プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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1476 「この間」、「あっという間」

 なかなか便利な言葉だ。きちんとした定量的な表現ではなく、ぼやかした定性的な表現だけに使い易いが、時には誤解を産むこともある。

1.独り言コラム
 つい「この間」、レコード大賞やNHKの紅白歌合戦の音楽番組をを見たような気がするが、それから、「あっという間」に一年が過ぎた。昨日のレコード大賞でな、EXILEの「I WISH FOR YOU]が選らばれ、EXILEは3年連続の授賞となった。大勢の人たちのグループには、筆者はあまり馴染まなず、好みではない。今夜には、大晦日の風物詩、第61回目の紅白歌合戦が行なわれ、それが終れば、オートマティックに新年が巡って来る。
 このブログも、明日で4回目の新年を迎える。つい、「この間」始めたブログという感覚なのだが、もう1500回の大台もすぐそこだ。とにかく、時間の経過を早く感じる。そこには、入院中の妻の付き添いのために、毎日が病院通いの単調な生活リズムの繰り返しだけに、余計にそんな感覚を実感しているのだろう。つい、「この間」まで交わしていた夫婦の会話が出来なくなって、一人で妻に話しかける毎日である。
 さて、この「この間」という表現で、昨日の新聞に一つの面白い記事が紹介されていた。それは、小沢一郎元民主党代表が、23日に生出演したインターネット番組で発言した言葉である。具体的には、「小沢さんは、中国のトップ政治家と会って話せる数少ない政治家だ。今の状況で指導者と話し合う可能性は?」と問われ、「胡錦濤さん、この間、日本に来た時に『会いたい』というから。僕は儀礼的な社交辞令で会うのは大嫌いなもんだから『いい』と言ったんだけど『会いたい』というから」との発言で、来日時の胡錦濤主席の会談要請に応じたと説明したのである。
 この発言は、今年11月の横浜でのAPECの際に来日した胡錦濤主席との会談があったという解釈が成立するのだが、あの時は、菅総理が、やっとこさで会えて、メモを見ながら話したことで話題になったのだった。しかし、この時には小沢氏との会談はなく、同氏が言った「この間」は2008年の来日の際だということを、前原誠司外相が28日の記者会見で明らかにした。小沢事務所でもそうだと答えたという。
 つまり、この時は、今から2年前のことを「この間」と言った訳だ。確かに、今回の胡錦濤主席の来日に関しては、直前まで来るか、来ないかで、関係者は大わらわだった訳で、そんな時に小沢氏との会談があったとは考え難い話である。
 いずれにしても、便利な言葉だが、定量的でないから、このような誤解を産むこともある。
 そう言えば、つい、「この間」に政権交代が実現し、民主党が政権の座について、多くの国民の喝采を浴びたのだが、先発の鳩山由紀夫党首(投手?)が、いきなり滅多打ちに遭い、リリーフした菅直人党首も立ち上がりは、少し持ち直したような様子だったが、その後半年しか経たないのに、今や立往生のピンチに見舞われている。つい、「この間」の喝采の民意が大きく変わってしまっているのだ。
 ところで、時間と言うのは、不思議な存在だ。過ぎ去ってゆく時間には、凄い早いスピード感を覚える、近づいて来る将来への時間には、随分とゆっくりとした遅いスピード感を覚える。例えば、再来年のロンドンオリンピックまでは、まだ一年あるし、夢のリニアー新幹線が東京―名古屋間を走るのが2027年の開通といわれているが、筆者には夢のまた夢の遠い先の話しだ。
 この時間へのスピード感は、自分の残された寿命とも関係していて、その受け取り方が違って来るのだろうが、一般論としても、いわゆるドップラー効果的な感覚があるのではと思う。つまり、遠くからゆっくりと近づいて来る緊急自動車の音が、過ぎ去ると、「あっという間」に、随分と早いスピードでその音は消えてゆく。そういう意味から、人間の時間に対する感覚も、まさに、ドップラー効果的な性格を持った存在だといえよう。
 さて、昨日の東証の大納会も、株価は大きく下げて終った。今日の大晦日も、あっという間に過ぎ去るだろう。ぱっとしない、「あっという間」の一年だった。来年はもう少し素晴らしい年になって欲しいものだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、60.8Kg.(因みに、12月平均体重は60.9Kgで3ヶ月連続同じで安定している)。お天気は、午前中は晴れだが、夕方には雨の予報である。
 昨日の雅子は比較的安定していた。午後には車椅子で散歩。しかし、痰は、それなりに多かった。体調としては、まだら、状態だったのではなかろうか。

3.連載、「難病との闘い総集編」(70)
  第二部 自宅介護(30) 第三章 失われゆく機能(3)

 (1)その対応に大格闘(その3)
 妻の病名が、パーキンソン病だと告知されたのは、忘れもしない02年11月半ばだった。その際に、進行性の病気との説明を受けていたが、それから数年は、その進行は緩慢で、こんな程度の進行であればと楽観していた時期があった。
 しかし、それが、2006年2月半ばの足首の捻挫、続いて4月初めの手首の骨折に遭ってから、その様相は一転した。その二つの事故が、それまで静かにしていた病魔を一気に活性化させたようだった。悪夢の悪化は左手から始まり、左足、そして右手にまでもその影響が及び始めていたのである。とにかく、その悪化の進行が、目に見える形で、一段とスピードアップし始めていたのだ。
 リフォームを終り、生活拠点を一階に移した時点で、雅子の手足の状態は、左腕が殆ど動かなくなっていた上に、右手も麻痺状態が始まっていて、雅子が一人で行なえる事柄が、大幅に制約される状態になってしまっていた。もちろん、足の動きも不安定で、階段を上がり下がりすることはおろか、一人で歩くことさえも、危険で難しくなっていて、一考の介添えは不可欠となっていた。
 差し当たっては、入浴で支障が起き始めた経緯から振り返って見よう。リフォームでは、バスユニットも身障者用のタイプに替えて、浴室への段差がなくなり、多少は入り易くなっていたが、湯船の高さは、ほんの少し低くなった程度の改善だった。その切っ掛けは、湯船に入ろうとした雅子が、左足が上がらないというアクシデントだった。それは、まだリフォームが始まって間もなくの6月1日のことだったが、風呂場から一考を呼ぶ声に、何事だろうと駆けつけてみると、右足を湯船に入れて、左足を外に出したまま、湯船の淵につかまっていたのである。つまり、左足が持ち上がらなくなっていたのである。
 ともかくも、それまではお風呂は意地でも自分一人で入っていた。左手が使えなくても、右手一本で、洗髪も何とかこなし、身体を洗うのも、丁寧ではなくても自分で努力して対応していたが、遂に、それにも限界が訪れていたのである。
 いたしかたなく、入浴に当たっては、左足を抱えて湯船に入れてやる方法を取らざるを得なくなったのである。り、その後も、悪化は進行し、次第に身体を洗ったりする際にも手助けは欠かせなくなり、一考も、湯船に入ってのサポートをせざるうを得なくなった。(以下、明日に続く)
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1475 ノミネートメンバーを見て

 年末年始の幾つかのイベントは、いよいよ檜舞台が目前だ。この一年を、この戦いに賭けて取り組んで来た各チーム、出場者達にとっては、身の引き締まる思いであろう。 戦略を秘めたノミネートメンバーが発表されると、戦いの雰囲気も、ファンにとっては、ぐ~んと盛り上がってくる。

1.独り言コラム
 昨日、お正月恒例の今年で87回を数える箱根駅伝に出場する20チームの区間エントリーが発表された。当日に4人までの交代が可能ということで、一部の有力選手を温存した形でのエントリーになっている。優勝候補と見られている早大は、1区から4区までを若手の主要選手で固めて前半から突っ走る作戦に出ているが、期待の西脇工業出身の一年生の志方文典選手は怪我で出場できないと言う。大きな痛手だ。期待の大物の八木勇樹を温存しており、若しかしたら、昨年と同じ山登りの5区に起用されるのではと、筆者は見ている。
 対抗馬と見られている3連覇を目指す東洋大は、一区、2区に一年生の設楽啓、悠の双子の兄弟を起用、また3年連続でエースの柏原竜二選手を山登りの5区にエントリーした。この2校に駒沢、中央、日大などを交えたデッドヒートは楽しみである。なお、筆者は、今年も花田勝彦監督率いる上武大学の頑張りに期待している。今年で3回目の出場だけに、何とか、シード権を取って欲しい。
 元日に行なわれる実業団のニューイヤ駅伝も面白そうだ。今年は東日本の予選でホンダが優勝、カネボウ、コニカ、日清食品、富士通という順位だった。筆者は、息子がいる富士通のファンである。2年ぶり3回目の優勝を期待したい。
 なお、この大会は今年で53回を数えているが、その中で旭化成が21回の優勝を果たしているものの、最近は同社の影が薄い。また、かつて4連覇の実績を持つ瀬古監督のSB食品が、このところ不出場なのが寂しい。有力選手を沢山集めるが、どうしてこの駅伝には力を入れないのか、瀬古さんの考え方が分からない。
 年末の紅白歌合戦も今年は61回目だ。マンネリ化を叫ばれて久しいが、今年も盛大に行なわれるという。大トリにSMAPを持ってきた辺りが工夫なのだろうが、いわゆる演歌の影が薄いのが筆者には物足りない。大のファンである水森かおりさんの出場する場面だけは見たいと思っている。
 なお、大物歌手の和田アキ子さんが昨日NHKのリハーサルに向かう途中で車の衝突事故に遭い、頚椎捻挫の怪我を負ったという。紅白への出場には問題ないようだ。大したことでなければ、逆に、転んでもタダでは起きぬということで、それを、面白おかしく取り上げて盛り上げる話題に使うだろう。
 さて、今日はTBSでのレコード大賞のイベントが行なわれる。ここでは、いわゆるレコード大賞と最優秀新人賞が新たに決まるだけで、それ以外の賞は既に確定している。その注目のレコード大賞にノミネートされた歌手、楽曲を見ても、殆ど筆者は知らない人たちだ。最近耳にした話題の植村花菜さん「トイレの神様」が選ばれているが、ここでも演歌は影が薄い。辛うじて、氷川きよしさんと筆者の好きな水森かおりさんがノミネートされているが、単なる数合わせ、お飾りなのだろう。
 このレコード大賞も、今年で52回目だ。筆者の記憶には、第一回の昭和34年に水原弘さんの「黒い花びら」が受賞した頃の初期の思い出が甦る。「誰よりも君を愛す」「君恋し」「いつでも夢を」「こんにちは赤ちゃん」などは、今でも好きな歌である。半世紀が経過して、このイベントも華やかになったものの、筆者のようなおじいさんには、口ずさむ楽曲は見当たらないのは、寂しい。
 年末年始のこういったいずれも歴史あるイベントを病床の雅子にも見せてあげたいが、昼間の番組はOKだが、夜の番組は、そこまで付き添えないので、気の毒だが諦めてもらうしか仕方がない。それはそうと、まあ、何とか、気分的にいい年を迎えられればと思っている。
 そう言えば、新年早々には管内閣は改造するらしいが、どんなメンバーがノミネートされるのだろうか。仙谷官房長官については、筆者は、留任とみているが、…。新内閣の人選には、ちょっとした関心はあるが、それらについては、まあ、初夢としておこう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時40分起床。体重、61.1Kg.お天気は午前中の曇りから、午後には雨になるという予報だ。
 昨日の雅子は、少し熱があり、午後の車椅子での散歩は取り止めた。
 なお、雅子の出身高校の校歌だが、音楽に得意な妹が帰って来ていたので、楽譜を見せて確認すると、筆者が得意げにマスターできたと思って歌っていたメロディーは、相当に違っているという指摘であった。雅子があまり反応を見せてくれなかったのは、その辺りのためだろう。やはり、筆者には楽譜を読むのは無理なのだろう。がっかりだが、時間をかけて覚え直したい。

3.連載、「難病との闘い総集編」(69)
  第二部 自宅介護(29) 第三章 失われゆく機能(2)

 (1)痛ましい退化との格闘(その2)
 リフォーム工事は約一ヶ月足らずの6月半ば過ぎに完了した。工事が終わるのを待って、台所、リビングも一階に移した。季節はちょうど梅雨の時期になっていたが、幸いなことに、たまたま雨が降らないという幸運に、工事は雨に邪魔されずに終えることができた。この間、大工さんのもてなしなどで、一考は大車輪だった。従って、母親への食事サービスは、姉の久子の配慮もあって、半分くらいは彼女の助けに頼ることになった。
 ところで、この移動が、ちょうど衣替えの季節に重なったことから、移動直後の最初の仕事が、雅子の衣装の入れ替えだった。しかし、工事前の荷物の移動で、2階が半ば荷物置き場状態でごった返していて、冬物を仕舞い、春、夏物を取り出す衣替えの入れ替え作業は、思いの外大変だった。
 この作業で、一考が驚いたのは、雅子が持っていた衣装や鞄やアクセサリー等の数の多さだった。それは、雅子の活動の多様さを反映していたのだろうが、こんな症状になってしまった以上、これからは、使うこともほとんどなくなるのではと思うと気の毒で、悲しい思いに苛まれた。一考が、更に驚いたのは、多くの衣装のどれとどれが、どこにしまってあるかを、雅子がきちんと記憶していることだった。雅子が二階に上がれなくなっていたことで、一考は、その雅子の記憶に従って、必要なものを選び出し、階下の収納ボックスに運び込むのだった。
 これらの荷物の整理、移動、入れ替え作業は、工事前後で一階と二階を荷物の往復移動になったものが多く、あたかも、引越しを連続二回行なったような大変な厄介で骨の折れる仕事だった。
 なお、それらを終ってほっとしたのも束の間で、新しい環境での一階での生活が始まると、それを待っていたかのように、雅子の運動能力は、それに見合った形で衰えて行くのだった。例えば、2階へはもう上るのが、無理になってしまっていたのである。換言すれば、このリフォーム工事は、雅子の症状にとっては、まさにタイミング的にはぎりぎりでの滑り込みセーフといった際どいもので、一考の打つ対策は、際どい綱渡りをしていたことになる。(以下、明日に続く) 

1474 またぞろ

 暫く、忘れられていた話題が思い出したように息を吹き返すことがある一方で、忘れられたままになってしまっている話題もある。人間の性格は、水の性質とは全く逆で、熱くなり易く、冷め易いのかもしれない

1.独り言コラム
 さあ、東国原英夫氏がまたぞろ動き出しそうだ。先週末に行なわれた宮崎県選挙で、それまでの東国原知事を副知事としてサポートしていた河野俊嗣氏が勝利した。その結果、東国原(そのまんま東)氏の今後の動向が注目されている。
 報道によれば、同氏は、東京都知事選に打って出るという話しが出ているようだが、筆者の感触では、同氏は自分の力を過信しているように思う。確かに、宮崎県での人気は凄かったことは事実だが、先の衆院選の時に国政への意欲を示すなど、多くの県民は、面白くないと感じたようで、それまでの絶対的な人気から翳りが出始めたようにも思われる。
 来るべき都知事選には、まだ誰が出て来るかはっきりしてはいないが、石原慎太郎氏も3期目の意欲を見せているし、緒瀬直樹副知事の名前も上がっていて、予断を許さない。特に、都民のプライドが宮崎県の知事に期待するというような姿勢を見せるとは考え難い。随分昔の話し(1963年)だが、兵庫県知事として実績を上げた坂本勝氏が東上して立候補し、当時の都知事だった東龍太郎氏と渡りあったが、結果は大差で敗れている。
 ただ、ちょっと面白いのは、かつて、その坂本勝氏に圧勝した東龍太郎氏と同じ「東」という文字を頭にする東国原氏が、東上して都知事候補として登場する訳だから、駄洒落の意味で、筆者は関心を持つのである。
 いずれにしても、半世紀という時代の違いが、都民のプライドにどのような変化をもたらせているか、何処までローカル知事の登場を歓迎するか、などの興味はあるが、筆者は、そんなこととは別に、やはり同氏への人間的な面での信頼ということから、所詮、無理があるのではと思う。加えて、かつての青島幸夫都知事への失望もあり、お笑いの世界の方へのアレルギーは生きているようにも思う。
 先週末のフィギュア全日本選手権で復活を果たした浅田真央さんの話題と呼応するように先のオリンピックでの金メダル獲得者のキムヨナ選手の話題がちらつき始めた。来年3月の東京で行なわれる世界選手権に出場すると言われていて、その動向が注目されているのだ。
 とにかく、あのオリンピックでのキムヨナ選手の圧倒的な強さは今でも記憶に生々しい。思わず、惹き付けられる魅力があった。目下、ロスアンゼルスでトレーニングに励んでいるというテレビの特番が報じていた。年初からは、彼女の話題が、またぞろ、ということになりそうだ。
 ガソリン代がまたぞろ上がり始めた。つい最近までは、リッター125円が続いていたが、昨日は129円になっていた。円高状況は変わっていないだけに、原油の価格が吊り上げられつつあるのだろう。そうなると、あのガソリンの暫定税率の問題も、またぞろ、話題に出てきそうだ。
 それらとは逆に、またぞろ、ではなく、忘れられてしまっているかつての話題を思い出す。オバマ大統領の当選で湧いた福井県の小浜市は、その後どうなっているのだろうか。それに、一時は駐車違反が厳しく取り締まられ、筆者も切符を買うほんの僅かの時間、田舎の駅前に車を止めていた際に、危うく違反に問われそうになった記憶があるが、今は、そのような厳しさが影を潜めている。どうなっているのだろうか。また、あの75才の後期高齢者の話しも然りである。そうなると、またぞろ、そんな話題のその後を知りたくなるのも不思議だ。人間って、元々、あまのじゃくな動物かもしれない。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時10分起床。体重、60.9Kg.お天気は、午前中は晴れるが、午後は曇りのようだ。
 昨日の雅子は、朝から安定していたが、午後の入浴後に、ベッドに戻ってから、痰の攻撃に急襲され、パジャマからベッドのシーツまでが汚れるというアンラッキーがあった。筆者が、ちょうど、付き添いの場から離れていたのが不幸だった。気が付いて即、その対応に大わらわだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(68)
  第二部 自宅介護(28) 第三章 失われゆく機能(1)

 (1)失われゆく機能との格闘(その1)
 リフォーム工事は、5月26日(2006年)から始まったが、それに先立っての荷物の整理、移動には苦労した。何しろ、引越しで東京から持ち帰った大半の荷物を、今回リフォーム対象の一階の子供部屋に押し込んでいたからである。従って、差し当たって、何とかしてその子供部屋を空にしなければならなかった。
 とにかく、スペースの割りに荷物が多すぎた。その背景の一つに、人間の収集癖が起因している。 しかも、一旦集めると、それに自分の歴史が反映されるものだからという理由から、愛着が生まれ、棄てることに強い抵抗が生じてくるのだ。誰もが良く経験するところである。
 一考自身も、三十年近くに渡って集めて来ていた新聞の切抜きがあった。将来、推理小説の材料にと、殺人事件を主体に事件物をこまめに集めて、それをきちんと分類していた。しかし、もう、そう言った自らの創作の戦いもほぼ終わったと自覚していることもあって、この際、思い切って廃棄することにしたのだった。その量たるや、なんと、中くらいの大きさの段ボール箱で、5つぐらいもあった。身を引き裂かれるような切なさがあったが、保管する処がないため、止むを得なかった。しかし、思い切って捨ててみると、意外に気分もスッキリした。
 自分のものは、自分で処分が可能なのだが、問題は二人の息子達の荷物だった。それらは勝手に処分は出来ない。特に、長男の太郎は、幼稚園時代のものから、自分でしっかりとダンボールに入れて残してあるから堪らない。この機会にと、電話で話しても埒が開かない。仕方なく、重い荷物だったが、二階に持ち上げて保管せざるを得なかった。その点、次男の二郎の方は、適当に棄ててもいいと淡白だったが、そう言われると、こちらが却って慎重になって、彼らの歴史になるようなものは取り置くといった矛盾した行為に繋がるから面白い。
 いずれにしても、子供たちの椅子、机、ベッド、洋服ダンス、書籍類や本箱の類を、一人で二階に持ち上げる作業は、六十五歳の親父には、大変な重労働だった。
 そんな整理をしながら、その一方で、リフォーム工事が始まる前に、二人の寝室だけは先行して一階に移動させていた。その部屋は、玄関脇にあって、それまでは応接室として使っていた部屋なので、場所など寝室としての立地条件は不適切だ。しかし、1階にはそこしか部屋がなかったから止むを得ない。その部屋のスペースでは、今までのようにベッドを二つ平行して並べることが出来なかった。止むを得ず、T字形に置いたのだが、双方から、お互いがほとんど見えない位置関係で、介護の面からは適切ではなかった。加えて、押入れのスペースも狭く、身近に置ける着替えなどが制限されることなど、利便性を犠牲にせざるを得なかった。
 そんな訳で、工事期間中は、日中の生活はそれまで通り2階で行い、寝る際は一階に移動しての生活になっていた。トイレ、洗面所、それに風呂が一階にあるため、雅子の移動回数は、トータル的には多少は少なくなって省力化になっていたが、それでも、その移動には、一考のサポートが不可欠で、雅子の自由度は、徐々に失われつつあった。(以下、明日に続く)

1473 終りよければ、…。

 今年も、あと4日である。世界も、日本も大いに揺れた一年だった。せめて、「終り良ければ、…。」と思うのだが、それも多くのことは叶わぬまま、今年も暮れてゆきそうだ。

1.独り言コラム
 昨年、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞して、核のない世界が注目されたが、逆に北朝鮮が核保有国としての名乗りをあげるなど、その進展は捗捗しくなく、同氏の米国内での支持率も低迷していて、その落胆は大きい。一方では、中国の存在が目の上のたんこぶ的に厄介になった一年だった。著作権を保護する認識の欠如から来るパクリ、戦略的な漁船衝突など何をやるか分からない怖さがある。
 そんな中で、我が国も、鳩山由紀夫総理から菅直人総理に交代したが、その直後の参院選で与野党逆転のねじれ現象が生じ、変わり映えしないパワー不足の内閣で、身内の小沢一郎氏の扱いに戦々恐々していて、先行きが極めて不透明な形で年を越すことになりそうだ。
 そんな年の暮れだが、今朝は、せめて、明日に繋がる楽しい話を一つ、二つ拾ってみた。「終りよければ、…。」の期待を込めてである。

 間寛平さんが、昨日、ユーラシア大陸を横断し、中国の西端の一角、青島ヨットハーバーにゴールした。昨年の夏にフランスのルノーアーブルに上陸して493日目で、この間に走った距離は14699.5Kmでアメリカ大陸横断の距離のおよそ3倍強という超長距離を走り切ったのである。通過した国の数が16カ国、実際に走った時間は、およそ2600時間、つまり、およそ108日間走り続けた計算になる。平均時速は5.65Kmのスピードだった。年末に青島を出て福岡に向かうということだが、今年の寛平さんは、「終り良ければ、…」の最高の楽しい年末を過ごされることになろう。
 ジャンプが飛べないという苦しみに悩み続けた一年だったフィギュアの女王、浅田真央さんも、昨日終ったフィギュア日本選手権で、そのトラウマを克服、2位に食い込んで来年の世界選手権に繋げることが出来た。本人にとっても、ファンにとっても、ほっとした、嬉しい年末で、浅田真央さんも「終りよければ、…」の一人だ。
 芸能界では、同じ発音の名前の小林麻央さんが、夫の市川海老蔵さんが六本木でお酒に酔って騒動に巻き込まれ、その扱いを巡って、梨園の妻としての資質が云々され苦しい日々を送っていたが、どうやら、この騒動は、相手方の伊藤リオンらとの示談が成立したという情報だ。そうだとすれば、麻央さんも、「終りよければ、…。」の仲間入りすることが出来そうだ。
 大相撲の世界も波乱の一年だった。初場所優勝の朝青龍の引退、その後、覚せい剤、賭博の汚染は生半可ではなく、大関の琴三喜の廃業といった具合に不祥事は拡大し、一時は、NHKが中継を取り止めると言う事態に発展したが、その間、横綱白鵬が、63連勝、5連覇などの偉業を達成するなどの大変な頑張りで、角界にも何とか落ち着きのメドがついた。「終り良ければ、…。」の一例として取り上げていいだろう。
 株の動きもぱっとしない動きに終始した一年だった。年明けに10654円でスタートした東証株価だったが、5月21日には一万円を割り、8月31日には今年最低の8824円を記録、その後12月になってやっと一万円台を回復したものの、未だに年初の価格に戻っていない。今年の大納会まであと三日だが、せめて、年初のところまで戻って欲しいがどうだろう。そうなれば、来年への期待が繋がるということで、「終りよければ、…。」ということになるのだが、…。
 人事の面では、大阪特捜部の不祥事で、大林検事総長に変わって、前東京高検検事長の笠間治雄氏が就任した。またロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問に関して、ロシア大使の河野雅治の情報不足が指摘され更迭となり、後任には、チェコ大使だった原田親仁氏が任命された。これらの人事では、いずれも、「終り良ければ、…。」には該当しないが、今回の郵便不正事件で、有罪としてでっち上げられて、一時は逮捕された村木厚子さんは潔白が証明された訳で「終りよければ、…。」の一人であろう。
 将棋界は今年の対局は昨日が最終日だったが、筆者の贔屓の郷田真隆九段は大事な王位戦の一次予選の決勝で、三浦弘之八段に敗れた。このところ、調子を戻してきていたようだったが、極めて痛い一敗だ。「終りよければ、…。」にならなかたことでがっくりである。これでは、新年早々から始まる名人戦予選での不安が先行し、下手すると、A級からの陥落も心配しなくてはならない。ファンとしても辛い年越しだ。
 余談だが、筆者にとっての今年は、妻の付き添いに病院の往復に終始した毎日だったが、その症状は少し落ち着きを見せては来ているが、「終り良ければ、…。」には該当するような状況にはない。この難病との戦いは、来年にも、再来年にも延々と続くのだ。頑張るのみである。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、60.4Kg.寒さはマイルド。お天気は午後に崩れる予報だ。
 昨日の雅子は、明け方に少し熱があったが、少しクーリングを受けて平熱に戻った。比較的痰も少なく、安定していた。午後は、いつものように1時間ぐらい館内をリクライニングつき車椅子で散歩した。この日も、午後には気分が良いのか、一考の顔をよく見てくれていた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(68)
  第二部 自宅介護(28) 第二章 症状悪化への序奏(14)

(2)社会保障恩恵への道(その4)
 身障者への社会保障制度はいろいろと政治的にも話題が多いが、それでも、自分達がその恩恵を受けることが出来て感謝している毎日である。その一方で、身障者をサポートするという同じ目的を持つ制度でありながら、それぞれの保障サービスが、縦割り行政の弊害で、異なった窓口、申請書書類は多くで重複していて、多くの利用者は不便を感じているはずだと一考は改めて思うのだった。
 中でも、医師の診断書はそれぞれが違った形式での作成を何通も依頼しなければならず、その辺り、もう少し合理化が図られないものかと、自分が当事者になって初めてその不便さを実感したのだった。特に、今後、定期的な更新毎に、診断書作成は必要であるだけに、一枚の診断書で全てをまかなえる制度への改革を是非検討して欲しいとの思いを強くするのである。
 そようなな不満はあるものの、遂に、我々にも身障者としての証を受けとることになった。結果的には、特定疾患患者手帳(難病認定)の方が先に届いた。申請後およそ一ヶ月半後の8月18日で、思ったよりは早い入手だった。一方の、身障者手帳は、診断書の記入が不十分であったため、再記入が必要となって病院に差し戻された経緯があったようで、手帳が入手できたのは、ずっと遅れて、10月6日になってからだった。何しろ、春日先生が超多忙で、診断書の作成に時間がかかっていたからでもある。
 一方、介護保険の認定であるが、65歳以下でも、その必要性が生じた場合には、申請できるのだったが、一考の知識不足で、何ら手を打っていなかった。8月に入って、たまたま、雅子の姉の霧子さんからのアドバイスがあって、急遽、その適用申請を行なった。
 そこで分かったことは、この介護保険の取り扱い窓口は、市役所の高齢福祉・介護課で、身障者手帳の窓口とは別である。一考の「急いで」という訴えがも聞き入れられて、翌日には専門家の来訪を得て、緊急の審査が行なわれた。ここでも、医師の診断書が必要だったが、幸いにも、この場合には、春日医師の速やかに作成が頂けたことで、手続きは順調に進み、10月初めに保険書を受領することが出来た。
 かくして、身障者手帳、特定疾患患者手帳 介護保険の三種の神器が揃ったことで、それぞれに基づく幾つかの特典、サービスを受ける準備、手続きを開始することになった。
 最初に受けた恩恵は、特定疾患患者手帳の入手で、医療費の負担が大幅な軽減をされたことだ。手首のジストニア(固縮)を柔らかくする高価な治療費が軽減されたことは有難かった。また、お薬代がその恩恵を受けたことも大助かりだった。
 次に、受けたサービスは、介護保険認定による各種サービスである。介護用具の賃貸、手摺や段差解消工事などのサポート、ショートステイなどのサービスを受ける権利が得られて、早速、ケアーマネージャーのアドバイスを得て、順次、具体的なサービス提供を頂戴することになった。詳細については、後述の予定である。
 もう一つの身障者手帳では、介護保険のサービスが優先されるために、限られたサービスに限定されるが、ガソリン代の割引サービスが得られたことや、その後、10月になって、障害者基礎年金への申請が可能だということを知り、その申請をも行なった。ここでも、医師の診断書が必要だった。数えてみると、医師の診断書は、身障者手帳、特定疾患患者手帳、介護保険、それに障害者年金の四種も別々の診断書が必要なのである。それだけに、共通のものにして欲しいという願望は強い。
 この他にも、滋賀県内で有効な「福祉慰労費受給券」を頂き、マッサージのサービスを格安で受けることが可能になった。これは、今後、大いに活用させてもらうことになる、
 いずれにしても、今までは、税金を払う一方であった立場から、税金の恩恵を受ける立場になって、社会保障制度の有り難さを実感しつつある。大きな不幸の中にいるが、小さな幸せを味わさせて頂くのである。(以下、明日に続く)

1472 とにかく、ほっとした気持ち

 溜飲が下がったという訳でもなく、そうかと言って無念で堪らないといった訳でもなく、とにかく、一息つけて、ほっとした気持ちを味わうことは、誰にもよくあることだ。

1.独り言コラム
 注目の女子フィギュアの全日本選手権は、一時はトップに立った浅田真央選手だったが、土壇場で安藤美姫選手の素晴らしい演技で逆転を食らって、惜しくも2位に終った。しかし、不安だったジャンプも、この日も無難に飛んで、長い不振のトンネルを抜けて自信を取り戻すことが出来たのは何よりだった。そして、若しかしたら、5連覇もできるのではとの思いも抱いていたかもしれない。しかし、この日の安藤選手は非の打ち所のない完璧な演技だっただけに、結果的に2位に甘んじたのは止むを得なかったと思う。
 とにかく、優勝は出来なかったが、あの悪魔のようなトラウマの呪縛状態から脱出できたことは大成功で、ほっとした気持ちを味わっていただろうと思う。来年3月の世界選手権での優勝を目指して頑張って欲しい。なお、若手の村上佳菜子選手もよく健闘し、オリンピック選手だった鈴木明子選手の上の3位に食い込んだのはあっぱれだった。彼女も、別の意味でほっとした気持ちを味わったことだろう。
 さて、アースマラソンに挑戦中の間寛平さんが、今日、いよいよ青島にゴールして、ユーラシア大陸の横断を終える。大阪をスタートして741日目での快挙となる。この間、日本国内で692Km、アメリカ大陸横断で4830Km、ユーラシア大陸横断で昨日までに14657Kmを走り切り、今までに走った総距離は、およそ20179Kmという大変な距離である。因みに、あの前立腺の手術をして再開後に走った距離が6890Km,その内、中国横断が4891Kmで、ほぼアメリカ大陸横断と同じ程度の距離を走っている。
 そして、いよいよ、来年の1月4日に福岡に上陸し、大阪までのおよそ600Kmを走って晴れのゴールとなるが、間寛平さんの今の気持ちは、やはり「ほっとしたもの」ではなかろうか。とにかく、癌という厄介な病を克服して、よくぞ頑張り通したと思う。
 大桃美代子さん、麻木久仁子さんの二人の知性派タレントのジャーナリストの山路徹氏を巡るバトルも、その張本人の山路徹氏の昨日の記者会見で一段落した。山路氏は、要するに、自分から大桃さんに正直な気持ちを言えなかった自分の弱さが全てだとし、責任はすべて自分にあると答えていた。馬鹿な記者がいて、麻木さんと初めて男女の関係になったのは何時だと質問していたが、そんなプライベートなことに答える必要はないと一蹴したのが、さすが、ジャーナリストだと思わせる一面だったようだ。
 いずれにしても、この会見で、関係者の三人とも、とにかく、ほっと一息ついたのではなかろうか。生々しい男女の関係は、これ以上取り上げることもなかろう。一段落で、めでたし、めでたし、である。
 因みに、昨日放送された日本テレビの教科書クイズ大会で、麻木さんは並み居る強豪を破って、堂々と優勝していた。恐らく、このスキャンダルが出る前の録画だと思うが、なかなかの頭の良いタレントだ。しかし、視聴者の一人として、今までよりは、麻木さんにダーティな一面を感じながら見ていたことは否めない。筆者も、今後、今まで通りのファンで入られるかどうかは分からない。
 今年が最終回となった漫才のグランプリ大会M-1は、「笑い飯」が悲願のグランプリを獲得した。今年が10回目だが、9回連続で決勝大会に顔を出している常連ながら、ずっと優勝を逃して来ただけに、とにかく、ほっとしたものを感じているだろう、と書いては見たが、実際には、そうではなく、もっと強い感動で溜飲を下ろしていると言うのが、本当の気持ちかもしれない。おめでとうと同時に、ご苦労さん、と申し上げておこう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時半起床。体重、60.7Kg.寒さは昨日より少し緩んでいる。予報ではお天気は良さそう。
 昨日の雅子は、痰の出方もマイルドで、目を覚ましている時には、じっと大きな目で筆者を見つめてくれている時間がいつもよりもずっと長かった。
 ところで、このところ、彼女の」中学校、高校時代の校歌を探して来て、譜面を見ながら唄ってあげているのだが、何しろ、譜面を読むことをやったことがない筆者だけに、間違っていると思われる箇所では、珍しく笑って反応してくれたことで、ちゃんと理解してくれているということの証であり、ほっとした嬉しさを覚えていた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(67)
  第二部 自宅介護(27) 第二章 症状悪化への序奏(13)

(2)社会保障恩恵への道(その3)
 リフォーム工事が始まって数日後の2006年5月29日に、病院の二人の先生からお聞きした身障者手帳と特定疾患患者手帳などの社会保障の具体的な申請手続きの詳しい話を聞くために、一考は勇躍として市役所に出向いた。自宅から車で10分程度の近い距離にある。
 総合受付で担当の窓口を確認すると、身障者手帳については、市役所の障害福祉課が窓口だったが、特定疾患患者手帳(難病認定)については、市役所ではなく、保険所の扱いであると教えられた。この辺り、行政の縦割り制度の良くない仕業なのだと思いながらも、差し当たっては、それに沿った対応は止むを得なかった。
 そこで、まず、市役所の2階にある障害福祉課を訪ねて、身障者手帳の申請手続の方法などについての話を聞いた。担当してくれた人は大変親切で、分かり易く説明をしてくれた後に、申請に必要な書類を手渡してくれた。
 一考は、事情が分かったことで、ほっとして市役所を出ると、その足で保険所に向かった。大津保険所は湖岸沿いの通りを石山方面に進んで、プリンスホテルの入り口への取り付け道路の二、三本手前の通りを、琵琶湖岸寄りに入った一角にあった。市役所からは車で10分少々の距離にある。一考は、ここでも、特定疾患患者手帳の申請手順などについて親切で丁寧な説明を受け、必要な書類を入手した。
 二つの窓口で感じたことは、身障者ということで、その立場を慮って頂いているようで、窓口の担当者の親切でやさしい姿勢での応接を受けて、何となくほっとした嬉しい気分を味わった。
 ところで、この二つの申請は、それぞれ、申請書などの固有の書類や写真、戸籍抄本の他に、医師の診断書を準備する必要があった。審査では、その医師の診断書が、いずれの場合にも、その認定判断の鍵になるものだろうと一考は解釈するのだった。厄介なのは、この二つの診断書は、記載内容には大差がないものの、それぞれ形式が少しずつ違っていて、別々に作成してもらう必要がある。それだけに、多忙な春日先生の対応が心配だった。
 なお、一考は、この種の社会保障の全体像について、纏まった知識を持っていなかったことから、この時点では、介護保険の認定申請については、一考の頭の中から完全に欠落していたのだった。言ってみれば、一考の対応は、断片的な知識に基づく、いわば、パッチワーク的にもので、非効率な泥縄式の対応だった。
 ともかくも、一考は、翌々日には武田病院を訪問し、二種類の診断書の作成を緊急依頼した。しかし、肝心の春日先生は、案の定、超多忙で、出来上がった診断書を入手できたのは一ヵ月後の6月27日だった。待ち構えていた一考は、その翌日に、他の必要書類を揃えて市役所と保険所にそれぞれ申請を行なった。そこでの説明では、それぞれの手帳の入手には、多分、2~3ヶ月は掛かるだろうというのんびりしたものだった。
 一般論として、この種の申請者は急いでいる場合が多いはずである。折角の有難い保障体制も、手続きで数ヶ月も掛かるようでは、患者のニーズにタイムリーに適用できない。この辺りのスピードアップが、もう少し何とかならないものかと思う一方で、立場を変えて考えると、貴重な税金を使わせて頂く訳だから、それなりの慎重な審査は避けて通れないことも確かであって、審査に時間が掛るのは、いた仕方ないと考え、一考は複雑な心境になるのだった。(以下、明日に続く)

1471 バトル

 スポーツ、論争などで見られるバトルにも、楽しく、感動が出来るバトルは大歓迎だ。その一方で、口汚く罵りあうバトルは頂けない、と言いながら、野次馬的にそれを楽しむ場合もある。

1.独り言コラム
 昨日の朝の読売テレビの「あさパラ」という番組で、小沢一郎氏の国会への対応に関し、コラムニストの勝谷誠彦氏と辛口の評論家として活躍中の若一光司氏が、生番組で激しいバトルを行なった。
 三日前に2時間半にも渡って小沢氏と夕食を共にした間柄の勝谷氏が、小沢氏の立場を庇う発言を繰り返し行なったことへの若一氏の反発だった。進行役のハイヒールのりんごちゃんや桃子ちゃんが割って入って治まったものの、ちょっとした面白いバトルだった。病院で見ていた筆者の印象は、どうやら、勝谷氏は、まんまと小沢氏の術中に落ちてしまい、今や、数少ない小沢氏の貴重な番犬になってしまっているようだ。
 筆者は、勝谷氏のファンではあるが、同氏の発言には、時々過激すぎるところが出ることがあって、不安が付き纏う。言ってみれば、その辺りが同氏の魅力なのだが、…。
 それにしても、あの場面で、悪びれることなく、堂々と反論を展開した若一氏の対応は大したものだと思った。顔はでかくてがめつそうだが、正義を主張できる、しっかりした立派な大人のコメンテーター(評論家)である。加えて、司会のりんごちゃんは、頭の回転も良く、その役柄を弁えて善戦し、うまく立ち回っていた。
 その張本人の小沢一郎氏は、昨日、都内のホテルで菅総理と顔を合わせた。連合の古賀伸明会長の呼びかけによるものだが、それぞれ岡田幹事長、輿石東参院会長などの取り巻きも同席したというが、二人は直接には視線を合わせることもなく、その亀裂は埋まることはなかったようだ。このバトルは、今のところ収め方が見つからないといった状況にある。これでは、政治の停滞が続くことになり、困ったものである。
 男女3枚の世界選手権への出場権の切符を巡って、激しいバトルが展開されているフィギュアの全日本選手権は、男子は、昨日で決着がつき、今までのビッグ3の小塚崇彦、織田信成、高橋大輔のお三方が上位3人を占めたが、期待の新星の羽生結弦さんは無念にも4位に終った。順当といえば順当な結果だった。羽生さんは悔しいだろうが、若いだけにまだまだ明日があって心配はない。
 一方の女子は、このところ絶不調の浅田真央さんが復活ののろしを上げたようだ。ジャンプが飛べないことでトラウマ状態に陥っていたが、昨日の演技で、その不振の呪縛から漸く離脱することが出来たようだ。ショートプログラム(SP)を終えた時点だが、久し振りにトップに立って、笑顔を回復していた。ここでもシニアの覇者である期待の村上佳菜子さんの活躍が注目されているが、SPを終った時点では、安藤美姫さんに次いで3位と頑張っている。もう一人の期待の鈴木明子さんが、今一つ振るわず5位に甘んじている。今日の自由演技がバトルの頂点を決定する大事な戦いだ。浅田真央さんの頑張りに期待ししたい。
 なお、麻木久仁子、大桃美代子の二人の知性派タレントが、実業家、山路徹氏を巡って、引き続き面白いバトルを見せてくれている。昨日は、麻木さんから山路氏と婚姻関係にあった事が追加報告されたが、最初の会見で公表していなかった辺りに、麻木さんの心の揺らぎが見え隠れしている。その麻木さんの報告の中に、相手の立場を慮ったやわらかい嘘は許されるとする独自の論理を展開しているようだが、それは、まさしく自己弁護的な詭弁である。今日の夕方には、その二人を手玉にとった張本人の山路徹氏が記者会見するという。このバトルは、まだまだ面白い展開を見せてくれそうだ。改めて、大桃さん頑張れと記しておこう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 5時10分起床。体重、61.2Kg.風が強くて寒い。日中の最高温度が5度の予報。お天気は晴れ時々曇りのようだ。
 昨日の雅子は、まずまずの様子。午後には、車椅子での散歩。ご機嫌もまずまず。

3.連載、「難病との闘い総集編」(66)
第二部 自宅介護(26) 第二章 症状悪化への序奏(12)

(2)社会保障恩恵への道(その2)
 その一週間後に一考と雅子は、醍醐にある武田病院の津島医師を訪ねた。春日先生に紹介を受けてから10日ほど経った5月末のことだった。アメリカで学んできたと言う津島医師は、まだ四十そこそこの若い研究員といった感じで、如何にも最新の技術を蓄えてきているといった頼もしさが感じられた。力強さと知的な香りが溢れていて頼りになりそうだというのが、一考と雅子の第一印象だった。
 「春日先生には大学で教えて頂き、大変お世話になりました。その関係でこの分野の研究に携わることになり、先生の勧めもあって米国で最新技術を学んできました。少しでもお役に立てれば幸いです」津島医師は、自己紹介を兼ねた丁重な挨拶の後、雅子の症状を慎重に診察した。そして、予備確認として、認知症のテストや指の動きの確認を行なった。
 認知症のテストは、マニュアル化されているようで、自分の生年月日、今日の日付、100-7から、順次7を引いてゆく暗算をさせる単純なものだった。聞いていて、何だか馬鹿馬鹿しいように思えたが、それが標準の確認方法らしい。無難にこなした雅子は照れ臭そうに笑っていた。続いて、津島医師は、右手の具合についても、確認のチェックを行った。影絵を作る際の「きつね」の形をさせるのだが、なんと、悲しいことに、それが今の雅子には出来ないのである。うまく指が動かないのだ。
 「右手にも、病気の進行が窺われますね」津島医師の診断に、一考はショックを隠せなかった。雅子の今の生命線である右手にまで悪化が進めば、雅子は何もできなくなるではないか。一考は想定外の悪化の兆しに驚きと不安を覚えるのだった。
 一通りの診断を終えた津島医師は、今後の治療の進め方について話してくれた。
 「今の症状から判断して、薬を注射することで、固縮(ジストニア)部分の筋肉を柔らかくすることは可能でしょう。一度の注射で、大体、2,3ヶ月は効果が持続すると思われます。少々、高価な薬ですが、如何されますか?」柔らかい口調での丁寧な問いかけだった。
 「今は、可能性があるものにはチャレンジしてみたいと言うのが私の考えです。宜しく、お願い致します。ところで、効果持続が2.3ヶ月ということですが、そのタイミングで注射を繰り返すということでしょうか?」第一印象で、同氏への信頼感が強かったこともあって、一考は躊躇なく、津島医師の提案を受け入れると同時に、先行きのことを確認した。
 「そういうことです。その柔らかさを維持するには、大体、そのタイミングで打ち続けることになります。経費の面で大変だと思いますが、難病の認定を取得されれば、値段は大幅に安くなるはずです」
 「難病の認定ですか? 先日、春日先生からは、障害者手帳の取得を申請することで、ご了解を得たところですが、それとは別なのですね?」
 「そうです。それとは別で、正確には特定疾患患者の認定です。詳しくは市役所で確認して下さい」
 有難い情報だった。この日に津島先生からそのお話を聞かなければ、ずっと知らないままに通院を続けることになっていたかもしれない。後日、この認定を受けることで、パーキンソン病に関する治療費は、およそ1/3になるという社会保障制度の存在を知ったのである。そして、その後になって、その症状が重症であれば、重症の認定を受けることで治療費は税金で賄われると言う手厚い制度があると知るのである。知らなければ、大変な医療費に悩まされることになった訳で、この津島先生の示唆が大きな切っ掛けを頂戴したのだった。
 この日は、予備的な処置として、左手の固まっている手首の辺りに少量の薬品の注入が行なわれ、その効果の確認が行なわれた。如何にも痛そうな注射だったが、雅子はぐっと堪えて頑張った。暫く様子を窺っていた津島医師は、指の動きをチェックし、少し柔らかくなっていることを確認した。
 「大丈夫なようですね。今打ったのは、短期効果がある筋肉を麻痺させえる薬です。来月に、今一度、今日と同じ麻痺薬をもう一度打って確認をしてから、本格的な治療は8月から始めることにしましょう」
 津島医師は、しっかりとした口調でそう言って、数枚の書類を取り出して一考に手渡した。それは、この治療の実施を許諾する患者サイドの了解証だった。先生は、それをよく読んで、同意頂けるならサインをして次回に持って来て欲しいとおっしゃって、その日の診察と処置は終った。一考と雅子は丁重に礼を言って診察室を後にした。気分は良好だった(以下、明日へ続く)

1470 略奪婚

 広辞苑には、原始社会または未開民族の間などで、女性を奪取して妻にすること、とあるが、ウイクペディアには、それに加えて、夫または妻の居る人に求婚して成立した結婚、ともある。

1.独り言コラム
 一人の男性を巡る二人の女性の戦いの事例には、枚挙に暇が無い。不謹慎な言い方だが、野次馬的には、なかなか面白い生の人間ドラマだ。
 今回の、実業家、山路徹氏を巡る元妻の大桃美代子さんと麻木久仁子さんとの二人のタレントの論争はなかなか面白い。
 切っ掛けは「自分達の離婚の原因は麻木さんではないか」という主旨の大桃さんのツイッターで始まった。それに対し、一昨日には麻木さんが、弘中淳一郎という大物弁護士を伴って会見、それを受けて、昨日は大桃さんが単独で記者会見を行なった。なかなか、面白い対決となっていて、次に山路さんが正式に語れば、ワンラウンドを終えることになる。
 知性派タレントで売っている二人だけに、互いにしっかりした主張を展開している。大桃さんの主張は、自分達がまだ離婚していない状況の中で、夫と麻木さんとの関係が始まっていたことを指摘、それに対し、麻木さんは、山路さんが、大桃さんとの関係は実質的に破綻していたと言ったことを取り上げて、自分達には非がないとしている。この点で、麻木さんの弘中弁護士が最高裁でも、その種のことでは不倫に当たらないという事例があると援護射撃していたが、…。
 要するに、大桃さんは、元々は別れたくなかったのだが、自分の存在が同氏の邪魔になってはということで身を引いたのだという。
 今までは、麻木さんのファンであった筆者だが、今回のこの二人の会見を聞いて、一転して、大桃さんの主張をサポートしたいと思う。しぶとさの麻木さんよりは、真面目に弁護士なしの単独で応接する大桃さんの方が、人間味があると感じたからである。それにしても、会見に出て来ている芸能レポーターという連中の正義感ぶった愚問、しつこさ、頭の悪さにうんざりとしたものを覚えた。奴らを野放しにして置くのは考え物だ。
 この種の事件で思い出すのは、かつて(ほぼ20年ほど前)、俳優の大竹しのぶさんと歌手の中村晃子さんの二人が、TBSのディレクターの服部晴治さんを巡る戦いである、夜の六本木で二人が直接言い合った話は、ゴシップとしても有名なものだった。結果は大竹さんが結婚に漕ぎ着けたが、その服部さんが胃がんで早世してあっけない幕切れとなった。しかし、神様はなかなか味な演出家で、その服部さんの早世で、大竹さんに、明石家さんまさんとの結婚という愛の劇場を提供し、IMALUさんというタレントが誕生しているという現実がある。
 そう言えば、前総理の鳩山由紀夫夫人の幸さんは、鳩山総理の略奪婚だった。略奪されてファーストレディになった幸さんだったが、その在任時での評判は芳しいものではなかったようで、日本国としては、鳩山由紀夫内閣が短命に終ったのは幸いだった。
 いずれにしても、略奪と云うプロセスが二人の愛を一層高揚させるのだろう。今朝は、「大桃さん、頑張れ」と言っておこう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、61.2Kg.今朝は一段と寒い。お天気は、晴れたり、曇ったりの予報だ。
 昨日の雅子は、痰が少し多くて辛かったようだ。午前中は、金曜日のいつもの段取りで、身体を拭いてもらって、すっきり。午後は、少しテレビを聞いて楽しんだが、それ以外は寝たきりの一日だった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(65)
 第二部 自宅介護(25) 第二章 症状悪化への序奏(11)

(2)社会保障恩恵への道(その1)
 手首骨折後の雅子の症状変化は急激だった。歩くのにも多少のサポートを必要とするようになって来ていたし、何事も一人で行なうのが、難しくなり始めていた。物を持つのも覚束なく、電話の際も自分で受話器をしっかりと握れなくなりつつあった。
 たまたま連休に静岡から里帰りしていた妹の美希子から「障害者の認定が受けられるのでは?」とのアドバイスをもらったのだが、正直言って、この時点では、一考は、その種の社会保障の仕組みには、全くの不案内で、皆目知識を持ち合わせていなかった。
 そういう事情から、連休後の5月16日の定期診断は、一考には大変有意義な機会となった。それというのも、春日先生から、その種の一考の問い掛けに、専門医の紹介や具体的な対応についての貴重なアドバイスが受けられたからである。
 この通院日に先んじて、岩森医院で、負担になっていた雅子の左手のギブスを5月11日に外してもらっていたのだが、ギブスで押さえついけられていた手首が、指を握ったまま、筋肉ごと固まった状態に変形していた。そんな異常な症状下で、パーキンソン病の特徴である「足の竦み(すくみ)」が顕著に出始めたのだった。ちょっとした段差や障害物に出くわすと、足が動かなくなるのだった。
 それまでは、電車での通院でも、多少の気遣いは必要だったが、特別な介護的なサポートは必要ではなかった。しかし、この日の通院では、状況は大きく違っていて、電車やエスカレーターへの乗降時に、足が竦んで立止まってしまう症状が出てきたのである。春日先生には、雅子のカチカチに固まっている左手を見せながら、一考は、このところの急激な症状の変化を説明して、然るべきアドバイスを求めた。
 「足の竦みは、この病気の特徴なので、病気の進行に伴って、それが顕在化し始めたのでしょう。また、筋肉がカチカチに固縮するのは、ジストニアと言うんですが、これも、この病気の特徴で、それが、長期間ギブスで締め付けられていたことで、この固縮が促進されたのだと思います。前にも一度お話しましたが、この固縮をほぐすのに、局部的に薬を注射する方法があります。私の元部下が、これを扱っておりますので、一度、試しにやってご覧になりますか?」
 そう言えば、昨年末の診察時にそんな話を聞いたことを一考は思い出した。その時は、まだその必要性について、それほど深刻になっていなかったので、そのまま聞き流していたのだった。そこで、一考は躊躇することもなく「お願いします」と即答した。それを聞いた春日先生は、直ぐに携帯を取り出して連絡を取り、即座に紹介状をしたためて手渡してくれた。宛名は津島先生となっていた。
 「彼は、徳島大学病院の神経内科におりますが、週に一回、醍醐にある武田病院で診療しています。具体的な日程は、直接連絡を取って決めてください」この前の滋賀医大のMRS診断の件といい、春日医師は、さすがにその道の権威で、豊富な人脈を持っておられると一考は一目置くのだった。
 一安心した一考は、もう一つの気掛かりな課題の身障者に関することについても、先生のアドバイスを仰いだ。先生も、今の雅子の症状から、その申請のタイミングに来ているというご判断で、直ぐに申請することを勧められた。具体的には、市役所で必要な書類をもらって申請するという手順だという。その際に必要な診断書は作成するとおっしゃって頂いた。
 一考は、満足した気分で診察室を出た。待合室は相変わらず混んでいたが、気になっていた二つの課題に貴重な対応が得られて、一考の気持ちはす久し振りにすっきりしていた。
 なお、この日を機に、通院時でのJRの利用には、駅のエレベーターを使うことに切り替えた。足の竦み対策である。(以下、明日に続く)

1469 その「心」は?

 お笑いのWコロンの「ねづっち」という方のキャッチコピーの「整いました」というフレーズが流行っている。同氏の謎掛けの能力、才能は抜群で、「その心は?」には、なかなかの傑作が多い。とにかく、そのスピーディな創作力と着想には定評がある。今朝は、幾つかの話題の「その心」を取り上げてみた。

1.独り言コラム
 駐露大使が更迭される。先のメドレージェフ、ロシア大統領の北方領土訪問に対する情報収集能力が極めてまずかったことがその表向きの理由だそうだ。事件直後に一時帰国を命じられた河野雅治大使だったが、菅総理は珍しく手早く、更迭という強い姿勢に打って出た。しかし、今回の更迭の本当の「心」は、自らの政府のまずかった外交姿勢を取り繕うための、その場凌ぎの対応だという見方もある。
 朝鮮半島が緊迫する中で、昨日、韓国軍は実弾を使った大規模演習を行ない、市民ら2000人に公開した。北朝鮮の奇襲を想定し、冬季の演習としては最大規模のもので、同国の万全の防衛体制を誇示し、国内を落ち着かせる狙いがあったようだ。
 一方、李明博大統領は、北朝鮮の最前線部隊を訪問し「奇襲攻撃を受ければ、容赦なく対応すべきだ」と指示したという。こういった一連の動きの「心」は、あくまでもそれまでの北への弱腰外交を払拭するところにあったと思われる。
 昨日のコラムニストの勝谷誠彦氏の有料ブログによると、一昨日、同氏はあの小沢一郎元民主党代表と2時間半に渡って差しで呑んだという。二人の間には、参院選の時には、立候補を要請されて、勝谷氏が断ったという経緯があったというから、元々懇意な仲であることは確かだ。会談では、諸問題について語り合い、この夜も、多くの課題の見方で意気投合した様である。
 ところで、この時期に小沢氏がわざわざ勝谷誠彦氏と話し合ったその「心」は、小沢氏が同氏の智恵を借りたと言うよりは、同氏を使って何かを訴えたかったと見るべきだろう。ブログを見る限り、勝谷氏も小沢氏から声を掛けられて満更でもなかったことは確かであり、二人は、ものの考え方でもその大半で一致していたことのようだ。つまり、二人は出来ている関係であることは確かなのだが、それでも勝谷氏の姿勢は、テレビなどでは、表向きには、それなりの距離を置いた形を装っている。そうした中で、今回の会談で、小沢氏が勝谷氏を通じて何を使えたかったのかの本当の「心」は、今一つ読み切れない。
 さて、今日から全日本フィギュア選手権が行なわれる。昨日はその練習振りが公開されたが、注目の浅田真央選手は、三回転のジャンプを決めて復調ぶりを見せていたようだ。彼女の今の「心」は、表も裏もなく、「今度こそは」という復活への強い意志でいっぱいなはずである。筆者としては、復活の浅田真央を信じたいが、…。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.3Kg.お天気は良くなさそう。
 昨日の雅子は体調は良かったようだった。顔もきりっとした利巧そうな顔だった。午後には散歩、その直後には、実兄ご夫婦のお見舞いもあって、しっかりと目を開けて対応していた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(64)
  第二部 自宅介護(24) 第二章 症状悪化への序奏(10)

(2)症状悪化への引き金(その6)
 その骨折の二日後に、一年ぶりに滋賀医大でのMRS追跡検査を受けた。いわゆる定量分析による悪化の進捗具合を知る事が可能と云うことで、一考の期待は大きかった。手首の骨折が検査に支障があるのではと心配したが、幸いにも、それは杞憂で、検査は予定通り実施された。但し、この日も検査機器の空き時間の関係で、検査は夕方6時半頃から始まり、終わったのは8時近くになっていた。前回よりも長時間を要したが、新たな項目についての検査が加わったためと言うことだった。
 その結果は、4月13日の定期診断時に春日医師から聞くことが出来た。それによると、運動能力関連機能は、この一年で大幅(30%程度)に低下していたが、知能部分の能力には殆ど低下が認められなかった。このことから、今後も手足の動きが更に悪くなることが懸念されるが、その一方で、一考が気にしている頭の働きに関しては、当面は無難だろうということのようで、大きな不幸中の小さな幸いを思うのだった。
 この間に、岩森医院で骨折部の点検、診断を受けたが、幸い、骨はうまく繋がってくれたのだが、手首の形状が少し歪んでいたので、その補正などの調整を行なってもらった。しかし、腕の筋肉が硬くなり、その動きが悪くなり始めていたので、一考は、ギブスを外した以降の腕の動きを心配していた。
 この頃になって気が付いたことは、足が自由に動かなくなり始めたことだった。捻挫でギブスを着けていたのが影響したのか、正座が出来なくなり、足の形も少し歪んでいるように見えた。特に顕著な変化は、僅か数センチの段差にも足がスムーズに動かず、移動には、結構な時間を必要とするようになったことだった。歩行の先にちょっとした障害物があると、反射的に足が竦む(すくむ)症状が目立ち始めた。これが、パーキンソン病の特徴である「振るえ」と並ぶ典型的な特徴の「竦み」だそうだ。振るえは、お薬で多少は抑えることが出来るが、竦みは厄介だった。段差や障害物が目に入るだけで、魔物に取り付かれたように、足が動かなくなって立ち止まってしまうのだ。
 特に、風呂に入るのが厄介だった。バスタブへの出入りの際に、まず右足を上げるのだが、その時にバランスを崩し易く、身体を支える必要があり、一方では、左手をサポータで吊り下げていることから、左足を持ち上げるのも容易ではなく、とても厄介な仕事が加わったのである。
 そんなことから、二階に日常生活の主体を置く生活スタイルには無理が出始めた。早急にその対策を講じる必要が出て来たのである。一考は、どうするかについて、迷っていたが、その選択は限られていて、新しく住まいを求めるか、或いは新築若しくはリフォームを行うかの選択しかなかった。
 腐心する一考の考えは堂々巡りをしていた。新築といっても、この土地は母親のもので、今でも借りている状況にある。他の女姉妹の手前、勝手に新築なんて考えられない。この機会にマンションを購入することも考えた。タイミング良く、駅の近くのスーパー、ジャスコの前に豪華なマンションの建設が計画されていて、場所的にも購入には絶好の物件だった。念のため二人で、モデルルームを見に行ったのだが、見ているうちに「これなら」という魅力的な部屋が空いていたので、衝動的に借り予約してしまったのである。
 しかし、帰って来てから、二人のこれからの具体的な生活のことを考えると、そのリアリティのなさに逡巡し、大いに戸惑った。つまり、もしそのマンションで住むとなれば、母を一人ほっておくことになってしまう。それは長男としての責務を放棄することになり、結局は、その仮予約したマンションは、数日後に断った。
 そんな或る晩、雅子が「手が痛い」と訴える夢を見て目が覚めた。四月半ばのことで、一考は、早急な決断を余儀なくされ、今の建物のリフォームしか現実的な対応策がないという結論を出さざるを得なかった。
 早速、以前にこの家の建築を頼んだプレバブメーカーに連絡を取って、その対応を協議した。一考からは 寝室、リビング、キッチンを一階に移動させ、バスを身障者用に作り変えたいと申し入れた。メーカーの担当者からは、この機会に経済的に有利なオール電化に切り替えの勧めがあり、それをも受け入れて、両者で正式な契約を締結した。ゴールデンウイークを直前に控えた四月末のことで、その時点では、雅子がまだ左腕にギブスをしたままの状態だった。工事屋さんの都合で、工事は五月末からの着工となった。

1468 パーフォーマンス

 広辞苑には、全ての表現方法の総称、遂行、成果などの意味が紹介されている。形だけのジェスチャーといった揶揄する場合と 逆に成果の良さを意味する場合がある。

1.独り言コラム
 菅総理が12月14日に硫黄島を訪問し、遺骨収集活動を視察して献花したという。日本兵、22000人が戦死したと言われているが、遺骨の収集は8700人程度ということから、未だに多くの戦死者が眠っているということになる。そういう意味では、遺族にとっては、まだ戦争が終っていないのだ。
 この問題を昨日の関西テレビの夕方のニュース番組「アンカー」で、シンクタンク独立総合研究所の青山繁晴氏が取り上げて解説していたが、最後には涙ぐんでいたのが気になった。同氏の話しでは、今までの調査で、多くの遺骨が滑走路の下に存在していることが判明しているという。問題は、その収集方法で、滑走路を掘り返さずに、その横から穴を掘って引きずり出すという方法が検討されていて、青山氏は、それでは、遺骨が更に壊れ、ばらばらになってしまうと憂い、悲しんでいたのだ。
 国内外に、課題山積の多忙な中で、在島時間が一時間足らずという菅総理の訪問は、単なる支持率回復を期してのパーフォーマンスだと揶揄する向きもある。まあ、総理ともなれば、何をやっても批判が出て来るのは止むを得ないのだろう。一方、筆者は、青山繁晴氏の涙もニュース解説としては、少し過剰な反応のパーフォーマンスだったように思えたのである。
 尖閣ビデオを流出させた一色正春氏が国家公務員法違反で書類送検された。海上保安庁は、一色氏に一年休職処分を決めたものの、本人は直ちに辞職したという。昨日の報道では、きちんと顔を出して放映した局(例えば、フジテレビ系列)とそうでない局(例えば、NHK、日テレ系列)があった。初めて同氏の顔を見たが、なかなかの堂々とした様子で、ちょっとしたインパクトを感じた。同氏は年明けにも起訴猶予となるようである。今回の、同氏の取った一連の行動は、なかなかのかっこいいパーフォーマンスだったと思う。
 知的なセンスで売っていたタレントの麻木久仁子さんだが、大桃美代子さんの元旦那さんとの不倫について、昨日記者会見し、同氏との交際があったことを認めた。スキャンダルという立場に追い込まれると、さすがに、才叙女の麻木さんも、その売り物の知的なイメージも褪せてしまい、彼女の今までの優れたパーフォーマンスにも傷がついて壊れてしまったようだ。要するに、海老増蔵さんと同様に、スターのイメージは壊れやすいものだ。大きな傷に至らずに立ち直れるかどうかだが、なかなか強気で明快に説明していたことから、大丈夫かもしれない。
 さて、人気者の石川遼選手が、自分が使っているクラブの提携先である新潟県にあるヨネックスの工場を訪問し従業員からの大歓迎を受けていた。握手をしたり、記念撮影をしたり、若きスター選手のパーフォーマンスには輝きがあって素晴らしい。
 珍しく滋賀県が全国ニュースで取り上げられた。守山市で起きた女性殺人事件である。事件は元交際相手の犯人が交番に出頭してスピディーな解決となった。守山警察署のグッドパーフォーマンスといえるのではなかろうか。
 単なるパーフォーマンスでなく、実のあるパーフォーマンスは大いに歓迎である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、61.0Kg.朝の寒さは厳しい。天候はまずまずのようだ。
 昨日の雅子だが、まずまずの一日だった。午後の散歩時に、あるご夫婦の慰問で、ギター演奏があり、雅子も車椅子で視聴した。かつて、学生時代にクラブに入っていたこともあって、それを思い出すような様子でじっと聞き入っていた。この間、一時間近くは、痰も出ることもなく安定していた。入院して、初めてのイベントで、気分転換には格好の機会だった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(63)
  第二部 自宅介護(23) 第二章 症状悪化への序奏(9)

(2)症状悪化への引き金(その5)
 案の定だった。レントゲン撮影の結果、手首の骨折が判明した。不運にも打ち所が悪かったのだ。医者のメモに「骨遠位端骨折」という難しい名称が書かれていた。足の捻挫で二週間強のギブス生活の苦しみからやっと抜けたばかりで、まだその状態もすっきりしていないのに、今度は手首にギブスをしなければならない。大変な生活に逆戻りと思うだけで、一考はうんざりするのだった。それでも、この骨折が左手だったことが幸いだったとプラス思考で捉えることにした。若し、右手であったなら、両手が使えない生活を余儀なくされてしまうからだ。かくして、再び、食事、風呂など全ての日常生活に窮屈で大変な生活が始まった。
 この事故には、一考が、それまで以上の「れば」「たら」を考えてしまう裏話があった。それには、このお墓参りを、母親と一緒に行くことになった経緯に触れて置かねばならない。
 母親と一緒にお墓参りをしたことは、今までにも何回かあったが、スローペースの母親には、余計な時間が掛かるので面倒になっていて、最近では、声を掛けるのを控えていた。ところが、少し前に雅子が姑と話している時に、「お墓は沢山の人がお参りしてあげた方がお父さんも喜こぶんじゃない」と義母が口にしたというのである。多分、二人が、最近、声を掛けていないことを不満に思っていて、如何にも母親らしい婉曲的な表現で伝えようとしたのだ。二人には、それが、却って皮肉に受け取れた。言葉遣いにまでそこまで気を遣うのは、二世帯家族の無駄な神経の遣い合いの悪循環である。
 しかも、この話には更におまけが付いていた。その日の朝になって、天候も怪しげだったのと、雅子の調子も今一つだったので、翌日に延期しようかと、婉曲的に母に伝えたのだが、耳が遠い母には主旨がうまく通じず、珍しく母親が、明日が月参りの命日だからと主張し、結局、少し無理をした形で予定通りお参りに行くことにしたのだった。それが、思いも寄らない転倒に繋がったのである。
 それだけに、余計に悔やむことになる。もし、この日のお参りを取りやめていたらと思いたくなるのだが、先日のご近所でのお土産の手渡しで転んだように、このところの、雅子のバランス感覚は不安定になっていただけに、早晩、そんなことになっていたのかも知れないと、二人は、致仕方なかった解釈するのだった。
 結果的には、この事故以降の雅子の症状の悪化は、皮肉なことに、それまでのゆっくりとした変化から、打って変わって目に見えるハイスピードで進むことになるのだ。(以下、明日に続く)

1467 有名女性のスキャンダル

 男性の女性スキャンダルは、またか、といった感じで食傷気味だが、逆に、女性タレント・有名人が主役の場合には、ちょっとした関心もあって、話題歓迎の筆者である。その場合、その女性が知的な方ほど歓迎である。今朝は、そんな低次元(?)の話題を楽しんでみよう。

1.独り言コラム
 タレントの麻木久仁子さんが大桃美代子さんの元旦那さんと不倫関係があったとして、昨日から週間誌やテレビで騒いでいる。大桃さんは、既に離婚しているが、この話は、まだ離婚の前の話しのようで、「芸能界の先輩として麻木さんを信頼していたのに、大変なショック」とその怒りは大きいようだ。
 大桃さんも麻木さんも知的なタレントとして、クイズ番組などで大活躍を見せてくれている。特に、麻木さんのレベルは超一流で、テレビ朝日の「Qさま」や「タイムショック」の特番などで披露する博学さには一目置くものがある。知的な魅力ある女性に憧れる筆者としては、麻木ファンであり、是非一度浮気をさせて欲しい有名人、ナンバーワングループの一人である。それだけに、今回のスキャンダルには、やってくれましたね、と言う意味で、筆者も複雑な心境である。
 ここ数年でのこの種のゴシップとしては、山本モナさんがいる。この方もクイズ番組には強い。民主党の若手政治家細野豪志氏との路上キスは話題を呼んだし、その直後の巨人軍の二岡智宏選手との浮気など、次から次へとスキャンダルの連発で、一時謹慎していたが、その後は直ぐに正式な結婚をして、テレビにも復帰している。この方は、一人の男性で満足できるのだろうか。そろそろ、またスキャンダルが出てきそうな気もするが、…。
 俳優の保坂尚輝さんの元奥さんの高岡早紀さんも話題が豊富だ。この方は、なかなかの美人で、ギタリストの布袋寅泰さんとの浮気では、保坂さんをして「いてこまして」という独特の怒りの言葉を誘発させて話題になった。美人はもてるのは仕方が無いが、それに応える高岡さんに、筆者も妙な魅力を覚える。
 政治家にも何人かの事例がある。あの小沢チルドレンの木愛さんだ。なかなかの美人であることは確かだ。親分の小沢一郎さんと京都で浴衣姿のツーショットを見せてくれたたが、その数日後には、あろうことか、小沢氏の第一秘書と密会するという大胆な不倫をやってくれた。菅総理も御せないあの小沢さんを手玉に取った訳で、大した女性だと思う。秘書は首にされたと言うが、木さんはどうしているのだろう。
 自民党の参議院幹事長だった片山虎之助さんを「姫の虎退治」というキャッチフレーズで見事に破って当選した姫井由美子さんの不倫もなかなかのものだ。このスキャンダルで議員を辞めるどころか、堂々とそのことを本にして出版するという辺りは度胸満点でもある。姫井さんの旦那さんも大したものだ。
 また、過去には、自分の男性遍歴を本にした石原真理子さんというタレントもいたが、そんなに多くの有名人を手玉にとった石原真理子という女性は大したものだと思う。やはり、そこには、それなりの魅力があったのだろう。
 なお、広末涼子さんや宇多田ひかるさんも、今までの男性遍歴からみて、この範疇に入る方々だろうと思う。
 因みに、筆者の今後の期待としては、大地真央、宮崎美子、渡辺真理、黒木ひかる、岡江久美子さんなどの美人で知的な優等生女性タレントにも頑張ってもらって(?)、この種の話題の仲間入りして欲しい気持ちもあるが、恐らく、この方たちは、道を踏み外すことはしないだろう、と思う。
 いずれにしても、今朝の筆者は少しおかしいようだが、お遊びということでお許し頂こう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、60.7Kg.お天気は良くなさそう
 昨日の雅子は、午前中はロー・テンションで反応に乏しかったが、午後になって、目を開けて話を聞いてくれる時間が多くなった。2時過ぎから入浴、その後も、気分は戻っているようで、賢そうな顔をしていた。因みに、雅子の顔つきには、普通の顔のほかに、賢そうな顔とヘキサゴン的な顔、つまり、お馬鹿さんに見える顔の三つのケースがある。

3.連載、「難病との闘い総集編」(62)
  第二部 自宅介護(22) 第二章 症状悪化への序奏(8)

 (2)症状悪化への引き金(その4)
 その翌日、久し振りに、一考と雅子は揃って散歩に出掛けた。運動不足解消を期したもので、先の捻挫の影響を確認する意味もあった。従って、疲れがたまらない様に、のんびりと二人で楽しもうというつもりだった。それが、結果的には、なんと往復10Kmの遠距離をこなしたのである。もちろん、途中で昼食を取るなどのんびりとはしていたが、雅子が、そこまでついて来るとは思ってもいなかった。前日の転倒の影響は全くなく、健康的な一日を過ごした。要は、気をつけて歩けば、10Km程度は問題ないということを確認できてほっとしたのである。
 それから、数日後のことだった。夕方、用事があって一考が階下に下りたところ、風呂場から雅子の助けを求めるか細い声があった。何事かと思って覗くと、雅子が湯船の中で立ち上がれないともがいていた。一考のサポートでやっとのことで風呂場を脱出したが、二階に戻るのに四苦八苦で、雅子の体力の低下に、一考は、改めて先行きの不安を覚えた瞬間だった。
 その日から、一考はいろいろと思い悩むのだった。近い将来、雅子が歩けなくなることは容易に予測された。それに対して、どうすべきか。頭の中でいろんな思いが駆け巡っていた。このままの2階を主体とする生活には無理が来ることは目に見えている。改築が必須となるであろう。
 翌日、左手の自由が利かなくなって久しく、片手での入浴では身体を洗うのが不十分とみて、雅子の入浴を手助けしたのだが、手足の弱体化を改めて知ることになり、一考の不安は増幅されるのだった。

 その二日後の2006年4月3日、忘れられない手痛い事故が起きた。雅子の症状を急激に悪化させる起爆剤となった事故だった。一考が最も強く悔いることになった、「れば」「たら」の最大の事例である。
 それはお墓参りに出掛けようとした時に起きた。母親を連れて行くことにしたのが、そもそもの事故の伏線だった。
 一考が車を車庫から出して来て、母と雅子が待っている門の前に停車させて、二人を乗せるため車を降りようとした時だった。「あっ」という声が聞こえた。一考は急いで声の方向に車の後ろを回ったところで、雅子が転倒し仰向けで門柱の横の石垣を背に横たわっていた。雅子は自分でも何が起きたのか直ぐには理解できなかったようで呆然として身動きもしない。傍では年老いた母が助けようとして前屈みになっていた。そして、もう一人、その声を聞いて、久子が奥から素早く駆けつけて来ていた。一考は、皆を制しながら、ゆっくりと雅子を抱き起こした。幸いだったのは、その石垣で頭を打たなかったことだった。
 ともかくも、母と雅子を車に乗せてから事情を確認すると、車が止まったので、雅子がドアを開けて母親を乗せようとしたのだが、車を止めた路面が蒲鉾上になっていたため、右手に充分力が入らなくて、バランスを失い転倒したというのだ。いつものように雅子の思いやりが先走りしたが、身体が付いていかなかったために起きた不幸だった。ともかく、この時点では、雅子も特に痛みを訴えることもなかったので、このままお墓のある三井寺霊園に向かった。
 雅子が手首の痛みを訴え出したのは、お墓の掃除を終え、お参りを済ませて帰って来てからのことだった。心配した一考が雅子の手首を見ると、少し色が変わっていて、明らかに腫れていた。これは只事ではないぞと不安を抱き、掛かりつけの浜大津にある岩森医院に急いだ。(以下、明日に続く)

1466 君臨

 広辞苑には、君主として臣下にに臨み、その国を統治すること、強大なものが他を抑えて絶対的勢威を振るうこと、とある。とにかく、筆者は、その世界のトップに堂々と存在していて、その世界を引っ張って行く能力と強さを持ち合わせ、他を寄せ着けない強さを醸し出している存在というイメージを抱いている。

1.独り言コラム
 病院のロビーにスポニチ新聞が置いてあるが、昨日の一面トップに「君臨、ブエナ」と大きな活字が躍っていた。今週末に行なわれる年末恒例の「有馬記念」のレースの予測記事である。競馬には全く不案内だが、「君臨」という言葉に、何か、凄いインパクトを覚えた。記事の内容は、ブエナ・ビスタはファン投票1位の五冠牝馬で、まさに、「君臨」の状態にある強さのようだ。しかし、前走のジャパンCでは、走行妨害で2着に降着させられた無念な結果だったという。騎手のクリストフ・スミヨシ氏は、インタビューに答えて、その汚名挽回と最強証明を誓ったという。
 君臨といえば、英国の王室の「君臨すれど、統治せず」という言葉が思い出される。それは、それとして、今の世界で、君臨に相応しい人物といえば、直ぐに頭に浮ぶのが北朝鮮の「金正日」だ。今は、朝鮮半島が緊迫した状況にあり、不測の事態への不安が募っているが、それも、この金正日の動向が鍵を握っている。しかし、国民を犠牲にして国家を弄んでいる今の立場は、見方によっては、君臨というイメージから、少し離れているかもしれない。
 日本ではどうだろうか。菅直人総理は、君臨から程遠い位置にいる総理だ。何かおどおどしているようで、その存在感は、仙谷官房長官よりも薄い感じがする。昨日も、政治と金の問題で小沢一郎元代表と二人の直接会談が行なわれた。そこで、菅総理は、小沢氏に政倫審への出席を求めたが、出席を拒否した小沢氏とは物別れに終ったという。このところの民主党の動きを見ていると、君臨しているのは、むしろ、小沢一郎氏ではないかとも思えて来る。
 君臨に相応しいと思われる人物の一人に、創価学会の池田大作氏がいる。日蓮大聖人の仏法に基づく平和、文化、教育活動を世界に展開しているという。800万世帯の会員を誇っていて、今や、この学会に君臨しているのが池田大作氏で、まさに君臨に相応しい代表的な一人だろう。公明党の人事など掌握していて、その隠然とした存在には、誰も口を出せないようだ。
 その他にスポーツ界には何人かの人が思い浮かぶ。その一人は、女子ゴルフの樋口久子会長だ。先ごろ定年で会長職は小林浩美さんに引き継いだが、女子ゴルフ界を今の隆盛に繋げた功労者としてその存在は大きい。幾ら、ライバルがいなかったからとは言え、何しろ、国内69勝(海外3勝)はダントツで他の追随を許さない強さの証がある。余談だが、この引継ぎで知ったのだが、小林さんももう47歳である。時代は凄いスピードで移っていることを実感した次第である。そういえば、筆者も二週間後には古希を迎える。
 先ごろ63連勝という大記録をつくった横綱白鵬も、今の相撲界に君臨しているという強さが漲っている。双葉山の69連勝に一歩及ばなかったが、近い将来に、その夢を果たすかもしれない。
 プロ野球の巨人軍の監督を務め、前人未到の9連覇を果たした川上哲治さんも、巨人軍の監督の座に君臨していたという実感を思い出す。「哲のカーテン」という言葉もその一端を示している。
 一方、芸能界では、もう亡くなられた方だが、歌姫と呼ばれた歌手の美空ひばりさんもその一人だ。歌唱力も抜群で、かつては女性歌手として君臨していた。最後の東京ドームでの公演は命を削っての凄い舞台だった。
 政治家ではどうだろう。上述の小沢一郎氏は別として、戦後の日本の政治家では、君臨を思わせる人が見当たらない。吉田茂さんや佐藤栄作さんが、その域に近い存在だったと思われるが、筆者の年代と少しずれているので、実感が伴わない。あの、今太閤と呼ばれた田中角栄さんは、そんな雰囲気も持ち合わせていたが、ロッキード事件で逮捕されたことで、そのイメージは壊滅した。
 いずれにしても、今の日本では、君臨に相応しい強いイメージの政治家の登場が待たれているが、そんな能力、雰囲気を備えている人は、今のところ見当たらないのが寂しい限りだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、60.7Kg.お天気は雨模様との予報。
 昨日の雅子は、午後になって、二日ぶりに体調がハイな状態に戻っていた。目を開けて話を聞いてくれるようになっていた。若しかしたら、朝、到着した時に、息子・孫達が年末・年始に見舞いに来てくれることを話しておいた効果が出て来たのかもしれない。
 なお、雅子の目の開け方には4タイプある。1)細く開けて覗いている状態、2)普通に開けている状態、3)大きなどんぐり目を開けている場合、4)白目を剥いている場合、である。昨日の場合は、2)が主で、時々3)の状態が見られた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(61)
  第二部 自宅介護(21) 第二章 症状悪化への序奏(7)

 (2)症状悪化への引き金(その3)
 この頃から、生活スタイルに変化が出始めていた。一考が、今まで以上に雅子の仕事を取って代わらなければならなくなったからである。
 一考にとって一番大きなプレッシャーは、料理を引き受けざるを得なくなったことだった。長い間単身赴任生活をして来たが、いつも、そのまま食べられるものを買って来て、あっためたりする程度で、まともな料理は全くやったことがなかった。
 差し当たっては、雅子の考えたメニューに基づいて、食材を購入し、彼女のレシピーに則って、恰も、ままごとのように、料理に取り組むことになった。自分達の分だけを作るなら、味や見栄えはどうでもいいのだが、母親の分はそういう訳にはいかなく、その辺りの対応は容易でなかった。
 想定外の雅子の今回のアクシデントで、食事の世話だけではなく、雅子が担当していた仕事は、そのまま一考が引き継がざるを得なくなった。、久子らの姉妹に任せればという考え方があるが、一考は、それだけは避けたいと思っていた。何故なら、そうでなくとも、大学を卒業後、勝手に東京へ行ってしまい、事あるごとに、長男でありながら、家の事は何もせず、親孝行らしきことは何もしておらず、結局は全てを自分がやらねばならないと久子に言われることへの抵抗、それにちょっとした長男としてのプライドがあったからだ。
 従って、雅子の捻挫以降、一考の仕事は、それまでとは大きく変化せざるを得なかった。朝起きると、雅子の着替えを手伝い、自分達の朝食の用意をし、それが終わると、食器洗いを含めた後片付け、この間に、母屋の仏さんへの配膳、雨戸明け、洗濯、その後には、洗濯物を干す作業、そして、母親を含めた自分達の昼食の用意、配膳を行い、昼食を済ませると、その後片付け、買い物、夕食の準備、洗濯物の取り込み、夕食の配膳、後片付け、更には雅子を風呂に入れること、などなど、多忙な段取りをこなすことが必須作業の定番となって行った。
 しかし、まだこの時点では、幸いなことに、雅子は一人で食事が出来たし、トイレも自分一人で可能だった。

 雅子の兄嫁や姉達も雅子の病気を心配して、いろいろと気を遣ってくれていた。前年の九月には、長女の霧子さんの誘いで、三人の実の姉妹で湯ノ山温泉に一泊旅行をしたが、今回は、兄嫁の香子さんからの発案で、やはり一泊で、少し足を伸ばし、城崎温泉への誘いが提案された。この話が持ち出されたのが、雅子が捻挫をする一週間ほど前の3月初めのことで、思わぬアクシデントで、その可否を心配していたが、幸い、足もほぼ元に戻ったということで、予定通り3月23日、四人は思い切って出掛けることになったのである。長兄の祐一さんのはからいもあって、経費の一部は兄が支払ってくれるというのだった。
 その朝、一考は京都駅の山陰線乗り場まで雅子を送って行った。お天気は好天とは言えなかったが、温泉旅行にはもってこいの花曇であった。世間では「ライブドアのあの偽メール」事件で騒がしかったが、女性三人の話題になるようなものではなかった。長女の霧子さんと次女の延子さんは、先の湯ノ山温泉で一緒だったので、その時点での雅子の症状は把握していたが、長男の嫁の香子さんは、久し振りの対面になるだけに、その変わりようにびっくりだったと思う。
 翌日の夕方、前日と同じホームで、一考は四人を迎えた。雅子は「とても楽しかった」と嬉しそうに笑顔で微笑んでいたが、実際には、旅行中は大変だったらしい。生憎、部屋が二階だったことからも、その上がり下がりなど、姉達が肩を貸してくれて頑張ったらしい。風呂場でも、幸い他の客がいなかったこともあって、あれやこれやと皆が総がかりで雅子の面倒を見てくれたようだった。お陰で、久し振りに楽しい一夜を過ごし、精神的に羽を伸ばした束の間のひと時をエンジョイ出来て、肉体的にも、精神的に温まった温泉旅行だったようだ。しかし、次なる悲劇が、その後間もなく、雅子を襲うのだが、この時点では誰も知る由はない。
 この温泉旅行には、少し痛さを伴うおまけ話がついていた。帰宅後に、雅子が買って来たお土産を近所の方に届けに、一考と二人で出掛けたが、その玄関先で、まさにお土産を手渡そうとした瞬間、身体のバランスを失い転倒した。傍にいた一考もそれを避けられないほどの一瞬の隙を突かれたものだったが、幸い、骨折などの大事に至らず、足のすねをすりむく痛い思いだけで済んだのは幸いだった。(以下、明日に続く)

1465 復活・復帰

 歓迎される復活・復帰とそうでない復活・復帰がある。例えば、阪神の金本知憲選手や安藤優也投手の完全復活・復帰は、前者の事例であり、阪神ファンはやきもきだろう。

1.独り言コラム
 昨日、岐阜で行なわれた実業団対抗女子駅伝で、アテネオリンピックで金メダルを獲得したシメックスの野口みずきさん(32歳)が、強豪が競うエース区間の3区に出場した。ロンドンオリンピックを目指した復活への序奏ということで注目された野口さんだったが、体調が戻っておらず、24人中20位という結果に終って、この日での復帰・復活はならなかった。レースは、かつて、あの松野明美さんがいた天満屋が初優勝を果たした。
 みずきさん本人は「身体が思うように動かなかった。悔しい」と語っていたが、その後の話で、前夜に39度の発熱で腸炎だったということが明らかにされた。そんな体調で走らせたことは遺憾だったと思う。今後の完全復帰に期待するファンは少なくない。まだまだチャンスはあるはずだ。頑張って欲しい。
 今年、食道がんの手術を受けた小沢征爾さん(75最)は、8月頃から再開に向けての活動準備に入っていた。そして、先週末に、ニューヨークのカーネギーホールで本格的な公演を敢行し、18日に3日間の公演を成功裡に終えた。
 公演前日の公開リハーサルがキャンセルされて、周りの関係者も心配していたが、初日の本番では、演奏時間が50分近くあるブラームスの「交響曲第一番」を力強く指揮して、見事な復帰・復活を果たし、6分間に渡るスタンディングオベーションを受けた。大したもので、日本人の誇りである。
 一方、同じ小沢姓の小沢一郎氏は、依然として政治と金の問題を引きずっていて、漸く、今日の菅総理との直接対決が行なわれるという。検察審査会の二度に渡る「起訴すべき」の結論で強制起訴が決まり、再度裁判が行なわれるが、それでも、同氏は、今の民主党では最も強い影響力を持っていて、その動向が注目される立場にある。しかし、同氏が本格的に政界トップに復活・復帰すると見ている人はそんなに多くはいないようだ。因みに、現在の政界で復帰・復活があるとすれば、病気でリタイヤーした安倍晋三元総理の可能性は残されているようだ。果たして、どうだろう。
 泥酔して殴られ、怪我をして手術を受けた市川海老蔵さんだが、殴ったという男の伊藤リオンが逮捕されて、今後の捜査の行方が注目されている。海老蔵さんについては、元々、酒癖が悪い事は知る人ぞ知るの話で、いずれは、こんなこともと心配されていたという。そんな中で、同氏の復活・復帰話が5月公演ということで進んでいるようだ。梨園の世界で起きた事件で、新妻小林麻央さんのとった救急車を呼んだという初動のアクションが、内輪では非難の対象になっているようだが、離縁の理由にならないことを祈りたい。
 覚せい剤事件で逮捕された酒井法子さんが告白本「贖罪」を書いたが、然るべき売れていると言う。その彼女が、早くも昨日、テレビで3年ぶりに復帰したという。彼女の復帰・復活は早すぎるのではなかろうか。犯罪を商売にするようで、いい加減にしろ!と言いたい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.1Kg.雨もぱらつくそうだが、午後には晴れると言う。
 昨日の雅子は、痰は極めて少なかったが、反応は乏しく、寝たような状態が続いていた。お昼にテレビを聞かせていた際に、少し薄目を開けていたが、終日を通してローテンションの一日だった。心配である。
 
3.連載、「難病との闘い総集編」(60)
第二部 自宅介護(20) 第二章 症状悪化への序奏(6)

(2)症状悪化への引き金(その2)
 その翌朝、雅子が足の痛みを訴えた。その足の部分をよく見ると、赤くなって腫れていた。これは捻挫か何かをやってしまったようだと察知した一考は、直ちに、近所の佐藤外科医院を訪ねた。いつも、母親を始め、家族でお世話になっている病院である。一考の頭の中では「まずいことになった」という思いが渦巻いていた。
 「やはり、軽い捻挫ですね」レントゲン写真を見て、佐藤医師は、薄くなった頭を撫でながら、優しい口調でそう告げた。
 「やっぱり、そうですか」一考は、やや気落ちした気分で、雅子の顔を見た。きちんと付き添っていなかったという自分の不注意が生んだ事故だっただけに、一考は、申し訳ない気持ちになるのだった。昨日の出掛ける際に、しっかりと振込先をメモしていれば、こんなことにならなかったのにとの悔やみがあった。この「れば」が、雅子の病気に関し、一考が悔やむ最大の「たら」「れば」である。
 「少し、不自由で大変ですが、ギブスで固めておきましょう」佐藤医師はあくまでも優しく慎重である。
 手当てを終えて、病院から出ようとして、一考は雅子の肩を支えたのだが、うまくバランスが取れず、危うくひっくり返りそうになった。また、松葉杖を借りたものの、直ぐにはうまく使えない。一考が身を挺して懸命に支えるのだが、それでもよたよたとよろけてしまう。見かねた看護婦さんが駆け寄ってきて助けてくれたが、これから始まる大変な生活に不安を覚えての帰宅だった。
 捻挫した足にはそれほどの痛みはなかったが、雅子はとても憂鬱だった。とにかく、何事も一考のサポートなしには出来なくなったからである。二階に生活の基盤があっただけに、階段の上り下りが大変だった。下から押してもらったり、支えてもらったりしての階段の上り下りとなった。トイレと風呂が階下にあったから、その都度、そのサポートは欠かせない。もちろん、風呂は当面見合わせていたが、衣服の着替え、洗濯、食事などの日常の生活も、大半は一考のサポートが欠かせなくなった。不自由さが、雅子の気分を滅入らせていて、表情が浮かないものになるのは、致し方がなかった。
 思わぬアクシデントで、雅子は、病状が一気に悪化したような落ち込んだ気分になっていた。自分で自由に動けないほど面白くないことはない。一考が、その都度サポートしてくれるが、それだけにあまり迷惑を掛けないようにと余分な気を遣うことになる。
 二日目になって、ギブスの樹脂が脚を痛みつけるので、再び佐藤病院を訪れ、少しその部分の樹脂を切ってもらって、痛みを和らげた。
 注文しておいた電子治療のドクタートロンが届いたのは、その一週間後のことで、その日から、就寝時の照射を受け始めた。血行が良くなれば、治療に効果が現れるはずであり、そのことへの期待は大きかった。捻挫の不自然な体勢での就寝となったが、夢の中では、電子線照射によって、血液が活性化して快方に向かっているような気分だった。
 そして、やっとのことでギブスを外してもらったのは、捻挫から2週間後の3月2日のことだった。足型は少し変形したものになっていたが、それでも、直ぐに、よちよち歩きを開始した。赤子が歩き始めた時と同じように、漸く自由を回復できたことで、雅子に明るさが戻って来ていた。
 そして、翌日には、早速、友人の前田さんたちのグループとの昼食会に声を掛けてもらって出掛けた。病気そのものの症状の悪化に、今回の捻挫の後遺症もあって、よちよち歩きで不安定ではあったが、友人達に支えられての嬉しそうな顔つきは久し振りのものだった。食事もみんなの手助けで何とか食べられて、束の間の楽しいひと時を過ごした。こんな時にこそ、場を作ってくれる友人は「有難い存在だ」と改めて思うのだった。(以下、明日に続く)

1464 記録より記憶に残る

 筆者は、「記録より記憶」は「花より団子」の逆の意味と解釈する。耳当たりは良いが、人間の本能からすれば、それで満足できるかどうかは意見の分かれるところだ。

1.独り言コラム
 今年のシーズン中に、フルイニング連続出場の試合数1492試合という記録を残し、自らの決断でその記録に終止符を打った阪神の金本知憲選手の場合は、記録にも記憶にも残った選手だった。もちろん、その後にギネス記録として登録された。
 そういう意味では、日本のプロ野球から米国の大リーグに移って活躍し続け、この10年間で凄い記録を打ち立てたイチロー選手もそんな数少ない選手の一人である。
 一方、広島の赤松真人選手が見せたあのプレイは、記憶に残る凄いプレーだった。それは、今年の8月4日に新広島球場で行なわれた横浜戦で、横浜の主砲の村田選手が打ったホームランを塀に飛び乗ってキャッチしたのである。今までは見た事がない世界初のプレーだった。恐らく、筆者の記憶からは長く記憶に残る映像となろう。
 今年の5月のツアーの中日クラウンズの最終日にゴルフ史上初めての58というスコアを記録して逆転優勝を果たした石川遼選手のプレイも、とにかく凄かった。この記録も、金本選手の場合と同様に、その後、ギネスにも登録されている。
 その石川選手が今年のプレイを振り返ってのインタビューに、「選手としては、記録よりも記憶に残る選手になりたい」と答えていたのが印象的だが、同氏も記録にも記憶にも残るプレイヤーだ。
 この「記録より記憶」発言は、今までにも多くのスポーツ選手が使っているが、誰が最初に口にしたかについては、筆者の記憶では、元阪神の新庄選手の発言だったのではと思う。しかし、更にその前に長島茂雄選手が、大記録の王貞治選手の存在を念頭に置いた発言だったという説があるようだ。
 いずれにしても、記録に拘らず、ファンが喜ぶプレイを続ければ、おのずから記録はついて来るのでと思う。
 ところで、政治と金の問題で、その対応が注目されている民主党の小沢一郎元代表が、昨日の午後、地元の森岡での支持者との会議で、菅総理になって行なわれた選挙では全敗であったと菅政権の運営を強く非難した。同氏は常に選挙に勝つために地道な活動に徹すべきと口にしている。しかし、政治家は、何をやるかの政策を明らかにして国民の支持を得る活動が先にあるべきで、それよりも、選挙に勝つための手練手管に全力を挙げると言うのはナンセンスだと思う。政策を訴えて国民の支持が得られれば、結果的に選挙にも勝てるはずだ。小沢氏の発想は、言ってみれば、記憶より記録を優先した発想だと言いたい。
 その小沢氏の首に縄を掛けることを一任されていた岡田幹事長だったが、結局は遠回りしただけに終り、いよいよ明日、菅総理がその小沢氏との会談が実現しそうだ。総理は、小沢氏の政治と金の疑惑について、改めて「せめて、政倫審での説明を」と促すものと思われる。これに対し、小沢元代表は、出席を拒否するものと思われていて、その後の菅総理の対応、決断が注目される。今朝の日経での見出しでは、菅総理は支持率回復を期して、三度目の「脱小沢」に踏み切るのでは、と出ているが、どうだろうか。幾ら、記録より記憶といっても、あまりにも茶番劇的な記憶では意味がない。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、60.9Kg.寒さは前日並み。昼間は晴れ間が多いようだ。
 昨日の雅子も、言うならば、ロー・テンションの状態で、呼び掛けには反応をしてくれない状態だった。それでも、午後には車椅子での散歩を行なった。反応がないと、傍にいてやっても、何だか寂しい。

3.連載、「難病との闘い総集編」(59)
  第二部 自宅介護(19) 第二章 症状悪化への序奏(5)

 (2)症状悪化への引き金(その1)
 長い人生で「たら」とか「れば」を言ってみても意味がないことは承知の上での話しだが、この雅子の難病に関しても、その発症から悪化して行くプロセスにおいて、今から思えば、あの時、そうでなかったらの「たら」とか、そうでなければの「れば」が幾つか存在する。
 その一つは、雅子から、電話で「やはり、パーキンソン病らしい」という診断報告を聞いた2002年11月21日の時点で、一考が「今しばらくは様子を見よう」ということで東京に居残った判断だった。後になって、姉妹の誰かから、「その時点で、どうして直ぐに帰って来て、雅子の傍に居てやらなかったの。もう会社をリタイアして、何も一人暮らしをする理由はなかったはずだ」と厳しい非難を受けた。
 正直言って、その時の一考の判断は、軸足を東京に置いていたことは事実で、それに、雅子の「日常生活には殆ど支障はない」というその時点での報告があったからである。若し、その時、急遽、大津に帰郷していたらというどうなっていただろうか。雅子の心配を二人で受け止めることが可能であったことは確かで、そのことで、症状の悪化が少しでも食い止められたかどうかは分からないが、症状の進行を遅らせることには、多少なりとも貢献していたかも知れないと思うことがある。
 その「たら、れば」の最大のことが、これから話すうかつな事故に関するものである。それは、忘れもしない2月16日、武田病院での2月度の定期診断を終えて西大津駅に戻って来た直後に起きた。
 この日、一考は、病院に出掛ける直前に、その日の内に振り込まねばならない支払いがあり、西大津駅に向かう途中にあるジャスコ店内のATMで振込みを行なったのだが、振込み先の口座番号を間違えてメモしていたために、振込みが出来なかった。武田病院での診察の予約時間が迫っていたこともあって、仕方なく、二人は、そのまま京都駅に出て、武田病院に急いだ。
 診察を終えて、二人が西大津駅に戻って来た時は、2時半を少し過ぎていた。振込み時間が3時までで時間的に余裕がなかったことから、雅子には、これから立ち寄る買い物先のジャスコ店内にあるS銀行のATM近くで待ち合わせすることにし、駅の改札口を出たところで一旦別れたのである。そして、一考は、スーパーの駐車場に置いてある車で家に戻り、出掛ける前にメモしておいた振込み口座番号を今一度確認して、約束の場所に戻って来た。
 何しろ、スーパーは歩いて五分ぐらいの距離なので、雅子が一人で歩いても、何かが起きるとは考えてもいなかった。
 しかし、その一考の考え方が甘かった。不幸にも、この短い距離の移動で、この病気の悪化の促進を誘発することになる最初の事故が起きたのである。その待ち合わせ場所にある休息用の椅子に、浮かぬ顔で雅子が座って待っていたのである。一考はその顔を見ておやっと思った。
 「どうしたの?」一考が心配して訊ねると「あなたに笑われるかもしれないけど、駅の階段のところで転んじゃっただの。少し、足首が痛むけど、大したことはなさそう」とはにかんだような顔で、雅子は自嘲的に答えた。しかし、その声には、いつもの明るい張りがなかった。
 「馬鹿だなあ、転んだの? 駅の階段って、何処の階段?」いたずらっぽく、一考はそう言ったが、その転びが、悪夢の始まりの切っ掛けとは思ってもいなかった。
 何事も、事の始まりは静かで、当人達はそれと気づかない場合が多い。推理小説の出だしなどでは良くあるスタイルで、大したことのないような事件から始まるパターンに似た、雅子の転倒事故だった。
 「改札を出た二階のフロアーから、手摺を使って、慎重に階段を降りて一階までは無事に降りたの。ところが、そこから歩道に出るところにある三段ほどのステップで、転んじゃったの。そこは手摺も何もない処だったので、突然バランスを失ってしまったの。その時に、うまく手が着けずに足をねじって強く打ってしまった。たまたま、傍にいた人に助けて起こしてもらって立ち上がったのだが、とても恥ずかしかった」雅子の説明では、左手の不自由さから来るバランスの崩れが原因らしい。一考は、自分がそこまで面倒を見てやらずに、急いで自宅に戻るために、雅子を一人にしたことを大いに悔やんだが、後の祭りだった。
 一考は、とりあえず、近くのS銀行のATMで振込み作業を済ませた。そして、そのまま予定通り、そのスーパーで買い物を終えた後、西武デパートにまで足を伸ばして帰宅した。雅子の足は、少し痛みがあったようだが大したことはないということで、そのままいつも通りの段取りで夕食を済ませ、風呂に入って寝たのだった。しかし、痛めた足は、その翌日になって捻挫していることが明らかになったのである。(以下、明日に続く)

1463 若手棋士胎動の将棋界

 何処の世界にでも言えることだが、若手の成長が、その世界の成長に直結する重要な動きだ。今朝は将棋界のこの一年の動きを総括して、期待の若手棋士をピックアップしてみた。

1.独り言コラム
 将棋界は、年度は4月~3月制を採用していて、将棋大賞などはその期間の成績を対象に選出される。しかし、ここでは、敢えて2010年の一年間の動きについて総括してみたい。一言で言えば、この世界にも、ここに来て、漸く、新しい世代の波が見え始めている。
 先ずは、七大タイトルのこの一年の動きを見てみよう。二つのタイトルで新しいタイトル保持者が誕生している。その一つが王将戦で、久保利明棋王が、苦手としていた羽生王将を破って王将位を奪取し、久保二冠が誕生した。もう一つは王位戦で、若手の広瀬章人六段(23歳)が初めてタイトル戦に登場し、それまで3期タイトルを保持していた深浦康市王位を破って初めてのタイトル保持者となった。
 それ以外では、羽生善治三冠が、名人戦では三浦弘之八段を、棋聖戦では深浦康市王位を、王座戦では藤井猛九段をそれぞれ全勝で勝ってタイトルを防衛した。中でも、王座戦は、前人未到の19連覇を果たした。このタイトル戦では19連勝中でもあり、大変な記い録を更新中だ。また、棋王位は、久保利明新王将が佐藤康光九段を逆転で破って初めての防衛を果たし二冠を確保している。竜王位では、つい先ごろ、渡辺明竜王(24歳)が羽生三冠の再度の挑戦を退け、七期連続竜王位を保持した。これも大変な記録である。 
 なお、羽生三冠は、この竜王戦に勝てば、新たに永世竜王位を獲得し、七冠全ての永世のタイトル保持者となるのだったが、その夢は来年以降に持ち越された。
 さて、来年(2,011年)のタイトル戦への展望だが、各棋戦で挑戦者を目指しての予選が順調に進んでいて、1月からの王将戦には、若手の豊島将之六段(20歳)が、羽生名人、渡辺竜王などの参加していたリーグ戦を突破して挑戦者に躍り出た。また、2月からの棋王戦には、若手の広瀬王位と渡辺竜王が挑戦者決定戦に残った。広瀬王位は一勝すれば挑戦者となるし、渡辺竜王は2連勝で挑戦者となる。いずれにしても、ここでも若手の登場は確定している。
 ところで、4月から始まる注目の名人戦の予選だが、10人の棋士によるリーグ戦が進んでいて、現在までに、全9回戦の内の6回戦までが終わっている。ここまででは、森内俊之九段が5勝1敗で一歩リード、渡辺竜王と谷川浩二九段が4勝2敗で追う形となっている。筆者の大ファンである郷田真隆九段は、丸山九段、久保二冠と共に、3勝3敗で、まだ挑戦者への可能性を残しているが、下手するとB1級への降級の心配もある際どい成績である。それ以外の三浦九段、高橋九段、藤井九段、木村八段は、2勝4敗で並んでいて、厳しい残留への戦いに全力を挙げることになる。筆者の願望は、郷田九段が3度目の挑戦者になることだが、そのためには、残り全部勝つ事が前提で、尚且つ、森内九段と渡辺竜王が、誰かに一敗してくれるという他力本願なのが辛い。
 いずれにしても、今年頭角を現した広瀬王位、王将戦の挑戦者になった豊島六段(20歳)の他にも、糸谷哲郎五段(22歳)、阿部健治郎四段(21歳)、稲葉陽四段(22歳)戸辺誠(24歳)などが犇くように台頭してきていて、来年以降の戦いが大変な楽しみになって来ている。
 なお、将棋界では、10年~20年にかけて、天才的な棋士が登場して来ている。あの大山十五世永世名人の20年後に登場した中原十六世永世名人、それから10年後の谷川浩二、十七世永世名人、また更に10年後に登場して来たのが、現在のトップ棋士の地位を占めている羽生善治19世永世名人、森内俊之18世永世名人のである。
 さあ、その次の時代を担うは誰なのか、今のところ渡辺竜王がトップを切っていて、既に竜王位七年間保持するなど、その地位を固めてきているが、それに続く若手も、何人か登場して来ていて、その強さを発揮し始めている。来年も大いに楽しみな将棋界である。この混戦時代を勝ち抜いて、将来天才棋士と呼ばれるのは誰なのだろうか、興味津々の将棋界である。
因みに、政界には、これといった期待の若手が見当たらない。敢えて言えば、小泉進次郎、それに、後藤田正晴を大叔父にもつ後藤田正純、またローカルで頑張っている橋下徹大阪府知事辺りだが、これでは、やはり人材難と言うべきだろう。そう言う意味では、日本の将来は、心細い限りだ。、

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時半起床。体重、60.7Kg.寒さは昨日並み。お天気は曇り空のようだ。
 昨日の雅子も少し痰が多く、苦しんだ一日だった。朝からロー・バイオリズム状態で反応も今一つだったが、夕方になって、顔つきも賢そうに変わって来ていて、ハイ・バイオリズムに変わりつつあった。 

3.連載、「難病との闘い総集編」(58)
  第二部 自宅介護(18) 第二章 症状悪化への序奏(4)
  
(1)配慮と頑張りの中で(その4)

 正月の慌しさが抜け切らない中で、雅子の頭の中では、ある決断を巡って葛藤が起きていた。諦めるべきか、それとも、何とか更新手続だけでも済ませるべきかの迷いだった。運転免許証の切り替えリミットが迫って来ていたのである。誕生日が1月3日だから、1月31日が手続きのリミットである。
 一考が1980年から5年間の大阪勤務をしている間に、雅子は、近くの自動車学校で運転免許を修得した。それ以降、四半世紀に渡って、自分の貴重な足として存分に活用して来ていた。日常の買い物から、夫の両親や子供たちの病院、通学、夫の送迎、更には友人達とのお付き合い等々と、いわば、自分の身体の一部として備わっているような機能で、その便利さと快適さを満喫していた。自分自身も運転することが好きで得意でもあったし、そのことで重苦しい毎日の生活の気分転換にも役立っていた。幸か不幸か、義姉の久子が得意でなかったことから、両親の足に関する限り、久子も雅子に頼っていたことで、多少の優越感さえ感じていた。それだけに、それを手放すのに未練がないと云えば嘘になる。
 「身分証明書として使えるのだし、そのために持っているのもいいのじゃないかしら」
 迷った挙句に雅子が遠慮気味に打ち出した提案だった。とにかく、今回の切り替え手続きだけは何とか済ませたいというのだ。
 「そうだね。可能なら、そうしたいよね。しかし、更新手続きで、その手の不具合を気づかれないように済ませられるかなあ」雅子の気持ちが痛いほど分かるだけに、一考は、婉曲的な言い方で返答した。
 「そうなの。それが問題ね。そこで『手がおかしいなど』と指摘されると自分も惨めだし…」自分に言い聞かせるようにそういう雅子がいじらしかった。気の毒だが致し方ない。
 「身分証明書の代わりなら、今では住基カードがあるよ」
 「住基カード? あまり、使われていないんでしょう」
 そう言いながらも、雅子は、どうやら諦めがついたようだった。
 雅子にしてみれば、このように、今まで得てきた権利、資格、能力などを、一つ一つ失って行くのは、何とも言えない悲しく、寂しく、辛いことだった。

 いつも通っていた美容院からの情報で、近くに電子線治療のお試し用の教室があるということで、一考と雅子は、様子見に出掛けた。鍼治療を中断した翌週の1月26日(2006年)のことだった。場所は、国道161号線の沿線にあって、自宅からは車で10分程度の近くだった。「ドクタートロン、お試し会場」という小さな案内版が入口に立て掛けてあった。
 中には、数人の客と思われる人たちが、黒いゴムのシート上に座っていて、指導員らしき男の話を聞いていたり、週刊誌などを見たりしていた。一考らの顔を見ると、その指導員らしき男が、「いらっしゃい」と愛想よく近寄ってきて、二人を空いている席に座るように声を掛けた。そこにも、やはり、ゴムのシートが座布団のように置かれている。一考は、取り敢えず、雅子の左手の事情について簡単に説明した。
 「なるほど。それはまさしく、ドクタートロンのテリトリー内だと思います。取り敢えず、この上に座って下さい。ここに座ることで、自動的に電子線照射を受けることが出来ます」
 そう言ってから、指導員は、立て板に水の口調で、この電子線治療の効能などについて述べ始めた。それによると、神経痛、筋肉痛に効き、胃腸の働きを活発にさせ、疲労の回復、血行を良くし、筋肉をほぐし、筋肉の疲れを取るといった効用があるという。とにかく、何にでも利くと言っているようで、若しかしたら、雅子のこの難病にも効果があるのでは、という気持ちになってしまうのが不思議だった。とにかく、暫く通ってみることにした。
 二日目だったとおもうが、その説明してくれた係りの男性は、正式な認定は得ていないが、日本医学協会からの推薦を得ていること、また、NHKの今日の健康のテキストでも広告を掲載していて、積極的なPR活動を推進中だとも説明してくれて、数枚の資料を取り出して一考に手渡してくれた。
 かくして、その会場に通うこと14回に及んだが、効果そのものははっきりしなかった。次回の武田病院での診察の際に、春日医師に「ドクタートロン」についての見解を訊ねたところ、「電子照射を受けること自体には問題はないでしょう。この病気自体がまだまだ解明されていないことが多々ありますので、可能性のあると思われるものには、いろいろと試してみるのもいいじゃないですか」
 高価な機器だけに、購入することを迷っていた一考だったが、春日先生のそのお言葉でとにかく試してみよう決断し、すんなりと購入に踏み切ったのである。雅子のための投資なら致し方がないと、一考は自分に言い聞かせていた。
 そのドクタートロンの機器が家に届き使い始めたのは2月20日のことだった。この日の雅子は、後述するが、数日前の思わぬ転倒で、左足首を捻挫していて、キブスで固めた痛々しい状況にあった。(以下、明日に続く)

1462 ベストセラー作家への早道

 今日からこのブログも5年目には入る。あっと云う間だったように思う。自らの毎日のワンステップとして楽しんで取り組んで来た。これからも、気分を新たに頑張りたい。
 しがない物書きの一人としても、このブログへのアクセス数の増加が何より嬉しい。今朝は、ベストセラー作家への早道について、一言触れてみたい。

1.独り言コラム
 今年のベストセラーの一つは、村上春樹さんの「1Q84」である。今年こそノーベル文学賞を受賞するのではという期待に加えて、タイトルの奇抜さ、それに一冊、一冊に封がしてあって、中身を覗けないといった販売方法が、読者の購買意欲を刺激したようだ。
 筆者は、今年になって、同氏の「ノルウエイの森」と「海辺のカフカ」を読んだが、今一つ、筆者の好みの範疇に入る小説ではなかったこともあって、この新作は、まだ読んでいない。
 ところで、今、俳優の水島ヒロさんの「KAGEROU」が発売早々だが、凄い勢いで売れているようだ。初版本で40万冊用意したというから、その凄さが窺われる。何故、最初からそんなに売れるのだろうか? 今朝の報道では、印税総額が、既に一億円を越す事が明らかとなったと伝えている。そんなに売れる背景には、芸能人だった水島さんが、斉藤智裕の本名で、ポプラ社の懸賞小説に応募して、大賞に選ばれたというインパクトが大きいと思う。加えて、賞金の2000万円を辞退し、その後500万円(本の現品らしい)を、大雨被害を受けた奄美大島に寄付したという行為もファンには前向きに捉えられたのであろう。どんな小説を書いたのか、筆者も興味があるので、ちょっと覗いて見たい気がしている。
 なお、芸能人が小説家になって活躍している最近の事例では、辻仁成さんがいる。すばる文学賞でデビューし、その後1997年に「海峡の光」で芥川賞を受賞した実力者だ。結婚暦でも、二度目が南果歩さん、三度目が中山美穂さんを娶った実力者でもある。
 覚せい剤で逮捕された酒井法子さんが出版した「贖罪」も売れているようだ。有名芸能人の犯した犯罪の告白がファンの興味を惹くのだろう。このような犯罪者の告白本がベストセラーになった事例では、何と言っても大韓航空機を爆破させた金賢姫が書いた告白本「いま、女として、金賢姫全告白」がある。因みに、当たり前のことだが、この方達は、ベストセラー本を書くために犯罪を犯したわけではない。
 また、最近の事例では、ワイドショーのキャスターやテレビ人気番組の司会者で活躍中の辛坊治郎氏の「日本経済の真実」も爆発的に売れた。自らが、番組を通して大宣伝をしていたのも効果があったのだろう。
 こうして見て見ると、村上春樹さんような実力者は別として、新しい作家、著者の本が売れるには、メディアの扱いが、大きな鍵を握っている。そう言う意味では、芥川賞、直木賞のような大きな文学賞に選ばれることは、ベストセラーへ絨毯が敷かれたような扱いを受けることになる。
 とにかく、物書にとって、少しでも多く売れて欲しいという願望は誰しも持っているが、そのためには、何らかの形で有名になってメディアに取り上げられることが、ベストセラーへの早道と言うことになる。その場合に犯罪者も含まれることに、ちょっとしたジレンマを感じる。そうかと言って、そのために犯罪を犯すという訳にはいかない。当たり前のことだが、ベストセラーへの道は容易ではない。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 5時起床。体重、60.4Kg.今朝も寒い。お天気は良くなさそう。
 昨日の雅子は少し痰が多く、苦しそうだった。それでも、午後は車椅子で散歩。呼び掛けには反応は低調だった。ローのバイオリズムに入っているようだ。

3.連載、「難病との闘い総集編」(57)
  第二部 自宅介護(17) 第二章 症状悪化への序奏(3)

(1)配慮と頑張りの中で(その3)
 一考と雅子は、性格においても、趣味においても、かなり違ったタイプである。雅子は社交的で明るい性格に対し、一考は、どちらかと言えばオタクタイプで、取っ付き難い陰気な感じのするタイプである。ただ、長年の会社勤めで、最低限の社交性を繕ろうことを身につけていたので、付き合ってみると、それほどの陰気な感じはしないはずだと思っている。
 趣味、好みの面でも、音楽、映画、芸能面に関心の高い雅子に対し、一考は、これといった趣味はないが、将棋、物書き、それに、サラリーマンを終える頃から覚えた「歩く」といった地味なものに関心を持っていた。しかし、その一方で、野球では、共に阪神タイガースのファンであり、ゴルフでは不動祐理ファンであった。ビジュアルではないが、強さと謙虚さを持っている不動さんの魅力に、一考も惹かれていったのである。
 いずれにしても、話題が合うということは楽しいもので、一緒にテレビを見る機会が増え、会話もそれなりに盛り上がりを見せる。特に、この2005年は、阪神も優勝を目指して快調だったし、不動選手も好調で、6年連続賞金王にまっしぐらだったことで、二人は気分的にも乗った形で大いに楽しんでいた。
 ところで、二人の息子達も性格的には、両親と同様に対照的な性格の持ち主である。
 長男は理系、次男は文系で、陸上部に属していた。大学受験、就職に関しても、二人の歩みは似たような経過を辿っていて、共に一浪して大学に入った。 長男は博士課程まで進んだが中退して公務員に、次男は、四年で卒業すると一般の企業に就職した。数年後に、事情は違ってはいたが、共に、一度、仕事を替えている。
 性格的には、太郎は、慎重で粘り強いのに対し、次男の二郎は、現代的で何事も積極的だが、大胆過ぎて軽率なところがある。次男はちゃっかりしていて結婚も早かった。
 二郎の大胆、軽率と言う意味では、結婚式の披露宴で紹介された裏話にはびっくりさせられた。入社直後に外車を買い、それを搬入された初日で横転させてパーにしたり、上司に叱られて車の中で一夜を明かすなど、とんでもないエピソードにはたまげたものだった。今では、結婚して子供もできて、落ち着き持ち始めたことでほっとしている。
 それだけに、雅子の気掛かりは太郎の結婚だった。11月に入って間もなくの頃、霧子さんから子さんが、昔の近所におられた方の娘さんが、ちょうど年頃で千葉にいるから、一度会って見てはとの話を頂いた。太郎が、話に乗ってくれるかどうか気を揉んだが、とにかく、「会わないと何も始まらないよ」と積極的に前に踏み出すことを諭し、何とか会うことに漕ぎ着けた。
 11月26日、その日は好天だった。お姉さんの霧子さんが面倒をみるということで、雅子も千葉まで同行したのである。姉のサポートで、旅行そのものは大きな失敗もなく無難にこなした。しかし、この話は、残念ながら、進展することはなかった。それでも、雅子は、息子がともかくもそういう場に顔を出したことで、一歩前進したのではと、自らに言い聞かせていたようだった。
 ちょうどこの頃は、世間では、あの姉歯設計の偽装が発覚、世間を騒がせる事態に大きく広がり、連日新聞、テレビを賑わせていた頃である。一考は、このニュースを聞きながら、雅子のこの病気が偽装であって欲しいと思ったことを思い出す。
 しかし、現実は厳しく、徐々にではあったが、雅子は左手の動きだけでなく、右手の動きにも自由度が失われてゆくことを気にし始めていた。既に、衣服の着替え、料理などの支障をきたす面では、夫の助けで取り繕っていたが、その範囲は広がりつつあった。
 また、風呂に関しても、それまでは、洗髪も含めて何とか片手で処理してきていたが、やはり、背中を洗ったり、片手では手の届かない部分も多く、遂に、夫の手助けをもらうようになった。年も押し詰まった12月26日のことである。雅子も、まさか、自分の入浴まで、夫の世話になるなど思ってもいなかっただけに、内心忸怩たるものを感じながらも、背に腹は替えられなかった。
 こうして迎えた平成18年(2006年)のお正月は、母親を交えて三人で祝った。長男は趣味のラクビー観戦などで戻って来ず、次男たちは横浜の嫁の実家で過ごす順番だったからである。お雑煮は、いつものように雅子が作った。(以下、明日に続く)

1461 遂に、決着

 厄介な懸案、それぞれの事案に結論が出ることは、その内容の是非はともかく、すっきりして結構なことだと思う。先延ばしばかりでは事は進まない。

1.独り言コラム
 国営諫早湾の干拓事業を巡る問題で、高裁の出した5年間開門の判決に、菅総理は上告しないと決断した。法人税5%減税に次ぐ総理の明解な決断である。ここに来て、漸く、菅色を出し始めたようだ。
 諫早湾に、13年前に建設された7Kmに渡る水門は、ギロチンと呼ばるものだった。長崎県の農業への貢献はそれなりに歓迎されていたが、佐賀、福岡、熊本各県からは漁業に大きな影響を与えているということで、中止を求めて裁判に持ち込まれていたものだ。 
 本件は、菅氏が野党時代から反対していた事案で、今回は、総理が珍しく自分の考えに基づいた結論を出したのである。問責を受けた仙谷官房長官が動き難くなったタイミングであり、二人の間に微妙な影を見せ始めたという見方もある。
 名古屋市議会の解散請求(リコール)に向けた署名の扱いで、異議申し立ての審査の結果、住民投票に必要な数を上回った結果となり、政令市初の住民投票が行なわれることになった。不成立から一転して成立となった訳で、河村たかし市長は、その決着に「サンキュウ」を連発していた。
 去就が注目されていた松井秀喜選手だったが、アスレティックスに入団することで決着を見た。来年で、米国大リーグで9年目を迎えることで、ファンもほっとしたのではなかろうか。背番号は巨人軍入団以来18年間慣れ親しんだ55番を引き継ぐという。先日、楽天の岩隈久志投手の交渉権を獲得したアスレティックスだったが、松井選手にGOを出したことで、岩隈投手はちょっろ複雑な心境になっているだろう。
 さて、10月半ばから行なわれていた将棋の竜王戦は、渡辺明竜王が挑戦者の羽生名人を4勝2敗で下し、竜王七連覇を果たした。3勝2敗と渡辺竜王がリードで迎えた第6局が、一昨日から岐阜県高山市で行なわれていたが、昨日の二日目の夜に入って、羽生マジックも不発で、一手及ばず、146手で羽生名人が投了して決着がついた。
 この棋戦に関する限り、渡辺竜王は強い。今から6年前の2004年秋に、渡辺五段が当時の森内俊之竜王に挑戦した第一局は韓国のソウルで行なわれたのだが、その時には筆者は妻と一緒に竜王戦ツアーに参加し、渡辺さんを始め何人かの棋士と直接お話をさせてもらって楽しんだ事が懐かしい。その直後から、妻の難病が表面化し始めただけに、竜王戦の時期になると複雑な心境になるのである。それにしても、その年に竜王位を奪取して以来、ずっと防衛を果たして来ているのは凄い実力だ。局後に渡辺竜王は「七連覇できるなんて思ってもいないこと」とコメントしている。強烈な思い出は、2年前に今期と同じ羽生名人を挑戦者に迎え、3連敗した後、4連勝して防衛を果たしたのは、将棋界で初めての大快挙で、ファンを唸らせた記憶は今も生々しい。大山十五世永世名人が、その跡を継いだ中原十六世永世名人を苦手にしたように、羽生名人も、どうやら、渡辺竜王を苦手にし始めたようだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、61.0Kg.今朝は寒さが厳しい。お天気は良くなさそう。
 昨日の雅子は前日並みで、比較的安定していたが、呼び掛けへの反応が今一つだった。午後には、車椅子での散歩を行なった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(56)
  第二部 自宅介護(16) 第二章 症状悪化への序奏(2)

(1)配慮と頑張りの中で(その2)
 その後も武田病院への通院は一ヶ月一度の頻度で続けていた。一考が付き添うのが照れ臭いということで、雅子は、なるべく、一人での通院を行なうことを好んだこともあって、先生に確認したいことがある場合を除き、ずっと雅子一人での通院だった。 
 しかし、である。秋に入った10月度(2005年)から、雅子から付き添いを求められるようになった。その理由は単純で、病院窓口に診察用の書類を出す際に、左手の指がうまく動かず、所定のフィルムファイルに、診察カードを差し込むのが、自分一人でうまく出来なくなったからである。前月の9月度では、そのことで梃子摺ってもたもたしていたら、それを見かねた傍にいた方から、親切な手助けを受けて事無きを得たという。
 雅子の症状の悪化の変化の捉え方には、いろんな観点があろうが、この通院スタイルも一つの見方で、これは、雅子の症状に明らかな変化があったことを示す事実として捉えておく必要がある。それは、まさしく指先の動きが、今までよりも一段と悪化したことを示す変化であった。親指を除く他の指も少しずつ曲がり始めていたのである。
 この時点では、とにかく親指だけが使用可能であって、いろんな作業はこの親指を頼りとしていた。それだけに、雅子としては、なるべく親指に負担をかけまいと気を遣っていたのだった。
 ところが、その後間もなく、そんな気遣いが裏目に出るようになった。つまり、実際の作業では、親指に力が入り過ぎて、一旦、何かを握ると、親指がしっかりと掴む形になって、それを離すのが大変となり、場合によっては、自分の右手を使って左手を離すといった作業が必要となった。
 例えば、母親に食事を届ける際に、お盆をテーブルの上に置いた後、なかなか指がお盆から離れない。見かねた母親が、それをはがしてくれるような、一見滑稽と思えるような光景も幾たびか繰り返されるようになっていた。これは、先の病院で診断書を提出する際に、フィルムファイルをうまく扱えなかったことに次ぐ大きな症状悪化と言うべき変化だった。そして、頼りにしていた左手のその親指が急に他の指と同じように曲がり始めたのは、その後間もなくで、夏も過ぎて秋も半ばを過ぎた頃だった。台所でじゃがいもの皮を剥いていた時のことである。ちょっとしたことで力を入れた際に、急に親指がおかしくなったのである。雅子には、命綱の親指だっただけに、受けたショックは小さくなかった。かくして、命綱だった左手が使いものにならなくなって、これ以降の日常生活に大きな支障が出始めたのである。
 悪化は更に進み、お魚を焼く場合に、それをひっくり返すことができなくなっていて、これまた一考の手助けが必要になっていた。2005年11月6日のことである。まさに、徐々に、一歩一歩、症状の悪化が目に見える形で進行して行くのだった。
 話しは、少し前に遡るのだが、妹思いの雅子の姉の霧子さんから、鍼治療が、この病気に効果的ではないかという情報を持って来てくれた。早速、春日医師に相談すると、何でも試してみることはいいのではとのお墨付きを得たので、紹介者と一緒に、その鍼治療の先生のところを訪ねた。2005年10月13日のことだった。北区の加茂街道から紫明通りを少し西に入った一角にその鍼治療病院はあった。
 一考は、元来、そのような理屈のはっきりしない治療には、乗り気ではなかったが、自分の妻の気の毒さを見ていると、若しかして、何らかの効果があるのではとの、藁をも掴む心境で、僅かな期待をもって、その様子を見守ることにした。
 初めて治療を受けた雅子の話では、治療そのものは、マッサージでもなく、何か気を吹き込むような神秘的な治療法で、おまじないのような感じもあり、精神的な面での刺激が狙いのようにも受け取れるとのことだった。いずれにしても、二人には、理屈はどうであれ、効果がでれば、それはそれで良かったのだ。
 それ以降、向こう三ヶ月に渡って、週一回の頻度で通い続けた。最初の頃は、曲がっていた指が伸びるような感じもあって、先行きの展開にちょっとした期待を持たせたが、結局は、どうも効果がはっきりしないということと、新たに、雅子の通う美容院の店長から、電子治療という新しい治療法の紹介を受けたこともあって、この鍼治療を取りやめることにしたのである。2006年に入って間もなくのことだった。(以下、明日に続く)

1460 甘受

 広辞苑で甘受を見ると、「逆らわずに甘んじて受けること。(もとは、快く受ける意)」とある。同時に「運命を甘受する」という文例を上げている。

1.独り言コラム
 仙谷官房長官がまた発言の撤回を行なった。沖縄県の米軍基地負担を巡り「甘受して頂く」とした自らの発言を撤回した。仲井真弘多知事が昨日の県議会で「他人に言われる筋合いでない」と反発したことに対する撤回だった。まさに、その通りで、地元民にとって、納得できない結論を、上からの押し付けて「甘受せよ」はないだろう。
 そういえば、10月14日の参議院予算委員会で、山本一太議員が、新聞報道による質問をしたことに対し、「最も掘劣な手法」と答弁したことに対し、後になって「不穏当であったとすれば謝罪します」と撤回している。
 政治家には言葉は命のなだが、如何にも軽く使われていることが分かる。
 ところで、筆者も読者の皆さんにはお詫びしなければならない。先日(1455回ご参照)、大胆予測に挑戦と題したコラムの中で、小池真理子さんの日経新聞の連載小説「無花果の森」の結末を「泉の恋人、鉄治は既に亡くなっていて、生きたままでの二人の再会は叶わない。最終場面は、偶然近くの葬儀場で、鉄治の名前を見つけて呆然と立ち尽くす」と予測した。昨日の最終回で、当たっているのではと期待していたのだが、なんと、最後の最後で、「突然、鉄治が葬儀場から帰る泉のところに駆けつけて来る。そして、その鉄治に向かい、泉は踵の痛みを忘れ、駆け出した。」で終っていた。筆者の予測と、全く、逆の展開で完結したのである。
 何だかホームドラマのようなハッピーエンドとなったのは意外だった。もちろん、そういう終り方も全く否定はしないが、少し裏切られた気持ちだった。いずれにしても、筆者の今回予測の大間違いには、如何なる批判、叱責をも甘受する所存である。
 因みに、予測ということを思いついたのは、前回、林真理子さんが毎日新聞に連載していた作品、「下流の宴」の結末予測を行なった(1089回、1111回をご参照)のが、たまたまそれが当たったのをに意を強くしての今回の挑戦だった。しかし、柳の下に二匹目の鰌(どじょう)はいなかったのだ。
 なお、その時の大胆予測で同時に「フィギュアスケートのグランプリ・ファイナルで高橋大輔、村上佳菜子の優勝を予測した」が、高橋さんは4位、村上さんは3位に終って大はずれだった。但し、村上佳菜子さんは日本人ではトップだったことで、少し面目を保ったと甘い自己評価をしておきたい。その他に取り上げた話題の、海老蔵問題、斉藤祐樹の活躍、更には菅総理の行方の予測は、これから答えが出て来るので、それまで暫く静観したい。
 いずれにしても、間違っておれば、如何なる批判も甘受するつもりである。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時20分起床。体重、60.8Kg.お天気は回復のようだ。
 昨日の雅子は、反応は今一つだったが、熱もなく、痰もほどほどで、まずまずの一日だった。午後には入浴、ご機嫌も戻って来ているようだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(55)
 第二部 自宅介護(15) 第二章 症状悪化への序奏(1)

(1)配慮と頑張りの中で(その1)
 雅子の健康維持には食事の管理に加えて、適度な運動は不可欠だった。そんな時に、雅子の実の姉の霧子さんから、湯ノ花温泉への一泊旅行の誘いがあった。
 湯ノ花温泉は京の裏座敷と言われていて隠れた人気がある温泉街だ。京都からも近くて、20分程度の亀岡にある。
 雅子の一番上の姉の霧子さんは、雅子とは一回り上で、雅子が生まれた直後に実母が亡くなった不幸もあって、細やかに面倒を見てくれてたこともあり、厄介な病気に巻き込まれた雅子には、格別の思いでいろいろと気遣ってくれていた。今回の湯ノ花温泉旅行も、そんな優しい霧子さんの配慮によるもので、9月15日、16日(2005年)の一泊二日に渡るもので、次女の延子さんも加わっての三人の水入らずの旅だった。
 姉妹と言えど、それぞれ結婚して家庭を持てば、子育てや夫の管理で精一杯で、精神的にも時間的にも、それほどのゆとりがないのが世の常だ。法事や結婚式などの冠婚葬祭がある時に顔を合わせるのがやっというのが一般的である。
 そういう意味では、幸い、子供も独立し、夫も退職して一段落した霧子さんであったことから、妹の気の毒な身を案じての、このような優しい配慮も可能だったと思われる。
 雅子は久し振りに、姉妹水入らずのひと時を、思いっきり楽しむことができた。霧子さんのそんな気遣いに感謝する一方で、このようにして出掛けられるのが何時まで可能なのかと、雅子は捉えどころのない不安を抱くのだった。楽しさは大きかったが、そんな不安の募りは小さくなかった。
 このとき、一考は雅子を近くの西大津駅に送り、翌日は京都駅まで迎えに行ったのだが、一人で電車に乗り降り出来て、荷物も普通の旅行バッグを自分で持って移動していた。左手の不自由さは、この時点では、それほど大きな支障にはなっていなかった。
 そのような気分転換という観点では、一考は、雅子の友人達にも大いに感謝していた。まさに「持つべきものは友人」である。それと言うのも、雅子が厄介な病気に巻き込まれていく中で、彼女達は、いろいろと細やかな気遣いをして、とかく、運動不足になりがちな雅子を、外へ引き出してくれる機会をつくってくれていた。例えば、それまで、続いていた月一回の食事会も、頻度こそ減ったものの、友情の証として続けられていた。それまでは、雅子が車を運転して、皆を連れて行くことが多かったが、今では、皆に送り迎えをしてもらってのスタイルに変わっていた。雅子は、皆の温かい配慮を嬉しく思うと同時に、いい友人を持ったことに感謝するのだった。
 中でも、近くに住んでいる前田さんは、実に細やかで、タイミングを見計らって、近くのデパートに買い物などの外出の機会をつくって、意識的に連れ出してくれていた。運動不足を心配しての気遣いだった。また、二人が好きなアーティストである小田和正の公演に大阪にまで出向いて楽しいひと時を持つなど、精神的にも思い切った発散の場を作ってもらった。
 しかし、ここに来て、その辺りの遠出は次第に無理となり、近場のデパートにウエイトが移り、段々とその頻度が少なくなって行くのだが、症状の悪化で、致し方ないことだった。この辺りの変化は、雅子の気の毒さの軌跡をみているようで、一考も心の痛さを覚えるのだった。
 その後の具体的な外出の事例では、2005年9月3日には、前田さんの誘いで、バスを使って西武デパートへ、9月11日のあの郵政選挙の日には、いつもの友人達と車で長浜へ観光に出掛けている。
 その後も、タイミングを見て、声を掛けてもらい11月に入っても27日に西武デパート、12月12日には昼食会に引っ張り出してもらっている。そして、その友情は年が明けても続き、2006年1月8日には西武デパートへ、更に、1月25日は、前田さん宅での昼食会に招いてもらっている。有難い配慮の積み重ねに一考は心から感謝していた。このような記録を見る限り、この時点でも、手を引くなどのちょっとしたサポートで、雅子は、まだ、ゆっくりとした歩行は可能だったのである。(以下、明日に続く)

1459 耐え(堪え)切れず、

 建築構造物などに、設計上の限界を越えた力が加われば、物理的に耐え切れず崩壊することになるのは致し方がないことだ。人間でも、精神的なプレッシャーに堪え切れずに、駄目になってしまうことは、しばしば出くわす現実である。

1.独り言コラム
 昨日、アメリカミネソタ州のミネアポリスで、多目的ドームの「メトロドーム」が40センチを超える積雪に耐え切れず崩壊した。幸い、ゲーム前であったため、事故に巻き込まれた人はいなかったようだ。なお、この日予定されていたフットボールゲームは別の会場で行なわれたという。
 1988年に開場した東京ドームは、このメトロドームをモデルにした空気圧による膜構造物であって、改めて、その安全性が議論されるかも知れない。幸い、東京にはそんな大雪はないだろうから、直ぐにどうこうする必要はないだろう。
 大型建築構造物の崩壊は、我が国の事例では、1995年に起きた阪神・淡路大震災が最大の事例で、高速道路が横倒しになった映像は今でも印象に残る出来事だった。また、それよりも30年前の1964年の新潟地震では、架け替えたばかりの昭和大橋が液状化現象で崩壊した事例が思い出される。また海外でも韓国のソウル市内の漢江に架かっている聖水大橋の中央が、48メートルに渡って突然崩落し、走っていた乗用車などが川に落下して多くの犠牲者を生んだ事故もあった。
 建築構造物では、設計以上の加重が加われば、耐え切れないのは当然であって、学校などの耐震に対する安全性が見直されている。2005年暮れに発覚したあの姉歯設計の偽装事件などは我々の記憶に新しいところだ。
 そんな物理的な構造上の話しとは別の範疇の話しだが、今の菅内閣を見ていると、多くの課題の重さに堪え切れなくなるのではと、筆者は心配している。
 昨日も民主党の役員会で、政治と金の問題で張本人の小沢一郎元代表を政倫審に呼ぶかどうかで議論があったが、結局は、岡田幹事長に一任し、同氏が改めて小沢氏に直接会って話をすることになった。いわゆる、先延ばしである。
 今の菅内閣の仕事ぶりは、普天間問題、TPPP,年金問題、ガソリン税、高速道路無料化、八ツ場ダムなどなど、マニフェストに上げた多くの課題を含む重要な課題の殆どを棚上げ、先延ばしを繰り返してきている。下手すると、今回のメトロドームの崩壊ではないが、加重に耐え切れずに、どうしようもない破綻が迫って来ているのではないかとの強い懸念を持っている。
 差し当たっては、菅内閣を構造的に支えている仙谷官房長官が頑張っているが、何処まで支えられるのか、国民は強い関心を持って、この内閣の成り行きを注視している。
 それにしても、鳩山内閣で総務大臣だった原口一博氏は、昨日も「政権交代を実現させた功労者の首を差し出せというのか」と力説し、小沢一郎擁護論をぶっていたが、それは、政治と金の問題をうやむやにしろと言っているのと同じで、その発言内容には、腹立たしさを覚えると同時に、それまでは期待していた政治家の一人であっただけに、同氏への強い幻滅を覚えている今日この頃である。
 おまけの話しだが、殴られて怪我をした歌舞伎俳優の市川海老蔵さんも、今は結構な精神的なプレッシャーを受けているはずだが、同氏の場合は、見た目には充分に堪えられそうで、このピンチを凌いでいけるのだろうと思う。いずれにしても、良くないお友達とのお付き合いには気をつけましょう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 前夜は早く寝ていたので1時に目が覚めた。うとうとしていたが寝付かれず、2時に起きて、このブログを書き始めた。体重は未測定、今日の天気は、予報では曇りと出ている。
 昨日の雅子は午前中微熱があり、その後、徐々に下がり始めたので、午後、3時頃になって車椅子での散歩を行なった。3日ぶり。全体としては、まずまずの様子だったが、呼び掛けへの反応は今一つだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(54)
  第二部 自宅介護(14) 第一章 手探りの二人三脚(14)

(2)気晴らし(その4)
 さて、琵琶湖一周歩行は、順調に3日目を終えて彦根まで進んで来ていたが、4日目を迎える数日前に思わぬアクシデントに襲われた。一種の心筋梗塞症状が一考を襲ったのである。6月23日(2005年)の昼前のことだった。急に心臓が痛み始めた。会社勤務していた現役時代にも、何回かあって、その都度、横になって静かにして収まるのを待つのであるが、この日も、「またか」と思いながら、ベッドに横になって痛みが過ぎ去るのを待った。この時「若し、歩行中に襲われたらどうするか」という不安が脳裏を過ぎった。一種の持病と思い、この十年ぐらい、そのままにして来ていた。時々、このまま死んでしまうのではと思うこともあったが、結果的には、大事に至らず、事無きを得ていた。このことが、いずれ、不整脈によるものと判明するのは、一年数ヶ月後のことで、それまでは、一考は、この持病については,深く追求することはなかった。今から思うと怖いもの知らずの若さが、たまたま幸いしていたのだ。
 そんなことがあって、4日目を何時にするか迷ったが、予定通り、一週間後の6月26日に決行した。天候は曇りで歩くには絶好のコンディションだった。
 朝6時41分彦根駅をスタート。彦根城の前を通って湖岸出て、そのまま湖岸通り(さざなみ街道)を真っ直ぐ南下した。圧巻の一つは、伊勢崎から近江八幡の休暇村をぐるっと回って長命寺へ出る5Kmの森林コースである。何も無い林の中を無心で歩く。陽が遮られて適度な涼が得られて気持ちがいい。途中の水が浜辺りは、まさにオアシス、ビールが最高だった。しかし、その後の10Kmはあまりにも単調な何も無いコースで、太陽をしっかりと受けて、途中でバテ気味となった。やっと見つけたレストランでビールを飲んで回復を図った。その後は野洲川河口からJR守山駅に向かったのだが、この道が予期外の長距離で必死に頑張って、薄暗くなった夕方6時42分に駅に辿り着いた。この日の推定歩行距離、48.7Km、歩行時間12時間は、連続歩行時間の自己新記録だった。帰宅は7時半を過ぎていた。
 そして、いよいよ最終回の第5日は7月6日に実施した。この日は天候がはっきりしなかったため、決行するかどうかで躊躇したが、結局は強行した。6時12分守山駅をスタート。重苦しい空模様。気持ちは複雑。ともかく前へ、前へ。守山街道に出て一路湖岸を目指す。三宅、欲賀、浜街道の山賀に出る。この辺りは、中学生の頃に過ごした処で懐かしい。歩行は、そこから更に湖岸に出て、一路大津を目指した。
 唐橋の起終点に10時20分に到着。後は気合で歩いた結果、思ったよりも早く、12時23分に自宅のゴールに到着した。推定歩行距離29.3Kmで、所要時間およそ6時間12分。
 かくして、琵琶湖一周歩行が5日間の歩行で完結した。総合記録は、推定歩行距離、197Km,所要時間、46時間32分だった。この日のメモには「やり終えて 心穏やか 気分良し」のメモが残っている。
 一方、この頃の雅子は、左手の人差し指が曲がってきていて、左手は使えない状態になって来ていたが、まだまだ日常生活については、自分一人で対応できていたのである。
 ところで、前年末に帰郷した一考が、雅子の健康管理の一環として始めたことの一つが、体重測定である。一考自身は、もう十数年前から、健康のバロメーターとして体重の変化をその目安として捉えて来ていた。雅子についても、同様に体重の変化で健康状態をモニターすることを始めたのは、半年後の7月に入ってからのことだった。
 雅子の話では、学生時代は52-53Kgほどあったというのだが、実際に測定してみると、44Kgそこそこで、病気の影響がどの程度出ているかは、はっきりしていなかった。
 その後の彼女の体重は安定していて、変化も穏やかなものだったが、7月下旬から8月初めにかけて、43Kgを割り込み始めた。一考は、この病気で何か変化が起きようとしているのではと不安に思い、ともかく、43Kgをキープしなければと、食事に配慮するように心掛けた。
 8月の定期通院の日に、一考は、久し振りに雅子に同行して、そのことを春日医師に確認してみた。先生からは、直ぐに、次のような提案があった。
 「取り敢えず、血液検査をしてみましょう。その結果を見て、相談しましょう」その一言で、方針が決まり、その日、直ちに採血が行なわれた。
 その結果は、次回の9月の検診時に判明し、特に、他に悪いところは認められないということだった。幸い、体重の方も43Kg台に回復していた。どうやら、一考の心配は杞憂だった、と一考はほっとしたのだったが、…。(以下、明日に続く)

1458 発展的解消

 初期の目的を終えたということで、それまでやっていたことを止める場合に、かっこよく発展的解消という場合が多いが、内実は、体のいい単なる撤退の場合も少なくない。長く付き合っていた恋人同士が別れる場合には、なかなか便利な言葉でもある。

1.独り言コラム
 今年で10回目を迎えるお笑いの人気イベントであるM-1グランプリが、今回をもって発展的解消となることが発表された。「この大会から多くの若いスター、タレントを誕生させたことで初期の目的を果たした」とし、「今後、新たなイベントに取り組んでゆく」という。この最終回の決勝大会は、来る12月26日に生中継で放映される。
 大会審査委員長の島田紳助氏も「たくさんの後輩が育ち、漫才のレベルも上がったことで、漫才界に恩返しが出来た気持ちだ」とコメントしている。確かに、この間に多くの人気タレントが誕生し、今や脚光を浴びて活躍している芸人は多い。第一回の中川家から始まり、ますだ、おかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマン、NONSTYLE、バンクブーブーの九組のほか、2位に終ったオードリなども今や人気タレントとして大活躍中だ。
 とにかく、今年も予選に4200組を越える出場申し込みがあり、その対応にも難しさが出てきたのだろう。また、選考する審査も微妙で、NONSTYLEに負けたオードリーがより人気が出て来ると、その辺りにも限界が来ていたとも言えそうだ。有名タレントを目指していたタレントの方たちンには、登竜門が一つ失くなることで、がっかりしている方も多いのではなかろうか。しかし、ここでは、発展的解消を言葉通り受け取り、差し当たっては、ご苦労さん、と申し上げておこう。
 蓮舫行政刷新大臣が、あの仕分け作業について、今後の対応は発展的解消となることを示唆したという。政権交代で民主党に変わって行なわれた昨年の第一回仕分け作業は、国民の大きな関心を買って、一時は民主党内閣の支持率を支える役割に貢献していたが、決まったことが実行されず、再仕分け、再々仕分けということが必要になってくると、何をやっているのかという国民の不信を買うようになってしまった。法的拘束力のない今のやり方では、意味がないということで、新たな対応を検討するために発展的解消を示唆したのは妥当である。
 他にも、今年発展的な解消となったものに、「権力とマスコミの横暴に抵抗する国民の会」と云うのがある。その理由として「検察、検審を糾弾するデモ」の規模が当初想定しいていた数十人程度が、1000人を越える大きなものになってきて、トラブルも増えたことで、その対応方法を再検討しようとなったようだ。
 また、サッカーのベガルタ仙台の手倉森浩ヘッドコーチが退団し、兄の手倉森誠しが監督に就任する。これによって、今までの手倉森兄弟(双子)のコンビは発展的解消となるようだ。
 そういえば、バドミントンで、かつては、おぐしおコンビで人気を得ていた潮田玲子さんは、小椋久美子選手とのコンビを発展的解消して、新たに池田信太郎選手と、いけしおコンビで活躍しているが、昨日も決勝戦で平田典靖・前田美順組に逆転負けで、悲願の優勝は果たせなかった。潮田玲子さんは、今一つ吹っ切れていないようだ。
 さて、あれだけ勢いよく宮崎県知事に躍り出た東国原知事だったが、その任期途中から、自分の力量を過大評価し、もっと大きな仕事をしたいと言うことで、一期で卒業という道を選んだ。任期半ばでも、自民党の総裁にしてくれれば、国会議員に打って出るなんて匂わして不評を買っていたが、本人からすれば、知事職から発展的解消を図ったということになる訳だが、果たして、そんな力があるのだろうか。じっくりと拝見させてもらうことにする。
 今、発展的解消をしなければならないのは、民主党ではなかろうか。党の綱領もない政党はあまりにも不自然だ。政治と金の問題で揺れている小沢一郎グループも、いい加減に発展的解消をして欲しいものだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時45分起床。体重、61.0Kg.お天気は雨模様との予報
 昨日の雅子は少し熱はあったものの、気分は悪くなかったようだ。調子のいいときの賢そうな顔で、目を開けて話を聞いてくれていた。日曜で看護婦さんらが多忙のため、散歩は取り止めた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(53)
  第二部 自宅介護(13) 第一章 手探りの二人三脚(13)

 (2)気晴らし(その1)
 帰郷後、二人三脚での生活が安定化してくると、一考は、それまで多忙で余裕がなくて控えていた「歩き」をまたぞろ始めたのである。この時点(2005年前半)では、雅子は車の運転はできなくなったが、日常生活の上での大まかなことはまだ自分でマネージすることは可能だった。洗顔、入浴、トイレ、食事、それに友人たちとの会食、通院など、多少の支障はあっても何とか一人で出来たので、必要な準備をきちんとしておけば、一考が、外出することも出来たのである。
 とにかく、滋賀、京都を歩いてみようという気持ちが高まってきていた。そして、二月頃からあの碁盤の目の街を、とことこと順次歩き出した。大津に住んでいて、学生時代は京都の大学に通っていたにも関わらず、恥ずかしい話だが、京都の街中をほとんど歩いていなかった。そういうことで、市内をしらみ潰しに、のんびりした歩行を展開した。
 とにかく、外に出て歩く快感が何とも言えなかった。東京での三年間で、身についてしまった快感は、関西でもしっかりと生きていたのである。歩く起点は京都駅か、若しくは、京津線の御陵駅からだった。記憶に残る長距離歩行は、御陵駅から蹴上に出て、白河通りを北上、三千院を折り返し、京都駅までを8時間24分で歩いたし、また東西方向では、御陵から蹴上、二条通り、西大路通り、金閣寺、龍安寺、仁和寺、念仏寺、渡月橋、四条烏丸、京都駅の37Kmを8時間42分、京都駅から西方寺、鈴虫寺、渡月橋往復など、5月頃までに300Kmを制覇した。
 歩いて感じることは、東京と違って、京都は狭いということだ。歩いていて楽しいことも多いが、直ぐに突き抜けてしまう感じで、物足りない気もするのだった。また、三千院への往復では、歩道がなく、道が狭くてとても危険が伴うことも、東京では経験しなかったことである。
 滋賀県内にも挑戦したいコースがあった。「ぐるっと琵琶湖サイクルライン」と称するもので、自転車での琵琶湖周回道路が設けられている。一周が192Kmで、起点と終点が瀬田の唐橋、西詰め寄りに設定されてある。一考の家のごく近くに、西回り10Kmと東回り182Km地点の標識がある。JR湖西線高架橋の下を通っている細い道だ。
 京都市内を歩きほぼ尽くした一考は、6月に入って、いよいよ、その琵琶湖一周への挑戦を決意した。192Kmを何回に分けて歩くかは、第一日を終了した時点で考えることにした。
 2005年6月7日、梅雨の時期が近づいていたが、この日は幸い良いお天気だった。雅子には必要な準備をしておいて、朝、7時50分、西大津駅に近い自宅をスタートした。湖西線高架下の小道をひたすら歩く。二つ目の駅、比叡山坂本からは、国道161号線沿いに北に向かう。とにかく、北へ北へと歩き続ける。この間、琵琶湖がところどころで顔を見せてくれるので、気分転換には役立った。しかし、蓬莱辺りから、琵琶湖から少し離れて山沿いの道になったが、そこを抜けると、やがて、近江舞子に出て、再び湖岸沿いの道を歩く。眺望が開ける。小松を過ぎて更に進むと、湖の中に赤い鳥居が見えてくる。白髭神社だ。
 さて、どの辺りを、この日のゴールにしようかと迷っていた。いずれにしても、JRの駅でなければ家に帰れない。夕暮れが近づいて来ていて、疲れも厳しくなっていたが、ともかく頑張って、次のJRの駅を目指す。やがて、高島市に入り、近江高島駅が近くなった。すると、不思議なことに、また元気が甦り、もう一駅、もう一駅という具合に足が進んで、安曇川から、新旭駅まで頑張った。駅到着は、6時半を過ぎていて、もう薄暗くなっていた。歩行推定距離は46.7Kmで、所要時間はおよそ10時間33分だった。
 この日の17文字メモに「久しぶり 長距離歩いて 気が晴れる」と記した。この日の歩行で、一周するには5回に分ける必要があると結論を出した。
 さて、その二日目は、ほぼ一週間後の6月13日に敢行した。この日も好天で歩くにはもってこいの日だった。朝一番の電車で新旭駅まで向かった。歩きは、7時3分に新旭駅をスタート、一旦、国道161号線に出た。そこから今津浜を北上、海津大崎へ。崖が湖岸に迫っていて、道は狭い。そしてその崖をくり貫く形で作られた5つのトンネルを抜ける。この辺りの景色はなかなかのものである。途中で、ひょっこりと現れた一匹の猿に出くわした。近くで崖の工事が行なわれていたが、猿は悪びれることなく道をひょこひょこと横切っていた。こんな湖岸近くにまで出てくるのは、恐らく食糧事情が悪いのだろうと思った。猿は一考を見ていても、堂々とそして、ゆっくりと山の中に姿を消した。
 その後、一旦、JR永原駅に出て少し休息した。なかなか感じの良い駅舎だった。その後は、303号線に出て、岩熊第二、賤ガ岳トンネルを抜けて木之本へ出た。トンネル内は騒音で喧しく、車が疾走していて、歩くのは危険な感じだった。
 この日、スタートする際には長浜をゴールに想定していたが、疲れが酷く、急遽、高月駅を二日目のゴールにした。この日の歩行距離は、42.9Kmで、所要時間は9時間56分だった。
 三日目は、6月19日に行なった。この日も晴天に恵まれた。朝、8時に高月駅をスタート、湖岸に出るまでにおよそ1時間半を要した。爽やかさを買い占めたような気分で、途中には、道の駅もあってトイレの不安はなく快適だった。淡々と湖岸を南下する。竹生島を遠くに見ながら、野鳥センターの林を通過、只ひたすら南を目指した。この日のゴールは、無理せずに彦根駅とした。推定歩行距離は31.9Kmで所要時間7時間52分だった。例の17文字日記には、「振り返る 湖岸の曲線 感無量」と記している。(以下、明日に続く)  

1457 芸能人を冠にした討論番組

 芸能人の名前を冠にして、政治家、評論家、有名コメンテーターが参加する討論番組がいくつかある。そんな中で、日本テレビ系列で放送していた「太田総理」が打ち切りとなっていた。


1.独り言コラム
 読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」、TBSの「たけしのテレビタックル」それに日テレ系列の「太田総理」の三つの番組を取り上げようとして、今朝、少し前に調べてみてびっくりした。その「太田総理」が9月末で、打ち切りになっていたのを知ったのである。先週には、特番で「帰って来た太田総理」が放映されていたので、全く気が付かなかった。一時は20%近い視聴率を得ていた人気番組だったが、打ち切りの背景に、政治的な力が働いたというよりも、どうやら、視聴率が急降下したためだと言われている。
 さて、今朝は、この三つの番組に関する私見を披露しようと思う。
 これらの三つの番組は、政治家や評論家それに有名なコメンテーターたちに、バラエティー風の環境提供しながら、真面目な討論番組に巻き込む番組である。従って、本音をちらつかせ易く、その点でなかなか面白いと言う点では共通のセールスポイントだ。いずれも、冠に芸能人を持って来て、逃げの場を作っているところが、企画上の「みそ」のようだ。
 やしきたかじん、北野たけし、それに爆笑問題の太田光の芸能人が、番組を引っ張る役割をしているのだが、筆者が見ていて感じることは、政治的に最も個人の意見を強く主張しているように見せていたのが「太田総理」だった。それに対し、口数は少ないが、それぞれの問題の節目で、短い言葉でそれなりの意見を吐いているのが、たかじん、であるのに対し、たけしは、ちゃかすだけで、真面目に自分の意見をほとんど披露しないのが面白くない。
 番組を盛り立てているのに、アシスタントがいて、話題の流れを仕切ったり、解説を加えたしているのだが、その役割が、太田総理では、相棒の田中裕二であり、たかじんでは、辛坊治郎、タックルでは阿川佐和子、江口ともみさん達だ。辛坊さんや阿川さんは今や、アシスタントの域から主役の座を占めてきていて大活躍である。特に、阿川さんの仕切りの力量は大したもので、混乱する議論を押さえ込む度胸、話術は、他に掛け替えの無いタレントである。
 討論番組では、NHKの日曜討論、フジテレビの新報道2001、TBSのサンデーモーニング、テレ朝の朝まで生テレビなどがあるが、この三つの冠番組では、芸能人が表に立つことで、表面上の堅さを軟らかくしているのが人気の一つの要因だろう。
 太田総理が打ち切られたが、あとの二つの「たかじん」と「たけし」は、もっと頑張って楽しませて欲しい。なお、たかじん、は東京に放映していないのが、何とも珍しいスタイルだ。情報は今やエリアで止めることなんて出来るわけがない。東京エリアにも放映すべきだと思う。
 さて、何事も、真面目一辺倒ではなく、たまにはゆとりをもった遊んだ形で対応するのも気分転換でよろしいのではないでしょうか。遊び過ぎて、今話題のナンバーワンの市川海老蔵さんのようになっては元も子も失くなるが、適度な遊びは人間を豊かにすると思う。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時15分起床。体重、60.4Kg.お天気は、昼間は良さそうだ。
 昨日の雅子は、熱もなく、痰も少なく、気分は良かったようだ。賢そうな顔で、じっと見つめてくれて、話を聞いてくれていた。しかし、残念ながら、一考の都合で、散歩が出来なかった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(52)
  第二部 自宅介護(12) 第一章 手探りの二人三脚(12)

(2)頑張る雅子(その3)
 その期待のMRS検査は4月27日(2005年)に行なわれた。一考が雅子を連れて、紹介を受けた滋賀医大に夏目医師を訪ねたのは、夕方の6時近くだったが、まだ太陽は健在で明るさは保たれていた。
 夏目医師は、春日医師と同様に武田病院の部長であり、週一回の外来を受け持っていて、同医師とは昔からの付き合いがあって懇意な間柄のようだった。
 「検査にはおよそ一時間程度掛かります。必要があれば、トイレなどを済ませておいて下さい。準備が出来次第、ここへお迎えに参ります」玄関を入ったロビーで迎えてくれた夏目医師は、そう言って、検査室の方へと戻って行った。春日医師とほぼ同年輩だが、身体つきは少し大柄だが、同様に温和な感じであった。
 「一時間って、随分と掛かるんだね。トイレにでも行っておいたら?」一考は、雅子にそう声を掛けながら、辺りをゆっくりと見回した。時間が時間だけに、ロビーには誰もいなくて、がらんと静まり返っている。しかし、雅子は大丈夫だということで、そのまま椅子に腰掛けて待った。
 それから、三十分ぐらいして、夏目医師が再び現れて、二人を検査室に案内した。廊下を二回ほど折れた奥の方の部屋だった。入口を入った正面の小部屋に測定機器があるようで、夏目医師は、雅子を連れてその中に入って行った。一考も続こうとしたが、「ここで待っていて欲しい」と部屋の入口のところにある椅子を指差した。ここから先は入っては駄目ということだった。
 その椅子席からは、他に二人ほどの人の姿が見られ、何か事務をしているようで、部屋全体は静かだった。時間が遅いだけに、他の人たちはもう帰ってしまっているのだろうと一考は思っていた。雅子と医師は検査室に入ると扉を閉めた。暫くすると、夏目医師はそこから出て来て、少し外出して来ると一考に告げるとその部屋を出て行った。一人ぽっちで検査室に残された雅子のことが心配になった。若し何か不測のことが起きたらとの不安が頭を過ぎったが、じっと待つしかなかった。15分ぐらい過ぎた頃、部屋の奥の方から、多くの若い研究者風の人たちが話しながらぞろぞろと現れ、その部屋から出て行った。どうやら夕食にでも行く様子だった。この奥の方に広い部屋があるのだろうと思うと同時に、こんな時間に随分多くの人たちがまだいたことに、さすが医大だなあと一考は感心しながら、彼ら出て行くのを見送った。
 その後、半時間ぐらいして夏目医師が戻って来た。一考に軽く会釈すると、ゆっくりとした歩調で検査室に姿を消した。雅子のことが心配だったから、ほっとした気持ちになった。しかし、直ぐに検査室から出て来た夏目医師は、そのまま部屋の奥の方に姿を消した。随分と待たされると思いながら我慢して待っていた。漸く、夏目医師が検査室に入り、雅子を連れて出てきたのは、それから更に10数分経過していた。
 「お待たせしました。終わりました。結果は、次回の春日医師の診断の際に、ご報告することになります。どうも、お疲れ様でした」
 ほっとした二人は、丁重にお礼を言って検査室を後にした。病院を出ると、来た時には輝いていた太陽の姿は無く、夜の帳が下りていた。病院からの帰りの車の中で、どうだったと聞いてみた。
 「MRI検査の場合と同様で、ベッドに横たわっているだけで、退屈だった」とそっけなく応えたが、かなり、疲れているように思われた。
 この検査の結果は、ゴールデンウイークが明けて一週間後の木曜日の武田病院での定期診断日に聞く事が出来た。この日は混んでいて、予約時間の10時を1時間ぐらい過ぎていた。
 「こんな具合なんですよ」診察室に入ると、春日医師は一枚のグラフを書類受けから取り出し、それを広げて見せながら話し始めた。
 「このグラフは、59歳の男子の健常者との比較を示したものです。横軸に脳の各領域を取り、縦軸がその反応を示す強さを示しています。ご覧になってお分かりの様に、この二つの領域は健常者とそれと変わらない強さになっていますが、その他は、多少のばらつきが認められますが、総じて、30パーセント程度、特にこの部分は、50パーセントほどの低下が認められます」それぞれの該当するグラフの部分を指で指しを示しながら、春日医師は説明した。
 「なるほど。この二つの強さが変わっていない領域というのは、具体的にどんな役割の部分ですか」春日医師の説明に頷きながら、一考は、その内容の中身を確認した。最も知りたい内容である。
 「そうですね。この部分は、どちらかと言えば、知的な役割を受け持っている部分です。つまり、知的な面は今のところ健康な人と変っていないと言えます。それに対して、それ以外、つまり、運動能力を中心とする領域は、全てについて、かなりの能力低下が見られます」一考は、腹にぐっと力を入れながら、そのグラフに見入っていた。確かに、雅子の今の症状は、春日医師の言う通りだ。運動機能が目に見えて低下して来ているのだ、なるほど、と思いながらデータの意味を頭の中で反すうしてみる。
 「知的な能力が保持されているという結果にはほっとしていますが、これから先もそうなのかどうかは分からないですよね」一考は、ほっとしたものを感じる一方で、これから先の不安を思うのだった。
 「そうですね。一年後に、もう一度診断することで、その辺りの傾向は更に明確に把握することは出来ると思います」
 一考もこのデータの追跡フォローすることで、若しかしたら、何かのヒントを掴む事が可能かも知れないと思うのだった。そういうことで、一年後検査をお願いをして、ほっとして二人は診察室を出た。雅子もほっとしているようで、黙ったまま頷くように首をゆっくりと動かしていた。病院のロビーにある掛け時計はもう正午を示していた。(以下、明日に続く)

1456 日本と中国

 今の日中関係は極めて微妙である。近所に住んでいる身体のでかい、札付きの厄介な隣人で、いつもかき回されてばかりいて、気ばかり遣う面白くない存在である。そんな中で、ここ数日の間に、ちょっとした快哉を叫びたくなるニュースが「あった! あった!」である。

1.独り言コラム
 かつて、小泉純一郎総理の時代には、同氏の靖国参拝を巡って、日中関係は大変なぎくしゃくした冷えた状態が続いていた。昨年の12月に、あの小沢一郎氏が150人もの仲間を連れて軍門に下った対応を見せて、見た目には好転したように思われた。
 しかし、最近の尖閣沖漁船衝突事件を巡って、日本は以前から中国の属国だったとの主旨の仙谷官房長官の発言内容に見られるように、日本人の政治家の中には、そんな潜在意識で対応している者も少なくないと思われる。小沢一郎氏のあの訪中も、その一例だったという見方もある。
 ここ数年の日中の動きを見ても、日本はやられっぱなしである。毒ギョウザ事件、東シナ海油田問題、更には最近の尖閣問題を巡って船長釈放問題などが思い浮かぶ。しかし、それだけではない。
 例えば、今年の出来事を振り返ってみても、日本は、遂に、GDPで中国に追い越されて世界2位の地位を失った。また、上海万博でも、入場者の総数が、今までの最高記録だった大阪万博の記録が追い抜かれてしまったし、先のアジア大会では、金メダルの数を比べてみても、中国が199個に対し、日本は僅か48個と云う低調さだった。常に、中国の後塵を拝するような芳しくない状況にある。
 そんな中で、快哉を叫びたいニュースが飛び込んで来た。珍しく日本が一矢報う形のニュースである。それらを総括しておこう。
 昨日、沖縄県石垣市の市議の二人が、尖閣諸島の南小島に上陸したというのだ。日本の国旗を翻した映像に、してやったりと快哉を叫んだのである。かつて、自民党の晴嵐会のメンバー達が1978年に灯台を建てたという快挙があったが、日本政府は外務省の反対で灯台としての認定しておらず、地図にも書かれていない。馬鹿な話しだ。それだけに、今回の上陸には大拍手を送りたいのだが、新聞の扱いの小ささに筆者の驚きは小さくない。この辺りの日本の対応はおかしい。
 一方、昨日スロバキアのプラハで行なわれた卓球の世界ジュニア選手権女子団体決勝で、日本が3-1で中国に勝って初優勝した。2003年の第一回からの中国の連覇を止めた快挙である。日本チームでは、エースの石川佳純さんが2勝、谷岡あゆみさんが1勝を挙げての勝利だった。「よくやった!」と万歳を叫びたい心境だ。
 昨日行なわれたノーベル賞の授与式に、今年の平和賞を受賞した中国の劉暁波さんが欠席したまま、異例の主なき平和賞の授賞式だった。中国から出席をしないようにとの要請があったという。実際には、65カ国が招待されていて、17カ国が欠席して中国の顔を立てたようだ。一方、中国内では、それとは別に、孔子平和賞なるバッタものの賞が設定されて授賞式を行なったそうだが、「孔子、混同」も甚だしい。
 先のPISAで世界の高校生の学力テストが行われた。結果は、このところ、下降気味だった日本の学力に歯止めが掛かったようで、その日本の頑張りに文部省はほっとしているという。しかし、気になるのは、ここでも、今回から参加した上海がトップの成績を収めたことである。何事にも気になる中国の存在だ。
 ところで、その中国の北京で、昨日からフィギュアスケートのグランプリ・ファイナルが始まった。初日のSPでは、期待の日本人選手の活躍は今一つだったようで、男子では織田信成選手がトップに立ったが、本命の高橋大輔さんや女子の安藤美姫、鈴木明子さんは少しで出遅れている。そんな中で、女子では、16歳の期待の村上佳菜子さんは堂々の演技で、日本人トップの3位スタートである。今日の自由演技での日本人の金メダルを期待している。この世界では、さすがの中国も地団太踏んでいることだろう。今のところ、その姿が全く見えない。
 何事も、中国には負けたくないと言うのが、最近の筆者の強い願望である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 5時15分起床。(朝寝坊)体重、60.7Kg.お天気はまずまずのようだ。
 昨日の雅子はまずまずの様子、顔つきも賢そうな顔で、体調もまあ、まあの様子だった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(51)
  第二部 自宅介護(11) 第一章 手探りの二人三脚(11)

(2)頑張る雅子(その2)
 パーキンソン病が進行性の難病だと言われているが、この「進行性」という意味が一般の人には誤解を与えることがある。意味は単純で、文字通り、病気が日を追って進行、つまり、悪化してゆくという意味で、雅子の場合も、現実に、日を追って症状は僅かずつではあるが、悪化して来ている。左手の人差し指に力が入らないという異常から始まったのだったが、次第に、その指全体が自由を失い、更には、左手そのものの自由度が阻害されつつある。
 少し前のことだったが、姉の久子が「うちの旦那が言っていたけれど、誰でも、皆、年を取って行っている訳で、身体は少しずつ悪くなって行っているんだよ。取り立てて、雅子さんの場合に、進行性の病気だと強調するのもどうかと思うんだけど」と言われた。その言わんとするところは、そんなことをあまり気にしなくてもいいのではとの配慮の言葉だったのかも知れないが、一考には気に入らなかった。久子の旦那さんの言っていることは「老化現象」であって、「進行性の病気」と一緒にされては堪らない。老化現象なら、こんなに心配することはないんだから。
 いずれにしても、その進行度の割合を、何か、定量的な数値で示されるような検査方法がないものかと考えていた。それによって、然るべき項目の数値が増減することで、病気の進行と相関関係があれば、進行性の病気の実態を把握できることになる。更には、その変化をエクスとラポレイトすることで、いずれは、こんなことが予測されるといったような定量的な示唆を提供してくれる検査があればと考えていた。
 4月度の定期健診時に、たまたま付き添っていた一考がそんな思いを先生に訴えたところ、少し考えていた春日先生から、思わぬ返事が返って来た。
 「私の同僚が研究しているのですが、MRSという設備で検査を受けると、具体的に、脳のどの部分が、どの程度悪化しているかが把握できるのですが、一度、受けてみられますか?」淡々たる口調だが、飛び出して来た話の内容は、一考が期待していた内容をカバーするに充分なものだった。
 「そんな検査機器があるのですか。それは、願ってもないことです。是非お願いします」さすがに、その道の権威者だと、一考は初めてその一面を覗けた気がして、飛びつくような思いで、その提案に同意した。
 「お分かりだと思いますが、これはあくまでも検査であって、治療ではありません。それで、宜しいんですね」春日医師は慎重な口調で、一考の考えを確認した。
 「もちろん、分かっています。その検査結果で何らかのヒントが得られて、治療に反映できることもあるのでとも思っています」とにかく、その対応の一環として、何らかの新たな展開が欲しかった。ちんたらちんたらとお薬を服用しての結果を追う治療だけでは埒が開かないように感じていた一考だけに、藁にでもすがりつくような気持ちだった。
 「分かりました。この検査は、滋賀医大にある機器で行なってもらいます。お宅の近くですよね」春日医師は、そう言いながら、直ぐに携帯電話を取り出して、その担当医師と連絡を取り始めた。(以下、明日に続く)

1455 大胆予測に挑戦

 早いもので、今年もあと3週間で終る。当たり前のことだが、大抵のものには終りがある。ここ一年余り楽しませてもらっていた日経新聞夕刊の連載小説「無花果の森」があと4回で完結すると昨日の同紙の社告で知った。この小説の最後はどんな結末になっているのか楽しみだが、今朝はそれを大胆に予測してみた。ついでに、幾つかの興味ある今進行中の現実のドラマについても、その展開、結末の大胆な予測に挑戦してみた。

1.独り言コラム
 小池真理子さんは、筆者が好んで読む作家の一人だ。連載中の「無花果の森」のあらすじは、次のようなものだ。
 芸能界の覚せい剤汚染を追及していた週間誌記者の鉄治は、相手の仕掛けた罠に嵌って、身に覚えのない犯罪者として追われる立場になって地方都市に身を隠していた。一方、夫のDVに堪えられず家出して、奇しくも同じ地方都市に身を隠していた有名映画監督の妻の泉の二人が、その潜伏先で偶然出会う。
 鉄治は、かつては、その有名映画監督の妻ということで、泉を取材対象にしていたことから、泉には面白くない感情を抱いていた相手だった。しかし、そんな二人が偶然に再会し、当然な流れとして愛し合う関係になった。或る日、二人は初めて潜伏先からドライブに出かけたのだが、鉄治が突然、泉を残して警察に出頭したのである。それは無実の罪を晴らすための戦いでもあった。
 泉は愕然とするが、鉄治との再会を期待して、じっと待つのだった。その後、鉄治が書いたと思われるスクープ記事が週間誌に掲載されたものの、鉄治の行方は杳としてしれなかった。
 そのまま時が流れたが、潜伏先でお世話になった老画家の訃報を知って、葬儀場に駆けつけた泉は、同じく潜伏先で鉄治を匿っていたおかまと出会う。そこまでが、昨日までの大まかな内容だ。
 さて、鉄治と泉は再会できるのか。どんな形での再開となるのか、といったところが、残されたこのストーリーの最後の大事な結末の部分だ。筆者の大胆なその結末予測は、以下の通りである。
 「鉄治は既に亡くなっていて、生きたままでの二人の再会は叶わない。しかし、偶然にも、その日の老画家の葬儀が行われていた隣で、こじんまりと行われていた葬儀場に、鉄治の名前を見つけるのである。泉は、呆然として立ち尽くす」なんて、予測するが、どうだろうか。
 さて、この機会に、今進行中の現実のドラマの幾つかについて、その結末の大胆予測をしてみよう。
 先ずは、市川海老蔵問題だが、これは、歌舞伎関係者の必死の努力、画策で、犯罪行為はそれほど重くない形で収束されるのではなかろうか。そして、早ければ、来年、2月~3月には舞台復帰するだろう。しかし、同氏のその種の酒癖から来る悪癖は完全に治癒するのは難しく思われ、将来、また同様な問題を起こすのではなかろうか。結果的には、いずれ、小林麻央さんとは別れるというのが、筆者の見方である。(大胆過ぎるかも?)
 さて、いよいよ今日から北京で、フィギュアスケートのグランプリファイナルが行なわれる。日本から、男女合わせて全出場者12人中の半数の6人が出場するだけに、その活躍が大いに楽しみであり、期待も大きい。優勝を大胆に予測すると、男子が高橋大輔、女子は村上佳菜子である。但し、高橋大輔選手の昨日の練習時での小塚崇彦選手との衝突で大事に至っていないことが前提なのだが?
 昨日、日本ハムに正式入団が決まった斉藤祐樹選手のお披露目があった。背番号はエースナンバーの18をもらっての大人気を博していたが、果たして、プロで通じるかだ。筆者は容易でないとみているが、…。プロはそんなに甘くないと思うのだが。
 最後に、菅内閣の行方だが、これに関しては複雑過ぎて、先はなかなか読み切れない。しかし、今の水面下での活発な動きを見ていると、どうやら政界再編に進むのではなかろうか。政党助成金を受け取る資格から考えて、新党を結成するなら年内でなければならない。それだけに、ここ暫くは動きも活発となるだろう。しかし、どうしても見えて来ないのは、次の総理の顔だ。筆者の大胆な予測も、この顔に関しては、全く浮んで来ない。内閣を改造した形で、菅直人総理が続くのだろうか。因みに、次の総理の顔として、筆者の今の好みから言えば、前原誠司さんで、自民党を離党した舛添要一氏は好きではない。
 
2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、60.8Kg. お天気は良さそう。
 昨日の雅子は熱もなく、いい顔(賢そうな顔)をしていた。気分は悪くなさそう。午後には、車椅子での散歩を行なった。まあ、小康状態だと思う。

3.連載、「難病との闘い総集編」(50)
  第二部 自宅介護(10) 第一章 手探りの二人三脚(10)

(2)頑張る雅子(その1)
 2005年の正月期間も終わり、荷物の整理をしていた時だった、一考は書斎の一角で、妻が購入していたパーキンソン病に関する三冊の単行本を見つけた。いずれも、まだ新しいもので、かなりの詳しい専門的な内容だったが、既に、部分的に入念に目を通した跡が残されていた。
 雅子がショッキングな病名を告げられ、募る不安を覚えながら、藁をも掴む気持ちで、本屋の人気の少ない医療本のコーナーで、それらの本を捜し求めたものだろう。一考は、その時の雅子の姿を思うだけで、胸には熱いものがこみ上げて来るのだった。せめて、自分が傍にいて相談に乗ってあげていたら、少しは彼女の気持ちも和らいでいただろう。そう思うと、一考は忸怩たる気持ちになるのだった。
 急いで、一考も、それらの本に目を通し始めが、読み進むに連れて、それまでインターネットで即席に仕入れた知識の浅さを反省するのだった。そして、改めて、この病気が一筋縄でない厄介なものであることを知ったのである。
 雅子が、思い切って京都の武田病院に転院したのが、2003年の10月だったから、一考が帰郷し雅子のサポートを始めた2005年1月時点では、武田病院でその道の専門医の春日先生の治療を受けて、早くも一年三ヶ月になっていた。春日先生からは、最初は、パーキンソン病ではないのではとの診断で、原点に戻って、一から診察、検査のやり直しが行なわれたのだが、ほぼ一年を経過した昨年の十月時点で、やはり、パーキンソン関連病だと診断されたのである。そして、その時点から、改めて、そのための薬を服用し始めた。結果的に、最初の日赤病院での一年の治療を無駄な空振りになったことに、一考は、少し悔やんだことを覚えている。そして、残念ながら、未だに雅子に適合する薬は見出せておらず、見通しのはっきりしないまま闇の中にいる。彼女の気持ちを思うと胸が痛いが、どうしようもないじれったさを覚えている今日この頃だ。その間、非情にも、徐々にではあるが、症状の悪化は確実に進行しているのだ。
 その後も、病院へは月一回の割合で通い、その都度、順次、然るべき薬を与えられ、その効果を確認するといった治療が続けられている。春日医師の話では、およそ二十種の基本的なパーキンソン病の薬があって、毎回の治療は、症状を見ながら、最新の情報を元に、それらの薬の組み合わせを試行錯誤し、その効果をフォローするステップの繰り返しである。この繰り返しの作業で、果たして然るべき宝物は見つかるのだろうかと思う一方で、他に治療の方法もない訳だから、どうしようもなく、じっと我慢しながら効果が出るのを忍耐強く待たねばならない。
 ところで、肝心の雅子の症状なのだが、帰郷してまだに二ヶ月足らずではあるが、一考の目にも彼女の不具合が、僅かずつではあるが悪化しているのが認められる。左手を使う作業は徐々に遅くなり、それまで出来た作業もし辛くなる作業が増えて来ていた。洗濯物を干したり、料理で食材の皮を剥いたり、細かく切ったりする作業は一考が買って出ることが多くなっていた。やはり、傍にいて逐一雅子の行動に目を配っていると、ちょっとした変化も捉えられる。それだけに、病名を告げられながら、そのまま東京に居残っていた自分の怠慢さを反省するのだった。雅子も、一考が帰って来たことで、張りつめていたものが弱められたことで、ついつい夫に頼りかちになっていることもあろうが、ここに来て病魔が改めて牙を剥き始めたことが窺われ、先行きの不安が募り始めていた。
 2005年2月13日、雅子の次兄の死後一年目の法要が京都で行われた。法事が終わった後の食事会で、偶々、隣り合わせた雅子の兄嫁の香子さんから「雅子ちゃんの左手になってあげてね」とアドバイスを受けた。あくまでも、この時点では、障害は左手だけに限られていただけに、この言葉が印象深く、後々まで、一考の頭の中に残ることになった。それは、改めて、自分の責任を自覚した時でもあった
 その時、向かいの席にいた雅子は、誰のサポートも受けず、自分一人で食事をしており、この時点でも、日常生活には、致命的な支障とはなってはおらず、何とか、一人でもマネージ出来ていたのである。 しかし、いずれ、雅子の不具合が左手だけではなく、更に拡大して行き、悲劇が深刻になる事態が待ち受けているのだが、そのことについては、この時点では、未だ誰も知る由もなかった。(以下、明日に続く)

1454 夢を追う

 各界では、それぞれが勝手な夢を追って、いろんな画策が進められている。それらが、我々国民の夢に繋がるものであれば幸いなのだが、必ずしもそうではなく、単なる権力争いに属するものが多いのが頂けない。筆者には、それでも夢を追いたい気持ちは健在だ。

1.独り言コラム
 一昨日には読売新聞のナベツネさん、こと渡辺恒雄さんが自民党の谷垣禎一総裁や森喜朗元総理と会って、また、自民・民主の大連立の勧めを説いたようだ。老害と呼ばれて久しいが、まだ、そんな力があるのだろうか。
 そんな中で政界の動きは慌しい。昨日は、小沢一郎、鳩山由紀夫、邦夫兄弟、それに舛添要一氏が会談したという。新党改革の舛添氏が加わったところが「みそ」で、小沢グループを軸とする新党結成が画策されているようだ。自民党から離党して影が薄くなっていた舛添要一氏だけに、同氏の再浮上という意味で、少し面白い展開があるかも知れない。
 一方で、小泉純一郎元総理、山崎拓元幹事長、冬柴鐵男元公明党幹事長氏らが会談したという。ここでは、大連立はやるべきじゃないとのことで話し合ったようだが、…。
 肝心の菅直人総理だが、動きが地味である。社民党に命運を託そうと福島みずほ代表を口説いていた。どうやら、この年末年始の政界は、相当に熱くなりそうだ。
 ウィキリークスの社長、ジュリアン・アサンジ氏が別件逮捕された。それでも、同氏は、情報の公開は継続するという。一般の国民にとっては、真実を知ると言うのも一つの夢であり、そういう意味では、今後どんな情報が公開されるか興味深い。一方で、このことで、米国政府を窮地に追い込んでいるだけに、同氏の扱いを巡る今後の展開は注目される。
 はやぶさで一躍脚光を浴びたJAXAだったが、金星探索機、あかつきでは、金星を回る軌道に乗せるのには失敗したようだ。夢は途絶えたと思われたが、JAXAもなかなか粘り強く、6年後にもう一度復活戦に持ち込むという。さすがに宇宙の世界は規模が大きい。人生のロスタイムに入っている筆者には、リニアー新幹線の話しや、FIFAのサッカー日本開催の話しもそうだが、そんな先の長い話しは、まさに夢のまた夢である。
 日本文化の伝統の象徴とも言える歌舞伎の世界も大変だ。昨日の記者会見では、傷つけられた市川海老蔵さんの商売道具の顔は、幸いにも、ほぼ復元されていることが確認できて、関係者はほっとしているだろう。同時に、同氏のいわゆる「目力」なるものに接したが、さすがにしかるべきものがあると感じた。
 しかし、同氏の記者会見での発言内容は、あまりにも一方的なもので、加害者とされる相手の証言と大きく食い違っている。暴走族という良くないグループと付き合いがあったことは隠しようがないだろう。この辺りの状況から、無期限出演停止が解けて、近い将来での舞台復帰は夢のまた夢ではなかろうか。
 なお、昨日、自宅に戻った新妻の小林麻央さんが「夫婦共に深く反省している」とお詫びの挨拶をしていたが、如何にも可憐で初々しさが感じられ、好感を抱いたのだが、何故か、その映像を見ていて、あの覚せい剤事件の酒井法子さんが釈放された時の映像を思い出した。お詫びの姿がよく似ているのだ。大変な世界に嫁いだ麻央さんが何となく気の毒なだと思うのは、筆者ひとりなのだろうか。。
 楽天イーグルスの岩隈久志投手が、来季の米大リーグでのプレイを夢見たが、アスレティックスとの交渉が不成立で、来季も楽天でプレイする。夢は持ち越されたが、挫けずに頑張って欲しい。その一方で、同じ楽天のマー君の田中将大投手は、芸能界の人気者の里田まいさんと婚前旅行を楽しんだようで、大きな夢を手中にしたようだ。夢は奪い取るものでもある。
 筆者も、夢のまた夢を追って、元気に闘って行きたいと頑張っている、今日この頃である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、61.1Kg.入浴。お天気は良くなさそう。
 昨日の雅子は、朝から熱があった(38度)。しかし、見た目には、そんな苦しそうな表情でもなく、賢そうな顔つきで、じっと見つめてくれることも多かった。しかし、午後になっても、熱は下がらず(37.5度)、予定していた散歩は取り止めた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(49)
  第二部 自宅介護(9) 第一章 手探りの二人三脚(9)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その9)
 「ところで、母の所に食事を運んだ際など、戻って来るのに随分と時間が掛かっているが、一体、何を話しているんだい?」
 ここに来て雅子の左手が思うように使えないので、安全のために出来た食事を階下までは一考が運ぶが、そこからは雅子が義母のいるところまで運ぶことにしている。雅子と義母との顔合わせの機会を減らさないための一考の配慮だ。
 「お義母さんは、よく昔話をして下さるのよ。その時々に思い出した話をされるの。貴方の子供時代の話から、ご姉妹の幼い頃の話など、事細かに話して下さるの。大抵は自慢話だけれど。初めて聞く時はまだ面白くて楽しいんだけど、その内に同じ話が幾度も出てきたりして、この二十何年間で、何度同じ話を聞かされたか数え切れないわ。お義母さんは、とてもお話好きなんだから」
 丁寧な言い方の中に雅子の精一杯の皮肉が込められている。
 「年を取ってもうろくしているんだよ。そんな時は、その話はもう聞いたと言ってしまえばいいじゃない?」
 「しかし、そうも言えないし、仕方なく黙って聞いてあげているの」
 「君は、人が良過ぎるんだよ。そう云えば、このところ、お袋に目薬を差しに行ってるんだって?」
 「ええ、年末にされた白内障の手術後の消毒のためなの。お義母さん一人では無理なので、お義姉さんから手伝ってあげてと頼まれているの。それも、四時間おきにね」
 帰郷直前に姉から、白内障の手術をすることで相談を受けたが、母親はもう結構な年だから無理しない方がいいのではと一考は反対したが、姉はそれにも構わずに手術を敢行した。取り敢えずは片方の目だけにし、もう一方は近々することになっている。何事も、全て姉が取り仕切っていることが一考には少し気に入らない。
 「四時間置きか。それは大変だ!」
 一考は、顔をしかめながら、その面倒さを思うのだった。
 「食事の準備に、この目薬、それに時々庭の草引きもしなくてはいけない。結局、他には何もできないのよ。諦めているけれどね」
 雅子の言葉は淡々としていた。ここの庭は結構広く、春から秋にかけては、草引きは不可欠で、ほっておくと手に負えなくなるほど雑草が茂る。
 「なるほど。草引きもね。これじゃ、我々には殆ど自由がないじゃないね。食事の世話、外出の足回り、それに話の聞き役、更には草引きか」
 「そうよ。常にお母様中心に事が回っているのだから」
 帰郷後、僅かの期間で悟った一考の皮肉交じりの問いかけに、思わず、雅子もそうだと言わんばかりに大きくうなずいた。
 「これじゃ、体のいい軟禁状態同然だよね」
 一考は雅子の顔に視線を送って、どうしようもないといった顔つきでにんまりと笑った。(以下、明日に続く)

1453 記者会見

 その目的は様々だ。自らの考え方をしっかりと伝える場とするのが本筋だが、中には、お詫び、事態や状況の詳しい説明や報告のケースもあり、更には、単なる宣伝目的の場合もある。

1.独り言コラム
 今週に入って、注目すべき三つの記者会見があった。一つは、月曜日の夕方に行なわれた菅直人総理の臨時国会を終っての定例会見、二つ目が昨夜8時から行なわれた六本木で殴られて怪我をした市川海老蔵のお詫びの会見、三つ目が、昨夜10時から行なわれたJAXAの金星探査機に関する会見で、いずれも多くの国民の関心の高いものだった。
 先ずは、菅総理の会見だが、総理はこの日の午前中に、来るべき通常国会に備えて、衆議院での陣営での2/3確保を睨んで社民党の福島みずほ代表と会談を行なって協力要請をしたようだ。昔別れた女に、その僅かな財産を目当てに改めて口説いたというのだ。数合わせということで、その狙いは分からんでもないが、別れた原因である普天間問題は棚上げにしての話しで、政界のもっとも汚い部分を露呈した対応で頂けない。会見そのものは、菅総理に相変わらず、元気が見られず、低調な内容に終始していた。
 さて、二番目の会見は、注目の海老蔵さんの会見である。なんと、1時間半に渡る長い会見だったが、その中身は、重苦しく、痛々しいムードでに終始していた。注目の顔の怪我の具合だが、見た目には、傷跡が分からない程度に治っていた。歌舞伎関係者はほっとしたのではないか。NHKのニュース9で、トップニュースとして長々と取り上げていたが、伝統文化の歌舞伎への重みからだろうと思われるが、それにしても、少し異例の扱いだったと思う。
 会見では、伝えられていた酒場で暴れた様子とは打って変わった丁重な姿勢で、語る口調もソフトでゆっくりとしたもので、必要以上に頭を下げて、徹底したお詫びに終始していた。質問には、肝心のポイントでは、警察が捜査中ということで、答えを避けていた。それでも、相手の暴走族の人たちには、全く面識がなかったこと、自分からは一切、手を出していないこと、更には灰皿にお酒を入れて、相手に飲むのを強要したといったようなことはしていないとも主張していたが、この辺りは、相手から出ている話と大きく矛盾しており、今後の捜査の行方が注目される。
 それにしても、矛盾点が多すぎる。酩酊していて記憶がはっきりしていないのだろうと思うが、多くのことを否定したことで、却って、自らを窮地に追い込んだことにはならないだろうか。これでは、視聴者に、海老蔵氏が、事実を話していないのではとの疑惑を与えたのではないかと思う。とにかく、自分の地を抑えて演技に徹している海老蔵の姿は、歌舞伎の関係者たちは、見たくない姿であったに違いない。
 三つ目の会見は、時間的には海老蔵さんの会見の後、昨夜の10時頃から行なわれたもので、金星探査機、あかつきの行方についての報告だった。金星の周りを回る軌道に乗せるステップで、予定通りに作動しなかったようで、あかつきは、一時は行方不明になっていたが、その後、一応、地球からの送信には、予備の装置で、反応は見せているようだ。しかし、設定されていたメインの通信装置で通じておらず、今後、どこまでリカバリーが出来るのかが鍵であるようだ。小惑星探査で脚光を浴びた「はやぶさ」での奇跡の生還もあったことから、関係者の粘り強い対応が期待される。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時10分起床。体重、60.6Kg. 寒さもまずまず、良いお天気になりそう。
 昨日の雅子は終日、体調はよかったようだ。体調がいい場合は、賢そうな顔をしてくれるので一見してよく分かる、一方、ローテンションの場合は、少し、お馬鹿さんの顔になる。この日は、入浴日ですっきり出来たようだ。

3.連載、「難病との闘い総集編」(48)
  第二部 自宅介護(8) 第一章 手探りの二人三脚(8)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その8)

 母屋との調整でいくつかの揉め事があった。一つはドアホーンを新たに取り替えることに関することだった。それまでは、玄関ブザーは母屋と一考宅の両方に受信機があって、どちらからも応答できた。しかし、一考の部屋は二階の奥にあって、そのブザーが聞こえない。雅子の症状が悪化してきていることを考えると、一考が対応する形にしないとまずい訳で、この機会に新たなアイホーンに切り替えることにした。しかし、紹介された設備は、受信機が2セットしかなかったので、今まで通り、雅子のいる居間と、一考の部屋に取り付け、母親の部屋はオミットしようとした。久子も、母親も高齢だから、それでいいのではということで工事を終えたのだが、母親が、自分にも来客があるのに、その連絡が直接と届かないのは寂しいと苦情を言い出した。一考が、自分達が必要なときには連絡すると諭したが、納得せず、止むを得ず、もう一個の受信機を追加発注することになった。年寄りに「寂しい」と言われるととても叶わないと一考は脱帽だった。元気な年寄りには到底勝てない。
 もう一つは新聞だった。それまでは、母屋が京都新聞、雅子が毎日新聞を取っていて、母親は一日遅れで毎日新聞にも目を通していた。一考が帰って来て、日経を取ることにしたので、毎日か京都のどちらを止めにするかと言うことで、母親に確認したところ、毎日新聞を残して欲しいと云うので、京都新聞を断ったのである。ところが、数日して、久子から「母親は地元のことに関心が強いから京都新聞が読みたいはずだ」と言ってきた。それで、一旦断った京都新聞を復活させ、毎日新聞を断ったのである。
 それから数日すると、母親から、毎日新聞の日曜版に連載されている小説は引き続き読みたいから、日曜だけでも毎日新聞を買って来て欲しいということになり、止むを得ず、日曜の朝は、駅まで行って、毎日新聞を買って来て手渡すということになった。しかし、それから二ヶ月ほど過ぎた頃、自分はやはり毎日新聞を見たいので、京都新聞と替えて欲しいといい出した。元はといえば、最初から自分の考えをはっきり言わない母親がいけないのだが、毎日世話をしていて、彼女のことを熟知いていると自負していた久子の見方が誤っていたのだ。そんなことで、毎日新聞を復活させて、京都新聞を断ると言う無駄な手続きを繰り返したのであった。
 とにかく、事を円満に運ぶには、互いに、いろいろと神経を遣うことは多い。雅子は、そんな環境で苦労していたのかと思うと、若しかしたら、病魔が、そんな弱みを突いて来たのではと思うのである。
 いずれにしても、いざ、取り組んで見て、母の世話は思いのほか面倒で、一日を通して自分達の自由になる時間がほとんどと云っていい位無くなってしまう現実に、一考はその想定外の展開に苦笑すると同時に、うんざり感を覚えるのだった。
 雅子が担当していた役割には、それぞれいろんな気苦労があったが、中でも毎日の食事のメニューを考えるのも、彼女を悩ます作業の一つだった。そこで、一考が提案をしたのである。
 「それなら、今までに作った料理を整理してメニュー表に纏めて、それを参考に、周期的に順次選んで作ればいいじゃない? そんなことで悩むなんてもったいないよ」一考は助け舟を出して雅子の様子を見た。
 「限られたレパートリーだから、それも一案だけど、でもね、その日の雰囲気に合ったメニューを出すことが大事だと思っているの」
 「そりゃあ、それに越したことはないと思うけど、メニューを考えるだけで、無駄なエネルギーを使うのもどうかと思うよ。もっと、機械的に考えればいいんだ」
 「でもね、やはり、心がこもっていないといけないと思うの。それに、前にも話したと思うけど、食べた後で、口調は優しいけれど、その料理について思ったことは、はっきりとおっしゃるわよ。」
 「メニューのことは言わないが、味についいては煩いのか。それはそれでいいことじゃないか。分かり易くて。今後の参考にすればいい訳だから」
 「これは、おいしかったとか、これは味が少し薄かったとか。この間もね、目玉焼きが少し辛かったとか、ご飯が少し硬いとか、量が多過ぎたとか、その感覚はとても鋭いのよ。最近は、左手の自由が利かないので、薬味のおネギを、細かく切ってあるものを買ってきて使っているの。そうしたら『やはり、おネギは切りネギではなく、生のものの方が風味があっていいね』とおっしゃるの。また、お出汁にジャコを使った際も、うっかり頭を取らずに使うたりすると、ちゃんと気がついたようで『頭を取らないと味がえぐくなるよ』と指摘されたのよ」
 「それは。凄いじゃない。こちらの手抜きは全てお見通しか」
 「そうなの。だから、前にも話したと思うけど、食材を選ぶ場合も結構気を遣っているのよ。お肉一つ選ぶにしても、お魚にしても、お義母さんの分は特上のものを選んでいるのよ」雅子の訴えは今までにない熱を帯びたものになっていた。
 「なるほど、いろいろと苦労を掛けていたんだね」一考はそう言って雅子の細やかな配慮を改めて労った。そして、話題を転じて、自分が最近、気にしていることについて、雅子に尋ねた。(以下、明日に続く)

1452 今年活躍した方々(スポーツ・芸能編)

 今、読売テレビの「す・またん」という番組を見ながら、焦り気味でコンピューターのキーを叩いている。この言葉は、フランス語で「今朝」という意味だそうだ。その今朝だが、筆者は寝すぎてしまい、慌てて、これを書いていて、なかなか纏まりがつかない。書きたいポイントは、筆者が最近になって、この番組に出ている川田裕美アナ(今朝は出ていない)のファンになったので、そのことを取り上げたく、仰々しく「今年活躍した方々」なんていうタイトルにさせてもらった。

1.独り言コラム
 今朝のニュースでは間寛平さんが来年の1月4日に、中国の横断を終えて、青島からヨットで福岡に戻って来る。2008年12月17日に大阪をスタート、12月30日に千葉の鴨川から日本を離れて、丸二年ぶりの帰国である。途中で、前立腺癌の治療をするなど思わぬ障害に出くわしたが、それらを克服しての帰国である。さぞかし嬉しいことに違いない。
 昨日までに走った総距離は、19407キロメートルを越えている。その内訳を大雑把にみると日本を690キロは別格として、アメリカ大陸を4600キロ、フランス北部からヨーロッパに上陸、それからおよそ10000キロ走って中国に入り、目下、中国内5000キロのうちほぼ80%を走り切り、青島まで残り700キロ程度まで迫って来ている。この大陸間の距離からb、それぞれの大陸の大きさを実感できるが、改めて中国の大きさを思うのである。なお、あの癌の手術後に走った距離も、既に6100キロを越えていて、まさに肉体を削りながらの疾走なのである。
 これらの距離をみて、寛平さんは本当に、よくぞ走りきったものだと改めて感服である。体力の強さもさることながら、精神力、意思の強さに感動さえ覚える。かくして、大阪をスタートして、ほぼ800日掛けてこの感動の長編大ドラマは、いよいよクライマックスのフィナーレを迎えることになる。よくやった! 寛平さんだ。
 さて、今年筆者の目についたよくやった人の一人は陸上の福島千里さんだ。アジア大会で100、200メートルで共に金メダルを奪取した。お見事な日本初の快挙だった。あのスリムな身体が魅力的である。ロンドンオリンピックでの活躍を期待する。
 大相撲の横綱白鵬の63連勝も低調だった大相撲を盛り上げた。覚せい剤問題で大揺れに揺れた相撲界だっただけに、貴重な救世主だったとも言えよう。今の力からすれば。双葉山を崇めている筆者は、来年には、あの69連勝が破られるのではとの不安を抱いている。記録は破られるものだというが、破るなら日本人力士に果たして欲しいものだが、…。
 女子ゴルフの宮里美香さんもしっかり頑張った一人だ。米国に渡って2年目で、後半の成績は宮里藍さんを上回った成績を残している。最初は、アンチ宮里藍で、美香ちゃんを応援していたが、今では、大のファンになった。日本の女子ツアーのメンバーではないところが気になるが、来年には更に大きく飛躍してくれるのではと期待している。決して、美人ではないが愛くるしいプレイヤーである。
 もう一人、ローカルな話題になるが、読売テレビが放映している早朝のワイドショーの「す・またん」でキャスターをしている川田裕美さんがなんとなく好きである。今年始まった新しい番組で、この時間帯で視聴者が求めている明るさの点で、彼女はその期待に応えている。決して美人ではないが、その明るいキャラクターは、大変な魅力の持ち主と言えるのではなかろうか。この世界では、珍しく和歌山大学出身であるというのが何となく気に入っていて、このような魅力ある女性を採用した人事の方の見る目は大したものだったと付記しておこう。
 この番組は、ニュース解説で最近めきめき人気の上がっている辛坊治郎さんと少しとぼけた味の森たけしさんという柔らかい個性の方とのコンビに、この川田さん、それのもう一人の虎屋温子さん達のキャスター陣で、なかなか楽しく、役立つ番組である。ズームインスーパーと重なっていて、日本テレビの西尾由佳里さんが一部しか見られないという、ちょっとした不満もあるが、川田さんを始めとする女性陣の明るさが、この不満をカバーしてくれている。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 5時20分起床。(寝過ぎた!) 体重、60.8Kg.お天気は良くなさそう。
 昨日の雅子は、午前中はローテンションで寝ていたが、午後の散歩以降は、しっかりと目を開けて話を聞いてくれていた。久し振りのことで、ほっと、である

3.連載、「難病との闘い総集編」(47)
  第二部 自宅介護(7) 第一章 手探りの二人三脚(7)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その7)
 スローな年寄りのペースに合わせることは、どちらかと言えば、気短だった一考には厄介な対応だった。一考も六十四歳という年齢になって、それまでのようにスピーディな対応は難しくなっていたが、それでも、九十を過ぎた高齢者のスローペースは堪らない。特に、東京では、暇を見つけて、歩くことに強い関心を持っていて、行動的な生活を楽しんできていただけに、じっと待つという忍耐を要することは不得手であった。
 気になるのは、母親の起床時間が日によってばらつくことである。元々から夜なべするタイプで、就寝時間がまちまちになることから、起床時間が、大幅にずれることがある。テレビを見たり、新聞を読んだり、俳句に凝っていて、夜遅くまで起きていることが多いのである。
 母の夜なべというと、童謡の「母さんが夜なべをして靴下編んでくれた」の歌詞を思い浮かべるが、思い出すのは、小学生の頃に繰り返された母親の不思議な対応能力の話である。明日が遠足とか、運動会という前日、寝る前には、着て行く服とか、ズボン、或いは、持って行く小物などの準備が全く出来ておらず、心配しながら寝たことが幾度もあったが、朝起きてみると、不思議と、枕元に出来上がったものがちゃんと並べられているのを見て、母親の不思議な力にほっとして、感謝したものだった。母も、その頃は健康だったから、夜なべしてやることは、どちらかと言えば、母の得意芸で、しっかりと身についていたのだろうと思う。
 起床時間がばらつく要因の一つに姉の久子がマッサージサービスを行う。久子の朝の主な仕事は、洗濯、風呂掃除などであるが、その合間をぬって、起きかけている母親に手足などの施すのだ。その効果で、一旦目覚めかけた母が、気持ちよくなって再びうつらうつらすることもあって、結果的に、起床時間を大きくばらつかせることになる。
 この起床時間のばらつきは、なるべく温かいものを食べさせて上げようとの雅子の気遣いに負担を掛ける要因の一つだった。
 母親のスローペースの典型は昼間の外出時に顕著に現れる。老人会への参加、定期診断やちょっとした風邪などでの病院通い、加えて、預金を下ろしたり、定期の解約などの手続きに自らが出かける銀行などがその主な出先なのだが、時間の観念に乏しく約束時間にもルーズで、また、遅れたからといって、それほど気にしないから困ったものだ。年を取っているから仕方ないと言えばそれまでだが、送る立場の雅子にしてみれば、車を車庫から出して、何時でも出かけられる準備をして待っていなければならない。一考に代わったこの数日の対応でも、雅子の忍耐強さに一目置くのだった。  「いつも、こうなのかい? もう一時間になるよ」姑の準備具合を確認するため、何回か階下に下りて、その様子を窺う雅子を見て、運転手役を引き受けた一考は、少しいらつきながら思わず声をかけた。
 「お年なのだから。でも、待つことにはもう慣れたわ」事も無げに、そう答える雅子の顔は思いのほか明るいのが救いである。
 「至れり尽くせりの徹底したサービスだね。よくやるよ、全く。でも、これからは、二人三脚で対応する訳だから、気分的には少しは楽になるかもね」これまで、雅子が気長にそんな大変な対応をしていてくれたことに、一考は改めて彼女の面倒見の我慢強さに感謝するのだった。
 「話は変わるけど、お義姉さんは、私と違って時間にはとても厳しいので、お義母さんもその対応に大変そうだわ。それに、お義姉さんは、全ての事柄に、ああしちゃいけない、こうしちゃいけないなんて細かく管理されるから、お母さんも自分はロボットじゃないから、もっと自由にさせてとおっしゃるらしく、挙句の果ては、いつも結構な口喧嘩なの。母親思いもそこまで行くとどうかと思うことがあるくらいだわ」一考の慰めにほっとしたのか、雅子が珍しく自分の気持ちをストレートに口にした。
 「いつも口喧嘩か。母娘だから何でも言い合える仲で、愛し合っている二人の痴話喧嘩のようなものなんだろうね」一考は、敢えてそんなコメントをして雅子の反応を見た。
 「とにかく、お義母さんはまだまだ元気でしっかりされているのよ。もっともっと自分でやりたいことをやらせてあげる方がいいと思うの。その方が健康にもいいはずだわ」 雅子は普段から感じていることを披露した。それらの指摘は尤もだと一考は頷いていた。(以下、明日に続く)

1451 届かず

 頑張って努力した結果、目標に達しない場合に「届かなかった」という表現を使うが、然るべき努力もせずに、何も進展しない場合は、「届く、届かず」以前の話で、この場合は「ギブアップ」という表現になるのだろう。期待されて政権を奪取した民主党だが、今のところ、ギブアップ状態が多く目につく。

1.独り言コラム
 男子ゴルフの最終戦、JTカップ最終日は、池田勇太、石川遼選手の奇跡の逆転優勝にファンの期待が集まった。途中、筆者が、昼食時にインターネットで経過を見た時点では、池田選手が追い上げて首位に並んでいたし、石川遼選手も前半でイーグルを出して頑張っていたので、その後の追い上げを期待していたが、残念ながら僅かに届かなかった。
 特に厳しかったのは、石川遼選手は、初日に最下位という最悪の出だしだったことで、その後に脅威の盛り返しを見せてくれたのは圧巻だったし、最終日にも、勝負のついた後だったが、上がりの3ホールを連続バーディで終えるなど、非凡な力を見せてファンを楽しませてくれた。優勝はベテランの藤田寛之選手でメジャー初制覇だった。大したものである。
 結局、2010年度の賞金王は、韓国のキムキャンテが獲得した。戦い終わって、皆に同氏が、日本人の仲間に胴上げされていたが、その辺りに日本人選手のいいところがあるのだろう。なお、外国人の賞金王は今年が初めてだそうだ。今年は女子の賞金王も韓国のアンソンジュ選手に奪われていて、日本人としては、面白くないツアー結果に終った一年だった。
 箱根駅伝で、順天堂大学の山登りのエースとして活躍、山の神と呼ばれていた今井正人選手が、昨日行なわれた福岡国際マラソンに出場、世界選手権代表選考を目指した。同氏は35キロまでは期待通りの走りで、日本人トップで頑張っていたが、肝心の終盤で失速して5位に終り、選考対象レベルには、今一歩届かなかった。
 鹿児島県阿久根市の市長リコール選挙は大接戦の結果、竹原市長は失職した。市民の思いが届いたのか、市長の思いが届かなかったのか、397票という極めて小差の大接戦だった。50日以内に行なわれる市長選挙での戦いが注目される。
 少し意外な話しなのだが、北朝鮮が延坪島を砲撃した際に、韓国もこれに応戦して80発ほどを打ち返したが、その半分は北朝鮮に届かなかったようだ。韓国の戦力に今一つの不安が露呈された訳で、その辺りの対応の不備の責任を重く見て、李明博大統領は、国防相を直ちに更迭し、新たに金寛鎮元韓国軍参謀本部議長を任命した。電光石火の人事で、どこかの総理とは大違いだ。いずれにしても、南北の情勢は緊迫下にある。
 さて、国民の大きな期待の政権交代だったが、マニフェストに掲げた課題はことごとく難題にぶつかっていて、ほとんど何も達成されていない。鳩山由紀夫、菅直人と繋いだ政権は、国民への裏切りばかりで、国民の期待は何一つ届かずの状態だ。「予算の組み換えで、財源には心配ない」と豪語していた連中の反論を聞いてみたい。
 具体的には、マニフェストにあった普天間問題、天下り問題、企業献金、八ツ場ダム、ガソリン税、子供手当て、高速道路無料化、政治主導などほとんどの項目で、何も前に進んでいない。中には、ギブアップ状態のものもある。またその後に起きた尖閣問題、北方領土問題への対応のまずさなども、国民の期待を裏切るばかりである。何か一つでも嬉しい政策を届けて欲しいものだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、60.7Kg.寒さはほどほど。お天気は今日も持ちそう。
 昨日の雅子は、終日、ローテンション、つまり、呼びかけへの反応が低調だった。付き添っていても、何となく寂しい。

3.連載、「難病との闘い総集編」(46)
  第二部 自宅介護(6) 第一章 手探りの二人三脚(6)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その6)
 姉の久子は、以前から、両親の世話で頻繁に実家に出入りすることから、便宜上合鍵を持っていた。従って、彼女が朝夕訪ねて来る時も、帰って行く時も、何の挨拶もなく、自由な出入りが行なわれていた。一考が、そのことに気づいて確認すると、雅子は、困惑した顔つきで言葉を返して来た。
 「でもね、お義姉さんは、お母さんの所に来ていて、私達の所に来ている訳じゃないのよ。玄関は一つだけどね。つまり、娘が、母親に会いに来る訳だから、私達に一々挨拶は不要じゃないの。他のご姉妹も同じよ。皆それぞれが合鍵を持っていて、出入りは自由になっているの。それに、多くの場合は、縁側の廊下から出入りされるので、殆どの場合は顔を合わせることもないのよ。もっとも、私も、一々挨拶されたら、それこそ大変だけど」
 「そうか、皆な勝手に出入りしているのか。それじゃ、何時、誰が来たのかも分からないんだね?」何たることといった顔つきで、やや興奮気味に一考が確認した。
 「分からなくたっていいじゃない!」珍しく、やや雅子が開き直った顔つきで言い放った。
 「それは尋常じゃないよ。無用心だしね。今までは、僕がいなくて君一人だったのだから、それで良しとしても、僕も帰って来たんだから、その辺りのけじめはきちんとつけておいた方がいいんじゃない。僕から皆に言ってやるよ」当然な話だと一考は胸を張って雅子に申し出た。
 「筋論はその通りだと思うけど、今、そのことを皆に言うのは止めて欲しいの。私の気持ちは、皆とギクシャクした関係にはしたくないの。皆と仲良くやってゆくことに徹して来て、何とか良好な関係が保てている訳で、そんなことで気まずい関係にはなりたくないの。あなたには理解し難いことかもしれないが、ここは私の言うことを聞いて欲しいの」
 いつもの明るい雅子の表情とは違って、恰も懇願するような口調で訴えた。それは、何かに怯えているような不安を覗かせての懸命の訴えだった。
 その雅子の切実な訴えを聞いていて、一考は、結婚を決意した時に雅子が漏らした言葉を思い出していた。それは、雅子の健気な決意表明で、長男の嫁となったからには、皆との和を大事にして、うまくやってゆきたいし、必要な気配りに心掛けたいので協力して欲しいというものだった。
 「分かった。君らしい考え方で、それが大事かもしれないね。当分は様子を見ることにしよう」
 それほどまで、小姑達に気を使っている雅子の一途な考え方に、一考は胸に熱いものを感じながら、それまでの、彼女の積み重ねて来た努力を多とすべしとして、その申し出を受け入れた。
 お正月明け、博多の息子の家から戻って数日後のスーパーでことだった。今夜は久し振りにステーキにしようということで、肉売り場で食材を選んでいると、雅子が上等の分と標準的なレベルの二種類のお肉を買おうとしていた。一考が不思議に思って、何故、そんな買い方をするのかと確認した。
 「お母さんは、口が肥えてらして、上等なものでないと満足されないのよ」雅子はさりげなくそう答えて一考の顔を見た。
 「そうなのか。母には特上のものにし、我々のものと別々に仕込むのか。結構、大変だね。自分は最近の母は知らないが、戦後の厳しい時代を、六人の子供を育てるということで大変苦労しただけに、質素な生活に徹していると思っていたんだがね」一考の脳裏には、戦後間もない頃、母について買出しに行ったことが思い出された。まだ幼稚園に行く前のことだったが、不思議にその光景が記憶に残っている。
 「お父さんが亡くなられて、結構なお金を残されていたことで、老後になって初めて自分の思い通りにできるようになられたからでしょう。表向きの柔らかさ、優しさの裏に、芯の強さがあり、自尊心も大事にしておられ、しっかりなさってますよ」雅子は、相手が夫だと安心しているのか、結構、厳しい見方を披露した。
 「そうか。親父が厳しくて苦労していただけに、改めて、人生をエンジョイしているんだね」一考はしみじみとした口調で呟くように言って雅子の顔を見た。
 「今までのご苦労の反動なのでしょうね。それだけに、食事に関しても、味には厳しいところがありますよ」雅子は手にしていた肉のトレイを一考に手渡した。
 「それは、取りも直さず、しっかりしている証そのもの。大したものだ。あの齢になってもね」一考は、手渡されたトレイを持っていた買い物籠に入れながら、目をぱちぱちさせて、大いに感心した素振りを見せた。
 「そうなの。とにかく、我が家はお母様を最優先にしての対応が不可欠なのよ。これからは、あなたにもしっかりと協力して貰わなくては。何しろ、あなたの大事なお母樣々なんだから」
 雅子は、そう言って意味あり気に微笑んだ。この時点では、雅子の歩行はまだしっかりしていた。(以下、明日に続く)

1450 大苦戦

 何事もすんなりとはいかないものだが、見通しの立たない戦いは辛い。新幹線技術の海外への売り込みで、日本は大苦戦しているようだ。

1.独り言コラム
 悲願の東京―青森間が新幹線で結ばれた。最短所要時間が3時間20分である。東北新幹線が着工されて40年目という。
 新幹線に関しては、昭和39年10月1日午前6時、東京駅19番線ホームから大阪行きの一番列車が走り始めた時を思い出す。当時同じ職場にいた方が、その一番列車に記念乗車し、NHKのインタビューを受けていた。もう半世紀以上も前の話しだが、初物に関心があった筆者は、その時に、NHKが行っていた実況生中継を録音していた。そのテープは今も健在だ。
 そういえば、それまで上野駅止まりだった東北新幹線が東京駅に乗り入れた日(1991年6月20日)、筆者は、たまたま仙台に出張していたこともあって、仙台駅発の一番列車に乗車した。その時にはテレビ各社、新聞各社のインアビューを受けた。日経新聞の夕刊(東京版)には、そのことをしっかりと書いてくれていて、貴重な切り抜きとして保管している。
 さて、来年3月には、いよいよ九州新幹線も全線が開通する。これによって、日本列島、2000Kmは、東北、東海、山陽、九州各新幹線を繋いだ形で、鹿児島―青森間が繋がるのである。新幹線は、これ以外にも、上越新幹線、山形新幹線、長野新幹線が既に開通しているし、目下、北陸新幹線が工事中であり、夢はますます広がっていて、後は、北海道への乗り入れが出来れば、日本列島をカバーする壮大な新幹線の夢が、実現することになるが、筆者の命がそこまではもたないのが、少し寂しい。
 ところで、世界は、今や高速鉄道の時代の到来のようで、中国、アメリカでも大きな計画が打ち出されていて、各国からの売り込みが盛んであるが、優秀な新幹線の技術を持つ高速鉄道のパイオニア的存在の日本が、その売込みには大変苦戦しているようだ。中国のように各国の技術を盗み取りしたような対応で、売り込んでいるやり方に、腹立たしい怒りを覚えるが、この種の商売は国家を挙げての戦いであり、国を挙げての日本の頑張りを期待したい。
 今の日本では苦戦している事があまりにも多い。菅内閣そのものがどうしようもない苦境に追い込まれているし、北朝鮮への拉致被害者救出問題は手も付けられない状況だ。それだけでなく、領土問題、普天間問題、TPPPなどの国際問題では、日本は苦戦の網の中でもがいているような存在に見える。何とかしなければならないが、妙手が見つかっていないのが辛いのだ。
 そんな中で、前原誠司外務大臣が昨日動いて、飛行機の中から北方領土を視察した。とにかく、しかるべく考えた上で、前向きに動く事が大事で、そこから何かの切っ掛けが見えて来ることもあろう。頑張れ、前原と言っておこう。
 最後に小さな話題だが、男子ゴルフの今年の賞金王争いでは、期待の若手の石川遼、池田勇太量選手も大苦戦だ。今日、最終日だが、どうやら、奇跡は起きないのではなかろうか。筆者としては、日本ツアーだけに、日本人に賞金王になってもらいたかったのだが、…。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時40分起床。体重、60.6Kg.少し寒さが深まっている。お天気は良さそう。
 昨日の雅子は、総じて体調がローな状態だった。長男の太郎が、午前、午後の2回に渡って見舞ったが、その反応は今一つだった。体調が日毎に変わっている。

3.連載、「難病との闘い総集編」(45)
  第二部 自宅介護(5) 第一章 手探りの二人三脚(5)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その5)

 両親の世話に関しては、既に何度か触れたが、一考の直ぐ上の姉、久子が狂信的な親思いだけに、彼女の存在を抜きにしては語れない。父の死後は、久子の介護対象が母一人にフォーカスされたこともあって、母親への面倒見は、それまで以上に入念なものとなった。その甲斐あってか、一考の帰郷した翌年の2005年では、九十三才の母だったが、足腰が少し弱くなっているものの、少々なら自分で歩けるし、ある程度の身の回りのことは自分で出来るくらいの元気さだった。
 雅子と久子の母親への介護の分担は、入浴や洗濯などの下の世話を久子が、食事や掃除、それに車を必要とする外出、特に、定期診断などの病院通いや買い物、或いは趣味でやっている俳句の会などへの送迎を、雅子が引き受ける分担になっていた。一考は、この雅子の担当してきた役割を、そのまま手助けすることで引き継ぐことにした。
 この分担を見る限り、雅子の仕事は、一見、大した事はないように思えるのだが、実際に立ち会ってみて分かったことだが、それは聞くと見るでは大違いだった。一考は、帰郷直後から、それらが容易でないことに直面するのだった。
 何しろ九十三歳になろうとする母親である。そこには母親固有の生活ペースがあった。生来のスローな母の性格で長い人生を送って来ていて、これを今更、代えろと言っても無理な注文だ。加えて、高齢であることから、肉体的な衰えから来る行動のスローダウンもあって、何事をするにも結構な時間が掛かる。外出する時の準備も一筋縄ではなく、延々と待たされることになる。一考も焦らずに、じっと我慢して堪えるしかなかった。帰郷後、母親の幾つかのスローな対応に直面する度に、一考はそう自分に言い聞かせるのだった。
 その一つが、仏様や神様へのお祈りである。大体、午後の三時頃から始まるが、それが実に入念で、通常で一時間近く、場合によってはそれ以上になることもある。手を合わせ、しきりに何か口で唱えているようだが、毎日、毎日、一体何を祈っているのか、一考には全く理解できず、神様も迷惑ではと思うこともある。どんなご利益があるかは知らないが、神への祈りを「止めておけ」という理由はない。
 また、なかなかの知識人で、新聞は端から端までしっかりと目を通す。この年で、そこまでやるのは立派の一語に尽きる。親父が研究肌の教育者だった影響を受けて、自らもそんな分野に関心を深めたのだろう。趣味は俳句で、先ごろ句集の自費出版も行なった。従って、俳句に取り組むと、深夜までも頑張っていることがある。もともと宵っ張りだけに尚更だ。そのため、翌朝の段取りも遅れがちになる。
 時間を食う日課のもう一つが、毎日入るお風呂である。姉の久子が、朝夕、二回に渡って来訪し、母の着替え、洗濯、マッサージなどの身の回りの世話をしてくれているのだが、お風呂に関しても、洗髪する際には久子が手伝っている。思いの外時間が掛かるのは、上がってからの乾燥や整髪などの入念な手入れである。夕食を出すのは、それらが一段落した後になるので、結構、待たされることが多い。
 そういう訳で、夕食をサービスする場合も、料理の最後の処理段階を保留して、じっと我慢して、母親がそれらの準備を終えるのを待つことになるのだ。大抵は、六時半頃が夕食の目安となっていたが、それが、日によってずれて、遅い場合には一時間以上も遅れて八時近くになることも何回かあった。その間でも、気分的に落ち着かないことから、一考たちは、自分達だけが先に食事を採る気がせず、姉が帰って、母に食事を出すまでは、読み尽くした新聞に目を走らせたり、テレビを見たりして、空腹のままじっと我慢して待機しているのである。
 帰郷して、一週間ほど経過した或る日の事だった。夕食の準備をほぼ終えた段階で、雅子が幾度も階下の様子を窺って、部屋を出たり入ったりしているのに気づいた一考が、不思議に思って、その訳を聞いた。
 「今、お母さんをお風呂が終わって、お義姉さんが、寝巻きに着替えさせ、お帰りになるのを確認しているのよ。なるべく、温かいものを食べさせて上げたいので、仕上げのタイミングを計っているの」雅子は、少し声を落として遠慮気味に説明した。
 「それなら、姉が帰る時に声を掛けてもらえばいいじゃない?」
 「でもね。そうすると、一々挨拶もせねばならず、お互いに厄介だから」
 「しかし、そんなに何回も見計らって階下の様子を窺うのは面倒で無駄じゃないの? 余計な気も使うし、大変だよ」一考は呆れて、思わず大声で雅子を見た。
 その時、一考は、かつて、姉の久子から聞かされた話を思い出した。それは、以前に、雅子が、たまたま所用で出掛けた際に、早めに出して置いた食事を捉えて「冷たい食事がポイと置いてあったので、なるべく温かいものを出してあげて欲しい」と雅子に苦言を呈したという話だった。一考は、その時「ポイと置いてあった」という久子の表現に、瞬間「頭にカチンと来た」のを今でも生々しく記憶している。雅子なりに一生懸命尽くしていると承知していたからである。
 とにかく、なるべく温かく、出来立てのものを出して上げようと、その出すタイミングにも、大変な気配りをしていることなど、じっと耐えて我慢して姑の世話を続けてきたのだと思うと、一考は、雅子の頑張りに、ちょっとした胸の痛みを覚えるのだった。(以下、明日に続く)

1449 ちょっとドキドキしたニュース

 ドキドキする場合は、いいことが期待できる場合と、そうでなく悪い結果を伴う場合がある。

1.独り言コラム
 日経新聞の昨日の朝刊一面のトップ記事で扱われていた凄いニュースであった。異質な生命体が発見されたという。まさに、ドキッとする発見である。NASAが発表したもので、リンを含まず、砒素を食うという。カリフォルニア州モノ湖で採取した細菌からの発見である。この新発見で、リンのない天体でも生命が存在する可能性が考えられ、地球外生命体を巡る議論が活発化しそうである。同時に、この細菌を使って砒素を除去する研究も脚光を浴びてくるだろう。今後の展開を考える時、ドキドキする新たな展開を夢見ることになる。しかし、いわゆる宇宙人の存在云々は早計のようだ。
 同じく日経新聞の昨日の夕刊に、東北大学でパーキンソン病の発症の仕組みが解明されたというニュースを見つけた。若年性のパーキンソン病だとしているが、これによって、予防法や治療法に繋がれば画期的である。とにかく、この病気で苦しんでいる一人であるだけに、藁にも縋る思いでこのニュースに接した。実用化に供するような形になるには、まだまだ時間がかかることは承知の上だが、それでも、胸がドキドキするような研究成果であり、期待は大きい。
 FIFAの開催地に立候補していた大阪だが、韓国にも遅れを取って完敗に終った。結果は、カタールがアメリカに勝って選ばれた。若しかしてということで、遅くまで起きて胸をドキドキされていたサッカーファンも多かったのではなかろうか。この結果、大阪駅の北ヤードをサッカー場にするという大阪市長の顔は丸つぶれとなった。そう言う意味では、一日早く、そのゾーンを森林にすると言い出した橋下徹大阪府知事の発言には、先見の明があったと言えそうだ。
 男子ゴルフの今年の賞金王を決めるツアー最終戦のJTカップ二日目で、出だしに最下位と出遅れた石川遼選手が驚異的な頑張りで、まだ夢を繋いでいる。やはり、並みのプレイヤーではなさそうで、残り二日に逆転を賭けることになる。この日はバーディ9つを奪い、久し振りの8アンダーでのラウンドは、ファンをドキドキさせたことだろう。池田勇太選手が、依然としてトップを走っている。さあ、後二日でどんな展開が待っているのか、ファンでなくてもドキドキである。
 同じゴルフの話しだが、米国女子ツアーの今年の最終戦が始まった。年間最優秀選手の可能性を残している宮里藍選手を始め、宮里美香、上田桃子選手が揃って出場したが、その第一日は、逆の意味でドキドキする結果だった。上田選手が+5で暫定78位、美香選手が+7で暫定98位、肝心の宮里藍選手は+8で暫定103位と大きく出遅れた。二日目では、美香さんがー2で+5に戻したし、桃子さんはパープレイで予選を通過、藍さんはプレイ中だが、何とか、予選は通過するものと思われる。明日以降の決勝ラウンドにドキドキして期待したいのだが、…。
 ドキドキするというのは、何かの期待がある証であり、満更悪いことではない。もっとドキドキする毎日にして欲しいという考え方もある。しかし、今の菅内閣では、残念ながら、そんな期待が叶えられるような政治力は持っていない。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時半起床。体重、61.3Kg.お天気は良さそう。
 昨日の雅子は、体調はハイな状態で、朝から目を開けて話を聞いてくれていた。金曜日で看護婦さんが多忙(他のグループの入浴日)だったが、車椅子での散歩をサポートしてもらった。痰は比較的少なくて済んだ。
 母親(98歳)は、全体としては小康状態だが、身体の多くの部分が痛むと訴えているようで、その対応に姉(久子)は苦労している。

3.連載、「難病との闘い総集編」(44)
  第二部 自宅介護(4) 第一章 手探りの二人三脚(4)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その4)

 一考が直ぐに取り組んだもう一つの作業は、雅子の日常生活を、少しでも楽にしてあげるための対応だった。
 二人の住まいは、二十五年前に一考が東京勤務から大阪に転勤して来た際に、両親の面倒を看易くするために、実家の両親宅の直ぐ傍に新築し、二つの住まいを通路で連結した、いわゆる二世帯住宅だった。土地の位置と広さの制約、それに、まだ二人が若かったことなどを勘案して、リビング、キッチンを二階に置いたのだった。とにかく、広くないスペースに、いろんなものをぎちぎちに配置したレイアウトだったことから、二人が高齢になった今では、何かと使い難いスペースが増えてきていた。ここに来ての雅子の左手の不自由さが、その辺りの整理、整頓を阻んでいて、より一層使い難い状態にしていた。
 幸いだったのは、そういう状況下では、一考が東京から持ち帰った組立家具は抜群の威力を発揮してくれたことだった。空間を有効に活用できる立体的な棚をふんだんに取り入れたのである。この組み立て家具は、ポールとパネル板、キャスターなどの部品をつなぎ合わせて組み立てるだけの単純なもので、融通性があって応用が利くだけに、自分の書斎だけでなく、雅子の主体生活空間である台所、洗濯室、リビングで、スペースの有効活用を図ると同時に、少しでも仕事をし易くする模様替えを行なった。一考の東京の狭いマンション生活での着想、工夫が、うまく生かされることになったのは、望外の喜びでもあり、楽しみでもあった。
 ところで、一日に行なう主婦の仕事は結構幅広く多様で多忙だった。一考は、好むと好まざるに関わらず、この流れに巻き込まれることになった。差し当たっては、雅子の一日の仕事ぶりを振り返ってみよう。
 まず、朝起きると雨戸を開けて、新聞を取り込み、二人はパンとコーヒーで簡単な朝食を済ませる。その後は、ゴミ出し、洗濯などを行い、風呂、トイレや部屋の掃除を矢継ぎ早に済ませる。そして、一息つく間もなく、昼食の準備に取り掛かる。母親は昼前に起きるので、朝食と兼用の昼食を用意するのである。
 昼食のサービス、そして、その片付けを終えると、日によっては庭の草引きなどの掃除を済ませ、頃合を見て近くのスーパーに買い物に行き、戻って来ると夕食の下準備、その間、見はからって洗濯物を取り込む。更には、風呂を準備するといった按配である。
 この間、見計らって母屋の雨戸を閉めるのも雅子の担当だった。二人にとって、一日の中で、最も神経を遣うメインイベントというべきものは、母に夕食を供することである。その場合、そのメニューを考えるのも一仕事である。厄介なのは、いくら「好きなものは何なの?」と聞いても、「何でもいいの。貴方が作ってくれるものは、何でも美味しいから」と云って、自分から希望を言わないことだ。昔の人間だから、遠慮しているのだろう。仕方なく、雅子がその辺りを慮って、好みと思われるものを見繕ってサービスすることになる。それでいて、結構好き嫌いは多い。例えば、生ものは苦手で、刺身でも、マグロの上等なものしか口にしないし、野菜も、最近の新しいセロリーなどの西洋野菜などは口に合わない。そんなことで、毎日毎日の食材選びにも、結構神経を遣うのだ。しかし、まだこの時点では、雅子が主体的に今まで通り行なっていて、一考は、この種の仕事には、時たまサポートする程度だけだった。
 ともかく、夕食を終えて後片付けを済ませると、ほっとするのだが、日によっては、アイロン掛けをしなければならなし、翌日の準備といった具合に息つぐ暇もないくらいの多忙さだった。
 そんな多様な仕事の中で、母屋にいる母親に食事を運ぶことが、雅子には難しい作業になってきていた。それは、階段を上がり下がりしなければならず、それまでなら、何の支障もなかったが、左手に支障が出始めていたからである。特に、スープやお味噌汁などの液状の料理を運ぶ場合には、片手では、そのバランスを保ち難く、時にはこぼしたりして、余計な気遣いとコツが必要となっていた。
 帰郷間もなく、そのことに気づいた一考が、先ずは、階下まで運ぶその仕事を引き受けたのである。台所仕事では、細かい包丁使いや、調味料などの入れ物の蓋を開ける作業に次いでの一考の担当業務となった。なお、入浴は、多少時間が掛かるのだが、この時点では、雅子一人でも、何とかマネージが可能だった。(以下、明日に続く)

1448 イメージダウン

 有名人に対して抱くイメージは、その才能や見えている部分からの印象で決まる。それだけに、予期しなかった思わぬ一面を見ることで、それまで抱いていた好感度が、一気に壊されてしまい、がっかりすることは、よくあることである。

1.独り言コラム
 暴走族グループと付き合っていたこと自体、大きなイメージダウンだが、その上に、お酒に酔って、暴力を働くなど、今回の事件での御曹司、市川海老蔵のイメージダウンは極めて大きい。酒癖が悪いことは、誰もが知っていたというが、その我が儘さに周囲が庇ってきていたようだ。女性関係も派手で、結婚前の米倉涼子、佐藤江梨子などを始めとする多くの女性との関係が話題になって、その勝手気ままな実態は周知の事実だったようだ。
 この事件、叩けば、まだまだ海老蔵のイメージダウンに繋がる悪さの内容が出て来そうで大変だ。果たして、名門、成田屋は、この大きなスキャンダル&イメージダウンを乗り越えられるのか。それにしても、妻となったばかりの小林麻央さんは気の毒な気がしてならない。名門に憧れた打算に誤算があったと云うべきかもしれない。
 さて、一平卒の小沢一郎氏が、昨年の総選挙に際して500万円を推薦する候補者91人に配った事実が明らかになったが、その中に、原口一博の名前がある。同氏への大きなイメージダウンである。鳩山由紀夫内閣の時に、総務大臣に選ばれたが、そんな関係にあったからで、郵政問題などでも期待を裏切る発言が多く、代表選でも小沢氏を支持するなど、極めて不健全な男であることがはっきりしてきた。少しは期待して来ていた政治家だけに、がっくりである。やはり、その程度の男だったのだ。
 天皇皇后を迎えての国会での式典で、「早く座れ!」と言って野次を飛ばした中井洽衆議院予算委員長が叩かれている。この方は、かつて女性問題で、週間誌に取り上げられたこともあり、お行儀は良くない代議士だ。もう、以前からイメージダウンしていたが、今回の件で、それに博をつけたといえよう。
 小沢一郎氏と京都でツーショットを撮影された木愛参議院議員だが、その翌日に小沢氏の秘書と一夜を共にすると言う離れ業をやってのけた。なかなかやるじゃないか、ということで、これはイメージダウンを超越している。
 小沢ガールズでは三宅雪子代議士も忘れてはならない。転び、飛び込みが得技のお姉さまだが、すでにイメージダウン済みであり、今更紹介することもなさそうだ。
 順序が逆になったが、政治家で最もイメージダウンの大きいのは、何といっても、管直人さんだろう。野党時代の精悍さ、鋭さ、勢いなどは何処へ行ってしまったのだろうか。今一度のリカバリーはないものだろうか。
 さて、昨日、将棋竜王戦の第5局が行なわれ、終盤の大接戦を制した渡辺竜王が3勝目を挙げて7期連続竜王位防衛に王手を掛けた。挑戦者、羽生名人の逆転はあるのだろうか。この対局の模様がNHK衛星放送で一部が中継されたが、その解説の聞き手に久し振りに中倉彰子さんが登場していた。かつての筆者の大ファンだった。中座誠六段と結婚し、一児の母親になっていて、かつての綺麗な面影は残っているものの、美形という観点からは、やはりイメージダウンを覚えざるを得なかった。女性の美形と云うのは、長持ちしないものなのだと改めて思う。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 5時15分起床。(二度寝してしまった!) 体重、61.2Kg.予報では寒いと言うことだったが、そうでもない。お天気は回復方向にあればいいのだが、…。
 昨日の雅子の体調は、いわゆるローの状態で、あまり反応してくれなかったが、午後、散歩の段階で少し目を開けて回復を見せてくれていた。中学校の校歌をインターネットで探し出し、散歩しながら唄ってあげるサービスを行なった。昔を思い出すのもいいのではという配慮からである。校歌を唄っても、効果は今一つだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(44)
  第二部 自宅介護(4) 第一章 手探りの二人三脚(4)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その4)

 博多から戻って、一考が最初に取り組んだ課題は、とにかく車の運転に慣れることだった。帰郷前にも、一時帰宅した際に、時間を見つけて少し取り組んだが、それだけでは充分ではなかった。三十数年前に免許を取得した一考だったが、ほとんど運転する機会がなかったこともあって、いわゆる典型的なペーパードラバーで過ごした。今までの実績は、例外的に、海外出張時にハンドルを握った程度で、国内での運転は、ほとんどゼロに近いものだった。生まれつき不器用な上に、運動神経が今一つだったことから、自らが積極的に運転しようという気持ちにならなかったからである。
 それというのも、結婚後に免許を取得した妻の運転がなかなか大したもので、たちまちしっかりした技術を身につけて行ったこともあって、一考は、助手席でのんびりとエンジョイするのが常態化してしまっていたのである。
しかし、現実の日常生活では、車は生活必需品だった。毎日の買い物をはじめ、母を病院に連れて行ったり、それ以外のちょっとした外出であっても、車は不可欠の存在だった。そんな訳で、大津に戻って来てからは、雅子を助手席に乗せての泥縄式の特訓を敢行し、一日も早い交代を目指した。この間、雅子の運転も止むを得ず、継続せざるを得なかったが、やはり、手の動きが今まで通りには行かず、引っ掛けたりして、車に傷をつけることも起きていて、一日も早い交代が急務だった。
2005年1月15日、この日から、一考が雅子に代って正式に運転を開始したのである。その数日後のことである。
「何だかとても寂しいわ」
 近くのスーパーに買い物に行く途中だった。助手席にいた雅子が、か細い声で話しかけて来た。
「そりゃそうだろうね。何と言おうと、三十年近く握ってきたハンドルだからね。いわば、恋人以上の相手と別れたようなものだから。とにかく、転ばぬ先の杖だから、諦めてくれよ。そのうちに、助手席の快適さが楽しめるようになると思うよ」
 一考は雅子の気持ちが痛いほど理解できた。性格的に行動派であっただけに、自分ではまだ充分に出来ると思っているのを、いわば、強引に恋人との間を裂いたようなもので、急に、助手席での楽しみを新たな恋人にせよと言っても、ピンとは来ないのも理解できた。
「貴方の運転って、随分と慎重なのね。私とは随分違うみたい。快適さはまだまだ先のようね」
「のろのろ運転ってことかい? 仕方がないよ、初心者がVIP様をお乗せしているものですから」
一考は、珍しく皮肉っぽい言い方をする雅子に、軽くジャブを放った。
「VIP様ですか」
 雅子は苦笑しながら呟いたが、その顔は曇ったままだった。煙草好きの人に、あなたの健康のために、今日から吸ってはいけませんと云われて、飴玉を出されたような辛さがあるのではと、一考は雅子の気の毒さを忖度するのだった。(以下、明日に続く)

1447 流行語大賞

 今年の流行語大賞に、「ゲゲゲの…」、「ととのいました」、「斉藤祐樹は何かを持っている…」などが大賞、特別賞に選ばれた。いずれも、今一つ、筆者好みではない。そこで、今朝は筆者が独断と偏見で、今、頭にある幾つか言葉をピックアップしてみた。

1.独り言コラム
 ここ最近の印象深い言葉を拾ってみた。何といっても、民主党菅政治に関する言葉が多い。
 「空き菅、カラ菅、すっから菅」口調、響きがよく、端的にそのポイントを突いたなかなかの面白い表現だ。
 「個別の事案にはお答えは差し控える。法と証拠に基づいて適切にやっている」という法務大臣の仕事ぶりを告白した柳田稔法務大臣の馬鹿な発言だが、本当の話しなので、逃げ場がなく、結局は大臣を更迭された。
 「二番じゃ駄目なんですか?」これは、昨年の対象なのかも知れないが、仕分け作業が意味のないことが分かり出して、改めて脚光を浴びた言葉だ。蓮舫氏の馬鹿さ加減がいっぱいで楽しい質問だ。
 「政治と金」小沢一郎さん主演、鳩山由紀夫共演の大河ドラマで、主演がなかなか公開の土俵に上がらないので、何処までも続く長編ドラマである。
 「検察特別審査会」裁判員裁判とは違うが、同じように国民から無作為に選ばれて審査する仕組みだ。悪い奴は眠らせないという点で関心が高い。今回、これで小沢一郎氏は強制起訴された訳だが、なかなか興味深い。どんなy展開にんるのだろうか。
 尖閣諸島沖での中国漁船の巡視船への衝突事件は、許せない衝撃的な事件だった。逮捕した船長の一転しての釈放は後味の悪いものだった。
 「Uチューブ」動画を配信するサイトだが、尖閣諸島事件のビデオを流出させたことで一躍脚光を浴びた。流出させたという神戸海上保安庁保安官は潔く、勇気ある行動だったと思う。
 「今の位置確認、今の位置確認」尖閣沖で中国漁船が衝突した瞬間に、巡視船の保安官が叫んだ言葉だが、迫力があって印象に残っている。
 「帰って来た、はやぶさ」7年間かかかって38万キロを飛行しての帰還は、全国民から喝采を浴びた。
 「JAXA救済」宇宙航空研究開発機構のJAXAは、弱者に通じる。一旦、削られた予算が戻って来た。
 「叩けば、また出た」はやぶさのカプセルをもう一度ひっくり返して叩いたら、小惑星から持ち帰った微粒子がまた出てきた。なかなか意味深長な話しである。今朝の市川海老蔵さんに関するニュースで、海老蔵さんが先に殴ったということ、女連れであったといった話が出て来ていて、叩けば、まだまだ埃がでそうな厄介な話しである。奥さんの小林麻央さんが気の毒だが、若しかしたら、御曹司のわがままボンボンは、どうしようもない悪の張本人かも知れない。
 取り敢えずは、今朝は、こんなところにしておきましょう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時半起床。体重、61.3Kg.寒さ緩む。お天気は崩れる予報。
 昨日の雅子も痰は少なく比較的安定していた。午後に、3日ぶりに車椅子で散歩。体重測定があったが、1.5Kg減少。ちょっと大きい下がり方である。しかし、ここ数カ月増加が続いていたので、バランス的にはちょうどよいのでなかろうか。

3.連載、「難病との闘い総集編」(43)
  第二部 自宅介護(3) 第一章 手探りの二人三脚(3)
  
  (1)帰郷で知った大変さ(その3)

 大津の実家に戻ると、一考たちの新しい生活が始まっていた。年末の慌しい引越しだったため、暫くは引越し荷物の中に埋もれていて落ち着かなかったが、母親を交えた夫婦三人の生活には、新鮮さはなかったものの、今まで凍結していた家庭の温かさや、心を和ます安らぎがあった。
 心配だった雅子の左手の症状は、見た目にはそれほど目立たなかったが、傍で一緒に生活してみると、日常生活の多くの場面で、好むと好まざるに関わらず、次第にその支障の大変さ、厄介さを知ることになった。それは、両手が不自由なく使えている人間には、直ぐには理解し難い厄介さだった。料理、掃除、衣服の着脱などのほとんどの日常生活で、その支障が顔を出すのだった。あまり意識してはいないことだったが、ちょっとした作業にも、無意識に左手のサポートは不可欠だったからである。
 例えば、料理の場合では、食材の皮を剥いたり、細かく切ったり、巻いたりする単純なことも片手では簡単ではない。また、各種調味料などのパックの蓋を開けるようなことでも、左手のサポートがないと一筋縄では思うようには運ばない。特に最近のパックはしっかりとくっついていることが多く、封を切ることさえも大変で、その殆どの作業が容易でないことが明らかになるのだった。中には、両手が使える一考さえも結構大変な作業となるものも幾つかあった。
 衣服の着脱も料理以上に厄介だった。ボタンを掛けたり、外したり、ファスナーの上下移動やアイロン掛けも片方の手で押さえていないとうまく運ばない。また、それまで雅子が得意としていた裁縫に至っては、針に糸を通すことが出来ず、全く出来なくなったと云ってよい。これらの作業では、この時点での雅子は、まだ左手も親指が少し動かせたこともあって、何とか自分でやろうとして頑張っていて、自分からは手伝ってとはなかなか云わなかったが、妻が苦労しているのを見つける度に、思わず手を貸す形でのアシストとなった。
 特に、一考が梃子摺ったのは、アクセサリーの着脱だった。もともと小物である上に、一見、気づかないような巧妙な着脱の仕掛けが施されているだけに、左手が不自由な状態ではとても一人では操作出来ず、一考のサポートは不可欠だった。しかしながら、生憎、一考は、この年になっても、女性のアクセサリーには不案内で、その種の小道具の仕組みを全く承知していなかったことから、雅子からの説明をよく聞きながら、何とか応接したものの、中には、うまくことが運ばず、思わぬ悪戦苦闘するのだった。
 掃除、洗濯もスイッチを押す程度は無難だったが、物を運んだり、広げたり、干したりする作業も容易ではなかった。それまでは、日常生活には大した支障になっていないと考えていた一考には、事実認識で大きな誤りをしていたことに気付いたのである。
 かくして、帰郷早々にして、一考は、予期以上の雅子の障害に心を痛めると同時に、この病気が進行性の病気であるだけに、これからの先行きを心配するのだった。それは、取りも直さず、自分の役割の益々の重要さが増す訳で、一考は掴みどころのない不安を覚えたのである。(以下、明日に続く)

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