プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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958 加山雄三

 人に歴史ありで、今月の日経新聞の私の履歴書は、若大将の加山雄三さんだった。山あり、谷ありで、なかなか面白かった。

1.独り言コラム
 
 栴檀は双葉より芳しで、加山雄三は、小さい頃から音楽、スポーツに多彩な才能の片鱗を見せていたようだ。二枚目の映画俳優の上原謙を父に、女優の小桜葉子(岩倉具視のひ孫)を母に持つ俳優、歌手、作曲家などのマルチタレントだ。
 筆者は1965年に発表された「君と何時までも」というヒット曲で彼の存在を知った形だが、その後、弾厚作というペンネームで独特の楽曲を世に送り出していることを知り、筆者はその才能に惹かれるものを感じていた。
 その後も数多くの作品を世に送り出しているが、その中でも、日本テレビの24時間テレビ番組中に作曲した「サライ」という曲は、その後も毎年、その番組で取り上げられるので、耳にも馴染んでいて、同氏の作品の中では、なかなかいい曲の一つだと思っている。
 筆者の妻の雅子が、同氏のファンだったことで、今回の私の履歴書の連載中では、その中の何回かをベッドの傍で読んで聞かせてあげた。特別な反応はなかったが、安らかな顔で聞いていて気に入っていたようだ。そして、その連載の最終回の今日、雅子の退院の日になったのも、偶然とは言え、一つの縁であると受け止め、雅子が改めて頑張る切っ掛けになればと思っている。
 なお、この連載で、筆者が最も気に入った部分は、なんと言っても、妻となった「松本めぐみ」との出会いの部分から、駆け落ち、そして、彼女の精神的なサポートを得て、経済的に追い込まれた苦境から脱出して行くくだりだ。華やかなスターが凋落しそうな状況の中で、加山雄三を相手に選んだ松本めぐみの、その打算のない純粋な気持ち、思い切った決断に心打たれるものがあった。
 その若大将も今年で72歳だが、永遠の若大将ということで、元気いっぱいだそうだ。人生では、筆者の5年先輩ということで身近に感じることが出来て、貴重な元気をもらったような気がしている。
  

2.プライベートコーナー
 5時10分起床。体重、61.0Kg。天気は良さそうだが、…。
 昨日の雅子は、終始安定した状態だった。自分から少しだが、目を開けてくれたり、顔の表情もそれなりに豊かになっていて、入院前の状態に戻っているようだった。3時頃には実兄夫婦のお見舞いを受けて安らかな顔で応じていた。いよいよ、今日午後に退院して、施設のアクティバに戻る。

3.蓮載、難病との闘い(923) 第三部 戦いはまだまだ続く(217)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(12)
 1.緊急入院(11)
(2)肺炎との闘い(その5)
 一考にとっては、汚れ物の洗濯をアクティバ琵琶が、やってくれるのは有難いサービスだった。この日も、一考は、お昼前に溜まっていた洗濯物を持って病院を出るとアクティバに向かった。もちろん、入院中でも、アクティバ琵琶には、この間の管理費などは、今まで通り支払うことになっていて、洗濯は、そのサービスの範疇に入っているということで、そういう意味では、無料サービスという訳ではない。
 洗濯を頼んでアクティバを出ると、いつものスーパーに寄って買い物をして自宅に戻った。この時点で、一考は、初めて姉の久子に雅子が入院したことを話した。それを聞いた久子は、大変心配してくれて、母親の夕食については、暫くは自分が担当すると申し出てくれた。一考は、今後の展開が読めないこともあって、その申し出を素直に受けたのである。かくして、この日から、母親の面倒は、ほとんど全てを久子が請け負うことになり、正直、彼女も大変だろうと思うのだった。なお、この時に、久子には、雅子の入院に関しては、母親や他の姉妹達に余計な心配をさせないために、暫くは伏せて置くように頼んだ。
 余談だが、一考が、母親に提供した食事について、ここで簡単に総括しておこう。一考が雅子に代わってから、母親に食事を出すようになったのは、2006年1月初めからで、それ以降、ほぼ3年半で、朝食兼昼食が252食、夕食が485食を提供している。しかし、考えてみれば恐ろしいことで、それまで全く経験、実績もなかった一考が、雅子からの伝授だけでの数少ないレパートリーで賄ってきた訳で、それを食べさせられた母親は大変気の毒な犠牲者だったと思っている。
 さて、話を元に戻そう。この日は、昼食後でも、前日のように、うとうとすることなく、1時半には病院に戻った。ちょうどこの時、お尻の尾骶骨付近に出来ている床ずれが少し酷くなっていたのを手当てしてもらっていた。じっくりと見ると傷は結構広がっていて痛たそうだった。
 2時半頃に実兄夫婦がお見舞いに駆けつけてくれた。突然の入院で心配してのお見舞いだったが、この時点では、熱もなく大人しくしている雅子を見て、ほっとされているようだった。
 夕方の5時頃からは、また新たな抗生剤の点滴が開始された。雅子の症状は、この日の一考の帰り際の7時前では、血圧106-61、体温も36.7度、酸素指数97、脈拍71といった具合で安定した状態だった。
 いずれにしても、それまでのセミホーム的な施設での生活から、完全なアウエーである病院生活という新しい環境に移ったことで、雅子も心細く、不安だろうことを配慮して、一考は、時間の許す限り傍にいてやることにした。バイパスを使えば、30分足らずで行き来が出来るので、それほど苦痛ではなかった。(以下、明日に続く)
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957 気になる米中関係

 今後の東アジアの経済、安全保障あり方を巡って、米中の閣僚が一堂に会しての戦略対話がワシントンで行なわれた。日本を差し置いて、米国が中国に示した最大限に配慮した姿勢が気になっている。

1.独り言コラム
 昨夕の関西テレビのニュース番組で、独立総合研究所の青山繁晴社長が、その米中対話の中身について詳しく解説していた。英語の原文まで持ち出しての良く分かる解説で、それによると、米中の関係がアジアで最大の重要な関係であることが強調されていて、日本は完全にすっぽかされた形で扱われている。まあ、二国間の話合いだから、多少のベンチャラもあるということを差し引いても、日本はコケにされているというのだ。なお、余談だが、青山社長の英語だが、その発音を聞く限り、相当なレベルにあると受け取った。とにかく、英語が出来る人には筆者は弱い。
 さて、その中国だが、武力で押さえ続けてきている自治領からは、先のチベットに続いて、新疆ウイグルで起きた国民運動に、イタリアサミットをすっぽかして緊急帰国した胡錦濤だったが、その後は何の情報も伝えられていない。恐らく、天安門事件、それに先のチベット弾圧の場合と同様な弾圧の強行で鎮圧されたのだろう。恐らく、多くの犠牲者が出たに違いない。
 一方、ソ連邦が崩壊して、もう20年近くになるが、中国は依然として、非民主的な共産党一党独裁で、5つの自治領に対しても武力で押む非人道的な政策を続けてきている。さし当たって、チベットや新疆ウイグルで、民衆の意思が尊重される実質的な自治体制の確保は何時になるのだろうか。
 そんな中で、ウイグル民族代表のラビア・カーディル氏が来日中である。それに対し、中国からは、その入国、或いは会見まで止めろと執拗に言ってきているようだ。これには、日本は強く対応して欲しい。麻生総理の最後の大きな仕事の一つになるはずだ。
 さて、世界的な話題から一転して身近な話題に変わるのだが、わっは上方を巡る橋下知事と吉本興業との論争も見逃せない。府政の経費削減を目指す橋下知事は、吉本興業はお金にがめついと指摘し、少しでも経費の安い通天閣への移転を提案しているようだが、吉本興業は現在の当該ビル建設時からの契約だと主張して譲らない。ここでは、「わっは」と笑って然るべき結論を出してもらいたいものだ。
 民法の成人年齢を18歳に引き下げる論争も、ここに来て具体化してきている。結婚、契約、選挙、犯罪などの関連で影響するところは広いのだが、世界の潮流から見て、年齢引き下げは妥当な方向であると筆者は認識している。

2.プライベートコーナー
 5時起床。体重、61.1Kg。(増加傾向が止まらない)天気は相変わらずはっきりしない。
 雅子の退院の段取りが決まった。31日の午後に吉田病院(仮名)を出発する。昨日の雅子は、前日よりは表情が回復していた。熱もなく、血圧などの数値も安定していた。いよいよ、アウエーでの戦いも終わり、施設でのセミアウエーでの戦いに戻ることになる。

3.蓮載、難病との闘い(922) 第三部 戦いはまだまだ続く(216)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(11)
 1.緊急入院(10)
(2)肺炎との闘い(その4)
 入院3日目の6月21日は日曜日だった。一考は朝の8時半に病院には着いていた。初めて西大津バイパス、湖西道路を使っての通院だった。確かに、時間もかなり短縮出来て、ト-タルで30分足らずで行き来が可能であることが分かった。同時に、高速道路を走る訳で、ささやかなドライブ気分を味わえるおまけがあって、気分は悪くなかった。
 この朝の雅子の様子だが、昨夕の帰り際に出ていた高熱は下がっていて、朝6時の時点では少し微熱(37.0度)が残っていたようだが、その後は平熱に戻ったし、その他の酸素指数、血圧、脈拍などは、ほぼ正常な数値を示していた。
 到着して間もなく、主治医である院長が、早朝の回診のために大部屋に顔を見せた。そして、一考の顔を見ると、そのまま真っ直ぐに雅子のベッドに近づいて来て、持っていた聴診器で心音を確認してから、昨日から抗生剤を打ち始めているので、その内にその効果が出て来るのではと話してくれた。
 「有難う御座います。それにしても、随分とお早いのですね」と一考の話しかけに、少しお腹が出ているが、がっしりした体格の先生は、その大きな身体を少し揺するようにしながら、軽く頷いて見せた。
 「お住まいは、お近くなのでしょうか」と一考が踏み込んで訊ねたのに対して、 「京都市内です」と短く答え、一考の「そうですか、毎朝、大変ですね」との言葉に、「もう慣れていますから」と付け加えて、そのまま隣の患者の方に向かわれて、同様に聴診器で心音を確認して部屋を出て行かれた。爽やかな小さなつむじ風が、さっと通過していった感じだった。もう、50代に入っておられるだろうと思われるが、なかなかエネルギッシュに見えて頼もしそうに見えた。
 院長が部屋を出て行く姿を見送りながら、一考は、なるほど、この時間に来ていれば、直接先生から病気の経過を確認することができるのだなあと考えていた。
9時になると、お風呂に入れないことから、下腹部の洗浄をしてもらって寝巻きを着替えさせてもらった。また、日曜日だけのサービスだという足湯と言って、5分ぐらい足をお湯につけて洗ってもらうサービスを受けた。
 お昼が近づくにつれて、朝から降っていた雨が、一段と強くなっていた。一考は、改めて、梅雨の真っ只中であることを思うのだった。その後、手首の洗浄、爪切りといったサービスが続いた。施設に居た時よりもサービスの点では負けていない感じである。ただし、これらは、日曜日だけのものが多いということだった。(以下、明日に続く)

956 地球の危機

 宇宙から見る地球は青くて美しい星だという。今から41年前にガガーリンが初めて地球を飛び立った際の名言「地球は青かった」頃は、今よりもずっと健全な地球だったと思う。

1.独り言コラム
 梅雨明けが見えず、異常に長引いている。北九州や山口県を襲った大雨以外にも、この辺りに降る雨にも、時々ゲリラ的な激しい豪雨が襲って来ていて、小さな傘ではどうしようもない状況が再三に渡って起きている。それらには、例年には見られないような異常さが感じられる。
 一方で、群馬県館林市を襲った突風については、気象庁は竜巻であると断定した。車が巻き上げられるなど、その強さには恐怖を覚えたが、被害は巾50メートルでその移動距離は6.5キロに渡っていたようだ。そして、その強さは、6段階方式で4番目のF2(風速50-69メートル)か5番目のF1(風速、33-49メートル)とされている。F2レベルでは、今月19日に岡山、美作市で起きた竜巻と同レベルという。 
 今まで、竜巻といえば、アメリカで時々起きていることは承知していたが、日本では縁がないという認識だった。ここに来て、そんな過去の知見が役に立たなくなって来ているのだ。
 そんな最近の変化に、どうやら地球そのものが壊れ始めているのではないかと危惧するのである。話題の地球の温暖化現象もその典型的な一つの事例であり、二酸化炭素、フレオンなどの地球に危害を与えるものについての厳しい規制は、世界が一致して対応しなければならない必要な行為であろう。
 しかし、そのための国際会議では、先進国と発展途上国との間で意見が合わず、その対応策では、残念ながら合意が見られていない。地球が健全であって、初めて人類は生き延びれるのだ。賢明な人類が自滅することはないと信じているが、果たしてどうなのだろうか。
 ところで、日本人で初めて宇宙に長期滞在していた若田光一さんが、4ヵ月半暮らした国際宇宙ステーションからエンディバーのシャトルに移り、今週末には、その病み始めている地球に戻って来る。その地球を救うには、今や、地球規模、宇宙規模での発想が必要だ。しかし、そういった物の考え方は、未だ各国間の利害関係の中で埋没された状態のままなのだ。
 その「病んでいる」という意味で、身近な話題としては、日本の政治が上げられる。半世紀以上に渡る長期の自民党支配が続いて来ていて、大きな手術が避けられない状況になっているようだ。今度の選挙で、今までに執刀したことのない鳩山民主党が取り敢えずは取って代わることになろうが、経験不足は否めず、どの程度の思い切った執刀が出来るのかは未知数だ。場合によっては、短期間でまた元に戻ることも考えられる。いずれにしても、腕の利く名医の登場が待たれているのだ。
 筆者は、大声で「出て来い!名医」と叫びたいが、その姿はなかなか見えて来ない。筆者の頭の中にも浮んで来る名前は限られているが、敢えてそれを書いておこう。前原誠司、中田宏、橋下徹 渡辺善美 河野太郎、桜井よしこ、勝谷誠彦、(?)…。 

2.プライベートコーナー
 4時半起床。体重、60.9Kg(このところ、この高目で安定?)外は曇り空
 昨日は、9時半前に病院に顔を出すと、ちょうどシャワーを浴びさせてもらうところだった。6月19日に琵琶湖大橋病院に入院して以来のことで、雅子も少しはすっきりしたのではなかろうか。
 先生からは、今週末の退院がOKだとの正式な話があって、31日午後をターゲットに、受け入れ側のアクティバ琵琶に打診している。
 この日も、雅子の反応は乏しく、退院と伝えても、嬉しそうな様子は全く見られなかった。その辺りが少し気になっている。

3.蓮載、難病との闘い(921) 第三部 戦いはまだまだ続く(215)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(10)
 1.緊急入院(9)
(2)肺炎との闘い(その3)
 昼食後の、うかつなうとうとから目覚めた一考は、うさぎとかめではないが、「これはしまったしくじった」と思いながら、寝過ごしてしまった遅れを取り返すべく急いで病院に向かった。しかし、この日は生憎の土曜日とあって、JR堅田駅付近の道が予想外に渋滞していて混んでいた。のろのろ運転を余儀なくされて苛々しながら病院に着いたのは3時前になっていた。後になって、気づいたのだが、自宅から、アクティバ琵琶に寄らずに直接この琵琶湖大橋病院に来るには、無料のバイパスの湖西道路を使うと随分早く来られることが分かったので、今後は、必要に応じて、そのバイパスを使用することにしたのである。
 さて、急いで2階の大部屋に入って、雅子の様子を窺うと、ちょうど痰が詰まって来ていて、喉をぐるぐるさせて苦しそうにしていたタイミングだった。一考は、急いで呼び出しボタンを押して看護婦さんに来てもらい、痰を吸引して除去してもらったのである。今回は、たまたま、一考が見つけて連絡できたのでよかったが、自分でボタンを押して連絡が出来ない雅子だけに、一考がいない場合には、雅子が苦しむことが多くなるのではと不安に思うのだった。そこで、改めて、看護婦さんに、なるべく頻繁に見回ってもらえるようにお願いをしたのである。
 この日の午後から、肺炎を治癒するための抗生剤の投与が開始されていた。果たして、一気呵成に肺炎の病原菌を攻略することが出来るのだろうか、一考は、その抗生剤の絶大な効果に期待するのだった。
 また夕方の5時頃からは、鼻から通したチューブを使って、お薬や栄養剤の投与も開始された。この投与の場合に、どの程度、雅子が苦しいのか、或いは気持ちが悪いのかが、一考にはさっぱり見当もつかない。とにかく、少なくとも苦痛が伴わないことを願って、その様子に注目していた。幸いなことに、これと言って苦しいような様子は認められなかったので、一考は、取り敢えずは、ほっと一息つくのだった。
 こうして、雅子の病院での新たな生活が始まったのである。朝方は平熱に戻っていた体温だったが、次第に上昇し始めて、この日の一考の帰り際には、37.8度まで上がって来ていた。新しい対応がまだ雅子の身体に馴染んでいないからだろうと心配しながら、この日は、夜の7時近くまで傍にいて見守っていた。
 かくして、雅子のアウエーでの新たな厳しい闘いが始まったのである。(以下、明日に続く)

955 メビウスの帯

 ドイツの数学者メビウスが発見したもので、テープ上の長方形の紙片を一回ねじって両端を接着してつくった環で、表裏の区別のつかない立体の一例をいう。線に沿って切ってゆくと繋がった大きな環になる。

1.独り言コラム
 米国女子ゴルフツアーのエイビアンマスターズでツアー初優勝を飾った宮里藍は、夢がかなって嬉しそうだった。この日の彼女の発言をフォローしてみると、スタート前の「勝つ準備は出来ています」から始まり、「相手やスコアーに惑わされず、自分をコントロールし、プレーに集中できた。いろいろ乗り越えられた。大きな成長です」と感激の言葉があって、更に「苦しい時もあったが、決して遠回りではなかった」と結んでいる。
 これらには、彼女の真骨頂である強気がしっかりと反映されている。勝負には、強気、積極性は大事な要素だが、筆者には、それが強過ぎて違和感があり、アンチファンに繋がってしまった。少しでも謙虚さが滲み出れば、申し分ないといつも思っているのである。
 まあ、それはさて置き、この一連の彼女の発言から、好不調は、いわゆるメビウスの帯にあると感じたのである。つまり、「好不調は糾(あざな)へる縄の如し」であって、スランプの苦しみを頑張って辿って行けば、やがて、その裏である好調に繋がっているという見方である。
 ところで、このメビウスの帯と云う言葉は、今読んでいる東野圭吾の小説「片思い」の中で紹介しているもので、それを早速拝借して、今朝のコラムに使わせてもらっている。この小説では、性同一性障害を扱っていて、男と女は、メビウスの帯にあって繋がっているのだいうのである。つまり、男と女は或る線できっぱりと分けられるものではない。同じ一人の人間の中にでさえ、男と女のそれぞれの要素が混在しているというのである。分かったようで分かりにくい一面もあるが、そういう見方で世の中を眺めると、メビウスの帯にあるものが実に多いと思うのである。
 例えば、自民、民主の二党の主張である。昨日、民主党がマニフェストを発表したが、早くも、消費税の扱いなどの扱いで、解散前に広げていた大風呂敷を少し修正しているようだ。つまり、ここでも、その中味をつぶさに辿って行けば、自民党の主張する内容にぶつかってくる。つまり、二党の主張はメビウスの帯だと言えそうなのだ。考えてみれば、それも当然なことで、政治が国民の安全と安心を目指すものであれば、主張がそこに収斂してくるのも当然である。
 その一方で、そうでないものも存在する。例えば、筆者の妻の難病のような場合は、残念ながら、いくらその難病と苦しい闘いを続けても、健康な状況に戻ることは有得ない訳で、メビウスの帯からは完全に外れているのである。悔しいことなのだが、それが厳然とした現実であり、止むを得ないとしっかりと受け止めているのである。
 
2.プライベートコーナー
 3時50分起床。体重、60.8Kg。空模様も今一つ。
 昨日の雅子だが、体温、血圧などの数値的なデータは、いずれも正常値に近く問題はなかったが、全体として元気がなかった。うつらうつらしている時間が増えていて、一考への反応が今一つだった。語りかけることで元気をもらっている一考には、少し物足りなさ、寂しさを覚えた一日だった。珍しく、先生と顔を合わせることがなかったので、退院日に関しては、新しい情報は何もなかった。

3.蓮載、難病との闘い(920) 第三部 戦いはまだまだ続く(214)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(8)
 1.緊急入院(8)
(2)肺炎との闘い(その2)
 このパーキンソン病は進行性の病気だという通りで、あらゆる面で、じわじわと悪化の道を歩んできていた。雅子の口の開き具合の悪化についても、知らず知らずのうちに進行をしていたのである。一考がそれに気づいたのは、今年の2月半ば頃からで、その頃から、それに関する作業が手間取り始めたのである。その切っ掛けは、ジュースを飲ませてあげようとストローを口にくわえさせようとしたのだが、雅子が直ぐに口を開いてくれず、スムーズに作業が進まなくなったのが気になり始めたのが最初だった。
 その頃から徐々に、食事をしたり、お薬を服用するのに手間取り始め、今回の入院する直前では、介護士さん達は、それらの介護に、とても苦労してやってくれていて、厄介な介護作業になっていた。
 そういうことで、この「痰取り」作業も厄介な作業の典型的なものだった。それと云うのも、この作業は、通常は口からチューブを入れて吸引するのが、本人にも楽であって、効率的な取り方なのだそうだが、雅子の場合は、それがなかなか出来ない。仕方なく、非効率で当人にも苦しいのだが、鼻からチューブを入れての作業にならざるを得ない。それだけに看護婦さんにも気苦労があって、雅子が苦しいだろうとの思いで、「ごめんね」と何回も声を掛けながらの作業となっている。事実、雅子も苦しそうに咳を繰り返しながら対応している。見ていて気の毒で、一考はできるなら代わってあげたい気持ちにもなるが、そういう訳にもいかない。
 余談だが、一考がその作業を見ていて思いついたことがある。それは、雅子は、寝ている時には、口を開いているので、その間に、何かパイプのようなものをくわえさせておけばいいのにと思ったのである。しかし、何故だかその提案は受け入れられていない。暫くは、雅子は痰取りとの格闘に苦しむことになるのだろう。
 さて、この日も一考は、施設のアクティバ琵琶、自宅、それに病院を何回かに渡って行ったり来たりする一日になった。午前中には、アクティバ琵琶に寄って看護士さんに現状を報告した後、雅子の部屋から、それまで雅子が使っていたクッションを持ち帰った。病院でも、それがあった方が雅子の姿勢の調整に役立つだろうと考えたからである。
 その後、自宅の近くのスーパーで買い物などでバタバタし、自宅に戻って軽い昼食を済ませたのだが、疲れていたのだろう、いつの間にか、うつらうつらしてしまい、気が付くと、何と1時間ほど眠ってしまっていて、時刻は早くも2時前になっていた。(以下、明日に続く)

954 宮里藍、米ツアー初優勝

 石の上にも3年半だった。宮里藍の夢が叶った。アンチファンも涙には弱い。

1.独り言コラム
 遂に、その時がやってきた。宮里藍が、米国ツアーで初優勝を果たしたのである。二日目を終った段階でそんな予感があって、昨日のこの欄で書いた通りである。4年目、83戦目での見事な初優勝だった。
 筆者は、昨夜も少し早い目から、ずっとインターネットのスコアー速報をフォローしていたが、なかなかの激戦、熱戦だった。10番で一旦単独トップに立った宮崎藍だったが、15番のボギーでトップタイに後退、しかし、前日ボギーを叩いた最後のロングホールの18番で、この日はバーディを奪って1打差をつけて先にホールアウトした。しかし、最終組のスエーデンのグスタフソンも粘り強気く、やはり18番でバーディを奪って追いつき、プレイオフとなった。しかし、勝負は、その最初のホールで宮里藍がバーディを奪って結着をつけたのである。
 アンチファンとしても、複雑な気持ちではあったが、苦労を乗り越えたお見事な優勝で、ここでは素直に「おめでとう」とお祝いを申しあげたい。
 なお、この最終日は、他の日本人選手も随分と頑張った。三塚優子が粘って8位、終盤で崩れて17位に終った上田桃子だったが、一時はトップグループに手が届く位置まで追い上げた迫力は凄かった。また大山志保選手も、この日だけで―6で気を吐いて23位に入った。
 優勝といえば、大相撲では白鵬が堂々とライバル朝青龍を下して11度目のVを獲得した。婚約して話題になった琴欧州も頑張って日馬富士に完勝したが、一歩届かなかった。
 政治の世界では、仙台市長に初の女性市長が誕生した。市民党を宣言して出馬した奥山恵美子さんで、政令指定都市では最初の女性市長のようだ。ここでも、選挙民は政権交代を期待している流れが依然として強いことが証明されたと言える。
 テレビでは、フジテレビが恒例の26時間テレビを放映していた。人気タレントの島田紳助を起用しての戦いだったが、全部を見た訳ではないが、灰汁の強い紳助流があまりにも強く出過ぎて、全体としては盛り上がりに欠けていてようで、筆者には、今一つの印象だった。
 特に、三輪車の耐久レースとかイカダマラソンは、それほど意味があると思われない挑戦レースで、そこに敢えて意味を持たそうとする企画そのものに無理があったと思われる。 
 また、柳の下のどじょうではないが、今年の紅白歌合戦出場を狙ったと思われるテーマ曲が、それほどのものでなく不発に終っていたのも盛り上がらなかった要因の一つだろう。深夜の明石家さんま、中居正広を交えた鼎談は、上品なものではなかったが、それなりに面白い内容だった。しかし、期待していたよりも、紳助の切れが今一つで、さんまの口数の多さが上回っていたように思う。
 戦いは、勝つことで、初めて歴史に名を残すことになる訳で、昨日も何人かの方の名前が歴史に刻ざまれたようだ。

2.プライベートコーナー
 5時20分起床。体重、60.5Kg。今日も天気は良くなさそうだ。梅雨明けは何時になるのだろうか。
 さて、昨日の雅子だが、体温、血圧、酸素指数などの計測データは全て安定して通常の状態だったが、一考の呼びかけ、或いは話じ掛けに対する雅子の反応が、今一つだった。少しは目を細めには開けてはくれるが、前日に比べると元気がないように感じられた。暫くは様子見になるだろうが、この週末には退院となるのだろうか。今一つ確信がもてない状況だ。

3.蓮載、難病との闘い(919) 第三部 戦いはまだまだ続く(213)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(7)
 1.緊急入院(7)
(2)肺炎との闘い(その1)
 入院二日目は土曜日だった。少し早目の8時50分に病院に顔を出した。ちょうど身体を拭いてもらっているところだった。有難いサービスだったので、お礼を言うと、この種のサービスは週に1~2度だという。
 これらを含めた朝の一連の検査や診察が終わった時点で、部屋を替わることになった。どうやら、昨日は暫定的な部屋割りだったようだ。新しい部屋は、ナースの詰め所のすぐ前の部屋であった。ラッキーなことに、二つしかない窓際のスペースの一つが宛がわれたのである。外が眺められて気分転換に良いだけでなく、空調の送風口がすぐ傍にあって、冷房もしっかり効いていて、居心地のいいスペースだった。多分、緊急搬送する際に、たまたま施設のアクティバ琵琶のその夜の宿直だったこの病院の院長が、この病院を指定した経緯から、特別な配慮があったのではと一考は感謝するのだった。
 窓からは、直ぐ目の前に、もう使用あれていないとは言え、あの大観覧車が手の届くような距離感でその威風を見せているし、その手前にはゴルフの打放っぱなしの練習場があった。これから毎日見舞いを続ける一考にも、格好のスペースが宛がわれ、気分は良好だった。
 この日の朝には、雅子の見舞いが一段落した段階で、正式な入院申請書を提出した。かくして、思いも寄らなかった雅子の入院生活が正式に始まったのである。
 さし当たって、一考が心配しているのが、肺炎に起因していると思われる痰の頻発である。一考がいる場合には、ブザーで看護婦さんを呼び出すのだが、いない場合は、適当なタイミングで看護婦さんが見回ってくれて、吸引して除去してくれるのである。時には、そのタイミングが合わずに、雅子が苦しむこともありそうで、それを思うと気の毒なのだが、付っきりでないので、或る程度は仕方がないのかもしれない。
 ところで、一考が、その痰の吸引による痰の抜き取り作業を見るのは、この病院での雅子の場合が初めてだった。ちょうど歯医者で、溜まった唾液を吸引するのと同じ作業なのだが、雅子の場合は、パーキンソン病の悪化で、口をしっかりと噛み締めていて、なかなか開かないから厄介なのだ。仕方なく、鼻からチューブを入れて取らざるを得ないことが多い。それを見ていると、途中で雅子がむせることが繰り返されて、如何にも苦しそうで、気の毒になるのだが、そのむせることで痰が抜き取れるということのようで、ここでも雅子の頑張りが必要となり、苦しい戦いが強いられるのである。少しでも、口を開けてくれれば楽になるのにと思うのだが、パーキンソン病は、それを容易には許さないようだ。(以下、明日に続く)

953 入り混じる期待と不安

 何でもそうだが、戦いには常に期待と不安が付き纏うものである。そこに素晴らしい感動が生まれることもある。

1.独り言コラム
 米国ツアーに参加して4年目を迎えている宮里藍に初優勝のチャンスが訪れている。今週フランスで行なわれているエイビアンオープンの三日目を終えて、首位と1打差の4位タイで、いよいよ、その可能性が高まって来ている。
 前日の二日目を終って9アンダーのトップタイでスタートした三日目、インターネットの速報でびっくりする誤報があった。それは、スタート直後2,3番でボギーを叩いた宮里藍が、次のミドルホールで、なんと「7」という大荒れの記録がインプットされて配信された。タイミングよくそれを捉えた筆者はびっくり仰天、やはり宮里藍は優勝を意識し過ぎたのだろうと同情をしながらも、アンチファンとしては溜飲を下げていたのである。つまり、スタート直後の4ホールで、一気に+5という大荒れの速報となり、スコアーも既にホールアウトしていた上田桃子の4アンダーに並んでしまったのである。
 しかし、暫くすると、彼女のスコアーが一気に回復し、再びトップグループに割り込んで来ていた。驚いて、ホールバイホールの内容を確認すると、先のミドルホールの7と云うスコアーは間違いだったようで、パーでホールアウトしていたのである。時々ある誤報なのだが、筆者には、インパクトが大き過ぎた。
 いずれにしても、今週の宮里藍はボギーも時々打つが、バーディが多く、安定したプレーを続けている。この日は、その後も順調に追い上げて、17番では12アンダーとトップタイに戻っていた。しかし、最終のロングホールで意外にもボギーで1打差の4位タイに後退して、最終日を迎えるのである。見方によっては、1打後ろにつけて、じっくりと優勝を狙う作戦を取ったのではと思うくらいのゆとりが想像できるのである。
 一昨年だったと思うが、マッチプレーで決勝まで勝ち進んで、初勝利目前にして戦った試合があって、とても興奮したのを覚えているが、それ以来の久し振りのチャンスのようだ。
 アンチファンとしては、極めて複雑な思いで、今夜のプレーを追うことになる。若し、初優勝したら、筆者が好きでない、彼女のあの強気のインタビューを聞かされることになるので、それを思うと、宮里藍ファンから袋叩きされるかも知れないが、今から逃げ出したい気持ちもある。さあ、神様はどんな結末を用意しているのだろうか。
 なお、日本から出場している三塚優子も、後半に入って少し後退していたが、最終ホールでイーグルを出して、トータル8アンダーの10位タイまで戻し、まだ優勝の可能性を残している。
 今日の最終日の戦いは、今度の総選挙と同じで、不安と期待が入り混じったドラマティックな展開が予想され、今からドキドキである。

2.プライベートコーナー
 4時50分起床。体重、60.2Kg。外は、やはり、曇り空。
 昨日の雅子は、前日よりも少し気分が優れない様子だった。体温、37,1度と少し熱もあって、見た目には、いわゆる、V字回復とはなっていない。昼過ぎになって、先生は、新たにセットした「胃ろう」を少し緩めたりして微調整した。
 昼過ぎに長男の太郎が手術後では、初めて顔を出してくれた。上司からもなるべく顔を出してあげなさいという優しいアドバイスがあったようだ。以前から通っているこちらの病院に診断を受ける必要もあったので、それを兼ねての見舞いだった。太郎の呼びかけに、雅子も頑張って、目を細く開けてくれたのだが、元気さは今一つだった。

3.蓮載、難病との闘い(918) 第三部 戦いはまだまだ続く(212)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(7)
 1.緊急入院(6)
  (1)平成21年6月19日。(その6)
 この時点での雅子の状態だが、体温が37.4度と少し熱があり、血圧も、上が106で、いつもの雅子の値よりも少し高かった。一考には、掴まえ所のない不安があったが、それでも、肺炎若しくは気管支炎だという医者の言葉から、何となく一段落した落ち着きを取り戻していた。
 何しろ、この朝は、突然の電話で呼び出しを受けて、何もかもそのままにして家を飛び出して来ていたので、こうして雅子が入院することが決まって一段落したのを見届けて、一考は一旦帰宅することにした。この日にしなければならない雑用などを片付けておこうと思ったからである。さし当たっては郵便局に行った。締め切り期限がある振込みがあったからである。その後は、スーパーで必要な買い物を済ませ、再び自宅に戻って簡単な昼食を取って一息ついた。
 再び病院に戻ったのは、2時前だった。雅子のいる大部屋に顔を出すと、長姉の霧子さんが心配して来てくれていた。やはり、こういう時は、誰かがいてくれることは心強い。
 雅子の様子を確認すると、既にセットされていた酸素を供給するチューブに加えて、さらいもう一本のチューブが鼻から通されていた。そこから栄養剤やお薬が投与されるというのだ。見た目には、とても苦しそうに見えて気の毒だったが、口が開けられないので致し方がないようで、とにかく、雅子には頑張ってもらうしかなかった。
 暫くして、看護婦さんから、それまで施設で行なっていた雅子の生活ぶりについての質問があった。食事の時に使っていたトロミ剤の話しをすると、とりあえず、それを持って来て欲しいという。そこで、再びアクティバに戻り、ついでにティシュなど必要と思われるものも持ち込むことにした。飲み物やお薬を口から入れ易いというあの特別注文した「食べラック」はまだ入荷していなかった。
 それらを持って三度目に病院に戻って来ると、時刻はもう午後3時前になっていた。幸い、雅子の症状には大きな変化は見られなかったが、チューブが交錯している顔を見ていると、施設に居た時以上に苦痛が加わっているようで、何とも言えない気の毒さを思うのだった。
 4時頃になると霧子さんが帰るというので、近くのJR堅田駅まで送ったが、一考は、また病院に戻って、雅子の不安を少しでも和らげて上げようと、この日は、夕方6時過ぎまで雅子のベッドの傍で見舞っていた。帰り際には、雅子の血圧は、上が90、下が46、また体温は37,2度と、いずれも、朝方に比べれば少し下がっているのを確認して、とりあえず、一考は、入院第一日目の帰宅の途についた。
全く予期していなかった雅子の入院と云うアクシデントのあった長い一日に、一考は、ちょっとした疲れを覚えていた。(以下、明日に続く)

952 四度目の○○年振りの話題

 イチローがMLBのレギュラーシーズンで262本のヒットを打って86年ぶりの新記録更新を果たした際に、初めて○○年振りの話題を取り上げた(07年4月15日のコラムご参照)。それ以来、4度目のトライで、今回は最近のトピックスから拾ってみた。

1.独り言コラム
 先日は、日本で46年ぶりの皆既日食ということで、大いに話題になったガ、生憎の天候で、残念な思いをされた方が多かったようだ。地球レベルでは、中国の上海が、何と、434年ぶりのことだったという。しかし、ここでも天候はよくなかったようだ。
 今朝の毎日新聞では、行方不明、死者17人を出した山口県の豪雨災害に関し、山口大学農学部の山本晴彦教授の話では、21日の一日に降水量は、「83年に一度」だったようで、特に、集中した6時間だけの雨量は、「246年に一度」しか起きないという。
 何年ぶりという表現でも、434年とか246年のように百年単位の話になると、スケールが大き過ぎて感覚的についていけない。宇宙、地球、自然といったもののスケールの大きさは、人間の感覚とは異質であると思う。
 ところで、大相撲名古屋場所の昨日の取り組みで、朝青龍が日馬富士を「やぐら投げ」という大技で倒して気を吐いた。この決まり手は、昭和50年九州場所で、青葉山が福の花に決めて以来の44年振りだそうだ。このレベルの何年ぶりなら、感覚的には辛うじて着いていける範囲内だ。
 しかし、今度、日本で見られる皆既日食が26年後となると、比較的短い将来の話だが、我が人生では、フォローする限界を超えていることは確かだ。
 さあ、政治の世界は4年ぶりの総選挙で盛り上がっている。自民党が野党に下野するのも細川護煕政権以来の15年ぶりとなることが予測されている。土壇場のホームストレッチでの大逆転の可能性はあるのだろうか。民主、自民の暑い夏の陣は始まっている。
 (この種の話題では、909、565回のコラムのコーナーでも取り上げています)

2、プライベートコーナー
 4時40分起床。体重、60.1Kg。外はどんより曇り空。今年は梅雨明けが随分と遅れている。
 雅子の回復は順調で、昨日の朝の回診で、残っていたドレイン抜き取り用のチューブも抜き取られた。そして、お昼前には、手術を受ける前までいた大部屋の同じスペースに戻った。完全な快気は望めないが、施設での生活に回帰できる日も、そう遠くはなさそうだ。時々、痰が溜まるので、それを吸引してもらう必要があるが、その頻度も2時間間隔レベルになって少なくなって来ている。
 午後には実姉の霧子さんが見舞いに来てくれた。顔つきにも随分と落ち着きが出て来たし、時々目を開けて見てくれるので、ほっとするのである。

3.蓮載、難病との闘い(917) 第三部 戦いはまだまだ続く(211)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(6)
 1.緊急入院(5)
  (1)平成21年6月19日。(その5)
 どれくらい時間が経過したのだろうか、多分、9時半近くだったと思う。検査結果が出たのである。それによると、気管支炎、若しくは肺炎の疑いがあるというのである。この結果が後になって少し問題になるのだが、ここでは気づくはずもなかった。いずれにしても、直ちに入院することになり、雅子は2階の大部屋に運ばれた。
 酸素を吸入するためにチューブが鼻の所にセットされている。この時点での雅子は、見た目にはそれほど苦しそうではなかったが、ぐったりしていたのが気になった。先生の話では、一週間程度、場合によっては数日の入院で済むということだったので、そんなに重い病気でないことに、取り敢えずはほっとしたのである。この時点で、付き添ってくれていた施設の介護士さんは、桑田課長と一緒に施設に戻って行った。
 暫くすると、今度は、アクティバ琵琶のケアマネージャーの竹中さんが、お薬や紙パンツなどの必要なものを持って駆けつけてくれた。この種の対応は、一考には全く気が付かないものばかりで、付き添って頂いたことなどを含めて、これらのサポートに大いに感謝するのだった。
 そして、何だか良く分からないままにバタバタした中で時間は経過して行った。雅子のベッドは、2階の6人部屋の入ったところ右側、つまり廊下側のスペースが割り当てられた。こんな狭いところで過ごさねばならないと思うと気の毒になって、様子を見に来てくれた看護婦さんに、「個室はあるのですか?」とか「どのくらいするの?」などを聞いてみた。特定疾患患者(重症用)の手帳で安くなるのではと勝手に思い込んだ期待があって、少しふとっぱら(?)気分になっていたからである。
 その問い掛けで、間もなく事務の方が来られたが、一部屋一日1万円だという。そして、それには、その種の手帳での恩典は適用されないという。手帳は、あくまでもパーキンソン病絡みに適用されるのだ。当然なことなのだが、一考は混乱していて、自分の都合の良いように考えていたのである。従って、1万円といった高価な部屋を使う訳にはいかず、この大部屋で頑張るしかないと諦めた。(以下、明日に続く)

951 ぶれる

 広辞苑の「ぶれる」の項には「揺れ動く、定まった位置からそれる。特に写真で被写体が動いて画像がぼけること」とある。

1.独り言コラム
 この一年間、麻生総理の「ブレ」は、何かと話題になったが、広い意味では、誰にでも「ブレ」はある。筆者も、3日前の妻の手術に際しては、その直前での担当医師からの再度の説明に、その結果には不確定要素が多く、やって見なければ分からないと聞かされて、動揺し、一時は、手術中止も考えたくらい大揺れだった、典型的な「ブレ」の一例だろう。
 民主党も、ここに来て、日米安保の地位協定など現実路線に態度を変更してきているという。政権担当が現実化するにつれての対応だというが、麻生総理は、これこそ、典型的な「ブレ」だとコメントしたようだ。やはり、今までのような何でも反対の立場での主張だけでは政権運営は難しく、現実路線への変更が出始めている。そうなると、高速道路の無料化、子育て、教育への大きな支援なども、財源が明確になっていないだけに、今後、後退することになるのではないだろうか。しかし、これはブレというよりも、責任政党としても現実的な対応への自覚が芽生えてきたとも受け取れるが、ブレには違いない。
 プロ野球も前半戦を終えたが、今年最も大きなブレを見せているのは、阪神タイガースだろう。ここ数年は口にしてなかった「駄目虎」が復活しそうである。これも、見方によっては、ここ数年がブレであって、定番、定位置に戻ったとの見方も出来る。
 将棋の話題である。挑戦者だった郷田九段の頑張りで、フルセットまでもつれて盛り上がった前期の名人戦シリーズだったが、結局は、最後は「ブレ」なく羽生名人の堂々の防衛で終わった。しかし、既に、来期の挑戦者を争う挑戦者決定のリーグが始まっている。昨日は、あの敗戦以来意気消沈の郷田九段が登場し、一回戦で藤井九段と対局した。終始有利に進めていた対局だったが、気が付くと終盤では逆転されていて、ほぼ負けが確定した状態だった。筆者も諦めて寝ようかと思ったのだが、形作りで指していた郷田九段だったが、土壇場で藤井九段の受けに大きなブレが出て、何と、郷田九段が大逆転で初戦を飾った。筆者は興奮して眠れず、今朝の嬉しい朝寝坊となった。
 ブレは、時として感動的なドラマを生むと言えそうだ。

2.プライベートコーナー
 5時40分起床(少し朝寝坊) 体重、60.8Kg。 曇り空。暑そう。
 昨日の雅子だが、お陰で術後の経過は順調で、血圧、脈拍、酸素指数などの計測器も外され、鼻から挿入されていたチューブも抜き取られ、この日からは、新たに設置されている「胃ろう」といわれるチューブを使っての栄養剤などの投与が行なわれている。これらも順調で回復に向かっていて、今日からは、一般病室に移されるようだ。そして退院も視野に入って来ているようだ。しかし、前夜とこの日の午後、一考が不在時だったが、少し痛みを訴えたようで、痛み止めが投与された。その一方で、昼間、一考のジョークに、「プッ」と噴出して反応してくれたのが印象的だった。

3.蓮載、難病との闘い(916) 第三部 戦いはまだまだ続く(210)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(5)
 1.緊急入院(4)
  (1)平成21年6月19日。(その4)
 病院は国道161号線に面していた。しかし、その駐車場は、一見したところでは、何処にあるのかが分からなかった。仕方なく、一考は、病院を少し通り過ぎた地点で、思い切ってUターンした。朝が早かったこともあって、車の数もそう多くなかったのが幸いだった。
 止むを得ず、来た道の方に少しずつ戻り始め、真野川の手前でその土手道を左折して、川に沿った細い道を少し下ると病院の裏側の入口に出た。そこで、近くにいた方に、駐車場の場所を確認すると、そこから更に100メートルぐらい進んだ先にあるという。一考はほっとしてその方向にゆっくりと車を進めた。
 教えられた通り進むと、その小道の先に第二駐車場と書かれた小さな看板があった。時刻が8時前だったこともあり、スペースは十分にある。一考は車をそこに駐車させると、急いで病院の戻った。
 駐車場の位置を聞いた病院の裏口から、小走りで本館に入った。その1階の奥に各種の検査室があって、雅子はそこでレントゲン、CTなどの基本的な検査を受けているようだった。アクティバ琵琶から当直の看護士さんが付き添ってくれていたので、その傍に行ってお礼を言って挨拶した。彼女は、パジャマやタオルなど入院に必要なものを持って来てくれていた。その辺りの知識がなく、手ぶらで駆けつけた一考には本当に有難い対応だった。
 検査室の前に長椅子があり、彼女はそれに座っていたが、一考は落ち着かないこともあって、暫くはその傍で立ったままうろうろしていたが、その後は諦めて、彼女の隣に座り、検査の結果が出るのを神妙な面持ちで待っていた。よくテレビドラマなどで見受けるシーンが思い出された。とにかく、落ち着かなかった。雅子がどんな具合であり、どの程度苦しんでいるのか心配だった。とかく、こういう場合は、悪いことを考えがちである。電話の第一報で、呼吸がし難くなったというだけに、生命への不安も頭の中ではうごめき始めていた。
 時計に目を遣ると、時刻は早くも8時半を過ぎていた。その頃になるとアクティバ琵琶の介護課の責任者の桑田課長も駆けつけてくれていた。暫くすると、国宗看護課長からの電話が入った。昨日打ち合わせたばかりの内容が、図らずも現実になっていただけに、妙なときめきを覚えていた。
 国宗さんの話は、昨日の話の延長上でのアドバイスだった。その主旨は、パーキンソン病でお世話になっている吉田病院の主治医とは、良く相談されるのがいいということだった。しかし、そうはいうものの、今現在は、そんな余裕はない。さし当たっては、ここでの検査結果を待って、それに沿った対応を受け入れることになると一考は腹積もりしていた。(以下、明日に続く)

950 神のいたずら、神の配慮

 皆既日食で、多くの方々が神のいたずらに一喜一憂した一日となったが、筆者は、妻の命を巡って、逆に、神の配慮に感謝する一日となった。

1.独り言コラム
 46年ぶりの皆既日食で、日本列島は大いに沸いた一日だった。筆者も昼前に病院に向かうJR大津京駅前で、思わず空を見上げていた。タイミングよく雲の隙間から姿を出した部分食の太陽を確認できた。
 今まであまり耳にしなかった悪石島が、日本ではもっとも長く皆既日食が楽しめるということで、大変な注目を集めたが、神のいたずらで、あいにくの悪天候に見舞われ、皆既日食は見られなかったようだ。また、中国の上海でも、434年ぶりということで、世界から多くの観光客が集まったようだったが、同様に天候には恵まれなかったようだ。
 科学の進歩は目覚しいが、今のところ、天候に関しては、かなりの精度で予測は可能なのだが、それを思うように支配するには至っていない。依然として、その世界は、神様が支配する領域のようだ。
 ところで、今から46年前の話だが、皆既日食は7月21日の早朝、北海道の東部で見られたようだが、昨日のように、大きく騒がれ、話題になった記憶は全くの残っていない。筆者はちょうど社会人になった年で鎌倉の研究所に在籍していた。マスコミの取り上げ方が、今日ほど派手ではなかったからだろう。その一方で、それから6年後の40年前の人類最大の天体イベント、アポロ11号による月面到着は、しっかり覚えている。
 さて、次回に日本でみられる皆既日食は、26年後という。筆者が生きておれば94歳だ。どうみても、「ないと思います」と断言できる。
 そんな神のいたずらがあった一方で、筆者には、私事ながら、一昨日に行なわれた妻の難解な手術時に接続されていた人工呼吸器を、昨日無事に外すことが出来た。これは、まさに有難い神の配慮によるもので、幾度も感謝を繰り返す一日となった。
 とにかく、世の中は、いつも悲喜こもごもであり、人生は、生きた感動のドラマの連続である。
 
2、プライベートコーナー
 3時半起床、体重、60.8Kg。天気は、今日もどんよりした天候のようだ。
 さて、前日に難解な手術を受けてICU室で一夜を過ごした雅子だったが、神は見捨てずに救ってくれていた。とにかく、無事に人工呼吸器を外すことが出来たのである。張りつめていた一考の気持ちだっが、名状し難い心の安堵を覚えた一日となった。とにかく、感謝、感謝、よかった、よかったの一日となった。
 この日の午前中に、リカバリールームに移された雅子は、顔色も良く、落ち着いた様子で、時々目を開けて、じっと一考を見つめてくれたのである。まだまだ予断は許さないようだが、取り敢えずは、手術の大きな山を越えたと言えそうだ。

3.蓮載、難病との闘い(915) 第三部 戦いはまだまだ続く(209)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(4)
 1.緊急入院(3)
  (1)平成21年6月19日。(その3)
 介護士の西村さんは、この4階の介護のフロアーリーダーで、たまたま前夜が夜勤番だった。幸いにも、タイミングよく朝方に雅子の異変に気づいてくれたのである。さすがに、彼女も少し緊張気味の様子で、一考にその辺りの様子など手短に説明してくれた。
 それによると、朝になって見回った際に、痰が詰まって息苦しそうだったので、直ぐに看護士さんに来てもらって痰を取り除くなどの対応をしてもらったが、なかなかうまくいかず、酸素指数も70ぐらいに下がっていたので、そのまま放置しては危険という判断で直ち救急車を呼ぶことになったという。搬入先については、附属のクリニックの当直の先生の指示で、近くの琵琶湖大橋病院への搬送が決まったということだった。
 たまたま、前日の国宗看護課長との話では、将来、手術などが必要になった場合には、この施設との関連のある日赤病院や大津市民病院にお願いするのがいいのではと話していただけに、搬入先の琵琶湖大橋病院と云うのを聞いて、一考は多少の戸惑いを禁じ得なかった。正直言って、琵琶湖大橋病院という名前は一考には初耳だった。後で、聞いて分かったのだったが、クリニックの当直の先生が、偶然にも、琵琶湖大橋病院の院長だったというのである。一考は、なるほどと思いながら、そういうことならと納得したのを覚えている。
 その病院は、名前の通り、琵琶湖大橋の近くにあるという。一考は、西村さんから、その場所を教えてもらうと、とにかくそこに急行した。琵琶湖大橋は、ここから国道161号線を北上し、JR堅田駅への入口の交差点を通り越した先の交差点を右折すればいいのだが、病院はその交差点を更に少し過ぎたところにあるという。直ぐ手前に真野川があって、そこに架かっている小さな橋を渡った直ぐの処、進行方向の右手の一角にあった。屋上にブルーの下地に白でBOHという看板が上がっている。薄いグレーの3階建ての建物だった。その直ぐ近くには、今では動いていないが大観覧車があって、分かり易い目印と捉えることが出来る。施設からの距離も車で10分程度の近さだった。
 一考には、初めての病院だったが、分かり易かったこともあって、その直ぐ近くまではスムーズに来たものの、駐車場が何処にあるかがはっきりしなかった。仕方なく、一考は車を徐行させながら、それらしき場所を探し求めて、戸惑いならが、その前を通り過ぎていた。(以下、明日に続く)

949 四十日の闘い

 解散ということで、政治の世界も大変だが、手術と云う人の命の掛かった闘いは、身内の者には、それとは比べ物にならない大変さである。

1.独り言コラム
 やっと衆議院が解散、40日間に渡る熱い選挙戦に突入した。今から30年前の1979年、自民党の内部抗争で、40日抗争と呼ばれる大平正芳、福田赳夫の一騎打ちがあった。大平内閣発足に40日をも要した熾烈な派閥抗争だった。、
 今回の40日の戦いは、解散から投票日までが40日あるという意味で、この間で、如何に国民の支持を得るかの戦いである。この選挙は、国民側からみれば、どちらの政党の主張を選ぶのかという政権選択選挙である。今の時点では、民主党の圧勝ということで、勝負はついているという見方が強い。
 しかし、昨日の自民党の急転した纏まり方、それに麻生総理の涙の演説が、世論にどんなインパクトを与えたかに多少の関心がある。焼け石に水なのか、或いは一矢報いるのか、今後の展開を見てみたい。
 さて、今朝は、このコーナーを書いていても、筆者の妻、雅子の手術のその後の経過のことが気になっていて、気合が入らない精神状態である。目下、人工呼吸器をつけた状態でICU室で管理されて眠っている。担当医師の話でも、今までに事例のない難解な手術だったということで、予断を許さない状況にあるという。
 雅子の闘いも、6月19日に緊急入院して以来の闘いをみると、今の時点で退院時ははっきりしていないが、仮にうまくいってくれたとしても、40日に及ぶ闘いになりそうだ。つまり、ここでも、命を掛けた40日の闘いが継続中なのである。筆者は、今や、神に祈るのみで、言葉に表せない苦悩の心境にある。

2.プライベートコーナー
 4時半起床。60.7Kg。雨は上がっている。天気は今一つはっきりしない。
 さて、雅子の決死の手術は予定通り終った。直前の医師からの、人工呼吸器が外せないことが起きるかもしれないという再確認の説明に、筆者は動揺し、手術の取り止めも考えたくらいだった。
 とにかく、昨日の手術は不測の事態も起きず、胆嚢切除、胃ろうの設置は予定通り完了したが、この手術の最終的な成否は未だ不明である。目下、雅子はICU室で管理されていて、今日以降に行なわれる人工呼吸器の取り外しが出来るかどうかで成否が決まる。
 朝、10時半から始まった手術を実姉の霧子さんと二人で手術を終るまで、不安な気持ちでじっと待機していたが、2時半前に、とりあえず終ったとの報告にほっとしたものの、その後、麻酔下で眠っている雅子がいるICUの部屋に案内され、初めて人工呼吸器なる設備を見て、それで命がサポートされている状態を確認して、改めて大きな不安を覚えたのである。
 何が何でも、無事に人工呼吸器が取り外せるようにと、今は、医師の手腕と神の配慮に祈るのみである。今までにない気の重い朝である。

3.蓮載、難病との闘い(914) 第三部 戦いはまだまだ続く(208)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(3)
 1.緊急入院(2)
  (1)平成21年6月19日。(その2)
 電話を切って受話器を置くと、一考は、直ちに、いつも持ち歩いている手提げの黒の鞄だけを持って自宅を飛び出して裏の駐車場にある車に飛び乗った。突然の予期せぬ電話の内容に、やはり、一考もいつになく慌てていたように思う。鞄の中身を点検もせずに飛び出していたのだ。
 空はどんよりと曇っていた。一考は直ぐに車を発進させたのだが、ガソリンが少なくなっていることに気付き、いつもお願いしている自宅の直ぐ近くにあるカソリンスタンドに立ち寄って給油をお願いした。これから、何があるかも知れず、若しかしたら、長距離を走らねばならないかもしれない。腹が減っては戦が出来ないとの配慮での給油であった。
 ガソリンを入れてもらっている間、一考の頭の中でいろんな思いが交錯していたが、その中で、保険証、身障者手帳、特定疾患手帳(重症用)などの書類を持って来ていないことに気が付いた。入院ともなれば、それらが必要になることは明らかだった。そこで、給油が終ると、直ぐに取って返して自宅に戻った。急いで、それらの必要な書類を纏めて鞄に押し込むと、改めて、車に飛び乗って、一路、施設のアクティバ琵琶に向かってアクセルを踏んだ。
 朝が早かったので、幸い道は空いていた。ハンドルを握りながら、一考は、いよいよ、こんなことになってしまったかといった気の重い不安を噛み締めていた。
 思えば、実に皮肉なことだったが、前日に吉田病院の春日主治医と電話で、今後、もしも食事が出来なくなった場合の対処について、相談を持ちかけていた。それと云うのも、このところの雅子は、口の開き具合がうまく行かず、食事を取るのも、お薬を服用するのも大変困難になって来ており、その結果、ここに来て、体重の激減が顕著になっていたからである。
 その際、春日先生は、点滴や胃に直接栄養剤を送り込む「胃癭(いろう)」を取り付ける対応があるということを話してくれた。その場合は、附属のクリニックから、近くの適切な病院を紹介してもらって、その病院とよく相談して対応するようにとのことだった。
 そのアドバイスの後、一考は施設の介護部の責任者である国宗看護課長に会って、主治医の話の内容を伝え、そういった場合の対応について、対象病院の選択などで意見交換をしていた。その意味では、実に時を得た意見交換で、一考もそのタイミングの絶妙さを覚える一方で、先行きの展開を心配しながらの運転だった。
 走っている車が少なく、信号のタイミングも良くて、車はスムーズに走った。車の中から見る周りの風景は、一考にはもう何百回も見ているものだったが、この朝の一考には、今までにない無味乾燥な只の風景にしか映っていなかった。ただただ、気持ちだけが焦っていた。
 アクティバ琵琶に到着したのは、7時半頃になっていた。急ぎ足で新館の楽裕館に向かった。玄関ドアは鍵も掛かっていなかった。一考は雅子の部屋のある4階に向かい、介護士の事務室で待機してくれていた介護士の西村さんに会った。そして、さし当たってアクシデントの発生の事情などを確認した。(以下、明日に続く)

948 パルコルム

 パルコはイタリア語で公園、広場という意味だが、パルコルムとは、韓国語で足音という意味のようだ。足音には、幸せをもたらす足音とそうでない足音がある。北朝鮮の一般国民に幸せは来るのだろうか。

1.独り言コラム
 今、北朝鮮で金正雲を称えたという楽曲「足音」(ラルコルム)が流行しているらしい。その歌詞は次のような内容だ。
 タッタッタッタ 足音 我ら金大将の足音 2月の精神を奮い起こし 前進するぞ タッタッタ 力強い足音全国の山河が迎える タッタッタ
 かくして、金日正の後継者と見られる金正雲は、着々とその足場を固めているようだ。衰弱した親父の顔が報道されているが、引継ぎは何とか間に合ったようだ。
 そんな北朝鮮に対し、米国のキャンベル国務次官補が、厳しい対応を続けると言明する一方で、後戻りできない核廃絶の方針を受け入れるなら、それ相応の用意があると和解を求めて行くという。この道はいつか来た道で、またも同じ轍を踏むことになるのではと筆者は懸念している。相手は、そんな玉じゃない。
 さて、足音といえば、いよいよ今日国会は解散される。選挙の投開票が8月30日。民主党政権、鳩山由紀夫政権の足音が大きくなってきている。吉田茂から鳩山一郎へのトンタッチが行なわれたのが1954年だった。歴史は繰り返すという格言どおり、二人の孫達によって、55年後に繰り返されることになる。
 
2.プライベートコーナー
 4時起床。体重、61.3Kg、ますます増えて来ていて対策が必要なようだ。外は雨はふっていないが、相変わらず雲が低い。
 昨日の雅子は、熱もあまり出ず、痰の出方も少なく、前日よりは落ち着いていたように思う。先生に聞くと、良くなっているというよりも、偶々だということでがっかり。
 千葉にいる長男の太郎が昼過ぎに見舞いに来てくれた。次男の時と同じように、やはり、雅子は少し目を明けてじっと見つめていた。親子のテレパシーなのか?
 さあ、今日、いよいよ、ルビコン川を渡る。一週間延期されていた胆嚢切除、及びその関連の手術が 今日行なわれる予定だ。不測の事態が起きないことを切に祈りながら、緊張した時間を過ごすことになる。この種の待機を経験するのは、筆者の人生で初めてのことで、今から緊張している。

3.蓮載、難病との闘い(913) 第三部 戦いはまだまだ続く(207)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(2)
 1.緊急入院(1)
  (1)平成21年6月19日。(その1)
 いつものように、ブログの配信を終えて、いつものように、仏さんにご飯を供えて、いつものように、ほっと一息ついて、2階の自分の部屋に戻った直後だった。けたたましくではなく、ビリビリという小さな音で、机上の電話が鳴ったのである。
 前夜、雅子の長姉の霧子さんに雅子の症状の報告しておこうと思って2回電話をしたのだが、不在のようで通じなかった。従って、若しかしたら、その霧子さんからのものだろうと思って、一考は、軽い気持ちで受話器を取り上げた。しかし、その電話が、施設のアクティバ琵琶からのものだと分かって、一考は、それまでゆったりと構えていた身体を立て直して受話器を握り直していた。
 電話をくれたのは、アクティバ琵琶のその日の夜勤担当だった西村さんだった。きびきびした頼りがいのある介護士さんで、この楽裕館(仮名)の4階のフロアーリーダーである。こんな朝早い時間での電話だったので、一考は、何か異常があったにではと察知して、緊張した気持ちで彼女の伝える内容に耳を傾けた。
 それは、一考には、まさしく不意打ち的な内容だった。一考は、思わず身を固くした。胸の鼓動が、一瞬にして一段と高まった。彼女が伝えてくれた内容は、一考が、咄嗟に心配した以上の想定外の厳しい内容だった。「喉に痰が詰まって、息苦しい症状になったので、救急車を呼んでいて、病院に搬送することになった」という驚きのものであった。
 とにかく、彼女の言った「緊急搬送」という言葉に、一考はびっくりを越えた緊迫感を覚えていた。搬入先は琵琶湖大橋病院だという。
 彼女の説明では、通常90以上であるべき酸素指数が70程度と低かったという。その数字そのものの意味は良くは分からなかったが、大変危険な状態だろうと一考は察知していた。
 ともかくも、思ってもいなかった雅子の症状の急変だった。一考は直ぐにそちらに向かうと答えて電話を切った。時刻は7時を少し過ぎていたように思う。(以下、明日に続く)

947 低体温症

 大雪山での遭難から生還した人の話で「仲間が次々と凍死でなくなってゆく様」を聞いて、その生々しさに筆者は思わず戦慄を覚えた。

1.独り言コラム
 大雪山系での10人もの犠牲者を出した今回の夏山事故は、その詳細が明らかになるに連れて、生と死の別れの微妙さに胸が痛むが、やはり夏山への軽い気持ちが災いとなったことは確かなようだ。それでも、途中で何人かが「止めたら」と言った人がいたというから、何人かいたリーダーの判断には、もっと慎重な対応が必要だったと思われる。
 Wikipediaによると、低体温症とは、「恒温動物が、寒冷状態に置かれたときに生じる様々な症状の総称。また、低体温症による死を凍死と呼ぶ」と記載されている。極めて単純にして恐ろしい症状だ。少し多い目の衣服を持っていた方が命を守れたという。犠牲になられた方々にはお気の毒だったとしか申し上げられない。ご冥福をお祈りします。
 さあ、衆議院はいよいよ明日解散される。そして政権選択の総選挙が行なわれることになるが、選挙と云う単純な行為だが、それによって、半ば、低体温症にある日本を甦らせるかどうかの大きな鍵を握っていることは確かである。今度の選挙は、そういう意味では、選挙民が問われる選挙だといえよう。
 無念な予選落ちで昨日帰国した石川遼君が、頑張って記者のインタビューを受けていた。予選の二日目のハーフまで、あれほど順調にプレイしていたのだが、最後のハーフで、リンクス特有の風と雨の厳しさに襲われて低体温症になってしまったように見える。まあ、まだ若いのだから、この経験を次に繋げて欲しい。
 一般的に「期待、挫折、反省、そして復活、再起」というサイクルは、どんな世界にも共通のものだ。その途中での思わぬ低体温症に気をつけて、弛まぬ努力を続ければ、リベンジのチャンスが巡ってくるはずだ。

2.プライベートコーナー
 5時起床。体重、60.7Kg。昨日の夕方からの激しい雨は上がっているが、どんよりとした曇り空。
 昨日の雅子は、前日並みで、やはり、痰と微熱に悩まされていた。今日は長男の太郎が見舞いに来る。そして、明日がいよいよ関が原の戦いである手術が予定されている。

3.蓮載、難病との闘い(912) 第三部 戦いはまだまだ続く(206)
  第六章 アウエーでの厳しい闘い(1)

 平成21年6月19日の朝早くのことだった。施設から架かってきた一本の電話が、その時点では一考の念頭になかった雅子の急変を告げたのである。かくして、雅子の難病との戦いは、否応なく、新たな局面を迎えることになった。
 難病との雅子の戦いが始まったのは、義父の百日忌を済ませた2001年2月初めのことだった。左手の人差し指に力が入らないという違和感が、その始まりを告げたのだったが、それから実に9年半後に、またしても、辛い厳しい暗転を迎えることになったのである。
 難病のパーキンソン病だという最初の告知は、近くの日赤病院での診断によるもので、それは、指の異常を自覚してほぼ1年半後の2002年の10月のことだった。当初は、肩こりではないかといったような紆余曲折もあったことから、雅子は、専門書でこの道の著名な専門医が京都の吉田病院(仮名)にいることを知り、そこに移って再検査を受けることにした。2003年10月のことだった。しかし結果は変わらず、やはりパーキンソン関連病であることが再告知されたのである。最初の告知から2年後の2004年の10月のことだった。
 この病気は進行性の病気の代表と言われているが、それらしき症状が出始めたのは、吉田病院からの再告知の半年ぐらい前からで、それ以降の症状の悪化は、徐々に勢いを増しながら雅子に襲い掛かって来たのだった。
 その悪化の様子はいろんな形で捉えられるが、とりあえず、ここでは通院のスタイルから、今一度見てみよう。
 一考が、雅子の車のハンドル捌きに危険を察知したのが2004年の暮れで、直ちに単身生活をしていた一考が、東京から撤退を決めて急遽帰郷したのだったが、その時点では、雅子はまだ自ら歩いて通院していた。
 しかし、その後の症状の悪化は徐々に進み、一考の付き添いが必要になったのが2005年半ば、歩行が困難になり、止むを得ず、一考の運転で車で通院を始めたのが2006年8月だった。そして、その後も悪化は止むことなく、どんどんと進み、遂に2007年12月には、介護つきの有料老人ホームのアクティバ琵琶に入居するに至ったのである。
 この施設での生活が、言ってみれば、雅子の終の棲家になるだろうと一考は思っていたのだが、この度の緊急のアクシデントの発生で、思ってもいなかった入院生活に突入することになった。それは、言わば、セミアウエー状態とも言える「施設」での生活から、「入院」という完全なアウエーでの闘いに引っ張り出されたということが出来よう。
 緊急搬送された病院でのさし当たっての診断では、肺炎だということで、長くて一週間程度の入院だと担当医師は教えてくれたのだったが、その後、更に厄介な病気が発覚するに至り、雅子のアウエーでの戦いは、長期化が懸念されている。まさに、事実は小説よりも奇なりであり、その行き着く処は、まだ誰も知らない。
 今日からは、緊急入院からの経緯をドギュメンタリー的に追うことになるが、今までの連載では、かなりの予定原稿という隠し在庫を持って対応して来ていた。しかし、雅子の入院以降は、今まで以上の多忙が続いていて、予備原稿なしの在庫ゼロの状態であり、ぶっつけ本番で書き続けることになる。とにかく、切らさずに毎日連載できるように頑張って参ります。ご期待いただければ幸いです。(以下、明日に続く)

946 関が原の戦い

 戦いのない人生はない。誰でも、それなりの関が原を戦って生きている。大事なのは、負けた場合の身の処し方だろう。

1.独り言コラム
 今朝のTBSの時事放談で、御大、中曽根康弘氏は、今度の衆院選は天下分け目の戦いの「関が原の戦い」だと発言していた。つまり、どちらが天下を取るかの戦いで、国民から見れば、文字通り、政権選択選挙である。
 しかしながら、今や、日本列島には、政権交代の風が強く吹いていて、それを止める手段は見当たらない。そういう意味では、自民党にとっては、この戦いは、もはやギャンブルに過ぎず、関が原の戦いと云うのは的を得ていないと思う。自民党としては、如何に負けを少なくするかに四苦八苦していると言えよう。まあ、潔く下野して、暫くは民主党の政権運営を見守るのがいいのではないかと思う。
 今朝の毎日新聞には、例えば、高速道路料金に関しては、民主は「ずっとタダ」に対し、自民は「時限的1000円」という主張で対決している。経済振興か財源確保かといった対照的な看板で、国民には分かり易い選択となる。他の課題についても、そのような分かり易い表現で纏めてもらえれば、国民は選択しやすいだろう。
 ところで、天下分け目といった大きな戦いではないが、スポーツ界もいろいろと興味深い戦いが行なわれていて、ファンをやきもきさせている。伝統の巨人、阪神戦も、色あせてはいるが、若返ったメンバーの巨人の強さが光っている。その一方で、矢野顕弘捕手の復活にわき、未だに金本知憲、下柳剛らの40才のベテランに頼らざるを得ない阪神には、明るい明日の展望はし難い。
 大相撲では、久し振りに琴欧州が頑張っていて新鮮さがあるが、綱取を狙った日馬富士が前半で2敗を喫して、どうやらそれが難しくなったようで、天下取りにはまだ時間がかかりそうだ。
 夏の風物詩である高校野球も天下取りを目指して、全国各地で予選がたけなわだ。車の事故に遭った気の毒な大分県の柳ヶ浦高校は、昨日の2回戦で惜しくも敗退した。今年の天下取りは、果たして何処の高校が果たすのだろうか、今から楽しみである。
 さて、私事ながら、この連休明けに予定されている妻、雅子の手術だが、筆者には、小さな関が原の戦いに匹敵する重みを持っていて、今から緊張して、その時を待っている。

2.プライベートコーナー
 4時40分起床。体重、60.7Kg。外は雨が上がっているが曇り空。
 昨日の雅子は、午前中から午後の2時頃までは、痰が出て苦しんでいたが、次男の二郎が、急遽、見舞いに来てくれた3時半以降は、比較的安定した症状だった。驚いたのは、二郎が顔を出した途端に、目をしっかりと開けて、じっと見つめていたのである。声は出せないが、そこにはほっとした表情が窺われた。ほぼ1年ぶりの顔合わせと云うこともあって、雅子の期待も大きかったのかもしれない。この対面を見ていて、ここ数日心配していた雅子の頭の働きが、正常に保たれていることを確信した。
 仕事の関係で、二郎は夕方には京都を発ったが、それでも、この間、3回に渡って二人の顔合わせが実現した。また、この機会を捉えて筆者との親子の久し振りの一席も実現し、気になっていたことを語り合った。

3.蓮載、難病との闘い(911) 第三部 戦いはまだまだ続く(205)
  第五章 季節は巡る(76)

  2.初夏から梅雨へ(34)
  (3)不安な空模様(その16)
 この頃、一考が気にしていたのは、雅子の体重の異常な減少だった。4月からの3ヶ月に5キログラムという大きな減少で心配したのである。それは体重の15%近くの急減である。その対応策として行ったのが、栄養剤の補給だった。医師や看護婦さんのアドバイスで、4月から始めていた。同時に食事も、同じく4月からミキサーで液状にして食べさせるように変えていた。なるべく口から飲み込み易い方法を選択して、雅子の介護に当たってもらっていたのである。
 また、前日の6月16日からは、栄養剤は、それまでの粉末タイプから液状タイプのものに切り替えてもらった。これも、少しでも口に入れやすいだろうという判断に基づいての変更だった。
 口が開き難い雅子に、少しでもいい対処法がないかと頭を悩ましていたところ、面白い器具が見つかった。ポリ瓶にストローのついた器具である。依然として、ストローをくわえさせる作業の難しさは変わらないが、一旦、くわえさせさえすれば、中味の流動物を口に送り込むのに便利な器具だった。藁も掴む気持ちだった一考は、早速それを二つ注文した。それは、文字通りの「食べラック」という商品名だった。取り寄せてもらっての入荷になるので数日掛かるという。
 その「食べラック」の紹介の写真を見ていて思いついたのがジューサーだった。この器具を使えば、ジュースなども飲ませ易くなる訳で、栄養の補給という意味では、果物や生野菜のジュースを飲ませてあげられるだろうと思ったのである。短絡的な発想だったが、とにかく、ジューサーを買おうということで、その日の帰りに、電気の量販店に寄って、深く考えることもなく、店に展示されていたものを購入した。6月17日の夕方のことだった。少しでも雅子のためにとの思いでの対応だった。
 しかし、人生は、実に皮肉に出来ていた。二日後には、雅子に思わぬ展開が待っていて、これらの細かい対応も虚しく空振りに終ることになる。ここでも、将棋で言う「銀が泣いている」的な役立たない対応を繰り返してしまうことになる。
 一考は、文字通り「一寸先は闇、事実は小説よりも奇なり」を実感することになる。(本章は今日で終わり、明日からは、「第六章、アウエーでの厳しい闘い」を連載します。)

945 風

 爽やかな風、清々しい風は大歓迎だが、時には、台風のように厄介で怖い存在に変身することがあるから侮ってはいけない。風をうまく扱ったものが勝利者になることもある。、

1.独り言コラム
 昨夜筆者が寝る前の時点では、全英オープンでの石川遼はハーフを終えてー1の好成績で予選通過は間違いないと信じて眠ってしまった。しかし、ふと気がついて目を覚まし、中継番組で状況を確認すると、16番を終っていて、ウッズと同じ+6と大きく後退していた。僅か7ホールでの信じられない大きな乱れだった。どうやら、リンクス特有の強い風が出て、スコアーの乱れに繋がったようだった。その後17番で、この日初めてのバーディを奪って、一旦+5としたが、最終の18番で、またもボギーで+6でのホールアウトで予選落ちは確実となった。一方のタイガーウッズは+5でホールアウトし、予選突破は後続の選手達の結果待ちだという。
 昨日のこのコラムで、第一日は予期以上の好成績だったが、何が起こるは分からないから、最後まで慎重にやって欲しいと書いたのだが、その心配が現実のものとなった。難敵、風にやられて夢は脆くも散ったのは残念である。
 風だけでなく、自然の仕業は恐ろしい。一昨日の北海道の大雪山系で、10人もの犠牲者が出た。無理な日程で中高年者の被害が広がったようだが、ここでも自然の怖さを軽視したためだと思われる。毎度繰り返される夏山での遭難だが、これだけ多くの犠牲者を生んだのは久し振りだ。お気の毒としか言えない。ご冥福をお祈りしたい。
 風ではなく風邪についても、今年は新型インフルエンザが話題になったが、今はちょうど流行の端境期で、この秋からのぶり返しが懸念されている。毒性が強くなっていることも考えられるので、慎重な対応が必要だ。
 アースマラソンで頑張っている間寛平さん達は、目下大西洋上だ。ここでは適度な風が頼りであり、その恩恵に与かることになる。太平洋横断では強風で苦戦したのだが、ここでは良い風が吹いて欲しいと願っているはずだ。
 一方、風を読めなくて困っている人たちも多くいる。官邸辺りは、その最たるところのようだ。今や、日本列島には政権交代の強い風が吹きまくっていて、与党は手がつけられない状態だ。
 とにかく、風や雨、寒さなどの自然の怖さは今更言うもでもないが、侮ると痛いしっぺ返しに合わされるから要注意である。

2.プライベートコーナー
 3時半起床。体重、61,0Kg。この重さは2004年暮れに東京から帰郷して最高記録である。水太りしているようで心配。外は曇り空。
 昨日の雅子の様子だが、相変わらず冴えない。微熱があり、痰のつまりも依然として減っていない。午前中には造影剤を使った検査が行なわ、現状の確認が行なわれた。また胃に入れているチューブの交換も行なわれた。
 さて、21日に予定されている胆嚢切除の手術について、実兄、実姉と意見交換し、リスクを承知の上で実施してもらう結論を出して医者に伝えた。パーキンソン病、肺炎、それに胆炎が絡んだ手術で、全身麻酔を前提とした大変厄介な手術である。手術を見合わせるという選択もあるが、様子を見たからと言って有利な展開がある訳でなく、医者を信じて実施を決断した。息子達にも連絡。一考にとっては、今までの人生で、もっとも大変な勇気を必要とした決断である。

3.蓮載、難病との闘い(910) 第三部 戦いはまだまだ続く(204)
  第五章 季節は巡る(75)

  2.初夏から梅雨へ(33)
  (3)不安な空模様(その15)
 その翌日だった。朝方、一考が施設を訪れた際に、まだ飲み切れずに残っていたお薬を介護士さんに代わって飲ませてあげようとしたのだが、なかなかうまくいかなかった。やり方は、錠剤、あるいは粉末状のお薬をトロミ剤で粘調にした流体に絡ませて口に運ぶのである。しかし、雅子が口をうまく開けてくれない。ぐっと歯を噛み締めた状態のままで、その粘調の流体が口に入らないのである。
 改めて。介護士さん達に聞くと、それでも、苦労して口を手で開けるように隙間を作って、何とか頑張ってくれているのだという。とりあえず、自分ではこれ以上うまくできないので、改めて、介護士さんにお願いすることにした。
 しかし、このような対応では、限界がやってくるだろう。やがて、口に入れる作業が無理になることが懸念された。段々と弱って来ている体力、更には、口が開け難くて、食事もお薬も身体に入れるのが難しくなる。そうすれば体重は減少するだろうし、パーキンソン病の特徴である震えは増すだろうし、体力の衰えと共に症状悪化のスパイラルとなってしまう。改めて、事の重大性を鑑みて、一考はかかりつけの医者に電話でアドバイスを求めた。幸い、この日は木曜日で、春日先生の診察日だった。
 病院に電話すると、診察中で少し待たされたが、先生の声が入って来て、一考はほっとし受話器を握りないした、そして、かいつまんでその心配している実態を話し、今後、どうすればいいかとのアドバイスを求めた。
 先生の方針は明解だった。栄養、水分とお薬の供給はしっかりやらねばならない。そのためには、点滴、更には直接チューブを胃に差し込んで対応する方法などがあるという。先ずは、施設の附属のクリニックと相談して、適切な病院を紹介してもらい、そこで必要な対応をして貰うこと。その場合には、自分からも、必要な情報提供を行なうという話だった。大筋は、以前にも聞いていた話であり、一考はお礼を言って電話を切った。
 一考は直ちに、居合わせた介護士さんに、先鋭との話の主旨を伝え、更には、看護士課長である国宗さんに報告し、今後の方針について話し合った。事前に共通の考え方を整理しておきたかったからである。しかし、当面は、もう少し様子をみることにしたのだった。(以下、明日に続く)

944 そのまんま

 そのまんまといえば、素直で親しみやすさのイメージを与えるが、本心が見えると、がっかりすることになってしまうことがある。

1.独り言コラム
 今朝の毎日新聞の社会面のトップ記事は「そのまんま宮崎に」である。結局、東国原知事は次の衆院選には出馬しないと記者会見して県民にお詫びした。しかし、今回の古賀誠選対委員長からの誘いに乗って同氏がとった言動は、明らかに、宮崎県民を馬鹿にした話で、今までの高人気に水をさした。
 いずれにしても、同氏の今回の一連の動きを見ていて、同氏には明らかに国政に変わりたいという本心が見え見えであり、それまでの人気を過信した県民への裏切り行為であったと思う。
 知事に当選以降、宮崎県をPRする広報活動が目立って人気を得ていたが、本当の知事の仕事をどの程度までやっていたのか、ここに来て、その評価にチェックが入ることになるかもしれない。地方分権という動きを加速したとはいえ、ここに来て、「そのまんま東」の地金が出てきたことは確かである。県民は、それをどう見るのだろうか。
 署名名簿から辞退者が相次ぎ、そのまんまの署名名簿の受領はできないということで、自民党の両院総会は見送りになるようだ。とりあえず、名簿の見直しで折衝が行なわれるようだが、執行部としては、無難な単なる「会合」で片付けたいとしている。
 一方、夢の大舞台で、そのまんま実力の片鱗を見せたのが、タイガーウッズと一緒にラウンドした石川遼選手の全英オープン第一日のプレーだった。とにかく、難しいコースで大きなトラブルもなく、アンダーパーで回ったのはさすがだ。今日の二日目も無難に回って予選突破をいてもらいたい。予期せぬ落とし穴が待っているかもしれないので、気を抜かずに、今日も、そのまんまの実力を発揮してもらいたい。
 中国の上半期のGDPが大きくV字回復したようで、8%成長に期待が高まっている。今の世界経済は、中国の動きがそのまんま大きな牽引力になる力を持っているだけに、今後の動向が注目される。そのまんま推移すれば、日本のGNPを追い抜いて世界第二位の経済大国になる。そういう意味では、日本もそのまんまじっとしている訳にはいかないが、打つべき手は見つかっていない。
 大相撲名古屋場所で、今場所も優勝して横綱奪取を期していた日馬富士が早くも2敗目を喫した。そのまんまでは、今場所の綱取は絶望である。

2.プライベートコーナー
 今朝は3時に目覚め、全英オープンの放送を見た。起床は4時。体重、60,9Kg(前夜のOB会で飲みすぎ?)外は雨は上がっているが、道はしっかりと濡れている。
 昨夜は雄琴で会社のOBの懇親会があって、それに顔を出し、久し振りに昔の仲間達と楽しんだ。
 さて、昨日の雅子だが、全体的には、小康状態だったと言える。自分から目を開けて見てくれていたし、気になっていた痰の頻度も少なくなったようだ。来週に予定されている手術のための雅子の体力アップに繋がればと思う。
 今日、その手術の扱いについて、雅子の兄姉と相談する。つまり、予定通り手術を行なうか、延期するか、取りやめるかの、さし当たっての決断をするつもり。

3.蓮載、難病との闘い(909) 第三部 戦いはまだまだ続く(203)
  第五章 季節は巡る(74)

 2.初夏から梅雨へ(32)
  (3)不安な空模様(その14)
 この日の午後の雅子の様子が何となく冴えない。この日から、栄養剤をそれまでの粉末状のタイプから、飲みやすい液状のタイプに替えたのだが、それが直ぐには身体に馴染まなくて、そんな冴えない状態になっているのではと一考は考えるのだった。
 そういえば、栄養剤を最初に服用した日も、良く似た異変があって、それまでにない苦しそうな様子を見せていたことを思い出していた。しかし、その翌日には、何事もなかったように、雅子の症状は元に戻っていた。多分、栄養剤が身体に馴染んできたからだろうと解釈していた。今回の場合も、そういうことも考えられることからもう少し様子をみることにし、一旦自宅に戻った。
 その時点で、気になっていた将棋名人戦のその後の展開だが、少しもつれ始めていた。それまでに圧倒的な差があって駄目だろうと思われていた郷田九段が粘って、その差が少しずつ詰まって来ていたのである。この展開ならば、場合によっては新名人誕生もあるのではと、一考の頭の中では、勝手な期待が高まってきていた。しかし、雅子の様子が気になっていたので、将棋が夕食休憩に入った時点で、雅子の様子を確認するために、再び施設に急行した。
 施設に着くと、雅子は夕食を済ませてベッドに横にしてもらっていた。介護士さんの話では、食事も半分ぐらいは食べたという。それを聞いて少し安心して、一考は直ぐに自宅に引き返した。
 急いで帰宅してみると、将棋は終盤のねじりあいになっていて、全く予断を許さない混戦状況になっていた。今対局は、京都駅近くの東本願寺の渉成園で行なわれていたが、折からの雷鳴轟く荒れ模様の天候で、恰も局面の厳しさを反映したような凄さだった。一考は胸をどきどきさせながら、その中継を息詰まる思いで見守っていた。郷田九段の懸命の頑張りはその後も続いたが、残念ながら、結局は一歩及ばず、最後は羽生名人の綺麗な即詰めがあって郷田九段の無念の投了となった。
 かくして、この七番勝負のシリーズはフルセットに持ち込まれることになったのである。郷田ファンの一考は、がっくりと気落ちはしたものの、悪かった将棋をこれだけ接戦に持ち込んだ勢いで、最終局には夢を果たして欲しいと思うのだった。この時点では、雅子への心配は頭の中の隅に追いやられていた。(以下、明日に続く)

943 粋な計らい

 石原裕次郎さんの歌に、「粋な別れ」というヒット曲があるが、「粋」と云う言葉には、ちょっとした知的な爽やかさを感じさせる。今日は、粋な計らいについて、幾つかの話題を拾ってみた。その響きから、心温まる感動などを覚えるが、その計らいには、素敵な発想と思い切った決断を必要とするだろう。

1.独り言コラム
 日本時間の今日の夕方から始まる全英オープンゴルフで、期待の石川遼選手が世界のタイガーウッズ選手と同じ組でラウンドする。日本人のゴルフファンには、堪らない画期的な組み合わせだと感動を覚えている人も多かろう。今から、石川選手のプレイに期待と不安が絡み合って、胸が高鳴っている。
 当の石川遼選手は、幼い頃からの夢がこんなにも早く叶ったことで、この上ない喜びを噛み締めていることだろう。そんな粋な計らいを演出した関係者の決断は素晴らしいと申し上げたい。折角のこのチャンスで、石川選手は、悪くても予選突破を果たして欲しいものだ。
 昨日のアメリカのMLBのオールスターゲームで、イチロー選手がオバマ大統領から、サイン入りのボールを受け取った。試合前には選手からの大統領へのサイン要求は禁止されていたのだが、偶然が重なってそんなチャンスが生まれたようだ。それに応じたオバマ大統領の粋な計らいは素晴らしい。イチロー選手も「君のファンなんだ」といわれて感無量だったという。
 高校野球大分県予選で、車の事故に遭った柳ヶ浦高校の対戦スケジュールの調整も粋な計らいの一つだったと言える。気の毒な仲間の突然の死という悪夢だったが、その粋な計らいを受けて、昨日一回戦では、コールとゲームで大勝して2回戦に駒を進めた。更なる活躍を期待しよう。
 私事だが、1966年に、初めてアメリカに出張した際に、シカゴからロスアンジェルスに向かったフライトで、ロス空港が霧で混乱して数時間到着が遅れることになったのだが、パイロットの粋な計らいで、グランドキャニオンの上空を旋回しながら時間調整してくれたのは今でも記憶に生々しい。お陰で、あの世界遺産をじっくりと堪能出来た。
 しかし、その一方で、同様な粋な計らいが仇になった事例もある。同じ1966年3月5日の午後、東京発・ロンドン行きBOAC航空のボーイング707型機が富士山南ろくの太郎坊付近に墜落。乗客、乗員124人全員が死亡した。粋な計らいのサービスが仇になった悲劇の事例である。

2.プライベートコーナー
 3時半起床。体重、60.4Kg。朝風呂を浴びる。天気は良さそうだ。今夕は雄琴でOB会があるので参加の予定。
 昨日の雅子の症状は、朝に訪問した際には、久し振りに目を開けていたので、少し良くなったのではとほっとしていたのだが、午後になって担当医から肺炎に関して厄介な事実が判明したとの告知があり、同時に、胆嚢切除の手術での懸念の説明があった。それは、全身麻酔を必要とする手術になるが、今の雅子の痰が多発している症状下では、それに伴うリスクがゼロではないというのだ。手術は21日に予定しているが、予定通り行なうか、延期するか、はたまた中止するかを決断する必要がある。実兄、実姉などと相談するが、今まで感じていなかった緊迫感が急に噴出した感じだ。いずれにしても、この決断は、生易しいものではなく、心を痛める大変なもので、自分の生涯で最大のものだと受け取っている。
 とにかく、パーキンソン病、肺炎、それに胆石という三つの厳しい敵との戦いになっていて、代わってやりたい気持ちだが、どうしようもない。

3.蓮載、難病との闘い(908) 第三部 戦いはまだまだ続く(202)
  第五章 季節は巡る(73)

 2.初夏から梅雨へ(31)
  (3)不安な空模様(その13)
 この日の午後、朝に服用した2錠の便秘薬の効果と雅子の懸命の頑張りで、幸いにも、何とか通じを成功させることが出来た。これで、一考の心配も解消したことで、3時頃にはジュースやヨーグルトを食べさせる介護を早めに済ませると、いつもよりも早めに施設を後にした。母親への夕食準備、長男、太郎へのファックスなどやることも多く、それに将棋の展開が気になっていると素直に雅子に説明し、早めに帰宅した。雅子も、一考の要求に理解をみせてくれたのは有り難かった。
 かくして、ばたばたした大車輪の一日となったが、何とか懸案の事項を片付け、将棋の展開を見守った。しかし、第一日目を終った段階での専門家の見解は、どうやら、羽生名人が指し易い局面で、ちょっとした差が着いているのではという。少しがっかりしながらも、郷田には何か秘策があるはずだと思い込むのだった。
 翌日の6月16日、朝9時、京都、東本願寺で行われている将棋名人戦二日目の対局が再開された。テレビとネットでその中継を見ながら、その後の展開を見守っていたが、午前中の戦いでは、郷田挑戦者の指し手は芳しくなく、ますます二人の差が広がっていくようで、この時点で、控え室では7-3ぐらいで羽生名人が良いのではと見ていた。
 そうなると、一考も今日は駄目だろうと半ば諦めざるを得ず、少し早めに雅子の介護に施設に向かった。昼食を済ませた雅子は椅子に座っていた。このところ、ベッドに横になっている方が少し多くなっていることから、今日は少しは体調もいいのではと一考は受け取った。
 しかし、いつものように挨拶して声を掛けたのだが、いつも見せる反応、応答が見られない。心配になって、いろいろと様子を探るのだが、声を出さず、顔の表情にも変化が乏しい。どうしたのかと思って、ジュースやヨーグルトを与えてみるが、ほとんど口にしない。どこかが痛いといったような感じではない。どうやら、返答するにも、表情を作るのにも、力が入らないようなな感じである。何とも言えない不安と心配が、一考の頭の中で、不気味さ拡大してゆくのだった。(以下、明日に続く)

942 意外な展開?

 何事もスムーズに事が進むのがベストだが、世の中はそうは問屋が卸さない。意外な展開が待っていることが多い。

1.独り言コラム
 総選挙が8月30日と決まったことで、永田町のドラマは、いよいよクライマックスに入って来ている。昨日の国会では、内閣不信任決議案、問責決議案が相次いで採決され、不信任案は否決、問責決議案は可決された。しかし、小泉郵政解国会で見られたような自民党内からの造反はなかった。さすがに、前回のように、造反した場合の対抗馬擁立などの厳しい見せしめが大きな歯止めになったようだ。
 しかし、その一方で、古賀誠選挙対策委員長が辞意を表明した。都議選での敗北が理由だとしているが、東国原知事に立候補を要請した批判を受けてのものと受け止めらている。この東国原知事の立候補擁立は、如何にも自民党の品性を劣化させた動きであたっと筆者も受け止めている。人気だけで持ち上げるのは本質からのずれが大き過ぎるのだ。
 また、中川秀直、武部勤元幹事長らの反麻生グループは、強く人心一新を訴えていて、麻生降ろしは依然としては消えていない。最近の推理小説では、最後の最後で、二転、三転するのが常識化している。この自民党の政治ドラマでも、その種の意外な展開の可能性に興味は残されている。
 意外な展開と云う意味では、今日のスポーツ紙が取り上げている石田純一(55歳)さんと東尾理子さん(33歳)の結婚を前提としたお付き合いのニュースだ。年齢差22歳、理子さんのお父さんの東尾修さんは59歳ということだから、親父さんと花嫁の婿と年齢差は4歳で微妙だ。理子さんにしてみれば、米国ツアーで振るわないままで日本に戻って来たのだが、ここで思わぬホールインワン?を果たしたということなのだろうか。意外なドラマの展開の一つで、石田純一さんの変わり身の早さにもびっくりである。
 今日、アメリカではのプロ野球のオールスターゲームが行なわれる。9年連続出場を果たしたイチローだが、意外な展開を演出する素晴らしいプレーを見せてくれるのを、ファンは大いに期待しているだろう。
 さて、寛平さんのアースマラソンだが、日本時間の今朝の0時過ぎにニューヨークのノースコープから大西洋に向かっヨットでスタートした。10月2日のコペンハーゲンでのオリンピック開催都市が決まる日までに到着を果たし、東京誘致のPRに貢献できるのかどうかが、次なる大きな目標だ。このマラソンに関しては、意外な展開でなく、無難にフランスのルアーブルに到着して欲しいと願っている。

2.プライベートコーナー
 4時10分起床。体重60.2Kg。天気は良さそう。昨夜、寝ていて両脚が吊るというアクシデントに見舞われ、その痛さで苦しんだ。冷房で部屋を少し冷やし過ぎたのかもしれない。いずれにしても、体力が落ちてきている証だと思う。
 昨日の雅子だが、症状は前日とあまり変わらない。先生からは痰が切れない原因としては、気管支への誤飲が続いているのではとの見解もあって、場合によっては、気管支切開の必要性もあるかも知れないという。泣き面に蜂でありの心境である。大事に至らないことを願っている。

3.蓮載、難病との闘い(907) 第三部 戦いはまだまだ続く(201)
  第五章 季節は巡る(72)

 2.初夏から梅雨へ(30)
  (3)不安な空模様(その12)
 楽しみにしていた将棋の生中継をスキップする犠牲で、急いで病院に駆けつけた。出掛ける前の息子とのファックスの試行錯誤で、予定していた時間よりもかなり遅れて病院に到着したが、幸いにも、病院での待ち順番は3番手を確保できて、大きな遅れにならないのは幸いだった。
 いつもなら、もらったお薬を車の中でパッケージし、そのまま帰りにスーパー内にある宅急便のコーナーで送付手続きをするのだが、戻って来る途中で、そのスーパーにコピー機があることを思い出し、そこで拡大コピーが撮れることを思いついた。そこで、そのまま一旦自宅に戻り、保険証のコピーを持ってスーパーに行けば、一度のスーパー行きで仕事が片付くことをになるので、手順をそのように変更した。
 病院から戻って来たのは、思っていたよりも早く、将棋の対局開始からの1時間の中継が予定されていた衛星放送はまだ続いていた。ほっとした一考はさし当たっては、その成り行き見ていたのだが、贔屓の郷田九段が、序盤で思い切った勝負に動いたのである。相矢倉のじっくりした将棋になると思われていたのに、郷田九段が注文をつけ、専門用語でいう陽動振り飛車という作戦を採用したのだった。
 テレビの衛星中継は10時で一旦終ったので、インターネットでのフォローに切り替えたのだが、先にお薬を送付手続きと保険証のコピーをしておこうと思い、急いでスーパーに向かった。拡大コピーは簡単に撮れたので、太郎に電話すると、夕方に送付して欲しいという。取り敢えずは、太郎の要求に関しては一段落である。
 午後は、いつものように、雅子の見舞いに向かった。将棋の進行具合が気掛かりだが、まだこの段階では勝負が決まるほどの大きな動きはないだろうとの考え、雅子への介護に注力することにしていた。
 そういう意味では、この日で便秘が5日目になっていて、それが心配だった。昨日の帰りには、便秘薬をいつもの1錠より多い2錠を服用させてもらうように頼んでいた。何とか、今日中にはこの便秘に結着をつけてやりたかった。(以下、明日に続く)

941 電光石火

 通常は強者が瞬発的に放つ強手だが、弱者も捨て身で放てば、一矢報いることもないことはない。

1.独り言コラム
 土壇場に追い込まれた麻生太郎総理が電光石火の決断をした。来週の初めに解散し、8月30日投開票の日程を表明した。麻生降ろしから逃げ切るために、自公に折れての日程での決断だったようだ。
 さあ、このまますんなりこの日程で選挙に向かうことになるのだろうか、はたまた、何かまだ不測の事態が起きるのか、緊迫感が盛り上げる中で、依然として予断は許さない。いずれにしても、麻生総理には、もう開き直りしかないが、今の世論の流れからすれば、自民党が下野すること以外に道はなさそうだ。
 電光石火ではなかったが、重要法案だった臓器移植法案が昨日成立した。一年後に施行される。臓器提供を待つ患者さんには大きな一歩であることは確かである。今後は、脳死の判断が大きな決め手になるのだが、ドナーの家族の立場に立てば、複雑な心境に追い込まれることになるだろう。何人かの人を助けるために、少なくとも一人の犠牲者が必要になる訳で、その前提となる脳死判断には、理屈だけで割り切れない部分もあって、なかなか答えを出し難いのが普通である。しかし、その場になれば、ぐずぐずしておれず、電光石火的な速やかな決断は欠かせない。
 サントリーとキリンの経営統合が検討されていることが分かった。昨日の日経新聞のスクープで、その詳細が明らかになった。これで、世界一の飲料メーカーの誕生である。その株価の昨日の動きだが、キリンだけでなく、アサヒ、サッポロも電光石火の大幅な動きで、そのインパクトの大きさを反映していた。
 さて、明後日から始まる全英オープンゴルフで、石川遼とタイガーウッズが同じ組でまわるという。憧れの世界のトッププロと回れる石川遼選手は、幸せな星の元に生まれた男だといえよう。このラウンドで、少しでも実力の片鱗を見せるlことが出来れば、石川の名前は、文字通り、電光石火の勢いで地球を巡ることになる。とにかく、ファンの期待は大きい。

2.プライベートコーナー
 5時起床。体重、60.1Kg。空には薄い雲が掛かっている。
 昨日の雅子だが、気になっている痰がつまる頻度は相変わらずで、なかなか減少する気配は見えない。熱は平熱状態で、他のデータも数値的には安定していた。久し振りに、背中や脚を少しマッサージしてやったのだが、随分と痩せているのに改めて気づき、大丈夫だろうかと不安を覚えるのだった。
 午後の2回目の訪問時には、午前中に施設のアクティバに置いてあったカセットレコーダーを持ち帰って、それを雅子に聞かせてやった。前日の隣の患者さんのアドバイスに従ったのである。
 その結果、この病院に転院して以来見せてくれなかった顔の反応が復活したのである。少し手でサポートしてやると、目を開けてくれるし、また、しきりに何かを訴えてくれるのだ。何を言っているか分かってあげられないのが辛いのだが、表情にも以前の反応が戻って来ていた。このカセットは友人のNさんが自分がカラオケで歌ったテープと一緒に送ってくれたもので、それを改めて聞かせたのである。何か通じるものがあったのかもしれない。一考もほっとした一日だった。

3.蓮載、難病との闘い(906) 第三部 戦いはまだまだ続く(200)
  第五章 季節は巡る(71)

 2.初夏から梅雨へ(29)
  (3)不安な空模様(その11)
 結果的に見ると、緊急入院する4日前の6月15日は、一考には、思いの外の大車輪の多忙な一日になった。それというのも、この日が一考が楽しみにしていた将棋名人戦の名人位が変わるかもしれない大一番が始まる日で、一考もそれなりに緊張して迎えていたのだが、そこに長男からの思わぬ頼み事が投げ込まれて来たからである。
 それは、長男が今も通院している病院にお薬をもらいに行って欲しいというものだった。このお願いは、前週の半ばにあったので、OKと返事をしていたのだが、肝心の保険証が届いたのが土曜日の午後で、病院は月曜日までクローズである。仕方なく、この月曜日の朝の将棋の生中継を犠牲にして、お薬をもらいに行くことにしていた。
 ところが、その前日の日曜日の夕方に雅子の見舞いから戻ると、その太郎から留守番電話が入っていて、急に保険証が必要になったから明日中に着くように至急送り返して欲しいという。日曜日の夕方6時過ぎである。近くの宅急便の店に急いだが、もう受付は終っていた。
 太郎に「送る手段がない」と返事すると、それじゃ、そのコピーを送ってくれと云う。直ぐにファックスしようとしたが、なんと、太郎のところにはファックスがないという。何たることと思ったが、明朝に職場のファックスに送信してくれという。一考は、何か不測のことがあってはまずいと思い、その日うちに送信して置いた。
 翌朝、お薬をもらいに行くために早起きし、ブログを早めに終えて、出かけようとしたところ、太郎から電話があり、送信してあったファックスは届いてはいたが、縮小されていて小さ過ぎて見えないから、もう一度送り直して欲しいという。しかし、こちらの送信する電話機のセッティングを変えた覚えもないので、そちらの受信機の設定がまずいのではといったようなやり取りが始まり、送り直したりしているうちに、時間が刻々と過ぎて行く。とにかく、原因は分からず仕舞い。仕方なく、太郎はコピーを拡大して送信して欲しいと言い出したが、生憎、こちらのコピー機には拡大機能があるのだが、うまく作動しない。あれやこれやばたばたしたが、太郎は、仕方がないので、この小さなコピーで何とか了解してもらうということで送信作業は諦めた。
 そんなやり取りの後、急いで病院に向かったのである。ここの病院は、朝一番乗りをしないと患者が多くて大変な時間待たされることになるので、一考は、少々焦っていたのである。(以下、明日に続く)

940 どうにも止まらない

 山本リンダが歌った「どうにも止まらない」は、1972年に売れっ子作詞家、作曲家の阿久悠、戸倉俊一のコンビで作られて大ヒットしたが、もう35年以上も昔の懐かしいヒット曲なのだ。(今朝は、このブログのソフトの急なメンテで配信が遅れてしまいました)

1.独り言コラム
 注目されていた都議選の結果、自民・公明の与党は、遂に過半数割れという惨敗を喫した。事前に予測されていた結果で、筆者には驚きもそれほどではないが、いよいよその時が来たといった感じである。都議選で自民党が敗れたのは1965年に社会党に敗れて以来の44年ぶりだそうだ。投票率が、前回よりも10%も伸びた点で、都民の関心の高さが窺われる。もうどうにも止まらないである。
 この選挙結果を受けて、自民党内の麻生降ろしの動きは、今日から、どうにも止まらない活発なものになるだろう。辞職を迫って看板を替えての戦いに持ち込むか、或いは、麻生総理の決死の解散権の行使が実現するのか、その動きが注目される。
 さて、プロ野球では巨人軍が好調を維持して、昨日も宿敵阪神を接戦の末に破って、早くもクライマックスシリーズ進出にマジック55を点灯させた。多くの若手の台頭が目立つ今年の巨人軍は、底力のある強い巨人に育っている。この強さは、やはり「もうどうにも止まらない」だろう。
 海の向こうのMLBのイチロー選手の200安打への勢いも例年になく好調だ。開幕直後から8試合も欠場しなければならないピンチのスタートだったが、ここに来て、今朝、行なわれている試合でも、既に2安打を放っていて、残り74試合(この試合を除いて)で、あと72安打まで迫って来ている。もう目標をしっかりと射程圏内に捉えていて、ファンとしては、このまま止まらないで打ち続けて欲しいという気持ちである。今後の最大の敵は、思わぬ怪我、病気である。
 西武の4番バッターの中村剛也選手のホームランは快調で、昨日も打って、この17試合で10本というハイペースで30本に達した。王選手のあの55本ペースに相当するようで、どうにも止まらないようになれば最高だ。
 今朝終った全米女子オープンゴルフだが、二日目まで好調だった不動祐理だったが、昨日の三日目が強風の中でのプレイとなり、+9というとんでもない大叩きになってしまい、上位争いから一気に脱落、今朝もその不振の勢いは、どうにも止まらない状況で、更に+4という結果で終った。本人にとっては、悔しさの残る戦いだったに違いない。なお、アンチファンの宮里藍だが、不動とは逆に決勝ラウンドで頑張り、この日も-2に纏めて6位タイという好結果を残した。不動ファンの筆者には、どうにも、面白くないツアーになってしまった。
 大相撲では、この名古屋場所に綱取を賭ける日馬富士だが、昨日は、苦手の稀勢の里を破って初日を飾った。さあ、どうにも止まらない勢いで突っ走れるのか。興味深々である。

2.プライベートコーナー
 起床は4時40分。体重、60.4Kg。外は晴れ模様。梅雨明けも近いのだろうか。
 昨日の雅子の症状だが、落ち着いているように見えるが、それでも、痰が出る頻度は相変わらずで、熱も少しあったりして、相変わらず気がかりな一日だった。
朝と午後の2回に渡って見舞っているが、このところなかなか目を開けてくれず、顔の表情にも反応が見えないことから、午後になって、手でそっと瞼を開いてやると、目を空けてじっと見てくれる。こちらが動くと、目もついて来るのが分かって、少しほっとした。 
 また、両隣の方が親切でいろいろと気遣って下さる。カセットでも聞かせてあげたらとのアドバイスもあり、アクティナに置いてあるのを、今日にでも取りに行って持ち込むことにした。また、脚や身体を少しマッサージしてやるのも、効果がありそうなので、今後なるべく続けてやる。来週の手術に向けて体調の回復に向けて様子を見ることになる。

3.蓮載、難病との闘い(905) 第三部 戦いはまだまだ続く(199)
  第五章 季節は巡る(70)

 2.初夏から梅雨へ(28)
  (3)不安な空模様(その10)
 施設のアクティバ琵琶に入居以来、ずっと変わらずにお世話頂いている介護士さんが3人おられる。一人はユニットリーダーの松井さん、二人目がベテランの杉田さん、もうお一人が、若手の真面目な小柳さんである。このところ配置移動が頻繁に行なわれているだけに、ずっと同じ方に看て頂けるということで、この貴重な3人の介護士さんの存在は、雅子には大変有難い。何といっても、雅子が極端に面倒見が難しい存在だけに、事細かく雅子の症状に通じてもらっていることは心強いことである。
 そんな時に、小柳さんの姿を数日見かけない日が続いていた。一考は少し心配だった。若しかしたら他のユニットに替わられたのではと不安に繋がっていた。それというのも、彼女は若くて働き者であり、人気者だけに、他のユニットからの引き見逃せず、この1年半近くこのユニットにいてくれたので、もしかしたら、ローテーションによる移動の不安があったからだった。
 そうなれば、一考としては、非常に良くやって頂いてくれていた介護士さんで、雅子のことをよく知ってくれていている大切な介護士さんを一人を失うことになるので、言葉に表せない大きな痛手である。
心配だった一考は、「最近、小柳さんに姿が見えないようですが、どうかされたのでしょうか?」と聞いてみた。すると、その介護士さんは、担当者別配置予定表を確認しながら、「大丈夫ですよ、明日からまた昼間の勤務が予定されていますよ。何か、ご心配でも?」と確認された。
 「いや、彼女の姿をしばらく見かけなかったので、どこかに替わられたのかとちょっと心配になったのです」とそのままの一考の気持ちを伝えた。
 「小柳さんが、その言葉を聞いたら 喜ばれますよ。そこまで期待してもらっているのですから」介護士さんはそう言って笑ったので、ほっとした一考も何となく笑って誤魔化した。いずれにしても、一考の心配が杞憂に終ったことで、一考は心からほっととしたのだった。(以下、明日に続く)

939 許せない米長会長のワンマンぶり

 北朝鮮の金王朝の体制、中国共産党の一党独裁体制は、21世紀の気になるワンマン体制だが、カテゴリーとスケールこそ違うが、日本将棋連盟の米長会長体制にもそんな気になる影が付き纏う。

1.独り言コラム
 日本将棋連盟のホームページに、6月26日付けで、「女子棋士会分裂の経緯・公式見解」を発表している。その冒頭に、次のような説明がある。
 「女流棋士会の分裂については、誤解を招かないために正しい情報をきちんとお知らせする必要があります。当時からの女流棋士への聞き取りや資料に基づき事実調査をした結果を掲載させていただきます。」
 これを読んで、筆者は凄い違和感と怒りを覚えた。要するに、米長会長が女流棋士に「独立を勧めた」という大事な部分を、当時の幹事達の曲解によるものだと決め付けて、力づくで自分の立場を正当化しようという姿勢が見え見えである。
 この分裂については、前にも書いた(324、836、856をご参照)が、最終的には、この分裂を一人一人の棋士に踏絵をさせるような汚い遣り方で、分裂を強行した同氏のやり方には、憤懣やりきれないものを感じていたが、今度は、それを、こんな形で正当化しようとする対応であり、怒りを越えた許せない憤懣を感じている。
 さて、昨日、日経新聞社主催で行なわれた来期の王座戦予選で、4年目を迎えた恒例の女流棋士と男性棋士との4対局が行われ、女流の石橋王位が初めて男性棋士を破って、この棋戦で貴重な女流棋士の初勝利を記録した。それ以外の清水女流名人、矢内理絵子女王、里見香奈倉敷藤花の三人は善戦及ばずにいずれも敗退した。
 この石橋王位こそが、今のところは、分裂した女流棋士会所属であり、その存在を誇示していて、筆者も応援したい気持ちでいっぱいだ。
 将棋界そのものも、200人足らずで、それほど大きな組織ではない。ましてや女流の棋士の世界はモット小さい。それなのに分裂させてしまった米長会長の男気のなさに、米長邦夫という男の小ささを見てしまうのだ。一日も早く、一つの組織に戻すべきである。会長が旗を振らずに誰がやるのか。
 それなのに、こんな公式見解をわざわざ発表する会長のワンマン姿勢に強い反発を覚える。米長の現役時代のライバルだった中原誠永世名人が、つい先頃、病気で引退したのが惜しまれる。

2.プライベートコーナー
 3時50分起床。体重、60.2Kg。お天気はまあ、まあの感じ。
 吉田病院に移って4日目。雅子の様子は、痰の出る頻度が減らず、気になっているが、全体としては、前日よりは安定していたように思う。しかし、目を開けたり、嫌なことに対して顔をしかめるような唯一のコミニケーションである表情の動きが見られなかった。
 この日は土曜日だったが、手術を担当して下さるH医師は、朝方に顔を見せて下さって、改めて、今後の段取りなどについてお話があった。このまま体調が順調に持ち直せば、連休明け(7月21日)には手術を行なう予定で準備を進めて下さるという。
 夕方には、リハビリ担当の先生がお見えになって、手術時での呼吸器対策を考慮したリハビリが施された。今後も続けられるという。なお、3時頃には、実兄夫婦がお見舞いに来て下さったが、目を瞑ったままで、相変わらず無表情だった。

3.蓮載、難病との闘い(904) 第三部 戦いはまだまだ続く(198)
  第五章 季節は巡る(69)

 2.初夏から梅雨へ(27)
  (3)不安な空模様(その9)
 一時は、毎日の新聞やテレビのニュースのトップを飾っていた新型インフルエンザも、弱毒性であることが判明して以降、急速に落ち着きを見せ始めていた。とにかく、大阪、神戸はその台風のど真ん中ということで、修学旅行を始め、多くのイベントも中止、延期が行なわれた。一考自身も、久し振りにかつてのお客さんと会うために大阪に出ることにしていたのだが、さすがに、その時点では、若しかして感染したらとの不安もあって、日程を延期してもらった。
 そんなことで、関西地区の経済活動は大きく低下し、その影響が心配されていたが、一週間後には、休校していた学校の授業再開を機に、徐々にではあったが、多くの活動も元に戻って来るようになった。
 毎月一度程度の頻度で行なわれていた兄姉達の雅子へのお見舞いも、そんなことでまる一ヶ月は取り止められr手いたが、6月4日になって、実兄夫婦のお見舞いが実現した。
 この日、雅子は、決して体調が良いと言う訳ではなかったが、それでも久し振りに顔を合わせるということで、それなりの期待もあったようだ。
 兄夫婦のお見舞いは、いつも3時頃になることを意識してか、1時半過ぎにトイレを要求した。この日は便秘薬を服用してはいなかったのだが、雅子の大変な頑張りもあって、通じを果たすという思いも寄らない成果に繋がっていた。気分良くお会いしたいという雅子の気持ちが、そんなラッキーな結果に繋がったのだろうと一考は解釈するのだった。
 香子姉さんは、明るいのが特徴で、この日も、いつも通りに、雅子に飲み物やちょっとしたものを口に入れてやるなど、気を遣ってサービスに努めてくれたのを、雅子も一生懸命に頑張って受けていた。はやり、義理のお姉さんということで、そこには必死の雅子の気遣いもあったと思われる。そんな頑張った対応が、身体全体のリハビリになればいいと一考はそんな目で見ていた。
 その三日後の日曜日には、霧子さんも久し振りに顔を見せてくれた。(以下、明日に続く)

938 核々然々(かくかくしかじか)

 ラクイラ(イタリア)サミットは閉幕したが、ぴりっとした成果が感じられない会議だったようだ。

1.独り言コラム
 今朝の毎日新聞はスクープ記事である。核持込に関する外務省の密約本文が外務省に保管されていることを、元幹部が証言したというのである。具体的には、1960年の日米安保条約改訂交渉の際に日米で合意した核搭載艦船の日本寄港を認める英文の密約本文が存在するというのだ。
 既に、12日前の6月末のこのコラム(925回をご参照)で、元外務次官の村田良平氏が明らかにしていた内容で、今更驚くこともないが、日本政府は未だにそれを否定しているのが問題だ。もういい加減に事実を伝えたらと思う。国民を欺いている訳で、当時は、諸般の事情から止むを得なかったとしても、半世紀を経た今でも欺き続けるのは如何なものか。
 イタリアサミットは、昨日閉幕した。麻生総理も写真撮影では、一番端の定位置で見せ場はなかった。「核兵器のない世界に向けた状況ををつくることを約束する」との表現で核軍縮促進で一致したというが、意味のないお経を唱えているようで、筆者には何ら訴えるものが伝わってきていない。
 そんな中で、一旦、核保有を企図したが、それを勇断をもって諦めたリビアの存在が注目を集めていた。オバマ米大統領が、リビアの最高指導者カダフィ大佐と歴史的な握手をしたと伝えており、画期的な出来事だったようだ。米国は79年にリビアをテロ支援国家に指定したが、03年のリビアの核開発計画破棄などを受けて関係を正常化した経緯があっただけに、ビッグニュースとなったようである。このことは、対イラン、北朝鮮にそれなりの牽制球を送ったことになるが、これが直ぐに、然るべき効果に繋がるとは思えない。
 さて、カナダを訪問中の天皇、皇后両陛下だが、昨日はトロント市内の小児科病院を訪ねた際に、子守唄の「ゆりかごのうた」を皇后陛下がアカペラで独唱されて、子供達を励まされた。インタビューに答えた或る患者の方が、出来レースとは言え「今夜は熟睡できそうだ」と、卒なく答えておられたのが印象的だった。
 核々然々(かくかくじかじか)、この世界は思惑先行で複雑だが、世界の国が、進んで核廃棄をしたくなるような子守唄はないものだろうか。

2.プライベートコーナー
 4時起床。60.3Kg。今日も曇り空。梅雨明けはまだまだのようだ。今朝の目覚めは、気分的に重かった。昨日までの診断結果で、雅子の手術が考えていた以上に厄介だという告知を受けたからである。
 さて、その雅子だが、昨日もCT検査、それに、麻酔科の先生から麻酔に関する診察を受けた。それらの結果から、当初予定されていた週明け早々の手術は、とりあえず1週間ほど延期されることになった。まだ、肺炎が完治していないこと、更には全身麻酔に対する見解で、すんなりOKとは言えない状況にあるという。
 一週間ほど様子を見た上で、手術などの段取りの判断を行なうことになるという。前日までよりも、少し不安が高まったことで、筆者も気分が重いのである。

3.蓮載、難病との闘い(903) 第三部 戦いはまだまだ続く(197)
  第五章 季節は巡る(68)

 2.初夏から梅雨へ(26)
  (3)不安な空模様(その8)
 6月2日、3日の二日間は、いつもより早めに雅子への介護を終えて、ベッドに寝かせて、3時半過ぎに施設を後にした。一考が、将棋名人戦のインターネット中継を見たいということで、雅子の事前の了解を得て行動だった。
 雅子は、一考が将棋には強い関心を持っていて、今では郷田九段のファンであることを知ってくれている。それと云うのも、雅子がまだ元気な頃の話だが、一考の誘いに応じて、今までに二度も将棋の竜王戦ツアーに一緒に参加して、その場を楽しんだことがあったからである。
 最初のツアーが1994年のパリで行なわれたツアーで、当時の佐藤竜王に羽生美治名人が挑戦したシリーズの第一局だった。毅然としている羽生名人には何となく近づき難いものがあったが、同行していた島八段(当時)森下八段(当時)の二人とは、大変親しくさせてもらい、帰国後も、つい最近まで毎年年賀状を交換する間柄になっていた。(二年前に、お二人の多忙に配慮し、年賀状不用を申し出て、今では交換していない。)その内容を扱った月刊誌の将棋世界のグラビア写真に、対局しているお二人の後ろに、雅子の姿もしっかりと写っていて、貴重な記念写真になっている。
 二回目のツアーが、雅子に少し目立った症状が出始めた2004年10月のソールで行なわれた竜王戦だった。この時は、森内竜王に若手の渡邉明六段が挑戦するシリーズの第一局だった。ちょうど韓流ブームの最中で、ツアーの日程に中にもそのロケ地巡りが織り込まれていて、当時、韓国ドラマに凝っていた雅子は、そのツアーを楽しんでいたと思う。しかし、症状の悪化が目に見え始めていたこともあって、食事、特に機内での場合には、一考のサポートは欠かせなかった。思えば、このツアーが二人での最後の海外旅行になったのだが、その時点では思ってもいなかった。
 そんなことで、将棋に関しては、雅子にはそれなりの理解があったので、一考の申し出にも素直に理解をしてくれたのである。従って、4月から始まった今期の名人戦の対局日には、一考が早めに帰ることにも、優しい配慮をしてくれていたのだった。そして、6月2日、3日は、2対2のタイで迎えた大事な対局とあって、一考は、いつもよりも、かなり早いタイミングでの施設を出たいとの申し出であったが、気持ちよく同意してくれたのである。
 幸い、この第5局は一考の贔屓の郷田九段の必殺技が決まって3勝目を挙げて、夢の名人あと1勝としたのだった。そういう訳で、勝負の決まった6月3日は、郷田ファンとして、一考には最高に気分の良い一夜となった。(以下、明日に続く)

937 負けない方法

 誰しも、勝負には勝ちたいのは当然だ。しかし、勝ち味が薄くなってくると、負けたくないといった心理が働く。さて、土壇場の麻生総理には、負けない手段は残されているのだろうか。

1.独り言コラム
 趣味の将棋の世界での話だが、同じ局面の繰り返しとなる千日手、或いは、双方の王様が敵陣に入玉して詰み手段がなくなる持将棋では、無勝負となって、先手、後手を入れ替えて指し直すことになる。この場合は、負けではない訳で、苦しい局面になれば、そういった形に持ち込むのも、一つの負けない立派な戦法である。
 今の麻生内閣は、このところの地方選挙で相次いで敗れ、このまま総選挙に持ち込めば、惨敗が予想されている。今週末に行なわれる東京都議会議員選挙は、最新の国民世論の動きを見る意味で注目されていて、その結果次第で解散の日程などの最終決断が行なわれることになろう。さあ、麻生総理は、どんな対応を見せてくれるのだろうか。土壇場での麻生自民党の出方が注目されている。果たして、負けない戦法はあるのだろうか。
 話は変わるが、プロ野球の楽天イーグルスの野村監督の試合後のボヤキには定評がある。先日、74歳の誕生日を迎えて記者連中からお祝いを受けて至極ご機嫌だったが、その後は、何故かずっと勝てない試合が続き8連敗中だった。その間もリードしていた試合も多かったが、終盤の8回に投手陣が崩れての逆転負けが目立った。8回を迎える前に、雨などで試合が中止となっていれば、負けずに終っただけでなく、勝っていた試合が多かったのだ。
 それはさて置き、昨夜は漸く、その難回の8回も無事に乗り切って、8連敗で終止符を打つことが出来た。この試合では、聞いた事のない新しい投手を起用した開き直りが当たったようだ。思い切った開き直りは大事な対応かも知れない。
 再び、麻生内閣の話に戻るが、一年前の誕生直後から、解散内閣ということで、そのタイミングを巡ってマスコミを騒がせて来たが、その都度「私が決めさせて頂きます」のセリフの繰り返しで、先延ばし、先延ばしとなって今日に至っている。そして、今朝のニュースでも、自民党内には任期切れまで延ばそうという考え方が強いという
 戦わねば負けないのだから、ここまでの麻生総理の戦い方は正解だったも言える。受け継いだ財産を食いつぶしながら、強引に法案を通してきた訳で、それなりの歴史を造ったのも確かである。
 つまり、戦わなかったから負けはなかった。この勝負しない戦法は、負けない最強の戦法である。しかし、議員の任期切れという寿命には勝てない訳で、この戦わない戦法もここまでである。大将を代えるのか、このまま討ち死にするか。土壇場のドラマは間もなく完結する。
 なお、昨日のブログで今週の米国女子ゴルフツアーを全英オープンと間違えていました。正しくは、全米女子オープンでした。その第一日の成績ですが、今現在では、宮里藍選手が+3で日本人トップ、不動、上田の両選手はプレイ中ですが、+3で頑張っています。負けない方法はボギーを叩かないことだが、コースは難しそうで、今現在トップがー3で、アンダーは今のところ4~5人である。

2.プライベートコーナー
 4時40分起床。体重、60.0Kg。曇り空。
 吉田病院に移って一夜明けた雅子は、朝から各種の検査を受けた。その間はずっと平熱だったようだが、午後になって一時37.2度に上昇、直ぐに水枕で冷やしてもらう。この日は、神経内科の春日先生の診断日なので、予約の2時に一考だけが先生に会った。お薬などを含めて、退院までは院内で対応して頂ける。
 4時頃になって担当のH先生から今後の段取りなどについて方針の説明があった。それによると、今日の午前中に更なる検査をした上で、来週の前半に胆嚢及び関連手術を行なうつもりという。
 帰り際には熱も平熱に戻っていた。新たな雅子の戦いは緊張した中で進んでいる。
なお、このブログでの連載「難病との闘い」では、9日後の7月18日頃から、急遽始まった入院生活での雅子の闘いの詳細を取り上げる予定です。

3.蓮載、難病との闘い(902) 第三部 戦いはまだまだ続く(196)
  第五章 季節は巡る(67)

 2.初夏から梅雨へ(25)
  (3)不安な空模様(その7)
 この日の午後、一考が雅子の部屋を訪ねたのは、いつもより少し遅く、2時近くになっていた。施設への途中に、新しく出来た電気量販店に立ち寄ったからである。コンピューターのプリンターのインクの在庫が切れたので、その補充に立ち寄ったのである。この店は、もともと一考の住まいの近くにあったのだが、ごく最近に、場所をそこに移転して、新しい建物を建てたのである。なかなか店もかなり大きく、駐車場も建物の屋上にある立派な店に変わっていた。
 そんなことで思いのほか余計な時間を費やしたようで、予定よりも遅れての訪問になった。一考が雅子の部屋に入ると、雅子は簡易トイレに座ったまま身体を左の肘掛に倒した形で苦しそうな姿勢に堪えていた。ほとんど同時に介護士さんが入って来て、直ぐにそれに気づいて、もう一人の介護士さんを呼びに行ってくれた。どうやら、雅子はかなりの時間、一人で便座に座っていたようだった。多忙な介護士さんについうっかりがあったと思われる。
 思えば、自宅で介護している時に、二度ほど筆者も大失敗したことが思い出された。一度は、お酒を飲んで帰って来た際に、雅子をトイレに連れて行ったのだが、待っている間に寝てしまい、気が付いたら朝方で、雅子がぐったりと倒れこんでいたことがあった。怪我などが無くて事無きを得たが、その際は、多分、4~5時間の苦しみに堪えていたと思われる。今一度は、ベッドに座らせていたのをすっかり忘れてしまい、気が付いたら仰向けになって頭が反対側の下方に垂れて苦しんでいたことがあった。いずれも、うとうとしてしまい、すっかりそのことを忘れてしまっていたために起きた事故だった。
 今回の場合は、多分、昼食を終えて、歯磨きの後のトイレであって、そのまま放置されていたとも考えられる。いつもなら、1時過ぎに顔を出すのに、この日に限って買い物に寄ったために2時になってしまったのは、雅子には不運なことだった。
 直ぐに看護士さんが来て血圧、脈拍などをチェックしてもらい、大きな問題がなかったことでほっとしたのである。5月30日のことだった。(以下、明日に続く)

936 ピント

 カメラでの撮影と同様に、何事もピントを外すと、全てが台無しになってしまうことになる。

1.独り言コラム
 今朝の新聞各紙のトップが、神戸地裁が、あの尼崎脱線衝突事故で、JR西日本の現在の山崎正夫社長が在宅起訴されたニュースだ。山崎社長は引責辞任を表明したが、5年前の事故で、今頃になって何故といったピントのずれさえ感じる。本当にこの方だけに責任があったのだろうか、にもピントのずれがありそうだ。
 事故当時、安全に関する責任部署の鉄道本部長だったことで、安全への対策を怠ったというのである。この起訴で、犠牲者、及びそのご家族はどの程度の慰みになるのだろうか。この事故の大きさを考える時、ともかくも、起訴に踏み切った意義は小さくはないとは思うのだが、何かピントが合っていないように思う。
 イタリアでサミットが始まった。「核なき世界」を明記することを目指すというが、開会間際になって、中国の胡錦濤首席が急遽帰国した。新疆ウイグル地区での暴動(?)を受けての対応だ。世界の平和を語ろうという会議を前に、自分の家で火事が起きたというのだが、これで、このサミットがピントずれにならないことを願う。
 日本人で最年少で全英オープンに参加資格を獲得した石川遼選手が昨日英国に旅立った。その直前の練習で、打ち込みの形がしっかりしてきていると大先輩の尾崎将司氏からの力強いコメントをもらった石川選手は、その言葉が大きな自信になったという。その道の大先輩の一言は、若い選手には影響するところが大きい。ピントを外さないコメントに、石川選手は、勇躍としてその大会に臨むことになる。力まずに頑張って欲しい。なお、女子の全英オープンは日本時間、今夕から始まる。不動祐理、大山志保、宮里美香選手らに期待している。
 さて、今朝、間もなく、8時前後に、間寛平さんがニューヨーク港にゴールする。米国横断4800Km超を走破が完了する劇的な瞬間である。テレビ中継がピントを外すことなく中継をしてくれるという。筆者も、今朝は病院への見舞いを遅らせて、しっかりとその瞬間を見るつもりである。

2.プライベートコーナー
 今朝は疲れていたのか、起床は4時50分といつもより少し遅かった。体重、59.9Kg。どんよりとした空模様。
 昨日の雅子は良く頑張っていた。朝方は37.4度と少し熱があって心配したが、その後熱も下がり、無事に転院を完了できた。雅子も、転院という初めての経験で心身共に疲れたのではなかろうか。この病院は、今まで、5年間に渡って、パーキンソン病で通院していた病院だけに、その面での環境は向上したことは確かであろう。今日から、今一度、症状の点検確認から開始される予定である。
 それまで20日間の長い間、お世話になった琵琶湖大橋病院の皆様方には、厚く御礼を申し上げます。また、救急車が出る最後の瞬間まで、手を振って見送って頂いた看護婦の湯浅智子さん、本当に有難う御座いました。雅子のアウエーでの闘いが、これからも続きます。

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  第五章 季節は巡る(66)

 2.初夏から梅雨へ(24)
  (3)不安な空模様(その6)
 インフルエンザ感染の不安で、大阪に出るのを延期した数日後、一考の妹のお姑さんが亡くなったという訃報が入り、5月28日に通夜、29日に告別式の予定が伝えられた。28日は、当初の予定では、大阪に出て商社の社長と会う予定だったのを延期していた日で、そういう意味では、なかなかうまいタイミングの延期決定だった。
 その一方で、葬儀のある29日には、雅子の美容院の予定が午後1時に入っていたので、11時からの葬儀の段取りだったことで、一考はぎりぎりの対応が必要となった。普通なら、葬儀は1時間で終わる訳だから、うまく間に合うはずだが、田舎のお寺さんでの葬儀であるから、ちょっとした遅れが心配だった。
 妹の美奈子の嫁ぎ先は、アクティバ琵琶のある雄琴から車で20分ぐらい北にある和邇という処にあるお寺である。田舎のお寺での葬儀だから、時間的にも多少のずれがあるかも知れない。
 その通夜に参列した一考は、その式次第が時間通り1時間で終ったのにほっとしたのだが、やはり、一般とは少し違った進め方だった。と云うのは、その中味は、途中でのお焼香もない独特のスタイルで、ずっと長い読経が続き、あたかもお経のカラオケを聞いているような淡々とした内容だった。そうなると、翌日の葬儀の遣り方も通常とは違うやり方が行なわれるのではという気がしていた。時間的には、葬儀が12時に終って出棺までの時間を半時間と見れば、雅子の美容院の予約時間にぎりぎり間に合う時間だ、しかし、狭い駐車場から自分の車を出すのにも余計な時間が掛かるだろうし、その辺りの不安があって、1時の美容院に間に合わないことも考えられたので、一応、事前に介護士さんに、その場合には、雅子を1階の美容院連れて行ってほしいとお願いしていたのである。
 さて、葬儀が行われるその朝、一考は9時過ぎにアクティバ琵琶に雅子を訪ねて、雅子の様子を窺い、改めて、介護士さんに、帰りが遅れた場合のお願いをして葬儀に向かった。
 やんぬるかな、喪主の挨拶が終わって葬儀が終わったのは、予定を少し過ぎた12時10分頃だった。これから、出棺の準備をして別れの挨拶等があると、12時半に終るのは無理だと思われた。そこで、一考は、葬儀が終わった時点で先に施設に戻ることにした。幸い、車もうまく出せたので、そのまま施設に急いだ。お陰で、12時50分には無事到着できて、雅子の美容院には最初から立ち会うことが出来たのである。
 この日はヘヤカットだけだったこともあり、特に困ったこともなくスムーズに美容院での作業は終った。めでたし、めでたし。(以下、明日に続く)

935 SSG工法

 サッシを使わずにガラスを貼り付ける工法、いわゆるSSG工法は、今から20数年前に導入された新工法だ。

1.独り言コラム
 昨日の昼間、東京の丸の内のオフィス街で、三菱商事本社ビルの最上階に近いところの窓ガラスが外れて落下し、それが地面に激突して木っ端微塵に砕け、白い煙のように舞い上がり、近くにいたOLが軽い怪我を負った事故があった。
 今から二十年以上前の話だが、筆者が建設産業分野の担当部長の頃に、サッシを使わずに、ガラスを直接ビルの躯体に接着剤で貼り付ける工法が導入された。いわゆる、SSG工法(Structural Sealant Glazing)で、筆者らは、それに使われる接着剤の販売に注力していた。この工法で、ビルの表面全体が、いわゆる面一にガラスで覆われた状態で、見映えが素晴らしいというのが売りであった。
 その導入時に話題になったのが、ガラスの落下に関する心配だった。若し接着剤に問題があって、ガラスが落下したら大変な事故になる訳で、そのための接着力の確認作業が重要なステップだった。昨日の三菱商事のビルは、SSG工法ではなく、サッシを使った従来のビルであったので、この工法とは関係がなく、筆者はほっとしたのである。
 SSG工法が導入され始めたのは、日本では1980年中頃だったから、その初期の建物でも、まだ竣工して20年そこそこだ。少なくとも50年以上の性能保持は確認されていたはずだから、今直ぐどうこうはないが、今の世の中、何が起きるか分からない時代である。今後、20年、30年もすれば、構造材として使われた接着剤の性能に破綻が起きないとは言えない。そうなれば、大都市で、ビルからのガラスの落下が相次ぐ危険性もないとは言えない。ちょっと言い過ぎかな? 
 何事もそうであって、見映えも大事だが、しっかりした構造的な安全確保は、それよりも大事である。今の麻生内閣を見ていると、見映えも冴えず、中味の構造的な面でも不安ばかりが多く、誰もが崩壊の危険を予知している状況にある。新政権へのリスクもあろうが、やらせて見るしか他に手段はなさそうだ。
 さて、朗報だが、アースマラソンに挑戦中の間寛平さんは、いよいよ、明朝7時頃(日本時間)米国大陸4800キロを横断、走破して、さし当たってのゴールであるニューヨーク港に到着の予定だという。寛平さんの体力は見映えだけでなく、その底力はも晴らしい。寛平さんのこのゴールこそ、素晴らしいSSG(Super Splendid Gaol)と申し上げたい。

2.プライベートコーナー
 4時起床。体重、59.8Kg。外は地面は濡れているが、今は雨は降っていない(4時過ぎ現在)今日の午後に雅子が転院するので、朝から緊張モードである。
 その雅子だが、今日で入院してちょうど節目の20日目。昨日の雅子は、熱は平熱に戻っていたが、痰は相変わらずで、見ていても苦しそうで気の毒だった。その都度吸引してもらうのだが、口を開けてくれないのでなかなか捗らない。担当のK先生の話では、血液検査の結果も、データ面では問題ないという。
 さあ、今日、午後1時に京都の吉田病院(仮名)に転院する。妻、雅子には、また新たな戦いが始まるのだ。


3.蓮載、難病との闘い(900) 第三部 戦いはまだまだ続く(194)
  第五章 季節は巡る(65)

 2.初夏から梅雨へ(23)
  (3)不安な空模様(その5)
 そこで、一考は、いつものように雅子を車椅子に乗せて、トイレのある個室の前まで移動させておいて、介護士さんに声を掛けた。そして、これまたいつものように、二人の介護士さんで、抱えるようにして抱き上げて、下着を降ろして雅子を便座に座らせてもらう。
 それからが一考の出番である。何とか、スムーズに通じがあって欲しいと願いながら、最近行なっている一考マジックを施し始めるのである。それは、お尻の後ろをマッサージしてあげるのだが、それが、いつものように上手く効果が出て来ないのだ。つまり、いつものように、雅子が頑張る体勢に入らない。その内に、少し焦燥感を覚え始めたが、その焦りを見せないように気配りしながら、雅子にリラックスさせるような応接に努める。そのうちに、やっと雅子が頑張る体性になり始めた。一考は、ここからが勝負といった感じでマッサージをゆっくりと施し続ける。雅子の頑張りは必死になって行く。そして、その甲斐あって何とか目的を達することが出来たのである。雅子は息絶え絶えだったが、一考は、目的を果たせて万歳の気持ちであった。かくして、その日は、凱旋気分で自宅に戻ることが出来た。
 その翌朝には、義姉の香子さんからも電話があって、前日の霧子さんの場合と同じように、雅子への見舞いを暫く見合わせたいということだった。インフルエンザの影響が、自分達の身辺でも、徐々に広がり始めていた。
 その一例が、一考の段取りの中でも出て来た。3月に行なわれたOB会の際に、一考がかつて、仕事でお付き合いしていた商社の方が、社長に昇格して頑張っておられるという話を聞いた。その話に感激し、同席していた大阪支店長に、一度お会いする場を作って欲しいと依頼していた。その目出度い話には、更に感動的なエピローグがあって、近々、その社長の椅子を創業者のお孫さんにバトンタッチするというのである。まさに、大政奉還の素晴らしい話である。
 お願いしていた面会の日を、支店長のはからいで、5月末に設定してもらっていた。しかし、このインフルエンザの広がりで、大阪に出てゆく危険性を考えて、その直前になって急遽、キャンセルし、延期せざるを得なくなったのである。そういう意味では、一考にとっても、このインフルエンザは対岸の火事ではなかった。(以下、明日に続く)

934 無差別殺人

 尊い命が無残に失われるほど気の毒なことはない。それが、よしんば、民族の独立などの尊い犠牲であったとしても、その気の毒さには変わりない。

1.独り言コラム
 大阪のパチンコ店の放火犯が出頭して逮捕された。高見素直という男だが、「人生に嫌気がさした。誰でもよかった」と供述しているそうだが、去年3月の荒川沖駅周辺での事件、同年6月の秋葉原事件などと同じ動機であって、卑劣な無差別殺人だったことが明らかになった。
 この種の一個人の異常行動による無差別殺人事件は後を断たない。どうすればいいのだろうか。事件に巻き込まれた被害者は全く浮ばれない。容疑者の名前の「素直」が何とも白々しく、命名した両親の思いが踏みにじられたのは如何にも皮肉である。
 さて、例によって話は飛躍するが、戦争は無差別殺人の最たるものである。昨日、オバマ米国大統領とメドベーチェフロシア大統領が、就任後初めての会談を行ない、戦略核弾頭数を現在の2500前後から、1675以下に削減することで合意したという。冷戦時代を終っても、大量殺人兵器は依然として大量に保有されていて、それによって、世界平和の均衡が保たれている地球だが、潜在的な恐怖は無くなっていない。
 一方、中国の新疆ウイグル自治区で暴動が起きて140人以上の命が失われたという。先のチベット自治区での暴動と同じで、中国からの圧制に対する民衆のエネルギーが爆発したものと思われる。いい加減に、中国はこれらの自治区の解放、独立を速やかに認めるべきである。あのソ連邦の崩壊、ベルリンの壁の撤去、そしてチェコスロバキアでの民族の独立の歴史の証言を、中国政府は素直に理解し、彼らの独立をサポートすべきであろう。時代はそんな時代になっているのだ。
 いずれは、力でのコントロールが出来なくなる時がやって来るはずだ。今はその前哨戦であって、結果的には無差別殺人と同様に、尊い命が失われているが、これらの痛ましい血は、歴史を塗り変える貴重なエネルギーになるはずだ。
 政治が果たさねばならない平和への旗振りを、世界の人たちが強く望んでいる。

2.プライベートコーナー
 起床が5時10分と少し遅かった。体重は60.0Kg。この時点での天候は晴れ。
 入院18日目の雅子だが、相変わらず、痰は切れず、体温も平熱と37.7度の間を行き来していて不安定。アクティバ琵琶のユニットリーダーの松井(仮名)さんと松永さんがお見舞いに。珍しく、雅子がしっかりと目を開いてじっと二人を注視。そしてその目に涙。
 なお、この日、明日8日の転院が午後1時出発と決まった。車は琵琶湖大橋病院の車を使わせてもらうようだ。

3.蓮載、難病との闘い(899) 第三部 戦いはまだまだ続く(193)
  第五章 季節は巡る(64)

 2.初夏から梅雨へ(22)
  (3)不安な空模様(その4)
 その日の夜、実姉の霧子さんから電話があった。新型インフルエンザが大津や京都でも感染者が出たことで、暫くは、雅子のお見舞いを控えた方がいいと思うというというものだった。確かに、その通りで、幾ら雅子が待ち望んでいるとしても、止むを得ないことだと同意したのである。
 さて、その翌日は、一考は久し振りに施設を2度訪ねることになった。前日の帰り際には、雅子の熱は下がっていて、心配も一段落だったのだが、その後の様子を確認しておきたかったことと、昨日は、便秘薬を服用していたのに、通じがなかったことが心配だったからである。 
 午前中の訪問では、熱に関しては、いつもの平熱に戻っていて問題はなかった。しかし、前日の朝に服用した便秘薬の効果が、一考の帰宅後も朝方になっても発揮されず、通じがないままで、便秘が5日目になっていた。介護士さんの話では、この朝には、便秘薬を更に2錠服用したという。ならば、その効果が午後には現れるはずだと考え、一考は、そのまま一旦は帰宅し、午後に再び顔を出し、通じのアシストすることを考えていた。
 一考の最近の大事な役割はの一つが、トイレのアシストにあると自覚していることもあって、この日の午後は、何とかして通じの回復を果たしてやりたいと自分なりに気合を入れて、この日の午後には2回目の施設訪問となった。
 ここで、一考が、最近施している具体的なトイレに関するアシストで、自分が心掛けている大事なポイントについて書いておこう。当然のことながら、この種の介護の要領も雅子の症状の進展に伴う変化で、いろいろとそれに応じた工夫が必要となり、次第に変わってくるのだ。
 先ず。最初のポイントは、雅子がトイレに行きたいと思うタイミングを見つけることである。雅子が喋れない訳だから、雅子の様子を丁寧に窺いながら、じっとその時を待つのである。この間、お茶、ヨーグルトなどをサービスすることもあるし、ブログを読んであげたり、場合によっては、マッサージ椅子を運転してやることもある。
 そうこうしているうちに、その時が来た。時刻は2時半少し前だった。少し早いタイミングだと思ったが、雅子が何かを言い始めた。多分、これがトイレに行きたいというサインだろうと判断し、何回か声を掛けて確認の呼びかけをして、雅子の反応から、トイレに行きたいのだと、最終的に判断した。(以下、明日に続く)

933 ハイそれまでヨ

 クレイジーキャッツの植木等さんのヒット曲名が筆者の頭に浮んだ。もう半世紀近い昔の歌だが、半世紀以上も政権を担当して来た自民党は、いよいよ断末魔を迎えている。文字通り「ハイそれまでヨ」である。

1.独り言コラム
 注目された静岡県知事選でも、民主党など野党が推薦する川勝平太氏が、与党推薦の前自民党参議院議員の坂本由紀子氏を破った。かくして、麻生内閣はまさに剣が峰に追い込まれた。
 選挙告示の前に、鳩山代表の政治資金規正法違反が発覚、一羽の鳩が痛く傷つくアクシデントはあったが、それでも世論の政治を変えたいとする流れは変わることはなかった。今回の選挙で、投票率が前回に比べておよそ15%アップは注目すべきで、政治を変えたいとする世論の流れは、一層、その勢いを増している。一旦起き始めたこの種の流れを変えるのは至難の業だ。敵失に期待するしかない自民党は、もはや下野する選択以外の道はなさそうだ。
 かくして、民主党は、念願の政権奪取が、いよいよホームストレッチに入って来ている。新しい鳩山内閣誕生は、鮮やかな実現の軌道に乗っており、そのゴールはまさに目前である。
 さて、唐突で申し訳ないが、「軌道に乗る」と「ゴール」という言葉に、イチロー選手と寛平さんの二人を、筆者は連想する。二人とも、そのゴールはまだまだ先であるが、着々と軌道に乗って前進を続けており、遥か先のゴールに視線を見据えていると言えそうだ。
 イチロー選手の9年連続レギュラーシーズン200安打達成は、今朝現在、残り82試合で83安打と迫っている。一方の間寛平さんも、既にニュージャージ州に入り、アメリカ大陸横断のゴールであるニューヨーク港まで、あと150キロ超(?)と迫って来ている。また、地球一周の3万6千キロの全コースから見ても、半分の1万8千キロをも既に突破しており、いわゆる、折り返し点を過ぎてゴールに向かっているもと言える。
 二人とも、身体が資本であり、健康保持に万全を期すことが先決だが、今のところは、順調なペースを確保しているといえそうだ。頑張れ!イチロー、頑張れ!寛平である。
 そんな順調な方たちと対照的で苦戦を強いられている人たちも少なくない。その悪戦苦闘の最たる事例が、麻生内閣を支える自民党だが、その話はさて置くとして、ここまで頑張って来ていたプロ野球の楽天イーグルスの息切れが目立って来ている。とにかく、頼りにしていた二人のエースである岩隈久志投手が一軍離脱、田中将大投手のスタミナ切れもあって、チーム全体が空回りの状態になってしまっている。それが本来の実力なのかも知れないが、ファンとしては、もう一頑張りして欲しいだろう。一方、息切れ寸前と見られていた阪神が、外人助っ人の意外な頑張りで、一旦は息を吹き返しつつある。筆者は、一時的なもがきであろうと冷たい目で見ている。さあ、どうだろう。
 また、アメリカツアーで頑張っている日本の女子ゴルファーも、予想外にもがき苦しんでいるようで、今一つ結果は振るわない。今朝も、日本人選手では、最高で宮里藍が33位タイであった。早くも4年目のツアーに入っている宮里藍選手も未だ未勝利で、アンチ宮里藍ファンの筆者を喜ばしてくれているが、もうそろそろ優勝してもいいのではとも思っている。来週は、メジャーの全英オープンである。日本からも、諸見里しのぶ、不動祐理、福島晃子など多くの選手がチャレンジする。誰か、優勝争いに絡んで欲しいと期待しているが、…。 

2.プライベートコーナー
 3時40分起床。体重、59.8Kg。外はしとしとと雨である(朝4時現在)
 雅子は昨日で入院して17日目。胆嚢から膿を抜き取る内視鏡による緊急手術から6日が経過。漸く、体温も平熱に、血圧、脈拍などのデータも平常値に戻った。顔つきにも安らかな表情を取り戻していた。それでも、痰が出る頻度は相変わらずである。
 この日になって、久し振りに一考の問い掛けに顔を歪めて反応するそれまでの応答が戻って来ていて、ほっとした一日だった。明後日に、手術のために京都の吉田病院(仮名)に転院する段取りになっていて、次なる山場が待っている。


3.蓮載、難病との闘い(898) 第三部 戦いはまだまだ続く(192)
  第五章 季節は巡る(63)

 2.初夏から梅雨へ(21)
  (3)不安な空模様(その3)
 介護士さんから、風邪と聞いて、一考の頭の中では、咄嗟に新型インフルエンザのことが気になり始めていた。しかし、良く考えてみると、そんなことは有得ないと自ら否定して、自分の気持ちを落ち着かせるのだった。それというのも、雅子は自分の部屋からは、食事の時とお風呂以外には出ていないこと、一考自身も、この一週間は、買い物以外は自宅との往復であり、そんな悪質な風邪にうつる可能性が無いからである。熱の具合もそれほどでなく、単なる風邪を引いたのだろうとほっと一息つくのだった。
 とにかく、そのまま寝かせたままで、暫く様子を見ることにした。3時頃になって看護士さんが来てくれて、体温、血圧の再測定が行なわれた。幸い、この時点では、熱は平熱に戻っていたし、血圧にも異常は見られなかった。どうやら、大事には至っていないようで、一考は改めてほっとするのだった。
 まあ、いろんなことが起きるものだと思いながら、この日は、のんびりした対応となった。それにしても、熱さましも、昔の水枕のようなものではなく、アイスノンという便利な方法が採用されていることに、こんな処にも、新しい対応があるのだと、妙な感心をするのだった。
 新型インフルエンザに関しては、最初の報道で、その毒性が大変だとことで、その対応の水際作戦も厳戒体制でスタートしたが、その後、その毒性が弱毒性で、通常のインフルエンザ風邪に近いということが分かってきて、その深刻性は薄らいでは行ったが、その一方で、その広がりは関東にも広がり、日本全体を巻き込もうとしていた。
 とにかく、雅子がパーキンソン病になって以降、通常の病気に掛かったのは、これが初めてである。もともと健康が取柄だと自他共に認めていた雅子だった。それが、思いも寄らないとんでもない難病に掛かってしまい、その取柄も根っこから吹っ飛んでしまっていたが、このパーキンソン病以外では、ずっと健康であったことは確かだった。
 初めての風邪ということで、少し心配だったが、幸いなことに、夕方にはほぼ前日並みに戻っていた。一考も、帰る間際では、愁眉を開いた気分になっていた。
 それにしても、神の、これでもか、これでもか、といった具合に雅子を苛めて来ることに、一考はちょっぴりと不満を覚えるのだった。その一方で、一考は、次々と降りかかって来る苦難に、雅子はよく堪えて頑張っていると同情を覚えるのだった。(以下、明日に続く)

932 石原裕次郎

 亡くなって何十年も経過しても、国民から忘れられず、強い支持を得ているというのは、大したものだと思う。

1.独り言コラム
 昨夜8時過ぎだった。たまたまテレビのチャンネルを回していたのだが、渡哲也さんと天海祐希さんが語り合っている場面に惹かれて、チャンネルをそこで止めた。真っ赤なドレスがよく似合っている天海祐希さんがとても美しく、知的で魅力的だったからである。
 その番組は、「昭和の太陽、裕次郎の遺したもの」と題する石原裕次郎の特別番組で、テレビ朝日が放映していたものである。筆者は、そこから思わずその番組にのめり込んでしまい、続いて放映された映画「富士山頂」もしっかりと見せてもらった。こんなに長い時間テレビを見たのは、妻の介護生活に入って、初めてのことである。改めて、大スター石原裕次郎の偉大さを教えられた。兄貴の慎太郎都知事と甥の石原良純氏の親子対談も、若い日の秘話などがうまく取り入れられていて、番組を盛り上げていた。
 同氏がなくなったのが1987年7月17日で、今年が23回忌だそうで、今日、国立競技場で、その記念法要が行なわれるという。23年目を迎えても、これほど大々的に取り上げられ、多くのファンが集まるというのだから、その偉大さにびっくりする。加えてそこまで裕次郎さんに心酔し、同氏のために命を捧げている渡哲也氏の存在にも、凄いものを感じる。
 ところで、先日、森光子さんが受賞した国民栄誉賞だが、これが創設されたのは、福田内閣の時で、裕次郎氏の死後1ヵ月後の8月に入ってからのことだった。その直後に、ホームランの世界記録を作った王貞治氏が最初の受賞者となっているが、この賞の創設がもう少し早ければ、この石原裕次郎氏が最初の受賞者になっていただろう。
 国民的な人気者といえば、もう一人いる、その2年後に亡くなった美空ひばりさんだ。彼女は、国民栄誉賞の始めての女性の受賞者である。今年は、京都にある美空ひばり記念館もリニューアルされていて、石原裕次郎さんの場合と同様に、その節目の命日では、同様な法要が行なわれていると承知している。
 とにかく、この二人の芸能人は、群を抜いて国民の支持を受けている。当面はその人気は衰えないだろうが、世代が替わり、二人のことが本当の伝説話になる頃には、新しい日本が誕生していることになろう。
 いずれにしても、昨日の天海祐希さんが、大変魅力的だったということで、いい番組を見ることが出来たことは、筆者には大変な幸いだった。 

2.プライベートコーナー
 4時起床。体重、60.1Kg。雨は降っていない。今日は琵琶湖の大掃除の日で、自宅の周りの溝掃除を、朝早くから行なうことになっている。
 昨日の雅子だが、一旦、治まっていた熱が、この日はぶり返していた。また、依然として痰も切れずに雅子を悩ませている。来週の8日に病院を移る予定だが、何となく心配で不安は尽きない。

3.蓮載、難病との闘い(897) 第三部 戦いはまだまだ続く(191)
  第五章 季節は巡る(62)

 2.初夏から梅雨へ(20)
  (3)不安な空模様(その2)
 世界を、そして日本にも大きな影響を及ぼしている新型インフルエンザに関しては、雅子や一考にも幾つかの話題があった。それらについて触れておこう。
 そもそもの今回の新型インフルエンザ騒ぎは、この3月頃からメキシコで起きていたようで、そこでは、多くの死者が出ていたようだったが、5月に入って、突如として、ショッキングな報道として伝えられることで、日本でも大騒ぎとなったのである。
 それは、久し振りのセンセーショナルなインパクトのあるニュースだった。直ぐに、多くの死者を出した戦前のスペイン風邪(1918年)、アジア風邪(1957年)、香港風邪(1968年)の過去のものとの比較が話題となった。そういう意味で、大変な怖いインフルエンザの可能性があるというのが、最初の頃の報道のポイントだった。
 そういうことで、日本でも、直ちに水際防止作戦が始められた。しかし、それにも関わらず、5月16日に大阪で初めての感染者が発見され、その後には、神戸にも飛び火して、次々と感染者が拡大し、その蔓延が進み、遂に、その6日後の5月21日には、ここ滋賀県大津市内で、一人の感染者が確認されるに至り、この騒ぎを身近なものとして実感することになったのである。
 その翌日の5月22日の午後1時半頃だった。何時ものように一考はアクティバ琵琶を訪ねた。その時、昼食を終えた雅子はベッドに横になっていた。このところの雅子は、ベッドに横になっている時と椅子に座っている時が、ほぼ半分くらいだったので、あまり気にもせず、いつものように雅子の顔を覗き込んだ。すると、雅子の様子がいつもの様ではなかった。その顔が少し赤くて腫れぽったい顔だった。どうしたのかなあ、と思いながら、いつものパターンでとりあえず、起して椅子に座らせてやろうと身体を持ち上げようとしたら、枕と腕の辺りがアイスノンで冷やされているのを発見、これは「いかん」と思いながら、彼女の身体を元へ戻した。身体も、結構熱っぽく、額に手を遣ると、確かに結構な熱がある。
 「どうしたの?」と声を掛けたが、苦しそうな顔を見せるが、相変わらず、声は出ない。直ぐに介護士さんに様子を確認した。その説明によると、朝食を終えた頃に熱があることに気がついて、計ってみると37.8度あったので、看護士さんと相談してアイスノンで冷やすことにしたという。しかし、昼食前の測定では、熱も少し下がって、37.4度になっていたという。昼食も、半分ぐらいは食べたという。
 とにかく、難病に認定されて以降は、幸いにも、それ以外の病気にはかかっていなかったので、風邪であるにしても初めての経験である。何処まで、神様は雅子を苛めれば気が済むのかといった不満を持った一方で、若しかしたらという別の心配が一考の頭の中に芽生えていた。(以下、明日に続く)

931 ご乱心

 ガリレオが地球が回っていると言って、気狂い扱いされたことは有名な話だが、正論をぶっても、淀んだ世界ではなかなか理解されず、逆に、「ご乱心」なんて、馬鹿にされることになる。

1.独り言コラム
 筆者は、昨日、先週日曜日に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」を録画で見た。珍しく、橋下徹大阪府知事がゲスト出演していて、いろんな裏話が披露されて面白かった。橋下氏は、もともと、この番組のレギュラーだったことから、出演者の皆からベタ褒めで、番組は、橋下知事の激励会ような活気ある楽しい雰囲気だった。
 その中で、知事室は当初は、職員から「殿のご乱心部屋」と呼ばれていたことを本人が告白、職員から冷たく扱われていたことが紹介された。やはり、今までの遣り方を大きく変えようとする知事に対し、職員は殿が「ご乱心」だと馬鹿にしていた様子が汲み取れて、当初の知事のご苦労振りを窺うことが出来た。
 しかし、そんな「一見乱心ぶり」も、前向きの効果が出始めると、職員の態度も変わってくるようで、大変だが、ブレずに力強く頑張ることが大事なようだ。とにかく、長い間淀んでいた川の流れを変えるのだから、一筋縄ではいかない。特に、官僚や職員は自分達の立場を守ろうとするのだから、それを変えるには、大変なエネルギーと強い意志、行動力が不可欠である。言うまでもないことだが、そんな時に力になるのが世論であろう。いずれにしても、橋下知事は良くやっていると思う。
 それに比較すると気の毒なのが、麻生総理である。いまや独りぽっちで、見ていても気の毒な感じである。党人事に躓き、内閣人事もお粗末な補充人事に終り、解散権も党が管理しているような状況に追い込まれてしまっていて、求心力を失った麻生総理には、もう打つ手がなくなっているようだ。ここに来て、ライバルの鳩が傷ついていることが見つかったが、もはや、独りぽっちの麻生総理には、元気回復の手がかりにもならないようだ。

2.プライベートコーナー
 4時半起床。体重、60.2Kg。(このところ、少し重いレベルにある)今日の天気はまずまずのようだ。
 昨日の雅子の症状は、30日に行なわれた胆嚢の膿を抜き出してもらった緊急手術の効果で、体温も平熱に戻り、痰の出方も治まってきていて、順調に回復してきている。そして、次の山場である胆嚢切除の手術については、関係者のご協力を得て、パーキンソン病でお世話になっている吉田病院(仮名)の外科で受け入れてもらうことが決まった。そういうことで、来週半ばに、吉田病院に移ることになる。雅子には新たな戦いが始まることになる。

3.蓮載、難病との闘い(896) 第三部 戦いはまだまだ続く(190)
  第五章 季節は巡る(61)

 2.初夏から梅雨へ(19)
  (3)不安な空模様(その1)
 吉田病院での4月度の定期診断もそうだったが、5月度でも雅子は普段の状態よりも頑張って春日先生の診断に応じていた。不思議なのだが、先生からの問い掛けには、タイミングよく反応するのである。施設に居る時には、一考が問い掛けても、なかなか反応してくれないのに、である。やはり、先生には何か惹かれるものがあるのだろうか。
 しかし、よく考えてみると、そこにはそれなりの理由があるようだった。と云うのも、そもそも。春日先生を探し出したのは雅子自身である。自らが購入したこの病気に関する本の中で紹介されていた専門医のリストの中から、自分がかつてK大学で勤めていたルートを通じて紹介を得たのだった。それだけに、春日先生に対する思いは、一考が考える以上の強い思いがあっても不思議ではない。その上、一考が見る限り、先生の温厚な姿、それに優しげな顔つき、スリムな身体つきは、雅子の好みのタイプだった。
 今ではそうではないが、一考が雅子の通院に付き合うようになった頃は、通院に際して着てゆく服装などは、結構、気を使って自分の好みに合わせていた。多分、いわゆるファンの一人として捉えていたのだろう。そんなこともあって、先生のおっしゃることに対し、一生懸命になって応えようとするのも不思議なことではなく、雅子の気持ち、誠意そのものだと思われる。身体の自由を奪われた今も、その気持ちが健在なことは結構なことだと一考は思うのである。先生に会えることで、気持ちの高ぶりに繋がっているとしたら、それは、他に発散のしようもない雅子の気持ちを元気にさせる素晴らしい機会でもあるのだ。
 この5月度の診断時では、改めて、体重の減少に対する対策についてご相談させてもらった。施設の介護士さんからのリコメンドもあって、目下、栄養剤の補給を行なっていることを話すと、それは結構なことなので、今後も継続するようにとの話だった。
 一通りの診断が終った段階で、数日前に新聞(平成21年5月11日付)に出ていたパーキンソン病に関する話題について、先生のご見解を伺った。この研究は東京大学の研究チームが発表した発症関連遺伝子に関するものだったので、一考は、この病気が、やはり遺伝性のものなのかと聞いてみたのだが、全く、そういうことではないが、やがては、新しい治療法などに繋がる可能性はあるとのことだった。しかし、その実用化のタイミングは、雅子への適用に間に合うというようなレンジではなさそうだということだった。(以下、明日に続く)

930 世界のキーポジション

 アジア人が国際的な重要な地位を占めることが目立って来ている。日本、韓国、中国のアジア三国は、こういったポジション争いでも競い合う状況にある。(なお、今朝はシステムのメンテがあり、配信が遅れました)

1.独り言コラム
 核の番人であるIAEAの事務局長にアジア人では初めて、日本から、ウイーン国際機関代表部大使の天野之弥さんが、南アのミンティ氏を破って選ばれた。現職のエルバラダイ事務局長(エジプト人)が11月末に3期目の任期を終えて退任するのを引き継ぐことになる。核拡散防止機運が高まっている中で、世界で唯一の被爆国である日本の代表が、このポジションを務める意義は大きい。特に、北朝鮮での核問題が複雑化して来ているだけに、その対応への手腕が期待される。
 さて、最近だが、この種の世界のキーポジションをアジア人が占めることが多くなっている。国連の事務総長を韓国の藩基文(バン・ギムン)が、世界保健機構(WHO)の事務局長を中国のマーガレット・チャン(香港)が占めていて、世界を動かすハンドルを握っている。そういう意味では、今回の天野之弥さんのIAEA事務局長就任の意義は大きい。
 ところで、今までにこの種の世界的な地位に着いた日本人だが、残念ながら、それほど多くはいない。具体的には、国連の事務局次長だった明石康さんの名前が思い出される。かつて、その著名度から、自民党が都知事候補に引っ張り出したのが思い出される。また、ご夫人では、国連難民高等弁務官の緒形貞子さんも立派なお仕事をされたお一人で、小泉純一郎総理時代には、彼女を外務大臣に起用することを考えたようだが、ご本人が辞退されたようだ。この他にも、今でも、小和田恒さんが国際司法裁判所の所長、田中伸男氏が国際エネルギー機関(IEA)の事務局長など、何人かの方が頑張っておられるが、相対的には日本人は少ない。それだけ、まだ日本人の地位が低いといえそうだ。
 いずれにしても、日本人が世界の平和に貢献するような地位で活躍して頂くのは、名誉であり、心強いことであり、大いに誇りに感じる。そういう意味では、今度の天野之弥さんのIAEA事務局長就任には、期待が大きい。大いに頑張って頂きたい。

2.プライベートコーナー
 3時半起床。体重、59.9Kg。お天気は回復模様である。
 さて、昨日の雅子だが、一昨夕の手術で、それまで異常値を示していた各種のデータは、いずれも、前日よりも更に改善されて正常値に戻っていた。順調に快方に向かっているようなのだが、痰が出る状態が続き、それに胆汁の色は依然として黒く、また体温も時々37度以上を示すこともあって、今一つである。先生の説明では、周辺での炎症がまだ残っているためだろうとの見方だった。
 次の山となる胆嚢の切除手術に関し、この病院ではICU設備がないことから、パーキンソン病でお世話になっている吉田病院(仮名)で行なってもらうのがよいのではというK先生のアドバイスがあり、急遽、吉田病院の主治医の春日先生(仮名)に、外科医の紹介をお願いした。今日のお昼に、紹介頂いた先生にお会いする予定である。手術を受けていただければ有難いのだが、…。

3.蓮載、難病との闘い(895) 第三部 戦いはまだまだ続く(189)
  第五章 季節は巡る(60)

 2.初夏から梅雨へ(18)
  (2)いろいろあるね(その7)
 次男の二郎が母の日のプレゼントを送って来てくれた。毎年のことで、送る方も何にするかで苦労しているだろう。特に、今の雅子のように何も出来ない状態だけに、何をしていいのか、それを探し出すのも容易でない。
 それでも、今年送って来てくれたのは、我々には目新しい写真立ての電子機器だった。この種のものは使えるようにセットするのに説明書を読まねばならず、受け取った時点では、直感的にちょっと厄介だなあと云う気持ちだった。
 それでも、とりあえず、電話でお礼を伝えたが、つい口が滑って「年を取ってくると、説明書を読んでいろいろと操作するのは苦手でね」と、つまらない愚痴を言ってしまった。折角、苦労して選んで送れたはずだから、二郎は不満だったに違いない。
 とにかく、翌日、雅子の部屋に持ち込んで組み立ててみた。思っていたような複雑なものでなく、簡単にセットできた。同封されていたスマートメディアをセットすると、孫の写真が次々と一定の間隔で画面に登場して来る仕組みになっている。
 雅子にその写真を見せてやった。知らない間に、孫は随分と大きくなっていて、頼もしく嬉しかったが、何しろ、一年ほど前に会ったきりで、その成長の早さに実感が伴わないず、正直言って、他人の写真を見ているようで、なかなか親しみが出て来ないのが、少し寂しかった。いずれにしても、スイッチを入れておけば、連続的に写真が順番に出て来るなかなか便利な代物で、今の雅子には最適の 贈り物であることは確かである。この場を借りて、改めてお礼を言っておきたい。
 ただ、スマートメディアに取り込んである写真が、縦型と横型のものが入り混じっているので、正しく見ようとすると、その都度その写真立てを縦横に動かして見なければならないのが、雅子が手を使えないだけに少し厄介だ。スマートメディアに写真を取り込む際に、縦型の写真と横型の写真を区別して、別のスマートメディアにしてもらっておけば、随分と見易くなる。
 とりあえず、その日はそれを雅子の座っている椅子の前にある棚に置いて、スイッチを入れたまま帰宅した。次郎には、改めてのお礼のメールを送った。
 いずれにしても、雅子がその気になれば、繰り返し孫の顔を見ることが出来るのである。気分転換と孫を常に意識できることで、有難い贈り物である。(以下、明日に続く)

929 断念

 総合的に成算の見込みがない場合の止むを得ない選択で、当人にとっては、無念で残念な選択である。

1.独り言コラム
 前日には、大きく振り上げたように見えた麻生総理の内閣人事などの人事宣言だったが、終ってみれば、兼務していた二人の閣僚の補充という目立たない小幅な動きに止まった。噂されていた東国原氏の起用、党役員人事は断念したようだ。党内の反対派の力に屈して自分の人事が出来なかったというのが本当のところだという。党内にあつれきと混乱を残したつむじ風のようだった。
 何事も、思うようにならないのが世の常で、情勢を見極め、自分の力のほどを知った上での妥協と云うべき断念は、残念だが、致し方がない選択の一つである。
 筆者が関心を持った最近の断念の事例では、あの高橋尚子選手がマラソンの現役選手から引退した「断念」は印象深い。育ててくれた小出義雄監督から離れて、チームQを結成して頑張ったが、体力、気力、実力の限界を悟ったのだろう。昨年の10月のあの引退を発表した記者会見を思い出すが、賢明な断念だったと思う。
 気になっていたのが、美人ゴルファーの東尾理子さんである。2004年から米国ツアーに挑んでいたが、昨年での成績は全く振るわず、いつも最下位近くの成績で、予選落ちが続いていて、気になっていたのだが、今年は遂に米国ツアーは断念し、日本のツアーに、時々顔を出しているのを見て、ほっとした一人である。地道でも身の丈にあった戦いで実績を高めてゆくのが、結局は早道ではないだろうか。
 米国に乗り込んだプロ野球選手の中でも、怪我や不振で今年は苦労している人が多い。100億円移籍で騒がれた松坂大輔投手も調子が今一つ、また今朝のニュースでは、上原浩治投手も怪我で暫くは故障者リスト入りだ。米国での戦いを断念ということにならないことを祈っている。
 ごく最近の話では、鳩山邦夫氏の長男の太郎氏が、都議選で文京区から立候補する話が進んでいたようだったが断念したという。同区から立候補する保守候補の足を引っ張ることになるからだと言う。
 それにしても、ここに来て民主党の鳩山由紀夫代表にも、政治資金収支報告書に虚偽記載が発覚し、民主党にも揺れていて、大きな痛手である。「鳩山、お前もか」で、上に立つと直ぐにスキャンダルが飛び出してくるメディアの仕組みは凄い。それでも、鳩山当人は、もちろん代表は「断念」しないと強気である。

2.プライベートコーナー
 4時10分起床。体重、60.2Kg(少し重い)、外は小雨が降っている(4時半現在)
 昨夕に緊急手術を終えて一夜明けた雅子だったが、お陰で体温も平熱に戻り、また、血液検査でも、検出された幾つかの異常値もすっかり元に戻っていた。一安心である。実姉の霧子さんがお見舞いに顔を出してくれたし、施設のアクティバ琵琶の日吉ユニットの介護士さんからは、お見舞いの寄せ書きを頂戴した。雅子も、少しほっとした様子に戻っていた。とりあえずの危機を一つ脱し、今週は体調の安定を取り戻し、来週の適当な日に、胆嚢の切除の外科手術を受ける。その手術が次の山場になる。

3.蓮載、難病との闘い(894) 第三部 戦いはまだまだ続く(188)
  第五章 季節は巡る(59)

 2.初夏から梅雨へ(17)
  (2)いろいろあるね(その6)
 高島屋からのカタログだけではない。時には大丸からも送ってくるし、カタログ以外にも同窓会からの案内、或いはそれまでに入会していたいろんなところから、引き続き定期的に郵便の類が送られてくる。それらを見ながら、かつて、雅子が将来のことを考えての手配や思惑が窺われ、健康であったなら、それらを楽しみにしたいと考えていた構図が見えて来て、何とも言えない可哀そうな気持ちに苛まれるのである。
 話は飛躍するが、一考の趣味の将棋の世界では、先に指した手を生かすような手を差し進めるのが、勝利に結びつける大事な考え方とされている。昔、坂田三吉が指した手で「銀が泣いている」と嘆いた指し手は有名だ。これは、1913年に阪田三吉が関根銀次郎(後の第十三世名人)八段との対局でのエピソードで、先を読んで差して置いた端の銀が、結果的には、そっぽに向いた形で遊び駒となって、何の役にも立たずに残ってしまったのを嘆いたのである。
 雅子の今の状況を思うに、それと同じような状況になっていることが実に多くある。定期的に送られてくる郵便物からも、雅子が将来を考えて加入していた会員だったが、今では、ほとんど役に立つこともなくなっていることを思う時、この「銀が泣いている」の言葉を思い出すのだった。
 難病だと気づいた後に、少しでも雅子のことを思って取ったいろんな対応を振り返って見ても、今述べた「銀が泣いている」的なアクションや対応は多い。例えば、リフォームの際に、二階への階段に雅子の安全を期して二本目の手摺をつけた。しかし、それ以降2階へ上ることも出来なくなってしまっていた。また、マイナスイオン効果を期待してのドクタートロンと称される高価な電子機器装置を購入したが、はっきりした効果も得られないまま、無用の長物として部屋の隅に残されている。ウオッシュレット付きトイレもそうである。いずれも、結果的には後追い的に取ったり、購入したりした対応形になってしまったのである。もちろん、その中で、トイレなど幾つかは、今でも使用することは可能だが、一考の生活の仕方では使っていないものがほとんどだ。それらを思うと、まさに、「銀が泣いている」の悔しい気持ちを身を持って味わうことになり、寂しく、無念でもある。
 いずれにしても、人間は、こうして結果的には回りくねった非合理的な足跡を残して一生を終えることになるのだろうと、一考は敢えて恬淡に割り切って考えるようにしている。(以下、明日に続く)

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