めていた。食事についても、口に運んでやる必要が出て来たのである。そんなことから、通院もそれまでのJRから車での通院になった。
 ラ) 6月頃から順次開始していた社会保障制度の恩恵を得るために申請していた手続きの結果が届き始めた。特定疾患患者手帳が8月18日、身障者手帳が10月6日に、介護保険認定書が10月7日に受領した。早速、その恩恵を得るための具体的な手続きを始めた。
 ム) 2006年10月に入ると、歯磨きの際にカップが持てなくなり、ベッドや椅子から立ち上がることが出来なくなった。
 ウ) 2006年11月になるとトイレでも立ち上がれないばかりか、お尻を拭くのもままならず、ここでも、不思議なことに、ウオッシュレットがぎりぎりのタイミングで間にあったのである。毎日続けていた体重測定が、測定器の上に立てなくなって中止せざるを得なくなったのは、12月末のことだった。
 その頃、ビルの二階にある美容院の店に通っていたが、階段の上り下りが厳しくなり、この年末で店を換えることになった。抱かかえるようにして上り下りした階段は懐かしい思い出だ。
 ゐ) 通院に車椅子を使い出したのは2007年1月に入ってのことだった。2月になって便秘で困り始めた。3月になると、あらゆるリモコンのボタンが推し難くなり始めた。
 ノ) 介護施設の検討を始めたのは連休明け。8月には見学に訪問
 オ) 2007年9月なると、言葉が不鮮明になり始める。10月には会話が難しくなり始めた
 ク) 介添えしてやっても、お風呂に入るのも厄介になり始める。うっかりするとおぼれるような不安さえ出て来ていた。、
 ヤ) そして、遂に2007年12月10日に、雄琴にあるアクティバ琵琶という施設に入居した。(以下、明日に続く)

821 いい人材は大きな財産

  WBCの大一番、日本対キューバ戦が始まっている。序盤の2回の攻撃で、折角奪った四球のランナーが、二人続けて牽制球(?)で憤死するという残念な結果で始まったが、3回になって、何と3点を先取し有利に試合を進めている。しかし、あのイチローの落球もあって、何か不穏な雰囲気でもある。今のところ、松坂投手が頑張ってキューバを押さえていて、先が楽しみである。
 とにかく、ドキドキしながら、キーボードを叩きながら、試合展開を楽しんでいる。優れた人材を集めた最高のチームだ。何とか、キューバ(急場)凌ぎに成功して欲しいものだ。とにかく、頑張れさむらいジャパンである。(6時40分現在)

1.独り言コラム
 昨日のNHKの「総理と語る」という番組で、麻生総理が日商の岡村会頭とテリー伊藤氏から質問を受けるという形で対談していた。岡村会頭は、ごく普通に丁寧な口調で、毒にも薬にもならないような気を遣った質問をしていた一方で、テリー氏は、なかなかポイントを突いた厳しい質問をぶつけていた。例えば、例の漢字の読み方で間違ったことを取り上げ「どうして、事前に目を通して確認されなかったのか」とか、郵政民営化についても「あんなところで、あんなことをおっしゃるのは解せない」といった具合である。こういう質問は、総理に向かって直接突っ込むのには勇気がいるが、視聴者が期待している内容だけに、なかなかやるといった痛快な気持ちにしてくれた。岡村日商会頭とのボケとテリー氏の突っ込みという出来レースだったかも知れないが、テリー伊藤のいい処が出ていたと思う。
 そういえば、テリー氏は、NHKに関しては、昨年の紅白歌合戦でも、PR&応援部隊としてタレントの関根勤の娘、関根麻里とのコンビで起用されていた。NHKに重宝される人材と言うのは、一つの勲章で結構なことだと思う。
 ところで、筆者はテリー伊藤氏のことは、ほとんど知見がなく、日テレ系の朝のワイドショーで見るぐらいだった。今朝、これを書くに当たって調べてみると、学生運動から始まり、このTV業界に入るまでの経歴、そして、なかなか多彩な実績を残しているTV演出家であることを知った。NHKもなかなかいい人材に目を着けていると言えよう。
 いい人材と言えば、最近の政治家では、大阪府知事の橋下徹氏が思い浮ぶが、昨日、大阪で「橋下府政は危ない」と称する討論会があたっという。あの直木賞作家の藤本義一氏が主宰だそうだ。突っ走る橋下府政にブレーキを掛けよとする動きである。まあ、いろんな立場があっていい訳だが、折角、芽生えた大阪の改革の旗手だけに、余計な足の引っ張りはして欲しくはない。いい意味での橋下府政の応援団であって欲しい。
 いずれにしても、優れた人材は、大きな財産である。大事に育てて旗振りをしてもらいたい。

2.プライベートコーナー
 4時30分起床。体重。58.2Kg(ほぼ通常値)。外は穏やかそうで春の気配。昨日の雅子は、前日並みだったが、帰り際に何かを訴えたが、その意味が理解できずに帰宅。申し訳なかった。
 さて、このコーナーの活用だが、明日から、適時(毎日ではなく)我が人生の「忘れ得ぬ人」を連載することにした。自分の人生を総括するという意味で、今まで歩んで来た人生で、心に残っている人々を取り上げて昔を偲ぶことにした。この企画を取り上げるに躊躇したのは、毎日書くというプレッシャーだったが、気の向いた日に取り上げるということで、自分で納得し、不連続連載に挑戦することを決断したのである。
 この70年近い人生で、自分が、一体何人の方にお会いして来たかは分からないが、先輩、同僚、友人、仲間、或いはその他の方に拘らず、心に残っている方々を、順不同で順次取り上げてゆこうと思っている。差し当たっての明日の第一回は高校一年生の時のクラス担任だった「八耳順朗」先生を取り上げたい。既に故人ではあるが、私の人生の選択で、大きな示唆を与えて下さった先生である。

3.連載、難病との闘い(786) 第三部 戦いはまだまだ続く(81)
  第三章 施設での生活一年間の総括(28)

 (2)入居生活初年度の総括(その12)
  ③病状の変化の総括 5
 この辺りまでの一考が取ったアクションだが、それらが不思議なくらいの綱渡り的ではあったが、何とか間に合っているタイミングが続いていることに、何か神がかり的な微妙さを意識していた。
 例えば、東京での単身生活を撤退しての緊急帰郷がそうであったし、自宅のリフォームを行って雅子の生活基盤を一階に移したタイミングも、まさに、その典型的な事例である。それらは、雅子の症状の悪化具合から見れば、まさに綱渡りであった。それが証拠に、そのリフォーム直後からは、雅子は二階へは上げれなくなってしまっていた訳で、そのぎりぎりの微妙さに、自分でも驚くのだった。
 その微妙なタイミングはその後も続き、06年11月のトイレ改修、同年12月のウオシュレットへの切り替えもぎりぎりだったし、この施設への入居のタイミングもまさにその一例で、一考は不思議なものを感じていたのである。結果的に言えば、そのぎりぎりまで雅子が頑張って努力してくれていたとも言える。
 さて、話を、その後の雅子の症状の経過報告に戻す。
 ソ) リフォーム直後だったと思う。春日先生からの紹介で、吉田病院の醍醐にある病院で筋肉を柔らかくする注射を受けることになった。その後も3ヶ月に一度の頻度で受けているが、これには確かに、手首、首辺りの筋肉をが柔らかくなる効果が出ていて、大いに助かっている。
 ツ) この頃から、症状の悪化が右手にも出始める。誤ってひっくりかえったりすると、亀のようで、ばたばた手足を動かすが、自分では起き上がれない。
 ネ) 身障者手帳を申請する手続きを開始したのも、この頃で、2006年6月末だった。その後、1ヶ月ほど遅れて、特定疾患患者手帳や介護保険の適用についても追加した形で申請を行なった。これらの社会保障のサポートシステムの知識を全く持っていなかったことから、その都度、偶々得られた知見で、それぞれ個別に手続きを始めたのである。この辺りは、役所での業務分担が、いわゆる縦組織で管理されていて、利用する立場からは大変不便であることを実感するのだった。(以下、明日に続く)

820 難病と闘う元客室乗務員

 春が近づいて来ている実感がある。今日から大相撲春場所が始まるし、選抜高校野球の組み合わせも決まった。春近しの感じだが、政治、経済は依然として冷え込んでいて、先行きは掴み難い。

1.独り言コラム
 全身から筋肉が消えてゆく難病と闘う女性を特集した番組を見た。昨日の夕方のTBSの「報道特集NEXT」である。
 遠位性ミオバーチという進行性の筋疾患で、100万人に2~3人と云う厄介な病気だそうだ。今のところ原因もはっきりせず、治療法は全く見つかっていない怖い病気だが、難病にも特定疾患にも指定されていない。
 番組では、元客室乗務員だった中岡亜希さん(32歳)の苦闘ぶりが生々しく紹介されていた。最初の頃は、両足を廊下に這わせて擦りながら体を進めて行く大変さ、トイレの便座に一人では座れなくて母親のサポートを得て、何とか苦労している姿には、思わず、妻、雅子の苦労が重なって、大変気の毒に思った。
 そんな状態であるにも関わらず、講演をしたり、自ら会長になって患者の会を立ち上げて、署名を集めて舛添厚労大臣にサポートを申し入れるなど、精力的な活動に取り組んでおられる姿勢には感動した。しかし、その会長の役割も、昨年末には、病気の進行で止むを得ず、辞任されたという。何よりも、明るく振舞っておられるのが素晴らしいと感じた。
 世の中には、本当に数多くの難病と闘っておられる方が多いとつくづく思う。これらの難病と闘う皆さんの頑張りを見ていると、大いに勇気をづけられ、自分達も頑張れねばならないと思うのである。雅子も、中岡さんのように口が自由に利けたら、また違った日常が得られるのだと思うのだが、いかんともし難いのが辛い。
 まあ、少し飛躍する話題だが、日本の政治、経済も厄介な難病を罹っているような状態なのだが、中岡さんのような必死の頑張りが見られないのが情けない。太郎ちゃん、一郎さん、あなた方では無理なのではないですか。

2.プライベートコーナー
 5時起床、体重、58.4Kg。一雨毎に温かさが増しているようだ。昨日の雅子は比較的おとなしかった。テレビを見ていて時々笑うのを見るとほっとする。
 さて、昨日の夕方、日テレ系列で、間寛平さんのアースマラソンのアメリカ上陸を祝っての特集を放映していたが、何かをやった男には何とも言えない充実感が漲っていて素晴らしいと思った。筆者も、人がやらない何かをやってみたいものだと改めて思った。それが、新たなエネルギー源なることは確かである。
 そんなことからも、このコーナーを使ってやってみたい企画が浮んできたのだが、今の段階では躊躇している。自分に負担が掛かって来る訳で、それに堪えられるかどうかが心配なのだ。もう暫く考えて結論を出したい。
 なお、アメリカ二日目のランニングに入っている今日の寛平さんは、42Kmを目指していて、既に半分ほど走りきったようだ、数時間毎にブログが更新されていて状況が刻々伝えられている。米国での出だしは今のところは順調のようだ。筆者も、その頑張りを応援しながら、自らも頑張って妻の介護に尽くしてゆきたい。
 
3.連載、難病との闘い(785) 第三部 戦いはまだまだ続く(80)
  第三章 施設での生活一年間の総括(27)

 (2)入居生活初年度の総括(その11)

  ③病状の変化の総括 4
C,急進期
 ワ 2006年2月16日、この日がある意味で、雅子には運命の一日となった。一考のうかつな不注意が原因だったのだが、通院からの帰りに、西大津駅(現在の大津京駅)の数段ある階段のところで転倒し、足首を捻挫したのである。このことが悪夢の始まりになるのだが、それでも、ギブスが取れた3月25日には、姉達と城崎温泉に一泊旅行を行なっている。旅館の部屋が2階だったことから、姉達が懸命にサポートして階段を上り下りしたうようだ。
 カ 温泉旅行から戻って間もなくの2006年4月3日、お墓参りに出かけようとして、また玄関前で転倒したのである。一考の母親が車に乗るのを誘導しようとして、バランスを失っての転倒で、まずいことに今度は左手首を骨折した。まさしく泣き面に蜂だった。
 この二つの転倒で、足首、手首をギブスで長期間固めたことが、結果的には、その後の雅子の手の形状を悪くさせ、症状の悪化のスピードアップに繋がったのである。雅子には、まさに悪夢の転倒が二つも続いたのだった。文字通り以上に、痛い、痛い転倒だった。
 ヨ 2006年5月半ば、ギブスがとれた頃から、通院時に電車やエレベーターに乗る際に、身体を支えてやるのだが、足がすくんで前に出すのが難しくなり始めた。足が竦むのは、このパーキンソン病の初期の特徴だという。
 また、ベッドでの起き上がりも一人で出来なくなり始めていた。日に日に衰えてゆく手足の動きに、一考は不安を抱きながら付き添っていた。
 レ 二階での生活が難しくなったので、急遽リフォームを敢行した。2006年5月末から開始して、6月末に完成した。これにより、雅子の生活は1階での生活に変わったのである。この時点では、手を引いてやったり、身体を支えてやることで、まだ自分の足で移動は可能だった。「トントントン」や「ト~ン、ト~ン、ト~ン」と」言ったリズムを口走りながら、手を引いて歩いていた頃が懐かしい。(以下、明日に続く)

819 引退

 引退と言う言葉は、常に寂しさを伴う。しかし、その代わりが登場することで、新たな夢に繋がるはずなのだが、…。

1.独り言コラム
 小泉純一郎さんが引退を表明したのは昨年の9月25日のことで、もう半年になるが、今でも、次の首相に相応しい人のランクには上位に顔を出している。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続いているが、果たして、次は誰なのだろう。期待の野党党首の小沢一郎代表にも疑惑が降りかかっていて、先が見えないのが、国民には辛い。
 そういう意味では、明るい引退は歓迎だ。先週の名古屋女子マラソンで、引退表明していた高橋尚子さんがラストランをして話題を撒いた。また、一昨日には、将棋の中原誠第16世永世名人(61歳)の「勝負に満喫した」という引退表明があった。一時代を画したという満足感が素晴らしい。それとは逆に、有吉道夫九段(73歳)は来年も現役で闘うという明るい話題もある。
 昨日は、ブルートレインの「富士・はやぶさ」が引退することになり、その最終列車が東京駅10番線から熊本、大分へと旅立って行った。ホームは鉄道ファンで賑わっていたようだ。
 ブルーとレイン(ブルトレ)は昭和33年の「あさかぜ」が最初だったというから、半世紀を越える名物列車で、一時は30本を越える数の列車があったようだ。栄枯盛衰は世の常だが、やはり、引退となると寂しさは禁じえない。これで、現在、運転されているブルトレは、北斗星、日本海などの4本となる。
 「トキ」の焼き鳥に喩えられた中央郵便局舎改築も、ある意味では引退と言えるのかもしれない。文化財保護の観点から、鳩山邦夫大臣の一言で、その保存部分が拡大されることになった。この種の扱いは、価値観の違いもあって、画一的にはいかないのだろう。
 さて、北朝鮮の金正日だが、どうやら健康を回復したようで、今でも自らが指揮を執っていて、引退は先になりそうだ。来る4月には、人工衛星と称してミサイルである「テポドン」を発射させると通告している。国連憲章違反でけしからんのだが、誰も止められないのは情けない。一刻も早い引退をと呼びかけたいが、…。

2.プライベートコーナー
 5時半起床、体重、58.5Kg。外は、かなり強い雨。昨日の雅子は、いつものように便秘薬で3日ぶりの通じ。
 昨日まで連載していた自分の勤務先だった会社の前社長、伊勢村美治氏への追悼回想が終ったので、何だか気が抜けたようなうつろな気持ちである。気が着くと、今日は14日で、故人が逝去されてちょうど一ヶ月の命日である。早いものだと改めて思う。元気な頃の「なるほど、なるほど」が聞こえて来るようだ。
 さて、この欄の活用ということでいろいろと思案しているが、いい考えは出てこない。暫くはのんびりと様子見である。

3.連載、難病との闘い(784) 第三部 戦いはまだまだ続く(79)
  第三章 施設での生活一年間の総括(26)

 (2)入居生活初年度の総括(その10)
  ③病状の変化の総括 3
B.始動期
 ト 2003年10月から、吉田病院の春日先生による診断、治療が開始された。春日先生は、当初は、パーキンソン病ではないかも知れないとの判断もあって、改めて診断、検査が行なわれた。しかし、一年後の2004年10月になって、やはり、パーキンソン病らしいと確認され、そのためのお薬による治療が開始された。日赤病院での診断時での振り出しに戻ったという感じで、何か無駄に時間を費やしたとの思いがある。
 チ この期間の2004年10月に、将棋竜王戦ツアーで韓国に出かけたが、大きな支障はなかったものの、機内食時には、ナイフ、フォークがうまく使えず手伝ってやる必要があった。徐々に悪化が見える形で進み始めていたのである。
 リ 2004年11月末、偶々帰宅していた一考が、雅子の運転で助手席にいたが、S字カーブで思わぬ雅子の運転操作の拙さを目撃して、これでは危険だと判断して東京からの帰郷を決意した。暮れの12月30日に帰郷。2005年のお正月は、次男のいた博多を二人で訪ねた。その時にも、特に大きな支障はなかった。
 ヌ 2005年は、症状の変化は極めて緩慢だった。5月には、雅子は姉達と湯ノ山温泉に一泊旅行。
 ル 2005年10月の通院時に、診察券を出すのに指がうまく動かず、手間取るようになった。症状の悪化が目立ち始めたのである。これを機に、通院には、一考が付き添うようになった。それでも、11月には姉の霧子と一緒に、所用があって日帰りの上京をしている。
 オ.その後2006年2月までは、雅子の症状の悪化は、極めてスローなテンポだった。まだ、この時点では、いわゆる直接的な介護は殆ど必要なく、移動に伴う運転以外は、お風呂、通院、食事、トイレなども、雅子は自分で何とかこなしていた。小康状態が続いていたといえる。

 いずれにしても、2005年末までには、まだ雅子は、日常生活では、それほど支障なく自分でマネージできていたのである。(以下、明日に続く)

818 嘘

 日本人最初の宇宙での長期滞在者となる若田光一さんを乗せたスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げが、直前で再三の延期を繰り返している。若田さんを始め搭乗予定者の気持ちに、必ずしも穏かではないというのに嘘はなかろう。しかし、かつての悲劇の前例もある。発射前の点検、確認には、いくら時間を掛けても掛け過ぎることはない。

1.独り言コラム
 少し昔、「嘘」というヒット曲があった。中条きよしという歌手が歌ったのだが、その歌の冒頭は「折れた煙草の吸いがらで、あなたの嘘がわかるのよ」という歌詞で始まっている。山口洋子の作詞だ。これはあくまでも心理的な面から男を追い詰める言葉としては面白い。しかし、真偽の区別はそんな単純ではないだろう。嘘発見器なるものが今でも使われているようだが、どの程度の精度があるのだろうか。
 北朝鮮が、「衛星」を来月4日に発射するという。誰もが「衛星」なんて信じていない。嘘だと分かっていても、そう言うことで自分達の正当性を主張している。ちゃんちゃらおかしいが、それでも、それで成り立っているから面白い世の中だ。
 小沢一郎民主党の元秘書の石川知裕衆議院議員が、東京地検特捜部から参考人聴取を受けた。事前に小沢代表は「ありのままを話せばいい」と言い、「ありのままを話して来ました」と石川議員は答えている。お互いに「嘘」を堂々と披露するあたり、百戦錬磨の永田町の世界では驚くことはない。
 昔、筆者が、カルテル容疑で公取委から事情聴取された時を思い出すが、やはり、会社の名誉のため、或いは課徴金を少しでも少なくするため、それなりに考え出した「嘘」を幾たびも繰り返したのを思い出す。小沢代表にしても、同氏の第一公設秘書、それに石川議員にしても、立場上、真実を話す訳にはいかない訳で、特捜部との知恵比べが展開されているのだ。この戦いは、差し当たっては、24日までに逮捕されている第一秘書が送検されるかどうかで結果が出る。
 一昨日、釜山で拉致被害者の家族と面会した金賢妃さんは、もう嘘をつく必要はなかったはずで、その流した涙には嘘はなかったと信じたい。
 定額給付金を受け取る、受け取らないでブレまくった麻生総理を始め、政治家の諸君は、どの程度本当のことを話しているのか、話題にするのもおこがましく思えるのが寂しい限りだ。
 ボクシングに詳しくはないが、昨夜は日本人選手が二人も世界戦を制覇した。大したものだ。8度目の防衛を果たした長谷川穂積選手が「自分の真の目的は防衛するのじゃなくて、強くなることだ」とインタビューに答えていたが、これには、多少のリップサービスを含めているが、その時点での真の気持ちであると思う。
 嘘も方便という。日常生活の中で、嘘には、その潤滑剤的な役割があることは認めるが、大事な人に対して「裏切り」があってはならないと思う。

2.プライベートコーナー
 6時起床。朝寝坊した。体重、58.2Kg。寒さはあまり感じない。
昨日は、雅子の定期診断日だったので、京都の病院まで往復。途中で、雅子のご機嫌が今一つで、しきりに何かを訴えていたが、車の運転中だったので、全く理解できずに申し訳なかったと反省。

 連載、緊急回想手記(最終回) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 さて、無計画に長々と綴ってきた故人への思い出の追悼記も、今日で最終回とさせて頂きます。例によって、纏まりのないだらだらとした拙い手記になってしまいましたが、これが何らかの意味で、故人の供養になればと願うものです。お読み頂いた方々には、心から御礼を申し上げる次第です。
 故人は、常に、ソフトで、温かく、そして、時として鋭く輝いた素晴らしいきら星だったと思います。これから更にその輝きを増すだろうと期待していたその矢先に、あっという間に我々の上を飛び越えて、その姿を遥か彼方に消してしまったという感じです。それだけに、寂しく、悔しく、切ない気持ちの余韻は、我々の脳裏、胸中から容易には立ち去りません。悔しい言い方になりますが、人生って、こんなに儚いものだということを、彼が貴い死をもって実感させてくれたように思います。
 筆者は、短かったが、鋭く、明るく輝いた彼の「人生という素晴らしい作品」に、無上の感動と喜びを得たと申し上げたい。そして、ここに、改めて、故人のご冥福を心からお祈り申し上げたいと思います。合掌。(完)

3.連載、難病との闘い(783) 第三部 戦いはまだまだ続く(78)
  第三章 施設での生活一年間の総括(25)

 (2)入居生活初年度の総括(その9)
  ③病状の変化の総括 2
A、潜伏期間
 イ 雅子が異常を感じたのは2001年2月のことで、それは、一考の父親の百日法要を終えた直後だったという。左手の人差し指に力が入らないと同時に、その指先のしびれを自覚じたのが最初だった。その時点では、日常生活にさしたる支障がなかったので、あまり気にすることもなく、そのままにしていた。
 ロ その年の1半ば頃、たまたま友人と話していた時に、脳梗塞ではないかとのアドバイスをもらったので、心配になって日赤病院で診てもらった。結果は、そうではなく、肩こりではないかと云う診断だった。
 ハ ほぼ1年後の2002年10月頃、右手がバネ指になったので、かかりつけの病院で診てもらった際に、左手のしびれのことを相談したところ、日赤病院の専門家の紹介を受けた。
 二 2002年11月 MR検査で、パーキンソン病ではないかとの診断。暫く、日赤に通院。同年12月には、更なる検査で症状はパーキンソン病に似ているという告知を受けた。これ以降日赤病院に通院してお薬による治療を受けることになった。
 ホ 2003年10月、約一年の日赤に通院してお薬治療に努めたが、これと言った効果が見られなかったことで、かつて雅子が勤めていたK大学の伝から、この道の権威である春日先生の診断を受けたいとの強い希望が叶い、病院を日赤病院から京都の吉田病院に換えた。この辺りは、雅子が一人悩みながらも、思い切って自分の意志を行動に移したものだった。一考は雅子の意外な芯の強さを知った。
 ヘ その一方で、この間、02年の10月には一考の退職記念旅行でギリシャ旅行を、03年5月には日光へのバス旅行を楽しんだ。その時点では、ほとんど病気の支障は感じていなかった。(以下、明日に続く)

817 涙が伝える真実

 思わず込み上げてくる涙には、見ている者にも理屈抜きの感動を与えるものだ。そんな涙でも、嬉しい時の涙は、見ていても素晴らしく、最高にいいのものだ。

1.独り言コラム
 エオラス号が岸壁に着いて、間寛平さんがヨットから身を乗り出し奥様に手を差し伸べた際に、流れ出た寛平さんの涙に、思わず引き込まれた感激のシーンだった。70日間に及ぶ太平洋上での闘いを乗り切っての達成感が、一気に感動に変わったのであろう。その傍で笑顔で立っている比企啓之氏も充実感がみち溢れていて、大きな仕事を果たし終えた男の顔であった。元マネージャーの同氏がいなければ、この企画は成り立たなかった訳で、素晴らしく頼りになる男である。
 とにかく、寛平さんはアメリカに上陸した。この上陸の一歩は、まさしく次に繋がる期待の一歩である。まだまだ厳しい闘いは続くでしょうが、これからも大いに頑張って下さい。毎日のブログを楽しみにしています。頑張れ、間寛平さん!
 元死刑囚の金賢妃さんと拉致被害者の田口八重子さんの家族との面会で、金賢妃さんが流した涙にも、じわじわと感じさせる感動があった。「お母さんは、きっと生きていますよ」と元気づける言葉を信じたい思ったに違いない。
 事実は一つだ。北朝鮮は、いい加減に真実を全てオープンにすべきだ。と言ってみても、虚しさしかないのが寂しい。
 昨年度の自殺者の数が、32194人だったとNHKが伝えていた。こんなに多くの方が、悩み悩んで死を選らんだ訳で、そこにはどれだけの涙が流されたのだろうかと思うと胸が締め付けられる。
 将棋の中原誠第16世永世名人が引退を表明した。大山康晴時代を崩して若き太陽と呼ばれたのは40年ほど前のことだ。筆者は長く同氏のファンだったが、あの林葉直子さんとの不倫で、がっかりしたのが思い出される。しかし、同氏の残した実績は素晴らしく、今でも年間勝率、8割5分は破られてていない記録である。「十分に勝負を堪能したので悔いはない」と語る同氏には「涙」はなかった。
 スキーの岡部孝信さんが、W杯ジャンプで11季ぶりに5回目の優勝を果たした。38歳4ヶ月での優勝は、最年長記録だそうだ。きっとうれし涙を流したに相違ない。前日の将棋の有吉道夫九段の73歳現役といい、大したものである。

2.プライベートコーナー
 5時起床。体重、58.6Kg。今朝はまた寒さが戻っているようだ。昨日の雅子は、ほぼ前日並みだったが、少し元気さが感じられた。

 連載、緊急回想手記(24) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 故人への個人的な思いを、思いつくままに綴りながら、二人の関係を振り返ってみて改めて思うのは、故人との踏み込んだ直接のお付き合い期間は、それほど長くはなかった。それでも、大阪で一緒に仕事をした2年近くは、中味の深い付き合いで、筆者には思い出の多いものだった。
 仕事を通じて感じたことは、何よりも、安定した仕事ぶりで、筆者の大阪時代の礎の構築に大きく貢献してくれた。たまたま大学の後輩だったこともあって、理屈抜きに親しさを感じさせてくれた人だった。
 彼の急逝を知らせてくれたメールを見た時は、本当に驚きを禁じ得ず、人生の儚さ、脆さを思ったのと同時に、惜しい人を亡くしたとの何とも言えない無念さを覚えた。
 そのメールでは、彼が旅だったのは2月14日朝4時半だったという。ちょうどバレンタインの日で、健康であったなら、奥様や娘さんからのチョコレートのプレゼントを受け取って楽しい会話に興じられたはずである。人生は、その先行きは本当に分からない。
 筆者は、改めて自分の日誌でその日の朝のことを確認して見た。この朝は4時に起床し、故人が旅だったと思われるその4時半には、このブログを配信するために、コンピューターのある部屋に向かおうとしていた。
 その時刻では、お互いの行く先は全く違ってはいたが、いずれ、あの世の世界で、また会えるはずである。その時を楽しみにしていたい。ただ、筆者はまだ暫くは旅立つ訳には行かない。難病と闘っている妻を一人にする訳にはいかないからだ。(続く)

3.連載、難病との闘い(782) 第三部 戦いはまだまだ続く(78)
  第三章 施設での生活一年間の総括(24)

 (2)入居生活初年度の総括(その8)
  ③病状の変化の総括 1
 何回も書いてきたことだが、雅子の症状が、悪いなりにも少しでも落ち着いたように見えると、病気の悪化も行き着くところまで行き着いたと考えてほっとしたことが何回もあったのだが、その都度、無念にも裏切られる苦い思いを繰り返して来た4年間だった。
 そして、このアクティバ琵琶に入居してからも、あっという間に一年間が経過した。残念ながら、この間も、雅子の症状は、在宅時よりも確実に悪化が進んでいることは既に報告した通りである。
 この機会に、雅子がこの病気に気づき始めて以来の変化、悪化の経緯を総括しておきたいと思う。それは8年前に遡る話から始めねばならないが、とりあえず、病気の兆候が出てから、施設に入居するまでの経緯を3段階に大別してしてみた。

 A.潜伏期  2001年2月~2003年10月 
       左手の指に力が入らないと自覚があった。
       病名が不明のまま、不安な日々が始まった。
       二年後に遂に病名が判明する。
       それでも、退職記念のギリシャ旅行を楽しんだのだが、…。

 B 始動期  2003年10月~2006年2月 
       日常生活に支障が出始める。
       それでも二人で韓国ツアーに参加、
       しかし、危険な悪化が発覚し、一考は緊急の帰郷を決断
       そして、一考の在宅介護が始まる。

 C 急進期  2006年2月~2007年12月 
       雅子のうっかりした転倒が症状悪化を促進。
       悪化急進し、その対応に大わらわとなる。
       急遽、リフォームなどの対応、そして、遂にアクティバ琵琶に入居
       
 差し当たっては、これらの三つの期別に、順次、その悪化の具体的な内容について、箇条書きにして、簡潔に総括を試みることにする。(以下、明日に続く)

816 いよいよ!!

 人間は誰しも、毎日、何かと闘いながら生きている。そんな闘いから得られる、無上の喜び、素晴らしい感動を受けて、また新しい次の闘いに挑んでゆくのである。言ってみれば、そんな闘いの影に潜在している幸せを求めて闘っているとも言えよう。

1、独り言コラム
 日テレの中継画面から見る限り、ロサンゼルス、ロングビーチの天候は素晴らしく、蒼い空、海の青さが鮮やかで、寛平さんの到着を待っている。そして、今、やっと、画面ではそのエオラス号が姿を現した。感動の米国第一歩、感激の再会場面は、いよいよ、である。
 千葉県の鴨川を出たのが今年の1月1日、そして70日間の熾烈な闘いが、太平洋突破という第一段階のゴールを迎えようとしている。走った距離が11412Kmというから、今回のアースマラソンの全部の走行距離のおよそ1/3に相当する。誰もやらないことへの挑戦に、誰にも得られない喜びを噛み締めているだろう。先ずは、おめでとう。よく頑張ったと申し上げたい。そして、いよいよ、明日からは、また新しい闘いに挑んでゆくことになる。筆者にも、それをフォローする楽しみが続くことになる。
 WBCのメンバーも12時間の飛行で太平洋を飛び越えて米国、アリゾナに上陸した。ここでも、いよいよ、次なる戦い始まることになる。このシリーズは最大3回までの負けが許されるシステムだ。悔しさをバネに、しっかりと雪辱を果たし、輝かしい連覇に挑んでもらいたい。空港を出るときのイチロー選手の「負けたのは、悔しい」の一言は印象深かった。
 将棋の世界は、3月が年度末で、昇級、降級を掛けたドラマティックな戦いが展開されている。昨日は、現在最高齢棋士の有吉道夫九段(73歳)が、負ければ引退となる瀬戸際に追い込まれていたが、見事に勝利して、もう一年現役継続権を勝ち取った。その勝った相手が、勝てば昇級できる若手の有望棋士だっただけに、その喜びは一入で大きかっただろうと思われる。
 有吉道夫九段はあの大山康晴十五世永世名人の弟子で、かつては名人位を掛けて、師匠に挑んだことがあったのを記憶している。同氏には、これからの全ての対局に、その「いよいよ」の気持ちで臨んでいくのだろうと思う。
 世間を騒がせている西松建設の献金問題も、いといよ核心に迫って行くことになる。差し当たっては、逮捕された公設第一秘書の拘留期限である24日をターゲットに、送検の可否を巡ってのドラマが注目されている。さあ、どうなるのだろうか。
 ところで、今朝の、米国株は370ドル以上と大きく反発した。しかし、いよいよV字回復? と云うのはまだ早すぎる。
 いずれにしても、「いよいよ」という言葉には、新たな、大事な何かを告げてくれる重みと期待がある。

2.プライベートコーナー
 5時10分起床。体重、58.8Kg。春の到来を実感できるようだ。雅子に関しては、先日の人間ドックの検査結果の報告があり、良好とのことである。一先ず、ほっとである。

 連載、緊急回想手記(23) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む
 ここで、どうしても触れておきたいことがある。それは、故人が生前に少し気にしておられたことであり、今となっては、筆者にも少し気掛かりとなっていることでもある。
 それは、筆者の唯一の出版した作品である「執念」の内容に関しての事である。この本の出版を控えて、事前に何人かの会社の幹部の方に目を通して頂き、まあ、出版しても差し支えないだろうとの暗黙の了承を得ていた。故人からも、問題はないでしょうとの同様な主旨のメールをもらったが、最後のエピローグの部分で、自分と思しき人物のことが描かれているのが、事実とは違っているので、少し気になると付記されていた。しかし、その付記にも、如何にも彼らしく、この内容が、何処までが事実で、何処の部分がフィクションなのかが分からないのでと前置きされての付記だった。
 筆者からは直ぐに返信メールを送り、その辺りは、その小説を面白おかしくするために、誇張した表現でのフィクションだとお詫びとお断りを申し上げた。果たして、ご本人が、その説明で納得されていたのかどうかは分からない。筆者としては、いずれ、またお会いした時にでもゆっくりと話そうと思っていただけに、今となっては、筆者が少し気になっているところである。
 その一方で、その後頂いた昨年及び今年の年賀状には、その種の気掛かりなことには、一切触れておられなかった。同氏にわだかまりがなくなったという訳ではなかったと思うが、フィクションなら仕方ないと、彼らしく、余計に拘らないさっぱりした一面を見せて頂いていたのだろうと受け取っている。繊細さと同時に、ゆとりを持っておられた立派な人格者だったと改めて思うのである。(続く)

3.連載、難病との闘い(781) 第三部 戦いはまだまだ続く(77)
  第三章 施設での生活一年間の総括(23)

 (2)入居生活初年度の総括(その7)
  ②悪化は止まることなく 2
 総合的な症状変化の一つに、椅子に座っていてお尻が痛いと言い出す頻度が増えて来ている。少し持ち上げてやって、お尻の位置を変えてやるのだが、うまく行かないこともあり、そういう場合は、ベッドに横にしてやることにしている。同時に、なるだけ痛くならないクッション探しに腐心していることは、先に述べた通りである。
 そんな一方で、俯きかげんである首を持ち上げる努力を続けているが、それが比較的向上して来ているように見えるのが嬉しい。三ヶ月の一度の身体を柔らかくする注射の効果も発揮されていると思われ、ほっとする一面もある。
 そうした毎日の繰り返しの中では、どうしても、贔屓目な見方になってしまうのだが、ちょっとした一時的な落ち着きが見られると、漸く症状も安定化して来ているのではと期待して見てしまうことである。今までにも、そんなことが幾たびもあった。それだけの強い願望の反映なのだが、実際には、数日後には、それが裏切られるという繰り返しをして来ているのが、ここ数年の悲しい実態だった。
 毎日介護しながら、悲しく思うのは、今の雅子は自分では何も出来ないことである。手足を動かすことも、身体を少しでも動かすことも全く出来ないのである。それでも、雅子は頑張って、俯いている首を少し持ち上げる努力を続けている。それには、相当な頑張りが必要なようで、持ち上げた状態で長く保つことは出来ない。まさに、達磨さんのようなじっと座っている生活を余儀なくされているのである。その上、厄介なことに、発声もままならず、コミニケーションに、その手段に窮して来ているのが、今の雅子の症状である。
 救いは、頭がしっかりとしていて、こちらのいうことが理解できることである。従って、寝たきりになることはなく、気晴らしを兼ねてテレビを楽しむことは出来ている。大変、苦しい毎日の連続なのだが、忍耐強く頑張るしか仕方がないのである。一考が訪ねるとほっとした顔で、一生懸命挨拶しようとしてくれるのがいじらしい。一考も、そんな雅子を見ることでほっとするのである。
 最近の雅子の様子を見ていると、良くなって欲しいとは思わないまでも、一刻も早く、病気の悪化が行き着くところまで行き着いて欲しいと願っているのである。しかし、事実は更に厳しく、そんな願いは春の雪のようで、直ぐに消えてしまうのである。外見は安定しているように見えても、見えない内側のところでの悪化が目に付く。例えば、食事の際の飲み込み具合、口の開き方、便秘の厄介さなどでの悪化が、まだ執拗に進んでいて、依然として、先行きへの心配は断ち切れないのである。(以下、明日に続く)

815 海を渡って、新たな戦いが始まる

 政治と金の問題で永田町が揺れている。株価の低迷で兜町がずっと揺れている。その一方で、WBCの日韓戦で、昨日の東京ドームが大きく揺れた。揺れが治まると、そこには、新しいドラマが始まっているはずだ。我々は、その新しいドラマに期待するしかない。

1.プライベートコーナー

 昨日のWBCアジア地区決勝で、悔しいが、宿敵韓国に競り負けた。決勝点となった1点を取られる直前に、テレビで解説していた古田敦也さんが、「今の岩隈投手のボールなら大丈夫だと思うが、三塁手はもう少しラインを締めていた方がいい」と言った直後だった。そのライン際をボールが際どく抜いて行った。如何にも惜しい。
 勝てば官軍で、負けるといろいろと愚痴もこぼれる。8回裏の反撃の場面で、イチローがヒットで出た後の中島選手へのバント采配はどうだったのだろうか。中島選手が当たっていただけに不満が残る。また、ラッキーボーイ的で当たっている内川に代えての小笠原はどうだったかなどと言ってみても後の祭りだ。いよいよ、海を渡っての2次予選で雪辱を期す事になる。頑張って欲しい。
 いよいよ、間寛平さんの乗ったヨット、エオリス号が、太平洋を乗り切って、日本時間で明朝に、ロサンゼルス港に入港する。自然との大変な闘いを乗り切っての快哉である。また新しいドラマの幕開けでもある。
 拉致された田口八重子さんの長男の田口耕一郎さんら家族3人が、日本海を渡って釜山であの金賢妃と面会することになった。新しい事実が出るかどうかは分からないが、新たな展開への何らかの切っ掛けになってくれればと思う。
 古くは遣隋使や遣唐使に始まり、鎖国で一時途絶えていた海外への渡航は、明治維新の夜明け前から、海を渡る往来が盛んになり新しい時代を切り開いてきた。島国の日本人は、海を渡って世界に学び、羽ばたいて、新しい戦いをしながら、歴史を作って来た。さあ、サムライジャパン、寛平さん、田口さん家族は、海を渡ってどんな新たなページを歴史に書き加えてくれることになるのだろうか。期待と不安が待っている。

2.プライベートコーナー
 3時40分起床。体重、58.7Kg。春が近づいて来ているようで、寒さも穏か。雅子も頑張って首を上に向けるリハビリを始めている。昨日は、食事もそこそこ食べられたようだ。

 連載、緊急回想手記(22) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む
 筆者は、手紙や葉書は棄てずに残しておくタイプである。親父からもらった手紙や葉書は、中型の段ボール箱にいっぱい取ってある。それらをどうするかは決めていない。そんな訳で、故人からもらった年賀状や葉書も手元に何枚かが残っている。
 昨年の6月初めに、住所変更の葉書をもらった。そこに、娘、孫の住む近くに引っ越したという添え書きがあった。それを見て、娘がいるといいんだなあとつくづく思ったことを思い出す。何しろ、筆者には二人の息子しかいないからである。
 因みに、故人からの最近の年賀状を改めて見直してみると、2005年の年賀状には、二人で飲んだあの夜のことに触れ、「楽しかった。また飲みましょう」と付記されている。今となっては、叶わぬことで、如何にも無念で悲しくなるのである。
 また、あの夜に、筆者が暇つぶしに小説を書いていると話したのだが、故人からは、その後の年賀状で二年に渡って「どうなりましたか。今年辺りは発表されるのですか」という添え書きがある。その辺りのフォロー振りをみても、如何にも彼らしい細かな配慮が窺えて、寂しさ、悲しさ、無念さが甦ってくるのだ。なお、その小説に関しては、明日、触れる予定である。(続く)

3.連載、難病との闘い(780) 第三部 戦いはまだまだ続く(76)
  第三章 施設での生活一年間の総括(22)

 (2)入居生活初年度の総括(その6)
  ②悪化は止まることなく続く 1

 入居から、ほぼ一年後の08年末での症状変化であるが、それまでの在宅時に比べて、見た目には、さほど大くは変わっていないようなのだが、実際には、いろんな面での悪化が進んでいたのである。症状の安定化を期待していた一考だったが、悪化は止まることなく、引き続き進行していた、その辺りのことについて、項目別に大まかに見てみよう。
 先ずは、「食事」に関してだが、次第に飲み込み具合が弱くなって来ていて、硬いものはうまく喉を通らず、昨年の8月頃からおかゆに変わり、おかずもみじん切りになった。それでも、その時点では、食欲はしっかりあるというので、差し当たってはほっとしていたが、12月に入ると、日によっては朝は、口が開き難くて、食事がし難い日が出始めていた。その辺りのことについては、一考が訪問した際に、おやつの時間にヨーグルトなどを食べさせる際に、同様なケースを目の当たりにして不安を持っていた。
 そのことに連動しているかどうかは別として、お通じの方も、便秘薬の服用が不可欠になって来ていた。少し前までは、服用しなくても何とか自分で排泄することも可能な時もあったが、今では、便秘薬の服用は欠かせないのである。とにかく、食事と排泄のバランスに関しては、不安がじわじわと滲み出て来ていたのである。
 また、コミニケーションが大変困難になってしまっているのも辛い。6月頃までは、言葉を文字分解する方法で、雅子が言わんとすることを理解することが出来ていたが、それが次第に叶わなくなって来ていた。つまり、一つずつの文字を確認する作業がうまく行かなくなっていたのである。それまでは、最初の文字から順に、「あ行が、か行か」と言った具合に確認し、「か行」と分かると、「か、なのか、き、なのか」といった具合に確認して、例えば「こ」だと確認できたのだが、雅子の返事が曖昧になって、はっきりとした確認が出来なくなってしまったのである。
 要するに、理解はしっかりしているのだが、返事がうまく出来ないのである。仕方なく、今では、質問を繰り返しながら、言わんとする事柄を当てようとする作業を続けるのだが、これが大変な労力を必要とする作業になっている。それでも、その質問する方法を繰り返して、何とか雅子の希望、要求を確認して対応してやる毎日なのである。(以下、明日に続く)

814 変則ダブルエリミネーション方式

 西松建設の献金事件が世論を大きく揺らせている。最新の世論調査の結果では、民主党への支持率が大幅に下がり、総理に相応しい人でも小沢一郎が2位に落ちた。世論は鋭敏で先行きは読めない。

1.独り言コラム
 トーナメント方式にも、いろんな方式がある。代表的なのが、甲子園での高校野球のように、一度負けると敗退する勝ち抜き戦、更には、六大学野球のような総当りリーグ戦方式、それに、2回負けると敗退するダブルエリミネーション方式、更には、暫定の順位で、下位チームが順次上位チームとの勝ち抜き方式のパナマス方式などがある。
 このWBCで行なわれている方式は、正確には、変則ダブルエリミネーション方式である。通常、ダブルエリミネーション方式は、文字通り2敗するまで戦える方式であって、決勝戦は、勝者組から上がって来たチームは一度負けても、もう一度戦える方式で、公平さを保っている。しかし、WBCの場合は、決勝戦が一回勝負になっている点で変則なのだ。この変則が効いた結果、前回のWBCで日本があれだけ韓国に負けても優勝という結果が得られたのである。公平さから見れば、疑問が残る不公平な方式だ。しかし、そう取り決めての約束での戦いだから、それでも勝てるような戦い方が必要となる。
 因みに、将棋の棋王戦は、予選でこの方式が採用されていたが、何年か前からは、決勝戦では、公平さを重視し、勝者組から上がってきた棋士が決勝で敗れた場合は、もう一回戦って決着をつける方式に変更している。
 まあ、何が公平かということは別にして、今夜はどんな結果になるのだろうか。岩隈久志投手の快投を期待している、
 ところで、麻生太郎総理と民主党小沢一郎代表との戦いだが、これは、ダブルエリミネーションでは賄い切れず、言ってみれば、マルチエリミネーションの様相だ。何回負けても、引き下がらずに戦い続ける負け比べになっている。

2.プライベートコーナー
 4時起床。体重、58.6Kg。寒さは、セーター一枚分穏やかさがある。雅子は食事をするのが大変になって来ている。心配が募ってきている。

 連載、緊急回想手記(21) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む
 お話しやすい懇意の人が社長だと、会社の動向に関心も高くなるし、随分と有難いこともある。
同氏が社長に就任された翌年の初めだったと思う。筆者に、勝手な気安さもあったのだろう。つい気軽に相談に乗ってもらったことがある。それは、筆者が大学の同窓会でシリコーンに関するプレゼンテーションをすることになり、その資料の準備に協力をお願いしたのである。彼は、直ぐに動いてくれて、担当のOさんを窓口にしてくれた。もし、彼が社長でなかったら、そんな気軽に頼んだりは出来なかったと思う。先輩風を吹かせて甘えていたのだろう。
 しかし、この件でもハプニングが起きた。折角、いろいろと準備を頂いたのだが、その後、筆者の妻、雅子の病状の悪化が進み、同窓会に出席できなくなってしまい、プレゼンテーションは流れてしまったのである。当時は、在宅介護をしていて、自らが付きっ切りの介護を行なっていたことで、手が離せなかったからだった。同氏やOさんには、折角ご協力頂きながら、それが無駄になってしまったことを、大変申し訳なく思っている。
 人生という作品にはハプニングは付き物だが、それがもたらす喜怒哀楽が、その作品の中味を濃くも、薄くもするのである。(続く)

3.連載、難病との闘い(779) 第三部 戦いはまだまだ続く(75)
  第三章 施設での生活一年間の総括(21)

 (2)入居生活初年度の総括(その5)
 ①生活リズム 5
 単調なスタイルの生活の繰り返しであるだけに、タイミングを捉えた気分転換、思い切った発散は大事な場となる。
 広い意味では、週三回のマッサージ、毎月の通院、数ヶ月に一度の美容院、年一度の自宅への帰宅などは、雅子の取っては、大きな気分転換の貴重な機会である。
 個別にみると、マッサージは昨年の5月末から始めたが。今でも継続して行なってもらっている。1回が15分程度の短いものだが、むしろ、その程度の時間が雅子に、長すぎずに適当な時間であって、ベッドに横なっての身体のほぐしは、少し痛いようなこともあるようだが、身体への刺激ということでは貴重な時間帯である。
 美容院は、ヘアーカットだけの日と、毛染めも同時に行なう日がある。いずれ場合も美容師さんがこの建物の一階に来てくれるので、遠出は不要で煩わしくなくて有難い。洗髪時に身体を大きく反って洗い易くする必要があり、大変だが自分のためだということで、雅子も頑張って応接してくれる。とかく、運動不足にならざるを得ない施設での生活だけに、身体を動かすという面からは、然るべき刺激を受ける貴重な機会となっている。
 こういった私生活での気晴らしの機会とは別に、施設が毎月一度の頻度で、タイミングを捉えたイベントを企画してくれている。施設にお世話になった最初の一年だったので、あっと間に過ぎ去ったが、大抵のイベントに雅子も参加して、それなりに楽しんだというよりも、気分転換を試みたのである。
 個々の内容については、別途、もう少し詳しく紹介する予定だが、記憶に残っているものとして、ニューイヤーコンサートに始まって、豆まき、買い物ツアー、花見ツアー、ハーモニカ演奏、花火、車椅子ダンス会、美術館訪問、敬老会、文化祭、紅葉狩り、クリスマスパーティなどの数々の催しが企画、実行された。一部、通院日と重なったこともあったが、それなりに、気分転換には役立ったことは確かである。この他にも、ユニットごとに入居者のお誕生会もあって、施設も結構いろいろ気遣ってくれている。(以下、明日に続く)

813 努力、そして勝つことの素晴らしさ、大事さ

 昨日のWBCの日韓戦で、星野仙一氏が観戦している姿をカメラが捉えていたが、一人ひっそりと座っている姿に、かつての英雄も負ければこうなるのかと気の毒さを思った。民主党の小沢一郎代表も、特捜部との戦いに負けると、そんな立場に追い込まれる可能性がある。勝負の厳しさを改めて思う。

1.独り言コラム
 宿敵、韓国との試合が始まった直後、期待のイチローのバットからの快音が聞かれた時、見ていた大半のファンはほっとしたものを感じたはずである。筆者も、溜飲が下がる思いで、その瞬間を見ていた。大袈裟に言えば、その一打が日本チームに火を点けたように思う。終ってみれば、誰もが予期しなかったコールドゲームでの大勝、快勝だった。本当に何が起こるか分からない。
 この快勝の影には、不振で凹みながらも、早目に練習に出て来て、特打して頑張ったイチローの努力は見逃せない。天才でも、そんな努力があって初めて開花するのだ。やはり、努力は積み重ねるものである。
 努力の積み重ねと言えば、あの間寛平さんも、広大な太平洋の中で、不屈の闘志で頑張っていて、漸く、目的地のロサンゼルスを近くに捉えるところまで接近して来ている。毎日送られてくるブログを見ながら、その凄い戦いに感動の連続です。また、このヨットのエオリス号を仕切っている比企さんの頑張り、努力も同様に素晴らしく、どうやら、今週中には、ロスアンゼルスに入港と言う朗報が届きそうだ。取り敢えずの勝利まで、あと一息といったところ。引き続き頑張ってください。
 一方、スキーの上村愛子さんが世界フリースタイル選手権でモーグルでの総合優勝を果たし、来年のバンクーバーオリンピックへの内定第一号となった。おめでとう。これまた、たゆまぬ努力の賜物だろう。オリンピックでの活躍が楽しみだ。

2.プライベートコーナー
 5時20分起床。体重、58.7Kg。セーター一枚脱いでもOKの温かさ。雅子が投げ掛けた前日の宿題となった要求内容は、テレビのチャンネルの変更だったようだ。大したことなくてほっと。

 連載、緊急回想手記(20) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む
 実は、故人と会う少し前の11月初めに、所用で大津の自宅に帰宅したのだが、その際、妻雅子の症状の異常を見て、急遽東京を撤退することを決意していた。雅子の運転する車に同乗していて、ちょっとしたS字カーブで、てこずったハンドルさばきを見ての決断だった。思っていたよりも雅子の症状が悪化していたのだった。
 この日のOB会に、伊勢村社長自らが出席してくれていたのを、筆者は、結果論ではなく、そんな筆者の事情配を慮した神様が作ってくれた貴重なチャンスだと解釈していた。つまり、二年前の無念のドタキャンへのリカバリーへの埋め合わせだと受け取っていたのである。
 そのOB会では、久し振りの皆さんとの顔合わせに楽しいひと時を過ごしたのだが、一次会が終った後の流れ解散の中で、気が付くと、タクシーを止めて、二人は一緒に乗り込んでいたのである。大変珍しいいことだったが、こうして、伊勢村社長と二人きりで飲む機会を得たのだった。
 気を利かした同氏が、自分の行きつけの店に案内してくれたのである。筆者には初めての店だったが、二人でお酒を楽しみながら、とれも素晴らしいひと時を過ごしたのである。正直言えば、この時が二人きりで飲むのが初めてのことで、二人とも少し緊張していたように思う。自分が先輩だと云うこともあって、場を盛り上げようと、少ししゃいでいたようだ。幾つかの話題で語りあったのを覚えているが、故人のあの快活な特徴ある口調での「なるほど、なるほど」も何回か耳にしたように思う。しかし、具体的な話の内容については、ここで披露することは控えたい。
 いずれにしても、それは、忘れられない楽しい銀座の一夜だった。しかし、その彼がもういないと思うと、改めて心が痛むのである。(続く)

3.連載、難病との闘い(778) 第三部 戦いはまだまだ続く(74)
  第三章 施設での生活一年間の総括(20)

 (2)入居生活初年度の総括(その4)
 ①生活リズム 4
 いずれにしても、雅子の生活パターンは、極めてシンプルなリズムの繰り返しである。一日、24時間の殆どが、椅子に座っている時間と、ベッドに横たわっている時間なのである。それだけに、椅子で座っている場合のお尻の痛さを軽減する工夫は、大変大きな課題なのだ、
 因みに、外出ではないが、自分の部屋から出ることもあるが、それはごく限られていて、一日三度の食事、一週間に二度のお風呂などで、そのほかには、月一度程度行われる館内でのイベントに参加す場合と二ヶ月に一度ぐらいだが、美容院でのヘヤーカット、毛染めを受ける場合だけである。この場合は、車椅子での移動で、やはり、クッション性の良い座布団を使うように心掛けている。
 一方、館外への外出だが、これはもっと限定的である。具体的には、月一度の通院、たまに戸外で行なわれる施設主催のイベント、それにお天気の良い日でのたまの散歩程度だ。これ以外にマッサージサービスがある。週三回受けているが、これは、もちろんベッドに横になって受ける。
 ことほど左様で、雅子の生活パターンは、極めてシンプルで限定的なものである。総じて言えば、椅子に座っている時間が長いのだ。そこでは、テレビを見る以外にやることはない。嫌でも、つけてもらっているテレビを見るか、俯いたままぼっとして時間を過ごすことになる。楽な生活のように見えるのだが、自らが身体を動かせないだけに、大変退屈で、苦痛な闘いでもある。
 因みに、椅子に座って過ごす時間を大雑把に概算してみると、長いときには10時間ぐらいに達しているようだ。就寝時間が、午後の9時から朝の7時までなので、起きている時間のおよそ70パーセントは、椅子に座っての生活になっているのである。
 それだけに、椅子に座っている際のクッションの選択は極めて重要で、なるべくお尻の痛さを緩和するものを探してやりたいと考えている。同時に、傍にいる場合は、タイミングを見て、身体を少し持ち上げてやり、お尻の位置をずらせてあげることに努めている。(以下、明日に続く)

812 九仞の功を一簣に虧く

 東京地検特捜部がリークする情報で、永田町が大きく揺れている。民主党の小沢一郎代表も、悲願のゴールを目前にして、「九仞の功を一簣に虧く」にならないで欲しいと思う気持ちもないことはない。

1.独り言コラム
 関西ローカルで夕方放送されていた「ムーブ」という情報系の番組が昨日で終った。中味があって、面白い番組だった。起用された多士済々のコメンテーターの魅力だとも言えるし、それに、かなり際どい課題にも積極的に取り上げたスッタフの姿勢が良かったのだと思う。「テレビタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」と同じ流れを汲む自由な発言が許されている番組だった。4年半続いた番組で、昨日が1051回目だったようだ。
 気に入ったコメンテーターとしては、勝谷誠彦、須田慎一郎、二木啓孝、大谷昭宏、やくみつる、若一光司、藤井誠二、財部誠一、花田紀凱、山本憲司、重村智計、上杉隆、それに途中で辞めたが、宮崎哲弥などの凄い面々である。この中で、特に、文春時代の上司と部下だった花田、勝谷の両氏が並んでの出演には、何か、込み上げる熱いものを感じさせる素晴らしい男と男の生きてきた戦友の舞台で、筆者はおおいに感動を覚えたのである。
 アシスタントの関根友実アナウンサーは、御茶ノ水大の出身で、なかなかの美形だ。筆者の好みのタイプの女性なのだが、その発言姿勢がアシスタントの領域を逸脱していた点で、最後まで少し違和感を覚えていた。しかし、最後になって、彼女が出版する「アレルギーマーチと付き合って」という本の紹介で、自分がアトピー症で苦しんでいた苦労話を披露していると知って、アトピー症の子供を持つ親として、急に親しみを覚えた自分に驚いている。
 しかし、その一方で、毒にも薬にもならないようなコメントを多弁する吉永みち子さんのような面白くないコメンテーターがいたことも付記しておきたい。
 とにかく、なかなかいい番組だったと思う。それだけに、最後の部分で、少し気に入らない部分あったことを残念に思う。それを書いて締め括りたい。
 その一つは、コメンテーターの勝谷誠彦氏が、この番組の打ち切りを惜しみ、その最後を見届けたいと、自費でスタジオに駆けつけていたはずだが、番組はそんなことにはお構いなく淡々と進行した。少し融通性を利かし、彼の思いを少しぐらい取り上げても良かったのではと思った。(途中で見なかった部分があったので、その時に取り上げていたとすれば、この部分は削除である)
 もう一つは、最後の堀江政生アナウンサーの言葉が、筆者には、どうかと思わせたことである。親しみを込めて意識して言われたことは分かるとしても、別の言い方が良かったように思う。それは、番組を作ってくれたスタッフを前に「こいつらが、この番組を支えてくれたんです。ありがとう」と言って終ったのだったが、親しき仲にも礼儀ありで、「こいつら」じゃなく、「この方々が」の方がよかったと思う。筆者には、「九仞の功を一簣に虧く」の気分になったのが否めない。

2.プライベートコーナー
 4時20分起床。体重、59,1Kg。おかしいので電池を換えて再計測したが同じ。何故。増えたのかしら。寒さは厳しくない。雅子は、相変わらずでストローが使えない。帰り際に何かを訴えたが、意味分からず、明日への宿題にして帰宅したが、気になっている。

 連載、緊急回想手記(19) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 話は少し遡るが、筆者が会社を退職する時、多くの方から送別の場を設けてもらった。故人にも是非一度お会いしておきたいと時間をもらっていた。日程の都合で、予定は退職直後の2002年2月4日の夕方にセットされていた。ところが、予期せぬハプニングが起きたのである。
 前週末から、体調に異常が起きていた。今までに感じたことのない残尿管があって、下腹部にも少し痛みを覚え始めていたのである。送別会が続いていたので、多分疲れからなのだろうと勝手に解釈していたが、その当日になっても痛みが取れるどころか、その痛みが強くなり始めていた。どうしようかと迷った挙句、時間ぎりぎりの午後3時過ぎになって、無念のドタキャンの連絡をさせてもらったのである。楽しみにしていた故人との現役最後の場であっただけに、今、思い出しても残念に思っている。
 翌日、病院に行くと腎臓結石だと診断を受け、その後、七転八倒の痛みと格闘することになったのは、今でも記憶に生々しい。それ以来、故人との場は持てないまま時間が過ぎて行った。
 しかし、神様は忘れてはいなかった。それから一年半ばかり後の2004年11月末に、二人きりで飲む場を用意してくれていたのである。その日に行われた久し振りのOB会の2次会が終った後のことである。(続く)

3.連載、難病との闘い(777) 第三部 戦いはまだまだ続く(73)
  第三章 施設での生活一年間の総括(19)

 (2)入居生活初年度の総括(その3)
 ①生活リズム 3
 3月に入って、大津市からの援助が得られることが認められ、新しい車椅子を購入することが決まった段階で、介護用品を扱っている方から、クッション性の優れた座布団の紹介があった。それは、ウレタンゴムが使ったもので、雅子に試してみると、その評価が悪くなかったことから、他のクッションと併用することにしたのである。
 要するに、椅子に使うクッションに関しては、あれこれといろんなタイプのものを試していたのである。
 そういうことで、座布団やクッションに関して、一考はそれまでにない強い関心を持つようになっていた。とにかく、少しでも長い時間、お尻が痛くならないタイプのクッションを探し出そうとしていたのである。従って、その種の物がある売り場を探し、珍しいタイプやクッション性に優れていると思われるものが見つかると、衝動的に購入することが多くなっていた。そのようにして購入したものの中には、確かに有効と思われるものがある一方で、意外にもほとんど効果がないものもあって、部屋の中は、一時クッション製品の展示会をおこなっているような光景になったことがある。その後、効果のないものは自宅に持ち帰り、仕方なく一考が使っている。
 このクッションのことで考えを巡らせていて思いついたのが、水泳に使う浮き袋のように、中に空気が入ったクッションや水が入ったクッションが、もっと効果があるのではと考えて、介護用具の業者の方に相談してみた。それに対し、確かに、その種のものはあるが、実際にはあまり使われていないと言うことだった。送ってもらったカタログにある会社に電話して確認したが、今は製造中止になっているとかで、はっきりした内容は得られていない。どうやら、特別の効果があって使われているといった状況にはないようだった。
 そんなことを模索している最中で、意外な発見があった。入居当初に姉の久子が買ってくれたクッションを座布団に使ってみたところ、これが結構お尻の痛みを避ける意味で長持ちする効果があることが分かったのである。意外な結果だった。それというのも、そのクッションは、あくまでも隙間に挟むような両サイドに膨れ上がった普通のクッションで、少し大きかったことから使い難く、ずっと放置したままだったのだ。たまたま、遊びの一環で座布団として使ってみたのが幸運な結果をもたらしてくれたのである。意外な効果に、やってみなければ分からないものだと思ったのである。今年に入って、同タイプの低反発の座布団タイプのクッションを購入、試してみると、この方が更に効果があって、今までにない長時間効果が持続することが分かった。今ではそれを主として使用しているのである。(以下、明日に続く)

811 深奥での動揺は?

 ズームアップ手法は、映画や小説などで多用される手法だが、小沢一郎代表の政治資金法違反事件も、時間の経過と共に、その核心が徐々にズームアップされて来ている。小沢代表は何処まで頑張れるか、興味津々である。

1.独り言コラム

 前日、強く反発した民主党小沢代表だが、その後の報道で、その中味が具体的に浮き彫りになり始めている。総額3億円、下請けグループの結成、工事発注時に献金分の上乗せ、更には、東北地方で150億円に及ぶ工事の受注など、巧妙な違法献金システムへの疑惑が明らかになって来ている。さあ、小沢一郎代表の胸中や如何にである。豪腕であるとは言え、その深奥では動揺が高まってきているのではなかろうか?
 一方、自民党にもその余波は及んでいるようで、二階経済産業大臣、森元総理などがパーティ券で受けた献金分の返却を決めたと言う。彼らも深奥では、小さくない動揺を受けていることは必至である。いずれにしても、この種の献金の流れは、遡れば、どうやら、田中角栄元総理に発し、金丸信元幹事長、そして小沢一郎民主党代表に受け継がれているDNAの存在に起因していると言われている。
 さて、WBCが昨日から始まった。サムライジャパンは、とりあえず中国を破って白星発進したが、期待のイチロー選手は、素晴らしい美技を披露してくれたものの、打撃では5打数でヒットはなく、気の重い不安を残した。試合後のインタビューで凹んでいますと明るく答えていたイチロー選手だが、同氏の深奥でも、今までにない動揺が起きているのではなかろうか。今後の流れの変わりに期待している。
 また虐めでの自殺があった。三重県伊勢市の私立皇学館高校1年の男子生徒(16)が、遺書を残して、市内の自宅で自殺していたことが5日、分かった。残されていた遺書にはいじめられた相手としてクラスの同級生の男女7人の名前が挙げられていたという。この7人の同級生は、これからの長い人生を心の痛みを背負って生きてゆかねばならないはずだ。自業自得(?)とは言え、その心の深奥での動揺はどんな具合なのだろうか? それが気になる筆者だが、彼らには、それほど負担にならないのかも知れないと思うと、複雑な心境になる。

2.プライベートコーナー
 4時起床。体重、58.4Kg。外は小雨。寒さは穏やか。雅子は相変わらず、ストローで吸い込むことが出来難く苦労している。
 一年ほど前から三井寺で募集している桜の成木の施主募集に、一生の記念になるだろうということで、母親、雅子、筆者の三人の名前で一口ずつ応募していた。それらの施主の名前が掲示されていると言うので、昨日、お墓参りの帰りに、どんな具合に掲示されているのか見に行った。本堂の石段を登る手前の掲示板に、木札で名前が掲示されていて、その中に、雅子の名前は確認できたが、筆者と母親の名前はなかった。帰宅後、三井寺に確認すると、どうやら単純な手違いのようで、二人にも直ぐに木札を掛けてくれるという。一口施主にもそんなサービスがあるのは面映いが、小さな貢献も悪くはないと思っている。

 連載、緊急回想手記(18) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 筆者が、彼が社長になったと知ったのは、たまたまインターネットで会社のホームページを見ていた時だった。退職して2年後の2004年4月のことである。大したものだと思いながら、メールでお祝いを申し上げた。二日後に返事があり、挨拶回りでバタバタしていたので、メールを見るのが遅れたと詫びた上で、大変だが精一杯頑張ると記されていた。既に、大変な忙しい日程をこなしているのだなあと、その大変さを思いやったのが昨日のように思う。残念なのは、その時のメールをうっかりと削除していて、今は手元に残っていないことである。
 いずれにしても、信頼していた後輩の社長就任に心から嬉しく思った。ざっくばらんな話だが、これが、同期の仲間だったりすると、ねたみや悔しさなどがあって、素直な喜びにはならず、少し違った気持ちになるかも知れないのだが、年もかなり違う後輩だと本当に、素直に心底から喜べて嬉しかった。(続く)

3.連載、難病との闘い(776) 第三部 戦いはまだまだ続く(72)
  第三章 施設での生活一年間の総括(18)

 (2)入居生活初年度の総括(その2)
 ①生活リズム 2
 入居二日目に届けられた椅子は、両方に肘掛のあるクッションに富んだ普通の椅子である。介護士さんからは、いい椅子が来たわよと、雅子に優しい声を掛けてもらった。しかし、雅子には、それが厳しい新たな闘いの始まりを告げる励ましでもあった。身体の安定を保つために、背もたれ、肘掛などの周りの空間をいろんな形をしたクッションで補ってバランスを取っている。外から見る限りは、なかなか座り心地良さそうに見えるのだが、長く座っていると、どうしてもお尻が痛くなるのを避けるわけには行かない。自分で、少しでもお尻を持ち上げて動かせるのなら、随分と違うのだが、恰も、正座してずっとそのまま座っていて、自分で足を崩せないのと同じ状態なので、足がしびれて来るのを避けられないのと同様に、普通の大変さを通り越した厳しい大変さになるのだ。
 しかし、日が経つにつれて、一考の頭の中では、自宅に残して来た電気マッサージ付きの大きな椅子のことが、気になり始めていた。前にも書いたが、入居に際して、一考は、施設での生活に軸足を置きながらも、半分近くは自宅でも、自分が雅子を介護して過ごす機会も念頭に置いていたので、その大きな椅子は自宅に置いたままにしていた。
 しかし、実際に入居して施設での生活を始めてみると、自宅での一考による雅子の介護は、もう大変難しくなって来ていることに気づくのだった。そのことを一考に身を持って知らしめたのが、年末から年始にかけての自宅での介護だった。せめてお正月期間だけでもと雅子を連れも戻して、自分が介護を始めたのだが、予期以上の大変さで、結果的には、予定していた在宅期間の10日に堪えられず、途中で悲鳴を上げて施設に戻すことになった。偶々、その期間にクーラーの故障もあって余計な苦労もあったのだが、この段階では、やはり、一考一人で、風呂、トイレ、食事といった一連の作業を担当することが無理だと分かり、降参せざるを得なかったのである。
 そんな状況の変化に鑑み、よりクッション性の優れた椅子を自宅に置いておくのはもったいないということで、それを施設に持ち込むことを決めて、購入先の電気屋さんに依頼した。三月末のことである。何しろ、この椅子は、大き過ぎて自宅の玄関から搬入できず、裏の窓ガラスを外して入れてもらった。従って、移動するのも大変厄介な作業を必要としたのである。
 結局、電気屋さんが多忙だったことから、マッサージ椅子の搬入に伴う椅子の交換は、ゴールデンウイークを目前にした4月末になってからのことだった。(以下、明日に続く)

810 吼える

 広辞苑で「吼える」という言葉を調べると「犬や猛獣が大声をあげることのほかに、声高に言う。どなる。ののしる」といった意味が記されている。総じて、あまり、いい意味ではないことは確かだ。
 
1.独り言コラム
 自分の公設第一秘書が逮捕された民主党の小沢一郎代表だが、昨日の午前中の記者会見で大いに吼えていた。検察批判に終始し、自分には思い当たる非がないとして代表辞任をきっぱりと否定した。今まで、党首討論を避けたり、この種の会見で話すのを嫌っていた同氏が、珍しく強い口調で、毅然としてつっぱりを見せていた。意外にも、多くの質問にも答えていて、結構な時間を割いていた。
 しかし、その一方で、段々と事実が明らかになりつつある。西松建設に対し、政治献金を要求していた構図が見えてきている。身の潔白が証明されると吼えた小沢代表の言葉が証明されるのか、はたまた、特捜部が思惑通り送検に踏み切るかどうかだが、そのタイムリミットは来る3月24日である。成り行きを見守りたい。
 紆余曲折のあった定額給付金に関する法案が、衆議院の2/3賛成の規定を使って漸く成立した。麻生太郎内閣としては、わっと大声で吼えたい気持ちではなかろうか。一部の市町村で今日からも受領が可能なようだが、国民は吼えるような気分ではない。
 吼えるというと、勝負の世界ではつき物だ。朝青龍の優勝した際の思わず飛び出した叫びは、その一例だろう。横綱の風格云々の問題として話題になった。さて、今日からWBCのアジア予選が始まる。今日は中国との対戦だが、先発のダルビッシュ有が、マウンド上で高らかに「吼える」ことが出来るかどうか。ファンは大いに期待して注目している。

2.プライベートコーナー
 4時半起床。体重58.1Kg。春の接近を感じる。雅子は、昨日も朝食は口が充分に開かず、少ししか食べられなかった。
 昨日未明の郷田真隆九段の名人戦挑戦権の獲得の嬉しい余韻で、気合は十分な自分は、気分は極めて爽快だ。人間ってそんな単純な動物なのだ。

連載、緊急回想手記(17) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 焦る気持ちを抑えて、彼が緊急帰国したのは、それから、一週間ほど(?)経過した時点だったように思う。あの変わり果てた凄い現地を訪れて、無事な家族と対面された数日後、東京の本社で顔を合わす機会があった。ほんの短い時間での立ち話だったが、その時の故人は、少し強張ったような表情も見られたが、ほぼ普段の落ち着いた故人に戻っておられたように感じていた。とにかく、自分の目で驚きを超えた悲惨な実情を直視し、家族との顔合わせを済まして、それなりに落ち着きを回復しておられたからであろうと思っていた。
 ところで、故人のご尊父様のことだが、起業家で「伊勢村商店」という会社の経営者だった。筆者が大阪の部長の頃には、それほど大きな額ではなかったが、幾ばくかの取引があった。従って、親父さまとも顔を合わせていたように思うのだが、残念ながら、その辺りの筆者の記憶は極めて曖昧である。
 一般論として、このような場合、親父さん気持ちの中には、多少なりとも、息子に後を継いで欲しいと考えられたこともあったと思う。この辺りのことについては、故人とも話をしたこともないので、あくまでも筆者の勝手な推測に過ぎないが、多分、親父さんは、その後の息子さんの成長を目の当たりにし、息子にはもっと大きな場を与えることを決断され、この会社への就職を納得しておられたのだと思う。
 当然な結果だったかも知れないが、親父さんの眼力の確かさが見事に実証されたのである。グローバル企業の社長に昇りつめられたのであるから、故人は、親の期待以上に頑張った紛れもなく天晴れな孝行息子であった。(続く)

3.連載、難病との闘い(775) 第三部 戦いはまだまだ続く(71)
  第三章 施設での生活一年間の総括(17)

(2)入居生活初年度の総括(その1)
 本日からは、入居した07年12月10日から08年12月末までの、一年余りでの入居生活について、いろんな角度からの総括を試みたい。特に、この一年間での病気の進行、その症状の変化にウエイトをおいて、話題を拾ってみたいと思う。

 ①生活リズム 
 入居以来、この一年間に関する限り、生活リズムそのものには大きな変化はなかったと思う。とにかく、自分の部屋で椅子に座って過ごすスタイルが主流であった。自分で動けないだけに止むを得ないスタイルである。
 じっと座っていると、お尻が痛くなるので、一考が傍にいる時には、タイミングを見計らって、少し身体を持ち上げてやってお尻の位置を変えてやる。場合によっては、ベッドに寝かしてやることもあるが、本人はベッドに横になるのはあまり好まない。何か、置いてきぼりを食っているようなのが寂しいからなのだろう。
 最近では、昼食を終えて、少し疲れることもあって、ベッドに横にしてもらっていることが一つの生活リズムになりつつあり、午後に一考が顔を出すやいなや、早く起して欲しいとせがむのがいじらしい。物理的には、横になっている方が楽だと思うので、一考はなるべく長く横にして置くようにするのだが、それを苛めていると解釈するようで、致し方なく、場合によっては、早目に起こしてやって椅子に座らせてやる。ベッドから常設の椅子への移動作業も、最近では一考には結構負担の掛かる作業になってきている。ベッドから起して、持ち上げる作業が重くて結構大変なのだ。
 そういう訳で雅子の座る椅子は大事な家具というよりも、難病と闘う貴重なツールである。なるだけ、お尻が痛くならない椅子、或いは座り方、更には使うクッションの選択、工夫には、あれこれとトライアンドエラーを試みて来ているのである。
 椅子に関して振り返ってみると、08年の12月10日に入居して、注文していた椅子が届くまでの二日間は、持参した車椅子で過ごさざるを得なかった。それは、分厚い座布団を敷いていたが、じっと堪える闘いの始まりだった。二日目に新しい椅子が届き、車椅子での頑張りは終ったが、新たな椅子との闘いが始まった。
 介護に当たっていてつくづく感じるのが、この難病との闘いは、まさにそのような我慢との闘いであり、しかも、それが、エンドレスなものであることから、焦らずに身を任せるといったある種の諦めが必要な辛い闘いなのである。(以下、明日に続く)

809 一寸先は闇

 何事も、一寸先は闇だ。昨日は、そのような意味では、スリルに富んだ一日だった。

1.独り言コラム
 このタイミングで、民主党、小沢一郎代表の公設第一秘書が、政治資金規正法違反で逮捕された。夕方、テレビの画面に流れる速報テロップを見て「やっぱり」と言った気持ちになった。小沢一郎代表には、常に、そんな裏の事情があったり、急に何かをしでかしそうな不安が付き纏っていたのだが、案の定、それが表に出たのである。政界は、まさに、一瞬先は闇の典型である。
 これで、流れは変わるかもしれない。にんまりしているのは麻生太郎総理だろう。「待てば海路の日和あり」である。街頭インタビューで何人かが言っていたが、次の選挙で何処に投票したらいいのか分からなくなったという。それが本当の国民の気持ちだろう。民主党にとって、ノーアウト満塁のチャンスが一気に2アウト1塁、2塁になってしまった感じである。
 株価の動きも異変である。アメリカの株が12年ぶりの低水準に大幅に下がったことで、昨日のこのブログで、東証も7000円台を割るだろうと書いたが、幸いなことに、そうはならなかった。昨日の東証は、珍しく米国に追随せず、それほど大幅には下がらなかった。株価の動きも「一寸先は闇」と言ったような感じとは少し違うが、その動きは、誰にも分からない闇のような側面がある。
 スポーツ界もそうである。WBCの予選がいよいよ明日から始まるが、日本の宿敵である強豪の韓国チームが、昨日の巨人軍との強化試合で零封されて脆くも敗れた。勝負の世界も、勝負は最後まで、何が起きるか分からないとよく言われるが、そういう意味では、ここでも一寸先は闇のような綾が待ち構えている世界である。
 さて、趣味の世界の話だが、昨日行なわれた将棋界で最も長い一日で、筆者が期待の郷田真隆九段が、何とか勝ち切って、4月から始まる羽生名人への挑戦者に名乗りを上げた。朝10時から始まった対局だったが、勝負がついたのは、日付が変わった午前1時少し前で、15時間に渡る死闘だった。終盤では、相手の木村一基八段も粘り強く頑張ったので、最後は郷田九段有利の流れが怪しくなり、ここでも一手先が闇を思わせる場面もあって心配した。郷田九段がには、羽生名人を破って、名人位の初制覇を期待している。
 まあ、世の中、何事も下駄を履くまで分からないものだと、改めてつくづくと思った一日だった。

2.プライベートコーナー
 5時半起床。体重、57.8Kg。久し振りの57Kg台。昨日の雅子は年に一度の身体検査日で、心電図やレントゲンなどの検査を受けた。幸い、今の難病以外は、特に問題はなかったようだ。しかし、相変わらず、最近は口を開けるのが大変で、食事がうまく出来ないことがある。心配。
 一日、将棋漬けで、はらはらしながら順位戦の5局の展開を見守った。とにかく、郷田真隆九段が名人挑戦者になったことで、疲れはしたが、気分は上々である。

 連載、緊急回想手記(16) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 横倒しになった高速道路、傾いた駅舎など倒壊した多くの建物の無残な映像を見て、「何なんだ」と唸ったのを覚えている。まるで、映画の撮影用のセットのようにも見えたが、その迫力、規模が違っていた。全く考えられないような風景だった。その後、街全体を火災が襲って、立ち上る煙、萌えうごめく炎の驚くべき画面に言葉はなかった。結果的には、6400人以上の方が亡くなられた訳で、災害の酷さには驚きを越えた前代未聞の悲惨な世界をつくり出していた、
 この時、故人は、遠く離れた地球の一角、ブラッセルに在住していた訳で、戦火にまみれたような地獄図がリピートされる報道を見て、どんな思いだったのだろうか。それは、察する限界を超えていた。
 何しろ実家が、その災害地のど真ん中にあったから堪ったものではなかったと思う。電話も思うようには通じなかったであろう。筆者は、彼の心の中を思うと、何故か、あの百人一首の菅原道真の「このたびは、ぬさもとりあえず、手向け山、云々」の歌が思い出されてくるのだった。出来るものなら、大事なものをほっておいても、直ぐにでも飛んで帰りたいという気持ちであったに違いなく、心中は焦りの極みであったろう。。さりとて、いろんな事情もあって、直ぐには帰国もままならず、心を痛めていたであろう様子が、手に取るように想像できた。(続く)

3.連載、難病との闘い(774) 第三部 戦いはまだまだ続く(70)
  第三章 施設での生活一年間の総括(16)

 (1)08年下期のハプニングの数々(その16)
 ③いろんなハプニング(5) 介護施設
 雅子が入居しているこのアクティバ琵琶は、滋賀県では最大級の規模を誇る介護施設である。雅子が入居する直前の2007年8月に、80室の介護専用の新しい4階建ての翔裕館が竣工し、全体で、ほぼ390室の規模となった。
 この新館の翔裕館は、ホテルのような立派な建物で、スペースもゆったりしている。一階は、多目的に使用される大広間、それにお風呂や美容室、厨房といった共有の施設で、要介護の入居者の部屋は、2階から4階のスペースが宛てられていて、6つのユニットに分割して管理されている。
 雅子が入居した12月10日の時点では、新しく出来た翔裕館には、定員の80室の内、55室が稼動していた。雅子は4階の日吉ユニット(仮名)に入居したが、その時点では、このユニットは定員15人に対して9人目で、まだ6人の空き室があった。それが、この1年を経過した時点で、14人の入居者がいて、ほぼ満室になっている。
 この施設全体で見ると、入居者数は、一年前366人に対し、今現在では369人で、3人の増加で、ほとんど変わっていない。途中で不幸があって亡くなられたり、または退室される方もあって、結果的にはあまり変わっていない。
 入居者の内訳では、男女別では、男子が女子のほぼ半分で、昨年末で、男子117人、女子が249人だった。そして、その平均年齢は、男子の方が少し高く80.81年に対し、女子は、80,69年で、全体では、80,74年である。この数字は、いわゆるレジデンスの入居者も含んでいて、介護付きの入居者に限ると、少し違った数字になると思われるが、具体的なその数字は発表されていない。
 いずれにしても、雅子は今年で65歳になったばかりで、年齢的にも超若い入居者なのだ。その意味では、大変気の毒な入居者なのだが、そんなことで悔やんでも仕方がないので、気持ちを前向きに持って頑張っている毎日である。(以下、明日に続く)

808 趣味と不思議さ

 今日は楽しいひな祭りだが、筆者には、将棋界で最も長い一日を楽しむ日である。一方で、今朝の米国ダウは、12年ぶりの6800ドル台を割って6763ドルの驚きの安値で引けている。今日の東証は7000円割れは必至だろう。一体、何処が安値の底なのだろうか。今や、株価は、不思議の世界をも越えている。

1.独り言コラム
 仏像を盗んでいた男が逮捕された。三重県四日市市に住むその男の家には21体の仏像が飾られていたという。そこにはお供え物もあって、犯人の男は毎日拝んでいたというから驚きだ。仏像に趣味を持つこと自体は悪くはないが、窃盗は許されない。
 仏像が見つかったとの報に、盗まれた寺の住職の方が、とにかく戻って来てくれるのが嬉しいとコメントしていた。困った男がいるものだ。それにしても、そんなに容易く盗めるのが不思議に思えて仕方がない。
 昨日、麻生総理が定額給付金を受け取ると明言したという。一時は「さもしい」とか言って受け取りを拒否していたが、その後、二転、三転で相変わらず掴みどころがない。自分に確固たる信念がないから、世論や周りの様子を見て惑わされるのだろう。国民から見れば、麻生総理の度重なるこの種の変心に、ご趣味なのだろうかとさえ思いたくなる。不思議(?)なご性格の持ち主だ。
 ところで、将棋は筆者の趣味の一つである。冒頭の枕にも記したが、今日は将棋界で最も注目される一日である。来る4月から始まる羽生名人への挑戦者を決めるA級リーグ最終局の5局が一斉に行なわれる。NHKの衛星放送も年一度の大サービスで、対局開始の10時少し前から深夜2時まで、通算、8時間15分に渡って中継してくれる。将棋ファンには堪らない一日なのである。
 さて、今年のリーグは珍しいぐらいの混戦だった。その結果、今日の5局が全て挑戦者、若しくは降級者の決定に絡む対局となり、いわゆる消化試合がない。
 最も注目される対局は、挑戦権を賭けた郷田真隆九段と木村一基八段の対局だ。郷田九段が勝てば、すんなりと挑戦者決定だが、木村八段が勝つと、改めてプレイオフに持ち込まれる大一番である。その場合は、もう一人、佐藤康光棋王も、今日の相手の藤井九段に勝てば、プレイオフ参加の権利が生まれる。
 郷田ファンの筆者は、今日一日、コンピューターで棋譜をフォローしたり、衛星放送を緊張して楽しむことになる。正直に告白すると、今日一日は、筆者は心身ともに大消耗してしまう一日でもある。趣味もそこまでなると、馬鹿じゃないかと言われるぐらい、不思議を越えた世界なのである。従って、今日だけは、妻、雅子の介護も対局の合間をぬって行なうことになる。

2.プライベートコーナー
 4時半起床、体重、58.3Kg。新聞を取りに外に出ると、少し寒さが戻ってきている感じだ。昨日の雅子は、朝食時に口が充分に開けられず、食事が不十分だった。
 さて、元、同じ会社にいたS、Tさんから、このブログにコメントを頂戴した。今、ヒューストンに在住だという。地球の裏でも見てもらっていることは嬉しいことだ。

 連載、緊急回想手記(15) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 筆者が東京に戻ったのは1985年末だったが、その後は、同氏とは顔を合わせることが極めて少なくなり、再び疎遠な関係になっていた。仕事の内容が絡みのなく、東京と大阪での別のオフィスでの仕事に戻ったからである。
 その後、筆者は、慢性的な赤字になっていた製品の収益改善を期して製品の値上げを行なったのだが、これがカルテルの疑いを受けて公取の手入れを受け、それから1年余りはそのための対応に追われ、同氏の活動に関心を寄せる余裕がなかった。
 気がつくと、同氏は親会社の欧州本社のあるブラッセルに派遣されていたのである。毎月送られて来る彼が書いた月報に目を通しながら、その活躍をフォローする日々が続いた。この人事は、将来を見据えた地球規模の人事であり、ここでの経験が大きく将来の飛躍に繋がるだろうと思って見ていたのだが、それでも、将来社長にまで登りつめるとは思ってもいなかった。そんな時に勃発したのが、彼の実家のある神戸を中心で起きたあの悲惨な大震災だった。(続く)

3.連載、難病との闘い(773) 第三部 戦いはまだまだ続く(69)
  第三章 施設での生活一年間の総括(15)

(1)08年下期のハプニングの数々(その15)
 ③いろんなハプニング(4) 介護士さん事情
 世界的に深刻な不況の中にあるが、それでも介護士さんの採用は今でも大変らしい。これは、何もここの施設だけの話ではなく、全国的な課題である。一時は将来性がある新しい職業だということで話題になったこともあるが、何といっても苛酷な作業が要求される仕事であり、その上、その待遇は必ずしも優遇されていないからである。
 採用後の実態を見ると、なかなか定着しないようだ。このアクティバでは、幸い辞めて行く人はそれほど多くはなく、まずまずの安定性を確保しているようであるが、それで将来の不安が解消された訳ではない。やはり、給料を軸とした待遇の改善は大事な課題であることは間違いない。
 この施設では、昨年(2008年)の4月の定期採用で何人かの新しい方が入社された。大学卒の方も何人かおられる。ただ、その大卒の方達は、直接介護の仕事ではなく、事務作業、受付といったお仕事に着かれている。
 実際の介護の担当職では、いわゆる介護士さんとナースと呼ばれている看護士さんがいて、その連携で日常の介護活動が運営されている。ポイントは、その方たちの採用状況がどんな具合なのかが気になるが、その実態については、一考は正確には把握していない。最近の状況から見る限り、介護士さんよりも看護士さんの出入りが激しいように見受けられる。
 このアクティバでも、その介護士さん達のローテンションが時々行なわれる。人材の普遍化とマンネリの回避が狙いだと思われるが、入居者から見れば、固有の対応のノウハウのバトンタッチに若干の不安はある。新しく回ってこられ介護士さん達のそれまでのお仕事を確認すると、他のユニットからのローテンションの方が多いが、中には新たに入社された方もいる。それでも、全体的には、今のところ、何とかバランスが取れた配置状況にあるようで、幸いなことだと思っている。
 昨年の夏から秋に掛けて、比較的大きな人事異動、ローテンションがあった。その中で、一考が関心を持っていた介護部の桜井係長がデイサービスの部署に移動された。魅力的な方だっただけに、暫くは、少し寂しい思いを味わったが、今は平常心にある。(以下、明日に続く)

807 長寿番組

 昨日、レインボウブリッジを歩くイベントが、2016年の東京オリンピック招致運動の一環として行われた。福原愛や古田敦也を含む5000人が参加したと言う。筆者も、歩きを趣味にしていた頃、何回か、一人で歩道を歩いたことを思い出す。景観はなかなかだった。

1.独り言コラム 
 毎朝、見ている日テレ系の「ズームイン」が今週で30周年を迎えるという。30年というとほぼ一万一千日ということで、土日を除くと、その5/7であるから、ほぼ7800回も放映されたことになる。第一回の放送が1979年3月5日というから、筆者が大阪に転勤する8ヶ月ほど前である。サラリーマンとしては油が乗り切っていたことで、張り切って頑張っていたことを思い出す。
 いま、テレビの画面には、その頃の初代司会者の徳光和夫さんの映像が流れているが、随分と若い。当然だが、本当に若い。自分もそうだったはずだと思うとため息が出る。
 今もそうだが、朝の時計代わりに横目で見る番組だった。筆者には、二代目、福留功男、三代目福沢朗の印象は薄い。しかし、今の羽鳥慎一アナウンサーの飄々としている雰囲気は気に入っている。相方の西尾由佳里アナウンサーも、丁寧に化粧をしていてなかなかの美人だ。番組もここまで続くと、後は、続けてゆくしかないだろう。恐らく、筆者らが逝く日でも淡々と放送が続いているだろう。
 生放送で毎日の帯番組といえば、フジテレビの「笑っていいとも」がある。1982年10月4日にスタートし、今年で28年目に入っている長寿番組だ。これはタモリ(森田一義)が一人で司会を続けていると言うからびっくりだ。外国にも出かけられずに、ずっと日本にいて頑張っているというから、私生活を犠牲にした長寿番組ということになる。聞くところでは、そろそろ司会者交代との噂が流れているが、どこまで続けてゆくのだろうか、ちょっとした関心がある。
 何でもそうであるが、長く続けていると、どうしてもマンネリに陥り易い。それを避けながら続ける努力は大変だ。筆者のこのブログも800回を越えたが、これらの長寿番組に比べると、まだまだ序の口だ。楽しみながら、これを書くことから、今日一日が始まるのである。いつまで、続けられるのだろうか、
 そういえば、自分の人生と言う作品は、もう68年間も継続中の長寿生番組だ、回数にすれば、ほぼ25000回になる。どんな最終回が用意されているのだろうか。誰も知らない、ケセラセラの作品である。

2.プライベートコーナー
 4時10分起床、体重、58.2Kg。このところ寒さは穏やか。昨日の雅子は、口がなかなか開かず、昼食はほとんど食べなかった。心配。

 連載、緊急回想手記(14) 伊勢村美治前社長の突然の死を痛む

 会社を退職して7年になるが、今でも大事にしているものの一つに、大阪営業部から東京に戻る際に、当時の大阪営業部の皆様が一言書いてくれた寄せ書きの色紙がある。これは、秘書だったSさんが音頭を取って皆さんに書いてもらったものだが、今では大変懐かしく、貴重な宝物として大事に保管している。そして、事あるごとに、それを取り出してを眺めることがある。当時のあの華やかだった頃が思い出されて熱くなるのである。今回も、伊勢村前社長の訃報で、久し振りにそれを取り出して眺めて見た。皆さんの特徴ある文字が生々しく当時を思い出させてくれる。
 色紙の真ん中にSさんの達筆な字で、筆者の名前と昭和60年12月9日との日付が書かれている。そして、その周りに皆さんの言葉が記されているのだが、伊勢村さんの言葉は、名前の下で、中央から少し左側の位置に、あの見慣れた文字で、楚々と記されている。
 「色々お世話になり有難うございました。新業界でのご活躍を! イセムラ」とある。その内容は、奇をてらったものでなく、ごく普通の内容だが、その直筆の文字を見ていると、あの明るい飄々とした同氏の姿が瞼に浮んで来るのである。(続く)

3.連載、難病との闘い(772) 第三部 戦いはまだまだ続く(68)
  第三章 施設での生活一年間の総括(14)

(1)08年下期のハプニングの数々(その14)
 ③いろんなハプニング(3)特養に申請
 遠い先のことを考えるといろんな心配事が山ほどある。ある程度は、それらことに対して事前に準備して置くことも必要なこともある。しかし、多くのことは、変化の激しい今の世の中のことを考えると、どうなるか分からないことも多く、何とかなるだろうといったケセラセラの心構えも許されると割り切っている。
 一考が、最も心配していることは、やはり将来の経費のことだった。今のやりくりは、いわゆるプライマリーバランスは多少マイナス程度で、蓄えを少しずつ取り崩すことで対応していっている。しかし、一考が死亡したり、或いは75歳以上になると、頂く年金額が大幅に減ってくる訳で、その場合の対応は大変だ。どうしたらいいか、今のところは深く考えていない。息子達のに迷惑を掛けることになるかも知れない。
 まだ、8年ほど先の話しだが、そんな不安への対応として費用が安くなるので、とりあえず特養、つまり、国が管理している特別養護老人ホームへ申し込もうと思いついた。
 そこで、早速、近くの特養を訪ねて話を聞き、必要書類を貰って申請手続きを行なった。そこでの話では、200~300人ほど待機者がいるので、何時になるか分からないという。それでも、今から申し込んでおけば、7~8年後には間に合うのではと密かに期待しての申請だった。書類を提出したのは昨年(08年)8月1日だったが、半年近く経過した今現在でも、残念ながら、何の返答もなく、梨のつぶてである。
 一考が75歳を迎える頃は、多分、生きていたとしても、体力は衰えているだろうし、自分が雅子を直接介護をすることは難しいだろう。引き続き施設でお世話にならなければならないが、いろんな面での不安は募るばかりである。しかし、これ以上悩んでみても始まらない、のんびりと構えている。
 人間、生きてゆくのも大変だ、と言いながらも、今のところは、ケセラセラである。(以下、明日に続く)

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