プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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1445 台無し

 営々として積み上げて来た努力が、一気に駄目になってしまうケースは世の中には少なくない。まさに、九仞の功一簀に虧く、ことになりかねない。

1.独り言コラム
 NHKの大河ドラマ「竜馬伝」の最終回が放映された。それまでは全く見ていなかった筆者だが、この回だけでも、ということで見ていたところ、ハプニングが起きた。ちょうど、そのクライマックスシーンである坂本竜馬と中岡慎太郎の暗殺シーンに、愛媛県知事選挙の選挙速報のテロップが26秒間も乱入したのである。筆者も「おや、おや」ということでかなりの違和感を覚えたが、NHKには視聴者からブーイングが殺到しているという。
 確かに、その通りで、NHK内部の連係プレイの悪さが露呈された一例だ。速報は一刻も早くという使命を持つが、この種の芸術作品には余計な傷を付けるのは作品を台無しにしてしまうことになりかねない。NHKさんも、この辺りの対策はしっかりと考えてもらう必要があろう。
 ウィキリークス(WikiLeaks)が大きな問題になっている。25万件ものアメリカの外交の秘密情報が公開されていると言うのだ。中には、外国の要人を酷評しているものもあり、情報の対象者たちは堪ったものではない。そのことで、オバマ大統領らは窮地に追い込まれているという。幸い、日本に関するものは、今のところは、これはというものは出ていないようだ。内容次第では、積み上げられた外交が台無しになってしまうことにもなりかねない。
 サザンオールスターズの桑田佳祐さんが、NHK紅白に特別枠として出場する。8月に食道がんの手術を受けてリハビリに努めていた。27年ぶり4度目の出場だと言う。無理して声を出して喉を痛めたら、これからの歌手生命を台無しにしてしまうリスクもあるが、…。
 酒井法子さんが自叙伝を出すと言うが、罪を犯した人間が、その内容を暴露することで本を出して売れるということになるこのサイクルが、筆者には何となく気に入らない。台無しになったタレントの復活手法の一つなのであることは確かだが、果たして、酒井さんの場合はどうなるか、注目したい。
 酒に酔った市川海老蔵さんを殴って怪我させ26歳の男に逮捕状が出たようだ。海老蔵さんは、顔を守ろうと必死だったという。顔が大事な商売道具だけに、怪我の具合次第では、歌舞伎俳優として台無しになっていたかもしれない。それにしても、御曹司として甘やかされていて、酒癖はよくなかったようだ。
 政治的な指導力不足で菅直人総理は、既に台無し状態だが、それでも政権にしがみ付いて頑張っている。支持率が1%になっても辞めないと言っているが、それでは日本国が台無しになってしまうことになりかねない。そうかと言って、菅直人さんに代わる人はいるのだろうか。見当たらないのが心配だ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時35分起床。体重、60,0Kg,13ヶ月ぶりの低位。なお、11月度の平均体重は、61.0Kgである。寒さは昨日並み、お天気は良さそう。
 昨日の雅子も安定していた、一考をしっかりと見てくれる時間も長く、気分は落ち着いていたようだった。一考の都合で車椅子の散歩は中止。
 なお、母親は昨日、日赤病院の耳鼻科で看てもらった結果、幸い大事ではなさそうだ。口内の洗浄を強化する指針が出された。

3.連載、「難病との闘い総集編」(41)
   第二部 自宅介護(1) 第一章 手探りの二人三脚(1)

  (1)帰郷で知った大変さ(その1)
 「とにかく、これからは、厄介なことは僕に任せてくれ。今までのご苦労を埋め合わせることは出来ないかもしれないが、可能な限り、いい旦那になるように頑張るよ」帰郷早々に一考が雅子に掛けた殊勝な言葉だった。
 年の瀬の慌しさの中で得た安らぎの言葉に、雅子はほっとしたように微笑んだ。何しろ、旦那様から、そんな優しい言葉を掛けられたのは新婚時代以来のことで、何か、テレビのホームドラマでも見ているようで、多少の戸惑いさえ覚えていた。
 しかし、雅子には一考への幾つかの不安が内在していた。それまでの長い間の単身での自由な生活から、お母さま中心の不自由で、単調で地味な生活に加えて、左手首の不自由な妻の面倒を看る厄介な生活に、堪えられるかどうかが気掛かりだった。
 加えて、学生時代から一考の念頭には、創作活動という夢への挑戦があって、趣味の延長という捉え方ではあったが、暇を見つけては夢の実現に向かって取り組んでいた。退職後も三年間、東京に居残って、地道に活動を継続していたのも、それへの執着があったからだった。書き上げた幾つかの作品を、出版社のコンテストや各種文学賞に応募したが、残念ながら夢は叶わなかったと、一考から聞かされていた。本人は「才能がなかったと自覚できての、御旗なき帰郷になるが、悔いは無い。すっきりした」と開き直ったように、快活に話してくれていたのだが、本当に自分の気持ちがきちんと整理できているのどうか、雅子の胸中には、何となく心配な事の一つとして浮遊していた。
 それに対して、一考自身も、口では明るく、雅子を励ましてはいたが、この難病の中身を知るにつけ、重苦しい不安と開き直った気持ちが交錯していて、熱い物と冷たい物を同時に飲み込んだような落ち着かない気分だった。それと云うのも、この病気は、命には心配がないが、進行性で不治の難病であり、先行きへの掴まえ所のない不安を打ち消せない。今の時点では、日常生活には実質的には大きな支障はないにしても、これがどんどんと進行し、場合によっては身体全体に不自由さが拡大してゆくとしたら、どうなるのだろうか。得体の知れない悪魔を抱え込んだようで、今後を思うと、雅子への気の毒さと同時に哀れさに胸の痛みを感じていた。
 しかし、いつまでも、そんな受身の同情だけでは何の解決にも繋がらない。自分が身を挺してサポートする以外に彼女を守ることは出来ないと、一考は自らに幾度も言い聞かせるのだった。それは、いみじくも、今まで何事も任せ切りにして来た自分の至らなさへの報いであり、自らに起因する不幸と捉え、それへの償いとして全力を尽くして雅子を守って行こうと、改めて気持ちを引き締めるのだった。同時に、単に不安を「憂う」のではなく、開き直って「なるようになるのだ」と腹をくくり、如何なる展開にも力強く応戦して行こうと、自らを叱咤激励するのだった。
 そんなことで、一考が帰郷して数日後に迎えた2005年(平成17年)のお正月は、今までとは違って、ちょっとした慌しい段取りの中で迎えていた。
 先ず、雅子の用意したお雑煮で、母親をまじえて三人で元旦を祝った後、一考と雅子は次男の二郎の家族がいる博多に向かった。とにかく、この段階でも、雅子が不自由な手だったが、ちゃんとお雑煮を用意してくれていたのである。
 次郎たちは、両家に配慮して一年交代で、それぞれの実家で正月を過ごすことにしていて、今までの順序だと、次郎たちが、大津の実家に来て、一緒に正月を迎えることになっていたが、子供が生まれて半年少々であり、長距離を移動するのはよくないとの考えから、一考らが博多に移動することにしたのだった。そのため、姉の久子が母親の面倒を引き受けてくれた。弟思いの久子らしい配慮である。
 幸い、元日の昼過ぎの博多行き新幹線は混んでおらず、のんびりとしていた。自分達の経験から、親が訪ねて行くことで、息子達になるべく余計な迷惑を掛けないようにとの配慮と、彼らのマンションのスペースのことも考慮し、寝泊りは、一考が現役時代によく使ったビジネスホテルのツインを使うことにした。雅子の症状は左手の不自由さが目立って来てはいたが、移動、宿泊などには、一考のちょっとしたサポートがあれば充分で、この時点では、大きな支障にはなっていなかった。(以下、明日に続く)
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1444 のこった、のこった

 浅田真央ちゃんが、今年もグランプリ・ファイナルに出られないといったように、目標に対し、駄目だという結論が出てしまえば、それはそれで仕方ないことだが、土俵際でも、「のこった、のこった」で、細くても、険しくても、まだ道が残されていることは、幸せというべきだろう。

1.独り言コラム
 注目された沖縄県知事選挙は、仲井真弘多氏が再選された。同氏は「県内移設はない」としており、普天間基地移設問題の話し合いは難航するものと思われる。しかし、政府との話し合いには応じるとしており、最悪の選択は避けられたと政府は見ているようだ。普天間移設問題は、日米安全保障の基軸に関わることで、今更変更できるわけでなく、仲井真知事及び沖縄県民を如何に説得するのか、菅総理の今後の指導力が注目される。いずれにしても、政府としては、最悪の選択ではなかったようで、土俵際いっぱいで、のこった、のこった、である。
 一方、海外では、北朝鮮の出方が注目された米韓合同演習が昨日から黄海で始まった。緊迫した朝鮮半島の雰囲気の中での第一日は差し当たっては無難に終ったようだが、島民の大半が島を離れた延坪島は、恰も戦争の雰囲気だという。そんな中で、中国が六カ国の主席代表による緊急会議を新たに提案してきた。今までの六カ国協議ではなく、緊急の課題について話し合いをしようと云うもので、日米韓の対応が注目される。ここでは、のこった、のこった、なのだろうか?
 さて、久し振りの日本人力士の優勝の願いを背負って頑張ったと豊ノ島は善戦及ばず、横綱白鵬の強さの前に散った。5場所連続優勝で、63連勝で一旦ストップしたが、その後、既に13連勝中である。このまま勝ち進めば、来年の名古屋場所がまた69連勝を狙う場所になるのだが、…。のこった、のこった、である。
 男子ゴルフの今年の賞金王争いは、最終戦の日本シリーズJTカップに持ち込まれた。注目されたカシオワールドオープンは、期待された石川遼選手が、予選ラウンドで振るわなかったものの、決勝ラウンドに入って粘って8位に食い込んで、賞金王への可能性を残したのはさすがである。幸いしたのは、トップを走っているキムキョンテ選手が20位に終ったことで、これで5位に入った池田勇太選手の三人が最終戦で賞金王を争う。石川、池田の両選手は優勝する事が絶対条件だが、キムキョンテ選手の成績如何で、大逆転賞金王の可能性が残ったのである。まさに、土俵際で、のこった、のこった、である。
 芸能界では、体調不良で7月から休んでいたナインティナインの岡村隆史さんが復帰したという。この世界は、ちょっとでもテレビの画面から姿を消すと復活が難しいと言われているだけに、同氏の場合は、どうやら、のこった、のこった、ということにようだ。
 米大リーグを目指していた楽天の岩隈久志投手は、ポスティングに応募し、アスレティックスが交渉権権を得たものの、条件面が合わずに交渉はストップしている。来シーズンの岩隈はどうなるのか、どうやら、楽天に、のこった、のこった、ということになるのだろうか。その去就が注目される。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、60.6Kg.朝の寒さは少し厳しさが加わっている。お天気はそこそこのようだ。
 昨日の雅子は比較的安定していた。テレビも時々見ていたようだし、午後には車椅子で散歩をしたが、顔つきは楽しんでいる(?)ようだった
 このところ母親の状態が良くなく、姉の久子が病院通い。昨日も夕方になって日赤病院に連れて行くというので付き合った。いろいろと大変だ。

3.連載、「難病との闘い総集編」(40)
  第一部 潜伏期(38) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(14)
  3.東京撤退一部始終(その3)

 帰郷までの残された時間が切迫する中で、一考には、やっておきたいことも幾つか残っていた。
 一つは、三十数年も東京にいながら、皇居の吹上殿に入ったことがなかった。一旦帰郷してしまえば、恐らく、もうそんな機会を作るのは難しい。幸い、12月23日の天皇誕生日という貴重なチャンスが残されていた。
 この朝、一考は早起きして7時半過ぎに家を出たが。半蔵門に出たのが失敗で、正門まで2Km程度歩かねばならなかった。急いで所定の待機列に到着した時刻は8時45分になっていたが、幸いにも、その列にはまだ誰も並んでおらず、自分が一番先頭だった。列は三つに分かれて組まれていた。真ん中の列の先頭辺りには、右翼とおぼしきグループが多くを占めていた。それぞれの列は9時半に移動を開始、45分頃に吹上殿前に到着した。ニュース映像などで見覚えのあるその建物は、長さが150メートルほどある風格ある長い建物で、大きな緑の屋根が伝統的な厳かさを感じさせた。
 定刻になって合図があり、列はそこで一気に横に広がって150メートルある吹上殿の前を取り囲む形に組みかえられたが、一考は、ここでも一番前の位置を占めることが出来た。寒い中で待つこと三十分、10時20分に天皇一家が登場され、かぶりつきで拝顔させてもらったのである。陛下の挨拶は2-3分であっけなかったが、初めての体験に満足していた。その後は、流れ解散的にゆっくりと歩いて桔梗門から外に出た。清々しい気持ちを味わっていた。
 もう一つの思い出は、東京での同期の仲間たちが、一考が東京を去るということで、改めての送別会を用意してくれた。温かい配慮を有り難く思いながら、楽しい時間を過ごすことが出来た。
 3年前の退職時に盛大にやってくれた仕事仲間とのお別れ会も感動的だったが、帰郷すると言うことで、わざわざ集まってくれた同期の仲間達との飲み会も、それと同等以上の楽しく、温かいものだった。互いに競った仲間だったが、退職して三年も経つと、気分的には相互に丸くなっていて、今更、厳しかった過去のゲームのことには触れることもなく、楽しい時間を過ごすことが出来た。年齢的に見て、もうこのメンバー全員と同時にお会いすることはないだろうと思うと、感情も高ぶってくる。仲間の一人が俳句をやっていて、記念に色紙に一句作ってくれた。「迷いなく 帰る大津を 恵方とす」は、帰郷後も、ずっと、一考の手元にあって、数多くの思い出と共に飾られている。
 改めて思うに、東京での長いサラリーマン生活での戦いは、自分の志を果たせないまま無念の負け戦に終わったが、それでも退職後に、歩きと執筆で楽しんだ3年間は、望外の実績と思い出を作ってくれた。
 健康保持を目的として始めた歩きは、地図上で計測すると、歩いた総距離は、およそ2500Kmに達していた。日本列島を縦断した距離に相当する。良くぞ歩いたと自分ながら感心するのだった。その結果、大抵の有名な道、通りは歩いたし、23区内にある77の警察署を全部訪ね回ったし、名の知れた観光スポットを織り込んだ散歩コースも42コースを歩き切った。また、長距離歩行でのマラソン距離の挑戦も、琵琶湖毎日マラソンコースの1本を含めて16本を数えた、最後に挑戦した高尾山入り口から永福町の自宅のマンションまで、甲州街道を延々と歩いたコースが、最後の長距離歩行になっただけに特に印象深い。
 楽しかった歩きの中でも、一考が最も入れ込んだのは、23区内にある名前の付いた坂道探索だった。見つけた坂道の数は、何と680を越えていた。帰郷を目前にした12月26日、駆け込み的に最後に訪れた坂道は、小田急の成城学園前付近にある「畳屋坂」だった。探すのに苦労すると思っていたが、直ぐに見つかった。荒玉水道近く、砧小学校交差点手前の仙川近くにあった。結局、これが、一考の坂道探索の「大トリ」の坂道となった。自らがエクセルシートに纏め上げたこれらの坂道リストは、今や一考の掛け替えのない宝物の一つである。
 故郷に飾る錦の御旗はなかったが、悲喜こもごもの多くの思い出を、多少の漏れはあるものの、自らの記憶と云うメモリーボックスに納めた一考が、雅子のサポートという新たな使命感に燃えて、慌しく帰郷したのは、暮も押し詰まった2004年12月27日の夕方だった。(以下、明日に続く)

1443 自信喪失

 自信に満ちている人は、見ていてもきらきら輝いている。人は常にそうありたいが、それは至難の業で、誰しも、時には、それを喪失してどうやっていいか分からなくなる時もある。一方、それが過剰になると隙を生むことになり、そのバランスは難しい。

1.独り言コラム
 フィギュアスケートグランプリの最終戦がパリで始まった。グランプリファイナルに出場するための椅子は一つしか残されていない。東京大会で出遅れた浅田真央ちゃんの奮起が期待されたが、心配された通り最初のジャンプで失敗、更に三つ目のジャンプでも転倒、見ていて気の毒な展開に終った。
 今の浅田真央ちゃんは完全に自信を喪失しているように見える。演技の始まる前の全員の練習振りを見ていても何度かおどおどしているように見えた。また、演技が始まっても、ハラハラしながら見なくてはいけない。これでは高得点は期待できない。復調には時間が掛かりそうだ。このスポーツは、ジュニア時代からシニアに移ってゆく段階での演技の調整が難しいように思われる。
 昨夜は、テレビ朝日が録画放送をしていたが、腹が立ったことが二つあった。一つは、演技を終えた真央ちゃんへのくどい質問をしていたインタビュアーの対応だ。本人が失敗して落ち込んでいるところを、ぐいぐいと指を突っ込むような嫌な質問をするのは如何なものか。真央ちゃんは、何回か言葉に詰まって絶句していたではないか。もう少し相手の気持ちを汲んだ質問に限るべきだろう。
 もう一つ気になったことは、今期既にGPファイナルへの出場権を得ている安藤美姫さんがゆとりをもって観戦していているシーンをカメラが捉えていた。勝者のゆとりなのだろうが、浅田真央に挑戦を挑んでいるようで、何だか筆者には気になっていた。日本の期待の星の浅田真央さんは、今期は諦めて、来季での完全復活を期待したい。(今朝の速報では5位に終ったようだ。男子は小塚崇彦選手が優勝し、ファイナル進出を決めたという)
 さて、自信喪失と言えば、今の菅総理もその一人ではなかろうか。政治主導と言いながら、尖閣諸島での漁船衝突事件、今回の北朝鮮の韓国砲撃事件などの対応を見ていても、総理らしからぬ対応が多く批判されている。その一方で、昨日は、支持率が1%になっても辞めないと豪語していたようだが、これは自信があって言っている訳ではなく、むしろ、自信の無さの裏返しなのである。逆に、問責決議を受けながら堂々と居座っている仙谷官房長官は自信過剰であって、手の付けられない独断政治家の典型だ。歴代の官房長官の中ではタイプの違った存在感のある特筆すべき一人である。
 ところで、今、自信に満ち溢れている人といえば、やはり横綱白鵬をおいて右に出る人はいないのではなかろうか。余談だが、お酒を飲んで殴られて重症を負った市川海老蔵さんは、自信過剰が裏目に出たのではなかろうか。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、60.7Kg.朝風呂を浴びる。小雨がぱらついている。お天気は悪そう。
 昨日の雅子は午前中は反応がほとんどなく「ロー」な気分のようだったが、午後になって少し回復し、話を聞いてくれているような状況に戻っていた。一進一退の症状である。
 筆者の母親(98歳)が体調を壊しているのだが、一度雅子に会いたいと言っており、そのための対応を検討している。来週にでも母親を病院に連れて行こうと考えている。

3.連載、「難病との闘い総集編」(39)
  第一部 潜伏期(37) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(13)
  3.東京撤退の一部始終(その2)

 一考が、東京を撤退し、帰郷を12月末と決めたことで雅子もほっとしたようだった。差し当たって、一考は、撤退のための準備に入る一方で、やり残していることなどもリストアップして、その段取りなどを考え始めていた。
 そんな時に、雅子から、帰郷までに、もう一度大津に帰って来て欲しいという要請があった。11月末に大型ゴミの収集日があり、この際処分したいものが多くあるのだが、左手の不調から自分では対応できないというのであった。年に4回しかない大型ごみの収集日なので、簡単に、次回にと云う訳にもゆかない。今までは、全て雅子任せであったが、今回はさすがに、手の症状が悪化して来ていて、自分ひとりでは手に負えず、一考の手助けが不可欠だった。
 そういう事情で、一考は11月の最終週に再度大津に帰宅した。幸い、ちょうど雅子の定期診断日に重なっていたので、この機会に雅子に付き添って吉田病院を訪問し、初めて春日医師に面談した。以前からそうであったが、雅子は、あまり見栄えのしない夫を友人達など他人に紹介することには消極的で、今回も、一考の付き添いの申し出にも、直ぐには応ぜず、自分一人で大丈夫だと同行を嫌ったが、夫の義務だと諭しての同道だった。  お会いした先生は、体つきは華奢で、如何にも研究者といった感じで、その道の権威者らしい雰囲気が横溢していて、雅子好みのタイプの医師だった。とにかく、その先生にお任せするしかないことで、一考からも丁重なお願いの挨拶をしたのだった。
 この滞在期間は、いろいろと多忙だった。東京からの持ち帰る荷物の受け入れスペースを確保するための部屋の模様替えが必要で、大きなタンスや本箱、鏡台などを移動させることで汗を流した。
 この間、母が体調崩し、義姉の久子が泊り込んで看病した。一考は、長男である自分達で、それをカバーできず、久子に頼らざるを得なかったことに、忸怩たるものを感じていた。
 また、この間に行なわれていた母屋の縁側のサッシ工事にも立ち会ったし、期限の来ていた自分の運転免許の更新手続きをしたりで、慌しく、ばたばたした一週間の滞在だった。
 そんな中でも、暇を見つけて、雅子を助手席に座らせて、車の運転練習を開始した。何しろ、日本で運転するのは、かれこれ十数年ぶりで、運動神経に音痴な一考には不安が付き纏う特訓の始まりだった。とにかく、今後の自分達の生活には車がなくては成り立たない。九十二歳になる母親の世話をするにも車は不可欠で、一刻も早いマスターが必要だった。
 数日後、東京に戻ろうと京都駅の新幹線ホームで列車を待っていると、急に一考にセンチメンタルな思いが去来して来るのだった。夢と希望で憧れて東京に向かったのは大学を出て直ぐのことで、それから40年ほどの歳月が過ぎていた。この間、百回以上はと東京との行き来をしただろう。それが、今回が、さし当たっての最後の上京となるのだと思うと、珍しく、込み上げてくる感慨に襲われたのだった。長かったサラリーマンの戦いは志半ばで不満な結果に終っていたが、東京での生活は、確かに楽しかったし、生き生きしていて充実していた事と、逆に、失望して落ち込んだことの入り混じった日々だった。そういう意味では、東京は、人生の勝負を挑んだ決戦の舞台として申し分なかった。一考は、その日の日誌に、「負け犬の 最後の上京 冬ぐもり」と記した。
 引越しの準備は結構厄介だった。各種の転宅に関する手続き、手配などにも煩わしさがあったし、一考が出た後のマンションを賃貸を依頼する手続きなども必要だった。中でも荷物作りは、三十年以上の東京生活での垢が蓄積されていた上に、ワンルームマンションでスペースが狭くて、パッケージした荷物の置き場所も狭くて、そのやりくりに苦労し、汗にまみれて奮闘せざるを得なかった。
 しかし、荷物の整理がなかなか思うように捗らず、一考は焦燥感を覚え始めていた。狭いワンルームマンションのスペースを出来るだけ有効に使おうと組み立て家具に多額の投資をして、立体空間をいっぱいに使っていたことから、荷物の量は見た目以上の多く、また、経費のことを考えて、一人で荷造りしたこと、加えて、そこには、三十数年の東京生活の思い出が随所に残っていて、処分するのに未練が邪魔したことも多かったからである。何しろ、大津の実家もスペースが限られていることから、余計なものはなるべく処分しなければならなかった。今から言えば、笑い話になるのだが、将来に小説を書くための資料として集めていたものも馬鹿にならいくらい多くあったが、ほとんどを廃棄処分することで、残念な思いを断ち切ったのだった。(以下、明日に続く)

1442 気もそぞろな一喜一憂

 朝鮮半島情勢が緊迫する中で、政治、スポーツの世界では、熱を帯びた戦いが展開されていて、国民も落ち着かない気分で、それらの成り行き、結果に一喜一憂している。何だか妙な落ち着かない気分の今朝の心境である。

1.独り言コラム
 アジア大会もいよいよ終盤、昨日も幾つかの種目で日本人選手の活躍、頑張りが光っていた。
注目のソフトボールでは中国との間で決勝戦が行なわれ、2-0で破って金メダルを奪った。北京オリンピックで金メダルに導いたあのエース、上野由岐子の見事な完封が光っていた。
 男子バレーも、昨夜の決勝でイランを破って16年ぶりの金メダルを獲得した。凄かったのは、準決勝の韓国との戦いで、2-0とリードされた後、残りの3セットを連取しての大逆転が何といってもハイライトだった。
 他にもカヤックというあまり馴染みの無い種目で、男子は松下桃太郎、女子は北本忍選手がそれぞれ金メダル、また男子槍投げでは、村上幸史選手が自己新の83.15メートルで、レスリングでは女子の吉田沙保里選手が、それぞれ金メダルを獲得して気を吐いた。
 しかし、何と言っても中国は強い。金メダルの数で見ても、中国が197に対し日本は48というから、あまりにもその差が大きい。中国は不気味な存在だ。
 ボクシングでは昨夜ダブルタイトルマッチが行なわれ、二人の日本人チャンピオンが誕生した。一人が二階級アップした長谷川穂積選手がフェザー級で、メキシコのブルゴス選手を、もう一人がスーパーフェザー級の粟生隆寛選手で、ドイツのタイベルト選手を、それぞれ3-0の判定で下しての見事な勝利だった。
 二人は、期待のKO勝利ではなかったが、その代わりという訳ではないが、その前日の西麻布で、歌舞伎界の御曹司の市川海老蔵さんが、お酒を飲んで喧嘩して殴られ、KOをされていた。かなりの大怪我のようで、12月の京都の顔見世舞台を休むという。何とも頂けない御曹司の不祥事である。妻の小林麻央さんの胸の痛みは、旦那の大怪我以上に大きいのではなかろうか。
 趣味の世界では、将棋の竜王戦の渡辺明竜王と羽生名人の第4局が行なわれ、終盤のねじり合いの大激戦の末、羽生名人が押し切って勝ち、2-2のタイに持ち込んだ。この将棋は、終始羽生名人が攻めていた将棋で、渡辺竜王はじっと我慢で受けに回って堪えていた。そして終盤になってチャンスが巡って来ていたのだが、その逆襲が一歩早過ぎて勝ちを逃したようだった。手に汗握る大接戦でファンも興奮した名局だった。これで、竜王位の行方は混沌である。
 大相撲では11連勝と快進撃だった魁皇を横綱白鵬が堂々と寄り切って下した。これで優勝争いは、平幕の豊ノ島とトップタイに並び、大関の把瑠都と魁皇が追う形となった。その豊ノ島は今日は魁皇と、また白鵬は大関把瑠都と対戦するので、この二番が優勝の行方を決めることになる。
 さて、国会では、懸案の補正予算はやっと成立したものの、参議院に仙谷官房長官と馬渕国交大臣に出された問責決議案が可決された。しかし、二人はそのまま居座るということで、今後の国会運営が注目される。
 とにかく、今、中国の存在が世界の動きに大きな影響を持っている。スポーツでも今回のアジア大会で、その底力を示しているが、今後その中国とどう付き合って行くか、日本も世界も難しい局面に立たされているといえよう。 

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時半起床。体重、60.6Kg.天気はおおむね晴れと云う予報である。
 昨日の雅子は総じてまずまずの様子だった。気分的にハイな時とロー時が見られるが、昨日はどちらかと言えば、呼びかけへの反応も低調で、ローな状態だった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(38)
  第一部 潜伏期(36) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(12)
  3.東京撤退の一部始終(その1)

 誰にも、長い人生には、或る偶然の出来事が、自分の運命を左右する関わった大事な日がある。
 2004年11月12日、この日は、一考が、神様に感謝しなければならない重要な日となった。突然、思いがけないアクシデントに出遭ったのである。
 この日、朝方は小雨が降っていたが、午後になって晴れ間が広がって来たので、数日前から雅子の要請で自宅に戻っていた一考は、ちょっとした買い物を思いつき、二人揃って近くのDIYに買い物に出掛けた。それは、そのDIYから帰る途中での出来事だった。 
 生来の運動神経の鈍さ、加えてその不器用さから、一考は車の運転はしないことにし、家では雅子にまかせっきりで頼っていたのである。その日も。左手に多少不自由があったが、二十年以上も運転実績のある雅子を信頼して、一考はいつものように助手席で雅子の運転に身を委ねていた。
 その時走っていたのは、国道などの交通量の多い大通りではなく、JRの高架下に沿った裏の側道で、車の通りも比較的少なく、一考は特に気を配ることなく、いつもの通りのんびりした気分で助手席にいた。やがて、車は、もう直ぐ自宅という辺りにあるちょっとした登り坂のS字カーブに差し掛かっていた。何気なくバックミラーに目を遣っていた一考の目には、後ろから接近して来る車を捉えていた。少し気分を引き締めて、運転している妻の方に目を移した時だった。
 雅子のハンドル操作が乱れたのである、それは想定外のことだった。彼女の慣れた運転技術では考えられないもたつきだった。切り返しのハンドル操作が遅れて、危うくガードレールにぶつかりそうになったのである。「まずい」と思った瞬間、意外にも、運動神経の鈍い一考が、咄嗟に助手席から手を伸ばして、ハンドルを鷲づかみにして、大きく右に切ったのである。車は、幸い、際どく、そのガードレールに接触することなく、うまくすり抜け事なきを得たのだった。瞬間、一考は、背中に水をぶっかけられたようなヒヤッとしたものを感じたが、何事もなかったことで、ほっとして一息ついたのだった。
 この時、はからずも、一考は、雅子の左手の指の病状が思ったよりも悪化していることを知ることになった。また、大事に至らずに、こういう形で彼女の運転への危険性を教えてくれた神に、一考は心から感謝するのだった。
 とにかく、一考の受けたショックは小さくはなかった。そういえば、今回帰って来た直後に、母親を連れてお墓参りに出掛けた時も、いつも安定している雅子の運転が、少々乱れがあったことが思い出された。また、この帰郷期間中に、妻の日常生活の所作を垣間見るにつけ、料理での包丁使い、着替え時のボタンの閉め外し、缶、ビン、各種パックの蓋の開け締めで手間取っている雅子を見て、以前よりも症状が悪化しているのではと感じてはいたが、気の毒さと若干の不安を覚えたに止まっていて、運転に支障が出るとは考えていなかった。
 このまま、雅子に運転を続けさせることは危険である。あのS字カーブでの出来事は、雅子の左手に黄信号が灯ったことを教えてくれたのだ。神様の優しい配慮であると一考は解釈するのだった。そして、ここが決断のしどころだと一考は自分に言い聞かせたのである。何時までも、都内の歩きや執筆にうつつを抜かしている場合ではない。その晩は、そのことを巡って一考は考えを巡らせていた。
 翌朝、一考は、ここが潮時だと東京撤退を決意し、12月末には帰郷することを決断した。これ以上もたもたしているゆとりはない。取り返しのつかないことになってはいけないという思いが一考の決断を促した。(以下、明日に続く)

1441 いのちさまざま

 掛け替えの無い命だが、毎日の生活、戦いの中で、命は様々な側面を見せてくれている。言うまでもないが、戦争、殺人、自殺だけは、命が最も嫌う人間の行為である。

1、独り言コラム
 延坪島(ヨン・ピョン島)に入った報道陣が見た惨状は予想を超える悲惨さだった。ビデオ映像が映し出したその壊滅の凄さは目を覆いたいものがある。民間人2人を含む4人の尊い命が失われた。亡くなった方には申し訳ないが、よくぞ死者が4人で済んだことにびっくりするぐらいの凄い惨状だった。
 一方、昨日の裁判員裁判で、18才の被告が死刑判決を受けた。妹ら3人を惨殺した犯行は蛮行であり決して許されるものではないという判決だった。命の尊さを示した判決としながらも、死刑という判決には、ちょっとした矛盾はあるが、それだけその尊さが主張された判決と見るべきなのだろう。
 自殺は依然としてその数が減らない。日本では年間3万人もの方が自ら命を絶っている。授かった命だけに、精いっぱい生きる事が大事であることは申すまでも無いが、死をもって何かを訴えるといういわゆる諫死という散り方もある。
 三島由紀夫が市谷の自衛隊に乗り込んで、日本を憂う演説を行なった後に、切腹自殺を演じた日から、昨日がちょうど40年目だった。当時の週刊誌の紙面に報じられたあの目をかっと開いた生首の写真は今も大事に保管している。当時、同氏に関心を深めていただけに、筆者の受けた衝撃は大きかった。週間読売が同氏の死についての感想文を募集していたので、思わずそれに投稿したのを覚えている。その種の投稿はそれが初めてで、それは、筆者の血気盛んな20代最後の年だった。
 その感想文には、命を失うことを微塵も恐れず、その最後の場面までをきちんと計算して演出するという同氏の冷静な行動に感動したと言うのが骨子で、そのような考え方は、初期の作品の「仮面の告白」の中に示唆していると論じたのを覚えている。あの難しい漢字を使った格調高い表現が気に入っていて、数少ないプロ作家だと崇めていた。また、命を断つと云う一瞬の行為で、その豊饒な知識、才能をいっぱいに含有している同氏の「脳」が機能を失ったことへの日本の損失を無念に思ったことを今も思い出す。特に印象に残っている同氏の行為は、遺稿となった「豊饒の海」の4巻目の「天人五衰」を書き上げて、それを新潮社に届けてから、市谷の自衛隊に乗り込んで、命を賭けた最後の演技を披露した演出への果敢な行動に感動を覚えたのだった。その市谷に乗り込む際の心境は、吉良邸に討ち入った大石内蔵助たちのの心境に通じるものがあったのではなかろうか。
 さて、明るい話で締め括ろう。命を賭けて戦ったアジア大会での福島千里選手は、100メートルに続いて200メートルでも完勝し二つの金メダルを獲得した。日本人選手ではこの2冠達成は初めての快挙だった。ロンドンオリンピックが楽しみである。
 大相撲では38歳の大関魁皇が11連勝し、白鵬、豊ノ島とトップを並走している。失うものはないと言う気持ちで、毎日の一番に命を掛けて戦っているのだろう。若し今日、横綱白鵬に勝つようなことになると大変なことになる。相撲ファンはそれを待っている。
 先日、ニュースゼロのキャスターだったフリーアナウンサーの小林麻央さんと結婚したばかりの市川海老蔵さんが、お酒を飲んで喧嘩となり大怪我を負ったという。トラブル・ゼロとは行かなかったが、命取りにならなかったのは、不幸中の幸いだっただろう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、60.6Kg.お天気はまずまずのようだ。
 昨日の雅子は、安定していた。パーキンソン病のお薬をもらいに吉田病院を一考が訪問、半日外出していたが、幸い、雅子には大きなトラブルもなかったようだ。春日先生の話では、栄養補給が、症状の悪化を抑える一つの要素だとのアドバイスがあった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(37)
  第一部 潜伏期(35) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(11)
  2.ターニングポイント(その6)

 ソウルから帰国した二日目の2004年10月23日の夕方、新潟で大地震が発生した。震度6で、東京でもかなり揺れて、一考は、思わず部屋の中の本箱を支えたくらいだった。テレビは全局で直ちに地震の報道に切り替えられた。
 ドラマティックだったのは、行方不明だった家族三人の乗った車が、二日後にトンネル手前の岩石の中で発見された。そして、その翌日の午後になって生存者がいることが判明、危険な余震が繰り返し続く中で、息詰まる救出作戦が、全国民が注視する中で展開されたのである。結果は、明と暗の複雑なものだったが、僅か二歳の子供が92時間を堪えて生存していたという感動は、全国民を歓喜の渦に巻き込んだ。
 一考は、この種の事故、事件でいつも思うことである。それは、何故、その時間に、その人たちが、そこにいたかということである。そのタイミング、場所が、少しでもずれていたなら、その車は事故に遭っていなかった可能性が高い。つまり、その時間に、その車が、そこを走っていたという事実に、一期一会の不幸版を見るようで、人の運命の微妙な綾を思うのである。それは、恰も、1000人に一人と云う難病に、何故、神様が雅子を選んだのかという謎と相通じるものがある。一期一会の不幸版に、一考は、人生の綾の微妙さを思い、胸を痛めるのだった
 この頃、大津の実家では、老朽化した家の部分的な改修を久子が推し進めようとしていた、縁側のガラス戸がきちんと締まらず、隙間風が冷たく、寒くなる時期の到来に対する応急の処置が施されようとしていて、雅子から、そのことで、一度帰って来て欲しいとの要請があった。一考には、この機会に他にも済ませておきたい事もあったので、とりあえず帰ることにした。
 改修については、建築してもう半世紀を迎えるという時代物だから止むを得ない訳だが、一考は、今更、つぎはぎ的なパッチワーク工事では無駄遣いになってしまうので、やるなら、思い切って全部建て替えるべきだと思ったが、母思いの久子は、目先の冬対策ということで、既に工事屋さんに頼んでいたということだったので、このことには、今更の口出しを止めたのである。
 一考が、この機会に済ませてしまいたいと考えたことは、母親が父から相続した株券の扱いだった。非常に馬鹿げた話だが、母親のような年になると、今の新しいやり方にはついて行けないことが多い。例えば、銀行のATMが使えないし、信用しないのである。従って、いつも自分が銀行や郵便局の窓口に行って、自らが頼まないと気が済まないのだ。
そんなことで、株券も、手元に置いて管理していた。だから、外出時には、その都度、風呂敷に包んで持ち歩くというリスキーなことを繰り返していた。いくら、証券会社に保護預かりをしてもらうように説得しても、ああいうところは、悪い人がいて、いつ騙されるか分からないからといって受け入れない。話しにならなかったのである。
父が亡くなった時にも、その名義変更手続きで、株券を一旦は証券会社に預けねばならなかったのだが、その場合でさえも、それを嫌って、手間を焼かせたことがあった。とにかく、コンピューター時代には、ついてゆけない年代層なのである。このような厄介な姑に付き合ってきていた、雅子の忍耐強さには、改めて頭が下がるのだが、そんな忍耐の積み重ねが、仇になったのではと考えたこともある。
 さて、その株券が、その時点での5年後(2009年)には、電子化されることに伴い、証券会社にその必要な手続きを依頼する期限が、この年末までだということが分かり、その対応が急務となった。そこで、この機会にその手続きを終えてしまいたいと考えたのである。しかし、母親の社会システムへの不信は強く、なかなか思うようには捗らなかった。おまけに、耳が遠いから大きな声で話さなければならず、他人が聞けば、大変な喧嘩をしているようで、説明する自分が嫌になってくるのだった。それでも、何とか宥めすかせて、少し強引だったが、その手続きに同意させたのである。大変なエネルギーの消耗で、一考も疲れ切ってしまう按配だった。
 この作業を通じて、一考も知らなかった事実があった。それは、証券会社は預かった株券は直ちに「ほふり」という機関に預託されると言うことだった。てっきり、証券会社が保管しているものと理解していただけに、「ほふり」を知らなかった一考も少し心配になって、改めて勉強するのだった。これでは、自分も、母親と変わらないではないかと自嘲気味に一人笑いしたのである。
いずれにしても、時代についていけない年老いた母親の面倒を見るのは大変手が焼けるのだ。雅子の日頃の苦労を改めて認識したのだった。(以下、明日に続く)

1440 戸惑う

 長い人生では、戸惑う事が多い。と云うよりも、戸惑いの不連続が人生だと言えるかも知れない。北朝鮮のあの無謀な突然の砲撃で、今や、世界が戸惑っている。

1、独り言コラム
 北朝鮮の砲撃が一般市民を犠牲にしたことで、世界の世論は極めて厳しい。アメリカのオバマ大統領は激怒したということだが、日本の菅総理も、今回はお得意の「遺憾に思う」ではなく、「許し難い蛮行」と北朝鮮を強く非難した。しかし、管総理の場合は、一日経ってからの声明だ。
 株価も昨日から今日に掛けて、戸惑ったような動きを見せている。事件から最も早く市場を開いたニューヨーク市場では、昨日150ドル近い大幅な下落となったのに対し、東証も寄り付き直後では100円を越す下落を見せたものの、その後は少し回復した形で引けたし、アジア株の動きも限定的な下げに留まった。そして、今朝のニューヨーク株は、逆に150ドルを越す上げとなっている。要するに、株も事件への影響を判断するに戸惑った動きを見せているといえよう。
 戸惑ったという意味では日本の政治でも戸惑った動きが見られる。補正予算の扱いで、当初は馬渕国交大臣と仙谷官房長官に対する問責決議案を先に審議することが議論されていたが、この事件の影響を受けて、公明党の主張が通り、補正予算案を優先し、問責決議案は、その後に扱うことになったようだ。
 年末恒例のNHK紅白歌合戦の今年の出場者が発表された。衣装が見世物のベテランの小林幸子さんは今年も出場を決めたが、その相手役の美川憲一さんは落選したという。二人のファン達は大いに戸惑っていることだろう。筆者の好きな水森かおりさんは今年も出場OKでほっと、である。加山雄三さんや郷ひろみさんのベテランが復活している。その一方で、ローマ字の名前の方たちが多い。筆者は、AKB48以外はほとんど知らない。先日、この欄で取り上げた「菜」のつく名前の植村花菜さんは、見事に初出場を果たしている。「トイレの神様」がヒットしているからだという。女性問題のスキャンダルで週刊誌に取り上げられた司会をする「嵐」はそのまま出場するようだ。それでいいのか、NHK,である。
 署名を集めて名古屋市議会のリコールを目指した市長を支援する「ネットワーク河村市長」だったが、名古屋選管の確認作業の結果、有効署名数が法定数を僅かに下回ったことでリコールはならなかった。河村市長は「泣けてくる」と怒りでいっぱいだが、署名した46万人の市民の方々は大いに戸惑っているだろう。
 米大リーグを目指し、ポスティングに応募した楽天の岩隈久志投手が、落札したアスレティックスとの間で条件が合わず、話が宙に浮いている。夢が一歩手前で叶わず、本人は大いに戸惑っているに違いない。
 魁皇が10連勝という驚異的な快進撃だ。昨日も後ろ向きにされてもう駄目だと言う状態になってから、懸命になって振り向くと、何と、相手の豪風がひっくりかえっていて、大きな棚ぼたの勝ち星を得た。魁皇自身が、あまりにも強運に戸惑っていたと思う。
 
2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時半起床。体重、61.0Kg.今朝は少し寒い。天気は午前中はもちそうだという。
 昨日の雅子は朝から38度近い熱があったが、見た目にはそれほど苦しそうではなかった。午後に予定していた車椅子での散歩は中止した。夕方になっても37.6度もあって、熱は少ししか下がっていなかった。夜が心配だったが?

3.連載、「難病との闘い総集編」(36)
  第一部 潜伏期(34) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(10)
  2.ターニングポイント(その5)

 その翌朝、一考と雅子は早めに杉並にあるマンションを出て成田に向かった。一考は、いつもの通り、中型の旅行鞄と機内持ち込み用のビジネス鞄の出立ちだった。それに対し、雅子は、ハンドバッグだけの軽装で、左手はオープンにしておいたのである。幸いにも、雅子が運んできた荷物の大半は、一考の鞄の中に押し込むことが出来たからだった。
 成田空港で集まったツアーグループは20数人で、やはり、将棋界に関係のある棋士のご親戚の方などが多かった。また、10年前のパリ・ツアーに参加したメンバーの方も何人かおられた。
 一行は11時30分にアジアン航空でソウルに向かった。飛行時間も2時間程度と短く、終始穏やかな飛行だったことで、機中での雅子への配慮は、食事、飲み物のサービス時に、一考が少しサポートすることで充分だった。ソウルには予定より少し遅れて到着、一行は、そのままバスで、対局場兼宿泊所である新羅ホテルに向かった。
 この新羅ホテルはなかなか立派なホテルだった。ツアー料金にプラスしてこのホテルにした変えた甲斐があった。チェックイン後に直ちにシャワーを浴びて、6時からの対局者達を囲む前夜祭に加わった。
 和気藹々のパーティだった。一考は多くの棋士と直に会話を楽しんだ。中でも、挑戦者の渡辺五段には積極的に話しかけ、雅子を入れて記念撮影をもお願いした。若干、二十歳の大型新鋭で、実に気さくなところが魅力だった。既に、結婚していて子供もいるというが、本人が子供っぽいところがあって、父親には見えないあどけなさが残っていた。
 また、NHK衛星放送の聞き手役の中倉宏美女流とも親しく言葉を交わし、彼女にも一緒に写真撮影をお願いした。中倉さんはNHKで将棋講座を担当されていたので、その収録時などのエピソードなどを聞かせてもらった。もともと、一考は、この宏美さんのお姉さんの中倉彰子さんの大のファンだったが、今回の歓談で妹さんの宏美さんにも好感を抱いてファンになった。ツアー客の中に、木村14世名人の娘さんや花村九段の奥さんもおられて、将棋界の昔話に花が咲いた。かくして、ロスタイムだと思っていた余分の人生に、思わぬ味付けが出来て、一考の気分は上々だった。
 注目の第17期竜王戦第一局は、翌朝九時から、そのホテルの一室で始まった。一考、雅子らの観戦者は、先に対局室に入って両棋士の入場を待った。先に挑戦者の渡辺五段が入室し、少し遅れて森内竜王が入室して席に着くと、いつものように、二人がゆっくりとしたペースで駒を並べる作業が始まった。そして、定刻になると、恒例の振り駒が行なわれ、渡辺五段の先手と決まった。渡辺五段は、少し気息を整えるように間をはかってから、やおら角道を空ける歩を突いた。
 そこまでの出だしを見届けると、一考と雅子は退室して隣なりの部屋に移り、NHKの衛星放送の生中継を少しの間覗いてから、雅子の期待の冬のソナタのツアーに合流した。バスでいくつかのロケ場所を回ったが、一考の記憶には定かな名前は残っていない。雅子の方は、そのツアーがメインだったことで、大変楽しそうだった。
 その翌日の21日も朝も、対局二日目の封じ手開封を見て、再び妻と一緒に「冬のソナタ」の春川旅行やソウル市内観光に付き合った。その後の市内観光で王宮を訪ねた際に、多くの建物が日本軍によって破壊されたとのガイドがぽつりと私にこぼした言葉に、複雑な気持ちになった。韓国民の日本軍に対する悪感情がこんな形で示されたことに、両国間には、結構、根深いものがあると思った。
 対局は意外に早い森内竜王の投了で、渡辺明五段が幸先いい一勝を挙げた。この対局結果から、将棋界に新しい時代の到来を予感させた。
 翌日は朝早くホテルをチェックアウトし、空港でお土産を買うなどして時間を調整し、昼過ぎには無事成田に戻った。
 この足かけ四日間、雅子が左手を充分に使えないことで、一考のサポートを必要とすることは幾たびかあったが、これといった大きなトラブルはなかった。この時点で一考が気付いたことでは、意外にもファスナーの上げ下げのような指先を使う細かいことが、雅子にはうまく出来ないことだった。久し振りの海外旅行だったが、二人にとっては、これが最後の海外旅行になったのである。(以下、明日に続く)

1439 衝突

 北朝鮮が韓国を砲撃した。今朝の各紙が一面トップで報じている。とりあえず、1時間の激突で治まっていることでほっとしているが、…。何が起きているのだろう。

1.独り言コラム
 半世紀前の朝鮮戦争以来の軍事衝突が起きた。南北の境界線内(?)にある延坪島(ヨン・ピョン島)に北朝鮮が砲撃行為を行なった。北朝鮮の主張は、韓国のこの日の軍事演習が自国への攻撃だと見なしての対応だという。
 これに対し、韓国側も80発の反撃を行なったという。交戦は1時間で終ったが、ここ数年間の両国間の衝突は枚挙に暇が無い。今年の3月にも北朝鮮の魚雷による攻撃で、哨戒艇「天安」が撃沈されるという事件が起きたばかりだ。とにかく危機、危険がいっぱいの朝鮮半島だ。
 今回の北朝鮮の砲撃の狙いがどこにあるのか。いろんな見方が報道されているが、やはり、後継者、金正雲の存在を軍事的にお披露目することにあるのではと思う。命短しの金正日にとっては、三代目への引き継ぎを完璧にしておくことが急務であり、そのための軍事的示威行為ではなかろうか。
 それにしても、筆者が不安に思うのは、韓国は北からの攻撃に、とにかく80発を打ち返したのだが、これが若し日本に打ち込まれたら、日本はどんな反撃をすることになるのだろうか。菅総理は昨日の夕方のぶら下がりで、先ずは、情報収集に全力をあげて欲しいとし、不測の事態に備えてしっかり対応が出来るように準備して欲しいと指示したというが。不測の事態に日本は何が出来るのか、それを知りたい。
 ところで、南北の軍事衝突もさることながら、日本では補正予算を巡って与野党が激突している。差し当たっては、柳田法務大臣の首は切ったものの、今後の焦点は馬渕国交大臣と仙谷官房長官への問責決議案の取り扱いだ。軍事衝突ではないのでキナ臭さはないが、下手すると菅政権の自爆につながりかねない危険がないとは言い切れない。
 激突ではないが、カンボジアの首都のプノンペンで行なわれた水祭りで、橋を渡ろうとした人たちの間で転倒事故が起き、それが切っ掛けで多くの人が将棋倒しとなって大混乱、死者381人を出す大事故が起きた。橋が崩れるという風評がパニックを起したのが原因のようだ。あの明石の花火大会で起きた歩道橋での大事故が思い出される。
 とにかく、何が起きるか分からない世の中だが、改めて平和な世の中であって欲しいとつくづく思う。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.3Kg.お天気は良さそう。
 昨日の雅子は、午前中少し熱があったが、午後には平熱に戻っていたので、入浴を済ませた。表情も柔らかく、目を開けることも多かった。45回目の結婚記念日だったが、…。

3.連載、「難病との闘い総集編」(35)
  第一部 潜伏期(33) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(9)
  2.ターニングポイント(その4)

 この年(2003年)の夏は、いつもの夏以上に大変暑かった。それと云うのも、一考自身もいつもより燃えていたからでもあった。趣味である歩きと執筆に熱が入っていたし、アテネオリンピックや恒例の熱闘甲子園の視聴にも関心が高かったからである。特に、オリンピックでは、二年前に、自分が試走したあの変形の400メートルのグランドには、強い関心が残っていて、女子マラソンの野口みずき選手が、トップでそのグランドに走り込んで来て、金メダルを獲得した時には、感激も一入だった。
 一考自身が熱を入れていた「歩き」の方では、マラソン歩行の挑戦を始めて丸一年を迎え、お正月の琵琶湖コース歩破を含めて1、既に14本目をこなしていたし、一方、都内の23区内の坂道探索にも熱が入っていて、この時点で、捜し歩いた坂道は、既に550を超えていた。持ち歩いていた都内地図にも、ほころびが見え始めていて、その奮闘振りが反映されていた。こうして、一考は、都内のかなりの道を制覇していたのである。
 もう一方の肝心の「執筆」でも、ワイフワークというべき長編推理小説の「執念」にもほぼ見通しがつき、手直しや推敲の段階に入っていた。しかし、一考はこの推敲作業が好きではなかった。一旦、書き上げたものを読み直すほど退屈な作業はないのである。誰かが、何かに書いていたが、「作品」は自分の排泄物のようなもので、読み直す作業はやりたくないと訴えていたのを思い出す。その頃の一考の頭の中では、この作品を、おこがましくも、11月末締め切りの、あの「松本清張賞」に応募したいと考えていた。
 一考を熱くしていたのは、そればかりではなかった。この頃、他にも世界が注目する感動的な二つの話題が同時並行的に進んでいた。
 その一つが、拉致家族のジェンキンス氏の話題だった。北朝鮮からの一時帰国から日本に居残ることを決意した同氏が、戦争時に自分の犯した脱走の罪を認めて座間基地に出頭したのである。日本に到着した時の病弱そうな姿とは違って、元気な姿での出頭だった。家族も一緒で、新しいドラマの始まりだった。米軍は人道に配慮して手厚いもてなしで迎えた。9月11日のことである。
 もう一つがイチロー選手の新記録への挑戦に関する一喜一憂する話題だった。この年、イチロー選手は、年間安打数で新記録を達成するシーズンになったのだが、9月の土壇場の秒読み段階では不振が続き、ヒットを打つのに四苦八苦している日が続いていた。しかし、10月2日、遂にシスラーが1820年に打ち立てた記録、257本を破る新記録を達成したのである。記録は破られるためにあると言われるが、この記録の更新は86年ぶりという歴史的なものだった。イチロー選手は、結局262本まで安打数を伸ばしたのである。この記録が米大リーグの現在の記録としてしっかりと生きている。
 そのような派手な多くの話題を楽しんでいたこともあって、一考は、肝心の雅子の症状については、気にはしていたが、彼女からのこれといった連絡もなかったのを幸いに、症状の悪化はそれほどでもないのだろうと、少し開き直った気持ちになっていたのである。そこには、数週間後の韓国ツアーで数日間を一緒に過ごせるという安心感があったからでもだった。
 韓国ツアーのメインイベントである竜王戦の挑戦者が、期待の新星、渡辺明五段の初挑戦に決まったのは、それから数日後だった。その渡辺五段は、将棋界では十年、若しくは二十年に一人現れるといわれる天才の一人として期待されている棋士で、大山、中原、谷川、羽生などに次ぐ逸材として、小学生の頃から嘱望されていた期待の棋士だった。
 そうこうしているうちに、そのツアーへの出発の日は、すぐそこまで来ていた。
 ところで、一考には意外なことだったのだが、出発前の保険手続きの際に、雅子の左手がパーキンソン病で少し不自由ということから、通常の保険に加入できず、障害者扱いに変更させられていたのである。そのことを知って、一考は改めて雅子の症状の悪化の現実を思うのだった。
 ツアー出発の前日、10月17日に上京して来た雅子を見て、一考は、それまでのんびりと構えていた緩んだ気分を引き締めなければならなかった。バッグを持つ彼女の手に、今までには感じなかったぎこちなさ、痛々しさがあったからである。その日の一考の十七文字日記に「バッグ持つ 手のぎこちなさに 胸さわぐ」とメモっていた。(以下、明日に続く)

1438 命短し上辺の金

 一時は脚光を浴びてちやほやされ、光り輝いていても、時間の経過と共に、その光が褪せてしまってがっかりすることは多い。その点、本物の金の価値は永遠で素晴らしい。

1.独り言コラム
 国会軽視発言で柳田稔法務大臣が辞任した。法相は、未経験分野でも難しくないと豪語していた。今では流行語となりつつある「個別の事案にはお答えを差し控える」と「法と証拠に基づいて適切にやっている」という二つの答弁を繰り返せは大丈夫だと手品の種を明かすような馬鹿な発言をしていた訳で、もはや弁解の余地はなかった。地元での講演で油断していたのなのだろうか?
 鳩山内閣で、年金男ということで、鳴り物入りで抜擢された長妻昭厚労大臣も、一年足らずで、大臣の器でなかったということがばれて、菅内閣からは外されてしまった。メッキが剥れたと言うのである。
 そして、あの仕分け作業も導入当初は、国民から喝采を浴びた手法で、蓮舫行政刷新相は一躍スター的な存在と持ち上げられて、嬉しそうに執り仕切っていた。あの「何故、2番では駄目なんですか?」という馬鹿な突っ込みも、幸いなことに、その時点では喝采の中でジョークとして扱われ難を逃れていた。しかし、この仕分けも第三段に入って、一旦切られたものが、名前を変えたりして復活して来る繰り返しに、さすがに国民も我慢の限界が来た訳で、この手法も限界だということになってしまった。客引きの見世物だけでは話しにならない。実効が出て来ないならば意味がないというのが国民の素直な判断だ。これにて、埋蔵金伝説は空しく消えたのである。
 「ちょっと見」でいいなあと思っていても、よく見ると、「なんだ! その程度だったのか」とがっかりさせられてしまうことも多い。ローカルな事例で恐縮だが、関西テレビの夕方のアンカーというニュース番組で、山本浩之アナの相方をやっている村西利恵さんに、鄙には稀なという意味で、一時、筆者は、ちょっとした魅力を感じたことがあった。しかし、最近では彼女の嫌な面ばかりが目に付いてきている。例えば、時々、声をひっくり返したような甘えた喋り方をするのが気に入らない。人間って直ぐに飽きがくる動物であることを、我ながら嫌になる。
 そうなると、不変の価値を有する本物の金は素晴らしい。アジア大会で、昨日女子陸上100メートル決勝で福島千里選手が日本人で44年ぶりの金メダルを胸一つの差で奪った。快挙である。また、サッカーでも、なでしこジャパンが宿敵北朝鮮を1-0で破って金メダルをものにした。それにしても、この大会での中国の金メダルの数の多さにはびっくりだ。。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.4Kg.お天気は良くなさそう。
 昨日の雅子も前日並みの症状で、全体としては、まずまずの様子だった。少し、寝ているような時間が多かった。それでも、午後には車椅子で病院内を1時間ほど散歩した。

3.連載、「難病との闘い総集編」(34)
  第一部 潜伏期(32) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(8)
 2.ターニングポイント(その3)

 次男に女の子が生まれたのは2004年6月4日のことだった。横浜の嫁の実家の近くの病院での誕生だった。予定より数日早かったが、母子ともに健在という連絡に、一考や雅子は待ちに待った初孫の誕生を喜んだ。翌日の5日には、雅子も大津から駆けつけて来て、緊張の初対面だった。実に赤ちゃんらしい可愛い赤ちゃんだった。見た目には顔も美形である。息子も自分が生んだように、如何にも自慢そうで、嬉しそうだった。
 翌月の7月3日に、かつて一考の借り上げ社宅があったごく近くの横浜桜木町の伊勢山皇大神宮で、お宮参りのセルモニーを行ったが、その時にも雅子は駆けつけて来た。少し不自由な手だったが、孫を抱いたショットなどを記念写真撮影をした。孫を抱く際に、左手に少し不自由で、ぎこちない動きだったがよく頑張った。
 「痛むのかい?」と一考が心配で聞くと「痛くはないんだけど、うまく支えられなくて、落としそうで不安なの」と顔をしかめた。一考は、雅子の症状が、確実に進んでいると思った。目立たない速度で、病魔が動き出していることを、一考は改めて自覚し始めていた。
 それからおよそ一ヵ月後の8月10日頃に、二人に、読売旅行社から竜王戦ツアーの案内が届いたのである。今回のツアーの呼び物の一つに、将棋の観戦の合間をぬって、日本で韓流ブームの切っ掛けを作った人気の「冬のソナタ」のロケ地を回るツアーが織り込まれていた。将棋には興味の少ない雅子にも、そのドラマに嵌っていたことから、一考の誘いに直ぐにOKの返事をして来た。竜王戦ツアーでは、丁度、10年前にパリで行なわれたツアーに参加した時の楽しい思い出が甦って来るのだった。当時は羽生が七冠を目指しての快進撃をしていた頃で、前年に失冠した竜王位の奪還を目指しての佐藤竜王への挑戦した黄金カードだった。
 それから10年ということで、10周年記念旅行になるとの思いで、一考は大いに乗り気になっていた。何しろ、近場の韓国へのツアーだけに、雅子の今の症状なら、自分がサポートすることで旅行は充分可能であると考えた。一考の頭の中には、病気が進行性だけに、何としても、今一つ、雅子との海外旅行の思い出を作っておきたいとの思いも強かった。
 この時点での将棋界の七冠は、羽生善治さんが四冠(王座、棋王、王位、王将)、森内俊之さんが名人、竜王の2冠を、そして佐藤康光さんが棋聖の一冠を保持していた。その注目の竜王戦の挑戦者を決める予選も順調に進んでいて、注目の期待の新星、二十歳の渡辺明五段が挑戦者決定戦に駒を進めていた。若し、そのまま渡辺明五段が挑戦者になるようだと、それまでの、羽生、森内、佐藤の三強豪に新鋭が割り込んで来ることで、世代交代に繋がる面白い組み合わせになることは必至で、一考の興味も盛り上っていた。いろいろ考えた上で、一考がツアー参加を読売旅行社に申し入れたのは、8月半ばのことだった。(以下、明日に続く)

1437 四面緊迫の中の閉塞感

 代わって登板した菅直人党首も冴えず、徐々にピンチを拡大させている。凡エラーした柳田大臣にも交代を命ぜず、敵の様子を窺っている。ベンチにいる今は一平卒のかつてのエースが、チャンス到来と見て、ブルペンで投球練習を開始したようだ。さあ、どんな試合展開になるか、全国の観衆がじっと見守っている中で、間もなく試合は再開される。敵からは、問診決議案なる強烈な代打が出て来る。「柳腰」と言った仙谷官房長官に柳田大臣のとりあわせだ。「柳に腰」と知らんぷりするつもりだろうか。

1.独り言コラム
 昨日の新聞に、防衛省が2014年に与那国島に陸上自衛隊を100人規模のスケールで配置すると発表したとの記事が出ていた。なんだかのんびりした話しのように響く。急務と思われる尖閣諸島には、どうするのだろうか。
 今朝のニュースでは、その尖閣諸島付近で数日前からうろうろしていた中国の2隻の巡視船が、日本の領海付近から姿を消したという。領海を巡る毎日の睨み合いは、息つぐ間もないくらいの大変なようだ。Uチューブにあの尖閣事件の情報を流してくれたことによって、海上保安庁の皆さんのご苦労を国民が知ることになった。尖閣、竹島、それに北方四島への国を挙げての対応の必要性を、多くの国民が改めてその認識を高めることになった。
 そんな中で、北朝鮮が新しいウラン濃縮施設を稼動させているとアメリカのベッカー元所長が訪朝時に視察したという。本当に稼動しているかどうかは不明だが、見せたという行為で緊迫感を植え付けようとしているジェスチャーかもしれないという。
 昨日の読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」もなかなか面白かった。尖閣事件の情報をUチューブに流出させた保安官が、事前に読売テレビの山川友基記者のインタビューを受けていたことで、「何故読売テレビ」だったかが話題になっていた。その答えが、この番組「たかじん…」を扱っているからではないかと結論着けようとしていたが、そうかも知れないと思う。神戸の保安官たちはこの番組をよく見ていたと言うのである。
 このように、日本を囲む四面の海では、中国、韓国、ロシアの動きによって、ますますその緊張感が増して来ている。一人の大臣の首を取ることに鳩首会談を重ねている場合じゃないだろう、民主党さん。柳田大臣もいい加減に辞表を出すべきだ。
 そんな中で、尼崎市長に38歳の稲村和美さんが当選という明るいニュースが飛び込んで来た。それまでの県会議員から市長への転進で、全国で最年少の女性市長の誕生である。要するに、菅内閣による今の日本の閉塞感の打破に国民が動き始めている一つの表れだろう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.1Kg.雨が降っている。お天気は良くないとの予報。
 昨日の雅子は、症状はまずまずの一日だった。寝ている時間が多かった。自分も傍でうとうとしている時間が多かった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(33)
  第一部 潜伏期(31) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(7)
 2.ターニングポイント(その2)

 さて、2004年の正月を自宅で過ごしていた一考は、この機会に瀬田川を周回する風光明媚な正真正銘の琵琶湖毎日マラソンコースに歩行で挑戦した。歩きの趣味が頂点に達していた頃で、それまでに都内23区内の好きな場所にコースを設定して、既に7回のマラソン歩行を実施しており、この琵琶湖コースが8回目のトライアルだった。心配なトイレの設定具合を知っておくために、正月最中の1月5日に雅子が運転する車に乗せてもらってコースの下見を済ませていた。都内の場合だと、公衆トイレ、デパート、ガソリンスタンド、それに駅のトイレなどを使わせてもらっていたので心配はなかったが、ローカルの大津では、トイレの設置具合が心配だったからである。この下見で、コンビニと公衆トイレが適当な間隔であって、それらの利用で賄えることを確認した。
 1月7日、午前6時40分、少し遅い目だったが、自宅をスタートした。出だしは快調で、眺望も絶景だった。ビルの間を歩く都内のコースと違って、雄大な琵琶湖、瀬田川に沿っての風景は、目に与える感触が違う。とにかく、やわらかい。しかし、25Km手前で足の裏が痛み始めた。いつもより早い痛みだった。それでも、35Kmまでは1時間5Kmのハイペースを維持出来て好調だった。だが、35Km手前から、足の小指の爪の痛みが酷くなり始め、その後、途中で、絆創膏を貼るなど二度に渡って治療を施して頑張り、何とかゴールを果たした。所用時間は、8時間39分44秒はそれまでの記録を大幅に破る新記録だった。
 その翌日から二日間に渡って、雅子にパソコンを教え、相互にメールが出来るようにと指導した。しかし、この種のことは苦手と見えて覚えが良くない。特筆すべきは、この時点で、雅子の指は、一応コンピューターに対応できる動きは示していたのである。結果的には、姑の世話などで忙しく、マスターすることはできずに終わったのは残念だった。
 その後、雅子は、月一回の頻度で吉田病院に通院し、春日医師の診断を受け続けていた。一考が東京に戻った直後から、雅子は、左腕が痛む症状に見舞われたが、春日医師の診断で、五十肩だと分かり、貼り薬をもらって対応し、いつの間にか治っていた。
 雅子からの電話で、彼女の直ぐ上のお兄さんが肝臓癌で急逝したことが伝えられた。2004年2月23日の朝のことだった。雅子の5人兄妹の中では、年齢的に最も近かったこともあり、一考は、雅子との結婚直後から親しくさせてもらっていた。お酒が好きで、気さくで、ユーモアに富み、場持ちする明るい方だった。後で、雅子から聞いた話だが、彼が入院した直後の正月明けに、兄妹が揃ってお見舞いを済ませていたそうだが、その時点では、こんなに早く亡くなるとは誰も思ってもいなかったという。人の命は分からないものだ。
 一考は、急遽、大津に戻った。通夜は、翌日の24日の夕方、葬儀、告別式は25日の午前中に、住まいの近く奈良県の大和西大路のセレミューズ秋篠でしめやかに執り行われた。雅子と連れ立っての参列だった。雅子はかなり気落ちしていたが、手の症状は、左手の人差し指が不自由になっていたが、それほどの大きな支障は出ていなかった。
 2004年に入って、初めての雅子の上京は3月22日からの5日間だった。この時は、珍しく、熱海で待ち合わせて一泊する段取りを組んだ。いつも、通り過ぎるだけの観光地を一度ぐらい訪ねてみるのもいいのではと思ったからである。中ぐらいの大きさのボストンバッグを右手に持って、待ち合わせ時間の12時過ぎに、雅子は熱海駅に姿を見せた。少し先に東京から到着していた一考は、ホームで彼女を迎えた。一見した限りでは、パーキンソン病という難病に巻き込まれているとは、全く窺えない姿だった。
 この日は生憎、風雨が強く、とても三月後半とは思えない寒さだった。二人揃ってのロマンティックな散歩を考えていたが、それどころではなく、直ぐにホテルにチェックインして、そのまま静かに篭城することに変更した。
 「たまには、こうして、何もせずに、ぼおっとしてるのもいいのじゃない?」床の間を背にして、部屋の真ん中に置かれたテーブルの前に陣取りながら、一考は雅子に問い掛けた。
 「せっかく、熱海まで来て、もったいないみたいだけど、疲れているので、いいんじゃない」一考に向き合って座った雅子も手持ち無沙汰である。
 「ところで、新しい先生の治療はどうなんだい?」話題が、病気のことになってしまうのは、自然な流れだ。
 「取りあえず、今までのお薬での治療をチャラにして、新たな目で見てもらっているの。若しかしたら、パーキンソン病でないかもとも言っておられるんだけど?」
 「しかし、手の具合が良くなったという訳じゃないんだろう?」 一考は確かめるように、雅子の様子を窺った。最近は、左手の人差し指が、少し曲がって来ていて融通が利かなくなって来ている。
 「それは、そうだけど。気分的には新鮮で、何かが期待できそうな気がするの」
 「まあ、そうあってほしいね。いずれにしても、こうして、のんびりしているのは、身体にいいことは確かだ」
 「この間の日光といい、いろいろと気遣ってくれて嬉しいわ」
 「もう、仕事のことでは、全ての戦いを終えたんだから、もっと君に気を使わなければと思ってるんだ」
 「嬉しいけど、まだ、小説には拘っているんでしょう」
 「まあ、最後のもがきかもしれないけどね」ちょうど、将来、出版を決意することになる「執念」のプロットで迷っていたタイミングだった。
 「その目処がつけば、帰って来てくれるのでしょう?」
 「まあね」 二人は、久し振りに、のんびりとした会話を楽しむのだった。
 結局、翌朝、朝食後に熱海の海岸を散歩、お宮の松辺りをぶらぶらして、二人で東京に戻った。
 その翌日、雅子は、いつものパターンで、早朝にマンションを出て、千葉にいる長男のところへ出掛けて行った。いつものように掃除、洗濯、料理のサービスに努めたのだが、結果的には、これが、雅子が長男のところを訪ねての最後のサービスとなった。(以下、明日に続く)

1436 夢を追いかけて

 頑張る目標があるのは幸せなことだ。グランプリファイナルに出場するとか、オリンピックに出るとか、連勝記録を伸ばすといったスポーツの世界には目標となる夢が多い。

1.独り言コラム
 フィギュアスケート女子のロシア杯で、安藤美姫選手が前日のSPの5位から逆転優勝した。体調が今一つだったので、内容を少し調整して臨んだのがよかったようで、見事に優勝を呼び寄せた。この大会で2位になった鈴木明子さんと共に、12月に中国で行なわれるグランプリファイナルへの出場を決めた。これで、先の村上佳菜子さんを加えて、日本からの3人の出場が確定した。出場可能な席がどんどん少なくなっていて、浅田真央選手の出場は危うくなって来ている。
 プロサッカーリーグ(J1)で名古屋グランパスが初優勝を果たした。1993年にプロリーグが出来て以来の悲願の優勝だ。関係者の喜びは一入だろう。
 連勝の夢が一旦途切れた横綱白鵬だったが、再び勝利街道を歩き始めている。勝負の世界に「若し」は意味がないが、二日目に稀勢の里に負けていなければ、今日が70連勝目を向かえる大一番の日であったのだが、…。しかし、さすが横綱で、その後はしっかり勝ちを抑えている。今の横綱、白鵬は、とにかく、一つ、一つ勝ち星を積重ねるだけの心境だろう。
 それにしても、大関魁皇が頑張っていて、久し振りに6連勝と強い魁皇を見せてくれている。前場所までは、勝ち星一つを奪うのが大変だったのが、このところ強さを感じさせる勝ち星の奪い方である。入幕以来の勝ち星数も、千代の富士の1045勝の記録にあと20と迫って来ていて、その更新の可能性がちらつき始めた。大関を陥落しない限り頑張るということであれば、今場所は勝ち越すとして、あと一場所勝ち越せば、三場所出場が増えることになり、夢が大きく近づく。さあ、どうなるだろうか。
 アジア大会が行なわれているが、金メダルの数では、日本は中国と韓国に大きく水をあけられている。一事が万事である。何事においても、日本の力が落ちて来ている証であり、改めて、若者の奮起を喚起する必要がある。
 そのような日本の低迷は、政治の世界が最もだらしなさそうだ。柳田法務大臣はその最たる駄目大臣だし、仙谷官房長官も顔を見たくない大臣の一人だ。誰か、ピリッとした指導者はいないのだろうか。仙・菅ヤマトの官邸では、もう御し難いようだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時半起床。体重、61.4Kg. お天気は良くなさそう。寒い。
 昨日の雅子は比較的安定していた。午後には散歩。新しく入手した中学校(城巽中学)の校歌を歌って上げようと頑張ったが、うまく歌えず、雅子の反応は今一つだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(32)
  第一部 潜伏期(30) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(6)
  2.ターニングポイント(その1)

 次男の嫁が懐妊したとの朗報が届いたのは、その頃だった。結婚して4年にもなっていたが、なかなか子宝に恵まれず、さりとて、「どうなっているか」と聞くのも野暮で、かつ却ってマイナス効果だとの思いもあって、いろいろと心配していたところだった。予定では、来年の六月上旬の誕生という。雅子からの嬉しい電話報告に、一考は、安堵感と喜びで、受話器を握り握り直したほどだった。それは、当てもなく待っていた憧れの人からの返事を、突然受け取ったような、心ときめく気分だった。
 この頃の雅子の症状は、それほど目立った大きな変化がなく、左手の不自由度が少し増して来ているといった程度で、身体全体の動きには支障がなく、まだまだ一人で動き回る生活は継続出来ていた。従って、先行きへの不安を抱いてはいたが、雅子は、今まで通り、友人たちとのお付き合いも続けていたし、それまで通りの楽しい生活は確保出来ていた。
 ところが、11月半ばになって、想定外の余計な仕事が新たに加わることになった。久子が妹の子供を預かることを決めたのである。
 一考の一番下の妹の子供である。この妹夫婦が学校経営をしていたが、家庭の事情で長女夫婦にそれを引き継いでいた。その長女夫婦が多忙になって、まだ生まれて1才少しの子供を昼間、預かって欲しいというのだった。具体的には、朝、仕事が始まる前に連れて行くので、仕事が終わる夕方まで預かって欲しいというのである。そのことを雅子には何の事前の了解も無いまま、久子が独断で引き受けて、雅子にも手伝って欲しいと言って来たと言う。なんでも自分が矢面に立って面倒を見ようとの久子のいつもの姿勢が出たのだが、雅子にはとんだとばっちりだった。
 午前中は久子が看るということだったが、午後は、必然的に雅子が担当する羽目になった。それに、両親が預けに来る8時前後には雅子しかいないことがほとんどで、実質的には雅子が表に出ることが多く、指、手が少しずつ不自由になり始めていた段階だっただけに、その種の対応には、雅子も結構梃子摺っていたのである。ここでも、長男の嫁ということで逃げ出す訳にいかず、無理してのお付き合いの面倒看だった。また、日によっては、迎えの時間が遅くなり、夜の食事まで作ったりすることもあり、正直言って、何となく、負担を覚える毎日が続くのだった。
 この事に関して、一考が凄く気分を悪くしたのは、一考には、久子を含めた誰からも一言の断りとか、感謝の類の挨拶がなかったからである。お正月に顔を合わせた時にも、そのことに関しては、若い夫婦はそのことには一言もなかったのが、一考の気持ちを更に怒らせたのだが、ご当人達は全くそんな必要性すら感じていなかったようだ。そこで、一言「お世話になった」という主旨の挨拶があれば、気分は随分と違っていたと思う。結局年末までの約一ヵ月で、雅子が引き受けた時間は延べ91時間に達した。精神的な負担と身体的な厄介さが絡んで、雅子の疲れは想定外の大変さだった。このことが、その後の雅子の病状の悪化を加速させる要因になったかどうかは分かっていない。
 この頃の一考は、趣味の歩きと執筆が頂点に差し掛かりつつあって、活気に満ちた多忙な日を送っていた。具体的には、歩きでは、都内23区内の坂道探しとマラソン歩行に凝っていたし、執筆に関しては、出版を念頭に置いていた作品の仕上げに大いに燃えていた。それはちょうど雅子の病名がちらほらし始めた頃からで、自らがライフワークと位置づけしたい作品作りが最後の佳境に入っていたのである。
 そんな趣味のことで、雅子のことが二の次になっていたと言われても、一考は反論できない状況にあったことも確かだった。
かくして、前年の2002年末に、いろいろと検査、診断の結果、パーキンソン関連病だろうという衝撃的な病名の告知を受けた一考と雅子には、何とも言い難い気の重い一年だった。しかし、早いもので、その2003年が既に慌しく過ぎ去ろうとしていた。その間、日光へのツアーに参加するなどの思い出作りを行なったり、甥を預かると言った余計な仕事もあったが、総じて平凡な一年だったと思う。そんな中で、雅子が夫にも相談することもなく、自らの意志で大胆にもセカンドオピニオンを求めて転院を決意し、それを実行に移したという大きな動きがあった一年でもあった。
 年末のぎりぎりの大晦日に、東京から帰宅して来た夫と姑の三人で、雅子は2004年の元旦を祝った。息子達は、長男は千葉で、次男夫婦は横浜の嫁の実家でそれぞれ新しい年を迎えていた。家族バラバラで迎えた2004年の新年だったが、一考と雅子には、いつもとそれほど変わらない年明けだった。しかし、この時に用意したお雑煮は、雅子が作ってくれた最後のお雑煮となったのである(以下、明日へ続く)

1435 迫力

 空元気での搾り出すような迫力には、大した威力は感じられないが、心技体の良好さから滲み出る迫力には、本当の意味の威圧感がある。

1.独り言コラム
 ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で、広島県出身の萩原麻未さん(23歳)が優勝の栄冠を勝ち得た。彼女の演奏振りをニュース映像で見たが、キーを叩いている迫力たるや、何ともすざまじく、感動を越えた強いインパクトがあった。幼い頃から彼女を知る恩師らは「彼女はピアノの前では情熱的で野生的な音楽家に変貌する」と語っているが、まさにその通りである。世界に通用するインパクトある演奏家の誕生といえよう。
 迫力といえば、Uチューブに流出したあの尖閣ビデオの中にも凄い迫力を覚えるシーンがあった。漁船が巡視船にぶつけて来た場面で、巡視船の乗組員が「今の位置確認、今の位置確認」と叫んでいるシーンはその一つだ。恐らく、漁船に乗り込み、船長を逮捕する辺りは、もっと凄く迫力を感じさせるシーンが記録されているだろう。日本の前線で命を掛けて戦ってくれている保安官の仕事ぶりは、国民にもっと報せるべきだろう。政府の弱腰には情けなくなる。
 日本の株が5ヶ月ぶりに一万円を越えた。円高で日本の株だけが取り残されていたのだが、ここに来て外国人もやっとその日本株に注目をし始めたようだ。しかし、漸く少し戻った程度であって、迫力が感じられるような動きではない。
 国会の衆参の予算委員会はNHKがよく中継してくれるのだが、今の民主党の迫力の無さには見ていて気の毒で、これで日本国は大丈夫なのかと思ってしまう。今のままでは、仙・菅ヤマト体制は長くはもたないように思う。仙谷由人官房長官の顔を見ていると体の調子がおかしくなりそうだ。
 同じ政治でも、中国の報道官や北朝鮮の重要なニュースを読む女性アナには、その響き、抑揚などから何とも言えない迫力が感じられる。日本にも、迫力ある報道官を設けたらどうだろうか。とはいっても、今の民主党にこれはという人が見当たらない。
 双葉山の69連勝にあと一歩まで迫った横綱白鵬だったが、稀勢の里の頑張りに不覚を喫し63連勝でストップした。場所前から見せていた白鵬の迫力からして、負けるとは思いも寄らなかった。勝負は微妙なもので、迫力だけでは勝てないのかもしれない。積重ねてきたのもが壊れると、元に戻すのは容易ではない。しかし、白鵬はまだ若いだけにまだチャンスは残されているだろう。筆者としては、あの渾身の69連勝は、願わくば、日本人力士によって更新して欲しいと希望している。
 迫力と云う点では、筆者は、将棋の終盤での迫力ある応酬を楽しむのが好きである。どきどきしながら、どちらが読み勝っているのか、分からないくらいの熱戦を見ていると勝負の醍醐味を満喫出来る。
 ところで、来年の4月から始まる名人戦の羽生名人への挑戦者争いも、昨日で10人のA級棋士全員が5局を戦い終ったところである。結果は、谷川九段、森内九段、渡辺竜王の3人が共に4勝1敗でトップを並走している状況だ。我が贔屓の郷田九段は全く振るわず、2勝3敗で降級の心配が出て来ていて気が重い。全員があと4局を残していて、予断を許さない後半戦が待っているが、筆者の期待として、郷田九段があと全部勝って6勝3敗とすれば、まだ挑戦権へのチャンスがあるのではと贔屓目な見方をしている。しかし、肝心の郷田九段の迫力が今一つなのが心配である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、61.2Kg 朝風呂。お天気は良さそう。
 昨日の雅子はまずまずの様子。昼間は堀川高校の校歌の練習して聞かせたが、リズムが大分間違っているようで、顔を歪めて笑っていた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(31)
  第一部 潜伏期(29) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(5)
 1.募る不安(その5)

 雅子が、京都駅の直ぐ近くにある吉田病院を初めて訪れたのは、9月25日の朝の9時過ぎだった。あの専門書で見つけたパーキンソン病の権威である春日医師は、K大学附属病院の助教授と記載されていたが、友人の伝で紹介状をもらった時点では、吉田病院に移っておられて、神経内科の所長の肩書きだった。
 看護婦さんに呼ばれた雅子が、緊張した面持ちで診察室に入ると、中肉中背の穏やかな顔つきの先生が待っておられて、「どうされましたか?」とソフトな言い回しで声を掛けてくださった。机の上にはノート型のコンピューターを開かれている。雅子が捉えた春日医師は、そのスリムな体型といい、温和な顔つきといい、自分が抱いていたイメージと大きく違っていないことに、それまでの緊張がほぐれてゆくのを感じていた。そして、先生の問い掛けに答えるように、今の症状とそれまでの日赤病院での一部始終を細かく報告した。
 じっと、静かに聴いていた春日医師は、雅子の報告を聞き終わると、ほっと息を吐いて間を取った後、ゆっくりとした口調で話し出した。
 「分かりました。とりあえず、元へ戻ってみましょう。つまり、今までの既成概念を全て棄てて、改めて、最初から診断することにしましょう。そのために、今までのお薬治療は一旦、ご破算にして、もう一度、白紙の状態で検査をして行きます。場合によっては、パーキンソン病でないかもしれませんから」穏やかな話しぶりに、滲み出て来る説得性があった。雅子は、さすがに、この病気の権威者だと思いながら内心ときめきに似たものを感じていた。特に、最後の「パーキンソン病でないかもしれませんから」の件に、一条の光を見出した感じだった。
 「全て、先生にお任せします。宜しくお願いします」雅子は、その瞬間に、もう春日教の信徒になったような気分だった。
 「暫くは、今まで服用していたお薬を一旦身体から抜く意味で、その種のパーキンソン病関連のお薬は出しません。一旦、全部を抜き取った後で、次の対応を考えましょう」
 春日医師はそう言った後、手足の動きなどを軽く叩いたりして確認し、その日の診察を終えた。雅子は、それまでのもやもやが、すっきりとしたような気分になって、診察室を後にした。
 その日の夜、一考は雅子から電話で「転院した」との事後報告を受けた。雅子は、普段から慎重な対応を取るタイプだと承知していただけに、一考には、まさに「寝耳に水」の驚きの報告だった。逆に言えば、それだけ、雅子が悩んでいたことに他ならず、それに気づかずにいた自分の至らなさを反省すると同時に、そんな大事なことを事前に相談してくれなかったことに若干の不満を抱くのだった。恐らく、雅子の性格から、余計なことで夫を煩わせたくないとの思いがあって、自らの身体のことは自らが責任を持つべきとの考えが強かったったのだろう。いずれにしても、セカンドオピニオンという考え方も大事なことであり、春日先生の対応に新たな期待を抱くのだった。 そういうことで、日赤病院から正式に吉田病院への転院が決まったのである。具体的には、2003年10月度から、月初めの木曜日に通院することになった。春日先生の外来担当日が火曜日の午後と木曜日の一日だったことから、融通の利き易い木曜日に決めたのである。
 外来以外の日の春日先生は、研究者として活動しておられ、学会に出席されたりすることも少なくないようだ。学者っぽい感じが強い春日医師は、言葉数は多くはなかったが、その対応には、人間味溢れる優しさが感じられた。この病気の権威者であることから、情報、知見を多く持っておられるだろうから、今までと違った新たな展開を期待するのだった。自分が選んだ先生だけに、雅子の春日先生への信頼は高かった。
 さし当たっての治療は、パーキンソン病ではないかも知れないとの観点から見直されることになった。つまり、単なる「肩こり」といった見方である。しかし、これは、日赤病院での各種検査を全て否定する考え方で、かなり強引な方針にも思われたが、雅子は、戸惑いながらも、そうあって欲しいとの気持ちから、春日医師の新たな取り組みに期待するのだった。その結果、服用することになった薬も、いわゆる、パーキンソン病の薬ではなく、筋肉の緊張をとるようなものとか、気持ちを落ち着かせる薬をもらっての様子見からのスタートとなった。(以下、明日に続く)

1434 笑うに笑えない管内閣のどたばた

 ツーショット、失言、それに色あせた仕分けと言う出し物のオンパレードに、政治の舞台は、今やお笑いを売り物にしているようだ。

1.独り言コラム
 終ったAPECの話だが、今回22分間という異例の短時間だった日中会談が、日本側からの懸命なお願いに対して、中国が渋々受けた形で行われたのだが、それも土壇場まで行なれるか、どうかがの返事もなく、返事の執拗な引き延ばしのあっていたという。筆者は、今でもそのあたりの経緯や日本の姿勢を極めて不愉快に思っている。挙句の果てにセットされたものの、僅か22分と云う人を馬鹿にしたような対応だった。巡視船に漁船をぶち当てて来たのは中国ではないか。謝るのは中国である。お人よしの日本は、その証拠であるビデオテープも公開もせずに、そこまでひたすら会談をお願いしたと言うのはどうしても解せない。
 ある評論家が、その理由を、今回のAPECが立派に成功したという形にするには、どうしても菅総理と胡錦濤主席のツーショットのグラビアが欠かせなかったからだとコメントしていた。分かったようで、分からない話しだ。あの冷たい表情の胡錦濤主席の顔を思い出すだけでも腹が立つ。
 その胡錦濤主席とのツーショットと云えば、あの小沢一郎氏が、昨年中国を訪問した際に、同道した小沢ガールズを含めた150人の一人一人とツーショットを撮らせて話題になった。その150人の方々に聞いてみたいのが、胡錦濤とのツーショット写真を今どうしているかである。馬鹿馬鹿しい気持ちでおられる方が多いのではなかろうか。
 他方、ツーショットといえば、その小沢一郎氏も、京都での木愛さんとの色っぽいツーショットを披露してくれたし、少し前だが、民主党のホープと期待されていた細野豪志氏が、男殺しの山本モナさんとの路上チューのツーショットも面白かった。しかし、どれもこれも、今や、色あせたツーショットになってしまっている。
 さて、仕分け作業の第三段が昨日終了した。最初は鳴り物入りで日本国民の喝采を浴びた仕分け作業は、民主党の唯一の得点を稼げる出し物ということで人気の的になっていたが、今や、色褪せたお笑いに変身してしまったようだ。そこには、折角削減を結論した対象が、この仕分け作業に法律的な拘束がないことから、気が付けば名前を変えたり、形を変えたりしてゾンビのように復活していて、何の意味も持たなくなってしまっていることが分かったからである。蓮舫大臣の甲高い声だけが空しく響く出し物に、国民も何時までも騙されている訳にはいかない。仕分け作業そのものの仕分けが必要と云うことのようだ。
 その一方で、正直言って、柳田稔法務大臣の失言はなかなか分かり易くて面白い。二つの答弁「個別の事案については答えを指し控えます」と「法と証拠に基づいて適切にやっている」は覚え易く、これを暗記することで、筆者にでも法務大臣は勤められるかもしれない。 
 そこへ、昨日の仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」と発言し、自民党の世耕弘成氏からの指摘に発言を取り消し「実力組織」と言い直した。
 笑いが止まらないくらいの敵失や失点を頂戴して、手駒がいっぱいの野党だが、この有利な局面で、どのように指し継いでゆくのだろうか。これといった決め手に欠けていて、攻め倦んでいるようにも見える。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床、体重、61.3KG.風邪は回復方向。お天気は良さそう。
 昨日の雅子は、痰はそれなりにあったが、全体としてはまずまずだった。午後には車椅子で散歩。途中で実兄ご夫婦のお見舞いを受けた。しっかり目を開けて挨拶していた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(30)
  第一部 潜伏期(28) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(4)
  1.募る不安(その4)

 それから3ヶ月ぶりの2003年8月末から9月上旬まで、雅子は、この年で3度目の上京をして来ていた。この上京時にも、やはり、疲労を伴う大変な仕事だったが、千葉にいる長男のところに掃除、洗濯、料理のいつものサービスに一日を費やしている。また、一考の住むマンション内でも料理をしていたし、会話を交わしたり、食事をしている限り、彼女の症状がそれほど悪化しているようには見えなかった。
 また、9月5日には、二人で、はとバスツアーで日光を訪れている。新婚当初にも、二人で行ったことはあったが、不思議なもので、また行ってみたい気持ちになったのである。しかし、以前は電車を使って泊りがけで楽しんだのだったが、今回は、乗り換えたりするのが面倒だったので、はとバスツアーを選んだ。そのため、朝は早く、6時に東京駅に集合だったことから、永福町のマンションを5時頃に出たのである。
 バス車内では、これと言ったこともなく無事に到着したし、現地では東照宮の奥深くまで二人で歩いたのを思い出すが、そこでも、雅子の症状がそれほど大変だとは感じていなかった。いずれにしても、この日は朝早いこともあって、少々疲れたが、楽しい一日を過ごしたのを覚えている。
 雅子が、日赤病院での治療に不安を持ち始めたのもそんな少し前の頃だったと思われる。雅子には、日赤での最初の診察時に、病名を訊ねた際に、大西医師が自分一人で判断できず、偶々入ってきた前任部長の考え方を確認するといった対応が気に入らなかったし、心臓検査(RI)の検査報告の際のデリカシーに欠けた扱いにも不満だったことなどから、この辺りで、セカンドオピニオンとして、別の医師の診断を受けるのもいいのではないかと考えるようになっていたのである。義姉の久子が、その点でも強くアドバイスしていたようだ。
 そんな折に、購入していたパーキンソン病の本を改めて見直していた雅子は、巻末に掲載されているこの分野の専門医師リストに気がついたのである。そして、その中にK大学医学部附属病院の春日医師の名前を見つけたのだった。K大学は、かつて自分が教授秘書をしていた事で親しみがあり、また、友人も何人かいたことから、早速、その伝を使って紹介状を書いてもらうことが出来た。
 しかし、そうは言っても、パーキンソン病と言う難病の宣告を受けて、ほぼ一年もお世話になったタイミングである。それだけに、新しい病院への転院という決断には、それなりの躊躇をしなかった訳はなく、大変な大決断だったと思う。それは、恰も、かつて、相坂一考とのお見合い直後に、一考から小説家になると聞かされて驚き、一旦は諦めようと考えていた後に、一転して結婚を決意した大胆な決断に相通じるものだったと思うのだった。2003年9月半ばのことだった。雅子は、大人しく見える女性だが、その辺りは、見た目とは違う強い性格の持ち主なのだろう。この段階では夫に相談することなく、雅子は一人で決断をしたのだった。そこには、自分の病状に対する不安と、大西医師への不信、それに、K大のこの道の専門医という彼女好みのブランド志向などが引き金となって、躊躇していた雅子に大きな決断を促したようだった。後で知らされた一考は、その思わぬ大胆さに、雅子の違った一面を見たのを記憶している。(以下、明日に続く)

1433 「菜」という漢字を名前に持つ女性

 菜の着く方と言えば、大女優だった久保菜穂子さんや今の人気俳優の松島菜々子さんの名前が直ぐに思い出されるが、最近では、歌手の中森明菜さんがヒットした以降に生まれた若手の方に多く見かけるように思う。

1.独り言コラム
 昨日のお昼に、病室で妻の付き添いをしながら、フジテレビの人気テレビ番組「笑っていいとも」をたまたま見ていた。その人気コーナーのテレフォンショッキングに、シンガーソングライターの植村花菜さんという方が初登場し、自らのヒット曲の「トイレの神様」のさびの一部を披露していた。4人兄姉なのだが、自分だけがおばあさんに育てられたという。この「トイレの神様」は、その際におばあさんから教えられたことを歌にしたというのだ。初めて見た女性で明るくかわいい方だったが、名前に「菜」という漢字を使っているということで関心を持った。
 一昨日、アメリカから凱旋帰国したフィギュアスケートの村上佳菜子さんも「菜」という漢字を名前に使っている。浅田真央さんの後継者として早くも頭角を現し、既に今年の12月のグランプリファイナルへの出場を決めており、楽しみな逸材である。なお、この世界にはまだ13歳だが、滋賀県草津市の光泉中学の安原綾菜さんという期待のジュニアがいる。やはり、名前に「菜」があって面白い。
 来年のNHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で淀君(茶々)の幼少期に抜擢された戸田愛菜さんという子役さんがいる。まだ6歳なのだが、先日何かの番組に出ていたのを目にしたことがあるが、なかなかしっかりしたかわいいお嬢さんだ。
 囲碁界では藤沢秀行さんの孫の藤沢里菜さんは、11歳6ヶ月でプロ入りした最年少棋士である。今までの最年少棋士の記録は女性では謝依旻さんの14歳4ヶ月、男性では趙治勲さんの11歳9ヶ月で、その二人の記録を共に更新した小学生棋士である。既に、プロ入りの第二戦で勝利を挙げていて、囲碁界での最年少勝利記録も更新したという。今後が楽しみだ。
 またスポーツ界ではゴルフの原絵里菜さんも時々上位争いに顔を出して頑張っているし、バレーボールでは浜口華菜里さん(東レアローズ)も今回の全日本メンバーに選ばれている
 他に、タレントの木下優樹菜さん。それに、皆さんはご存じないが、妻がお世話になっている琵琶湖大橋病院には、岸本千菜津さんという綺麗な看護婦さんもいらっしゃる。
 これらの方々は、中森明菜さんがスター誕生で芸能界入りし、85年にミ・アモーレでレコード大賞を受けて以降に誕生された方で、多分ご両親が中森明菜さんを意識して「菜」をつけられたのではないかと見ている。いわゆる「明菜」以降の方々だ。
 その一方で、あのイラクで誘拐されて人質となった高遠菜穂子さんは、年代的には「明菜」以前の方だが、今は、どうしておられるのだろう。
 いずれにしても、名前に使う漢字には、名付ける両親はそれなりに考えて選んで使用された訳で、その背景を探るのも面白い。
 ところで、冒頭の植村花菜さんのおばあさんのエピソードでふと思ったのは、妻の雅子はどんな気持ちで、その花菜さんの話を聞いていたからである。自分にも、折角、かわいい孫娘ができたのに、こんな厄介な病気になってしまい、孫にもほとんど会うことが出来ない生活への辛さと寂しさを嘆いていたかもしれない。気の毒で、可哀そうだが仕方がない。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時反起床。体重、60.5Kg.入浴。咳が治らず、苦しい朝だ。お天気はそこそこ?
 昨日の雅子は、比較的順調。午後には散歩、ここで堀川高校の校歌を楽譜を見て歌ってやったが、反応は今一つだった。正しく曲が歌えていなかったのだろう。

3.連載、「難病との闘い総集編」(29)
  第一部 潜伏期(27) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(3)
  1.募る不安(その3)

 2003年に入ってからも、雅子の症状には、見かけ上、それほど大きな悪化もなく、時間は淡々と過ぎて行った。月一度の診察には出向いていたが、薬の効き目については、病状の顕著な悪化が見られないだけに、先生の判断も曖昧なものに終始していて、服用するお薬も、12月以降は全く同じ薬の服用が続いていた。ゲームに喩えれば、こう着状態になっていたと言える。しかし、今から考えてみると、若しかしたらお薬の効果が出ていて悪化が抑えられているという見方も可能だった。但し、その時点での雅子の判断は効き目が見られないと思い込んでいたようである。
 そうはいうものの、僅かずつではあったが指の動きが鈍って来ていることを自覚していたことから、掴みどころのいない不安は徐々に増していたであろう。
 一月には、大西医師が予てから言っておられた血液検査が行なわれた。あくまでも、別の何かの異常の有無を調べようと云うのが狙いで、パーキンソン病とは直接関係はない。この際、あらゆる角度から点検してもらうことは悪いことではない。結果は、コレステロール値が少々高いという指摘はあったが、他の異常は認められなかった。こうして、症状に大きな変化もないまま時は経過して行った。
 ところで、雅子は、一考が東京勤務になった後に、義姉の久子夫婦が大津に戻って来てからは、久子の配慮もあって、年に何回かは、息抜きのために当時横浜にいた一考のマンションを訪ねて来るようになっていた。1998年後半ぐらいからのことで、その頻度は、年に6~7回ぐらい、つまり、二ヶ月ぐらいに一度の頻度であったが、2003年に入ると、姑の世話も忙しくなって来ていて、それが三ヶ月に一度ぐらいの頻度に減っていた。雅子にとっては息抜きに好都合だったが、それでも必ず長男のいる千葉に出向いて、独身男のむさくるしい部屋の掃除をしたり、数日間の食事の作り溜めをして、母親としての思いやりを形にしていた。この仕事は見掛けに寄らず大変な仕事で、朝早く六時頃に社宅を出て、夕方の帰宅は8時ごろになるという一日がかりの強行軍で、雅子にはタフな一日となるのだった。この頃の一考の17文字日誌によれば、1月下旬には「尽くしてる 息子のためにも 精一杯」というメモがある。
 この年は、1月末に顔を出して以降は、5月の連休時に顔を出す按配だった。この時も雅子はいつものように千葉にいた太郎のマンションに顔を出して掃除や食事を用意したりする日程をこなしていた。そして、連休最後の5日には、太郎を呼び出して3人で日本橋の料理屋で会食した。その際に、改めて気付いたのだが、ナイフとフォークを持つ雅子の手つきにかなりぎこちなさが目立って来ていたのである。その時の十七文字日記には「気になるよ いやにぎこちない 手の動き」といったメモが残っていて、ここに来て、徐々にではあるが、病魔が目に見える形で顔を出し始めたように感じていた。恐らく、息子の部屋掃除も大変になってきていて、それがかなりの負担になって来ていることが窺われた。
 それでも、雅子の症状の変化は、見た目には、それほど目立った悪化ではなく、よく観察していると悪化が進んでいるといった微妙な悪化であり、言い方を変えれば、病魔は意地悪く目立たないようにゆっくりとした悪化活動を続けていたことになる。
 しかし、この微妙な悪化のことで、二人で具体的に何か話し合ったという訳でもなく、ずるずるとそのままの別居生活を続けていた。折角、二人が直接顔を合わせていたのだから、そのぎこちなさについて、もっと密に話し合ってもよかったと思われたが、実際には、見かけの悪化がそれほど極端でなかったことで、そんなすれ違い的なことになっていたかも知れない。結果的には、お互いに黙認し合っていて、そんなに大したことではなかろうと高を括っていたとも考えれる。雅子にしてみれば、一考のマンションでは、姑の世話で溜まっていた疲れを癒す場として意義にウエイトを置いていたからでもあった。(以下、明日に続く)

1432 整いました

 この言葉は、Wコロンと呼ばれる芸人グループの一人、ねづっちという芸人が口にしている言葉である。答えが用意できた時にねづっちが言うセリフだ。芸人の言葉だといい加減に取り扱うのではなく、何事も、先ずは、手早く「整えて」から、速やかに事を始めるべきだろう。

1.独り言コラム
 高が芸人、されど芸人で、Wコロンのねづっちは異才の持ち主だ。謎掛けが得意で、答の用意が出来た時に「整いました」という前置きでその答えを紹介するのだが、それがなかなかの素晴らしいもので、筆者は敢えて同氏の場合は、その答えを作品と呼びたい。高が謎掛け、されど謎掛けで、同氏の作品には、多重に謎が掛かっている凄さがある。
 筆者も真似ようと挑戦したが、なかなかうまくは出来ない。やっとこさで作った作品を紹介しておこう。
 『長く続いている相坂一考のブログと掛けて、使い古された戦闘機と解く』心は、
 『千回以上(旋回異常)でファンが多い(不安が覆い)』である。なかなかよく出来ているのじゃないの。ファンは多くはないけれど、この作品に関する限り、ねづっちレベルにあると言えそうだが、…。
 さて、探査機「はやぶさ」が持ち帰った微粒子の解析結果が発表された。およそ1500個ある微粒子は、間違いなく小惑星から持ち帰ったものであることが証明されたという。月以外の天体から、何かを持ち帰ったのは初めてで、これ以降の研究の準備が「ととのいました」ということになる。今後、太陽系の成り立ちの基礎解明に着手されるということのようだ。夢のある話だ。
 Uチューブに尖閣での漁船衝突事件のビデオを流出した保安官は逮捕されないことが明らかになった。逮捕の条件が「整わなかった」のであろう。政治的なにおいがふんぷんとする対応だ。後は、海上保安庁の課すペナルティが気掛かりだが、懲戒免職はあるのだろうか。決断が「整いました」ら、早目の発表をお願いしたい。
 昨日行なわれた強盗殺人事件を扱った裁判員裁判で初めての死刑判決が出された。充分な議論があって、考え方が「整えられた」判決だったと思うが、最後に裁判長が「控訴」を勧める発言が加えられたのには驚きである。それは、要するに、自分達の判断には自信がないということを言っていることになる。裁判員全員の考えが「整いました」という納得行く答えにはギャップがあったということだろう。
 今年の大卒の就職率は現時点で57.6%と最悪の状況にあるようだ。景気の不透明さの表れで、その辺りの見通しが立たない限り企業の採用規模が「ととのいました」とはならず、職探しの苦労は続きそうだ。
 アメリカへの留学生の国別の数が発表された。それによると1位が中国で12万人、2位がインド、3位が韓国で、日本は4位から5位に下がったようだ。そこには何事も世界のトップがアメリカだとの日本の若者の物の考え方に変化が起きているのかもしれない。注目すべきは、人口がそれほど多くない韓国が依然として多くの留学生を送り込んであり、大いに気掛かりだ。そう言えば、ゴルフのLPGAへの参加プレーヤー数も韓国は異常に多い。この辺り、韓国との違いを調査し「整えてもらって」真剣に考えてみる必要があろう。韓国は要注意国だけにきちんとしたフォローが必要だ。
 何事も、ねづっちのように手早く「ととのいました」が言えるような能力があればいいのだが…。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時半起床。体重、51.0Kg.体調が風邪気味でよくなし。お天気は今一つのようだ。
 昨日の雅子は少し熱があったものの、まずまずの様子。午後には入浴。

3.連載、「難病との闘い総集編」(28)
  第一部 潜伏期(26) 第二章 病魔が静かに牙を剥き始めた(2)
  (1)募る不安(その2)

 その日の帰宅後から、家事の合間を使っての雅子の読書が始まった。専門的な言葉が多く、雅子にはなかなかハードな内容で、難しい説明部分では、何回も読み直すことが必要だった。それでも、自分自身の病気に関することであり、今後、どんな具合になって行くかの心配も手伝って、意欲的に読書は進み、一気にとは言えないまでも、二週間足らずで、ほぼ三冊全部に目を通すことが出来た。
 当然なことかもしれないが、個々の内容ごとに、不安を覚えたり、少しは安堵したりする繰り返しで、病気全体の大よその把握をすることが出来た。こんなに、一生懸命になって三冊もの難しい本に集中したのは、今までになかったことだった。雅子が理解した本病気の大要は凡そ次のような内容だった。
 パーキンソン病は、中脳の「黒質」という部分の異常が原因で、その黒質の神経細胞の数が減少して起こる病気である。しかし、左右二つある黒質の重さは、併せて僅か1グラム程度のもので、脳全体(およそ1000グラム程度)から見れば、僅か0.1%程度の異常で、厄介な症状が出て来るという微妙なミクロの世界の話である。具体的には、黒質の先端から分泌されるドーパミンが潤滑油の役割を果たしているのだが、神経細胞の減少で、このドーパミンが減少して、潤滑性が不足することで起きる病気である。従って、運動の指令が出されても、機械に相当する部分がスムーズに動かない状態になって、パーキンソン病のいろんな症状が出て来るというのである。
 要は、中脳の神経細胞の一部が変性し、ドーパミンの減少で、体が思うように動かなくなってゆく進行性の病気で、ふるえたり、動きが遅くなったり、筋肉がこわばったりする症状に特徴がある。多くは50~60歳代の中年期から初老期にかけて発症することが多いという。1817年にイギリスのジェームス・パーキンソン医師が初めて報告したことからそう呼ばれるが、200年近くも経過した今でも、未だにその原因の解明が出来ていない。そのため、その治療法は確立されておらず、現在でも、お薬で病気の進行を抑えようとする治療が主流である。厄介なのは、そのお薬の利き方に個人差があって、その患者に適合するお薬を見つけ出すステップが最初となる。今までの症例では、適合するお薬で、かなりの回復が認められたケースもあるが、多くは、一生、お薬とのお付き合いを余儀なくされることになるようだ。
 症状は、その不具合の程度によって、「1度」から「5度」までの5段階のレベルに分類されている。身体の片側だけに症状が見られる場合が「1度」とされ、寝たきりで一人で歩けず車椅子が必要となる病状になると「5度」のレベルだという。
 今(2003年1月)現在で、自分の症状は、左手の人差し指に不具合が出ている状態であり、まだレベル「1度」の段階だと雅子は自己判断し、治らないにしても、このレベルの状態で止まって欲しいと祈るような気持ちになっていた。(以下、明日へ続く)

1431 快挙

 「よくやってくれた」という嬉しいケースと「やられちまった」という悔しいケースがある。

1.独り言コラム
 稀勢の里が大殊勲である。相撲内容は申し分なく完勝だった。途中からの白鵬の焦りが目立ち、墓穴を掘ることになったようだ。これで、双葉山の69連勝は守られたのである。日本の国技と言われる相撲で、外国人に偉大な記録が破られることに不満を持っていただけに嬉しい番狂わせだった。しかも、日本人力士である稀勢の里が破ったことにその意義と心地よい感動がある。
 昨日のこの欄で、横綱白鵬の連勝新記録を90%以上の確率で達成するだろうと書いた。その有得ないと思われた10%が昨日に起きたのだからびっくりである。白鵬にしてみれば、始まったばかりの2日目での不覚だった。そういえば、双葉山が安芸の島に敗れたのは4日目で、いずれも、前半戦でのちょっとした落し穴だった。なお、大鵬が45連勝中に戸田に敗れた(誤審)のも二日目だった。
 敗れた白鵬は、「流れに隙があったね。まあ、こんなものじゃないの、という感じ」とインタビューに答えていた。歴史的な一番はこうして終った。双葉山、万歳である。
 稀勢の里には早く日本人横綱となって日本の相撲を復活させて欲しい。
 フィギュアのグランプリ大会では日本人が頑張っている。今週行なわれたアメリカ大会では、男子は高橋大輔選手が勝ってGPファイナルの出場権を得たし、女子の村上佳菜子選手もシニアに登場して初優勝を果たし、同じくGPファイナルの出場権を獲得した。女子では、浅田真央の後継者は出来上がっているという心強さがある。後は、真央ちゃんに復活してもらうことがファンの願いである。
 スーパーコンピューターのトップ500のランキングが発表されて、1位は中国のコンピューターの天河一号が、2位にアメリカのジャガーが、3位も中国で、日本は4位に東工大のTSUBAME2号がランクインしたという。
 昨年の仕分け作業で、蓮舫代議士の「2位では駄目なんですか?」という馬鹿げた質問が思い出されるが、この世界でも中国に快挙をなさしめた悔しさを噛み締めねばならない。
 Uチューブに情報を流出させた海上保安庁の男に、検察庁は、逮捕せずに事情聴取を続けることにしたという。情報が秘密であったかどうかの判断が分かれること、更には、国民感情をも考慮した判断でだろう。快挙と云う訳じゃないが、そこそこの適切な判断だろう。
 プロ野球の発展に貢献した監督や選手に送られる正力松太郎賞に、今年はロッテの西村徳文監督が受賞した。レギュラーシーズン3位から日本一を勝ち取った勝負が高く評価されたもので、これも、快挙に該当するだろう。おめでとう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、60.9KG.日中は晴れると言うが、どうだろうか。
 昨日の雅子は比較的落ち着いていた。午後には散歩。堀川高校の校歌のを口ずさんだが、反応は今一つだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(27)
  第一部 潜伏期(25) 第二章 病魔が静かに顔を見せ始めた(1)
  (1)募る不安(その1)
 
 年が明けてお正月の慌しさが一段落した一月の半ばのことだった。それまでの総合診断結果で、どうやら「パーキンソン病だ」との大西医師からの告知を受けて、雅子は大きく胸を痛めていた。
 この日、雅子は一人で、京都駅の新幹線側の八条口構内にある本屋にいた。比較的大きな本屋で、人の出入りもかなりあって活気が満ちていた。いつもは雑誌を買う程度の雅子が、このような本格的な本屋に来るのは久し振りのことだった。正月明けということもあって、人の流れにもゆったりとしたものが感じられたが、雅子は、何とも言えない重い気持ちで、ゆっくりと店内の奥へ歩を進めていた。 
 本棚の上に示されている本の分類表示を見分けながら、辿り着いた処は、医学の解説書が並んでいるコーナーだった。この辺りは、人影は少なく、ある意味で隔離された一角だった。雅子は、すっきりしない気分に苛まれながら、ゆっくりと本棚に目を走らせていた。ついこの間まで、こんなところで、そんな特殊な専門書を探すなんてことは考えてもいなかった。「私が、どんな悪いことをしたのだろうか」といった不満が頭の中に渦巻いていた。言葉にならない悲しい気持ちでいっぱいだった。最初に、この病気のことを話した日に、夫が、インターネットから取り出した情報の数ページのコピーを手渡してくれたが、もっと、詳しい内容を知りたいとの思いで、ここまで出掛けて来たのだった。真剣な眼差しで、それに関連する本を求めて追っていた目が、一番隅にある本棚の中ほどに数冊ほど並んでいるのを見つけた。
 「あったわ」と小声で呟くと、その一冊を取り出して、ページを繰り始めた。結構、図が多く取り入れられていて、一見分かり易そうな印象を与えたので、少し、拾い読みをして目を走らせてみたが、難しい言葉が並んでいて、直ぐには頭に入らない。隣の本を抜き出してみたが、同じような印象で、これは、ゆっくりと落ち着いて読まなければと自分に言い聞かせた。今までにあまり耳にしなかった病気だが、これだけ本が書かれているということは、この病気にもそれなりの患者がいて、多くの人に読まれているのだろうと雅子は思った。医者は、まだ原因が解明されていないといっていたが、若しかしたら、治療に役立つ情報があるかもしれないと、勝手な期待に結びつけるのだった。
 雅子はそこに置かれていた三種の本を全て購入することにした。少しでも多くの情報を得たいとの気持ちが強かった。レジで清算をしようとすると、担当者が、珍しそうに雅子の顔をじっと見ているのが気になったが、そのまま支払いを済ませて店を出た。多分、こんな特殊な本を三冊も購入する女性に何らかの関心を抱いたのかもしれない。(以下、明日に続く) 

1430 勝負の流れ

 本来の実力とは関係ない、勢い、雰囲気といった「勝負の流れ」と呼ばれるものが、勝負を左右することは多い。特に、短期決戦の場合に、「流れ」の影響が多く見られる。今年の日本シリーズのロッテの優勝はそんな流れが演出したとも言えよう。

1.独り言コラム
 2010世界女子バレーのアメリカとの3位決定戦は、昨日の夕方の5時から行なわれた。従って、TBSの放送が始まった7時の時点では、既に、セットカウントは2-1でアメリカがリードした状況下で第4セットが戦われていた。
 筆者はインターネットの速報に注目していて、第一セットをアメリカが奪ったという最初の速報に、「やはり、駄目なのかなあ」と思いながら、次の速報を待っていたら、第2セットは日本がものにしたという嬉しい報告だった。ここで、「ほお!やるじゃないか」と、筆者にも「若しかしたら」という気持ちが少し芽生えたのだが、第3セットを取られたという次の一報に、「そこまでなのかなあ」と諦めが先行した。そして、7時になってTBSの放送が始まって間もなく、日本が2-2に持ち込んだという速報が入った。ここまで来ると、最終セットは短いだけに、流れに乗れば、若しかしたらという希望も少し大きくなっていた。
 そして待つこと20数分、NHKのニュースが終る直前に日本が逆転勝ちしたという速報がインターネットでアップされたのである。久し振りの快挙で、世界バレーでは32年ぶりのメダルだという。ビッグニュースだけに、若しかしたら、NHKのニュース内で取り上げるかと思って注目していたのだが、やはり放送協定があるのか、NHKは取り上げなかった。
 その後、勝ったという結果を知って、安心してTBSの放送を見たのだが、各セットでの点の取り合いは激しく、幾度も逆転を繰り返すラリーが続いていたのである。しかし、最後の第5セットはもう日本の流れの中での展開で、大きく差をつけての勝利だった。なお、選ばれた全日本の選手の中には、木村さおり、荒木絵里香、迫田しおり、中道瞳、浜口華菜里の5人が東レアローズの選手だけに、何となく身内が勝ったような気分で嬉しさも大きかった。また、この東レのバレー部長は、昔、一緒に仕事をした仲間の森岡正樹さんであることを最近になって知り、より親しさを覚えていたこともあって、この勝利に溜飲を降ろしたのである。
 大相撲九州場所が始まった。横綱白鵬は力強く初日を飾って63連勝で歴代2位の谷風の記録に並んだ。あと6日で歴史的な日を迎えることになるが、今の流れの中では、新記録の誕生の可能性は90パーセント以上だろうと思う。越えて欲しくない双葉山の69連勝も今や白鵬の完全な射程距離内にある。神様はどんな判定を下すのだろうか。
 米国女子ゴルフツアーで今年の賞金王の可能性を残している宮里藍選手だが、今週のツアーでは、昨日までは完璧なゴルフで、首位と1打差の射程距離の範囲内だった。そして、最終日の今朝も1番でバーディを取って首位に1打差と肉薄していて、流れは宮里藍ペースを見ていたのだが、まさに「好事魔多し」である。4番でダブルボギーを叩いたのだ。詳しいプレーの様子は分からないが、がっくりと来たようで、続く、5番、6番でもボギーを叩き、どうやら夢は消えてしまったようだ。現在ハーフを終って-8で、首位と9打差である。彼女のような自信家は、一歩躓くと脆い面がある。それにしても、朝、1打差が、ハーフを終って9打差というのは、あまりにも違いすぎる。勝負の流れは本当に怖い。
 APECを終えて、ほっとしいるのが菅総理だろう。批判があるにせよ、取り敢えずは胡錦濤主席との会談の形作りは出来たことで、最悪の流れからは避難できたようで、内心、愁眉を開いているのではなかろうか。心の支えはアメリカの強いサポートで、これをしっかり築いていくためには普天間基地の移転問題の解決が必須である。一難去ってまた一難ではないが、難問山積で厳しい流れそのものは何も変わっていない。内閣支持率も急激な降下があって、ほっとする間はないはずだ。 
 それにしても、今の日本には、これはという総理候補が見当たらない。菅さん以外に他の人と言っても、人材はいるようで、これはという人はいない。前原誠司さんは、筆者もファンだが、決断があってすっきりしてはいるが、考え方に思い付き的なところが多く見られて、何となく不安が付き纏う。誰かいないか「総理候補」である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、60.9Kg.朝、熱い風呂に入った。お天気は、今一つ…。
 (昨夜は風邪気味だったので早く寝た)
 昨日の雅子は比較的安定していた。一考の体調が今一つだったので、散歩は取り止め、テレビを視聴する時間を増やした、呼びかけへの雅子の反応は、ここに来てほどほどに戻っている。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(26)
  第一部 潜伏期(24) 第一章 病名との出会いまで(24)
  (5)パーキンソン病(その6)

 この日は、朝から冷たい雨が降っていて、気分も重苦しく感じられた。こういった時に待つ時間の長さは、普段よりも何倍かの長さに感じられた。雅子は、自分に落ち着くように言い聞かせながらじっと我慢して順番が来るのを待っていた。そして、どうやら次が自分の番だと思われたので、少し居住まいを正して呼び出しに備えていた。
 その時だった。看護婦さんが出て来て「もう少し待って頂けますか。検査結果が届いていないので、今から受け取りに行って来ます」と慌しく言い残すと、RI検査室の方に小走りに向かったのである。
 看護婦のその一言で、朝から続いていた雅子の緊張の糸が切れたようだった。雅子は、気抜けしたようにがっかりしたような気持ちになった。何しろ、最高裁判所の判決を受けるような気持ちで出掛けて来ているのに「この按配はなんたること」といったやるせない気持ちだった。患者が多くて忙しいのは分からないことではないが、患者一人一人には、自分の命、人生が掛かっている訳で、それが、ないがしろにされ、いい加減に扱われては堪らない。
 暫くして戻って来た看護婦は「申し訳ありません」と言いながら、一旦、診察室に戻ったが、手には何も持っていなかった。「どうしたのかしら」と雅子は思ったが、暫くして、また診察室から出てきた看護婦さんは、会釈して再びRI室の方向に向かって行った。雅子は苛立ちを覚えて来ていた。
 再び看護婦さんが手に封筒を持って戻って来たのは、それから10分ぐらい経過した後だった。どうやら、書類の扱いに齟齬があったようだ。
 先ほどの看護婦から、漸く、呼び込みが掛かって、診察室に入ると、大西医師が、看護婦が持ち帰ったと思われる書類に目を通しているところだった。雅子には、一夜漬けの受験生の姿を連想し、再び、気分を重くさせた。
 「そうですね。やはり、パーキンソン病の初期の症状が出ているようですね」
 雅子が椅子に座るのを待って、大西医師は、書類に書かれている解析結果を見ながら、読み上げるような口調でそう伝えた。自分の判断と云うよりも、検査員の所見をそのまま伝えているだけだった。見掛けの真面目そうな様子とはかけ離れたようなおざなりな応接で、気分は最悪で大声を出したいような不快感があった。最高裁判所の判決を受けるような厳粛な気持ちで出向いて来た雅子には、何だか気抜けするようで、何の配慮も感じられない重苦しい宣告だった。
 とにかく、その日は、心臓検査(RI検査)の報告が全てであっただけに、その後の通常の問診と手足の症状診断には、恰もロボットのように言われるままに応じていた。気落ちしていたからだった。
 「今のところは、症状にはそれほどの変化は見られません。ですから、お薬も、今までと同じもので、引き続き様子を見ることにしましょう。また、次回には、血液検査もやってみることにしましょう」
 淡々と事務的に語る大西医師の説明も、もはや雅子にはインパクトのない言葉だった。
 「分かりました」雅子は、無感情にそう言って大西医師を見て頷いたが、内心、どうにでもしてくれといった開き直った気持ちになっていた。
 若しかしたら「無罪の判決」とのかすかな期待感も心の奥にあったのだが、それらが、無残にも打ち消された上に、その扱いが機械的にデリカシイの欠如した粗雑な扱われ方をしたことで、雅子の真摯な気持ちが傷つけられていた。その面白くない不満は、大西医師の対応に向けられていて、後の雅子の決断に大きく影響を与えることになる。
 こうして、これまでの一つ一つの診断結果、検査結果が、パーキンソン病を示すことに、雅子は、恰も、刑事ドラマの犯罪捜査で、次々と出される証拠物件で、犯人が追い詰められてゆくプロセスを見せられているようで、次第に諦めの心境になって行くのだった。
 その夜、夫に電話で伝えたが、夫も、覚悟した諦めの心境で「なるようになるんだろうね」と淡々とした返事を返して来た。
 「なるようになるって、どうなるかが分からないのが心配なの」と珍しく不機嫌な口調でボールを投げ返した。雅子には珍しい応接だった。
 「大丈夫だよ。僕はね、仮に、君が最悪の症状になったとしても、責任を持ってきちんとサポートするから、心配しないでいいよ」と優しい言葉で慰めてくれた。その返答で、少しは気分も軽くはなったが、本質的な胸の痛みは消えることはなかった。(以下、明日に続く)

1429 一喜一憂、悲喜こもごも

 政治の世界では、韓国でのG20サミットから舞台は横浜のAPECに移った。スポーツでは、世界バレーがベスト4の戦いが、そしてアジア大会も始まった。話題には事欠かないのだが、…。

1、独り言コラム
 APECでの本来の会議はさておいて、日本とアメリカ、ロシア、中国との個別の首脳会談の行方が注目された一日だった。中でも、日中の首脳会談は予定も立っておらず、実施されるのかどうかも分からない状況の中で、それぞれの日程が進んでいた。
 最も順調だったのが午前中に行なわれた日米の会議で、互いに、中国とロシアを意識した形で、日米安全保障基軸ということで、話は前向きに進んだようで、菅総理はオバマ大統領から招きを受けて、来年のしかるべきタイミングでの訪米が決まったようだ。リンカーンが徳川家茂に送った信書の複製を用意するなどの配慮も効果的だったようだ。問題は、それまで菅内閣がもっているかどうかだが、…。
 さて、次の緊張する動きは夕方になってからだった。筆者が病院から自宅に戻る車を運転中に速報が伝えられ、急遽、日中の会議が設営されたと言うのである。しかし、ロシアとの会議が予定されている時間帯の直前で、日中の会議は10分程度と伝えられていた。実際には22分間の会議だったようだ。それにしても、そこまでして会わねばならないという意味に疑問がないではないが、まあ、こじれている関係をこれ以上こじらせないということで、一つの形作りは出来たのだろう。菅総理が、慎重を期してメモを見ながらの会談だった。この会議の設営には、齊木昭隆アジア太洋州局長の粘り強い水面下での働きかけが大きかったようだ。
 いずれにしても、漁船をぶつけるなど悪いことをしたのは中国なのに、日本の方から会いたい、会いたいとお願いし、相手からはお詫びの言葉も聞けないのは情けない気がする。困ったものだ。
 日中会談の後に、ロシアのメドベージェフ大統領との会談があった。ここでは40分間程度の会談がもたれたようだ。肝心の領土問題では相互に主張を繰り返したようだが、これでは埒が開かない。
 救いは、中国、ロシアともに、経済面からの付き合いを切っ掛けにしようとの狙い(口実)はあるようだが、これも日本はただ利用されるだけに終わりそうなのが心配だ。こんな状況の中だけに、一層、アメリカとの関係を強固なものにしておく必要があろう。菅総理にしては、はらはらした一日だったろう。
 さて、スポーツの世界では、世界女子バレーの準決勝が行なわれ、日本は世界ランク1位のブラジルに出だしの2セットを連取する好スタートを切った。しかも、その2セット目は、ジュースの繰り返しで、この大会史上の新記録となる長いラリーが繰り返され、33-31で日本が奪うと言う劇的な展開で大いに沸いた。しかし、その後の壁は厚く、結局は逆転負けで、日本のメダルは今日の3位決定戦でアメリカに勝たねばならなくなった。真鍋政義ジャパンは、確かに強くなったことは事実だが、もう一歩が届かないのが悔しい。
 なお、数日前にも書いたが、テレビの実況が1時間ぐらい遅れての放送で、インターネットで先に結果が分かってしまうために、負けが分かってしまうとテレビは見ないことになる。やはり、生中継でないと迫力は激減である。
 一方で、アジア大会が始まっているが、さすがにオリンピックとは格段に関心が低い。女子のトライアスロンで足立真梨子さんが金、土橋茜子さんが銀と出だしの競技で金銀を独占したのが光っていた。水泳、柔道、体操でも頑張っているが、今一つ関心は盛り上がってこない。
 米国のLPGAツアーで、宮里藍が首位争いに絡んでいる。今現在(三日目のハーフを終って)-9で4位タイで首位と3打差の好位置にいる。賞金王への夢を繋ぐのか、関心は高い。なお、宮里美香さんは、13番を終ってー4で19位タイで頑張っている。因みに、筆者は美香さんのファンだ。
 ところで、いよいよ今日から大相撲九州場所が始まる。白鵬の連勝記録は何処まで続くのか、毎日が楽しみである。
 この種の自分に関わりのないいろんなドラマに、自分の閉塞感の日々の打開に繋げている訳で、気の毒で可哀そうな毎日である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.2Kg.寒さはそれほどでもないが、お天気は良くなさそう。
 昨日の雅子は、時々痰に悩まされた。堀川高校の校歌の譜面を持ち込み、歌唱をトライ。譜面を見て歌うのは今までにやったことはない。どの程度正解だったかは分からないが、満更でもない顔をしていた。午後には、車椅子での散歩を行なったが、寒いので病院内での行ったり来たりに終始した。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(25)
  第一部 潜伏期(23) 第一章 病名との出会いまで(23)
  (5)パーキンソン病(その5)

 それにしても、気の毒で、可哀そうなのは雅子だと一考は思うのである。何も悪いことはしていない。全ての点で非の打ち所がないくらい、妻として、母親としてよくやっていたと一考は高く評価している。それなのに、そんな雅子が、どうして、こんな厄介な病気に巻き込まれなければならなかったのか。神様も罪なことをしてくれるものだ。一考はそんなことを思いながら、やるせない思考を巡らせていた。
 いろいろと先のことを思うと、一考の頭の中では、その障害の程度が次第に拡大して行った場合のことが思いやられるのである。若し、雅子の左手が使えなくなったら、いや、両手に支障が出てきたら、歩けなくなったら、更には、動けなくなったらと言った悪い展開ばかりが、頭の中を次から次へと浮かんで来るのだった。「どうしたらいいのだろう」一考の考えは堂々巡りをするばかりだった。いずれにしても、自分がしっかりとサポートして、頑張って行くしかない。可哀そうなのは雅子なのだ。雅子は、今どんな思いでいるのだろうか、と思い遣るだけで、一考の胸中は、思わず熱くなるのだった。
 翌日の夜も雅子から電話があった。薬を飲み続けているが、効いているとも思えないといった不満の電話だった。パーキンソン病という宣告のボディブローが効いてきて、不安を感じているのは止むを得ない。「まあ、もう少し様子を見ようや。心配することはない。自分が責任を持ってサポートするから」一考は、それまでと同じような慰めの言葉を繰り返すだけだった。今から考えると、その頃が雅子の不安は、既に頂点に達していたのかもしれない。
 そんな不安が雅子を襲っている中で、退職後の一考のマンションでの一人住まいの生活も、早いもので、もう丸一年を過ぎていた。幸か不幸か、ここでの生活リズムもそれなりに確立し、それなりの愛着も出て来て、密かに期している人生最後の挑戦にも、今までにない闘志が燃え始めていたのである。大きな不安は募ってきてはいたが、幸いなことに、雅子が今のところ生活そのものにはそんなに支障がないと言ってくれているのを大儀にし、このマンション生活を継続をしようと考えていたのである。そして、結果的には、それから二年近くに渡って、一考は、いわゆる、WALKとWRITEの2Wにかまけた東京での一人生活を継続することになるのだった。
 さて、 雅子が心臓の検査であるRI(Radio Isotope)検査を受けたのは、12月12日で、暖冬とは云え、雅子には、少々寒さが身にしみる日だった。それまでの診断では「パーキンソン病の疑いがある」とか、「パーキンソン病だと思われる」といった幾分曖昧な部分を残しての告知で、場合によっては、そうでない可能性も残されているとも解釈できた。しかし、先生の話から、このRI検査によって、そのような曖昧さが解消され、はっきりと確定した病名が判明する、いわば、病名に関して、最高裁での判決のような診断に繋がる検査であると、雅子は受け取っていた。それだけに、雅子は少し張りつめた緊張と神に委ねた厳粛な気持ちで、その日を迎えていたのである。
 検査そのものは、三十分程度ベッドに横になっての測定で、MRIの場合と似てはいたが、心臓部分をカバーする薄いパネル状のものを抱くような形での測定だった点と、それを2時間ぐらいの休憩を挟んで2回行なう検査という点で、MRIとは異なっていた。結果的には、この日の検査は、半日近く時間が掛かる大仕事だった。
 雅子は、検査機器が作動している間、誰にともなく「しっかりと正確に診断してね」といった、祈るような気持ちで、身体の全てを検査機器に委ねた気持ちで横たわっていた。まさに、まな板の上の鯉の気持ちであり、野球に喩えるなら、フルベースのピンチを迎えた場面で、自分が信頼している投手に、とにかく「ベストを尽くして抑えて欲しい」といったような願望の気持ちが交錯していた。同時に、それまでに得ていた情報、知見が繰り返し脳裏に甦り、あれやこれやと不安を覚えながら、心の底では「どうか、パーキンソン病でないとの結果が出てくれるように」との僅かな期待に祈るような気持ちで、検査が終わるのをじっと待っていた。
 そして、肝心の検査結果は、ほぼ2週間後の年の瀬の迫った12月26日の通常の診察時に報告を受けることになった。

1428 ちょっとびっくりアラカルト

 ちょっとびっくりした話にも、その内容はピンからキリまである。たまたま昨日から今朝にかけて視聴にしたその種の話を集めてみた。

1.独り言コラム
 どうでもいい話かもしれないが、あのシャチハタの印鑑の押印寿命の確認を昨夜の日本テレビ系列のバラィティ番組で放映していた。それによると、何と、10861回という結果だった。ということは、一日、一回押すとすれば、30年間はもつということになる。確かに、便利なものである。シャチハタでは、5000回に一回インクを替えることを勧めているという。
 カルテルで、過去最高の高額の課徴金が課せられる。これはごみ焼却炉の建設をめぐっての大手メーカー5社によるもので、3年前に一旦支払い命令が出されたが、5社が裁判に持ち込んだために一旦効力を失っていたものである。しかし、裁判ではメーカー側の主張が認められなかったことで、公正取引委員会が昨日、改めて支払いを命じたものである。
 その課徴金総額は270億円で、メーカー別には、三菱重工61億円、JFEエンジニアリング57億円、川崎重工52億円、日立造船49億円、タクマ、47億円である。因みに、平成21年度の課徴金総額が361億円だったことを考えると、この一件での課徴金の大きさにびっくりである。また、筆者らも公取さんには1987年にお世話になったのだが、その時の課徴金は、その一件総額で、およそ1億3千万弱だった。業界の規模が違うとはいえ、今回の270億円は、四半世紀でその20倍以上であり、隔世の感がある。
 APECの首脳会議が今日から横浜のみなとみらいで行なわれる。その安全を確保するために全国から集められた警察官による21000人体制で万全を期すという。全国の警察官の人数が23万人程度であるから、この期間に全国の10%近い警察官が横浜に集結しているという。ちょっとしたびっくりする人数だ。こんなにお金を使っているのに、菅総理を始めとする日本の対応姿勢が、馬鹿にされた中国やロシアにペコペコと頭を下げて、お会いしたいと下手に出ている姿にがっかりさせられている。胡錦濤には、公開されたビデオの証拠をカードにして、しっかりした謝罪をさせて欲しいものだ。そうすれば、菅総理の人気は一気に回復するだろう。
 社会保障費の今年度の総額が、昨年度より2兆円ほど増えて、94兆848億円に達すると言う。日本のGDPの20%近い額で、確かに大きなウエイトを占めていることを改めて認識した。これからも医療や介護の費用は増加して行くだろうから、その予算対応は大変だろう。
 尖閣事件でのビデオ流出をしたと名乗り出た神戸海上保安庁の保安官に対する事情聴取はまだ続いている。異例の長さで、ちょっとしたびっくりである。これはAPEC期間に余計な騒ぎにならないような政治的な意図で、逮捕を延ばされているのではなかろうか。この保安官は今朝もメモを出すなど、なかなかしっかりした考えを持っていることが次第次第に明らかになって来ている。
 このブログも今日で1428日目だ。中身は別として、よく続いているとちょっとびっくりだ。我田引水でのコメントで今朝は締め括りたい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、60.9Kg.今朝の寒さは少し緩んでいる。お天気は良さそう。
 昨日の雅子は、熱もなく、痰には少々苦しんではいたが、それほど多くなかった。全体としてはそこそこの状態だった。
 校歌の話をしていた時に、雅子の出身の堀川高校の校歌ってどんなものなの、と言って、即席でちょっと口ずさんだところ、声を出して笑ってくれた。こんな笑い方をしたのは久しぶりのことで、ちょっとした嬉しい日であった。校歌は、インターネットで調べたので、今日歌ってあげることにするのだが、楽譜が読めないのだ、どうしよう…。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(24)
  第一部 潜伏期(22) 第一章 病名との出会いまで(22)
  (5)パーキンソン病(その4)

 それから一週間後の11月21日、雅子は再び日赤病院を訪ね、再度大西医師の診察を受けた。特に変わった検査を受けた訳ではなかったが、医師は、改めて、「やはり、パーキンソン病、若しくは、パーキンソン症候群のようですね」と診断、それを伝える医師の言い方には前回よりも自信有り気であった。雅子は「やっぱり、そうなのか」という、重罪の判決を受けたような気分だったが、今のところ、具体的にそれらしい症状が認められていないことから、不安はいっぱいあったものの、さし当たっては「なるようになれ」といった開き直った気持ちで受け止めようとしていた。
 「いずれにしても、なるべく早く、この前にお話した心臓検査(RI検査)をやって、更に確認をしましょう。帰りにでも、検査の予約手続きして下さい。今、その設備が混んでいますので、一週間ぐらい待たされるかもしれません。それまでは 今飲んでもらっているお薬を続けてもらいましょう。お薬が効いてきて、病気の進行が止まればいいのですが」端正な顔を引き締めた大西医師は、当面の段取りを話した。
 「特に、何か注意しなければならないことはありますか?」どう対応していいか分からない雅子は、藁にでもすがり付くような気持ちで、アドバイスを仰いだ。
 「そうですね、特にありません。お薬が効いてくれるのを待つだけです。厄介なのは、この薬の効果には個人差が大きいのです」
 「厄介なんですね。ところで、お薬の効果は飲み始めて、どのくらいの時間で現れて来るものなのですか?」
 「そうですね。まあ、2~3週間でしょうか」
 「しかし、私の場合には、それが効いているのかどうかは、判断できませんよね。今は、ほとんど実害が無い程度ですから」
 「そういうことですね。結果的に、それ以上悪くならなければ、効いているということになりますが」
 「そうあって欲しいです」
 雅子は、分かったような、分からないような、そんなやり取りをしながら、自分自身でも納得しかねていた。
 心臓検査の予約手続きの結果、大西医師が言っていた通り混んでいたため、一週間後と決まった。
 その夜、電話でその報告を聞いた一考は、戸惑いながら話しかけた。
 「まあ、様子を見るしかないね、将来、どんなことになっても、僕が責任を持って面倒を看るから心配はいらない」と勇気付けたが、内心では、モハメッドアリの震える手で聖火を握っている姿が脳裏に浮かんで来て、胸中の不安は拡がっていた。
 電話を切った後、一考は考え込んでいた。インターネットなどのその後の情報などから、大変厄介な病気だという不安が大きくなっていた。特に、気になったのが、この病気が進行性のものである点だった。どの程度の速度でどのように進行するのか、といった疑問と不安に苛まれるのだった。いずれにしても、頼みは唯一つ、雅子にマッチする薬が見つかって、病気の進行を食い止めてくれることをひたすら願うだけだった。(以下、明日に続く)

1427 虚々実々の攻防

 互いに秘術を尽くした虚々実々の戦いには、興奮、感動を覚えることが少なくない。

1.独り言コラム
 今朝は、コンピューター画面に向かった途端に、何故か「守るも攻めるも黒金の…」という軍艦マーチの歌詞の出しが口を突いて出てきた。いろんな意味で注目されている戦いが幾つか展開されているからだろう。
 その一つは、警視庁捜査一課と情報を流出したと名乗り出た神戸の海上保安庁の保安官との対決である。任意の事情聴取だが、今日で三日目に入ると言う異例の長さである。どうやら、神戸の海上保安庁の保安官が、それなりに頑張っているからのようだ。
 その長引いているポイントは、神戸の漫画喫茶で、USBメモリーにダウンロードした情報をUチューブに流出させたのだが、その情報の入手経路について、はっきりとした供述を避けているからのようだ。誰かを庇っているのだろうか。
 とにかく、今の世の中はコンピューター、インターネントなどの新しいツール、技術の発展が凄くて、今までになかった世の中を作り出している。Uチューブ、USBメモリーといったツールなどはその典型だ。
 なお、この保安官は事情聴取の前に、この流出させた情報は国家秘密には該当しないといったことなどを含めたこの事件への考え方をメモに残している。自らが実行に当たってその行動の正当性を自問自答していた内容のようだ。しっかりした考え方を持った保安官であることの証明であろう。
 大物政治家同士の対決があった。韓国で行なわれているG20サミットの直前に、オバマ大統領と胡錦濤首席の世界が注目している対決だった。ここでは中国の人民元の切り上げを巡る虚々実々の駆け引きがあったようだ。大物同氏の対決だけに、はっきりとした優劣はつかず、相互に相手の痛いところを攻め合ったといったところである。
 楽しい対決もあった。将棋竜王戦での渡辺明竜王と羽生善治名人の大物対局である。昨日はその第三局の二日目が差し継がれ、終始押され放しだった羽生名人が終盤で逆転し、何とか勝ち切って3連敗を免れた。二人が秘術を尽くしての素晴らしい戦いだった。これで、羽生名人は、今まで竜王戦のタイトル戦で渡辺竜王に6連敗中だった悪夢の記録にピリオドを打った。この勝利で、タイトルの行方は混沌で、羽生名人にもチャンスが残ったことになる。
 有難いことに、将棋の対局は、最近は携帯で中継が見られると言うサービスがある。筆者も、それが見られる携帯に買い換えて、病室でも楽しむことが出来ている。昨日も、この竜王戦の他にも、朝日新聞社主催のトーナメントがあって、筆者の贔屓の郷田真隆九段が登場、一日に2局差す楽しい一日だった。幸い郷田九段が2連勝し、筆者の気分は上々だった。特に2局目は、ついこの間、A級リーグ戦で痛い逆転負けを喫した高橋九段と対戦し、終始悪かった将棋を最後に逆転してくれたことで、喜びも一入だった。
 余談だが、あまりにも将棋にその携帯中継に集中していたことで、雅子へのサポートが疎かになってしまい、本人が痰で苦しんでいるのを、大分後になって気付くという気の毒なことをしてしまっていた。
 さて、インターネット中継はいろいろと便利である。今、メキシコで行なわれているLPGAの今期最終の一つ前のツアーなのだが、このところ不調だった宮里藍選手が、ハーフを終って-3で2位タイと頑張っている。もう一人の宮里美香さんは、今のところ出遅れていて、11番を終わって1オーバーである。二人の宮里の対決も面白い。
 いずれにしても、秘術を尽くしあった対決には感動を覚えることも多い。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.4Kg.今日も天気は良さそうだというが、…。
 昨日の雅子だが、時々、痰が纏まって出ることがあり苦しそうだった。午後には今日も散歩をした。陽だまりを見つけて外に出たが、やはり少し寒く、院内で過ごす時間が多くならざるを得なかった。
 
3.連載「難病との闘い(総集編)」(24)
  第一部 潜伏期(22) 第一章 病名との出会いまで(22)
 (5)パーキンソン病(その4)

 昼過ぎに、雅子は東京にいる一考に電話して、MRIの検査結果の第一報を伝えた。
 「とにかく、脳梗塞ではなかったんだね。それはよかった」そう言う一考の声には、ほっとしたものが感じられた。何しろ、脳梗塞と云う恐ろしい病気ではないと分かったからだった。
 「でも、パーキンソン病かパーキンソン症候群の可能性があるのよ」雅子の声は冴えない。
 「それなんだがね。この間、インターネットで調べた限りでは、結構、厄介な病気のようだけど、個人差があるようだから、神様も、君にはそんなに厳しく苛めたりはしないんじゃない。先生も言っている通り、何でもない可能性もあるんだから」
 「私も、そうあって欲しいと願っているの」訴えるような雅子の声に、一考も込み上げる切なさを感じた。
 「今のところは、左手の人差し指が使い難いだけなんだろう。まあ、そのお薬を飲んで、心臓検査(RI検査)の結果を待とうよ。ばたばたしても始まらないからね」内心とは別に、明るく繕って雅子の気持ちを気楽にさせようと気遣っての一考の発言だった。あの、モハメッドアリの手の震えの話は、自分の頭の中に仕舞いこんでいた。なるだけ、余計な心配をさせないためだ。
 「そうね。何だか、このところ、判決を待っている被告のような気持ちで毎日を過ごしているのよ。精神的に辛いわ」話しているうちに、雅子も弱気になって来ているようだった。
 「被告の気持ちって大げさじゃない? 気楽に行こうよ。なるようになるんだから。よしんば、仮に、有罪の判決が出たって、そのお薬がうまくマッチして、病気の進行が止まってくれたらいいんだから」あくまでも、楽観的に装って、雅子を落ち着かせようと努めた。
 「そうあって欲しいわ。いずれにしても、大変気が重いの。あなたと違って、私は張本人ですから。あなたにも、余計な迷惑を掛けるのも嫌だし」当事者の気持ちは、痛いほど分かるだけに、一考も辛い。
 「それは分かる。でも、今から心配していたら大変だ。そうなったら、そうなったで、僕がしっかりと付き添って面倒みるから、心配はいらないよ」一考は力強くそう言って、電話を切った。雅子のことを慮って、言葉を選んで話したせいか、一考も少し疲れたようで、重い気持ちになっていた。 
 夜になって、雅子から再び電話があった。その日の夕方、実家に顔を出した義姉の久子から呼ばれて、「そんな薬は飲まない方がいいよ」とアドバイスを受けたというのである。さすがの雅子も、その一方的なアドバイスに戸惑っているようで、その声はいらついた響きである。
 「医者の言うことを聞くなと言うんだね。余計なお節介だよ。しかし、何でそんなことを言い出したのだい?」一考もあっけに取られたように、びっくりしたような声で聞き返した。
 「なんでも、旦那さんのご親戚の方に、この種の病気で亡くなられた方がいるそうなのよ」少し、声のトーンを落としてそのアドバイスの背景を伝えた。
 「親戚にそんな人がいたのかい。知らなかった。それは、何時頃の話しだい?」一考も、驚いたようだった。何だか、きつねに騙されたような気分だった。
 「詳しくは知らない。どうやら、お薬を飲んだのがいけなかったと思っているみたい」唐突な義姉の訴えに、雅子もあっけに取られたのだろう。
 「しかし、パーキンソン病は命にはそれほど関係ないはずだ。先生もそう言ったんだろう?」
 「そう、そう言ったわ。でも、その方は亡くなったそうよ」
 「まあね、良かれと思って言ってくれているんだろうが、こればかりはそのまま受け入れる訳にはいかんだろう。聞き流して置こうよ」一考も、幾ら姉の話だとしても「はいはい」とは受け入れる訳には行かない。
 「もちろん、そうするわ」雅子はそう言って電話を切った。(以下、明日に続く)

1426 勇気ある素晴らしい行動

 読売テレビの凄いスクープに興奮している。人間ドラマの素晴らしさを改めて思う。

1.独り言コラム
 今朝の4時からの読売テレビは、世紀の大スクープのニュースを放映していた。この度の尖閣のビデオ流出を行なったという勇気ある保安官に、読売テレビの山川友基記者が、ビデオ流出後に神戸市内でこの保安官に会って取材をしていたという。そして、この保安官は、昨日の告白直前及び岸壁に到着直前にも山川記者に電話してきて連絡をとっていたというのである。
 そこには、生々しい告白があり、筆者も思わず興奮してその内容をメモったのである。同記者の話した主なポイントは次の通りである。
 ビデオ流出の目的は、事件そのものに憤りを感じたり、菅政権に打撃を与えようといったことではなく、あくまでも国民の知る権利であるから、国民、一人一人が判断すればいいことであると語る一方で、海上保安庁など職場や周りの方に大変迷惑を掛けることを心配していたという。いずれにしても、誰もやらなければ、自分でやるしかないと考えて行なった行動で、きっかけは、国会議員の一部に公開したのが僅か6分間であったということで、このままでは、すべてが隠蔽された形で終わってしまうことへ憤りを覚えたことだったという。また、このことが倫理的に問題があるとすれば、甘んじて刑に服するとも語っていたようだ。
 また、このビデオは、秘密扱いになっておらず、誰でも見る環境にあった。流出ビデオに使ったハンドルネームの「SENGOKU38」については、官房長官の名前や戦国時代といった意味も考えられようが、一つぐらい秘密があってもいいでしょう、とはっきりしたことは言わなかったようだ。
 また、家族のことについて語る際には、さすがに心配そうで、涙ぐんでいたという。
 なお、この取材テーがはあるということで、いずれ、タイミングを見た上で、放映されることになるだろうと思われる。
 さらに、同保安官は、昨日も上司に告白する前に電話をしてきて、上司の面子を考えて、今から告白すると伝え、更に岸壁につく直前にも、間もなく着岸するという連絡を入れていたという。従って、同氏が船から下りてくる映像も、読売テレビはしっかりと撮っていた。大スクープである。
 山川記者のこのスクープの扱いにも、筆者はちょっとした感動を覚えた。直ぐに、わあわあと報道するのではなく、落ち着いてそのタイミングを待っていた配慮への感動だ。
 二人の感動的なこの話しに、筆者は思わず、起訴すべきでないと叫びたくなったのである。
 今までにも、野茂英雄投手の米国大リーグ移籍、小泉純一郎総理郵政解散などの勇気ある行動はいろいろあったが、今回の保安官のとった勇気ある行動とそれを取材した山川記者の応接にも、それに匹敵する勇気ある行動だったと申し上げておこう。
 余計なことだが、面白く感じたのは、この記者の名前が、何と!山川ゆうき(友基)だったという落ちもついていたことである。とにかく、心地よい興奮を覚えているいい朝である。(5時10分記)

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.0Kg. 少し寒い。天気は良さそう。
 昨日の雅子は、まずまずの様子。午後には40日ぶりの散歩を行なった。なんとなく、楽しそうだった。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(23)
  第一部 潜伏期(21) 第一章 病名との出会いまで(21)
 (5)パーキンソン病(その3)

 大西医師の今後の処置方針の説明に、雅子は今までにない真剣な眼差しで応接していた。
 「そうしますと、そのお薬は、パーキンソン病か否かを区別するリトマス試験紙のようなものなのですね?」今一度、自分の理解のほどを確かめるべく訊ねた。
 「まあ、そう考えて頂いていいと思います。だだし、この薬の効き方には、結構、個人差がありますので、その辺りも考慮して判断することになります。そこで、それとは別に、近いうちに、心臓の検査(RI検査)をします。血液の流れ具合を検査して、異常の中身を知ろうというもので、それらの結果を総合して、パーキンソン病か否かの判断が出来ると思います」あくまでも、大西医師の対応は極めて慎重である。
 「技術的なことはお任せするとして、一つ、気掛かりなことがあるのですが、…」雅子は、そこまで言って、大西医師の顔を窺ってから、ゆっくりと言葉を続けた。
 「先日の初診の際に、このパーキンソン病は進行性の病気だと説明され、先ほども、進行を食い止めるお薬は幾つか開発されているとおっしゃいました。進行性の病気とは具体的には、どういう意味なのか、具体的に教えて頂だきたいのですが」
 とにかく、不安の中身を少しでもはっきりさせたいという雅子の強い願いが、その眼差いっぱいに表れていた。それも当然なことで、突然、降りかかってきた想定外の厳しい現実を受け入れるのは、それほど容易ではないのだ。
 「それは、ですね、文字通り、この病気が時間と共に進行、つまり、悪化して行く病気だということです。先ほども言いましたように、その進行を抑える薬が幾つか見つかってはいますが、この病気を完全に治癒する医療技術が見つかっておりません。しかも、その抑制する薬の効果にも個人差があって、効果が認められないケースも多くあります。その場合を、単純なパーキンソン病と区別して、パーキンソン症候群と呼んでいます。あなたの場合が、そのどちらに属するかは、お薬の効果を見て判断することになります」
 「ということは、パーキンソン症候群の場合は、お薬が効かない訳ですから、症状の悪化がどんどん進むということになるのですね」
 「まあ、分かり易く言えば、そういうことです」
 「いずれにしても、私の場合は、パーキンソン病か、パーキンソン症候群のどちらかであるということなんでしょうか?」
 「そうだと決め付けるのは早計ですが、指の症状の悪化が進めば、そういうことになります。しかし、症状の変化が見られなければ、どちらでもないということになります」
 「なるほど。どちらでもないこともあり得るのですね」
 「もちろん、あり得ますが、…」大西医師は断定せず、そこで言葉を切った。雅子は、医師の「どちらでもないことがあり得る」という言葉に活路を求めたく、そうあって欲しいと祈るような気持ちになっていた。
 診察を終え、近くの薬局でお薬を受け取ったが、すっきりしない気持ちだった。家に着くと、姑と義姉の久子が、心配げな顔で駆け寄ってきて、検査結果を訊ねるのだった。雅子の淡々とした報告に、二人は何かと元気付けてくれたが、雅子は暗い気持ちで、その意味の乏しいリップサービスに黙ったままで耳を傾けていた。(以下、明日に続く)

1425 一年生

 フレッシュさを誇る新人が大舞台に登場して、勝負を決めるような大活躍をすることがある。チームや団体の強さを長く堅持するには、そんな新人の発掘、育成が、政界、スポーツ界に限らず、何処の世界でも大事である。

1.独り言コラム
 偶々だったが、昨日のお昼前に衆議院の補正予算を扱う予算委員会の中継をちらっと見た。ちょうど自民党の斉藤健さんが力強く果敢に菅総理に迫っていた。斉藤さんは、一年生議員だが、質問の機会を得て、張り切っていて攻めていて、なかなかの新鮮さを感じさせてくれた。
 同氏は、東大卒でハーバード大にも留学したなかなかの逸材で、先の選挙で千葉5区から立候補したが、選挙区選挙では民主党の候補に敗れ、比例で復活当選した一年生議員である。前々回の補選では、あのキャバクラ実績で話題になった大田和美氏と渡り合ったが、当時の武部勤幹事長の「最初はグー、斉藤健」の発想が災いして敗れてしまった苦い経歴がある。
 さて、一年生議員といえば、かつては、小泉チルドレン、最近では、木愛、谷亮子、三宅雪子などの小沢ガールズと称される議員が話題になっている。結果的に見れば、小泉チルドレンは、一年生議員としても、片山さつき、佐藤ゆかり、猪口邦子などの各氏は、それなりに頑張った実績を残したが、小沢ガールズについては、何人かが仕分け作業に人選されながらも、小沢親分の鶴の一言でおじゃんになって活躍の場が与えられていない。
 自民党には、将来の同党を引っ張る一人として期待されている小泉進次郎という一年生代議士がいる。人気が先行している嫌いがあるが、斉藤健さんよりも先んじて予算委員会での質問に立っていて、その人気を力にしかるべき活躍をして自民党の活性化に大いに貢献している。
 ところで、今年の大学駅伝では、出雲駅伝では14年ぶり、全日本学生駅伝では15年ぶりに早稲田大学が優勝して、久し振りにその強さを見せてくれた。そのメンバーを見ると、一、二年生の大活躍が優勝に大きく貢献、中でも、大越傑(佐久長聖)、志方文典(西脇工業)の二人の一年生ランナーの頑張りは目立っていた。
 スポーツでは、特に新しい若い選手の頑張りは欠かせない。先の日本シリーズで日本一になったロッテの西村徳文監督は一年生監督だ。またその日本一を支えた選手の中にも、清田育宏選手もNTT東日本から入団したばかりの一年生プレイヤーだった。
 今行なわれている世界女子バレーでも然である。日本チームは昨日、宿敵韓国に快勝して4位以内を確定したが、ここでも、今までの木村さおりさんや荒木絵里香選手のようなベテランに加え、新たにメンバーに選ばれた江畑幸子選手や迫田さおり選手のようなニュースターの若い力が成果を出している。
 作家にも、いわゆる処女作に近いものが芥川賞や直木賞を受賞した作家も少なくない。最近では、「インストール」の綿矢リサさんや「蛇にピアス」の金原ひとみさんの二人の女性作家を思い浮かべるが、つい最近、「KAGEROU」の水島ヒロ(斉藤智)さんもその一人だ。
 そんな「一年生」を話題にすると、避けて通れないのが一年生総理の菅総理の話題である。前任の安倍、福田、麻生、鳩山の4人の総理が全て一年持たずに失脚してしまった後を受けて登板した菅総理だったが、ここに来て、その力のなさが赤裸々に露呈されていて、これじゃ、とても持ちこたえられないのではといったところまで追い込まれている。野党時代に、あれだけ果敢な姿勢で頑張った菅氏のあの勢いは何処に行ってしまったのだろうか。
 いずれにしても、たかが一年生、されど一年生である。大事なことは、その一年生が潜在能力を含めたしっかりした能力を持っているどうかであろう。
 とにかく、一年生総理の菅さんの改めての頑張りを期待したいのだが、…。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、60.9KG. 今日も天気は良さそう。
 昨日の雅子は、朝一考が顔を出すと、痰が溢れていて、パジャマからシーツまでしっかりとべチャべチャに濡れていた。いつもは、その種のことを防ぐためにタオルを強いてブロックしていたが、そのタオルがうっかり取り除かれていたので、気の毒なアクシデントとなった。直ぐに、それらを全部取り替えてもらった。
 午後には、入浴、ヘアカットをしてもらい、スッキリした雅子に戻っていた。また、インフルエンザの予防注射も受けた。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(22)
  第一部 潜伏期(20) 第一章 病名との出会いまで(20)
 (5)パーキンソン病(その2)

 MRIの検査結果が分かる14日は、雅子は朝一番の九時に日赤病院の神経内科を訪ねた。これまでと違って、胸をどきどきさせて診察室に入った。あの中年の大西医師が、手にした報告書に見入っていたが、雅子が挨拶をして正面の椅子に腰を下ろすと、ゆっくりとした口調で話し始めた。雅子は、裁判での判決を聞くような緊張で、その報告に耳を傾けた。
 「MRIの検査では異常が認められませんでした。つまり、脳梗塞ではありません」その言い方には、最初の診断の際に見せたおどおどした様子はなかった。ともかく。雅子の頭には、「脳梗塞ではない」という医師の言葉がいい意味で、強くインプットされ、瞬間、ほっとした気持ちになった。「良かった。脳梗塞ではなかった」との思いが、それまでの緊張を解くことになった。しかし、雅子のそんな心の動きとは関係なく、大西医師は淡々とした口調で更に言葉を続けた。
 「そういうことで、後は、パーキンソン関連の病気の可能性が考えられます。これから暫くは、お薬を飲んで頂いて様子を見ることにしましょう」
 この言葉に、雅子の頭の中は少々混乱していた。脳梗塞じゃないが、パーキンソン関連の病気の疑いがあるという医者の説明への理解が今一つだったのである。雅子は、改めて大西医師に理解できるように解説を求めた。医者の説明は次のような内容だった。
 今の、雅子の症状は、確かにパーキンソン病に似ている。パーキンソン病に関しては、お薬で進行が遅らせられる正規のパーキンソン病と今のお薬では効果のない症状の、パーキンソン症候群として扱っている病気に分けられます。脳梗塞はパーキンソン病とは症状が似ているが別の病気なのです。つまり、今回のMRIで、脳梗塞はではないことが分かったことから、その左手の異常は、パーキンソン病、或るいはその関連病であるパーキンソン症候群の疑いが残ったというのである。
 「何となく分かったような気がします。それで、今後お薬を服用して様子を見るというのは、正規のパーキンソン病か、或いはパーキンソン症候群かを確認するという意味なんですね?」雅子は、自分の理解を確認の意味で、その点をもう一度訊ねた。
 「その通りです。パーキンソン病は、治療法については、まだまだ解明されていないことが多いのですが、それでも、その進行を止めるためのお薬は幾つか開発されています。それらの薬を服用して見て、効果の有無を調べて、パーキンソン病か、パーキンソン症候群かを見分けようという考え方です。お薬の効果があれば、パーキンソン病で、効果がなければ、パーキンソン症候群病ということになります」
 端正な顔をしてはいる大西医師が、雅子に分かってもらおうと、言葉を選びながら、今後の対処の考え方を噛み砕いて説明した。(以下、明日に続く)

1424 昔の名前で頑張っています。

 あの人は今、ではないが、昔活躍された方々のその後の様子を伺うのも、なかなか乙なものである。

1.独り言コラム
 昨日のテレビ朝日のテレビタックルに、安倍晋三さんと麻生太郎さんの二人の元総理が揃って出演していた。二人とも顔色も良く元気そうで、今の厄介な外交問題にも、積極的な考え方を披露していて、もう一度やってもいいような雰囲気が感じられた。今の菅総理の顔つきが、しょぼくれて精彩のいないのと比べると、如何に総理の座と云うのが大変なのかがよく分かる。そういう意味では、小泉純一郎元総理も、こういうリラックスした場で見てみたい。多くの国民が期待していると思うが、同氏を引っ張り出せるような力のあるテレビ局はいないのだろうか。
 昔の名前で頑張っていると言えば、一昨日終った日本シリーズで、ロッテの今岡誠選手や中日の河原純一選手が出場して頑張っていたが、かつての阪神、巨人の関係者やファンから見れば、「まだやってるの?」といったびっくりの頑張りであった。そういえば、中日の山本昌投手は、もう44歳だが、未だに現役バリバリで実績を残していて、これまた驚きである。
 昔の名前が小野寺歩さんは、カーリングで活躍して一躍有名になった方だが、今度、新たに小笠原歩の名前で、現役に復帰してトリノオリンピックを目指すという。一児の母親になっての復帰で、何処まで頑張れるか、ファンは期待していると思う。北海道に戻って新たに出発するマリリン、こと本橋麻里さんグループとの決戦が楽しみになる。
 さて、頑張っている、じゃなく、凄く頑張ったサーカーの試合があった。昨夜、中国の広州で行なわれたアジア大会で、日本が3-0であの憎くき中国に堂々の勝利をあげて、日本人ファンの溜飲を下げさせた試合も面白かったが、今朝の話しは、その試合じゃなくて、高校サッカーの福岡県大会の決勝で起きた凄い展開だった。
 この試合は、九州国際大附と東福岡が対戦しだが、1-1の同点でPK合戦となったのだが、それがなんとなかなか勝負がつかずに、何と22人目までが蹴り合って、やっと21-20で九州国際大附が勝利したという。先のロッテと中日の日本シリーズも長時間の決戦だったが、サッカーで、こんな長いPK戦は見たことない。まさに、ギネス記録級の凄い試合だったと言えよう。
 幾つになっても、一生懸命に頑張っていると言うのは、美しい姿であると思う。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、60.9Kg.予報では風が強そうだし、天気は良くなさそう。
 昨日の雅子は、午前中熱があったが、目はかなりしっかりと開けてくれていた。症状は行ったり来たりしながら悪化が進んでいるようである。
 この日の朝、足の爪に水虫に罹っていることが判明、爪が大分犯されている。
 
3.連載「難病との闘い(総集編)」(21)
  第一部 潜伏期(19) 第一章 病名との出会いまで(19)
 (5)パーキンソン病(その1)

 雅子が落ち込んだ気持ちで帰宅すると、待ち構えていた一考が「どうだったの?」とせっつく様に訊ねた。雅子がその結果を手短に話すと「パーキンソン病なの?」と一考ぽつりと呟いて、腕を組んで考え込んだ。医学に知見の少ない一考だったが、その病名には、どこかで視聴した記憶があった。しかし、直ぐには思い出せず、かゆいところに手が届かないような、吹っ切れない焦燥感を覚えていた。
 その後暫くして、母屋にある仏壇の前でお線香に火をつけようとした時だった。あのアトランタオリンピックの最終聖火ランナーだったモハメドアリ選手が、聖火に点火した場面を思い出したのである。点火するアリの手が激しく震えていたあのシーンだった。同氏は、パーキンソン病だったのだ。
 「そうか、あの震えがそうなんだ!」一考は、あの衝撃的だった映像を思い出したことで、それまで抱いていた掴みどころのなかった不安が、具体的なイメージとなって、一考の頭の中で形作られ始めたのである。
 パーキンソン病の疑いが判明したことで、それまでやっていた父親の蔵書の整理は、完全にそっちのけになった。この滞在期間を通じて、それまでに通算39時間の時間を使い、1750冊を整理したが、それは、全体のほぼ25-30%を終了したに過ぎず、とても、全体を仕上げる気力は失せていた。そんなことをやっている場合じゃないと諦めて、この日を以って、本件から退散することにした。
 そして、インターネットで、パーキンソン病について更なる情報の確認に注力するのだった。瞬くうちに多くの情報を取り出すことが出来た。頭の痛いことには、具体的な病気の内容を知るにつれて、一考の不安は増すばかりだった。
 「その医者は、パーキンソン病の可能性があると言ったんだね」夕食時に、一考は雅子に、改めて医者の言葉を確認した。
 「パーキンソン病かもしれないと言ってたわ」雅子には珍しく、少しぶっきらぼうな言い方で返答した。気持ちが高ぶっているのだろうと一考は忖度した。
 「と云うことは、そうでないということもあるというんだね」自分に言い聞かせるように一考は頷いて見せた。
 「その辺りは、MRIを撮れば、はっきりしてくるんじゃないかしら」雅子は重い口調で付け加えた。
 「そうなんだろうね」一考は、そう相槌を打ったが、不安は募るだけだった。
 その日の日誌に「明るさに 陰りが気になる 秋の暮れ」と、一考はその気持ちをメモした。
 MRIの検査が一週間後の予定だったため、東京に幾つかの約束があった一考は、父親の三回忌を終えた翌日の4日に東京に戻った。気にしている雅子のMRIの結果については、診断結果をも含めて、逐次連絡を入れてもらうことにした。
 注目の雅子のMRI検査は、一考が帰京した2日後に行なわれた。半時間程度の単純な撮影で、何事もなくスムーズに終了した。その結果は、更に一週間後の11月14日に報告してもらうことになった。重苦しい不安の中で、更に一週間もの長い待機には辛いものがあった。(以下、明日に続く)

1423 嵐(あらし)

 かつて「嵐を呼ぶ男」で名を馳せた俳優がいた。いい意味での嵐なら歓迎なのだが、…。

1.独り言コラム
 日本列島は、政治、経済共に厳しい嵐に見舞われている。季節はずれの嵐に、国民も大いに戸惑っている。
 外交では、南の尖閣列島での中国漁船による故意の衝突事件、北の国後島では、かつてなかったロシアの大統領が足を踏み入れるといった攻勢を受けていて、菅内閣は、その対応に大わらわである。加えて、今週、横浜で行なわれるAPECでは、関税撤廃に関するTPP問題が議論されることで、その扱いを巡る対応などで、菅政権は嵐の真っ只中にある。
 一方、内政でも、政治と金の問題で、一平卒の小沢元幹事長の扱い方を巡っても、民主党内は収拾がつかない状況にある。そこに持って来て、円高、株安で日本経済も厳しい嵐の中で大苦戦を強いられている。果たして、菅内閣は、この厳しい嵐からの脱出は可能なのだろうか、国民の一人として大きな不安を抱いている。
 そういえば、昨日決着がついた今年の日本シリーズは、パ・リーグで3位だったロッテが堂々の日本一になったが、その戦いは熾烈で、まさに嵐のような乱戦を制しての勝利だった。試合時間も、第六戦が日本シリーズ新記録の5時間43分、昨日の第七戦が4時間56分という長時間の熱戦の連続で、終って、本当に嵐が過ぎ去ったといった感じである。
 さて「嵐」と聞くと、いろんな連想が筆者の頭には浮んで来る。京都の名所である「嵐山」、埼玉にあるゴルフ場の「嵐山カントリー」、小説ではエミリーブロンテの「嵐が丘」、百人一首にある文屋康秀の「吹くからに、秋の草木のしおるれば、むべ山風を嵐というらん」と云うのもある。また、筆者も妻を車椅子で散歩させていた時に覚えた童謡の中にも「荒城の月」の3番の歌詞に、「垣にのこるは、ただかつら、松に歌うは、ただあらし」という箇所も印象に残る一節である。
 また、人名では、枕に使わせてもらった嵐を呼ぶ男の石原裕次郎さんの他に、時代劇俳優のアラカンさんの嵐寛寿郎さん、作家の嵐山光三郎さんの名前も浮ぶ。
 ところで、筆者が今朝ここに取り上げたいのが、今年のNHKの紅白歌合戦で白組の司会に抜擢された5人グループの「嵐」のスキャンダル問題である。
 NHKから、紅組の司会者となった俳優の松下奈緒さんと共に嵐が発表されたのが3日だったが、その翌日に発売された週刊文春が、この嵐のダーティーなスキャンダルをスクープしていた。内容は、5人の仲間の中で桜井翔さん以外の4人が、同じ女性を回していたというものだ。このスクープで、極めてダーティーなイメージを国民に植え付けた訳で、NHKはこのまま変更なく突っ走るつもりなのだろうか、という問題である。11月5日付けの勝谷誠彦氏のブログ(有料)でも、この点を厳しく突いていた。国民的な番組だけに、この嵐を司会者に選んだのは、NHK内でも、大変な嵐になっているだろう。しかし、この辺りをメディアが黙殺しているあたりに、別の大きな問題がありそうだ。
 いずれにしても、世は、まさに嵐の真っ只中だ。誰かしっかりとした舵取りをお願いしたいものだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時10分起床。体重、60.8Kg. 今は曇っているが、持ち直すのだろうか?
 昨日の雅子は前日並みだった。午前中は、目を開けてくれるのだが、細くてほんの短い間だった。しかし、2時前に実姉の霧子さんが久し振りに顔を出してくれると、昨日、かに座さんから頂いたコメントにある通り、見舞いを楽しみにしていたお姉さんには、大きく目を開けて頑張って挨拶していた。どうやら、瞼の開閉に必要なエネルギーが衰えて来ているのだろう。なお、昨日から、点滴は終って、栄養剤の注入に戻った。
 (付記。私的な伝言ですが、かに座さんのコメントへの返事がうまくできません。IDが分からないのです)

3.連載「難病との闘い(総集編)」(20)
  第一部 潜伏期(18) 第一章 病名との出会いまで(18)

 (4) 不安な異変(その4)
 診察を担当してくれたのは、四十台と思われる中年の医者で、大西と名乗った。長身で端正な顔の持ち主で、真面目そうな紳士だった。岩森副院長の話では、前任の部長が、近々病院を辞めて、自宅で開業することが決まっていたので、その後任が、この大西医師だということだった。
 大西医師は、冒頭に岩森先生から、先日電話を頂戴していますと伝えた後、型通りの問診、そして左手の状況を診察した。それから、暫く考え込んでいたが、やがて、おもむろに口を開いた。
 「差し当たっては、MRIを撮ってからにしましょう。具体的な処置や対応はそれからになりますね」大西医師は、少し戸惑いを見せながらそう言った。何となく自信無げな口調だった。そこで、不安になった雅子が少し踏み込んで聞いてみた。
 「どんな病気の可能性が考えられるのでしょうか? 現時点で考えられる病名を教えて頂けますか」先生の戸惑った様子に、そのままで黙っていられなかったのである。
 「それが、ですね」そこまで口に出した大西医師だったが、そこで、考えが纏まらないのか、ちょっと口ごもって思案していた。ちょうどその時だった。入口のドアが開いて一人の年配の男が入って来た。
 「部長、何か御用でも?」じっと考え込んでいた大西医師が、ほっとした顔に戻って声を掛けた。
 「辞める前に、君に話しておかねばならないことを思い出してね」親しげにそう言った部長と呼ばれた男は、雅子の方に軽く会釈して、つかつかと近寄って来た。どうやら、この男性が、岩森女医から聞いていた、近々ここを辞めて独立して開業する部長なのだと理解した。
 「そうですか。何でしょう」大西医師の端正な顔が、急に穏和な顔に変わっていた。雅子に「ちょっとお持ち下さい」といった大西医師は、直ぐに立ち上がり、その男性を、間仕切りの直ぐ後ろにあるテーブルに誘った。そして、二人は小声で暫く話し始めた。どうやら、自分の病気のことでも意見を交換しているようにも思われた。雅子には理解し難い専門的な言葉が行き交いが聞こえていた。やがて、話を終えた大西医師が席に戻って口を開いた。部長と呼ばれた男も、大西医師の横の椅子に座った。
 「失礼しました。少し判断に躊躇していましたので、前任部長のお考えを確認させて頂いていました」と弁解するような口調で話し始めた。
 「詳しくは、もう少し確認の検査を必要としますが、可能性の一つとして、パーキンソン病が考えられます」大西医師の声は、それまでとは違って、ちょっとした力強さが感じられた。その隣で、アドバイスしたと思われる前任部長が静かに頷いている。
 「パーキンソン病ですか。 それは、どんな病気なんでしょうか?」聞きなれない病名に、雅子は思わずその病名を反復してから、不安な顔で、二人の医師を交互に見遣った。
 「脳の神経細胞の一部が変性し、体が思うように動かなくなってゆく進行性の病気でして、ふるえたり、動きが遅くなったり、筋肉がこわばったりする症状が出てくるのです。その点では、いわゆる、脳梗塞と似た病気です」大西医師は、端正な顔を少しゆがめて、難しい病気の内容を解説した。
 「大変恐ろしい病気なんですね」予期しなかった病名に、雅子の頭の中は少々混乱していた。立ち上がった瞬簡に、けたぐりを食って、脆くも土俵に両手をついた力士のように、雅子は呆然としていた。それというのも、問題の左手の指の今の状態は、ほとんど支障を感じていない状態だけに、実感が伴わず、完全に意表を突かれたもので、それだけに、そのショックは大きかった。
 「この病気の症状は、人によって随分と巾がありまして、軽い震えがあるだけの極めて軽い症状のものから、歩けなくなってしまうような厄介な症状に至るまで、人によって様々なんですよ。あなたの場合は、今のところ、それほど心配することもないと思いますよ」心配そうな雅子の顔を見て、隣にいた部長と呼ばれた医師が、助け舟を出すように、症状には、個人差があって一様ではないと付け加えた。
 「それに、この病気は、脳梗塞とは違って、命には別状はありませんから」今度は、大西医師が補足した。
 「脳梗塞の可能性もあるんですか?」命に別状がないと聞かされて、ほっとはしたものの、頭の中で拡がって行く何とも言えない不安を打ち消したかった。それだけに、雅子は、医師の口から飛び出した「脳梗塞」という言葉に反応した。脳梗塞は、雅子にも、多くの場合、死に直結する怖い病気との認識があったからである。
 「今のところは、そうではないと思います。いずれにしても、MRIを撮れば、そうなのか、そうでないのかは、直ぐ分かります」医師はそう言いながら、カルテに診断結果を書き込んだ。
 診察を終えると、雅子は教えられたMRIの検査室に向かい、検査の予約手続きを済ませた。検査機器が混んでいたこともあって、検査日は一週間後の午後と決まった。病院から戻る雅子の足取りは、言いようのない重たさであった。(以下、明日に続く)

1422 どんな結末が待っているのか?

 ドラマの結末は分からないうちが花なのだが、…。難しい問題で、ハッピーエンド、WinーWinの結末を見出すのは容易なことではない。

1.独り言コラム
 あの尖閣のビデオを流出させた勇士を探し出す調査が進められている。今朝のニュースでは、石垣島の海上保安部には複数のコピーが保存されていて、自由に見られる状況にあったという。どうやら、その保安部周辺にいた人物ということになりそうだ。
 筆者は、この事件に関しては、この勇気ある行動を取った人物が特定されないという結末であって欲しいと願っている。気になっているのは、ハンドルネームのSENGOKU38の中の「38」である。全く意味がないということもなかろうと思う。それを解読すれば、大きな手掛かりになるのではと懸念しているのだが、…。
 昨日のロッテー中日の日本シリーズの6回戦は、両チームの粘り、拙攻、美技、頑張りの応酬、それに双方に痛いバント失敗があって、凄い試合だった。規定の延長15回で引き分けたが、筆者は途中で眠ってしまっていて、今朝起きてその結果を知って、ほっとしたものを感じた。このシリーズ、どんな結末が待っているのだろうか。
 馬渕澄夫国交大臣が八ガ場ダムを視察し、前任の前原大臣が宣言した工事の中止を撤回した。今後地元関係者との改めての話し合いが持たれるというが、どんな結末が待っているのだろうか。
 TPPに関する関係閣僚会議が持たれて、今日から始まるAPECには、どうやら、参加前提の前向きの話し合いがもたれると言う。中身は別として、農業対策は別に考えるということでいいのではなかろうか。
 フィギュアースケートの中国杯では、小塚崇彦選手と安藤美姫選手が優勝し、グランプリファイナル出場に大きく前進したが、日本チームとしては、問題は浅田真央選手の復調が気掛かりである。どんな結末が待っているのだろうか。
 世界女子バレーは、昨日から第2次ラウンドに入った。第1ラウンドで5連勝と好調だった日本チームだったが、残念ながら、それほど好調でなかったという宿敵中国に、あっさりと負けてしまった。外交での目先の敵だけに、スポーツでは圧倒して欲しかったが、…。果たして、念願のメダルに届くのだろうか。どんな結末が待っているかが楽しみだ。
 そういえば、今日は全日本大学駅伝が熱田神宮と伊勢神宮間のいつものコースで行なわれる。今年は早稲田が佐久長聖(大迫傑、佐々木寛文、平賀翔太)西脇工業(八木勇樹、志方文典)などの若手の優秀な選手を軸にチームを構成していて、優勝候補ナンバー1と見ている。前月の前哨戦の出雲駅伝でも14年ぶりに優勝していて、今年は箱根を含めた3冠を狙っている。対抗は、東洋大学や駒大が有力視されているが、どんな結末が待っているのだろうか。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時20分起床。体重、61.2Kg.お天気は、どんよりしていて、あまりよくなさそう。
 昨日の雅子だが、症状は前日とほぼ同じで、熱もなく痰も少なかったが、ほぼ一日中、目を瞑っていた。どうやら、目を開けるのが難しくなり始めているようだ。正直言って、大ショックである。
 呼び掛けに対し、何とか目を開けようとするのだが、なかなか大変そうで、少し開いても、ほんの細い間隔で短時間なのだ。症状の悪化がそこまで進んでいるということなのだろうか。病魔はどこまで苛めれば気が済むのだろうか。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(19)
  第一部 潜伏期(17)第一章 病名との出会いまで(17)

 (4)不安な異変(3)
 一考は、「バネ指」という雅子の報告に一瞬首を傾げた。全く聞いた事の無い珍しい病名だったからである。「大したことはない」との先生のお話だったということで、ほっとする一方で、神経内科での診察を受けるという話しに、一考は一抹の不安を覚えるのだった。
 「それで、その左手の指の状態だけど、今はどうなんだい?」その不安を打ち払うように、一考は話題を転じた。
 「今朝も話した通り、肩こりだということで、治ったように思っているんだけど、細かい作業をするときに、少し梃子摺る程度で、毎日の生活にはそれほど支障は感じないわ」
 「僕に余計な心配をさせまいとの君の心遣いは分からないでもないが、こと、健康に関することは、これからは、そんな配慮することなく、何でも直ぐに話して欲しい」一難去ってまた一難の嫌な気分を跳ね除けるように、一考は明るさを装って、さりげなく忠告した。
 「分かったわ。でも、本当にほとんど気にしない程度だったのよ。この間のギリシャの旅行でも、自分のバッグはちゃんと持てていたし、日常生活では殆ど支障がなかったから」雅子はそう言って頷いて見せた。
 「そう言えば、そうだったね。旅行中には、そんな素振りは全く見られなかった。結構、重い鞄も持っていたし、高いところへも登っていたし…」思い出すように、一考はそう言って雅子を見た。
 「そうなのよ。旅行中は台所仕事から解放されていたから、左手のことは、全くと言っていいほど意識することはなかったわ。要するに、その程度なのよ。確かに、包丁を握って細かい作業をする際には、少しは梃子摺ったりはするけれど」雅子も、特に隠していた訳ではないと言いたげに、具体的に説明を加えた。
 「とにかく、自分がここにいる間に、紹介された日赤病院の神経内科で看てもらって欲しい。早い方がいいよ」親父の蔵書の整理に精を出して取り組んでいる一考は、まだ、少しここに居残って頑張るつもりだった。
 「そうするわ。いろいろとご心配を掛けて申し訳ないわ」雅子はそう言って、内心の不安さを出さずに平静を装った。
 リビングルームでの何気ないやり取りだったが、そこには、夫婦であるが故の、相互の思いやりが交錯した二人ならではの気を遣った会話だった。
 さて、雅子が日赤病院の神経内科を訪ねたのは、彼女に手の抜けない用事が入っていたために3日遅れて10月31日だった。(以下、明日に続く)

1421 そうじゃないだろう!

 国内外に難問山積の日本だが、それらへの対応に、思わず「そうじゃないだろう」と叫びたい拙い対応が多すぎる。

1.独り言コラム
 昨日流出した尖閣列島での漁船の衝突事件のビデオの波紋は、期待通り大きく広がっている。しかし、日本国内では、必要以上の時間をかけて、そのビデオの真偽のほどの確認が行なわれている。危機管理の面で、流出したルートの調査は欠かせないとしても、その対応が大事なポイントを外していることに、苛立たしさを覚える。
 今回の流出は、菅総理以下の内閣のちんたらしたやり方に、国を憂う勇気ある人物が、我慢出来ずに、果敢に行動に走った行為ではないか、と筆者は見ている。
 今の政界を見ていて、本当に国を憂いている政治家がいるのだろうかと思ってしまう。かつては、石原慎太郎現都知事などの青嵐会のメンバーが果敢に頑張っていた時代もあったが、それも今は昔である。率直に言って、心から国を憂いている政治家は見当たらないように思う。敢えて言えば、前原誠司と言いたいが、今回の事件で今一つ冴えていない。その他を探してみても、これはといった政治家は思い浮かばない。敢えて言えば、河野太郎、それに今はローカルの政治家だが、橋下徹大阪府知事にその片鱗を期待するのだが、…。それにしても、海上保安庁の巡視船の前線で、危険をもろともせず戦っている勇敢な皆様には心から拍手を送りたい。
 さて、この流出で期待した中国の反応だが、今のところは、「関心はある」「憂慮している」としていて、差しあたっては、中国国内でのその情報が流れているサイトの削除に大わらわだそうだ。
 筆者が納得できないのは、日本政府が、中国の顔色を窺っていて、ビデオが流出したことに、恰も悪いことをしたように、おどおどした様子なのが納得できない。「そうじゃないだろう」と言いたい。ここでは、日本領海内で、自らがぶつかってきた彼らの犯罪行為に強く謝罪を求めるべきだ。そういえば、あのギョーザ事件でも、勝手な犯人をでっち上げただけで、うやむやのいして、なんら謝罪はなかったじゃないか。
 アメリカの経済誌のフォーブスが世界一影響力のある人物のランキングを発表した。それによると、1位が胡錦濤主席、2位がオバマ大統領、菅総理は27位だそうだ。胡錦濤が1位と云うのには、筆者も思わず「そうじゃないだろう?」と口走ったが、そこには、13億人の国民を独裁的に牛耳っているからだろうの揶揄したコメントがあるそうで、納得した次第である。、むべなるかな、である。
 あの一平卒の小沢一郎氏が岡田幹事長の国会での説明要請を拒否したという。同氏の言い分は、公判で明らかにするとし、今までの検察の捜査で無実が証明されていると堂々と胸を張っている。「そうじゃないだろう」検察の捜査では、あくまでも起訴するに充分な証拠が得られなかった訳で、嫌疑が晴れた訳ではないことを理解すべきである。
 関税撤廃を巡るTPP論争で民主党だけでなく自民党も大きく揺れている。農業を庇おうとする議員の言い分がまかり通っているようで、納得出来ない。ここでも、筆者は「そうじゃないだろう」と叫びたい。これは日本の全産業の生き残りを掛けた世界戦争に匹敵するもので、思い切った決断が必要とされているのである。我が国は、昔から農業を過剰に甘やかせ過ぎてきたと思っている。この辺りで適格なバランスを考えた思い切った対応が必要であろう。
 とにかく、あまりにも「そうじゃないだろう」と云う事柄が多い。早くも、菅内閣の限界が近づいて来ているのではなかろうか。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時15分起床。体重、61.2Kg.今日もお天気はよさそうだ。
 昨日の雅子は、少し熱があったが、痰は少なかった。一考が心配したのは、ほとんど一日中目を瞑って眠っているような状態だったことである。更なる悪化が進んでいるのだろうか。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(18)
  第一部 潜伏期(16) 第一章 病名との出会いまで(16)

 (4)不安な異変(その2)
 雅子は、その朝は早く家を出て、相坂家の人たちが多くお世話になっている浜大津の近くにある岩森整形外科医院に向かった。友人たちのアドバイスで日赤病院に行って以来の自分のための病院行きだった。
 「これはね、バネ指ですね」ふっくらとした身体つきの女医、岩森副院長は、問診後、その指の状態を看てそう診断を下した。この病院の院長はお父さんだが、今は、殆ど引退したも同然で、全てを娘に任せているのだ。相坂家では事ある毎にここに通うことが多く、医師への信頼は厚い。
 「バネ指っていうんですか。確かに、今朝も指を伸ばそうとしたら、ばねのように跳ねました。その通りの名前なんですね」雅子は、なるほどと頷きながら、小さく笑って見せた。
 「そうなのよ。曲がった指を無理に伸ばそうとすると、まるでバネの現象のように、ビヨーンと伸びるのでバネ指って呼んでるのよ。指の屈筋腱に起こる腱鞘炎で、発生部位は拇指が多いのですよ。中高年の人に多く、慢性的な機械的刺激、つまり、使い過ぎが原因していることが多いのですが、体質的な要因も大きく関係しているとも考えられています。いずれにしても、それほど、心配はありません」岩森医師はそう言って、心配そうな顔をしている雅子を、とりあえず安心させて、更に言葉を続けた。
 「差し当たって、炎症部分に注射を打っておきます。多分、それで充分だと思いますが、暫くの間は、なるだけ、この指を使う作業を控えて休ませてあげるといいですね」副院長は優しくそう言って、助手に注射の準備をさせた。
 「心配ないと伺ってほっとしました。やはり、使い過ぎだったんですね。実は、大分前からのことなんですが、左手の人差し指に力が入らないことがあって、何となく、無意識のうちに、この右手に負担がかかり過ぎていたと思うんです」もう、治ったと思ってはいたが、まだ何となく、違和感が残っている左手のその指を見ながら、雅子は自分に納得させるような言い方をした。人生は、微妙な綾の連続と思うことがあるが、雅子のこの何気ない話しが、後の展開で大きな鍵を握ることになったのである。
 「左手の人差し指に力が入らないのですか?」雅子の話の内容が気になったのか、女医は即座に反応し、その言葉を繰り返した。
 「ええ、少し前になりますが、日赤病院の整形外科で看てもらったんですが、肩こりだということで、マッサージなどをしてもらって、何となく治ったようでした。事実、普段の生活ではほとんど支障はありませんでしたが、それでも、何かあると、反射的にその手をかばっていたようです」雅子は、ありのままを素直に答えながら、先生の顔を見た。
 「それは、何時頃のお話なの?」女医は真顔でフォローしてきた。
 「異常に気付いたのは、昨年の2月の初めだったと思います」女医の更なる追及に雅子の顔は神妙なものに変わっていた。
 「力が入らないって、具体的にどんな具合だったの?」踏み込んでくる女医の顔は、どうやら、何かを感じている顔である。
 「物をしっかりと握れないとか、ボタンを留めたりするときには、その指が使えなくて梃子摺ったり、また料理の時にも包丁使いで小回りが利かないとか、まあ、細かいことがうまくいかないのです。車のハンドルを握ったりする場合などは、全部の指を使いますから、影響はないのですが」雅子は、自分の落ち度を突かれて、弁明しているような気分になっていた。
 「一度、日赤の神経内科で看てもらった方がいいわ。紹介状を書くから」岩森女医はすかさずそう言って、便箋を取り出しペンを握った。そして、紹介する先生は若い先生だが、しっかりした方です。今までおられた先生は独立して自分で開業されることになっていると教えてくれた。雅子は、自分がつい口走った左手の指のことで、事態が思わぬ展開になっていることに、何か掴まえ所のない不安を覚え始めていた。折からのブラインドの隙間から差し込む陽光にも、すがりたいような不安な気持ちになるのだった。
 しかし、岩森女医のこの判断が、本当の病名との出会いを引っ張り出すことに繋がるのである。そういう意味では、この岩森女医の判断は、大事な素晴らしい判断だった。(以下、明日に続く)

1420 ネット流出による情報革命

 秘密や情報などを意図的に漏らす、いわゆるリークは、よくあることだが、ここに来て、それまでと違ったインターネットを使ってのリーク、流出がまかり通る世界になって来ている。新たな情報革命が起きていると言えるのではないか。

1.独り言コラム
 今朝のニュースで、海上保安庁が撮影したと思われる巡視船と中国漁船との衝突した映像がインターネットに流出しているという。内容は、巡視船、「よなくに」と「みずき」の両船から撮影したもののようで、44分もある。今朝の新聞にも大きく扱われていて、大騒ぎになるだろう。
 これは、中国の顔色ばかり見ていて、そのビデオの取り扱いに腐心していた日本政府にとっては、まさに「渡りに船」のリークである。誰がやったかは別として、大いに歓迎されるべきリークだと思う。さあ、日本政府は、どんな対応を見せるのだろうか。菅直人総理の度胸だめしが見ものである。
 そういえば、国際テロに関する公安の内部資料が流出していて、警察庁は大わらわである。データの形式がファイル交換ソフト「ウィーニ」のウイルスに感染した場合と異なるという。APECの首脳会議直前に幹部のパソコンがウイルスに感染したように偽装そたものとも考えられるという。
 昨日の夜のNHKのクローズアップ現代で、WIKILEAKSというインターネットサイトを紹介していた。そこでは、イラク戦争での民間人への空からの銃による攻撃を撮影した衝撃的な映像が流れていた。戦争は、しっかりと映像で記録されていたのである。
 今や、インターネットは、情報のリーク、流出の格好の場として堂々とまかり通る形になっている。言ってみれば、隠し事が出来ない世界が現実になりつつある、いいことであるが、怖い話であり、時代の大きな転換が進みつつあることを強く思う。
 顧みるに、今までは、内部告発や記者会見などでのリークで、事件に関しては、検察サイドから、政治に関しては、政党の幹部や内閣の一員からの意図的なもので、大新聞社はそれを元に記事にしていて、リークする側の意図をそのままニュースにする仕組みだから、大新聞社たちが、揃いも揃って右へならへで同じ内容で報じるのである。そういう意味では、強制起訴された小沢一郎氏なんかは、検察からのリークの餌食にされた一人だろう。しかし、そういったリークのやり方も、インターネットの出現で大きく変わろうとしている。インターネットの場合は、情報提供者が把握し難いことが、リークし易すくしている環境にある。
 加えて、最近はブログの大流行で、リークじゃなくて告白形式の情報提供もあり、情報ソースは豊かになっている。昨日のダルビッシュ・有投手と紗栄子さんの離婚のゴシップは、ブログからの情報だ。
 いずれにしても、情報の入手ルートは多様化していて、隠し事がまかり通らない新たな情報革命が起きているといえよう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.2Kg.寒いがお天気のようだ。
 昨日の雅子だが、このところ比較的安定した症状を見せている。依然として、痰が時々纏まって出るのが、雅子には苦しそうで気の毒である。また、午前中は、呼び掛けへの反応は低調だが、午後から夕方になると、目を開けてじっと見てくれる時間が増えてくる。
 この日も、点滴と栄養剤の併用による対応が続た。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(17)
  第一部 潜伏期(15) 第一章 病名との出会いまで(15)

 (4) 不安な異変(その1)
 ギリシャツアーから帰国した一週間後の2002年10月19日から11月4日のほぼ2週間に渡って、相坂一考は、東京のマンションを離れて実家で過ごすことになった。それというのも、この間に、珍しく身内の結婚式が二つ関西で予定されていたし、その直後に父の三回忌を行なうことにしていたからである。
 単身で生活するようになって、十七年目になっていたが、二週間も妻と一緒に生活するのは初めてで、一考は何だか妙に落ち着かない気分になっていた。退職後にも、別居生活を続けているという異常さがもたらした副産物だったようだ。
 二つの結婚式はいずれも姪の結婚で、滞りなく華やかに行なわれた。一考も雅子と揃って顔を出し、母親も九十歳を向かえていたが、車椅子で席していた。少なくとも、この時点でも、雅子も普段通りで、何の異常も一考は気づいていなかった。
 一考は、この二週間に渡る実家での滞在を利用して、父が所有していた書籍の整理をしようと考えていた。父は教育に人生を捧げる一方で、国文学、古典、漢詩などに造詣が深く、母屋の一部屋を書庫にしていて、数えたことはなかったが、恐らく、一万冊程度の書籍があった。中には、結構高価な書物もあって、かつては古本屋さんが訪ねて来て、購入を希望した書物も何冊かあったという。一考にはどれがそうなのか、さっぱり分かっていなかった。そのまま放置したままになっていたが、この機会にコンピューターを使ってリストを作り、その整理をしてみようと考えた。これによって、父がどんな分野の本を持っていて、どんな研究をしていたかの一端でも知ることが出来ればと幸いだと一考は考えていた。
 しかし、書庫が母親の居間兼寝室の隣にあったため、母親の睡眠などに邪魔になることからクレームもあったりして、一考が目指した作業は、思うようには捗らず苦闘していた。そんな最中に、雅子に異変が起きたのである。
 それは、2002年10月28日の朝のことで、雅子が起きようとした時だった。
 「どうしたのかしら?」雅子は心配げに小声で呟いた。右手の親指が曲がったまま伸びないのだ。痛みはないが、気持ちが悪い。こんなことは今までにない初めての経験だった。気持ちは焦っていたが、雅子は「落ち着いて」と自らに言い聞かせて、精神を統一するようにして指に神経を注いで伸ばそうとした。すると、バネが利いたように指はピンと伸びたのである。ほっとした気持ちと、何なんだろうという気持ちが混じった複雑な気分だった。
 「ねえ、変なの、親指の動きが?」雅子は隣のベッドで眠っている一考に声を掛けた。
 「親指が、どうしたんだい!」一拍間を置いて、眠そうな声で一考が返事した。自宅に戻って来て以来、父親の残した本の整理で疲れが溜まっているのかも知れないが、何だか迷惑そうな様子である。
 「親指が曲がって、伸ばそうとすると、跳ねる様な感じで、気持ちが悪いの」
 「指が跳ねる? 痛いのかい?」漸く、事情が分かって来たようで、心配そうな言葉遣いになっていた。
 「痛くはないの。でも、変なの。実はね、もう大分前の話になるんだけど、左手の人差し指に力が入らなくなって、お医者さんに看てもらったことがあったの。その時は、多分、肩こりから来ているんだろうということだったので、マッサージなどを受けて治った気になっていたんだけど、最近、やはり、そんな感じは少し残っているようで、気にしていたところだったの。余計な心配をさせてはいけないと思って、今までは、あなたには言わなかったのだけれど」雅子は、自分がこのところ気になっていることを、かいつまんで話して聞かせた。
 「何? 左手の人差し指が変で、今度は右手の親指に異変かい?」怪訝な顔で一考はベッドに起き上がった。目覚めたばかりで、頭の回転が今一つの一考は、雅子の言った言葉を繰り返しならが、その訴えを理解しようとした。
 「それで、その左手に力が入らないって、何時頃からなんだい?」今まであまりお目にかかったことのないような雅子の厳しい顔つきに、一考はまずかったと思ったのか、真剣な顔つきになって、その詳しい内容を確認した。雅子は、気分を取り直して、「義父の百日忌が過ぎた頃だった」と説明した。
 「そんなに前からなの? とにかく、直ぐに病院へ行って診察を受けることだね」一考は心配そうにそう言って、雅子のその親指に手を遣った。(以下、明日に続く)

1419 勝負の綾を楽しむ

 オバマ大統領が中間選挙で大敗、菅内閣も中国、ロシアに土足で踏み込まれて大苦戦中だ。そんな中での祭日の国内では、スポーツ、芸能、趣味などの世界で、なかなか面白い勝負の見せ場、話題の提供があり、大いに楽しませてくれた。

1.独り言コラム
 50年ぶりの優勝を賭けての早慶決戦が行なわれて、神宮の森は大いに沸いていたようだ。ファンのお目当ての斉藤祐樹投手が、8回には連打されて大石達也投手の救援を受けたものの、7回まではノーヒットノーランの好投を見せて面目を保ち、リーグ戦での2連敗後の勝利で、何とか早稲田が優勝を果たした。プロから1位指名を受けた3投手を擁しているのだから、優勝して当たり前だと言いたい。
 ジェビロ磐田が12年ぶりにナビスコ杯に優勝した。サンフレチェ広島が逃げ切るかと思われたこの試合は、タイムアップ直前でジェビロが追いついて、延長に持ち込んでの逆転劇だった。勝利の女神もなかなか意地悪である。
 世界女子バレーは日本がセルビアに辛勝して5連勝で2次予選に進んだが、この試合は、セルビアのミスに助けられてのぎりぎりの勝利だったと思う。奪った3セットはいずれもジュースに持ち込んでの大接戦で、ちょっと間違っていれば落としていたような際どい戦いだった。しかし、勝ちは勝ちなので、2次予選でも頑張って欲しい。
 日本シリーズはロッテが中日の粘りに屈し、惜しい試合を落とした。これで勝負は中日球場に戻ることになり、中日の優勝の芽が出てきたのではなかろうか。
 女流将棋の倉敷藤花と呼ばれるタイトル戦で、かど番だったタイトル保持者の里美香奈さんが、一昨日と昨日の2連戦で見事に連勝してタイトルを防衛、名人、王将の3冠を保持した。筆者は、この対局経過を携帯中継で楽しんだ。携帯はなかなか便利だ。
 里美女流名人は、今期の王将戦で、清水市代王将に挑戦し、初戦を失ったものの、先週木曜日に2局を戦い、2連勝して王将を奪取したばかりで、今や輝いた18歳である。筆者がこのコラムでも何回か取り上げている(例えば、1149ご参照)
 さて、芸能界では、今年の大晦日の第61回紅白歌合戦の司会者が発表された。紅組の司会に松下奈緒さんが選ばれた。すらっとしたなかなかの美人で筆者好みである。しかし、相手の白組の司会が嵐というグループで、筆者には馴染みがなく、ちょっと困った組み合わせだ。誰か他に代って欲しい。
 日本ハムのダルビッシュ・有投手が浮気で、紗栄子さんとの間で離婚話が進んでいるという。ダルビッシュは、エースでお金持ちの二枚目だからもてるのは当たり前た。彼らのこの種のゴシップは本人たちには税金のようなもので、一般人にはウエルカムな楽しい話題である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時半起床。体重、61.3Kg.お天気は良さそう。
 昨日の雅子は前日並みで、午前中は眠ったような状態だったが、午後になって目を開けてくれたので、いろいろとお話をしてあげた。
 当月度の体重測定があったが、前月度が一気に増えて重かったのに対し、少し減少して通常状態に戻っていた。栄養剤の投与から点滴でのウエイトが高くなっていることによるものと思われる。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(16)
  第一部 潜伏期(14)第一章 病名との出会いまで(14)
  3.ギリシャ旅行(4)

 昼食後のツアーはアテネ市内観光で始まった。圧巻は、何と言ってもアクロポリスのパルテノン神殿だった。写真で見ていたその通りのものを目の当たりにすると、思わず「ここまで来たんだ」といった感慨を覚えた。ゆっくりと味わうように、二人で見て廻りながら、古代の都市国家時代に思いを馳せる。続いて、近代オリンピック競技場へ。総大理石のスタンドが壮観だった。トラックは現在の公認の形状ではなく、細長い長方形の両端に半円がついた形だが、一周は今と同じ400メートルである。オリンピックの開会式やマラソンのゴールに使用されるということだったので、一考は、思い出作りにジョギングでそのグランドを一周した。雅子もその姿を追って、その視線が一緒に一周していた。
 その日の夜はアクロポリスを見に行った。ライトアップされて美しく浮き彫りにされたパルテノンに見入っていた。町の真中にあるだけに、ギリシャ人には24時間生パンテノンを見ることが出来て、幸せだと思う一方で、毎日見ていると、食傷気味になって、その価値をないがしろにしてしまうのではないかとも懸念するのだった。9時から、近くの繁華街のプラカで食事をした後、ギリシャの踊りと歌を楽しんだ。ホテルに戻ったのは12時頃だった。
 ツアー六日目の9日は、実質的には最終日だった。7時半にホテルを出て、エーゲ海サロニカ湾の幾つかの島を回って楽しんだ後、夕方にアテネに戻った。夕食を、海岸のミクロリーマ(小さな港の意)で取ったが、事前にガイドさんが最高だとPRしていた期待のロブスターだったが、実際にはかなりのこぶりだったので、少々がっかりだった。
 翌朝は早起きで、4時にホテルを出てアテネ空港に向かう強行軍で帰国の途についた。来た時と同じミラノ経由のルートで、ほぼ予定通りの飛行で一週間ぶりに無事成田に戻った、なお、このツアー中に、CNNニュースを目にする機会があり、そこで北朝鮮の拉致家族が一時帰国することを知った。恐らく、ドラマにも無いようなドラマチックな再会劇が展開されることになるだろうと、一考は、その時から胸を躍らすような興奮を覚えていた。
 とにかく、この一週間は、姑の世話から解放された雅子は、久し振りにリフレッシュが出来たことで満足そうだった。しかし、その二週間後に、雅子は思いも寄らぬアクシデントに見舞われるのである。それは、まさしく厄介な病名との出会いの入口だった。(以下、明日に続く)

1418 才能、若さに乾杯

 内憂外患で、日本の政治、経済は最悪の状態にある。「出でよ! パワフルで才能ある政治家よ」と叫びたい。今朝は、そんな嫌な話題から離れて、別の世界のトピックスにフォーカスしてみた。

1.独り言コラム
 ポプラ社が募集した小説大賞に、水島ヒロさんが大賞を受賞したという。正直言って、この小説大賞というのは、筆者が応募に凝っている頃には聞いたことがない大賞なのだが、それは別として、そのポプラ社が公募した新人文学賞に斉藤智裕という本名で応募した「KAGEROU」が評価されて、大賞を獲得したという。
 筆者も過去においていろいろな賞に応募した経験を持つだけに、とにかく作品が認められたと言う点では、素直にその才能に拍手を送りたい。初めての応募で大賞なのだから、大したものだと思うのである。
 水島氏は慶応大学の学生の頃からアルバイトで始めたモデルが切っ掛けで芸能界に入って俳優として活躍していたが、その傍らで小説に取り組んでいた訳だ。たまたま入った芸能界にそのまま甘んじることなく、自分の才能を信じて取り組んだ意欲はなかなかのものだと言いたい。
 芸能界から作家に転じたといえば、芥川賞作家の辻仁成さんがいる。私生活では華やかで、女優の南果歩さんと再婚、再離婚、更には、女優の中山美穂さんと再々婚した方だ。そう言えば、水島さんも歌手の綾香さんと結婚している訳で、二人の私生活の華やかさは共通している。
 ところで、筆者は見ていなかったが、日本テレビの一昨日の朝のワイドショーで、コラムニストの勝谷誠彦氏が、ポプラ社との出来レースではないかといったニュアンスのコメントをしていたという。勝谷さんの言うことにはなかなかの鋭さがあって、筆者はいつも一目置いている方だが、今回の場合は、そんなことがあると信じたくはない。しかし、その一方で、賞金の2000万円を辞退すると言うのは、何となく不自然な気もする。とりあえずは、作品を読ませてもらって感動をし、乾杯させてもらいたいと期待している。
 さて、昨日のお昼に、たまたま妻の付き添い中でテレビを見ていたのだが、フジテレビの「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに、女優の野際陽子さんが出ていた。感動したのは、その見た目の若さと知的な美しさだった。本人が74歳だと語っていたが、とても信じられず、まだまだ立派な女性だという驚きが先行していた。絶対にそんなお年には見えない若さを保っておられることに、思わず乾杯したい感動だった。恐らく、それなりの努力をしておられるのであろう。
 彼女は立教大学からNHKに入局し、4年後にフリーになられている。千葉真一さんとの離婚の場合も、思いきった決断をされて自分の人生を選択しておられる。そんな経歴を見ていると、日本女性の穏やかな美しさの中に、見た目と違った思い切った決断力で生きて来られたようで、そんな一面にもまた別の魅力を覚えるのである。
 立教大学時代にはミス立教だったようだし、パリ留学からの帰国の際には、ミニスカートをはいていたことから、日本で初めてのミスミニスカートを穿いた人だと言われているようで、何事にも前向きの生き方をして来られているようだ。そんなすっきりした生き方が、彼女の美しさ、若さの保持に繋がっているのかも知れない。今では、着物の似合う女優として、今では、母親、姑役では欠かせない存在だ。
 なお、これを書いていて気がついたどうでもいい余談だが、ミス立教といえば、野際さん以外にも、日本テレビの豊田順子アナウンサー、読売テレビのミヤネヤのアシスタントの森若佐紀子アナウンサーもそうだったのを思い出した。ついでに、ミス立教にも乾杯だ!

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、61.5Kg.お天気は回復しそうだ。
 昨日の雅子は、熱もなく、痰も少なく、落ち着いていた。午前中は眠っていたが、夕方には目を開けて一考の話しを聞いてくれていた。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(15)
  第一部 潜伏期(13)第一章 病名との出会いまで(13)
  3.ギリシャ旅行(3)

 ツアー三日目は、午前中は、オリンピック博物館から、古代オリンピック競技場、ゼウス神殿へと向かった。うす曇で天気が不安定だったが、何とか降らずにもってくれた。午後はフェリーでコリントス湾を渡り、海岸沿いをバスでかなり走ってデルフィーへと入った。途中、ボーキサイトの産地、レパントの戦いが行われた海岸を通った。その頃から雨が降り出した。そして、夜7時にはデルフィーのゼウスホテルにチェックインした。
 翌四日目は、幸いに天候は回復していて晴天だった。午前中は、博物館と世界遺産デルフィーの観光を行い、午後には、いよいよ、一考にとっては、このツアーのメインイベントである圧巻のメテオラの奇岩の上に立つ修道院の見学に向かったのである。
 デルフィーからバスで2時間ほど走ると、周りの景色の雰囲気も変わり始め、バスは、世界遺産の写真集で見ていた厳かな景観の中を走っていたのである。周りには、幾つかのそそり立つ奇岩の景色が見え始めた。その神秘的な眺めの中で、何とも言えない感動が込み上げて来て、バスの中の様子も、異様な盛り上がりを見せて来るのだった。「俗世間から離れ、全てを神に捧げたい。祈りの中で神に近づきたい」そう願った修道士達の思いが、屹立した奇岩の上にこんな修道院をつくったという。メテオラとは、空中に吊り下げられたという意味だそうだが、まさにそんなイメージが違和感なく理解できた。
 よくもこんなところにこんな修道院を立てたものだと改めて思う。バスを降りて、修道院の中を見学した。建物そのものに目立った特徴はなかったが、それでも気分は壮麗なものに高まっていた。そういった凄い環境が一考の精神を高揚させていたのである。雅子もそれなりに満足そうだった。両親を世話する毎日の多忙さから離れ、厳粛な環境の中で、新たな自分を見出しているのではと思ったりしていた。ともかくも、写真で見ていた通りの世界の中に、自分達がいることに感慨を覚え、その高揚した思いの中で、つまらぬ煩悩が、恰も氷が解けてゆくように、消え失せて行くように感じていた。一考は持っていたメモ帳に、「そそり立つ 奇岩に煩悩 消え失せぬ」と認めた。一通りの見学を終えて、5時半頃、カランバカのホテルにチェックインした。
 翌朝7時半にはホテルを出て、一路アテネへ向かった。次第に遠ざかる奇岩の上の修道院に名残惜しさを残しながらのおよそ360キロのバスの旅だった。因みに、このギリシャの旅を通して、バスでの移動距離は1200キロに及ぶものだった。(以下、明日に続く)

1417 実効支配

 インターネットのWikipediaの実効支配の項目には「形式的なものでなく、実際、実質的に支配する力をさす」とある。

1.独り言コラム
 昨日、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問した。ロシアの最高首脳の北方領土入りはソ連時代を含めて初めてのことだ。日本政府は大変遺憾として厳重抗議したというが、彼らの実効支配を強固なものにしたことを世界に訴えた効果は大きい。
 一方で、竹島は既に、韓国に実効支配されているし、先の尖閣諸島では、中国の漁船に海上保安庁の巡視船がぶっつけられるなど、領土に関しては、日本はいかれっ放しだ。こうなれば、せめて、今、日本が実効支配をしている尖閣諸島には、その度合いをもっと強固にする対応を即刻実施すべきであろう。
 なお、尖閣に関連して、衆参予算委員会の委員長や理事達30人が、昨日国会内でその衝突時のビデオが7分間に編集されたものを視聴したという。見た議員たちの話では、「漁船がぶつかってきた」と口にしていた。
 このところ、外交では、いかれっぱなしの日本であるだけに、ここは、思い切ってこのビデオを世界に向けて公開すべきだと思う。そうすることで、日本の立場や主張の正当性が証明されるであろう。あまりにも過剰に、その反発を恐れ過ぎではないか。反発されたって、悪いのは向こうである訳で、堂々と対応すればいいと思う。
 最後に、今朝のキーワードの「実効支配」と「いかれっ放なし」に関する筆者のつまらぬ連想を二つ披露しておこう。一つは、実効支配という言葉から、今の菅内閣は、仙谷由人官房長官に実効支配されっぱなしを連想するし、もう一つは、先のドラフトで指名を受けた早稲田の斉藤祐樹、大石達也、福井優也の三投手たちが、優勝を賭けた早慶戦で、打たれっ放しだったことで、彼らを指名した、日本ハム、西武、広島球団首脳は、不安の思いでいかれっ放しじゃないかと連想している。菅総理、それに三投手たちの汚名挽回は可能なのだろうか。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、61.1Kg. 今朝はぐっと冷え込んでいる。もう冬近しだね。
 昨日の雅子は、寝ていると思われる時間が多かった。呼びかけても反応が少ないのである。午後にはリハビリを受けたが、ここでも反応は低調だった。依然として、点滴での栄養補給が続いている。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(14)
  第一部 潜伏期(12)第一章 病名との出会いまで(12)
  3.ギリシャ旅行(2)

 当然なことかもしれないが、会社をリタイヤーした後でも、一考が一人で東京に居残っていることが友人達には理解し難いところのようだった。一考は何をしているのかと訊ねられると、待ってましたと言わんばかりに「3Wにフォーカスしている」と謎めかして答えることにしていた。そこで「それは、何なんだ?」と聞かれると、やおら、ちょっと得意げに、3Wは、趣味の歩き(Walk)執筆(Write)それに妻(Wife)を意味すると説明するという落ちをつけていた。
 いずれにしても、一考が、その歩きと執筆の2Wにかまけているうちに、ギリシャツアーを申し込んでから、あっという間にほぼ4ヶ月半が過ぎて、そのツアー出発の10月4日を迎えたのである。この旅行期間こそ、一考は、もう一つの大切な「W」である妻へのサービスに注力する一週間と位置づけていた。
 この朝の二人の出で立ちは、中型の旅行鞄と機内持ち込みの小型鞄がそれぞれ一つずつの二つという比較的軽装な出で立ちだった。つまり、雅子も自分の鞄を自ら持っていて、そこには手の不自由なんてことは全く存在していなかった。
 二人は、11時前に成田空港の所定の待ち合わせ場所で、ツアーグループの他のメンバー達と合流し、ミラノに向けて成田を発ったのは午後1時少し前だった。飛行は概ね順調だった。そして、ミラノで乗り継いでアテネに到着、そのままホテルに直行した。チェックインしたのは、ローカル時間で日付が変わった5日の深夜の1時ごろだった。長時間の旅で疲れていたのだが、その最初のホテルでは、鍵が壊れていたり、風呂の栓が無いという不具合があって、不愉快なトラブルに巻き込まれて、眠りについたのは3時近くになっていた。さすがに雅子もぐったりと疲れていたようだったが、幸い健康そのものには変わりなく元気だった。
 翌朝、天気はすこぶる良好で、8時にバスでホテルを出発、ペロポソネス半島の付け根のコリントスからミケーネへ向かった。空はコバルトブルーで気持ちがいい。遺跡を追って少し高い丘の上まで登る。そこは、シュリーマンが1878年に、ホロメスの叙事詩をもとに、執念で発見した遺跡だった。夢のある執念を持つことは人生の励みとなる典型的な事例と言えた。
 この後、セントアンドリュースの教会に立ち寄った後、オリンピアに向かい。7時半過ぎに二日目のホテルに入った。この日のホテルの部屋の具合は万事OKで、ほっとした次第であった。(以下、明日に続く)

1416 百年、千年というでかい年数単位のトピックス

 時にはスケールのでかい話にびっくりすることがある。今日は、そんな幾つかの話題を拾ってみた。

1.独り言コラム
 第三段の特別会計を対象とした仕分け作業が先週末で一段落したが、その中でスーパー堤防が話題になった。完成まで400年かかるという。とてもついて行けない話しである。このまま続けるという話には誰も納得しないのではないだろうか。それを見つけ出したことで、今回の仕分け作業での一つの成果はあったと言えるかもしれない。
 聖武天皇遺愛の正倉院の宝刀が1250年ぶりに確認された。光明皇后が一旦は正倉院に献納したが、三年後に取り出して以降、ずっと行方不明になっていたものだという。今般、明治時代に見つかっていたにものについて、X線撮影をしたところ、「陽劔」「陰劔」の銘文が見つかったということで、それと確認されたのだが、筆者の疑問は、どうして、もっと早くX線撮影をしなかったのかが、合点がいかない。
 日経新聞の人気コーナーの私の履歴書は、先月は月桂冠の相談役の大倉敬一さんの登板だった。この会社は、創業が1637年と云うから、もう370年以上の歴史を持った会社である。
 因みに、先日の日経新聞の夕刊に創業100年以上の会社が占める比率が高い都道府県が紹介されていて、トップが京都府、以下、新潟県、山形県、島根県、長野県と続き、6位が滋賀県だった。京都を除くと、どちらかと言えば、何事においてもそれほど目立たない都道府県だ。その記事では、長寿企業の秘訣は、「身の丈経営」にあると結んでいた。同時に、長寿企業のベスト10が紹介されていたが、いずれも、地味な会社名が並んでいた。1位は大阪府にある建築業の金剛組で、京都府の会社は、その10社の中で3社(池坊華道会、田中伊雅仏具店、通圓)も入っていた。
 少し遡った話題だが、スポーツでは、イチロー選手の昨年作った9年連続200安打は、1901年にキーラー選手の記録を108年ぶりに更新だったし、2004年に作ったレギュラーシーズン262安打はジョージ・シスラーの記録を84年ぶりに更新した訳で、一応、この種の話題に取り上げていいだろう。
 昨日閉幕した上海万博だが、入場者数がおよそ7808万人で、それまでの記録だった1970年の大阪万博の6421万人を、およそ1400万人上回ったそうだ。中国には、今年GDPも追い抜かれたし、政治的にごちゃごちゃしていて負けたくない国だったが、彼らは国を挙げての力で動員を掛けて入場者数を確保したようだ。なお、1851年に第一回のロンドン万博から数えると160年目であり、その長い歴史の積み重ねた万博には、それなりの感慨を覚える。
 さて、滋賀県に関する話題で、そんな仲間に入る話題がないかと探してみると、琵琶湖の第一疏水が開通してから、今年が120年目だという。目下、世界遺産を目指して地道な活動が行なわれているようだ。本当に、登録の可能性があるのかと慰問を抱いているが、県民の一人としては、そうあって欲しいと思うのだが、…。
もう一つおまけのトピックスで、今月の14日から始まる大相撲九州場所で、不滅の記録とされてきた双葉山の69連勝の記録更新がかかっていて、その展開に日本の相撲ファンが固唾を飲むことになる。横綱白鵬が順調に勝ち進めば、中日の22日に70連勝の新記録が達成されることになるが、果たしてどうだろうか? そうなれば、72年ぶりの大記録更新となる。楽しみでもあり、そうでなくもありの複雑な心境だ。
 
2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時20分起床。体重、61.4Kg. お天気はよくないようだ。
 昨日の雅子は比較的安定していた。テレビをイヤホーンで聞かせていたが、時々画面を見ているようだった。具体的な番組は、朝の「サンデー・モーニング」お昼の「新婚さん、いらっしゃい」それに「たかじんのそこまで言って委員会」といった雅子の好きな番組だった。

3.連載「難病との闘い(総集編)」(13)
  第一部 潜伏期(11)第一章 病名との出会いまで(11)
  3.ギリシャ旅行(1)

 夫の一考から、突然、「海外旅行をしよう」という思わぬ誘いの電話を受けたのは、2002年5月の連休明けの頃だった。
 「どこか行ってみたい処はないかい?」夫の唐突な問い掛けに、雅子は戸惑った。幸い、義姉の久子が大津に戻って来てくれていたことから、義母の世話は、一週間程度ならお願いできて、家を空けることは可能だった。久し振りの海外旅行が楽しめるということで、心は少しずつ弾んで来たが、さりとて、何処へ行きたいかと言われても、直ぐにここへ行きたいというような処は思い浮かんで来なかった。
 そう言えば、これまでに、勤続、二十五周年と三十周年の節目に、それぞれ会社からの援助があって、シンガポール、パリ、イタリアに連れて行ってもらったことが思い出された。いずれの場合も、夫の決めた段取りについて行っただけだった。特に、パリの場合は、将棋に強い関心を持っていた夫が、タイトル戦の一つの竜王戦がパリで行なわれるので、そのツアーに参加したのだった。自分は、将棋には全く関心は無かったが、さりとて反対するような別のアイディアがあった訳でもなく、そのまま従ったのである。
 幸いなことにそのツアーでは多くの棋士や関係者にお会いでて楽しかったのを覚えている。中でも、移動するバスの中で、弁舌滑らかだった今は亡き原田泰夫九段の楽しいお話は忘れられない思い出である。対局者の当時の佐藤竜王に挑戦者となった羽生名人、更には島朗さんや森下さんなどの多くの有名な棋士さん達とひと時を共に出来たのは、望外の楽しいひと時だった。また、将棋の月刊誌「将棋世界」のグラビアに対局する二人の後ろに自分が写っているのも、貴重なワンカットである。
 「どこでも結構よ。あなたに任せるわ。」雅子は、そう言ってボールを一考に投げ返した。
 「分かった。それなら考えて置く」一考はそう言って電話を切った。その件で、一考から再び電話があったのは数日後だった。
 「ギリシャに決めようと思っているが、どう思う? 二年後にオリンピックが行なわれることになっているし、一足先にその辺りを見ておくのもいいと思ってね」一考は、前置きなしに、いきなりそう切り出した。その声には普段と違って興奮している時の特徴である声の上ずりが認められた。
 「オリンピックね。いいのじゃないですか。正直言って、ギリシャって言っても、首都がアテネという以外は何も知らないわ」雅子は、自分の無知を恥じるでもなく、あっけらかんにそう言って、一考の反応を窺った。
 「それは、お互い様だ。先ほどインターネットで調べてみたんだが、ギリシャは日本に比べて面積が三分の一、人口は一千万人程度で、そのうち400万人がアテネにいるらしい。GDPは20兆円で経済的にもそれほど豊かではない。一部のホテルを除いて、下水のパイプが細いことからトイレに紙を流してはいけないというから、この種のインフラも充分ではないようだ。そんなことで、目下、オリンピックを目指して、いろんな突貫工事が進んでいるらしい。それで、ギリシャに決めた理由だが、もちろん、オリンピックの話題も一つだが、実は、ある凄い写真が決め手になったんだよ」更に声を上ずらせた一考は一気にそこまで捲くし立てた。
 「随分と興奮しているじゃない。一体、何の写真なの?」雅子は、一考の得意げな話に水を差す訳にも行かず、成り行き上、そう踏み込んでみた。
 「世界遺産という雑誌に紹介されていた写真だが、それに一目惚れしたんだよ」
 「一目惚れ? 私にじゃなくて?」雅子は冗談っぽく言って、小声で軽く笑った。
 「そうなんだよ。一目惚れなんだよ。大きな岩の上に立てられた修道院が、あたかも、中空に浮かんでいるように見えて、実に壮観なんだ」上ずった一考の声が踊っているように雅子には響いた。
 「修道院が空中に浮かんでるの?」
 「そうなんだ。メテオラの修道院というのだが、高い絶壁のような奇岩の上に立てられていて、お伽の国のような別世界を感じる。そんなところへ行けば、日常生活でのもやもやしているものや、ちっぽけな不安なんぞは、みんな吹っ飛んでしまうんじゃないかと思ってね」珍しく艶のある一考の声が炸裂しているようだった。その写真を見て興奮しているのだろうと雅子は感じていた。
 「悩みが解消するって言うの?」
 「そう。そんな気がするんだ。いいだろう、そこに決めて?」
 「良いも悪いもないよ。貴方に全てお任せなんだから。でも、幸いなことに、今は、吹っ飛ばして欲しいようなもやもやしたものや不安のようなものはないみたい」雅子は、そう答えながら、一考のいう「別世界で悩みが吹っ飛ぶ」というセリフに、何となく身体の底から共鳴している別の自分を意識していた。今思えば、そこには、まだ自分でも気づいていない良くない病魔の潜在を感じていて、無意識の中で、そんなものを全て吹っ飛ばしてみたいという衝動に駆られていたのかもしれない。
 「じゃ、そこに決めるよ」一考は楽しそうにそう言って電話を切った。
 一考が交通公社にギリシャ行きのツアーに申し込んだのは五月末のことだったが、正式にツアーが成立し、詳細な日程が決まったのは、九月に入って間もなくのことで、成田出発が十月四日で帰国が十月十一日と設定された。(以下、明日に続く)

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