プロフィール

相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

Powered By FC2ブログ

1507 大丈夫?

 石橋を叩いて渡るという言葉がある。しかし、何か新しいことを行なう際は、いくら万全を期したとしても、100%安全という保障は無い。しかし、ここがチャンスと見れば、思い切って仕掛けるのは、戦いの常道で大事な決断だろう。

1.独り言コラム
 日テレの朝の顔である「ズームイン・スーパー」の羽鳥慎一アナが、3月末で日テレを退社し独立する。大分前から話題になっていたので、やっぱりといった感じだが、本人は40歳という節目を決断の拠り所にしたようだ。それほど「あく」が強くない真面目なアナウンサーで、しっかりした力は持っていると思う。今のズームインの相棒の西尾由佳里さんを抜擢した際の功労者だそうだ。
 ところで、読売テレビの辛坊治郎氏も最近退社して、同様に独立の道を歩んでいるが、アナウンサーから独立の道は、人気アナウンサーの通る宿命のルートなのかもしれない。このお二人の場合は、先行き心配はなく、大丈夫だろう、と思う。
 その辛坊さんが司会する読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」の昨日の番組で、御大の三宅久之さんの口から、菅総理の後任候補として、財務相の野田佳彦さんの名前が飛び出した。おっとりしたちょっと小太りの地味な方で、見た目には「切れる」といったシャープさは感じない。この人で大丈夫なのだろうか? と思う。
 筆者のこの人への印象は極めて良くない。それは、前原誠司氏が代表だった時の幹事長を務めていたが、同内閣を総辞職に追い込むことになった、あの永田メール問題の際に執った同氏の判断が問題だった。そのメールの真偽を見分ける立場にありながら、必要な情報の入手には党からもしかるべく応援する(金を出す)と言ってけしかけた人だ。真偽を見抜けなかった同氏への不信感は大きい。筆者は大丈夫だとは思わない。
 ところで、昨日の昼過ぎ、東京ドームシティアトラクションで、遊具のコースターに乗っていた男性が8メートルの高さから転落して死亡した。身体を固定するバーがしっかりと固定されていなかった可能性が高い。突然の死に気の毒なのは申すまでも無いが、その安全を確認する係りの方も大変なショックだったに違いない。アルバイトの女性だったそうだが、恐らく責任を強く感じておられるであろう。彼女は、大丈夫だろうか? 心配である。
 一方、キリン、東レ、NECなどの大手企業が、相次いで中国企業と合弁会社を作って中国市場に乗り込んでいく計画が発表されているのだが、技術だけを奪われてしまうのではという不安がある。本当に大丈夫なのだろうか。
 プロ野球では、いよいよ明日からキャンプが始まる。自主トレを終えた斉藤佑樹投手が一軍のメンバーに加わって沖縄キャンプに参加する。同氏の場合は、大丈夫なのだろう。さすがは大物ルーキーで、昨日は密かにイチロー選手と二人でその仕上げの練習をしていたそうだ。やはり、何かをもっている斉藤佑樹のようだ。お手並み拝見である。
 今朝は、これらの他にも、デモで揺れるエジプトのムバラク政権、霧島の新燃岳の噴火、それに鳥インフルエンザなど、大丈夫だろうかといった心配な動きが多くあって気になるが、それらよりも、今一番心配で、大丈夫なのだろうかと言いたいのは、今の菅内閣だ。果たして、同内閣は、この国会を乗り切れるのだろうか。昨日の「たかじんの…」の番組では、多くのパネラーが4月から6月が限度ではという見方だった。またしても、一年の短命内閣で終ってしまうのだろうか。そうなっては、日本への信頼そのものが、またしても大きく揺らぐことになる。大丈夫なのだろうか?

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時15分起床。体重、60.9Kg.今朝も寒い。予報通り、雪は降るのだろうか?
 昨日の雅子も、前日並みの症状。テレビをつけてあげると、今までは時々画面の方に視線を送っていたが、昨日は全くそういった様子は見られず、呼び掛けへの反応も見られない。心配でもあり、寂しい。

3.連載、難病との闘い(100) 第三部 施設、病院での介護生活
  第一章 介護付き老人ホームへの誘い(1)
 
(1)その切っ掛け(その1)
 雅子への本格的な介護生活が始まったのは、2006年2月のあの左足首の捻挫と4月初めの左手首の骨折以降からである。それまでは、パーキンソン病だと告げられた後も、その症状の進行は、それほど進んでいなかったことから、日常生活の殆どのことは、雅子が苦労しながらも何とか自分でこなしていた。一人歩きもできていたので、通院も、雅子一人で往復していた。また、二階での生活も、それほど負担にはなっておらず、お風呂も一人で入っていて、洗髪も何とかこなしていた。その間、鍼治療や電子照射治療にも、思い切って投資して、その回復に期待したのだが、それらの効果は、残念ながら今一つだった。つまり、それまでは、症状の悪化もそれほど目立ったものではなかった。 
 結果的に見れば、あの捻挫と骨折が、その後の悪化の元凶だった。それからは、一気にジェットコースターが降下するように、階段を上れなくなり、よちよち歩きになり、段差のところで怯むようになり、その後は、足や手が思うように動かなくなって、物が持てなくなり、そして、遂に歩けなくなった。
 そういった悪化につれて、生活基盤を二階から一階に移すためのリフォーム工事、トイレのウオッシュレット化へを進めた。また、車椅子の利用も始め、急速な症状悪化への対応策を執った。幸いだったのは、それまでに一考が執った対応策が、いずれも、ぎりぎりでの際どいタイミングではあったが、間に合った形で、何とか切り抜けて来られていたことである。
 その一方で、一考自身も、持病である不整脈や高齢化に伴う体力の限界を自覚し始めていて、何時まで、自分で雅子を介護し続けられるかという課題が頭の中を支配するようになり始めていた。その結果、次第に、介護つき老人ホームにお世話になることを視野に入れての検討が、ごく自然な流れの中で、一考の頭の中で育っていったのである
 そんな一考の考えを具体的に後押しする事になったのが、雅子の次姉の伸子さんが、自立型の老人ホームを探しているという話だった。伸子は事情があってずっと独身で、両親と一緒に住んでいたが、二人の死後は、山科にある実家での一人暮らしとなっていた。しかし、ここに来て、高齢化に伴い老化も進み、一人で住まわせておくのが心配だと、雅子の兄夫婦や姉が言い出して、適当な物件を探し始めたのである。(以下、明日に続く)
スポンサーサイト

1506 慧眼

 10年ぐらい前の話だが、ある将棋の解説会で、聞き手で来ていた女流の元名人の矢内理絵子さんに色紙へのサインをお願いしたことがある。その時に彼女が書いてくれたのがこの「慧眼」という言葉だった。今では筆者の好きな言葉の一つである。余談だが、その彼女が、最近は将棋で今一つ振るわないのが気掛かりである。

1.独り言コラム
 今朝、筆者が目を覚ましたのは2時半頃だった。つけっぱなしのテレビに目を遣ると、サッカーの決勝戦はまだ続いていた。試合がどうなっているのか、ゲームの様子を把握するのに少し時間が掛かった。間もなく、試合は延長戦の後半に入っていて、日本が1-0とリードしていることが分かった。
 「やるじゃないか!」と思いながら、ベッドに起き上がって、ゲームの推移を見守った。気が付くと、もう試合終了の時間が迫っていて、ロスタイムに入る直前だった。これはいけると思った直後だった。ロスタイムが1分となって30秒ほど経過したところで、日本人選手がハンドのファウルを取られた。日本のペナルティエリアのほんの少し外側だったことが幸いだった。緊張の中で、オーストラリアの最後のフリーキックである。守りきれるか、同点に追いつかれるか、際どい最後の場面となったが、選手達が壁を作ってなんとかこのピンチをしっかりと封じきったところで、ホイッスルが鳴って、大感動の優勝の瞬間が訪れた。歓喜の喜びを見せる日本人選手の顔、顔、顔が画面に次々とアップされていた。ちょうどいい場面で目を覚ました筆者は、そのラッキーさに充足感を覚えていた。
 これで、日本チームはアジアカップで2大会ぶり、4度目の堂々の優勝を果たした。延長後半で、途中出場していた李忠成選手の鮮やかなボレーシュートが決勝ゴールとなったのだ。そのビデオを見ながら、筆者はヒーロー達が、次々と出て来るのに、そうの厚さを思うのだった。
 李選手は在日韓国人4世で、元サッカー選手だった父親の影響を受けて、サッカーに邁進した選手だという。Jリーグではレギュラー選手の座を求めてチームを移動し、苦労してきたが、土壇場でラッキーな出場機会を得て、貴重な価値あるヒーローとなった。なお、МVPは本田圭佑選手が獲得した。忘れてはならないのは、GKの川島永嗣選手の驚異的な頑張りで、もう一人のMVPと申し上げておこう。
 まさに、勝てば官軍で、団結を掲げて優勝を奪った、ザッケローニ新監督の手腕は改めて高く評価されることになる。特に、怪我人が続出した中で、その穴を埋めに起用した選手の多くがヒーロー的な活躍をした訳で、日本に来て、まだ日の浅い監督だけに、選手起用への素晴らしい慧眼さを思う。同時に、それは選手層の厚さの証明でもある。
 そう言う意味では、Jリーグを創設し、この監督を引っ張り出した日本サッカー界の大御所で、大の功労者の川淵三郎名誉会長(?)の慧眼には一目も、二目も置かねばならない。
 政界も、慧眼を持った有能な政治家をもっと多く育てて欲しいものだとつくづく思う。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時半に目覚め、3時過ぎに起床。体重、61.1Kg。寒い。曇り空のようだ。
 昨日の雅子は、前日並み。午後には散歩。夕方には目を開けてくれる時間が少し増えていた。コミニケーションが思うようにいかないので、少し寂しい。

3.連載、「難病との闘い総集編」(99)第二部 自宅介護(59).
  番外章 エピソードがいっぱい (11)

 (3)作品「執念」の顛末 (その2)
 一考の感激が最高潮に達したのは、12月31日の昼前だった。スーパーのジャスコ店内で、いつものように買い物に行ったついでに、4階にある旭屋書店に顔を出した時だった。なんと、5冊の「執念」が、正面の目のつきやすい場所に横積されていたのである。それは、まさに、生まれたばかりの我が子との感激的な出会いだった。年取ってからの子供だけにかわいい訳で、急いで家に取って返し、写真機を持って再び本屋に戻り、その記念撮影をしたのである。近くにいる妹夫婦の長男が、直ぐに買いに行ってくれたようだった。彼は、まさしく日本でこの本の最初の購入者だったはずである。
 かくして、その日の夕方に帰って来た長男、次男夫婦に孫を交え、初めて一家全員が揃っての食事をしながら、この本の話題に花を咲かせ、新年を迎えたのだった。
 年が明けると、いよいよ全国の360書店で販売開始となった。書店と称するものは、全国には2万店ほどあるというから、そういう意味では、ごく限られた書店に過ぎなかった。それでも、多くの方に好意的なサポートを頂戴したのは嬉しかった。
 例えば、現役時代にお世話になった商社の社長さんがPRに努めて下さって、まとめて買って頂いたことや、会社の社内報には、筆者の近況と言うことで、PR文を掲載させてもらったこと、更には、ご近所の皆様には、町内の回覧板でPR頂いたのも暖かいご配慮だったと思っている。もちろん、姉妹、親戚の者も、友人などへのPRと同時に、幾ばくか購入してくれていた。
 少し恥ずかしい話しだが、一考は心の中では、若しかしたら、ブレークしてくれるのではといった淡い期待がなくはなかった。しかし現実は正直で、才能の無さがもろに露呈した結果に終り、2010年1月末で出版社との3年契約はあっという間に終了することになった。
 契約終了時点での在庫数を確認すると159冊あるという。初版を800冊印刷したのだから、謹呈用や身内などが購入した分を差し引いて、500冊強が通常ルートでご購入頂いたと言うことになる。まあ、まあ、無名の素人が書いたのだから、そんなものだろうと自分を納得させたのだった。
 なお、最終在庫分159冊の扱いを聞くと、焼却処分だという。思ったよりも在庫数が少なかったこと、また運送賃を支払えば引き取れるというので、焼却は可哀そうという思いから、一括引き取って自宅に保存してある。自分の葬儀の時に、会葬頂いた方たちに配ってもらったらということで、息子の頼んでいるのだが、…。
 残念だったのは、この最初にして最後の著書を雅子に読んでもらえなかったことである。仕方なく、施設に入居後に何日か掛けて読んであげたのだが、どんな感想だったか、聞けず仕舞いである。
 かくして、一考の夢だった本の出版と言う人生での数少ない勝負を賭けた戦いも、ちょっとした快感はあったものの、その後は何事も無く静かにフェイドアウトしたのである。
 なお、今回の出版で、自分の心の中で、今でも気掛かりで反省している事が二つある。
一つは、犯人の名前を次男の嫁の名前と同じ名前にしたことで、不評を買ったことだった。こんな普遍的な名前は幾らでもあるので、気にする方がおかしいと思うのだが、理屈じゃないようだ。反省、反省である。
 もう一つは、犯人のモデルに使わせて頂いた方との連絡が途絶えたことだった。。やはり、お気を悪くされたのだろう。創作とは言え、殺人事件を起したモデルだというのは、本人でないと分からない痛みがあったのかもしれない。大変申し訳ないと思っている。仕事を通じて筆者がとても気に入っていた人なので、その方と連絡が取れなくなったのを寂しく思っている今日この頃である。

1505 裂帛の気合

 気に入った言葉は、単にその意味するところだけでなく、発音の際のインパクトや文字に表した際の印象なども、その決め手の大きな要素だと思う。その意味から、この「裂帛」(れっぱく)と言う言葉は、筆者が凄く好きな言葉である。

1.独り言コラム
 新聞コラムも多士済々だ。最近は読売新聞の編集手帳の人気が高いようだ。引用文献のタフさにびっくりする。一昨日は、なんと、水前寺清子さんのヒット曲「涙を抱いた渡り鳥」を引用し、鳥インフルエンザの話を持ち出している。途中で、その歌詞の「くろうみやまのほととぎず、…」に触れ、この場合の「みやま」は単に「見物」の意味で「やま」はしゃれでつけた言葉だと解説しながら、最後は、渡り鳥たちも、生活が根底から脅かされる養鶏農家の「くろうみやま」はしたくないと結んでいる。なかなか面白い作品だった。 
 昨日は、漫才のツービートから始まり、評論家の稲田吉彦さんの「早口の時代」と題する文章を引用、そこから、前原外相の外交演説が「早口、棒読み」と批判されてお詫びしたこと、更には今国会での自民党の谷垣禎一総裁の気の早い解散の迫り方などを取り上げながら、最後は、早く回りすぎる「口」や「気」から、裂帛の気合は生まれない、と結んでいた。筆者は、この最後の「裂帛の気合」という言葉が好きだっただけに、久し振りに快哉を叫んだ。
 筆者が初めてこの言葉を聞いたのは、あの宇野宗祐総理の所信表明演説だった。滋賀県出身の初めての総理で地元は大いに沸いた。そして、第114回通常国会で、その演説が行なわれた。同氏は、その演説の結びのところで、次のように纏めている。
 「日本の未来、世界の未来に思いをはせ、私は、裂帛の気合を持って、清新、清冽な政治の実現に努めます。そして、世界に貢献する日本の実現に挑戦してゆく所存であります」と結んでいる。
 この時に初めて耳にした「裂帛の気合」という言葉は鮮烈に筆者の記憶に突き刺さり、今でも好きな言葉として残っているのでる。
 しかし、地元の期待に反してあっけない短命に終った。結果論だが、第13代自民党総裁、49人目の第75代総理大臣だったということで、不吉な13、49に、それに「人の噂は…」の75という面白くない数字のオンパレードが災いしたのでは、なんて勝手なことを考えていたのを思い出す。短命に終ったのは残念だったが、筆者には、この「裂帛の気合」という鮮烈な言葉を残してくれた総理ということで、今もその印象は強く、好きな言葉として筆者の記憶に生きている。
 さて、今夜は、アジア杯サッカーの決勝戦で、日本はオーストラリアと戦う。松井大輔や香川真司の有力な二人の選手は怪我で出場できないが、他の選手の裂帛の気合で、優勝をもぎ取ってもらいたい。
 なお、今大会の一連の試合を通じて気が付いたことなのだが、怪我などで出られなくなった選手の代りに出た選手が、その試合でヒーローになっている。岡崎慎司選手や細貝萌選手の二人は、その殊勲の代表格だ。巷では、いっそうのこと、菅総理も一度変わってみてはといった声がちらほら聞こえる。しかし、まだ半年そこそこの内閣である。厳しい国会運営が続く菅内閣だが、ここでは、今一度、裂帛の気合で、今国会を乗り切ってもらいたいものだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時10分起床。体重、60、9Kg. 今日も寒い日だ。お天気は曇りの予報である。
 昨日の雅子は午後になって入浴後に、呼び掛けに目を開けたりして対応してくれるようになった。痰は比較的少なく、炎症の症状は治ってきているのではと思われる。しかし、こうした寝たきりの生活では、また再発の可能性があって、むしろ、こういうサイクルが雅子の症状のパターンの一つなのだろう。


3.連載、「難病との闘い総集編」(98)第二部 自宅介護(58).
  番外章 エピソードがいっぱい (10)

(3)作品「執念」の顛末 (その1)   
 エピソードと言うよりは、自分の人生の一つの勝負イベントと言う意味で、忘れられない話題となったのが推理小説「執念」の出版のである。ここでは、その経緯、顛末ついて少し触れておきたい。ちょうど、雅子が目に見えて症状が悪くなり始めた頃に決意したもので、その後の忙しい介護の合間をぬっての対応に大わらわだった。
 出版に関しては、何となくだったが、予てから、一考としては、自分の人生の集大成として、生涯に一冊ぐらいは本にしてみたいと考えていた。それも、何かの「賞」を受賞し、出版社持ちでの出版のチャンスを得たいと厚かましい希望を持っていた。しかし、世の中そんなに甘くはなく、才能がないgということで、結局、不本意ではあったが、必要な費用を自分で払う共同出版を決意した。ちょうど、リフォーム工事が始まる直前のことだった。依頼する出版社については、前作の「なんたるちあ」で、一時は企画出版の話があって、ぬか喜びさせてくれた文芸社に決めた。
 そして、出版社との契約を終えたのが、ほぼリフォームが終った2006年6月20日のことだった。少し大げさだが「時は今、雨のしたたる 五月哉」の三成の句が脳裏を過ぎった。直ぐに担当の編集者が決まり、12月印刷、翌年の1月発売というスケジュールが決まった。
 第一回の校正用の資料が届いたのは9月の中頃で、B4用紙160余枚に打ち出されたものに、編集者がチェックし、訂正、確認の箇所が、付箋を付して細かく記載されていた。一考は、正直言って、自分の書いたものを読み直すのは好きではない。それと言うのも、作品は、ある意味では著者の排泄物のようなものだと捉えていたからである。しかし、生まれて来る子供のための細かな配慮だと考えて、親の責任を果たすことの重要性を思って頑張った。
 幸い、締め切りの10月1日に間に合って、校正済みの原稿を出版社に送り返した。そして、数日後には上京し、編集者との顔合わせを行なった。その際には、雅子をお姉さんの霧子さん預けていた。久し振りの東京で、その変わり様に少々戸惑った。東京駅前の新丸の内ビルが新たなビルへと建設が始まっていた。
 その後、表紙のカバーや帯などの確認、あとがきに追加、更には、二度目の最終校正などを終えて、11月8日には原稿を返送して、必要な準備は全て完了した。かくして、いよいよわが子が生まれるのだと思うと、何かが込み上げてくるような熱いものを感じていた。
 11月30日の昼過ぎ、新刊「執念」50冊が著者用に送られて来た。胸をときめかせながら、梱包を解き、仕上がった本を取り出した。初めての自分の子供との対面といった気持ちだった。思ったよりも分厚い仕上がりに、その重みを実感した。赤ちゃんを抱き上げるような気持ちで、一冊をそっと取り出し、感慨深げにじっと眺めていたのを思い出す。
 そして、先ずは、仏様に一冊を供えてから、母親に一冊をプレゼントした。翌日からは、なるだけ多くの方に読んで頂きたいと、先輩、知人、友人の方々に、押し付けがましかったが、40冊ほど謹呈本を送付した。
 著書への反応は早かった。謹呈させて頂いた多くの方から、「それなりに面白かった」「力作」といったコメントを頂戴した。それらの多くが配慮されたリップサービスであったと思われるが、それでも、勇気付けの言葉を頂戴したことで、その努力がそれなりに評価されたことが嬉しかった。(以下、明日に続く)

1504 勝てば官軍

 戦いに勝った方が正義で、負けた方が不義となる。道理がどうであれ、強いものが正義者となるのたとえである。

1、独り言コラム
 スポーツ紙や週刊誌の広告で、ダルビッシュ投手と美人ゴルファーの古閑美保さんとのゴシップが大きく取り上げられている。先日のジャーナリストの山路徹氏との関係を叩かれた麻木久仁子さんに比べると、その扱いのトーンが大分違う。麻木さんの場合はダブル不倫であったことが大きいようだ。ダルビッシュ投手の場合は、妻の妙栄子さんとは、既に離婚手続きに入っていることで、その辺りの事情に、違いがあるようだ。
 まあ、男女の関係でとやかく言うことはないが、古閑美保さんは、彼女がデビューして間もない頃、筆者は、テレビを見ていて、なかなかの美女だと気に入っていたゴルファーだっただけに、ちょっと気になっていた女性である。プロゴルファーも最近はビジュアル系のプレイヤーが増えている。因みに、それでも、筆者は不動祐理さんのファンでもある。
 とにかく、彼、彼女らは、プロである訳だから、勝負に勝てればとやかく言われることもないだろう。勝てば官軍なのだ。現に、ダルビッシュも、日本ハム球団からは何か言われているようなこともなさそうだ。筆者が関心を持つのは、ゴルフのように微妙なテクニックが決め手になる戦いだけに、古閑さんが今まで通りのプレイが出来るのかどうか、である。その見方とは逆に、精神的な面で高揚すれば、ますますいいプレイに繋がることもあるだけに、今シーズンの二人のプレイに注目したい。
 サッカーアジア杯の決勝に駒を進めたザックジャパンだが、それまで大活躍していた香川真司選手が骨折でチームから離脱した。痛い骨折だ。日本は、既に松井大輔選手も肉離れで離脱しており、ベストメンバーでの戦いは出来ない。しかし、サッカーと言うのはそういうゲームであり、如何なる条件でも、勝たねばならない宿命にある。ここでも、勝てば官軍である。
 種子島から打ち上げられた「こうのとり2号」が、今朝未明に、国際宇宙ステーションと無事ドッキングに成功したようだ。今回は、宇宙船に必要な実験器具や水を輸送しているが、アメリカのスペースシャトルが引退するということで、今後は、この「こうのとり」が、その代役を引き受ける。日本の航空宇宙部門も、初期は失敗が重なって先行きが心配された頃があったが、昨年の「はやぶさ」の小惑星からの帰還といい、ここに来て、堂々の世界のトップレベルに達したことはご同慶の至りであり、まさに、勝てば官軍である。
 そんな中で、我が日本国の舵取りをしている菅内閣だが、始まった通常国会の冒頭から野党の攻勢に苦しい戦いを強いられている。果たして、予算、及びその関連法案を成立させられるか、国民は注目している。そんな最中に、日本の国債の格付けが、8年半ぶりに一段降格されたことが明らかになった。今までのAAからAA-にダウンである。これはスペインよりも下のランクで、中国や台湾、サウジアラビアと同格となったのだ。日本の財政赤字の増加に手が打てない事情が反映されたようだ。さあ、菅内閣はどうしてくれるのか、勝てば官軍、負ければ賊軍である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時20分起床、体重、60.8Kg. 朝風呂。お天気は曇りと云う予報である。
 昨日の雅子は、終日、ロー・テンションだった。午後には散歩も行なったが、呼び掛けへの反応は今一つで、寂しくもあり、心配でもある。

3.連載、「難病との闘い総集編」(97)第二部 自宅介護(57).
  番外章 エピソードがいっぱい (9)

 (2)てこずった(その5)
  ③本人確認(3)
 この一括振込みの要求に対し、M銀行の対応は相変わらずだった。副支店長は、馬鹿の一つ覚えのように同じ主張を繰り返した。
 「奥様名義ですので、ご本人様の意思確認が必要で、このまま、直ぐに分かりましたとは、申し上げられないのです。これは、銀行協会の取り決めなのです」といった以前に聞いた台詞が繰り返された。そして、そこからは、以前と同じようなやり取りが再現されることになった。さすがに辟易とした一考は、仕方なく、その日は、とりあえず、カードで200万円だけを振り込んえ帰宅した。
 帰宅後、やり取りの途中で、副支店長がよこしたパンフレットに、何気なく目を通していたのだが、その内容に大きな疑問を発見した。そこには、銀行協会が法令で取り決めているのは、あくまでも、「本人確認」であって、M銀行の副支店長が執拗に拘った「本人の意思確認」ではない。しかも、その対応で、代理人が行なう場合は、本人と代理人の、氏名、住所、生年月日を証明できればよいと明記してある。今まで、執拗に議論していた本人の意思確認なんて一言も書いていないではいなかった。
 翌日、再びМ銀行の大津支店に振込みに訪れた一考は、改めて、副支店長に面会を申し入れた。男は、ちらっと一考の方に視線をやると、うっとしい顔を見せた後、暫く、仕事をしているようで、直ぐには出て来なかった。そして、漸く、一考の前に出てきた男に、昨日気づいた疑問点を指摘した。
 「本人の意思確認は、あくまでも、M銀行の内規です。銀行協会の法令だと受け取れる説明をしたのは、私の至らなさでした」その男は持って回った言い方で、自分の説明の間違いを詫びた。一考は、張りつめていた気合が挫かれ、はぐらかされたような気分だった。
 「何ですか! 昨日はあれほど厳しく、そうおっしゃったじゃないですか。それなら、その内規と言うのを見せてもらえますか」一考は、我慢できずに噛み付いた。
 「あくまでも、社内規定ですので、お見せはできません」例の杓子定規な言い草で、一考の要求を拒否した。
 「あなたは、間違った情報で私に嘘を言ったのですよ。それでも、一括で振り込みは拒否されるのですね?」
 「規定ですので、申し訳ありません」暖簾に腕押しである。こんな男と話すのは無駄であると諦め、この日も200万円だけの振込みを行なった。結局、三日続けてこの銀行を訪れなければならなかった。無駄な時間つぶしに憤懣やる方なかった。
 この種の話に関しては、後見人の証明書を用意して置くといいのではというアドバイスをもらったことがあった。郵便局での話である。そこで、家庭裁判所にその発行を要請したのだが、成年の後見人は、本人がアルツハイマーや認知症でなければ発行できないというのだった。
 とにかく、銀行の杓子定規的な対応にはうんざりである。明らかに、犯罪とは無関係であるような場合には、なんとか、もう少し融通の利いた対応は叶わないものなのだろうか。思わぬ右往左往でドタバタし、口論までしてしまう馬鹿馬鹿しさはいい加減にしたいものだ。それにしても、この不毛なやり取りになっている「本人の意思確認」というM銀行の内規なるものを、一度確認してみたいと、一考は今でも思っている。(以下、明日に続く)

1503 拡大

 いい事がどんどん拡大してくれることは大歓迎だが、恐ろしいこと、危険なことなどの悪いことの拡大は、全力を上げて阻止しなければならない。

1.独り言コラム
 鳥インフルエンザが拡大している。宮崎県に端を発し、鹿児島県に拡大し、そして昨日は愛知県にも飛び火して、その対応に大わらわである。宮崎県では、昨年の口蹄疫で苦労しただけに、今回は早目の段階で自衛隊の出動を要請し、懸命の火消しに努めている。
 そんな最中、我が滋賀県の大津市でも、昨日、野鳥のオカヨシガモの死骸から、鳥インフルエンザの陽性反応が出ている事が分かった。この死骸が発見された10Km以内に、数箇所養鶏場があるようだが、今のところ感染が疑われる事例の報告は出ていない。身近な話しになると、関心の持ち方も変わってくる。
 ところで、「拡大している」と言えば、諸物価の値上がりがある。ガソリンだけでなく、ここに来て食材関連に拡がっているようだ。その一つが食用油である。その元を辿ると大豆、大豆油の値上がりがある。そんなことから、値上がりは、砂糖、塩鮭、さんま、ほうれんそうといった毎日の生活を支える食材に拡大しており、庶民の切ない「音上げ」が聞こえてくるようだ。
 国会論戦が始まった。熟議の場にしたいという菅総理だが、政局を意識した論戦が前面にあって、国民を意識した真面目な議論が拡大する気配は薄い。どうやら、今国会は荒れ模様の展開が予想されるが、その鍵を握るのか公明党の動向だろう。同党の存在感が拡大しているようだ。
 アジア杯サッカーは、ザック日本が宿敵韓国を破って決勝戦に進出したことで、サッカー人気はますます拡大している。今週末の深夜にはオーストラリアとの決勝戦が予定されていて、ファンの期待は更に拡大するだろう。
 スポーツ人気といえば、今年は、やはり日本ハムに入団した斉藤佑樹投手が、その大きな対象の一人だ。鎌ケ谷での自主トレーニングでは大変な人気ぶりで、その存在感の大きさを見せつけてくれた。その人気の実績(?)から、沖縄名護での1軍キャンプにも参加が決まったようで、名護での更なる人気の拡大が期待される。
 因みに、良きライバルと言う観点から、早大トリオだったあとの二人、西武に入団した大石達也投手と広島に入団した福井優也投手にもファンの関心は拡大するだろう。言ってみれば、今年は、この三人の中で、誰が早大の本当のエースだったかを確認するシーズンになるという見方もある。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時20分起床。体重、61.3Kg.お天気は曇り空の予報であるが、…。
 昨日の雅子も大人しかった。気になるのは、目を瞑っている時間が増えていることだ。それでも、何回か呼びかけると、薄目を開けてはくれる。こちらの言うことは理解してくれていることは確かなので、ほっとするのだが、…。午後には、二日ぶりに車椅子での散歩を行なった。散歩中には、比較的大きく目を開けてくれることもあった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(96)第二部 自宅介護(56).
  番外章 エピソードがいっぱい (9)

  2.てこずった(その4)
  ③本人確認(2)
 「やはり、ご本人の意思確認が原則です。お連れ頂くことは出来ませんか?」副支店長だと名乗ったその男は、頑なにそう言って便宜を計ろうとはしなかった。
 「連れて来られないと云っているでしょう。何も悪いことを企んでいる訳ではありません。障害者を抱えて苦労している男です。近く施設に入れようと考え、その資金の準備のためなんです。本人確認をする目的は何なんですか? 教えて頂きたい」話が通じないことにいらいらしながら、一考がその男に説明を求めた。
 「単なる本人確認ではなく、本人の意思確認です。ご承知のように、テロ支援や振込み詐欺など厄介な問題が多発していて、銀行協会で決められた約束です。当銀行だけが、それを無視する訳には参りませんから」典型的な杓子定規の応接で、感情抜きの無機的な答えだった。
 「本人の意志に基づいてお願いに来ているのですよ。そのために、言いたくもない個人情報を開示しているのです。施設に入るための準備のための口座を新設したいと言っているのです。私が、今おっしゃったテロ支援や振込み詐欺をするような男に見えますか?」一考は開き直ってそう確認してみた。その時点では、一考の気持ちは、抑えが利かないほど高ぶって来ていた。
 「分かりません」その上司と思われる男は、少考の後、冷たくそう言ってあらぬ方向に視線を転じた。
 「分かりませんとはどういうことですか? そういう企みをする悪い男に見えるということですか?」一考は、その言葉に拘ってその男に迫った。カウンター越しの二人のや り取りに、異様な雰囲気が漂っていた。
 「分かりません」相変わらず、その男はメリハリもなくその一点張りだ。
 「もう一度、申し上げますが、この保険証にありますように、雅子は私の妻です。障害者1級で全面介護を必要としています。それでも、あなたは、私が悪いことをするような男に見えるというんですか?」
 「分かりません」木で鼻をくくったような言い方で取り付く島はなかった。
 「そんなに人を見る目のないあなたが上司では、この銀行も大変ですね。もう、いいですよ。そこまでおっしゃるなら」かっと来た一考は、憤然として、M銀行大津支店を後にするというお粗末なやり取りだった。
 この件は、その後、もともと雅子が開設していた京都の中央支店の方に相談し、ご担当の方に自宅に来て頂いて新口座の開設、息子達の名義の定期預金の解約、並びに分散していた預金の纏めなどをやって頂いて、初期の目的を達することが出来た。また、この時に、インターネットバンクを使うことで、厄介な本人確認などのステップを経ない操作方法を教えて頂いた。しかし、M銀行とのいざこざは、これで一件落着とはならなかった。
 あのぎくしゃくしたやり取りで、憤然として飛び出したあの日から数ヶ月後の或る日、一考は纏まった金額を新しく開設した雅子名義の口座から振込みをしなければならず、嫌々ながら、またM銀行大津支店を訪ねたのである。
 ご承知のように、カードでの振り込みは一日に200万円が限度である。従って、それ以上の金額の振り込みをしようとすると、カードでは、何日かに分割して振り込まざるを得ない。そこで、銀行の窓口で一括して然るべき金額の振込みを申し入れたのである。(以下、明日に続く)

1502 すっきり

 ここ数日の話題の中には、すっきりした話題と、すっきりしない話題が入り混じっていて、複雑な心境である。

1.独り言コラム
 スッキリした話題の筆頭は、アジア杯サッカーで日本が宿敵の韓国に競り勝ったニュースだ。筆者は、昨夜はテレビ中継を見ていたが、前半を終った辺りから寝てしまっていて、今朝になって、急いでその結果を確認をしたのだが、テレビでは、それについての結果が直ぐには分からず、仕方なく、インターネットで確認して日本の勝利を知って、なかなかやるじゃないか、と思った次第である。
 しかも、放映権の関係で、いつも見ているテレビ局の番組では、映像が見られないというのが、気分的にすっきりしない。放映権の確保に莫大なお金が掛かっているから、仕方ないのかも知れないが、凄く気分をスッキリさせてくれるニュースなのに、映像の扱いでスッキリしないのはいただけない。
 さて、一方のスッキリしない話題の代表が、英会話講師だった英国人リンゼイさんを殺害して、逃げ回った後に逮捕された、市橋達也容疑者が書いた手記が出版されるということだ。出版社は幻冬舎で、「逮捕されるまで、空白の2年7ヶ月の記録」というタイトルで、今日から発売だそうだ。
 タイトルを見る限り誰もが関心を抱くインパクトのある内容だ。それだけに、この出版については、筆者も複雑な心境だ。先日もこの欄(1462)で、ベストセラー作家への道と題して、覚せい剤の罪で逮捕された酒井法子の「贖罪」の出版について取り上げた。彼女の場合は、人気のあった芸能人が犯した罪ということで、その販売もかなりの数に上っているようだ。
 この市橋容疑者の出版については、昨日の朝のニュースバラエティの「す・またん」(読売テレビ)で、辛坊治郎氏が、やはり複雑な心境だと吐露していた。法を犯した凶悪な殺人者が、そのことを本にすることへのスッキリしない気持ちである。
 そうは言いながらも、皆が関心のある内容だけに、本になれば、それなりに売れる可能性は高い。言ってみれば、手品師がその種明かしをして商売すようなもので、犯罪者が自分の犯した罪を公開して金儲けする形になるのは許せない。幾ら、印税を迷惑を掛けた方々に還元すると言ってみても、被害者の立場に立てば堪ったものではない。国民が抱いている事件への疑問などには、本来は、捜査段階で明らかにすべき内容である。
 日本は、中国のように言論統制されている国ではなく、その辺りの言論の自由は法で守られている。従って、幾ら犯罪者だといっても、出版することは自由だ。その上、犯罪者がどんな心理状態で罪を犯し、逃亡をしていたのかという犯人自身の告白に関心を持つ読者が存在するのも事実である。つまり、商売ベースからみれば、それなりの需要がある訳だから、それを供給するという出版社があってもおかしくはない。
 従って、この問題は、関係者の良識に頼るしかないだろう。いずれにしても、どう転がしてみても、すっきりしない話題である。
 因みに、あの尖閣ビデオを流出させた神戸の海上保安官の一色正春氏が、出版することも充分に考えられるが、これは、大いに歓迎と言うことになるのだろうか。
 最後に、このコラムを読み直してみて、タイトルは「すっきり」とひらがなにしながら、本文では、やたらに「スックリ」とカタカナを使っているのは、すっくりしないことを反省を込めて付記しておこう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時15分起床。体重、60,1Kg.寒い。雪の予報が出ている。
 昨日の雅子も大人しかった。殆どの時間を目を瞑って寝ているようだった。それでも、しつこく声を掛けると、少し目を開けてくれたのを見て、なにかほっとしたものを覚えていた。一方で、筆者自身がこのところ疲れが重なって、うとうとしていることが多くなった。改めて、大変な持久戦に入ったような気がしている今日この頃だ。

3.連載、「難病との闘い総集編」(95)第二部 自宅介護(55).
  番外章 エピソードがいっぱい (8)

 (2)てこずった(その3)
  ③本人確認
 手が使えなくなって、携帯を持っている意味がなくなったことで、雅子の携帯の解約手続きを行なった。そのことで、ちょっとした不愉快なやり取りがあった。
 解約は、2006年10月12日に行なった。窓口で、一考が持ち主は身障者だと断ったにも関わらず、本人確認が必要だという。その日は、たまたま買い物に近くのスーパーまで連れて行っていて、近くの駐車場で待たせていたのだが、そこの販売店の女性が、わざわざ、少し離れたその駐車場までついて来て、車の中で待っていた雅子を確認するという念の入れ方だった。「そこまでやるの?」と少々頭に来て、思わず大声を出してしまった。
 「法律で決められているものですから」とその女性は、少しも動じずに応えて、雅子に、生年月日と住所の確認をして帰って行った。多分、マニュアルに沿った形式的なものだったのだろうが、その程度のチェックなら、騙そうとすれば、幾らでも可能だ。そこまでの必要があるのだろうか。購入する場合なら悪用ということは考えられるが、解約する訳だから、なんのための確認なのか、その意味が分からない。ましてや、身障者であると申し出ているのだから、身障者手帳などで確認するなどの融通性を利かせてもらってもいいのではと、温厚な筆者が、不快感あらわにした一幕だった。
 本人確認に関しては、M銀行と幾度となく激しくやり合ったことを思い出す。あまりにも馬鹿馬鹿しい不愉快なやり取りだったので、思い出すだけでも腹立たしいが、ここに、その一例として紹介しておこう。
 一つは、雅子名義の新しい口座を作ろうとした際だった。07年の梅雨が明けた頃だった。分散している預金や息子名義の預金などを、この際、纏めておこうと考えて、新規な口座を開設しようとしたのである。
 通常、この種の手続きは、本人が手続きすれば何の問題もないのだが、他人がやる場合は委任状などによる本人確認が必要となる。ところが、雅子の場合は、手が動かず、字が書けないから委任状も作れない。
 一考が出向いた先は、滋賀県に唯一存在する都市銀行のM銀行大津支店である。雅子は、元々京都の中央支店に口座を持っていたが地元の方が便利だろうとの考えで、新規口座開設を申し入れた。すると、応接してくれた女子行員が、この場合には、本人の意思確認が必要だという。
 「本人は身障者で、両手足が動かせず、字が書けないんですよ。どうすればいいのですか?」一考がその女子行員に確認すると、彼女は一旦下がって、誰かと相談している様子だった。
 「それじゃ、ここから電話しますので、ご本人に出ていただけますか?」戻って来たその女性はそう言って、一考の了解を得ようとした。
 「しかしですね、今電話して頂いても、本人は電話に出られないんです。動けないし一人では受話器が握れないんです」少しぶっきらぼうな言い方だったが、改めて雅子の症状を説明した。
 「そうですか。電話に出られないんですか!」その女性は困ったと言った顔で口をつぐんだ。
 「私の妻で、障害者1級、特定疾患患者で、その重症の認定を受けています。何か便宜を図って頂けませんか。必要なら、保険証やその障害者手帳などの書類は持っていますので、お見せ出来ます」一考は、その辺りの事情について説明した。
 「とにかく、本人の意思確認をさせて欲しいので……。」この女子行員は、その一点張りで話が通じない。
 「それじゃ、ここに連れて来いとおっしゃるんですか。それが大変なんで、お願いしているのです。あなたが判断できないなら、上司の方とお話させて下さい。あまりにも杓子定規な対応ですね」一考が少し興奮気味に踏み込んだ。その女性は、困った顔つきで奥にいる上司と思われる中年の男性のところに行って、再び相談を始めた。間もなく、その男性が出て来て一考に相対した。(以下、明日に続く)

1501 笑顔を見たくない面々(2011年版)

 このブログでは、今年が4回目の企画である。顔ぶれがあまり変わらないのが気になったので、新ルールを導入した。

1.独り言コラム
 第177通常国会が始まった。施政方針演説で、菅総理は「熟議の国会」を呼びかけていたが、今のところ、野党がすんなりと受けて立つという流れにはない。野党の反発の一つの対象は、与謝野馨氏の内閣登用だ。ねじれで波乱必至の国会である。どんな形の治まり方をするのであろうか、興味津々の国会場所の始まりだ。
 ところで、興味津々とは言えないが、今年で4回目の企画になる「笑顔を見たくない面々」の2011年度版をお届けしよう。2008年度から、勝手に呟き始めた企画である。ご参考に、過去の「面々のリスト」を引っ張り出してみた。
  2008年 小沢一郎、原辰徳、宮里藍 (683回目)
  2009年 小沢一郎、宮里藍、米長邦夫、広末涼子、星野仙一 (856回目)
  2010年 小沢一郎、宮里藍、米長邦夫、広末涼子、田中真紀子 (1113回目)
 こうして並べて見ると、あまりにも変わり映えしないメンバーであることに驚いた。そこで、今年からは「3年連続選出されたら、永久会員ということで棚上げする」という3年ルールを設定することにした。つまり、今年からは、小沢一郎さんと宮里藍さんは永久メンバーである。いずれにしても、あくまでも、独断と偏見によるお遊びの選考だ。
 さて、選ばれた栄えある今年の面々であるが、選考段階で少し悩んだが、次の通りに決定した。新しい3人のメンバーが加わった。
  新顔 鳩山由紀夫(あまりにも能天気)
  新顔 原口一博(小沢氏から500万円もらい、清新なイメージダウン、政策変心など)
  新顔 麻木久仁子(不倫でイメージダウン)
  三回目 米長邦夫(将棋連盟会長として不適格、女子プロ組織を分断させた)
  二回目 田中真紀子(政治に漫談家は不要)
 この結果、米長邦夫さんは、今回で3年連続選考されたので、来年度からは永久会員として棚上げすることになる。
 選考過程では、麻木久仁子さんの選考に少し躊躇した。クイズ番組での活躍は素晴らしく高く評価していたからである。そういえば、昨日もテレビ朝日の「Qさま」で頑張っていた。テレビ自粛も、バラエティには出演はOKのようだ。しかし、見た目では、その様子に、何となく、今までの溌剌さはなかった。
 いずれにしても、この笑顔を見たくない方々には、静かにしていてもらいたいのだが、…。
 話しは本筋からずれるが、この機会に、筆者が気に入っているクイズ番組で活躍している女性タレントの方々をリストアップしておこう。美人で博学な次の5人の方々である。
 宮崎美子、渡辺真理、村井美樹、松尾依里佳、それに麻木久仁子(いずれも敬称略)である。
 この方たちの番組はなるべく好んで見るようにしている。なかなかよく勉強しているのに感心している次第である。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時15分起床。体重、61.0Kg.お天気は良さそう。
 昨日の雅子は、症状は安定していたし、大変大人しかった。この日、筆者は相当に疲れていて、散歩も取り止めて止めて、雅子のベッド脇でずっと転寝していた。つまり、傍にはいたが、ほったらかしで、申し訳なかった、と反省しきりだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(94)第二部 自宅介護(54).
  番外章 エピソードがいっぱい (7)

 (2)てこずった(その2)
  ② 不整脈
 一考は、会社時代は、いわゆる健康診断といったものをあまり受けたことはなかった。時々、そのことで注意を受けたが、気にすることもなく過ごしてきていた、それが、骨折した雅子を岩森病院に連れて行った折に、何気なく、「生活習慣病の検査を受けられましたか?」という先生の問い掛けに「いや、受けていませんが?」と答えたのが切っ掛けで、珍しく、その検査を受けることになったのだった。一考のうかつ(?)な返事から生まれた受診だった。2006年4月以降の話しである。
 検査結果は、話題の大腸癌の検査も陰性で、基本的には異常がなかったが、心電図に若干乱れがあり、不整脈の心配があると言うことで、直ぐに市内の大東医院を紹介されたのだった。それほど気になったのではなかったが、紹介してくれた岩森先生の顔を立てて、その翌朝早く、大東医院を訪ねた。 
 まだ四十代前半の、物をはきはきいうぴちぴちした、二代目の若い先生だった。直ちに、レントゲン、心電図、血液検査が行なわれた。気になったのは、心電図に異常ありと云うことで、撮り直しが行なわれたことである。
 大東医師はその心電図を見ながら、淡々とした口調で、いきなりびっくりするような言い方で切り出した。
 「あなたの今の状況を分かり易く言うと、あの野球の長島茂雄監督が脳梗塞になる前の状況と同じですよ。何時どうなってもおかしくない状況です」
 「はあ、……。」突然、頭を殴られたような気分だった。医師の厳しい言葉が、他人事のように一考の耳に響いていた。衝撃的な不安が頭の中を駆け抜けたが、不思議と実感が伴っていなかった。
 脳梗塞を避ける応急処置として、血液をさらさらにしておくためのお薬、ワーファリンの服用となった。同時に、その後、数日を掛けて、血液検査や、各種の精密な検査、24時間連続の心電図の撮影などが順次行なわれたのである。、
 一考の認識としては、現役時代から、たまに、ぐっと心臓が痛くなるようなこと事があって、不整脈ではないかと思った事があったが、その時には、暫くじっとして我慢していると自然に治ったので、そんなには気にしていなかった。しかも、ここ十年近くは何事も無く過ごしてきているし、退職後の四年間で4000Kmも歩いたという実績があって、自分は大丈夫だと自らを信じていた。それだけに、大東先生の言うように、今にも脳梗塞が襲うような不安を言われて、大騒ぎになるのは言い方は、とても心外だった。
 さりとて、医者が言うことに、多少は耳を傾けない訳にはいかない。気掛かりは、もし、今の生活で、突然、脳梗塞に見舞われたら、どうすればいいのだろう。雅子は一人では歩けないし、外へも出られないし、電話も出来ない。そんなことを考えていると、どうしようもない不安が襲って来た。ともかくも、先生の診断、治療を仰ぐことにした。
 先生の話では、この病気の治療には、今のところ、二種のお薬による治療法があるという。そこで、2007年の年明けてから、その治療を試みてもらうことになった。治療そのものは、そのお薬を服用し、心電図で様子をチェックするといった単純なものだった。二種類の薬剤について、順次検査が行なわれたが、いずれも効果が認められず、治療という観点からは、これ以上は、打つ手はないという。
 従って、今後、一生、この不整脈と仲良く付き合わねばならなくなった。そのためには、ワーファリンの服用を続けるのだが、それに関して、その服用量の最適量についての確認が行われた。その結果、一日三錠が適切と分かり、その後ずっとそのペースで服用を継続中である。また、2ヶ月に一度の血液検査を行い、血液のさらさら度の確認を行なっている。このような形で、通院が一生続くことになるのだが、とてつもない重い判決を受けた気分である。
 かくして、毎朝、毎日、そのさらさら化のお薬を3錠飲んでいるのだが、それが自分の命を繋いでいると思うと何だか心細い気がして来る。生命のか弱さをしみじみ思う。(以下、明日に続く)

1500 ブログ1500日連続更新

 このブログも今朝は、節目の1500回目である。今朝は、少し数字に拘ってこの間の思い出を拾ってみた。
 
1.独り言コラム
 正確に数えると、筆者が誕生して、今日で25589日目である。従って、1500日と言うのは、単純計算すれば、今までの我が人生の僅か5.86%に過ぎない。しかし、この1500日には、気の毒な妻の難病との闘いをサポートする立場にあって、その責務の重みをひしひし実感した毎日であった。
 ブログというツールに初めて接した1500日前は、2006年12月17日のことで、大雑把に言って、今から4年1ヶ月余り前だった。この年の9月26日には、戦後3番目の長期政権を樹立して、1980日間の在位した小泉純一郎総理が任期満了して退任し、若手のホープだった安倍晋三総理が誕生した直後だった。株価も17000台を回復していて、安倍新政権の門出は、まさに順風満帆だった。
 しかし、好事魔多し、だった。期待された安倍政権が、思わぬ健康上の理由で、僅か366日で終ったのだった。その後、福田康夫総理、麻生太郎総理と表紙の顔を変えてリリーフを送り、政権維持を図った自民党だったが、国民からの不信を買い、遂にその座を明け渡した。2009年9月16日のことだった。
 この間、私的な面では、2006年の2月と4月に、難病で悪化の兆しをみせていた妻の雅子が、二度も転んで足首の捻挫、手首の骨折をする不幸があって、それまで緩慢だった雅子の症状の悪化を一気に加速することになった。その結果、それからほぼ一年後の2007年12月10日には、介護付き有料施設に入居することになったのである。ブログを始めて358日目のことだった。それは、彼女の人生の大きな転換点でもあった。
 一方、国民の圧倒的な支持を得てスタートした政権交代による民主党政権だったが、鳩山由紀夫総理の指導力の欠如した舵取りは脆くも挫折し、止むを得ず、菅直人政権の誕生となった。しかし、その管政権も、その無能ぶりは相変わらずで、党内の小沢一郎元代表の政治と金の問題が解決出来ず、混迷を続けたまま、今日から始まる第177通常国会を迎える。難問山積の今国会はどんな展開を見せてくれるのだろうか。先が全く見えていないだけに、不安がいっぱいである。
 この間、明るい話題も数多くあった。ノーベル賞も6人が受賞している。2008年に4人(南部陽一郎、小林誠、下村脩、益川敏英)昨年の2010年には2人(根岸英一、鈴木章)である。この点では、ライバルの中国、韓国を圧倒しているが、経済面でのGDPで、遂に中国に追い抜かれて世界2位の座を譲ることになるのは、極めて残念な結果である。
 他方、スポーツでは、いろんな華々しい記録も誕生している。中でも、イチロー選手が10年連続のレギュラーシーズン200安打の記録を達成したのは嬉しいことだった。また鉄人と呼ばれる阪神の金本知憲選手が1492試合、連続フルイニング出場を果たして世界記録をつくった。大相撲でも双葉山の69連勝という不滅の記録に迫って63連勝を成し遂げた横綱白鵬の強さも光っている。また、38歳の大関魁皇も、千代の富士の作った角界に入って以降の勝ち星1045勝に、あと10勝に迫る活躍を展開中だ。また、一昨日には、間寛平さんが、766日かけてアースマラソンを完走した。ゴルフでは、若手のスーパースター石川遼選手の登場もあって人気沸騰、加えて、昨年暮れ辺りからは、日本ハムに入団した期待のエースの斉藤祐樹投手が、今から超人気を得て話題になっている。
 とは言え、話は戻るが、政権交代が行なわれて、早いもので、今日で495日目である。この間、明らかになったことは、民主党の掲げてきたマニフェストの看板に大きな偽りがあった事だ。加えて外交政策には哲学もなく、弱腰外交に終始していることだ、あの尖閣諸島での中国漁船衝突事件が、民主党の姿勢を露呈した象徴的なもので、国民の信頼と期待を大きく裏切った。果たして、これからどんな政治が展開されてゆくのか、国民は固唾を飲んで見守ることになる。不安がいっぱいのこれからの1500日が始まるのだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時20分起床。体重、61.6Kg。寒さは相変わらずで、曇り空の一日になりそう。
 昨日の雅子は、血圧が少し低目だったためが、いつもは楽しんで視線を送っていたテレビ番組にも、ほとんど目もくれなかった。それでも、午後には、車椅子での院内散歩を行なった。顔つきは賢そうな顔で、気分はそれほど悪くはないようだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(93)第二部 自宅介護(53).
  番外章 エピソードがいっぱい (6)

 (2)てこずった(その1)
  ① 便秘
 通じがスムーズに出難くなり始めたのは、2007年2月の後半に入ってからである。それまで順調だっただけに、雅子は不安を覚え始めていた。止むを得ない運動不足に加えて、病気の進行で、大腸の蠕動運動が弱まって来ているのが原因ではないかと一考は考えていた。
 その頃の雅子の様子を窺っていると、二日も通じがなくなると、何といなく気分が重そうに思えた。そんな或る日、便秘が四日も続いたので、心配した一考が便秘薬「コーラック」を就寝前に飲ませた。
 その効果は極めて覿面で、翌朝にめでたく通じが回復ほっとしたのだった。雅子も、同じようにほっとしていたようだ。
 しかし、このお薬の効果が一段落すると、また数日間通じはなくなった。仕方なく、また、便秘薬のお世話になって、一時的な解決をみるといった繰り返しが、暫く続くことになった。
 一考や雅子の心配は、このまま便秘薬を飲み続けることへの不安だった。お薬売り場の薬剤師さんの話では、この「コーラック」は便秘薬の中では強力な部類に入る薬だそうだ。それだけに、そんなものを毎日飲み続けるのは良くないだろうと思うと同時に、その副作用を心配するのだった。
 それから一ヶ月ぐらい過ぎた三月末のことだった。お薬売り場の薬剤師さんが、イージーファイバーというものを勧めてくれた。これは、分類上は食品扱いで、幾ら飲んでも基本的には問題にならないという。
 早速、それを購入し、試してみることにした。それは粉末状のもので、いろんなものに良く溶けるという。その日の就寝前に、とりあえず一袋をお湯に溶かして飲んだ。効果は翌朝に現れ、朝食後に通じがあった。数日間の便秘のせいで、最初の出に苦しんだが、あとはすんなりといったようだった。
問題は、その服用量で、個人差があると言うので、その後暫くは、服用量を増減して、雅子の最適量について試行錯誤を行ない、一日3袋服用することが、雅子には最適量だということになった。
 4月の定期診察日に、そのことを春日先生に話すと「ファイバーなら幾ら呑んでも大丈夫ですよ」と太鼓判を押してもらって気分も楽になった。
 お陰で、その後の通じは、大きな支障もなく、ほぼ安定してペースで保たれている。その後は、3袋の服用は、朝のコーヒーの中に、2時頃のジューズに、寝る前のヤクルトの中にそれぞれ混入して、お茶代わりに服用していたのである。このファイバーには、その後施設に入っても、継続してお世話になるのである。いずれにしても、不安だった便秘が解消できていることで、雅子の気分は持ち直していたのである。(以下、明日に続く)

1499 やり遂げた!

 忠臣蔵で主君の仇を果たした赤穂浪士のように、事をやり遂げ、思いを果たした場合、通常は、充足感、幸せ感を覚え、同時に歓喜溢れる感情を伴うものだが、…。

1.独り言コラム
 一躍、時の人になった海上保安官だった一色正春氏が、昨夕のTBSの報道特集の独占インタビューに答えていた。なかなか、考えさせられる重みのある内容だった。大要は以下の通りである。
 ビデオの公開は、あくまでも正しいとの思いでやったが、多くの方にご迷惑を掛けたこともあり、完全に正しかったとは言い切れない面を感じている。
 とにかく、政府への不信感があり、このままではいけない。一人でも多くの方に見てもらい、考んがえてもらうことが大事だとの判断だった。しかし、だからと言って、自分からどうしろ、ああしろといった考えを押し付けるものではなかった。
 英雄気取りになっているのでは、という見方に対しては、自分ではそういうつもりはないが、そういう見方をする人がいたら、それはそれでもいいと思っている。
 妻には公開した翌日の夜に電話で話した。驚き、衝撃を受けていた。この先、どうするの? といった反応だったが、自分を責めることは無かった。私を信じて結婚したのだから、着いて行くだけだと言ってくれた。これからの人生は、何でもできると、前向きに捉えている。
 Sengoku38のハンドルネームについては、誰にも話していないし、伏せておきたい。一つぐらい秘密があって良いのではという。
 全体を通じて、あくまでも、自分が正しいという考えに基づいて行なった行為であることを強調していたが、組織のルールを破ったのであるから、保安官の職を辞するのは当然だとも語っていた。そして、そこにはいっさい後悔はなく、やらならなかったら、逆に後悔していたと思う、と告白していた。
 正直言って、ここまで考えて、行動に踏み切った同氏に、筆者は拍手を送りたいと思う。
 なお、漁船の船長の逮捕などのあとのビデオの存在については、全く話題にも取り上げられていなかった。それは、どうなっているのだろう。
 この重みのある独占インタビューによる「やり遂げた」話題とは好対照に、一昨日および昨日のスポーツ界は、多くの分野で、日頃の鍛錬で蓄えた実力を如何なく発揮し、一途にやり遂げて得た歓喜の素晴らしい勝利の誕生が多く見られて楽しかった。いずれも見応えのある素晴らしい戦いのドラマだった。
 間寛平さんのアースマラソンの完走、アジア杯サッカー準々決勝でのカタール戦でのドラマティックな逆転勝ち、横綱白鵬の史上三人目(大鵬、朝青龍)の6場所連続優勝、そして卓球の日本選手権での女子シングルスでは、石川佳純選手が福原愛選手などのライバルを破っての見事な初優勝があった。彼女の優勝は、高校生としては史上4人目で22大会ぶりだという。とにかく、嬉しい話題のてんこ盛りの一日で、多くのファンも満足だったに違いない。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時50分起床。体重、61.2Kg.お天気は曇った一日になりそう。
 昨日の雅子は、午前中はまずまずの様子だった。賢そうな顔で、目を開けてよく話を聞いてくれていたが、午後の散歩の後は、疲れたのか急に反応を見せなくなった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(92)第二部 自宅介護(52).
  番外章 エピソードがいっぱい (5)

  1.車に関するしくじり(その5)
  ③ 命拾い (その3)
 車は順調に走り、ほどなく、その海津大崎エリアに入った、一考が期待していた通り、桜の咲き具合は絶好のタイミングで、ほぼ満開に咲き誇っていた。恰も、桜の衣装を着飾ったような湖岸は、目の保養に最高で、二人は、曲がりくねった道のドライブを大いに満喫していた。やはり、思い切って来てよかったといった気持だった。
 桜並木のドライブを楽しんだ二人は、この日に期待していたもう一つの狙いに向けて、車を走らせていた。それは、奥琵琶湖のパークウエイだった。昨年の秋に訪ねて来た時には、その少し前に襲った台風の影響で、このパークウエイは通行止めになっていて、雅子にその景観を見せてやれず、一考の宿題として残っていた。事前のチェックで、今は片道が開通しているとのことだった。
 20分そこそこでそのドライブウエイを登り切った。そこがつづら尾展望台で、休憩所が設けられていた。一考は、雅子を車椅子に乗せて、その辺りをぐるっと回って見たが、残念ながら、垣根が高くて、車椅子に座っていては、眼下の景観を眺めることは出来なかった。それは、一考には思惑外れで、せっかく連れてきてあげたのにと、がっかりだった。仕方なく、大丈夫だという雅子をトイレに連れて行って、残りのドライブに備えた。この展望台は、自宅から80Km程度で、残り100Km程度を残した位置にあった。
 展望台を後にしたのは3時半を過ぎた頃だった。ともかくも、雅子にその警官を見せて遣れなかったという不満は残ったが、宿題を終えたということで、気分的にはほっとした安堵感はあった。
 奥琵琶湖パークウエイを降りた二人は、岩熊から塩津浜に出て藤ケ崎を経由してし、国道8号線で賎ガ岳トンネルを抜けた。この辺りは、かつて秀吉が柴田勝家と戦った歴史的なエリアだ。大河ドラマなどで何回も舞台になった小谷城跡付近を通って、片山トンネルを抜けると、湖岸沿いのさざなみ街道に出た。一気に眺望が開けて気分は華やいだ。ほっとして時刻を確認すると4時を少し過ぎていた。ここからは、琵琶湖の東岸を一気に南下する快適なドライブである。思わぬ危険が、その復路の終盤に潜んでいたのだが、二人には全く知る由もなかった。
 雅子が途中の休憩は不要だと言うので、途中の尾上近くのみずどりステーション、奥琵琶湖スポーツの森、更には、近江の母の郷などの「道の駅」を全て立ち寄ることなくそのまま通過した。さすがに、一考は少し疲れを覚えたが、そのまま頑張ってハンドルを握り続けた。
 時間も5時近くになっていた。ちょうど、近江八幡を過ぎて長命寺に向かっていた。その少し前頃から、眠気を意識した一考が、どこかで少し休まねばと思い始めたが、生憎、その辺りには適当な休憩場所がなかった。そこで、止むを得ず、そのまま走行を続けていた。雅子も、心地よい疲れから軽い居眠りに入っていて、二人の会話も途絶えていて、注意しなければと自分で自分に言い聞かせていた。
 そんな時だった、瞬間、車の左側の前タイヤが道路の左側の縁石に軽くぶつかった。一考は、反射的にハンドルを右に切った。居眠りしていた妻が「どうしたの?」と声を発した。一考も、ショックで我に返っていた。一瞬だったと思うが、危険な居眠り運転をしていたのだった。大げさではなく、まさしく命拾いをしたのだった。恐らく、車は蛇行していたに違いない。幸いなことは、直ぐ後ろを走っている車がなかったことだった。
眠気は一気に吹っ飛んだ。自分がまどろんでハンドルを握っていたことに、厳しく自分を叱咤しながら、神の配慮に感謝するのだった。この時、若し車が、左側ではなく、右側にそれていたら、間違いなく、対向車と正面衝突をして、全く関係のない方々を事故に巻き込んでいたことになる。そう考えるだけで身の毛のよだつ思いだった。本当に何もなくてよかったとの思いが、ハンドルを握る手に、じんわりと汗を滲ませていた。
 この後は、気分を切り替えて、慎重に運転を続け、野洲、草津、近江大橋を通って自宅に戻った。時刻は6時を少し過ぎていた。
 この一日を振り返って見て、命拾いしたことに、改めて神への感謝をしつつも、あのブレーキ故障があったにも関わらず、予定を強行したことへの反省を深くしていた。自分の年齢を考えて、もっと慎重な対応をしなければとの、自分への戒めに終始した反省の夜となった。(以下、明日に続く)

1498 初志貫徹

 この言葉は「言うは易しで、行なうは難し」の代表だ。それだけに、それを成した時の感動は、何者にも替えられないものがあろう。

1.独り言コラム
 ヨットと走りでと地球を一周するという途轍もない夢を、現実にやってのけた間寛平さんが昨日、スタートした大阪にゴールした。766日掛けての、アースマラソンの完走だった。多くの芸人仲間に迎えられての喜びのゴールに、全国のファンは大いに湧いていた。完走後の記者会見で「地球は大きかった。それに、日本の国が素晴らしいということを再認識した」と語っていたのが印象深い。寒さ、暑さ、高地、沙漠という難敵は多かったが、最大の難敵は、前立腺がんだったろう。それらに打ち勝っての初志貫徹だった。まさに、健康あっての物種である。お疲れ様でした。心からお目でとうを申し上げます。
 余談だが、昨日のテレビ中継を見ていて感じたのは、寛平さんの最大の親友は、明石家さんまさんだと分かったが、もう一人の大物タレントの島田紳助氏の姿が無かった。そういえば、2年前のスタートの際も、さんまさんが仕切っていた。タレントさん達の縄張り争いも結構面白い。
 さて、そのまんま東さんから変身した東国原英夫氏が、宮崎県知事の4年間の任期を終えて退任した。お笑いから政治家へのコペルニクス的転身だったが、本人に言わせると初志貫徹の一環だったそうだ。予期以上の支持率の高い知事として人気を博し、宮崎のセールスマンとして頑張ったことは確かである。途中、中央政界への転身の誘惑に駆られたが、そこは堪えての4年間だった。途中、口蹄疫というゲリラに襲われたが何とか乗り切っての任期満了だった。今後の身の振り方が注目されていて、都知事選への出馬、或いは中央政界への進出などが囁かれているが、何処まで頑張れると見ているのだろうか。都民の評価は、そんなに甘くは無いと思う。自らへの過信は禁物だ。野に置け蓮華草の喩えもある。
 それにしても、気掛かりは菅総理である。草の根運動の活動家からトップに登りつめた点では、まさに初志貫徹の模範的な政治家だった。先の厚生大臣だった際に、薬剤エイズ問題で大きな実績を残したこともあって期待は大きかった。
 しかし、気掛かりなことは、総理に着いて以降の同氏の初志の中身がはっきりしなくなっていることだ。どんな世の中に日本を導こうとしているのか。同氏の具体的な夢が見え難くなっている。所信表明演説では「最小不幸の社会を目指す」と口にしていたが、あまりにも抽象的で実感が伴わない。それに、もう一つの気掛かりは、重要な課題には、同氏は、先延ばし、棚上げという得意技を駆使して逃げる手法に頼ることである。
 いずれにしても、夢は大きく、高いに越したことはないが、寛平さんのように夢は分かり易いものがいい。多少は時間は掛かっても。リアリティのあるマイルストーン(具体的な工程計画)がなければ、夢は絵に書いた餅で終ってしまう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.1Kg.午後3時頃まではお天気は良いという予報である。
 昨日の雅子は、一考の要求に懸命に応えてくれていた。例えば、目を開けてと言うと、懸命になって開けようとしてくれていたし、帰り際もさよならというと、これまた目を開けてくれていた。お風呂の後にマサージを受けて、顔色は良かった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(91)
  第二部 自宅介護(51) 番外章 エピソードがいっぱい (4)

  1.車に関するしくじり(その4)
  ③ 命拾い (その2)
 私がサイドブレーキを引いたまま走っていたのではという指摘に、一考は、今朝、西大津の自宅を出発してから、ここに至るまでのドライブの模様を思い出していた。途中の白髭神社で30分ほど休憩した際に、サイドブレーキを引いていたことは確かだったが、その後、そこを出る時には、戻していたはずだと思ったのだが、その一方で、まさか、とは思いながらも、うっかりしていてそのまま走っていたのではとの疑いもないことはなかった。そのJAFの方は、サイドを引いたままでも一端走り出すと、結構走れるものですよ、とさりげなく呟いた言葉が引っかかるのだった。一考は、自分の運転ミスだと指摘されているようで面白くなかったので、無愛想な顔で「それはないと思うよ」と反論したのだが、急にその自信が萎えてゆくことも確かだった。かつて、サイドを引いたまま暫く走ったことがあったからである。
 結局、近くの修理場で点検してもらうことになり、そこまで、トレーラで運んでもらうことになった。修理場は10Kmほど離れたJR新旭駅近くにあるという。思わぬ展開になり、余計な費用が掛かるが止むを得なかった。
 新旭は、高島市の中央部に位置していて、JR湖西線の近江今津駅の一つ手前の駅だ。ちょうど一年前に、一考が、自宅からスターとし、初めての琵琶湖を歩いて周回した際の、第一日目のゴールだった。
 直ちに、レッカー車に載せる作業が始まった。荷台からスロープが地上に、細い二本のレール状のもの降ろされた。その上を登って荷台に車を引き上げるのだ。しかし、一考は、その細いスロープを登るのに自信がなかったので、面子を放棄してJAFの方にお願いした。
 かくして、生まれた初めて、二人は自分の車に乗ったまま、トレーラに載せられて、やおら、新旭に向けて走り出した。妙な気分だった。
 トレーラの荷台の上から見る景色は満更でもなかった。視点が高くなった分だけ見晴らしは良く、それまでの運転席では味わえない優越感を覚えていた一方で、それ分だけ揺れも大きく、二人の不安な気持ちを増幅させた。
 修理工場の方たちは親切だった。直ぐに、ブレーキ具合の点検が行なわれ、ブレーキシューに焼けこげたゴムのような燃えくずが、しっかりとこびりついているのが確認された。作業に当たってくれた人の話では、原因は、サイドを引いたまま走っていた可能性は高いということだった。やはり、自分のうかつなミスだったのかと、忸怩たる思いだった。
 二人が、感謝の気持ちをこめて丁重に礼を言って、修理工場を出たのは1時半を少し過ぎていた。とにかく、大事に至らずに済んだことに、二人はほっとしていた。そして、そのまま自宅へ帰るつもりで、国道161号線に向かっていた。しかし、日はまだ高く、折角ここまで来たのにといった思いが、一考の気持ちを揺るがせ始めていた。特に、海津大崎の桜は、今が見ごろのタイミングで、これを逃すとまた一年待たねばならない。そう思うと、この際思い切って、このまま、琵琶湖周回を続行しようと思い始めたのである。
 人間の気持ちって微妙なものだ。つい少し前までは、今日はついていない日だから、余計なことは自粛した方がいいと自分に言い聞かせていたのだが、それが、あっという間にか何処かに消え失せていた。そして、車が、国道161号線に差し掛かったところで、自宅への方向である右折はせず、真っ直ぐ風車街道を目指したのである。それは、瞬間的な、或いは刹那的な決断だった。この決断が、二人の人生に微妙で危険な綾を生み出すことになるのだ。人生は微妙な局面のつなぎ合わせのようなものである。
 風車街道に戻った二人は、北を目指した。先ほど、ブレーキ故障で車を止めた路肩を通り過ぎたのは、2時を過ぎていて、故障に気づいてこの場所に着いた時刻からは、2時間も遠回りしていたのである。一考は、そこで改めて気合を入れ直し、奥琵琶湖の入り口である海津大崎を目指した。(以下、明日に続く)

1497 命を削っての戦い

 自らの身体に鞭打って、命を削るような厳しい戦いのドラマには、思わず惹き込まれてしまう。その凄い頑張りは、理屈じゃなく、その人の意地も言うべき挑戦意欲と周りからの温かい応援が、大きな力になっているようだ。

1、独り言コラム
 大関魁皇が、昨日、この初場所の勝ち越しを決めた。正直言えば、一昨日に平幕の玉鷲に脆くも敗れた時、筆者は今場所の勝ち越しが極めて難しくなったと思った。それと言うのも、残りの対戦者が横綱白鵬と3人の大関が相手で、そこから一つの勝ち星を奪うのは容易でないと見ていたからである。しかし、そんな心配は杞憂だった。昨日は、実にうまく取って、大きな大関の把留都を寄り切っての快勝で、見事な勝ち越しだった。
 この勝ち越しで、千代の富士の持つ1045勝という大記録を射程圏に捉えたことになった。つまり、昨日の勝利で1034勝に達し、あと11勝でタイに並び、12勝で新記録となる。幸いにも、昨日の勝ち越しで、少なくとも大関として、あと二場所は戦えるので、余程の怪我などのハプニングがない限り、この大記録の達成の可能性は、極めて大きくなったと言えよう。
 正直な話しだが、ここ数年の魁皇の成績を見ると、先場所の12勝は全くの例外で、そのほとんどが8勝7敗、良くて9勝6敗という綱渡りの連続だった。例えば、2009年は6場所全てが8勝7敗、昨年も、その例外的な12勝を除けば、あとは、9勝6敗が2度、8勝7敗が2度、そして一度が途中休場だった。しかも、その8勝7敗の場合も、殆どが千秋楽に辛うじて勝っての8勝7敗だったことが多く、ファンだった筆者としても、若しかしたら、8勝目は勝たせてもらっていたのではないかと疑っていたこともあった。
 しかし、このところの戦いを見ていて、確かに命を削るような毎日の戦いでもあるが、魁皇の凄い底力を見せてくれていて、改めて感動を覚える毎日である。やはり、男は最後まで命を削ってでも、大きな記録への挑戦が出来ることは、実に素晴らしいことだと思うのである。
 命を削っての戦いといえば、アースマラソンに挑戦して来た間寛平さんだ。大阪をスタートして766日目の今日、地元の大阪に最終のゴールをする。その間の移動距離は4万1千キロを越えたし、実際に走った距離も2万2千キロ、その走りに要した時間は、4千時間を越えた。
 大変だったのは、途中で前立腺癌の発覚で、2ヶ月間もその治療と闘ったことだった。この間、出国した日本には戻らずに頑張って来たこの766日間は、まさに男が命を削っての戦いだった。そんなに無茶をせずとも、という考え方もあるが、戦って生きる人生の輝きの尊さに勝るものは無い。とにかく、初志貫徹で走りきった寛平さんには、心からご苦労さん、おめでとうと申し上げたい。大きなイベントは終るが、同氏の輝かしい人生は、これからも輝き続けるだろう。
 そんな二人の男(魁皇、間寛平)の生々しい命を削るような戦いとは対照的だが、一昨日から行なわれている、オバマ大統領、胡錦濤主席の米中二人のトップのビッグな会談も、見方によっては、命を賭けた虚々実々の堂々の戦いだった。人種問題、人民元の為替レートなどの難しい課題にも、オバマ大統領は切り込んだし、胡錦濤主席もこれに応じることなく、世界が反目する中で、自説を曲げなない慇懃無礼な嫌な男で通したのである。二年ほど前だが、こんな奴に媚を売って、連れて行った仲間に一緒の写真を取らせた男の気が知れない。とにかく火花が散るようなやり取りが展開されたが、そこでは、余計な気遣いで、言いたいこともまげて言い出さない日本のような弱気な対応ではなかったところが凄い戦いだったことを物語っている。
 この種の話し合いで、今回のほうな大きな問題が解決するとは思わないが、この繰り返しが、やがて、ボディブローとして効いて来るものと期待している。とにかく、ここでも男の堂々とした闘いが展開されたことに、ある種の爽やかさを覚えたのである。
 それに対しての日本の政治はどうだろうか。正直な話し、そのつまらない現実に、本当にがっかりさせられてしまう。菅総理は昨日も外交に関する演説を行なったようだが、いつも他国を慮った対応を前面に出し、自国には嘘をついてまで、本当の主張をぶっつけない対応に終始するのは、本当にがっかりである。TPPを平成の開国と位置づけて前向きな姿勢を示しているが、果たしてそのまま突っ走れるのだろうか。いつもの得意技の先送りでお茶を濁すことになるのではなかろうか。
 いよいよ、国会も始まるが、依然として小沢問題でがたがたしている現況を見ていると、オバマ大統領らの一流の政治家に比べると、如何にもそのスケールの違いが浮き彫りにされて来る。日本人としては、とても、寂しい、悲しい、やるせない、情けない現実に、がっかりである。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時10分起床。体重、61,1Kg.お天気は晴れたり曇ったりの一日になりそうである。
 昨日の雅子は、午前中は体調が今一つだったが、午後の散歩をした後は、体調は少し戻っていて、目を開けて話を聞いてくれるようになっていた。この日は、午前中に口腔クリーニングを受けが、看護士さんのお話では、いつもよりも口を開けてくれたという。

3.連載、「難病との闘い総集編」(90)
  第二部 自宅介護(50) 番外章 エピソードがいっぱい (3)

 1.車に関するしくじり(3)
  ③ 命拾い (その1)
 この話は、エピソードでは済まない話である。真面目に言えば、際どく命拾いした話だった。少しでも何かが間違っていたら、翌日の新聞の社会面の片隅で、「難病を抱えた夫婦、心中?」といった見出しになっていたように思う。大事に至らなかったことに、神に感謝しながら紹介しよう。

 その日、07年4月20日、久し振りに、雅子をドライブに連れ出し、琵琶湖一周を楽しもうとしていた。自宅を出たのは10時半過ぎだった。それまでに2回、一緒にラウンドしたことがあった。今回もその時と同じように、湖西線に沿って西湖岸から東湖岸を周回するコースを取った。お天気も良くて気分は良好、雅子も助手席で見慣れた景色だったが、その移り変わりを楽しんでいた。
 道はそれほど混んではいなかった。車は順調に走った。近江舞子から湖岸に出て、見え隠れする琵琶湖を追いながら、一路、白髭神社を目指していた。そして、今日こそは、この白髭神社に立ち寄ってみることに先ずはポイントを置いていた。というのも、前2回に行なったドライブでは、2度とも、その入口を探している間に、あっという間に通り過ごしてしまい、結果的には素通りしてしまっていたからである。しかし、さすがに三度目の正直で、この日は、幸いにも、思い通りにうまく立ち寄ることが出来た。
 ほっとして、そこで20分間ほど、あたりを散策して休憩を取った。再び走り出したのは、11時半頃だったと思う。それまで通り、車は順調に走り続けていた。その時点では、一考は、少なくとも何の異常も感じていなかった。
 間もなく、大溝橋を渡って直ぐに右折し、国道161号線から外れて、いわゆる風車街道に入った。この通りは、湖岸に近いところを今津に向かって走っている道である。前にも紹介したと思うが、特徴は、車の数が極端に少なく、のんびりとした快適なドライブを楽しめるので、一考の好きなドライブコースだった。近くには、こどもの国や風車村があって、落ち着いた休憩も取れることから、雅子にお手洗いを勧めたが、その必要がないということだった。そこで、休息は先延ばしにし、そのまま海津大崎を目指して、一考は、少しアクセルをふかせた。
 最初の命拾いはそんな時に起きたのである。今津を過ぎた頃だった。信号で止まろうとしてブレーキを踏んだのだが、踏む具合に異常を感じた。ぐっと深く踏み込まないと利かない。「おやっ」と思ったが、踏み方でも悪かったのかと思って、その後もそのまま走り続けた。自分の車の前後に全く車の姿が見当たらないのんびりしたドライブだったので、そのこと自体はあまり気にはならなかった。しかし、次の信号の手前でも、同じような状況だったことで、これはおかしいと思い、暫く走ったところで、車を路肩に寄せて止めた。若し、国道を走っていたら、信号では、車が並んでいたはずで、前の車に突っ込んで事故になっていた可能性は高かった。とにかく、その時点では、何もなくて助かったといった気持ちだった。
 見渡す限り、田園風景が広がり、視界には数件の家があるが、言わば、何も無い畑の真ん中で、小さな三叉路になった地点だった。一考は、そこで、とりあえず、何回かブレーキの具合を確認したが、やはり、凄く深く踏み込まないと利かず、シャープにきちんと止まらない。困ったことになったと不安が込み上げてきた。何しろ、この種のメカには、からっきし音痴だっただけに、自分では手の施しようがなかった。どうしようかと迷ったが、雅子と相談してJAFに連絡した。いつも、持っていない携帯電話を持っていたことは幸いだった。
 そして、待つこと1時間ばかりして、やっとJAFのトレーラ車が到着した。40歳代のほっそりとした優しそうな男だった。一考は、早速、ブレーキの異常について詳しく話した後に、この車は、10日ほど前に、半年毎の定期検査を受けたばかりだったことを付け加えた。
 「なるほど。そうですか」男は、そう言って、早速、下を覗き込んだりして車をチェックし、更には、自分で近辺を回ってブレーキの利き具合調べた。しかし、待っている一時間の冷却があったことからか、具体的な異常は見つからなかった。
 「普通なら、このまま、気をつけて帰って下さいと申し上げるところなんですが、事がブレーキに関してのことですから、そういう訳にもいかないんですよ」優しそうなそのJAFの男は困った顔つきだった。
 「考えられることとしては、定期検査時にブレーキシュー辺りに、何かの齟齬があったか、或いは、お客さんが、サイドブレーキを引いたまま走られたのでは、とも考えられます」男は、自信なさそうだったが、そう言って一考の顔を見た。(以下、明日に続く)

1496 びっくり! 何が起きるか分からない

 人は、何か大きな変化、進化を期待している動物だと思う。変化が進化につながり、びっくりが人生を豊かにしてくれる切っ掛けになるとの期待があるからだろう。

1.独り言コラム
 大相撲の昨日の結びの一番で、それまで磐石と見えていた白鵬が、あっという間に土俵を割った。びっくりだった。先場所に続いて、大金星を連奪したのは、期待の星の稀勢の里である。大きな自信になったはずで、一日も早く、大関、横綱になってもらいたいとファンの声が一段と大きくなったはずだ。何しろ、ここ暫く、角界には、これという日本人力士が育って来ていないからである。
 これで、再開していた白鵬の連勝は、前回の63連勝にははるかに届かない23連勝でストップした。この連敗で、白鵬には、稀勢の里が苦手になりそうで、双葉山の69連勝は暫くは安泰との見方も出て来る。とは言いながら、何が起こるか分からないのが、この世の中だ。
 カリスマ経営者といわれていたアップル社のスティーブ・ジョブズCEOが休養を宣言した。時価総額が世界一の企業のトップだけに、世界の市場にどんな影響を及ぼすのか、全世界が注目している。とにかく、生き馬の目を抜くような激しい競争の世界だ。何が起きるかわからない。
 いよいよ、米中のトップ会談が始まった。胡錦濤主席が5年ぶりのアメリカ訪問中で、オバマ大統領と頂上会談に臨んでいる。GDPで世界2位に浮上した中国の存在は、日本には目の上のたんこぶになりそうだ。今回の会談での課題の中心は、人権問題と人民元の扱いだろう。ここでは、大きな変化を期待したいのだが、…。
 頂上会談だと言えば、今年の春闘を巡って、昨日、古賀連合会長と米倉経団連会長のトップ同士が顔を合わせた。連合としては、今年は、給与総額1%アップが目標だという。とにかく従業員の所得を上げて、個人消費のアップに期待し、景気の浮揚に繋がって欲しいものだ。リーマンショック後、日本だけが立ち治りが遅れており、何とかその遅れを取り戻して欲しいのだが、…。
 さて、来週から通常国会が始まるが、ここでは頂上決戦と言うよりも、民主党内のゴタゴタのが解決が先決である。今朝のニュースでは、小沢一郎元代表の政倫審への出席を求める議決も先送りされることになったようだ。加えて、菅再改造内閣にも、与謝野馨氏を経済財政相に起用したことで、党内外に不気味なさざなみが立っていて、国会運営は難航が心配されている。果たして、予算関連法案は成立するのかどうか、今のところ、その目処はたっていない。一部には、菅内閣が追い込まれて解散といった見方も出ている。とにかく、何が起きるか分からない国会になりそうだ。
 全日本卓球選手権大会で、平野美宇(みう)さんと伊藤美誠(みま)さんの二人の小学生が出場し、二人共に勝利して、福原愛選手が持っていた11歳の最年少勝利記録を更新した。びっくりである。但し、最年少勝利記録は、生まれが半年遅い伊藤美誠さんの記録が生き残る。
 生き残るという意味では、日本航空の鶴のマークが復活するという。稲盛社長が引き継いで一年になるが、ここに来て漸く出口が見えて来たようだ。人員削減も、これ以上はやらないという。ここでは、何が起こるか分からないではなく、しっかりとした企業の復活に繋げてもらいたい。
 とにかく、何が起きてもいいのだが、それらが国民の幸せに繋がるものであって欲しい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、61.1Kg.お天気は、予報では、午前中が曇りで、午後には晴れるようだ。
 昨日の雅子は、午後になって、体調も良くなっていたようだ。目を開けてお話を聞いてくれる時間も多く、とても賢そうな顔をしていたのが嬉しかった。日によって、雅子の顔は結構違って見えることがあって、時たまヘキサゴンの顔に見えることもあるのだが、そんな時には、気の毒で、とても辛い思いをするのだ。


3.連載、「難病との闘い総集編」(89)
  第二部 自宅介護(49) 番外章 エピソードがいっぱい (2)

 1.車に関するしくじり(2)
 ② 信号無視
 雅子の症状で、左手に不具合が出始めて頃の話である。実姉の霧子さんに紹介された医師(?)のところに、雅子を連れて、鍼治療に通ったことがあった。そこには、そこには、十三回通ったのだが、一度だけ信号無視でつかまると言うへまを仕出かしたことがあった。
 それは、05年12月21日の師走も押し迫った日だった。年内の最後の治療を終えての帰り道で、丸田町通りを走っていて、白川通りの天王町に出る直前の三叉路で、信号を無視したという違反だった。その交差点に進入する際には、信号は黄色に変わっていたのが、ほんの10メートル足らずの道だったので、そのまま行けると思ってアクセルを踏んだところ、その直前で赤に変わったのである。どうしようかと思ったが、他に車も走っていなかったことから、急停車するよりは行き抜けた方が安全と判断した。
 ところがである。直ぐに、後ろからパトカーのサイレンの音が近づいて来た。最初は、自分のこととは思いも寄らず、何かあったのかとのんびりとハンドルを握っていたが、助手席の雅子から、「つかまったのじゃないの」と言われてどきりとして、改めて、ハンドルを握り直した。「しまった!」と思ったが、遅かった。どこかに隠れて、違反者が出るのを待ち構えていたと思われる。一考は、サイレンの音に戸惑いながら、車を道の端に寄せて止めた。何しろ、パトカーに追いかけられたのは初めてのことで、何を、どうしていいのか慌てていた。
 「信号を無視されましたね。申し訳ありませんが、免許書を見せていただけますか」若いお巡りさんが運転席の一考に声を掛けて来た。思ったよりも丁寧な言葉遣いだった。一考は、戸惑いながら免許書を取り出して見せた。それを確認したお巡りさんは、車を降りてパトカーの方へ来いと促した。仕方なく、それに従うと、所定の書類にサインをさせられて、違反金、9000円を支払うように命じた。「渡るときは黄色だった。本当に赤信号だったのか」と念を押そうとしたが、内心、忸怩たるものがあって口には出せなかった。
 「今後、三ヶ月以内に再犯がありますと、免許書に記載されて減点になりますから、ご注意をして下さい」と言われて、書類のコピーを手渡された。
 「9000円ですか。痛いですね。ここでは他に車もなく、実質的に迷惑をかけてはいませよ」と一考は苦情を言ってみたが「規則違反には変わりありません」と言われたので止むを得ず諦めて、自分の車に戻った。痛い、痛い失策だった。それから三ヶ月の執行猶予期間中は、なんとも気の重い期間だった。
 このことが、それまで持っていたゴールド免許を取り消されることになるとは、全く思いもしていなかった。次回の更新時にゴールドが消えたのはショックだった。(以下、明日に続く)

1495 IT万能?

 ユビキタス時代である。IT万能の裏に落し穴もある。しかし、その影響力の大きさを侮ってはいけない。

1.独り言コラム
 一昨日起きた新幹線の全面停止事故は、使っているソフトのコスモスに、設定以上の負荷ががかかったために起きたという。具体的には、訂正作業が、一時に600件以上も集中したためにコンピューターがダウンしたのだ。
 原因が分かったことで、対策が取れることから関係者はほっとしたと思うが、訂正作業が600件と云う設定枠は、結果論だが、小さすぎる枠であったと素人目にも思う。コンピューター世界の落し穴である。
 今やコンピューターのネットは、とてつもなく広がっている。一般の利用者が使う、ツイッター、ブログ、ホームページといった類も、その利用数は驚くばかりだ。例えば、筆者が使っているこのブログも、その登録者数は130万件を越している。ブログのソフトの数がどの程度あるかは知らないが、仮に10個あるとすると、それだけでも、その数は1300万を越す。
 アルジェリアで起きた政変も、フェイスブックと呼ばれるソーシャルネットワークの影響が、国民運動をそこまで動かしたという。中国のように政治力で、インターネットの視聴を力で抑えている国でも、いずれ押え切れない時が来るだろう。その時には、あの天安門事件のような大事件が再び起きるかも知れない。
 とにかくユビキタス時代に突入していて、その技術の発展も素晴らしく、携帯による端末機能の充実ぶりが、その動きの一端であり、いろんな動きを加速していることは確かだ。世界はそんな潜在的な可能性を持った動きの上に立っているということを承知しておきべきだろう。
 そんな動きの一方で、現実の世界は不安定な動きが続いている。このところの株の動きを見ていると、どう動いていいか戸惑っているような、小幅なな動きに終始した不安定な動きである。先行きが見えないための戸惑いが、株価の動きに出ているのだろう。
 それだけに、政治の力がますます大事になってくる。今日からオバマ大統領と胡錦濤主席が会談して、世界の重要な課題について語り合う。今や、アメリカと中国が世界の動きの起点になっている訳で、日本は置いてきぼりを食っているようだ。それもそのはずで、未だに、小沢一郎氏の政倫審出席云々の話しに興じているから、馬鹿馬鹿しくなってくる。心機一転した菅総理の手綱さばきが注目されるのだが、…。
 そんなIT万能の世界でも、その道のエキスパートの話しには、ITを越えた説得力あってその一言、一言に感動する。TBSの昨夜の「ニュース23」にサッカーのキング、三浦和良選手がゲスト出演し、インタビューに答えていた。同氏は、誰もが知るサッカーの草分け時代を切り開いた一人で、今dも最年長で活躍している現役プレイヤーだ。現役で長くプレーをする秘訣は、と聞かれて「楽しんでプレーすることが大事だが、初心を忘れないことだ」と言っていた。つまり、それを始めた時には、それが好きだったはずだから、その情熱、気持ちを大事にすることだという指摘は、むべなるかな、である。まだ「シュートは、ゴールにパスするつもりで、リラックスして行なうのが、いいのでは、…」といったことを口にしていた。その道のエキスパートの言葉には、なかなかの味があるものだ。
 蛇足だが、キャスターの膳場貴子さんを久し振りに見たが、その理知的できりっとした顔つきは、相変わらずなかなかで、持ち前の美貌は衰えていなかった。但し、滝川クリステルさんのような心地よいお色気を感じさせてくれないのが、少し物足りなかったことを付記しておこう。
 
2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時15分起床。体重、61.1Kg.今日の天気も、終日スッキリしない曇り空のようだ。
 昨日の雅子は痰が多くて苦しんだ日だった。体の姿勢を変える度に、溜まっていた痰がどっと出て来て大変だった。呼び掛けへの反応も乏しく、全体として、体調は低調な一日だった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(88)
  第二部 自宅介護(48) 番外章 エピソードがいっぱい(1)

 さて、ここまで、在宅介護での雅子の闘いを紹介して来たが、その間、笑うに笑えない事態もいくつか経験した。その中には、ちょっとしたいい話もあって、小さな幸せを覚えたエピソードもあった。ここから暫くは、それらを総括してみたい。

 1.車に関するしくじり(その1)
 雅子の症状の悪化で、緊急帰郷した2004年末までは、一考は車の運転は苦手であった。何しろ、それまでは国内では、ほとんど運転する機会がなかったからである。しかし、雅子の病気の悪化で、それを避けては生活が出来ないことから、必死に頑張っているうちに、次第にうまくもなって来たし、今では結構気に入っている。
 しかし、そこに至るまでに、幾つかのトラブル、事故などに遭遇した。幸い、大事故、大事件にはならなかったが、中には、危うく命拾いしたこともあって、結構、大わらわな思いをした。いずれも、忘れられない思い出だ。
 ① 車で通院を始めたのが、06年6月に醍醐の武田病院に行ったのが最初だった。本来のパーキンソン病の定期診断を受ける京都駅近くの武田病院には、その3ヵ月後の8月の定期診断日が最初だった。
 醍醐の病院には、ちゃんとした駐車場が完備していたが、京都駅近くの病院にはそれがなく、近くにある屋外の青空駐車場と駅の伊勢丹の駐車場のどちらかを利用していた。どちらかと言えば、青空駐車場の方が使い易く便利なので、そこが空いていれば、そこを優先して利用するようにし、空いていなかったり、雨が降っていたりした場合は、伊勢丹の駐車場を使っていた。従って、毎回の通院時では、その青空駐車場の入口にある「空車」か「満車」の表示にやきもきすることが多かった。
 ところで、車での通院になっても、最初の頃は車椅子を使わず、駐車場から病院までは歩いていた。よちよち歩きだったが、肩を組んで、手を引いてあげることで、何とか可能だった。しかし、その歩きも大変になって来たため、車椅子を使い始めたのである。2007年1月になってからのことだった。
 事件が起きたのは、2007年5月度の定期診察日のことだった。この日、幸いにも青空駐車場が、一台分があいていたので、これ幸いと喜んで車を駐車場に乗り入れた。そして、手早く、定位置で車を駐車したのである。いつもなら、駐車する前に、適当な位置で、一旦停車して、雅子を車椅子に移してから、車を駐車位置に止めるのだが、この日は、何となく急いでいたこともあって、先に車を駐車位置に停車してから、雅子を車椅子に移したのだった。その時点では、そのことが問題になるとは思っておらず、車の横から車椅子を出そうとしたところ、その通り幅が狭く、車を止める板を操作する器具が邪魔をして、うまく抜け出られないことに気付いた。
 困ったことになったと思ったが、さりとて、今一度料金を支払って駐車を解除し、初めからやり直すのは馬鹿馬鹿しいということで、少し強引だったが、車椅子ごと持ち上げるようにして、そこの通過を試みたのだが、その時に車に車椅子の一部が接触し、醜い傷がついてしまった。それまで充分過ぎる注意を払って運転をしていたのだが、こんなつまらないことで、車を傷つけてしまっただけでなく、自分の心に消えない手痛い傷がついたようで、がっくりだった。

1494 嬉しさを抑えて

 嬉しさを素直に表現するに越したことは無いが、ちょっと抑えた形での嬉しさの表現の方が、深みがあって味があるように感じることがある。

1.独り言コラム
 一昨日まで磐石の強さを見せていた横綱白鵬が、昨日の一番で豊真将の頑張りに、一瞬、態勢を崩し土俵際に追い込まれた。「あ、危ない!」と思った瞬間、横綱の咄嗟の出し投げ、豊真将が土俵外に飛び出したのを見て、その直後に自らも土俵を割った。その時に「ニヤッ」と苦笑したのが凄く印象的で、「危なかった」と云う思いと「ああ、よかった」という嬉しさを抑えた顔つきが、何とも言えないかわいい(?)魅力的な顔だった。磐石の傍にも「スキ」は潜在しているようだ。
 恒例の芥川賞と直木賞の受賞者が、それぞれ二人すつの4人が発表された。4人の豪華な受賞は、あの金原ひとみさん、綿矢りささんらが受賞して以来で、7年ぶりだそうだ。芥川賞の一人、朝吹真理子さんは26歳の若さで慶応大学の大学院生だ。受賞作品「きことわ」という聞き慣れない言葉にインパクトがあって、何となくその意味を求めて、読書欲をそそられるタイトルだ。他の三人は、35歳の道尾秀介さん、そして43歳の西村健太さんと木内昇さんで、4人とも、受賞の喜びを、その嬉しさを少し抑えた形で、語っていたのが印象的だった。いずれにしても、才能持った方が、わんさとおられることに、筆者は、自分の無能さを忘れて、拍手を送っていた。
 さて、昨夜の筆者は、NHKのニュースウオッチ9に注目していた。その日の朝に結婚報道が出ていた青山祐子キャスターが、どんな形でそのことに触れるかに関心があったからである。冒頭の数分間はうっかり見逃したのだが、さすがはNHKで、その種の私的なことについては触れてなかったようだ。
 しかし、その日の特集が、タイミングよく婚活の話題を扱っていたこともあって、番組の最後のところで、「青山さんは、結婚されても仕事は続けられますか?」と、相棒の大越健介キャスターからの問い掛けがあり、それに答えた形で、彼女が、家庭も大事にしたいと答えながら「仕事は続けてゆきたい。今後も頑張ってゆきますので、宜しく」と自分の考え方を力強く語っていた。彼女の笑顔には、NHKらしく、嬉しさを軽く抑えたもので、視聴者に好感を与えた形で、番組を結んでいた。
 そう言えば、その同じ時間帯の裏のクイズ番組「Qさま」に、あの麻木久仁子さんが出演していた。しかし、さすがに、そのテンションは低くて、いつもの麻木さんではなかった。それでも、クイズは、筆者が見た範囲内では全問正解だったが、嬉しさを抑えたとは違って、自分を意識して抑えていたようで、売り物の快活さは欠落していて、クイズの女王としての精彩はなかった。
 抑えた喜びとは正反対だったのが、昨夜のアジア杯サッカーの日本の活躍だった。サッカーでは珍しく5-0という大差でサウジアラビアを退けて、選手、ファンは大喜びだった。これで、日本は、予選リーグを1位で突破し、2次予選に駒を進めた。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、60.8Kg.朝の寒さは少し緩んでいる。今日のお天気は回復するようだ。
 昨日は、雪のため、いつもよりも倍の時間を掛けて病院に着いた。病室に入ると、雅子は、ちょうど口から痰が溢れていて、パジャマ、敷布までぐっしょりで、大変苦しそうだった。直ちに処置し、着替えさせてあげた。
 症状全体としては、そこそこの一日。午後には散歩。反応(目を開けてくれる)は前日までのような活発さは失われていた。体調は少し低調な日だったようだ。 

3.連載、「難病との闘い総集編」(88)
  第二部 自宅介護(48) 第三章 失われゆく機能(21)

 (4)拡大する障害の影響(その10)
  ⑪ 姿勢   
 2006年の10月頃から身体が少し左に傾き始めた。座る姿勢を変えて矯正を試みるがなかなか直らない。そして、日々、その傾向が強くなっていった。11月に入ってマッサージを受けることになり、その辺りの事情を理解いただいての対応をお願いしたが、具体的な効果には繋がらなかった。左手の不自由さが原因して、左に傾いているのではと思うのだった。
 その内に、首が回り難くなり始めたのである。年が明けて暫くした2月の中頃からの悪化だった。同時に、首が身体の前の方に下向きに曲がり出したのである。気がつく度に、矯正を試みるが、直ぐに戻ってしまう。
 このため、歯を磨いたり、口をゆすいだり、顔を洗う作業が厄介になり始めた。この病気の特徴なのかも知れないが、外見も見栄えがよくなくなり、実質よりも症状が悪く見えてしまう。それだけに、何とか上を向かせるようにしていたが、その効果は得られなかった。短時間だが、ベルトで引っ張って矯正を試みたが、効果は期待できそうもなかった。
 3月(2007年)初めの醍醐の武田病院での治療時に、津島先生に、固縮(ジストニア)を柔らげるのに使っている薬の首筋への転用を相談してみた。先生は、若手の研究者らしく、いつも前向きの姿勢で応接して下さるのが有難い。その時も、多分、効果があるだろうということで、早速打って頂いたが、大きな変化は認められなかった。しかし、打ってなければもっと悪くなっていたのではないかとも考えられる訳で、そう言う観点では、効果があったとも言えるが、手首の指の場合よりも見た目の効果は少なかったようだ。どうやら、姿勢を矯正するための、何らかのリハビリが必要だと、その頃の一考は思案していたのである。

  ⑫ 総括
 まさに、秋の陽が落ちるが如きスピードで、雅子の症状の悪化は進んだ。そして、気が付くと、何もかもが自分でできなくなってしまっていた。左手に加えて、右手も使えなくなり、手も足もないような「だるま」のような状態に追い込まれていた。「だるま」ならまだ転がることができるが、雅子にはそれもできず、可哀想に、「だるま」以下の生活に甘んじなければならなかった。
 健康を自負していた自分が、こんなことになるなんて、全く微塵も考えてもいなかった展開に、雅子は愕然としていたに違いない。今や、一人で椅子に座っての生活がメインを占める毎日が続いていて、そんな想定外の人生に、懸命に堪え続けていたのである。それは、大変な自分との闘いでもあった。
 「これから、何処まで悪くなるのかしら?」雅子は、底なし沼の中に落ち込んでゆくような悪化への不安の毎日に、そんなことを考えてしまう。そんな雅子に掛けて遣る言葉もなかなか見つからない。
 「少し意地の悪い神様の試練を受けているのだ。とにかく、開き直った気持ちで、それを受け入れて頑張って生きて行くしかないよね」他に適切な言葉が見つからない一考は、そんなことを言って勇気付けるのだが、その気の毒さはどうしようもなかった。あれだけ頑張って家を守ってきてくれた雅子に、病魔は止まるところを知らず、猛攻を続けている訳で、慰める立場の一考も、神の存在を疑い始めていた。(以下、明日に続く)

1493 反故(ほご)

 広辞苑には「書画などを書き損じた不要の紙。転じて、役に立たない物事」とある。また、インターネットのコトバンク、デジタル大辞泉には、「反故にする」は「ないものとする。役に立たないものにする」とある。

1.独り言コラム
 菅再改造内閣の支持率は、各新聞、テレビ局の調査では、ともに5~6%改善されているようで、30%台に戻って来ている。反小沢シフトを明確にしたことで、多少は国民の支持が回復したのかも知れない。それでも、不支持は50%以上もあるから、今までの世論が「反故」になった訳でもない。
 気掛かりは、再改造内閣の目玉として、経済産業相に起用された与謝野馨氏が、24日から始まる国会での新たな論争の火種になる懸念があるという。雑誌などで展開した「民主党には任せられない」との同氏の主張は「反故」にされたのであろうか。具体的には、同氏の主張する「税、社会保障」への考え方は、民主党のそれとは、かなりの「ずれ」があると言われている。加えて、自民党は、先の衆院選で、同氏が比例で復活当選したことから、議員辞職を求めており、一筋縄ではいかないようだ。
 マニフェストの扱いについても議論は活発だ。一旦「反故」にして新たなものに作り直すべきとの考え方もある。掲げた目標が絵に描いた餅ではどうしようもない。とにかく、財源についての考え方で間違っていた訳だから、一旦は国民にお詫びすべきではなかろうか。
 そういう意味では、再改造内閣も、既に満身創痍である。菅船長は如何なる操縦をしてくれるのだろうか。
 福田康夫内閣末期に、拉致問題で、北朝鮮は、一旦は、再調査すると約束したものの、直ぐにその約束を「反故」にした。とにかく、彼らとの約束は、簡単に反故にされてしまうことが殆どで、約束しても意味がない、国際的に、どうしようもない相手だけに、怒りが込み上げてくる。
 しかし、今年に入って、前原誠司外相は、北との対話に積極的な姿勢を見せている。成算を見込める何かを掴んでいるのだろうか。何もせず、待機作戦だけでは、事は動かないことも確かだが、…。
 さて、私事だが、昨年の11月初め頃から読み始めた浅田次郎さんの「終らざる夏」を、やっと数日前に読了した。なかなか読み応えのある本だった。少年と少女が疎開先を抜け出して東京に向かう後半辺りから、読書のペースはぐんとスピードアップしたが、それにしても随分と時間がかかってしまった。 
 読み終えての感想は、ポツダム宣言受諾後に、それまでの日ソ中立条約を「反故」にして、北方領土に攻め込んで来たソ連の卑劣な領土奪取のへの許せない怒りである。
 そんな卑劣な歴史をつくりながら、先日、あのメドベージェフ大統領が、そ知らぬ顔で国後島へ降り立って、我が領土であるとの強引な主張を展開した。そのことに、筆者は、返吐が出る思いを一層強くしたと申し上げておこう。
 今日が、阪神大震災が起きてまる16年である。見た目には神戸の町は、すっかりと装いを新たにして立派な街に甦っている。しかし、住民も4割りの方が入れ替わっているそうだ。しかし、あの悲惨な体験をされた方々は、如何なる事があっても、その恐怖、悲惨さ、苦しみ、辛さなどの思いは、決して反故にされることはないだろう。
 歴史的にみても、世の中の、いわゆる「約束事」というものは、世界、日本を問わず、いつ「反故」にされるか分からない性格のものでもある。どうすれば、いいのだろうか。これは、まさに永遠のテーマである。
 ここで、予定外の緊急追加である。このブログを送信しようとした直前に、NHKのニュースウオッチ9の青山祐子さんが結婚するという情報を知った。相手の方は。一才違いの同じ筑波大の出身の方だそうだ。そういえば、最近の青山さんはすっかりニュースの顔になっていて、貫禄も出て来ていた。精神的な面での支えになっていたのだろう。この結婚、反故にされることはないと思うが、…。とにかく、おめでとうと申し上げておこう。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時50分起床。体重、60.6Kg.天気は回復に向かうようだが、雪が路上に積もっていて、病院へ行くのが大変そうだ。
 昨日の雅子もよく目を開けてくれて、話を聞いてくれたし、テレビにも視線を送っていた。一昨日から、体調が少し上向きかもしれない。付き添っていても、付き添い甲斐がある。


3.連載、「難病との闘い総集編」(87)
  第二部 自宅介護(47) 第三章 失われゆく機能(20)

 (4)拡大する障害の影響(その9)
  ⑨ バランス機能
 一考の帰郷直後から、健康管理の一環として実施してきていた雅子の毎朝の体重測定が、身体のバランスが取り難くなって来て、次第に測定が難しくなってきていた。二人が使っている体重計は、測定器の上に立って計るタイプだが、立つスペースが一人分しかない一般的なものである。従って、身体のバランスを失うと、そのスペースから落っこちてしまうことになり、正しい測定が出来なくなるのだ。
 計り難くなったのは、2006年9月に入って直ぐのことで、立つことが不安定になり始めた。そして、9月末には、雅子の身体を支えなければ安定せず、測定に苦労し始めていた。それでも、11月後半までは、一考が雅子を支えるなどしながら、毎日は無理としても、体重測定は断続的に継続していた。
 しかし、12月に入ると、遂に、一考のサポートがあっても体重計の上に立つ事が出来なくなり、測定不可能な日が続出し始めた。
 この間、何軒かのデパートなどを回って、病院などで見かける二人が乗れるようなタイプ、或いは座って測定できるようなタイプの体重計を探した。しかし、残念ながら、適切な体重計を見つけることは叶わなず、結果的には、年末を持って体重の測定は取り止めざるを得なくなったのである。
 ちなみに、最後の測定となった2006年末での体重は、一考が危険ラインとして設定していた43Kgはクリアーしていて、44から45Kgのレベルを行ったり来たりの状況で、一応、安全圏内にあった。
 いずれにしても、健康状態を管理する別のモニターの方法を、何とか見つけ出さなければと思っていたが、なかなか適切な名案が出て来なかった。

 ⑩ 五感  
 多くの機能が悪化して行く中で、いわゆる五感である視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚はどうなっていったのか、それらについて、簡単にレビューしておこう。
 視覚については、元々から近視で少し乱視が入っていた。従来はコンタクトレンズで対応していたのだが、指先が使えなくなるタイミングで眼鏡に替えた。この病気の悪化に伴う悪影響は、幸いなことに、今のところ、目立った影響は出て来ていない。
 聴覚は全く影響を受けていないと思う。元から、その機能は極めて優れていて、一考は驚くぐらいである。それと言うのも、例えば、テレビを見ていて気づくのだが、雅子は、音量表示で、一考の5ポイントぐらい低い音量でOKである。外部での声や音にも一考が気づかないものでも感知している。この病気になっても変わっていないと思う。
 臭覚も、聴覚と同じく、もともと凄い感知能力を持っていて、症状の悪化にも影響を受けていないように思うのだが、確認はできてはいない。元々の感知能力は凄くて、その凄さを物語るエピソードがある。それは、少しは離れている母屋でガスが漏れているのでは、と臭いでその危険を察知して、ガス漏れを発見したという、今でも語り草になっている事例があった。しかし、今の機能の状態については、これまた、はっきりとは把握出来ていない。
 因みに、鼻に関する作業は、手が使えないので一考のサポートは欠かせない。例えば、鼻をかむ場合は、チッシュで一考が拭いてやっている。
 味覚についても、実質的な影響はないと思う。しかし、「口」の総合的な機能は、大きく損なわれて来ている。その一つが、口がスムーズに開き難い。更には、飲み込みが難しくなって来ている。また、口をゆすぐ場合に、その水を飲み込んでしまうことが増えて来ているし、厄介なのは、一旦、口に入れたものを吐き出すことが難しく、一考が手を入れて取り出そうとすると、その指を噛んでしまうという傾向にあることだ。数日前に、うっかり魚の骨を口に入れてしまい、それを取り出そうとして苦労したことがあった。また、吸い込む能力も少し低下して来ていて、ストローで吸うのも時間が掛かる傾向が出て来ている。つまり、味覚とは別だが、口の運動に関する機能は大きく低下しているのである。その結果、言葉がスムーズに出難く、また、発音も正確性を欠き、コミニケーションに支障が出始めているのが心配だ。
 触覚については、彼女の手が不自由であるので、影響が出ているかどうかは分かっていない。但し、こちらから触ると反応するので、感じる機能は生きていると思う。(明日に続く)

1492 不条理、理不尽

 この言葉、何となく心にぐさっと刺さることばである。菅再改造内閣の発足前後に、経済・財政相から横滑りした海江田万里経済産業相が、「人生は不条理だ」と漏らしたのだが、重く響いたのである。

1.独り言コラム
 菅総理は、そんなにまでして、与謝野馨氏を起用したかったのだろうか。溺れる者は藁をも掴むというが、菅総理が同氏に拘ったことに、びっくりした筆者の気持ちである。同じ選挙区(東京1区)の長年のライバル同士の二人が、同じ内閣に入閣した事例は、極めて珍しいのではなかろうか。評判が芳しくないようだ。
 さて、その菅総理が、14日夜の初会議で内閣の基本方針を決めた。それは「国民にとって『不条理』と思えるような問題をただすことを基本姿勢とする」というものだ。「不条理をただす」とは、よくぞ言ったものだ。海江田さんは、どんな気持ちでこの言葉を受け取ったのだろうか。
 このことに関しての発言が相次いでいる。西岡武夫参院議長が「菅直人首相は不条理なことをした。民主党と小選挙区で戦った相手が入閣するのは、海江田万里経済相はたまらないだろう」とコメント、また、あの黄門役の渡部恒三氏も「政治家で一番大事なのは信義と節操だ。政権を失った途端に自民党を出て、今度は民主党で入閣するなんて、卑しいし恥ずかしい」と酷評している。
 唯一の前向きの人事は、若手の枝野幸男官房長官人事だ。直後の会見で「自分は求めず、断らず」をモットーにしていると弁明していたが、筆者にはしっくりとは響かなかった。また、下手なジョークにクレームするつもりはないが、同氏が、仙谷前官房長官に比べて、自分には二つの優れた点があるとし「一つは歌がうまく、もう一つは、話を分かり易く出来ることだ」と強調していたが、少し空回りしてすべっていたようで「大丈夫かな?」と気になった。
 いずれにしても、新内閣の評判は今一つだ。後は、実績で示してもらうしかない。
 さて、その不条理だが、確かに、世の中にはそんな不条理、理不尽なことが多過ぎるように思う。最新の事例では、あの村木厚子さんの事件で、特捜が証拠を改ざんし、無実の人を犯人にでっち上げようとしたあの事件は、不条理も甚だしい事件だった。こんな事がまかり通れば、誰でも犯人にされてしまう。恐ろしい話である。
 今朝の新聞に、NHKの会長にJR東海の副会長の松本正之氏が、福地茂雄現会長の後任に、全会一致の議決で決まったと伝えているが、途中で候補に押されて応諾していた元慶大塾長の安西祐一郎氏にしては、不条理極まる選考経過だったに違いない。小丸委員長のいい加減な応接は許されないが、当人には何のお咎めも無いのも困ったものだ。その
 拉致被害者、その家族の方々は、不条理な立場におられている典型的な犠牲者たちである。いい加減な理由をでっち上げられて、死亡していると通告されたまま、10年が経過しようとしているが、これはといった打つ手も無いままだ。彼らにしてみれば、まさに、理不尽で不条理の塊であろう。そういう意味では、小泉総理と外務省の田中均氏が、北朝鮮との間の重いドアを開けたと言うあの訪朝は、今、改めて考えてみても、画期的な展開であったといえる。
 その訪朝で、筆者が忘れられない不条理な場面があった。小泉総理が二回目の訪朝(2004年6月6日)を終えて帰国した時のことだった。朝早くに日本を出て、夜遅く帰国した総理が、その足で、待機していた拉致家族をホテルに訪ねて報告した際に、家族達から手厳しい苦情の山を受けていた場面を思い出す。小泉総理にしてみれば、自らが身体を張って乗り込んで闘って来たのに、一言の感謝の言葉もなく、多くの怒りの言葉を浴びたのは、極めて不条理な立場だったと気の毒に思ったことのが忘れられない。あれから、もう7年だが、事態は全く動いていないし、動く気配もない。
 いずれにしても、多くの税金を支払っている国民にとっては、いい加減な政治しか行なっていない政治家たちに、何とも言えない不条理を覚えているし、私的な面では、良くやってくれた妻が不治の難病に犯されていることに強い理不尽さを覚えている今日この頃だ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、61.1Kg.外は吹雪の気配。暗くてよく分からないが、かなりの積雪のようだ。(4時半現在)
 昨日の雅子は、ここ暫くの様子とは一転して、頑張って目を開けて見つめてくれている時間が多かった。嬉しいよ、というと、一層頑張ってくれているのがいじらしかった。体調が良かったのだろうと思う。この日も午後には、1時間程度、車椅子で散歩し、その後にリハビリを受けていた。リハビリを受けている様子も何となく気持ち良さそうだった。
 とにかく、一考にはほっとした一日だった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(86)
  第二部 自宅介護(46) 第三章 失われゆく機能(19)

 (4)拡大する障害の影響(その8)
  ⑧ 入浴
 リフォームを終えて、一階での生活が始まって間もなくのことだった。入浴中の雅子が、いつものように湯船に入ろうとしたのだが、左足が上がらないという事態に出くわした。
 4月半ばの手首骨折の後、5月11日に左手首のギブスを外したが、手足の動きが不自由だったので、致し方がなく、一考が風呂については洗髪などを含めてサポートをして来ていた。しかし、湯船に入る際に、足が上がらなくなったのは初めてのことで、一考は、少々焦燥感に駆られた。
 手助けしていた入浴の段取りを少し詳しく説明すると、湯船には雅子は右足から入るのだが、その場合は、足がうまく上がるように、少しリズムをつけて「せーの」と声を掛けると、不思議に右足が上がって湯船に入る。この掛け声は不思議なおまじないなのだ。車に乗るときにも、右足を先ず車に乗せるのだが、その場合も同じで「せーの」が、初めのうちは有効だった。他にも、歩きを促す際に「とんとんとん、とんとんとん」とか「シュッ シュッ シュッ」といったような掛け声が、条件反射のように作用して、動きを助けてくれることを初期の段階では経験した。これらの掛け声は、あの「アリババと四十人の盗賊」の「開け、ごま!」に似たご利益が得られていたから面白い。
 この日は、いつものように「せーの」と声を上げて、先ず右足を湯船に入れてから、もう一度「せーの」と声を掛けたが「左足が上がらないの」と雅子が困った表情で訴えたのである。今までになかったことだった。どうやら、左足は、脳からの伝達指令が伝わって来ても、症状の悪化が進み、自分の意志では動かない状態なっていたと思われる。仕方なく、「どっこいしょ」との掛け声を出して、両手で左脚を持ち上げてやった。
 ここまで、病魔が着ているのかと思うと不安が大きく羽を広げたようだった。正直言って、驚き、困惑、そして不安が入り混じった複雑な心境だった。しかし、それは一考よりも、本人の雅子の方が、言葉に出来ない辛さを味わっていたに違いない。その時には、彼女は「ごめんね」と申し訳なさそうに言っていたのが、一考の胸を熱くするのだった。2006年5月31日のことで、雅子に与えた神様の新たな試練だった。
 ところで、入浴といっても、湯船への出入りだけではなく、トイレの場合と同様に、風呂場への移動、衣服の脱着、洗髪や洗身などといった幾つかの作業が組み合わさった複合作業である。雅子の症状の悪化に従って、結局は、それらの全ての作業を少しずつ一考が引き受けてゆくことになった。特に、立つことが不安定になるにつれて、専用の椅子、足のすべりを防ぐマットなどの介護の用具を使用しての介護となった。
 そして、脚を抱えての湯船への出入りが暫くは続いた。その内に、一考の腰が痛み出し始めたことで、急遽、介護の関係者から、入浴時の湯船への出入りに省力化できる「板」を使う方式を紹介され、直ぐにその方法に切り替えた。それは、湯船の上に板を渡し、その上に座らせて、身体を滑らせて回転させて、脚の出し入れを行なう。原始的な方法だが、省力化は覿面だった。それによって、一考の腰の負担は大幅に改善されることになった。2007年4月初めことである。(以下、明日に続く)

1491 装いも新たに

 この表現は、テレビの番組改編時などで、よく使われる表現だ。かつては、今は亡きあの玉置宏さんが、ロッテ歌のアルバムなどで、その日に再登場する歌手を紹介する時に多用していたのを思い出す。

1.独り言コラム
 民主、国民新両党による菅再改造内閣が、昨日午後に発足した。「装いも新たに」、と申し上げたいところだが、顔ぶれを見て、装いは新たと言うよりも、新鮮味に欠ける陣容に見えたのは筆者一人ではないだろう。官房長官に枝野幸夫氏を抜擢したのは「よしと」しても、巷間言われているように、「由人(仙谷)」の意向を受けての起用のようだし、大半の閣僚は留任か、横滑りでの小幅改造に終った。その上、経済、財政担当大臣に、立ち上がれ日本にいた元自民党の長ベテラン代議士の与謝野馨氏をわざわざ起用したのは、如何なものか、民主党内でも不評のようだ。特に、同氏は、経済産業相の海江田万里氏と同じ東京1区を戦う二人であるだけに、スッキリした感じはない。
 結局、今までの内閣から、参院の問責決議を受けた仙谷由人官房長官と馬渕澄夫国交大臣の二人に、幾つか問題にあった岡崎トミ子さんの三人が代わっただけで、如何にも「問責改造」という形で終ったようで、「装いも新た」からは程遠い改造だったと少しがっかりの気分である。これで、果たして、懸案の予算、消費税増税、普天間、福祉などの難問を乗り越えられるのだろうか、そのお手並みを拝見させてもらうことになる。
 さて、昨日の1月14日、沖縄の石垣市で「尖閣諸島の日」で記念式典が行なわれた。これは同市が、1895年の閣議決定で尖閣諸島が日本領に編入された1月14日を「尖閣諸島開拓の日」とした条例制定を記念した式典である。式典には自民党の下村博文衆議院議員も出席し、今後、領有権を明確にするための施策を政府に求めて行くという。
 この記念日の制定を切っ掛けに、尖閣諸島の領有権問題を、「装いも新たに」世界に訴えて行くことが大事になる。なお、この式典に対し、中国は「盗み取った日」とした方が適切だという論評を出しているし、同時に、北京大使館には、鉄球が打ち込まれるという事件も起きたようだ。そんな抵抗を気にすることなく、同道と主張を続けて欲しい。
 しかし、島根県が竹島の日を制定した時の韓国の反発に比べると、その度合いは、それほど大きくはなさそうだ。
 いずれにしても、この種のものは、日本国がもっと先頭に立つ対応が望まれるのだが、…。
 サッカー日本代表は、昨日ドーハーで行なわれたアジアカップの第2戦でシリアと戦い、2-1で辛勝したことで、何とか予選リーグ突破の目鼻がついた。この試合の後半、微妙な判定でGKの川島永嗣選手がレッドカードを受けて、一発退場になったため、最後は10人で戦うというハンデ戦となったが、その後、これまた微妙な判定で相手のファウルを誘い、本田佳祐選手がPKを決めて何とか辛勝できたのは幸いだった。とにかく、幸、不幸が微妙に入り混じった厳しい試合だった。
 今回のアジア杯のシリーズは、昨年までの岡田武史体制から、「装いも新たに」ザッケローニ体制になっての初めての本格的な戦いだけに、ロンドンオリンピックやW杯に向けて、その戦いぶりが注目されていた。しかし、初戦のヨルダン戦では引き分けに終っていただけに、この勝利は極めて貴重な勝利だったと言える。先行きの健闘に期待したい。
 NHK会長問題が紛糾している。福地茂雄会長の任期満了に伴う後任人事で、元慶大塾長の安田祐一氏が内定していたが、土壇場で、経営委員会の小丸委員長の手の平を返した発言で、安田氏が反発して受けない事態になっている。このところ、ゴタゴタ続きのNHKだっただけに、今回の新会長の選任を期に「装いも新たに」出直しが期待されていたのだが、振り出しに戻ったようだ。NHKは、とにかく不透明の多い巨大企業だ。
 さあ、24日からは通常国会が始まる。難問山積だが、改造内閣はせめて気持ちだけでも、装いを新たに頑張ってもらいたい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時半起床。体重、61.5Kg.寒い、また雪ではとの予報? しかし、朝4時現在は降っていない。
 昨日の雅子は,相変わらず痰に悩まされることが多く、その際の苦しさは気の毒である。今週から入浴が金曜日に変わるということで、昨日も入浴できた。顔の色艶は良くなったが、なかなか目を開けてくれないので寂しい。

3.連載、「難病との闘い総集編」(85)
  第二部 自宅介護(45) 第三章 失われゆく機能(18)

 (4)拡大する障害の影響(その7)
  ⑦ トイレ
 手足の動きが不自由になってくると、日常生活での支障は、加速度的にどんどんと増え始めた。それが、遂に、トイレにまで及んでくると、雅子はそれまでにない精神的な苦痛を覚え始めていた。
 トイレにゆく作業を、介護の面からステップごとに分類すると、四つのステップに分けられる。一つがトイレへ往復する「歩行」に関する作業、二つ目が衣服の上げ下げ、三つ目が用を足す作業、四つ目が、その後始末の「拭く」または「洗浄」する作業である。
 「歩行」が困難になったのは捻挫、手首骨折の直後からで、それでも、リフォームを終えた7月頃(2006年)までは、手を取って「とんとんとん」と声を掛けてやることで、よちよち歩きは出来ていたが、その後、症状は更に悪化、この病気の特徴である、障害物や段差の前での竦み(すくみ)が目立ち始め、8月以降は、ヨチヨチ歩きも難しくなって来ていた。しかし、室内でのトイレまでといった短い距離だったから、何とか、手を引いて移動するようにしていた。
 二つ目の下着の上げ下げについては、お箸が持てなくなり、コーヒーカップが握れなくなった頃より難しくなり、7月末には、一考が初めて手助けをした。具体的には、握り棒を握らせて、雅子を立たせておいて、下着を上げ下げするサポートである。結構、疲れる作業だ。第三ステップの用を足すのは、便座に座らせてやると、自分で何とかできるので、特に何もすることはなかった。しかし、症状の悪化で、大腸の蠕動運動が弱まってきていることもあって、本人の苦労は大変な様子が窺われることが増え始めていた。最後の第四ステップの後始末なのだが、暫くは何とか自分でやっていたが、遂に、11月末になって、便座から立ち上がれなくなり、急遽、ウオシュレットへの切り替え工事を行なった。幸い、そのリモコンスイッチは、押すボタンが比較的大きかったことで、暫くは、雅子でも自分で何とか操作が出来た。
 いずれにしても、トイレまでが自分でままならなくなったのは、雅子にとっては、誠に辛く、屈辱的なことであった。(以下、明日に続く)

1490 充電

 走り続けてばかりでは体が持たない。一流のランナとして長くあり続けるためには、適切な休養、然るべき準備、訓練、勉強などに必要な充電期間は欠かせない。

1.独り言コラム
 ニュースを学びながら楽しむという主旨の番組で、大ブレークした元NHKの池上彰氏が、3月いっぱいで全ての番組から降りることを決断したようだ。年末の大晦日には、NHKの紅白歌合戦と渡り合って、煩悩と同じ数である108の課題について頑張っていたのを思い出す。とにかく、各局からもてもてで、多くの放送局のオファーに応えていたのだが、いろんな意味で限界が来ていたのであろう。
 今までの知見の在庫を使い切った訳ではないと思うが、この辺りでしっかりした充電が必要だし、本来の出版などにもっと時間を使いたくなったという。また、健康面での消耗も大変だったと思われるので、今回の充電期間の取得の決断はグッドタイミングだったと思う。これだけ、名前を売ったのだから、後は、ポイントを絞った勝負に徹するのがいいのだろう。
 昨年にMLBから戻って、阪神に入団して力を発揮した城島健司選手が、このシ-ズンオフに左膝の半月板の手術をしたことで、来シーズンの前半の出場が難しくなった。とにかく、19才でプロに入り、11年間日本のプロ野球で頑張り、それから4年間マリナーズでプレイして来た。守備がキャッチャーだっただけに、MLBの投手とのコミニケーションでの苦労は大変だったと思う。
 物は考え方だ。今回の治療期間は、神が城島選手に与えた貴重な充電期間と捉えて、英気を養うのは悪いことではなかろう。完治した後で、もう一花、二花を咲かせていただければ、ファンは納得するはずだ。
 そういう意味では、歌舞伎の御曹司の市川海老蔵さんも、同様な位置づけが出来る。今回の不祥事での謹慎は、それまで我が儘を通して来た自らの人生を見直す意味での良い充電期間にすべきだと思う。
 クイズの女王の麻木久仁子さんも、今回の不倫スキャンダルで、幾つかのニュースのコメンテーターをしていたレギュラーから降ろされたようだ。筆者は、彼女がべらべらとニュースにコメントしているのは、何だか波長が合わず、好きではなかった。彼女からニュースの解説など聞きたくもなかったし、そんな役割は向いていないと違和感さえ覚えていた。知的で美貌の魅力でクイズで勝負している彼女はなかなか強かった、どうやら、男には弱かったようだ。いずれにしても、今回の不倫で、彼女のイメージダウンは大きい。山本モナさんではないが、まあ、暫くは、充電期間に当てて、静かにしているのが良いのではなかろうか。あくまでも、バラエティやクイズでの麻木久仁子は嫌いではない。
 さて、今日菅総理による内閣改造が行なわれる。注目の仙谷由人氏が、遂に官房長官を降板するらしい。しかし、同氏の場合は、他の重要なポジションに着くということで、充電期間という訳にはいかないようだ。何しろ、菅総理の強力な看板大臣だっただけに、休む訳にはいかないのだろう。
 その民主党では、相変わらず、菅総理の支持者と小沢一郎グループとの確執は大変だ。一昨日の両院総会では、小沢グループの若手からの不満がいっぱい噴出していた。一そうのこと、菅総理と小沢氏が揃って充電期間を取っては如何かと思う。ここに来て、菅総理の限界が見えて来ていると感じている国民も少なくない。
 その一方で、政権を失った自民党だが、長い充電期間に入っているものの、その中身は、しっかりとした充電が行なわれているようには思えない。核になる人が乏しいのが頭の痛いところのようだ。
 その核になる人という意味では、健康を害して降板した安倍晋三さんの存在が気掛かりだ。もう、充分な充電が出来ていて、満を持しているという見方もある。同時に、待望論もちらほらろ聞こえ出して来ているようだが、国民はどう見ているだろうか。
 
2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、60,9Kg.今日の天気は、昼間は晴れるという予報だ。
 昨日の雅子は痰がやや多く、呼び掛けへの反応も低調だった。それでも、午後の車椅子での散歩中に、前にお世話になった看護婦さんに出会った時には、目を大きく開けて反応していた。しかし、帰り際に、筆者が声を掛けて、目を開けてと頼んだが、どうしても開けてくれなかった。このところ、反応が低調になってきているようで寂しくもあり、心配でもある。

3.連載、「難病との闘い総集編」(84)
  第二部 自宅介護(44) 第三章 失われゆく機能(17)

 (4)拡大する障害の影響(その6)
 二人の生活は、昼間は別の部屋にいるので、離れている場合が多い。雅子は、一階のリビングと寝室が主たる居場所であるのに対し、一考は、介護を必要としない時間帯は、パソコンの置いてある2階の部屋にいることが多かったからである。それだけに、必要な時に速やかに連絡がつけられるツールを探すことが急務だった。
 このことについては既に一部紹介したが、最初は、ボタン式の無線ツールを使用していたが、ボタンを押せなくなって使えなくなった。
 それでも、最初のうちは、ボタンが大き目のものを探して来てトライを繰り返していた。この場合、当たり前のことだが、そのリモコン自体を、雅子が座っている位置から手の届く範囲に固定して置かないと、ボタンが押せない。従って、首に掛けたようなものは便利だと思われたので検討したが、揺れ動くことから、雅子が、ボタンをうまく押せなくて使えなかった。そんなことで、有りそうでいて、なかなか適当なツールは見つからなかった。
 苦肉の策として、一時は、笛を吹いて知らせるとか、楽器のようなものが使えないかと試みたが、笛は吐く息が弱すぎるために適当でなく、楽器もそれに相応しいものはなかった。困り果てて、防犯ベルを使うことも考えたが、これは一旦音が出ると、今の雅子の状態では、音を止めることは出来ず、近所に迷惑になるということで、これも実用には適さなかった。
 そして辿りついたのが、介護用品の中に、ボタンが大きいスイッチのついた無線のブザーが見つかった。11月末のことである。2セット購入し、一つをリビングの雅子の椅子の直ぐ前に、もう一つを、トイレの座る前にセットして、このボタンを押すことで連絡を取るようになった。しかし、この大きなボタンも、2007年3月末頃には、押せなくなって来たのだったので、新たなツールの探索が急務となった。
 それから数ヶ月ほど経過した連休明けの或る日だった。在宅介護の介護サービスの一つにショートステイ・サービスと云うのがあって、雅子もそれを利用して、一晩、外泊してみようと申し込んだのである。間もなく、近くの当該施設から事前の打ち合わせに来られた係りの方が、赤ちゃんを管理する機器の一つに、別の部屋に入る赤ちゃんの音声をモニターするツールがあることを教えて暮れたのである。つまり、それは、音声を傍聴する機器の存在だった。
 早速、それを購入した。発信機と受信機がペアになっているツールだ。直ぐに試してみると、なんとこれが大変有効なことが分かったのである。離れている距離が10メートル程度であれば、極めて良好な感度で音声を聞く事が可能だった。2階と1階でのモニターは全く問題はなく、きれいに傍受できた。例えば、雅子のいる1階のテレビの音声までも、一考のいる2階にいて、しっかりと聞く事が出来たので、2階のテレビをつけなくても、ニュースなどは、1階の音声だけで代用できたのである。世の中には、自分が知らない便利なツールが、結構多くあることを改めて知ったのだった。(以下、明日に続く)

1489 模索

 広辞苑には、手探りで探すこと。状況が不明の中でいろいろ試みること、とある。

1.独り言コラム
 そもそも、外交というものは、あの手この手で模索しながら相手の出方を窺い、慎重に進めてゆくといったケースが多いようだ。昨日の新聞にも前原外相が「日朝交渉再開に意欲」という見出しで、拉致問題を巡る北朝鮮との交渉再開にアドバルーンを揚げた。2,002年の小泉純一郎総理が行なった日朝平嬢宣言を確認しながら、直接対話を進めたいとしている。さあ、北朝鮮はどんな反応を示すだろうか。
 また、北沢俊美防衛相は、韓国の金星燠外交通称相と会談し、日韓、日米韓の連携が重要ということで一致したという。日韓の防衛協力に防衛相が表明したのに対し、金氏は慎重な姿勢を示したという。この辺り、いずれも日本から模索のベルを鳴らした点で注目される。
 その一方で、米国のゲーツ国防長官が中国を訪問し胡錦濤主席と会談し、安全保障の「戦略対話」の立ち上げを提案したという。中国側は真剣に検討すると述べて即答を避けた。これも、アメリカの軍事戦略に対する模索と考えられる。ちょうど、この日、次世代ステルス戦闘機の試作機の試験飛行が行なわれたことから、同氏はこの問題にも言及し、開発加速への懸念を直接伝えたという。
 こういった一連の動きを捉え、独立総合研究所代表取締役の青山繁晴氏が、昨日の関西テレビの夕方のニュースの時間で、これらの三つの動きは全て連動していて、アメリカの軍事戦略に対する模索であると解説していた。世界の外交は、まさに模索の上に構築されようとしている。言ってみれば、前原外相も北沢防衛相もアメリカの子飼いの優秀なポチのようにも思えるのだが、大丈夫だろうか。
 民主党は昨日両院総会が開かれたが、小沢一郎グループからの執行部への不満が強く、菅代表や岡田幹事長は、その対応に四苦八苦だったようだ。そんな中で、内閣人事の改造を巡っての総理の模索が繰り返されている。特に仙谷官房長官の扱いには、未だに留任の声も強く、菅総理もその扱いに腐心していたようだが、今朝のニュースでは、菅総理は、漸く交替を決断したようだ。後任には、枝野幸夫幹事長代理が浮上している。また、通常国会の開催日を巡っても24日、或いは28日などの日程が模索されている。
 しかし、何と言っても、今度の改造内閣の最大の課題は、普天間問題とTPPPの扱いだろう。これについては、模索ではなく、菅総理によるトップダウンの強い指導力が問われている。
 消費税アップの政策も、まさにその必要性が大きい課題で、菅総理は、先の参院選でこれを持ち出して模索を試みたが、インパクトが大き過ぎて、直ぐに余計な制約をつけたりして、模索を繰り返した事が国民の反発を買って、選挙に大敗することになったのは記憶に新しいところである。
 そんな中で、菅総理は昨日も、国民新党の亀井代表、社民党の福島代表と会って、国会運営の連携を模索していたし、その一方で、立ち上がれ日本にも声を掛けたりして、藁をも掴むような懸命な模索が続けられている。
 ところで、模索は何も政界ばかりではない。あの市川海老蔵さんについても、その復帰に関して模索が続いていると思われる。示談が成立したことで、大きく一歩前進したことは確かである。後は、世論の反応を見ながら決断されることになるのだろう。
 とにかく、大きな決断をする場合には、この種の模索や打診のステップは欠かせないステップになる場合が多いが、下手なやり方での模索は、先の菅総理の消費税の場合のように、大失敗になってしまう心配もある。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時40分起床。体重、61.2Kg.今朝も寒い。一日中曇りの予報だ。
 昨日の雅子も相変わらずだった。比較的目を開けてテレビや周り、或いは一考の顔を見てくれていた。この辺りは、その日の血圧のよって変わってくるようで、血圧が低い場合は、なまなか目を開けてくれないのが、寂しい限りだ。

3.連載、「難病との闘い総集編」(83)
  第二部 自宅介護(43) 第三章 失われゆく機能(16)

 (4)拡大する障害の影響(その5)
  ⑥ リモコン&スイッチ
 現代は、まさにリモコン万能の時代と言っていいほどリモコンが氾濫している。押すという簡単な作業で、いろんなことが出来る。テレビ、電話、エアコン、電子レンジ、洗濯機、扇風機、トイレなどあらゆる電気、電子機器がリモコンで操作する仕組みになっている。中でもテレビは、デジタルの時代に入って、双方向のやり取りが可能になっていて、リモコンの役割も、一歩進んだ形になって来ている。
 因みに、このリモコンには、シリコーンゴムが使用されている。これは、筆者がかつて勤務していた会社などが、製造販売しているシリコーン素材だけに、その拡大は、会社にとっては歓迎すべき方向であって、ご同慶の至りである。
 それはさて置き、悲しいことに、指や手に支障が出て来て以来、雅子は、その便利なリモコンが使えなくなってしまっていた。うまく握ることができず、ボタンをうまくプッシュできなくなったからである。
これは、今のリモコン万能の世の中では、恰も、生きる術を奪われたようなもので、失望感も強く、寂しく悲しい症状だった。握れないから、雅子の傍に固定して、その使用の可否を試したが、ボタンが小さいと、目的とする正しい位置に指を置くことが難しく、また指に力が入らず、やはり使用は出来なかった。
 既に述べたが、一口にリモコンと言っても、形や大きさもいろいろあってバラエティに富んでいる。当然ながら、小さいボタンのリモコンから使えなくなり始めた。先ずは、携帯電話が使えなくなったのが左手を骨折した3月頃からだった。その後、8月頃には、少し大きめのプッシュボタンの固定電話でも支障が出始め、更に、テレビ、ビデオ、エアコン、最後にはウオッシュレットのリモコンまで、順次、使用できなくなっていった。恰も、手足をもぎ取られてゆくようで、雅子は、精神的にも、肉体的にも追い詰められてゆくのだった。
 スイッチの場合も同様で、オン、オフがうまくマネージできない。リモコンに比べて、少し力を入れて押さねばならないだけに、雅子にはより一層容易ではなかった。電気歯ブラシのスイッチが押せなくなったのが具体的な支障の始まりで、各部屋の電灯、全ての電気器具のスイッチが押せなくなったのである。
 かくして、自分では何も出来ず、全てが、他力本願の人生にならざるを得ず、我慢、我慢の人生に甘んじなければならなくなった。
 そんな中で、一考が腐心したのは、二人の緊急時の連絡の取り方だった。(以下、明日に続く)

1488 姿を見せる!

 話題の対象が姿を見せた場合、その受け入れ方は様々だ。大歓迎でフィーバーになるケースから、その逆のイメージダウンに繋がるケースもある。

1.独り言コラム
 今、日本列島には、タイガーマスク・ブームなる善意の輪が徐々に拡大している。昨日現在で、全国39都道府県で92件(NHKの調査)の温かい志のプレゼントの提供があったという。
 びっくりは、遂に、タイガーマスクが、直接姿を見せたのである。マスクを着けた人物が、昨日の午後に滋賀県の湖南市役所現れ、鉛筆などの文房具を手渡して帰ったという。同市役所では、秘書・広報課が対応したというが、このフィーバーは姿を見せないところがミソなのだが、…。
 いずれにしても、このブーム、何処まで広がってゆくのだろうか。ここまで来ると、少し微妙な話しだが、まだ出て来ていない8県での動向も注目される。
 姿を見せたということで、大フィーバーが起きたのは、千葉県鎌ケ谷市の昨日のことだ。日本ハムにドラフト1位で入団した斉藤祐樹投手が、同球団の勇翔寮に入寮した際の異例のフィーバーだった。
 そこには、300人のファン、200人の報道関係者が待ち構えていたようで、大いに盛り上がっていたようだ。ドラフト後の入寮段階でのこのようなファンの盛り上がりは、今まではない異例なことであり、先行きの盛り上がりが気になるが、それよりも「本人がその期待に応えられるか」が気掛かりである。
 さて、昨日から、凄い安値の牛丼が姿を見せている。この期間、安値を競う期間だそうで、松屋が80円引きの240円の最安値をつけた。これに対して、すき家も30円引きの250円、そして吉野家も110円引きの270円で対抗している。どこまで行くか、この安値競争だ。利用者には大歓迎であることは申すまでもないが、…。
 昨日のNHKの夜のクローズアップ現代で、「ウーマノミクス」を取り上げていた。「ウーマン+エコノミックス」の略称で、女性の力が経済に大きな力を与えるという新語だ。端的に言えば、ここに来て、女性の役員、トップへの起用が目立って来ているというのだ。世界の動きを見ると、ノルウエーでは役員の40%を女性にしなければならないと言う法律のあるようだ。日本でも、その潮流を受け始めているという。言ってみれば、女性のパワーが姿を見せ始めたとでも言えよう。
 この潮流は、考えてみると極めて自然なことで、需要の半分は女性であり、その女性のニーズを探し出すのは女性の方が適しているはずだ。企業としても、女性に頑張ってもらう事が、企業の発展に直結しているわけだ。ある会社のトップは、女性を起用するというのではなく、女性に頑張ってもらうという表現をしていた。むべなるかな、である。
 昨日の放送で取り上げられていた事例を見ていると、頑張っている女性には、何とも言えない魅力が滲み出ていて、きらきら輝いていて綺麗な人がかった。そういえば、筆者のいた会社も、今は女性がCEOを勤めている。世界の潮流の中で、先頭グループを走っているといえよう。言うまでもなく、その方も、素晴らしい魅力的な女性である。
 話しは変わるが、なかなかはっきりとした姿を見せないのが、菅総理の改造内閣の陣容だ。17日に発表されるというが、未だにそのイメージは掴めていない。肝心の仙谷官房長官の扱いも揺れているようだ。今のところ、新聞辞令にも決め手になるような情報も乏しい。菅総理は熟考中だというが、明日は党大会で、17日はもう直ぐだ。どんな改造人事が姿を見せてくれるのか、それほど期待もないが、菅総理には日本のためになる人事をお願いしたいものだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時10分起床。体重、60.6Kg.今朝も寒い。お天気は良さそう。
 昨日の雅子は安定していた。午前中は血圧が低く、呼び掛けへの反応も低調だったが、午後、入浴後には、少しは回復して、テレビの画面にも視線を送っていた。このところ、一進一退である。

3.連載、「難病との闘い総集編」(82)
  第二部 自宅介護(42) 第三章 失われゆく機能(15)

 (4)拡大する障害の影響(その4)
 雅子が受話器を取る事が出来なくなって困ったのが、外出先から雅子への連絡が出来なくなったことである。一考にも、買い物以外に、散髪、場合によっては、他人と会う必要もあって外出する。その場合に、もちろん、時間を限定して出掛けるが、予定外の何かがあった場合の連絡方法がないのだ。電話をしても、雅子が出られないから、話ができない。予定が狂ったりして、帰りが遅くなるとか、後どのくらいで到着するとかが伝えられないのだ。何かいい方法がないものかと、いろいろと考えたが名案は出て来なかった。
 連絡が取れなくて、一考が気にすることは、何と言っても、雅子のトイレである。雅子にどれくらいトイレを我慢できる時間的余裕があるか否かである。何しろ、生身の人間だ。我慢するにも限度がある。一考は、一応、出掛ける前に、MAX4時間と設定しているが、実際には帰宅が5時間程度に伸びることがあった。当初は、3時間以上に渡って出掛けなければならないときには、本人は嫌がったが、無理やりに紙おむつをして出掛けていた。雅子には、これは保険を掛けていると思って我慢して欲しいと説得した。因みに、在宅介護の期間中では、この保険が必要になったことは一度もない。
 さて、その後も、連絡方法について、何かないものかと考えていたが、その内に、電話の鳴るブザーの回数を利用して、事前に決めておいた約束を使って、簡単なメッセージを一方的に伝えることを思いついた。つまり、呼び出し音が1回鳴って切れた場合は、「あと30分ぐらいで帰れる」とか、2回鳴って切れた場合は「あと、1時間ぐらいで帰れる」といった具合である。たとえ、一方的な連絡でも、何も無いよりは、多少は安心を与えることが可能だと思っての対応だった。
 その後になって、雅子が気づいたのだが、電話が掛かって来て、先方が留守番電話にメッセージを残す際、自動的にスピーカーホーンに変わるので、話している内容が聞こえるという。「なるほど」それを利用しない手はない。思わぬアイディアだった。これならば、もっと細かいニュアンスを伝えられる。従って、その後は、この方式を利用してメッセージを伝える事がで出来た。一方的なメッセージの伝達で、それを聞いている雅子の気持ち、状況は全く掴めないだけに、不安を全て解消する訳には行かない。それだけに、一刻も早く帰ってやることが第一なのだ。
 いずれにしても、コミニケーションツールとして、電話が使えないというのは、今の世の中では、全く取り残された世界に放り込まれたようなもので、気の毒を超越した、どうにもならないじれったさを感じていた。(以下、明日に続く)

1487 著名人の死、相次ぐ

 今年も年始から著名人の死去のニュースが相次いでいる。自分が生きて来た時代もそのエンディングの接近を意識する今日この頃だ。

1.独り言コラム
 昨日は成人の日で、全国で、124万人の新成人が誕生した。しかし、全人口に対する割合は初めて1%を割って0.97%だったという。人口の逓減は相変わらず続いていて、試算によると、日本の人口は、毎日,17人ずづ減少しているという。国の借金は増え、人口は減って行くと言う悲しい、辛い現実だけに、政治には、力強いリーダーシップを持った指導者の出現が求められているのだが、…。
 そんな中で、著名人死去のニュースは今年になっても続いていて、「え!、そんな方も」という馴染みのあった名前が少なくない。今朝は、そんな方々のお名前を拾ってみよう。
 毎日新聞の元日の一面に、高峰秀子さん死去のニュースがあった。デコちゃんという愛称で親しまれた元女優さんで、年末の28日に肺がんで亡くなっておられた。享年86歳。代表作の一つである「二十四の瞳」は、筆者もテレビで見て感動した作品だったのを思い出す。
 今月に入って、5日には、ロカビリー歌手で一世風靡した山下敬二郎さんが胆菅がんで亡くなられた。71歳だった。落語家の柳家金五楼さんの長男だというのが異色だった。全盛時は、平尾昌晃さんとミッキーカーティスさんの三人組でロカビリーブームを巻き起こし、当時有楽町にあった日劇での舞台の盛り上がりは、凄かったという。筆者の記憶には、その一人の平尾昌晃さんが、その後に、ロカビリーとは正反対の歌謡曲の作曲を手がけ、小柳ルミ子さんのデビュー曲「私の城下町」や伊東ゆかりさんの「小指の思い出」などを作曲し、ロカビリーとは違った才能の一面を見せてくれたのが印象深い。
 半世紀以上に渡って活躍した男性コーラスグループのダークダックスのテナーだった高見沢宏さんが、7日午後に心不全で亡くなられた。77歳だったと言う。愛称は「パク」さんで、かつて、大津の滋賀会館に来られたのを見に行った思い出がある。高校生か大学生の頃だった。今は昔の話しだが、若々しいコーラスに惹きつけられた印象は強く残っている。
 「ひょうきん族」や「笑っていいとも」を手がけたTVプロデューサーの横沢彪さんが、8日、肺炎で死去された。73歳だった。笑いの仕掛け人と呼ばれた元フジテレビのプロデュサーで、その後は吉本興業に移って活躍されていた。ビートたけしさん、明石家さんまさん、タモリさんなど世に出したという人だそうだ。
 こういう親しみのある方々が、次々とお亡くなりになるニュースに接すると、自分達にもその時が刻々と近づいているのを意識する今日この頃である。ともかくも、皆様方のご冥福をお祈りします。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時50分起床。体重、60.6Kg.寒い。午前中は雪で、午後になって晴れるという予報。
 昨日の雅子は、朝から熱があって、体調は今一つで、呼び掛けへの反応も乏しかった。それでも、午後になって熱は下がり、穏やかな顔に戻っていた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(81)
  第二部 自宅介護(41) 第三章 失われゆく機能(14)

 (4)拡大する障害の影響(その3)
  ⑤ 電話
 コミニケーション手段として、電話は欠かせないツールだ。中でも、携帯の利便性は抜群だ。しかし、この種の電子機器の扱いに弱かった雅子は、携帯は友人との付き合い上の飾り物に過ぎず、殆ど使っていなかった。
 指や手が不自由になってきたことで、プッシュボタンの小さな携帯は、いち早く使い辛くなったことから、その使用を諦め解約したが、実質的には、これといった実害はなかった。左手を骨折して間もなくのタイミングだった。
 据え置きの固定電話の受話器がきちんと握れなくなり出したのは、やはり、お箸が握れなくなった頃と時を同じくしていて、2006年6月半ばの頃からである。カラオケのマイクがうまく握れなくなったタイミングとほぼ一緒だ。止むを得ず、スピーカーホーンを使ったり、一考が受話器を持って耳に当ててやるというサポートで何とかやりくりすることが多くなり始めた。しかし、その時点では、据え置き型の電話機のプッシュボタンが、携帯に比べて大きいことで、雅子も自分でプッシュは可能だった。
 しかし、それも間もなく、症状の悪化が進んだことで、その少し大きめのダイヤルボタンもプッシュできなくなり、遂に、雅子が自ら電話を掛けることは出来なくなったのである。
 また、外部から電話が掛かって来た場合も、雅子は自分では受話器が取れないので、差し当たっては、一考が取るのだが、大抵の場合は、二階の一考の部屋の子機で取ることが多かった。従って、雅子に掛かって来ている場合には、その子機を持って、雅子のところに急ぎ、それを雅子の耳に当ててやるのである。雅子が話している間は、その受話器を持っていてやらねばならず、短い通話なら大したことはないが、長い通話の場合は大変だった。手がだるくなって来て疲れてくるのだ。途中で「いい加減に切ってくれ」と、心の中で叫んだことは何回かあった。
 若し、雅子に掛かってきた電話を、雅子がいるリビングに設置してある本機の受話器を取った場合は、はなはだ厄介だ。受話器のコードが雅子のいるところまで届かない。そうかと言って、スピーカーホーンにしても、雅子の座っている場所が少し離れているので、雅子の言葉がうまく拾えない。また、雅子が直ぐにスピーカーホーンの位置まで移動するのも容易ではない。いろんな小道具が置いてあって、それらを取り除かなければならないからだ。こういう場合は、もう一度掛け直してもらうか、こちらから掛け直さねばならない。
 逆に、こちらから掛ける場合は、スピーカーホーンを使える状態に準備しておいて、事前に、雅子を電話機に近い場所に移動させおいて掛けるのだ。子機で掛けることも可能だが、その受話器を持っていてやらねばならない。いずれにしても、電話に関しては、一考のサポートは不可欠で、本人はいらいらしているに違いなかった。(以下、明日に続く)

1486 総理候補発見は、世界不思議発見、よりも厄介?

 このところ何代も続いている日本の総理の顔を見ていてがっかりしている日本国民は多いと思う。これはという総理候補の発見は、世界不思議発見よりも難しいのだろうと思う。

1.独り言コラム
 TBSの番組「世界不思議発見」は筆者の好きな番組の一つだ。一昨日は、アフリカの秘境、ダナキル沙漠を取り上げていた。エチオピアの北部、エレトリアの国境近くにあると言うが、案内していた地元の男性が、ある地点から、「ここからは地図がないんです。政府が測量をしていないから」と語っていたのが印象深い。
 巾60Km、長さ6000Kmに及ぶアフリカの大地溝帯の一角にあるという。いわば、地球の裂け目で、地球の内部が覗ける場所だとも言える。圧巻は、マグマが溢れている湖であるエルタ・アレ湖で、マグマが踊っているような深夜の映像はなかなかの迫力あるものだった。地球にも、まだそんな秘境があることに大きな感動を覚えたと同時に、危険が潜在するこの撮影に当たったクルーの頑張りは大したものだと拍手を送りたい気持ちだった。中でも、ミステリーハンターの坂本三佳さんの活躍は凄く「よくやる!」といった感動ものだった。番組のレギュラーの板東英二さんが、「彼女は凄いね。僕は彼女が好きだよ」と言っていたのも「むべなるかな」であった。
 筆者が好んで見るもう一つの番組は「たかじんのそこまで言って委員会」だ。昨日は、たかじんさん、三宅久之さん、勝谷誠彦さん、それに金美齢さんのレギュラーの方々が、安倍元総理の地元である山口県の俵山温泉に集まっての録画番組だったが、内容を、一言で言えば、安倍晋三氏に再登板を促す「よいしょ」の雰囲気がいっぱいだった。
 思い出してみると、安部総理は、多くの国民の大きな期待を集めての若いエースの登板だった。それが、体調を壊して、僅か一年で、あっけない降板となったのにはがっかりだった。それだけに、この番組が示唆した、安倍待望論の話には、すんなり乗り切れない抵抗があった。
 さりとて、その後の福田康夫内閣、麻生太郎内閣、鳩山由紀夫内閣、そして、今の菅内閣を見ていて思うことは、誰も日本をどうしようという然るべきしっかりした青写真を持った人物がいなかったという情けない現実に、愕然とするのも事実である。総理と云う地位に付くこと自体が目的であったような人達ばかりだったと言える。
 改めて、今の政界を見回して見て思うのは、寂しいことだが、これはという人物がいないことである。その点では、安倍晋三氏には戦後レジュームからの脱却という思想に基づいて、憲法を改正し、今日の世界のスタンダードにあった日本に作り変えるという考えの持ち主だった。その哲学が今尚健在だとすれば、も一度やってもらうのも悪くはないという考えも出て来る。
 そんなことを言えば、まんまと、この番組の思惑に乗せられたということになるのだが、他に、これはという人物がいないとすれば、一つの選択になって来るかもしれない。
 そこで、気になるのが前原誠司氏の存在だ。最近、クリントン国務長官を始めとする米国首脳から信頼を得ているという。それだけに、同氏の哲学を聞いてみたい気がしているのである。
 いずれにしても、日本の優秀な総理候補の発見は、「世界不思議発見」以上に厄介なことかも知れない。これはという候補の登場を期待している。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時起床。体重、61.2Kg.寒い。雪が降っている。また大雪になるのではとの心配だ。
 昨日の雅子の様子は前日並みで、総じてまずまずの症状。午後には散歩したが、呼び掛けへの反応は今一つ。また、テレビにもあまり目を遣っていなかった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(80)
  第二部 自宅介護(40) 第三章 失われゆく機能(13)

(4)拡大する障害の影響(その2)
 ③ 歯磨き 洗顔
 10月(2006年)に入ると、朝食時のコーヒーカップが持てなくなって来ていた。そして、11月には、洗顔時に、口をゆすぐ際に、そのカップを持つのが難しくなったのである。病魔は、一歩一歩、悪化を推進しながら、恰も、雅子の苦労を楽しんでいるようであった。それでも、雅子は、頑張って片手で、一人で洗顔を続けていたのだが、11月の後半に入ると、遂に、一考の助けが欠かせなくなった。
 一般的には、毎食後の歯磨きが理想であって、雅子も、一人で出来た間は、三度の歯磨きを実行していたが、一考の世話が必要となってからは、一日に毎朝夕二回に止めることになった。一考への遠慮があっての自主規制なのだろう。
 今まで、何とも思っていなかった事が、一つずつ出来なくなって行くことに、雅子には、驚きや不満よりも、諦めが先行するようになっていたようだった。ここまで来ると、悔やんでみても、焦ってみても仕方がない。とにかく、一考が繰りかえして口にしていた「何処までも、与えられた土俵で精一杯頑張るしかない」という言葉を自分に言い聞かせていたようだった。
 具体的なサポートの方法も、症状の悪化と共に自ずと変化してゆく。お箸が握れなくなった6月頃の段階では、歯磨きに関しては、歯ブラシに、歯磨き材を載せてやることと、不安定な姿勢を少し支えてやる程度でよく、歯磨きそのものの行為や洗顔は、何とか、雅子が自分で行なうことが出来た。それが、カップが持てなくなった11月初めには、電動はブラシを持って、口に入れて磨いてやらねばならなくなったし、口をゆすぐ際にはカップを持って、口に水を注いでやることが必要となった。また、11月後半に入ると、身体の支え方も、かなりしっかりと支えなければならず、結構な重労働となった。もちろん、洗面所への移動も、手を引いてのサポートは欠かせなかった。
 その一考も2007年1月で66歳となり、力仕事には不向きな年齢になっていた。それに、かつて、歩いて鍛えていた足腰も、次第に弱って来ていて、介護でも、なるべく、疲れを少なくする、いわゆる、省エネ対策が急務となっていた。
 しかし、2月頃に入ると、雅子の身体の支えは、単純な支えだけでは手に負えなくなってきた。腕を抱えて、自分の肩を差し入れて持ち上げるようにしなければならなくなり、その場合は、他のサポート作業は片手での対応を余儀なくされた。
 一考も、いろいろと省エネのために腐心していたが、そこで思いついてのが、タクシー、即ち、屋内車椅子の利用で、これに座ったまま、歯磨き、洗顔をする方法に変更したのである。2007年5月に入ってからのことで、これで、それまで大変だった歯磨き、洗顔の力仕事を、のんびりとした介護作業にと変換することが出来たのだった。

 ④ お化粧 美容院  
 身障者になっても女性には変わりない。雅子は、もともとファッションには敏感で、衣装、アクセサリーや持ち物には凝るタイプだった。友人達とのお付き合いも多かったことで、流行には遅れないように、なるべく新しいものを取り入れるタイプだった。同じ町内の前田さんとは、そういう意味でよく一緒に買い物に出掛けた間柄だった。
 とにかく、身だしなみ、化粧には出来る限り気を遣っていたが、両手、両足が不自由になって来ていた雅子には、それまでのように、思うように化粧を施す訳には行かなかった。女としては、悲しく、辛い日々が始まっていたのである。
 幸か不幸か、その頃になると、外出することもほとんどなくなって来ていた。と云うよりもなるだけ外出はしないようになっていて、たまに一考が連れ出すドライブ以外には、通院、美容院が、その全てだった。それでも、それらの前日には洗髪を、出掛けに際しては、口紅を塗ることを希望した。そんな女心のいじらしさに、一考は胸を打たれるのだった。雅子の不本意さは手に取るように分かるだけに気の毒を通り越していた。
 今までの行きつけの美容院は、JR唐崎駅近くにあるレインボーという美容院である。もう何年にも渡ってお世話になっていたことから、そこの店長とも懇意になっていて、先日も、あの電子治療に関する情報をもらったのも、そんな関係だったからである。
 自分で車が運転できなくなってからも、一考が送り迎えすることで、引き続き通い続けていたのだが、この店が、ビルの二階にあって、エレベーターもエスカレーターもなく、歩いて階段を登らなければならなかった。2006年の後半に入ると、その階段の上り下りが大変な難行となり始めた。最初の頃は一考が手を引くことで何とかなったが、10月には、一考が自分の肩を入れて支えながら引き上げたり、引き降ろしたりしなければならなくなり、バランスを崩しそうになって必死の階段との闘いとなっていた。そして、遂に、そうした努力では如何ともし難い症状に至り、結果的には、12月21日の通いが最後とならざるを得なくなったのである。
 新しい年を迎えた2007年1月からは、近くのジャスコ館内にある美容院でお願いすることになった。ここは、洗髪時のステップを除くと、バリアフリーなので、車椅子で何とか通えることが出来た。(以下、明日に続く)

1485 何だか変?

 すっきりしない事柄が多い。何だか変? である。ランドセルの提供などの善意は多としても、肝心の政治面で、すっきりせずに、時間だけが浪費されているのはいただけない。これ以上続くと、何だか変? では済まされないものもある。

1.独り言コラム
 全国各地で、タイガーマスクの主人公の伊達直人を名乗る人物からのランドセルの寄付が相次いでいる。また、静岡では、それに感化されて、社会福祉法人「静岡ホーム」が運営する児童擁護施設に10万円入りの封筒が届けられた。何だか変だが、この種の善意の広がりは、政治の行き届かない面をカバーしてくれている訳で、大いに歓迎すべきものだ。阪神の赤星憲広選手が毎年、施設に車椅子を寄贈してくれている善意に、相通じるものがある。
 北朝鮮の三男、金正恩氏が昨日誕生日だったようだ。何歳だか今一つはっきりしていないが、どうやら28歳だという説もある。ここに来て、北朝鮮は一転して対話姿勢を見せており、その姿勢変更は、何だか変? である。とにかく、直ぐに態度を変えるような相手は、信用できない。
 岐阜県の笠松競馬で、7日に行われたレース中に整備車が進入するアクシデントが起きた。勘違いによるもので、レースは払い戻しになったという。恐らく、馬もびっくりだったろう。何だか変?、だ。
 昨日行なわれた全国高校ラグビー決勝戦で、東福岡と桐蔭が同点で終了、二校の同時優勝となった。この試合は、公式戦56連勝中の東福岡が、21点差をつけられていたのを脅威の頑張りで同点に追いついたのだった。決勝戦では延長戦はやらずに引き分けとするという規定だそうだが、何だか変? 今までにも、昭和天皇の崩御の際は決勝戦が行なわれずに、茗溪学園と大阪工大高校が二校優勝の事例があったが、試合を行なって同点引き分けでの2校優勝は63年ぶりだという。
 ところで、伊達じゃなくて、本物の菅直人総理も、一昨日にインターネットテレビに出演したという。小沢一郎さんが何回か出演して話題になっていたが、それを意識したのだろうか。何だか変? な動きである。見る人が限られているテレビであり、同じ時間を使うなら、堂々と既存のテレビを使って、国民に話しかけて欲しい、と思う。
 昨年末からの宿題になっている政治と金の問題で、小沢一郎氏への政倫審への出席要請については、岡田幹事長が今週中に正式な返事をするように電話で迫ったようで、小沢氏の対応が注目されている。この問題、いつまで、ちんたらちんたらやっているのか。腹立たしさが込み上げてくる。何だか変? の最悪の事例だ。ここに来て、菅総理も強気に打って出るようだ。お手並み拝見である。
 ところで、いよいよ今日から期待の二つの事が始まる。今一つ盛り上がらない正月明けの日本で、何だか変? な気分だが、せめてこの二つで気持ちを切り替えたいものだ。その一つは大相撲初場所で、横綱白鵬が、再び69連勝に向けて歩み始めている。今度は、何処まで白星は続くのだろうか。ファンの期待は大きい。もう一つは、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で、今夜が第一回である。滋賀県が舞台だけに自ずと筆者の関心も高い。この二つの楽しみには、何だか変? は無関係なはずだ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時40分起床。体重、61.1Kg.午前中は晴れるが、3時以降は曇りだとの予報。
 昨日の雅子は体調はまずまずだった。いつものように散歩、リハビリなどをこなした。時々目を開けて一考の話を聞いてくれていた。いろんなことを話して上げている時が、ほっとする時でもある。

3.連載、「難病との闘い総集編」(79)
第二部 自宅介護(39) 第三章 失われゆく機能(12)

(4)拡大する障害の影響(その2)

② 着替え
 着替えは、少なくとも、起床時と就寝前、更には、入浴時には必ず行なわなければならない行為であるし、それ以外にも、外出時などの必要に応じて行なう必要がある。一考が帰郷した2004年12月末では、小さなボタンを止めるような細かな作業を必要とした衣服の脱着には、手伝いが必要だったが、普段着の着替えなどは、雅子は何とか自分でこなしていた。
 それから一年後の2005年12月末では、身体の動き自体が緩慢なって来ていて、着替えに要する時間が長くかかるようになって来ていたので、それを見かねて、一考が手伝うケースが増え始めていたが、ある程度は雅子自身が自分で対応出来ていた。
 本格的に着替えに手伝いが必要となったのは、あの転倒で足を捻挫した時に始まる。つまり、2006年2月15日からである。ギブスが取れた3月初めからは、一旦、少しは楽になったが、4月3日に起きた左手首の骨折で、一人での着替えは不可能となった。泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったりの惨めな展開だった。ギブスが外れた5月11日以降も、左手は殆ど動かせなくなり、右手にも支障が及び始めていたことで、着替えに関しては、かなりの面でサポートは不可欠になっていた。そして、お箸が握れなくなり始めた6月半ばからは、もはや、着替えは一考の専任仕事の一つに加わった。
 服装に関しては、雅子が、もともとおしゃれに凝る方だっただけに、普段着る衣装については、その要求は結構細かい希望を申し出た。天候や出掛ける先などを考えて、そのコーディネーションなどに気を遣うのだ。逆に、一考は、その辺りのことには、全くの無頓着なので、二人のリズムが合わず、一考の気分が優れない時等には「どうでもいいじゃないか」と苦情を言ってしまうこともあって、後で反省するのだった。
 少しでも美しく身奇麗に見せたいとする女心は大事である。雅子の要求は、そんな気持ちが健在である証であって、多少手間が掛かっても、化粧や衣装には出来るだけ雅子の希望を叶えてやることへの配慮を欠いてはならないと、自分に言い聞かせていた。
 いずれにしても、介護の仕事は、結構忍耐を必要とする地味な仕事が多く、この着替えの仕事も例外ではない。
 ところで、一考が子供の頃、着せ替え人形とかミルクのみ人形という遊びが流行ったことがあった。一考は男だったから、そんな遊びをしたことはないが、女の子達が遊んでいたのを承知している。毎日、こうして、雅子の着替えを繰り返していると、着せ替え人形遊びの楽しさに思いを馳せるのだった。それは、あくまでも、きれいな服に着替えさせることで、自分の思いや、希望、願いといったものを発散させていたのだろうと思う。
 しかし、実際に生身の人間を相手に着替えさせる作業は、作業そのものは大変だが、楽しさも生きていて、人形相手とは比べ物にはならない。雅子は、いつも、思い通りに動かせない身体を、少しでも着せ易いように、脱がせ易いようにと、頑張って対応してくれていた。靴下を履かせる場合も、右足の場合は少し持ち上げるように動かせてくれた。気の毒な身体になっているが、その誠意の発揮に懸命で、一考も、心を込めてその作業に当たっていた。一段落するごとに、「ありがとう」と繰り返してくれるのにも、その感謝の気持ちが心に滲みるのだった。
 ところで、この病気が進むにつれて、今まで身体にぴったりとしていた衣服は、次第に着られなくなって来ていた。せっかく、買ってあった多くの衣装は、残念ながら、廃棄したものもあれば、殆どがお蔵入りになっている。ここでも、自分が生きた歴史の証である衣装を捨てると言う選択を余儀なくさせられたのだから、雅子には辛い決断だったと思われる。
 とにかく、着替え易い衣装に買い換えることが必要になり、下着、ズボン、靴下、加えて靴などを新たに購入したのである。ズボンは伸び縮みが利くゴムバンド入りのもの替えた。おしゃれにセンシティブだった雅子には、これまた辛い切り替えだったに違いない。その購入に当たっては、多くのものはいわゆるテパートの通信販売を利用した。電話一本で済むので便利だからだった。
 それでも、実際の着替え作業は、症状の悪化で、力仕事になって来ている。いずれも、ベッドや椅子に座らせて行うのであるが、自分で立つことが出来なくなって来た2006年6月以降は、パンツやズボンは、座った状態で半分はかせてから、一旦、抱くようにして立たせて、後の半分を引き上げることになるのだが、その立たせた状態で、引き上げる作業がなかなか容易ではない。自分でしっかりと立てず、それを支えながら作業をしなくてはならないからである。それから暫くすると、パンツやズボンなどは、寝かせたまま、身体を回転させて脱着する方法を取り入れて、多少は省力化ができるようになった。それでも、この着替えは、いろいろある介護作業の中でも、大変な作業の一つだった。(以下、明日に続く)

1484 出版

 電子出版が話題である。今年が電子出版元年とも言われていて、本の世界もその様相が大きく変わりつつある。人間の持つ読書という本能は変わらずとも、その形態が大きく変わろうとしている。10年後は、どんな世界になっているだろうか。見届けてみたいという願望は健在だが、肉体が持つかどうかが不安である。

1.独り言コラム
 この新年になってから、大学時代の友人が、二人も本を出版したという連絡を頂いて、いささか興奮している。身近な人の出版は、恰も、親戚に赤ちゃんが生まれたような嬉しさを覚えるのである。
 一人は、年賀状で教えてくれたのだが、何と、流行の先端を行く「電子出版」である。この作品については、数年前に、その原稿を見せてもらった事があったが、その時には、面白かったので一気に読み切ったのを覚えている
 タイトルは「青春の花言葉」で、ペンネームは真田実である。e―ブックランドで公開している。
 内容は、大学入学直後からの若者の生き様、恋愛を取り上げた青春物語で、著者は、分かり易い人生哲学、幸福論だと書いている。最後には、あっというどんでん返しもあって読ませてくれるし、取り上げた花言葉にも、なかなかの面白さがある。
 大学時代の専攻が理学部の数学であるというバックグランドが実にユニークである。誰でもダウンロードして読めるので、関心のある方は是非ともお読み頂くことをお勧めする。
 もう一人は、来る1月21日に販売開始予定の著書で、通常の書籍としての出版である。幸いにも、一昨日、筆者にも謹呈の著書を送って頂いた。
 著者は、下村隆敏さんで、タイトルには味があって「道中遇客若朋来」と題するエッセイ集だ。その中身が凄く格調のある面白い内容だ。同氏は筆者と同じ有機化学の出身だが、大学卒業後、就職してから一時休職して、ニューヨーク州のシラキュース大学に留学した経歴を持つ優秀な化学者である。そんな真面目な化学者が、漢詩という別世界に挑戦し、それを見事に物にされた名著だと思う。大分前から、年賀状に、必ず七言絶句が紹介されて来ていたが、この本を見せてもらって、むべなるかなと思った次第である。
 旅がお好きで、日本だけでなく世界の素晴らしいところを数多く回っておられるのに驚くが、その旅ごとに、七言絶句を作っておられるのがミソで、その時の様子をエッセイ風に纏められていて、なかなか面白く読み易い著書である。言ってみれば、この七言絶句がそのエッセイの格調を高める秘密兵器になっていると思う。
 中でも圧巻の一つは、クラスメートでノーベル賞を受賞された利根川進氏邸でのクラス会の箇所だ。一旦、9.11のテロで延期になった企画だったそうで、それを数年後に実行された辺りにも臨場感を覚える。また、別の箇所では、琵琶湖一周に絡んで、筆者の住まいの最寄り駅の西大津駅(現、大津京)が出て来るのにも親近感を覚える。
 加えて、この本の帯には、これまた同じクラスの元京都大学総長の尾池和夫氏の言葉もあって、著書の格調を高めている。なお、同氏は、以前に「シラキュース追想」を出版されていて、今回が堂々の2作目である。
 いずれにしても、お二人とも、文学とは縁の薄い立場から、別世界の文学作品に取り組んだ辺りがなかなか面白い。我田引水になるが、作品のレベルは別にして、筆者も、そういう意味では同類で、4年前に推理小説「執念」を出版したことで、仲間に入れて頂けると有難い。今年は、新春早々から、お二人から刺激を頂いたので、負けずに、早い機会に2作目をと意を新たにしている昨今である。
 ここで、お詫びになるが、お二人には、事前の許可も得ずに、本日無断でその著書を紹介してしまったが、お目出度いことだということで、お許しを頂けたら幸いである。
 今朝は本の話しになったので、この一年間に筆者が読んだ本のリストを紹介しておこうと思う。以下は、読んだ順である。
 「ドーン」平野啓一郎、「ガラスの城」今井彰、「人間失格」「ヴィヨンの妻」太宰治、「告白」湊かなえ、「布団」「一平卒」田山花袋、「秀吉と利休」野上彌榮子、「東京島」桐野夏生、「トライアングル」俵真智、「レディ・ジョーカー」高村薫、「アダルトエヂュケーション」「消せない言葉」「凍える月」村山由佳、「無花果の森」小池真理子、そして目下「終らざる夏」浅田次郎に挑戦中だ。
 この中では。野上彌榮子の「秀吉と利休」が最も印象に残っている。自分の意志を曲げない利休の生き方に惹かれた。また、俵真智の「トライアングル」には、俵真智に、芸能ゴシップ並みに相手の男性への関心があった。最近は、読んでいる間は夢中になっているが、終って暫くすると、その内容をすっかり忘れてしまうようになって来ている。年なのだろうか。今年も、なるべく、話題作に目を通そうと思っている。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時15分起床。体重、61.0Kg.午前中は曇りで、午後には晴れると言う。
 昨日は、午後3時頃までは、時々、雪が激しく降っていたが、雅子は、比較的落ち着いていた。午後には、筆者の話しも良く聞いていてくれたし、時々、点けてあるテレビの画面にも目を遣っていた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(78)
  第二部 自宅介護(38) 第三章 失われゆく機能(11)

(4)拡大する障害の影響(その1)
 ① ―食事―
 一日3度の食事は生きていく上で欠かせない。二人の朝食は極めてシンプルである。早めの6時過ぎに取るのだが、一考は、大抵はコーヒーにパン、若しくはシュークリーム、雅子はそれにバナナとヨーグルトで済ませる。
 昼食は、母親の朝食を兼ねるので、日曜日から木曜日までの一考が担当している日は、和食のセット(野菜、味噌汁、干物を焼いたもの)若しくはうどんなどの麺類である。母親の面倒を久子が見てくれる木曜日から土曜日までは、スーパーで買って来た有り合わせで済ませる。
 夕食は、母親の好みを勘案し、雅子から教えてもらった幾つかのメニューを適当なローテーションで提供していた。人様の食事を用意するのは、それほど容易なことでないことを改めて認識した次第である。
 雅子が食事を作ることから手を引かざるを得なくなったのは、2006年の正月過ぎからだった。この年のお雑煮は、雅子が作っていたことは確かである。要するに、右手が自由に使えなくなってしまった以降は、一考が、雅子のアドバイスを受けながら、手探りで作り始めた。この頃は、雅子が木曜日を除く週6日を担当していたので、そのまま引き継いだ形で、週6日間を一考が作ることになった。一考も、会社をリタイヤー後に、まさか母親の食事を作ることになろうとは思ってもいなかった。人生は分からないものである。
 それでも、初期の頃は、外食も可能だったこともあって、母親に食事を作らない木曜日には、、二人で出掛けたのだったが、それも、2006年5月11日に手首骨折のギブスを外した日に、近くで軽食を共にしたのが最後で、それ以降は行きたくても行けない状態になってしまった。
 既に紹介したように、2006年の6月半頃から、お箸が持てなくなり、暫くは、ご飯は海苔巻きにして、手でつまんで口に運んでいたが、それも、8月中頃には、海苔巻きが握れなくなったので、止むを得ず、一考が少しずつ、口に運んで食べさせることになった。口に物を入れることで、雅子が自分で出来るのは、その頃では、お茶やミルクなどの液体をストローで吸うだけくらいになっていた。
 それは、雅子にとっては、とても悲しくて辛い毎日だった。自分が好きな時に好きなものを食べ、飲みたくなった時に好きなものを飲むといった何でもない事が、もう出来なくなっていたのである。どちらかと言えば、間食を楽しんでいただけに、我慢の毎日に違いなかった。一考は、なるべく、雅子の気持ちを推し量って、食べ物、飲み物をサービスするように努めていたが、かゆいところまで手が届いているという訳にはいっていなかったはずだ。特に、お風呂から上がった際の飲み物、10時、3時ごろのおやつには、抜けがないように、気をつけてサービスに努めるようにしていた。
 加えて、服用するお薬の時間管理も大変である。6種類以上あるお薬、それにある期間は、便秘薬も加わって、その管理は、一時は4時間おきだったこともあり、うっかりすると忘れてしまうこともしばしばだった。雅子も大変だが、サポートする一考もその対応に大わらわなのである。
 もう一つ、この頃になって厄介になったのが、吐き出すことが難しくなったことである。うっかり間違って、一旦、口に入れたものを取り出すのがスムーズにいかないのだ。吐き出すと言う作業は口に入れるのとは全く別の機能のようだった。(以下、明日に続く)

1483 誕生

 新春からお目出度い話しである。しかし、誕生と言っても、中には怪しげな誕生もあるから、気が抜けないことも多い。

1.独り言コラム
 自民党の元郵政相の野田聖子さんが、昨日の朝、都内の病院で男の子を出産した。第三者から卵子提供を受けての妊娠で、50歳の高齢出産となるため、安全を期して先月から入院して出産に備えていたそうだ。お薬の副作用で体調の悪化が見られたために、予定より一ヶ月早い帝王切開による出産だった。体重は2154グラムで、母子共に健康だという。
 彼女は、過去に不妊治療を受けていたことを公表し、その治療体験を本にして出版している。子供さんの国籍については、生んだ女性の国籍が赤ちゃんの国籍という日本の法律に従い、日本人として扱われる。国籍に関しては、数年前に、タレントの向井亜紀さんの代理妻による出産で、その子供の扱いで本人達が納得できない扱いであったことを思い出す。
 いずれにしても、子供を持ちたいと言う野田さんの夢は、大変な努力の結果、見事に叶えられた訳で、お目でとうを申し上げたい。今朝のニュースによると、彼女は、子供が大きくなった時点で、出産に関するその辺りの事実関係を正直に話して理解してもらうという。
 ところで、少し前までは、次の総理候補として名前が上がっていた彼女であった。今から思えば、それは、一体、何んだったのだろう、と思ってしまう。国民へのアンケートと言ったものは、その程度の信頼度のものだと考えて置く必要があろう。少なくとも彼女の本意ではなかったと思うし、また、そんな資質は持ち合わせているとは見えない。母親として地道に務め、そこから得られた生活体験を政治に反映させてゆくのが、彼女に合った政治姿勢だろうと思う。
 さて、政治姿勢というと、新年を迎えて、北朝鮮がその姿勢を大きく変えて来ているのが目立つ。言ってみれば、新しい北朝鮮の誕生を見せかけているように見える。具体的には、それまでの強固な姿勢から南北対話を打ち出し、相手を刺激する言葉は控えるとし、一転して対話姿勢に変わって来ている。これには、韓国側も直ぐには信じて応じる訳にも行かず、暫くは様子見が続くだろう。北朝鮮の狙いは、あくまでも、米国との対話にあるようだ。
 菅内閣は17日にも内閣改造を行なって、新しい菅内閣を誕生させるようだ。ここに来て、問責決議を受けた仙谷由人官房長官、馬渕澄夫国交相の交代に踏み切ることを決断したと思われる。あくまでも国会審議を前向きに進めるための止むを得ない決断である。菅内閣では、最も存在感があった仙谷官房長官だっただけに、その処遇が注目される。問題は新内閣の誕生だと言っても、ちゃんとした仕事が出来る内閣になるのか、がポイントなのだが、…。
 昨日行なわれた将棋棋王戦の挑戦者決定戦の決勝で、渡辺明竜王が広瀬王位を破って挑戦者に名乗り出た。2月から久保利明棋王・王将と5番勝負が行われるが、果たして、待望の渡辺2冠の誕生はなるのだろうか。筆者が注目しているタイトル戦だ。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時半起床。体重、60.9Kg.今朝は寒い。路上に少し積雪が見られる。お天気は雪模様との予報。
 昨日の雅子は、朝から血圧がかなり低かった。そのせいか、大人しく、痰も少なかった。夕方になって血圧は平常時に戻って来て、目を開けて話を聞いてくれるようになっていた。この日は、京都の武田病院にパーキンソン病のお薬をもらいに行っていたので、昼間は、筆者のサポートなしに、雅子が一人で頑張っていた。

3.連載、「難病との闘い総集編」(77)
  第二部 自宅介護(37) 第三章 失われゆく機能(10)

(3)気晴らし(その5)
 それから半時間ぐらいで渋滞を抜けると近江舞子に出た。再び、湖岸沿いに出て北小松に向かう。琵琶湖が目の前に望める部分と建物などで遮られて眺望が利かない部分が交互に続く。やがて眺望が一気に開けた。気分は爽快である。その直後、湖の中に赤い鳥居が見えて来た。白髭神社の鳥居だ。シンプルで鮮やかな絶景だ。一考の好きな場所のひとつである。雅子も、思わず「ああ、きれい」と声を出す。赤い鳥居が直ぐ左手にぐんぐんと近づいて来る。
 「少し、寄って行こうか」と一考が雅子の反応を伺った。道は、少し左に弧を描いたカーブになっていて、その弧が最も湖に突き出た先に赤い鳥居が立っていた。道を挟んでその鳥居の真正面、つまり、進行方向左側が白髭神社だ。狭い駐車場が確認できたが、何処から入るのかを、目で探しているうちに「あっという間」に駐車場への入口を通過してしまった。後続の車が数台続いていたので、あっさりと諦めてそのまま直進を続けざるを得なかった。この辺りはわき見運転も多く、事故が多いエリアだと「ぐるっと琵琶湖サイクルライン」の案内地図にコメントされていたが、その通りで、うかうかできないエリアだと一考は自らに言い聞かせた。
 そこから少し進んだところにある乙女が池を過ぎ、更に進んで大溝橋を渡ったところで161号線を右折し、湖岸沿いの、安曇川、今津線、別名、風車街道に入る。ここからは、車の数も極端に少なくなって、運転にもゆとりが出る。ほとんど、貸切の道を一人で走っているような感じだ。こどもの国の標識が目に入ったが、そのまま直進、風車村に向けて快適に突っ走る。
 「どうだい? トイレは大丈夫かい?」気を遣って一考が声を掛けた。風車村にトイレがあることが調査済みだったからである。
 「ご心配なく。今は、まだ大丈夫」雅子は、そっけなくそう言って一考の顔を見た。
 「どっちにしても、風車村に寄ってみようよ。休憩だ」
 「任かせるわ」雅子の返答に、一考は風車村への入口を示す看板を探していた。ところがである。ここでも、その看板を見つけたと思ったところで、既に通り過ぎていたのである。しまったと思ったが、今更、バックするのも面白くない。
 「ごめん、ごめん。また、やっちゃった。初心者はゆとりがないね」
 「思ったよりも、粗雑なのね」
 そんな具合の珍道中で、二人は、先を目指す。車は、今津浜を一気に抜けて、マキノから海津湊に入った。そこからは、風光明媚な海津大崎に沿った湖岸に入る。道は細いが車の数も少ないので、運転にはそれほど気を遣うことも無い。さくら並木が湖岸に沿って続いていて、春に来ればさぞかしと思われる。前年の歩行時に、えさを探している猿に出会ったのは、その辺りであったが、今回は、その姿は見当たらない。その内に、崖をくり貫いたトンネルを5つ抜け、やがて大浦に出た。
 そこから、奥琵琶湖パークウエイに入るつもりであったが、進入禁止になっている。がっかりして、その辺りの方に尋ねてみると、先の台風で途中に崖崩れがあって、暫くは回復の見込みはないということだった。
 仕方なく、諦めて、来た道を大浦に戻り、そこからJR永原駅に出て、ここで休息を取った。一考は、この駅舎が気に入っていた。ローカル色豊かで、落ち着いた雰囲気を漂わせている。ここには、身障者用のトイレがあったので、それを使ったが、清潔そうで気分も悪くない。「これからも、ここは使えるね」と二人はそれとなく頷いて、暫しの休息を楽しんだ。
 その後は岩隈トンネルを通り、藤ケ崎を回って飯浦に出て、そこから賎ガ岳トンネルを通り、大音から片山トンネルを抜けると琵琶湖の東岸に出た。そこからはさざなみ街道を一気に南下、長浜、米原、彦根を経て近江八幡へ。この間、幾つかの「道の駅」があったが、いずれも立ち寄らず、一路大津を目指す。この辺りから天候が崩れ始めていたので、長命寺へは湖岸の山岳コースを避けて、内陸のコースを走った。案の定、長命寺に出る辺りでは、雷を伴った豪雨になっていた。力いっぱいにフロントガラスを拭うワイパーの先を懸命に見続けながら、しっかりとハンドルを握るが、視界が利かず、少々不安を抱いてのドライブとなった。
 それでも野洲を過ぎる頃から、雨脚も弱まり始め、草津に入ると、どうやら雨は上がっていた。ほっとした気持ちに戻り、近江大橋を通って西大津に戻った、後半は、雷雨で慌しいドライブとなったが、それなりの気晴らしにはなった。およそ6時間のドライブだった。多少の疲れはあったが、雅子の気分転換には予期以上に効果的だったと思う一方で、自らもそれなりの達成感も得られたことに満足した。
 それに味を占めた訳ではなかったが、ほぼ二週間後の8月24日にも、二回目の琵琶湖一周に挑戦した。この時には、風車村や幾つかの「道の駅」にも立ち寄って、前回の補完をしたが、白髭神社では、またもや立ち寄りに失敗して、宿題を次回に持ち越した。この時も、ほぼ6時間少々での一周だった。
 この時に、ちょっとした怖い経験をしたのだが、その事については、別の機会に紹介したい。(以下、明日に続く)

1482 年末年始に見た喜怒哀楽

 年末年始もテレビから得られた情報は多士済々だが、これと言った大きな話題は少なかったようにも思う。

1.独り言コラム
 ニュースは無いようでも、探してみると、いろいろとあるものだ。喜怒哀楽別に拾ってみた。
 「喜」 ニュイヤー駅伝と箱根の二つの駅伝で、接戦を制して優勝したトヨタ自動車と早稲田大学の関係者、ファンの喜びは大きかったに違いない。二つのレース共にアンカー勝負となり、ゴール手前でのトヨタの熊本剛選手、早稲田の中島賢士選手の必死の頑張りは見ているものの胸を打った。
 歌手の浜崎あゆみさんがオーストラリアの俳優の方と結婚したという。今年3連覇したEXILEと同様に、2001年からで3年連続レコード大賞を受賞している大人気歌手だ。写真ではそれほど嬉しそうに見えないが、胸中は嬉々としているのだろう。
 「怒」 昨日都内で行なわれた企業のトップが集まっての賀詞交換会で、菅内閣に対して投げ掛けられた不満には、その言葉の裏に、厳しい怒りが込められていたようだ。企業トップの多くの方が「早く実行あるのみ」と菅内閣に強く要求していたが、政治に対する不満がいっぱいだったと思われる。
 同じく昨日の話しだが、東京で119番通報が速やかに通じないという不具合があった。電話が通じないだけでなく、消防車の出動などの手配が遅れたという。その復旧までに4時間半もかかったというのは頂けなかったが、人の命に直接関わる不具合だったが、大きな事件、事故に繋がらなかったのは、不幸中の幸いだった。都民の怒りは小さくはなかったはずだ。
 「哀」 新年早々に痛ましい小型飛行機の遭難事故があり、山口県周南市の神田医師夫婦が亡くなった。神田さんらは、家族4人で奄美大島を旅行した帰りで、熊本空港で長男と次女を降ろした後に、北九州空港に向けて離陸した直後に事故にあったようだ。不幸中の幸いは、二人の子供さんが熊本空港で降りていたことだ。二人がそこで降りた事情は分からないが、二人には、紙一重の人生の大きな厳しい選択だったことになる。まさに、運命のいたずらであり、その心境を察するに余りある。
 「楽」 昨日、東京の築地で初競りがあり、クロマグロが3249万円で落札されたという景気のいい話である。体長が3.3メートル、体重が342Kgというから、どでかいマグロだ。東京のすし屋で大トロ一貫1300円だったそうだ。楽しい話だが、ちょっと怖い話しだ。
 昨年末に話題になった大桃美代子さんのツイッターに端を発した不倫を巡る麻木久仁子さんの話しだが、その後、麻木さんは、レギュラー出演していたニュースのコメンテーターなどの番組を無期休暇という扱いで降ろされていたようだ。その背景には、今回のスキャンダルでは、麻木さんへの風当たりが最も強かったことからだという。彼女に関しては、前にも書いたことがあるが、クイズなどのバラエティーでの彼女の素晴らしさは買うが、ニュースなどのコメンテーターでべらべら喋るのは好きではなかったので、筆者は、ほっとしている。この話題を、筆者は、敢えて、この「楽」に入れたのが、ミソである。
 「番外」 若しかしたら、落ち目になったのではなかろうか、というつまらないゴシップである。昨日までのテレビのお正月特番を見ていて感じたのだが、お笑いの明石家さんまさんが出ずっぱりなのに対し、島田紳助さんはほとんど顔を出していなかった。両雄は、視聴率が稼げると言うことで各局が酷使してきていたが、昨年の後半から、島田紳助氏が担当する番組に頭打ち現象が出て来ているようだ。どうやら、島田紳助氏も落ち目のサイクルに入ったのではなかろうか、と筆者は見ているが、…。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時半起床。体重、61.4Kg.お天気は、昼過ぎに雨が降るようで、全体として良くなさそう。
 昨日の雅子は比較的安定していた。目を開けて、一考の話を聞いてくれる時間が長かった。午後にはいつもの車椅子での散歩、それが終ると専門医のリハビリを受ける、といった段取りで気分は良さそうだった。話を聞いてくれている時には何となく楽しいので、いろんなことを一方的に話してあげるのだ。一考もそれが楽しいのである。

3.連載、「難病との闘い総集編」(76)
  第二部 自宅介護(36) 第三章 失われゆく機能(9)

(3)気晴らし(その4)
 雅子をドライブに誘って気分転換を図ろうと考えたのは、散歩やカラオケが出来なくなって、他にそれにを代る適当な名案が浮かんで来なかったからの単純な発想だった。その時、頭に浮かんだドライブコースは、もちろん、琵琶湖一周のコースだった。そこには、滋賀県人としての琵琶湖への愛着といった情緒的なものだけではなく、前年の6月に、5日間をかけて懸命に歩いて一周したという体験が大きく、そこから芽生えた何とも言えない琵琶湖への親しみ、愛着に立脚していた。
 実を言えば、琵琶湖歩いて一周した三ヵ月後の昨年の10月には、恰も、わが子を慈しむように、歩いた道を車でなぞって、そのルートをじっくりと検証しながら楽しんだことがあった。その時には、奥琵琶湖のパークウエイや余呉湖へも足を伸ばして、静かなローカルエリアの景色に心を和ませた。その時点でも、いずれ、雅子と一緒にドライブしてみようとの思いもあって、その下見を兼ねたものと一考は捉えていた。その際のドライブでの所要時間は、ゆっくり走って6時間そこそこだった。つまり、その頃は、その程度の時間なら、雅子は一人でも、家で待っていることに支障がなかったのである。
 しかし、それから一年が経過、歩きも一人では難しくなり、両手の動きも不自由になった雅子を同乗させて、6時間も掛かるドライブを実行するとなると、いろいろと配慮が必要だった。先ず、雅子の体調が順調であること、天候も雨の心配がないこと、更には、母親の食事を準備する必要がなくて、時間的な制約がない日であること、他に、通院、来客の予定のない日でなければならず、思い付きで「じゃあ、行こうか」という訳には行かないのだ。
 幸いなことだが、毎年、お盆の頃になると、静岡にいる四女の美希子が子供を連れて里帰りする。この機会が一考には雅子をドライブに連れ出すチャンスと捉えていた。彼女がいてくれる間は、母親の食事は彼女が引き受けてくれるので、一考はフリーになれたからである。
 その朝、9時過ぎに自宅をスタートした。8月12日の土曜日であった。曇り空だったが、午後からは晴れると言う天気予報だったし、雅子の様子も悪くないということの決断だった。この日の雅子の症状は、手を引いて身体をサポートしてあげることで、よちよち歩きは可能だった。
 スタートに先立っては、特別な事前の準備は何もしていない。出発前に二人ともしっかりとトイレを済ませていることぐらいだった。自宅からは、近江神宮へ続く参道を下って国道161号線に出て、それを真っ直ぐに北上した。久し振りの遠出ということで、雅子の気分も軽くなってきているようだった。車は順調に走った。半時間ほどで、湖西線、堅田駅入口を通過した。直ぐ右手に、今は飾り物の大観覧車があって目を和ませてくれた。その交差点を右折すれば、守山、野洲に至る琵琶湖大橋が架かっている。二人は、右折はせずに真っ直ぐ北上した。この辺りまでは、進行方向右側に琵琶湖がちらちらと見え隠れして、心を和ませてくれる。
 その後、JR和邇駅入口を過ぎると、間もなくJR湖西線の高架を潜って一旦琵琶湖の湖岸沿いから山側に入って走るので琵琶湖からが一旦は遠ざかった。途端に車が混み出して、ちょっとした渋滞状態になった。近くの琵琶湖バレイからの車が流れ込んで増えたからである。元々、運転を得意としない一考には、こういった渋滞の方が、スピードを出すこともないだけに安全運転ができて、気分は落ち着くのだ。暫くは、ゆったりとしたドライブで、雅子も、その方が安心できるようで、二人の会話も弾んでいだ。(以下、明日に続く)

1481 感動の検証

 感動している時が幸せな時である、と筆者はいつも思っている。この年末・年始にかけても、素晴らしい感動場面に出くわし、凄く興奮して幸せを覚えた幾つかの事例があった。とにかく、感動は、艱難辛苦に打ち勝って、初めて得られるものである。言うまでもないころだが、筆者の得た感動は、いずれも他人様からの「貰い感動」に過ぎないが、それでも嬉しいものである。今朝は、それら感動事例について、改めて検証を試みたい。

1.独り言コラム
 まず、最初に取り上げたいのが、箱根駅伝での早稲田大学の18年ぶりの優勝を果たした最後の場面での感動である。アンカー勝負となった第10区での東洋大の山本「憲二」と早稲田の中島「賢士」の「ダブルけんじ」の死闘だった。追いつ追われつ、という表現があるが、あの場合は、中島「賢士」選手が、追われる立場で、じりっじりっと差を詰められてくるハラハラ、ドキドキの展開に、筆者は、胸が痛くなるのを覚えていた。日比谷通りの馬場先門を右折する際に、大きく振り返って、追って来る山本「憲二」選手との距離を確認していた中島「賢士」選手の心境は如何なものだったか、それを思い遣るだけで胸が熱くなるのだった。それにしても、23Km以上にも及ぶ長い死闘に打ち勝って、よくぞ逃げ切ったと思う。全力を出し尽くして、同氏がゴールテープを切った時の感動は、まさに圧巻そのもので、今、思い出しても、実に心地よいものがある。素晴らしい感動のレースだった。
 次が、アースマラソンの間寛平さんの感動だ。昨日の朝、地球を一周し、遂に日本に戻って来た。大阪をスタートして749日ぶりの福岡上陸だった。ご本人の感動は恐らく言葉に出来ないものがあったろうと思う。涙と笑顔で顔をくしゃくしゃにしながら、奥さんの光代さんと抱擁をしていた光景には、ジ~ンと来るものがあった。
 とにかく、地球一周を完成させるまでは日本には戻らないとの強い決意でスタートしただけに、途中で前立腺癌と判明した時にも、命がかかっていたにも関わらず、日本には戻らず、わざわざアメリカで治療した。それだけ、寛平さんの意思は強かったのだろう。実際に走った距離がおよそ2万キロ、そこには、数え切れないほどの多くの困難があったはずだ、それらを克服しての日本上陸だけに、感動の大きさも凄かったに違いない。 
 そして、あと2週間少々で、大阪に最終ゴールして、この闘いは大団円を迎える。その時には、更に大きな感動の渦に包まれるであろう。
 もう一つの感動の話題は、少し遡るが、12月末に行なわれた全日本フィギュアスケート選手権でカンバックした浅田真央選手の話しである。歌を忘れたカナリアではないが、ジャンプを飛べなくなった真央ちゃんは、大スランプに陥っていて、若しかしたら、もう真央ちゃんの時代は終ったのではとも囁かれ始めていた。それだけに、そのスランプから脱出して、2位に入っての復活には、多くのファンは、その結果にほっとした感動を覚えたに違いない。本人の真央ちゃんも、それまでの壁を越えられたことに、自信を取り戻した感動を覚えていたに違いない。苦境からの脱出への努力は並大抵ではなかったはずだ。加えて、一種のジレンマと云う呪縛にかかっていただけに、そこからの脱出には、言葉に出来ないものがあったろう。それだけに、得られた感動も大きかったに違いない。
 さて、そんな素晴らしい感動があった一方で、目下、苦悩中なのが日本国の総理大臣の菅直人氏である。何しろ、1)ねじれ現象、2)支持率続落、それに、3)アキ菅、カラ菅などと揶揄される悪環境の三重苦の中にいて、厳しい闘いが続いている。
 そんな三重苦の菅総理が昨日、年頭の記者会見を行ない、強気に打って出たのである。会見の主な骨子は、目の上のXXである小沢一郎元代表に、起訴された時点で、自らの進退を明確にせよと強く迫ったこと、もう一つは、財政再建への対応に消費税アップを打ち出したことだった。
 とにかく、菅総理にとっては、今が、まさに正念場であって、ここが最も苦しいところである。それだけに、腹を括った強気の姿勢を見せたのであろう。さあ、今後、どんな展開になるのであろうか。勝負は、改めてこれからである。この苦境を克服した時に、同氏は初めて感動を得るはずだ。しかし、本当にそんな感動が実現するのかは、今は全てが闇の中で、実現は容易でないことは確かである。筆者としては、願わくば、日本を復活させて、政治家としての真の感動を味わってもらいたい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時40分起床。体重、61.4Kg.お天気は、午前中は晴れそうだが、午後は曇りと云う予報である。
 昨日の雅子は、久し振りに気分はよかったようで、目を開けてくれる時間も長く、テレビを見ている時間も結構長かった。午後には入浴、その後もスッキリした顔つきだった。少し、ハイな気分の日のようで、年賀状を頂いた方などを改めて紹介した。

3.連載、「難病との闘い総集編」(75)
  第二部 自宅介護(35) 第三章 失われゆく機能(8)

(3)気晴らし(その3)
 気晴らし作戦で思いついたのが、カラオケへの挑戦だった。思い切り声を出して発散するのも悪くは無い。どこへ行くかを迷ったが、車で浜大津付近を走っていて看板を見つけてそこに飛び込んだ。駐車場から、エスカレーターで二階に上がったところにあったが、このエスカレーターに乗るのに一苦労した。例の足の竦みが起きてスムースに乗れない。少し、強引に引っ張り上げるようにして何とか店に入った。
 一考自身もカラオケは嫌いじゃなかった。現役時代は、行きつけの飲み屋のカラオケにお世話になった。音痴だと自覚していた一考だったが、何回も行くうちに十八番的な歌も覚えてしまい、リップサービスなのだろうが、リクエストも貰うようになっていた。低音の響きが印象よくて、音痴の部分を打ち消してカバーしてくれていたようだ。
 しかし、この日は、雅子はなかなか歌おうとはしなかった。かつて、たまたま上京して来た際に連れて行ったバーで、一考の知らないような新しい流行の歌を披露して驚かせたこともあったが、二人だけのカラオケでは歌い難いようだった。一考が、適当に選んだ歌を勧めると、渋々マイクを握ったが、久しく歌ったこともなかったようで、うまくリズムには乗れなかった。それでも、何曲かトライし、気分転換には役立ったようだと、一考は解釈していた。それよりも、一考が気になったのは、マイクの握り方のぎこちなさだった。明らかに、右手にまで病魔が進出してきていることが見て取れた。2006年6月23日のことだった。
 それから、ほぼ一週間後の29日にも、雅子を誘って同じカラオケ店を訪ねて気晴らしを図ったが、雅子は前回よりも消極的で、ほとんど聞き役に回っていた。マイクの握りだけでなく、座っている姿勢のバランスも取り難そうで、落ち着かないようだった。加えて、このビルにはエレベーターがなく、その店への出入りにはエスカレーターを使うしかなかったことで、その乗降に竦みが出て、梃子摺る状態が繰り返されることもあって、結果的に、この店に来るのは、この二回目が最後となった。
 しかし、年が明けて、雅子の姉妹達が家に携帯カラオケを持ち込んで楽しむ機会を作ってくれた。やはり、声を出すことが、気分転換にいいと彼女達も考えたようだった。その時には、雅子も歌っていたと聞いてはいたが、マイクの握りについては確認していない。(以下、明日に続く)

1480 三冠談義

 いろんな世界に三冠は存在する。当事者達の励みの大きな目標で、その世界のトップの証でもある。換言すれば、テニスやゴルフでのグランドスラムに相当するその世界の頂である。
 
1.独り言コラム
 早稲田大学が、第87回箱根駅伝の大接戦を制し、18年ぶりに13度目の優勝を遂げると同時に、今年度の駅伝3冠(出雲、全日本、箱根)を達成した。
 昨日の朝は、筆者はレースが始まり、20校の全員がスタートした8時10分過ぎに家を出て、妻が入院している病院に向かった。6区の山下りで、早稲田の高野選手が先を行く東洋大を逆転し、その差をつけ始めたのは、病院に着いてからのテレビを点けた時からだった。その後、7区で更に引き離しに成功したが、8区、9区では東洋大に徐々に迫られ、10区での襷の引継ぎでは、その差が40秒に縮まっていた。
 劇的なアンカー勝負となった10区は、最初から、はらはら、ドキドキのレース展開だった。やんぬるかな、東洋大学のアンカーの山本憲二選手が、前を行く早稲田の中島賢士選手との差を徐々に詰め始めたのである。まさに、「憲二」と「賢士」の同じ「けんじ」の戦いとなったが、二人の差が、35秒、30秒、28秒、22秒、そして都内に入って、一時は18秒ぐらいまで詰まって来ていた。画面からもその接近振りが窺え、これでは土壇場での逆転では、との不安が脳裏に浮上し、落ち着かなかった。
 この間、テレビ中継の画面の切り替えに苛々していた。もう一つのクタイマックスであるシード権争いにかなりの時間が割かれていたからである。早稲田と東洋大のファンにとっては、シード権争いどころではなかった。早く画面が戻って来いとの焦りが高まり、息詰まるレースの展開にやきもきだった。
 しかし、そんなデッドヒートの戦いを、早稲田の4年生中島選手は逃げ切ったのである。男同士の「けんじ」の戦いは、最後の力を振り絞って頑張った賢士の見事な勝利となった。早稲田ファンの筆者はこの素晴らしい勝利に妻の付き添いという役割を忘れて没入していたのである。
 とにかく、エース級の二人の選手がレース直前の怪我で出場不可という危機の中で、優勝を勝ち得た勝因は、起用された4年生の4人の活躍、頑張りが大きかったと思う。5区の猪股英希選手は、あの東洋大の山の神の柏原竜二選手に逆転は許したものの、その差を最小限に止める頑張りだったし、6区の高野寛基選手は転倒しながらも、素晴らしい快走でトップを奪還した立派な走り、8区の繋ぎの北爪貴志選手も前年の自己記録を上回ったし、最後の10区の中島賢二選手の渾身の戦いは見事だった。また昨年はメンバーから外れた三年生の三田裕介選手の7区での区間2位の復活も大きかった。特に猪股、高野両選手は、4年生で初めての箱根への出場だっただけに、感無量であったに違いない。おめでとうと申し挙げておこう。なお、滋賀県出身の花田勝彦監督率いる期待した上武大は、全員が空回りしたようで、19位という情けない結果だった。捲土重来を期待しよう。
 話は変わって因みにの話しだが、三冠といえば、多くの世界で存在している。ごく最近の事例では、昨年末のレコード大賞で、近藤真彦さんが歌唱賞を受賞して、大賞、新人賞をあわせた三冠をものにした。今までには、北島三郎、氷川きよしの2名だけだ。
 将棋界では、過去の事例はさて置き、現在、二人の三冠がいる。羽生善治三冠(名人、棋聖、王座)と里美香奈女流三冠(名人、倉敷藤花、王将)である。
 プロ野球では、打撃部門の3冠に、かつての野村克也、王貞治選手など多数いるし、最新事例では2004年にソフトバンクの松中信彦選手が獲得して、現役では唯一の三冠王である。また、投手部門三冠王(防御率、勝利数、奪三振)には、沢村栄治、スタルヒン、藤本英雄、江川卓選手などの大物の顔ぶれが並んでいる。
 他には、競馬の三冠馬(皐月賞、ダービー、菊花賞)も有名だが、今までに、セントライト、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクトの6頭がいる。いずれも、懐かしい名前ばかりである。
 余談だが、菅直人総理だが、巷間、「アキ菅、カラ菅、スッカラ菅」と揶揄されていて、これは有り難くない「三菅」である。
 まだ寒い日が続くが、これからは、三寒四温で春に向かうはずである。そういう意味で、四温を従えたこの「三寒」は大いに歓迎である。
 しつこい蛇足だが、筆者も「妻には夫として、息子達には親父として、そして、趣味としての物書きとして」の三冠を意識して、今年も頑張って行きたい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 2時起床。体重、61.2Kg.お天気は日中一時晴れるが、全体としては曇り空の予報だ。
 昨日の雅子は、幸い、熱も平熱、痰も比較的少なく、体調は落ち着いていた。朝から、箱根駅伝をイヤホーンで聞かせてあげていたし、途中で見はからって、皆さんから頂いた年賀状を紹介して上げた。時々、目を開けて反応はしていた。駅伝の最後のデッドヒートのクライマックスでは、画面に視線を送っていた。その後、前日に続いて車椅子での館内散歩を行なった。
 最近の症状では、全体として、呼び掛けへの反応が、少し低調なのが気になっている今日この頃である。

3.連載、「難病との闘い総集編」(74)
  第二部 自宅介護(34) 第三章 失われゆく機能(7)

(3)気晴らし(その2)
 雅子の身体の重要な機能が順次失われて行く厳しい悪化が進む中で、一考は、このままじっと部屋に閉じ篭ってしまうようなことになってはいけないと思い始めていた。少しでもいいから、気分転換になるような機会を持つ必要性を覚えていた。
 そんな時に、雅子のいつもの友人達から、やさしい気配りをもらうことが幾度かあった。何と言っても、気心がしれた仲間との歓談が、気分転換には最も効果的だった。中でも、近くにお住まいの前田さんの配慮には、格別のものがあって、一考も大いに感謝していた。前年は、まだ何とか自分で歩くことも可能であったので、二ヶ月に一度の割合で、外に連れ出してもらった。今年(2006年)に入ってからも、お正月明けから、市内のデパートへの買い物とか、家に呼んでいただいての昼食会などの機会を設営してもらって、楽しいひと時を過ごしていた。
 しかし、悪夢は、あの足の捻挫と手首の骨折だった。それが雅子の症状の悪化を極端に早めた結果、お正月明けには一人で何とか歩けたものが、連休明けには、手を引いてサポートしないと歩けなくなってきていたのである。
 それでも、7月半ば(18日)には久し振りに、前田さん宅に他のお友達も集めていただいて、懇親会を開いてもらった。一考が送り迎えしたのだが、生憎のかなり強い雨の中だったにもかかわらず、皆さんが出迎え、そして、見送って下さったのには感動した。そこでは、一考が幾ら努力しても与えられない楽しい歓談の場を楽しんだようだった。持つべきものはやはりいいお友達だということを身を持って感じていた。
 それから二ヵ月後の9月半ば(19日)にも、近くのレストランで、いつもの友人達との昼食会の場を設営してもらっている。送り迎えはもちろんのこと、レストランでも、皆が代わる代わるに食事を食べさせてもらったり、至れり尽くせりのサポートで、雅子は、心から発散できる楽しい場を得たようで、家に戻っても気分は上々だった。
 話は少し遡るが、一考は、このまま雅子の病状の悪化が進めば、いずれ、全く歩くことが出来なくなる日が来るだろうと思い始めていた。6月に入った直ぐの頃である。歩けるうちに、可能な限り歩いて気分転換を図ることは、今しか出来ないのではと思うのだった。
 そういうことで、ともかく、歩いてみようということで、二人でゆっくりと手を取り合って歩くことにした。極近くの柳ヶ崎の湖岸までの散歩を試みたが、無理だと分かり直ぐに諦めた。振り返ってみると、三月半ば過ぎに姉妹達と城之崎への小旅行から帰った翌日には、遠く浜大津を通り抜けて5Km先の湖岸までの往復10Kmを歩いたことが思い出された。僅か、2ヶ月少々でこれほどまで症状が進むとは、二人にとっても全くの想定外だった。(以下、明日に続く)

1479 神がかりの柏原竜二

 スポーツ以外では、これと言ったニュースがない今年の正月が続いている。平和の証と見るより、迫力のない政治が続いている証であろう。それだけに、昨日の箱根山中で演じられた駅伝の大逆転劇は、なかなか迫力に満ちた素晴らしい感動ドラマで光っていた。東洋大の柏原竜二に乾杯である。

1.独り言コラム
 今回も箱根駅伝の山登りの5区で、東洋大の柏原竜二選手が魅せてくれた。三年連続の山登りを受け持った同選手は、神がかり的な走りを見せて、大逆転のドラマを演じ、東洋大に三年連続の往路優勝をもたらした。残念ながら、三年連続の区間新はならなかったが、まさに凄い男である。
 驚きは、柏原選手が、この3年間で、自分の前を走っていた選手、16人を全て追い抜いたことだ。1年生の時に8人、2年生の昨年には6人、そして昨日は、東海と早稲田の2人の選手を追い抜いたのだ。
 昨年のこのコラムで「柏原竜二って何者なの?」(1114をご参照)を書いたが、期待されて、期待に応えるのは容易いことではない。特に、今年は不調が長く続いていたようで、それだけに、本人の頑張りは大したものだったと思う。ガッツポーズでゴールに飛び込んだものの、そのまま倒れこみ、暫く起き上がれなかった。それだけ、全力を使い切った戦いだったことが分かる。
 さあ、これで、今日の復路が面白くなった。総合で東洋大の3連覇がなるか、或いは、早稲田が、出雲、全日本についで今年の3大駅伝の3連覇を果たすか、いずれも、3連覇をかけての興味ある戦いが期待される。なお、シード入りを期待していた花田勝彦監督の上武大学は、何と、往路は信じられない最下位だった。せめて、今日は意地を見せて欲しい。
 さて、「神がかり」とは直接関係ないが、昨日は、恒例の新年の一般参賀が5回に渡って行なわれ、77000人が皇居を訪れたという。陛下は、年頭に当たって「世界の平安と人々の幸せを祈ります」と挨拶された。
その平和・平安に関しては、一昨年、就任早々に「核なき世界」を訴えたアメリカのオバマ大統領はノーベル賞を受賞したが、残念ながら、その後の具体的な進展は見られておらず、逆に北朝鮮が、核の保有を宣言するなど、世界の平和への動きは捗捗しくない。
 一方、昨年の12月度に日経新聞の私に履歴書を執筆された米国の元国務長官のウイリアム・J・ペリーさんも、その連載の中で、「核なき世界」への努力を縷々語っておられたのが印象的だった。その中でも、平和・平安は戦わずには得られないものと云うことである。
 そういう意味では、世界平和・平安は、昨日の駅伝での柏原竜二選手のような超人的な世界の指導者の登場が待たれる。そして、信じられないような神がかり的な活動をしてくれないと、世界平和は絵に書いた餅に終ってしまいそうだ。
 とにかく、この世には、いろんな意味での戦いがある。正義が、それぞれの戦いに勝って初めて、喜び、平和が得られるのであろう。そんな格調高い話はさて置いて、差し当たって、今日の箱根駅伝で、勝利を制するのは、何処の大学だろうか。そのドラマをじっくりと楽しみたい。

2.今朝の一考、昨日の雅子
 3時10分起床。体重、60.8Kg.お天気は曇り、時々晴との予報。
 昨日の雅子は、熱もなく、外見上は安定しているようだったが、呼び掛けへの反応は今一つで、箱根駅伝の中継を聞かせてあげても、興味を示す様子もなく、眠っているような様子がほとんどだった。それでも、午後には車椅子での散歩を行なった。この時の様子も、時々目を開けて様子を窺っていたが、これといった反応は見せなかった。少し、心配でもある。

3.連載、「難病との闘い総集編」(73)
  第二部 自宅介護(33) 第三章 失われゆく機能(6)

 (1)その対応に大格闘(その6)
 屋外で初めて車椅子を使ったのは、2007年1月11日の年明けでの京都駅前の武田病院への通院時である。その数日前の醍醐の武田病院への通院では、車椅子を車に積んで持って行ったが、雅子が歩けるというので、駐車場から診察室まで数十メートルの距離があったが、雅子の手を引いて頑張って歩いたので、何とか車椅子を使用することもなく済んでいた。
 車椅子の車への積み込み、積み下ろし作業は、見掛けよりも重くて、それほど容易ではない。しかし、一旦、雅子を車椅子に乗せてしまうと、移動そのものは、楽でスムーズで、その有り難味を実感する。雅子本人も、疲れずに済むことから、その方がいいと思ったに違いない。自ら歩くことの大変さは、手を引いていてもよく分かる。
 一方、自宅内でも、手を引いて、身体を支えての歩きが困難になって来ていたので、キャスターの付いた小型の椅子を購入し、それを利用するようになり始めていた。2月半ばのことである。二人の間では、このキャスター付きの椅子を「タクシー」と称し、リビングから寝室、トイレ、洗面所、風呂場などへの移動に多用するようになって行った。しかし、歩くことを止めてしまうのは、運動不足だけでなく、歩くという機能を忘れさせてしまう恐れがあり、それを避けるために、状況を見ながら、多少は無理があっても、歩行させることにも配慮した。
 そのうちに、雅子の足の動きが極端に悪くなり、身体を支えられても、引っ張られても、歩くこと自体が難しくなり、二人の体力の消耗と、一考の腰に負担が大きくなり、次第に、そのタクシーを使うことで逃げることが多くなっていった。
 しかし、このタクシーは一般の家具である椅子を活用していたので、高さが低く、腰を屈めての作業となり、一考への腰への負担は拭いきれず、腰痛の心配が出始めていた。そのことを介護の業者の方に話すと、室内専用の車椅子があることが分かり、4月度からはそれをリースして使用し始めた。確かに、腰に負担が少なくて、随分と作業が楽になった。症状の変化に合わせて、いろんな工夫を施しながら、何とかやりくりしていたのである。
 右手がおかしくなり始めて、最初に現れた不都合な症状は、お箸が持てなくなったことは既に紹介しだが、その次に起きたのが、電動歯磨きのスイッチが押せなくなったことだった。7月に入って直ぐのことである。続いて、その歯ブラシを握ること、更には、口をゆすぐカップを持つにも支障が出始め、更には、顔を洗うのも難しくなった。矢継ぎ早の悪化連鎖だった。仕方なく、一考が、それらをサポートしてやらねばならなかった。
 それ以降は、まさにドミノ倒しのように、次から次へと今まで出来ていたことが出来なくなることが相次いだ。その代表例が、リモコンのボタンやスイッチのボタンを押せなくなり始めたのである。その場合、そのボタンの大きさが小さいものほど、うまく押せない。携帯電話はその典型で、直ぐに解約を行なった。ボタンの大きさが親指程度であれば、何とか押すことが出来るが、それより小さいと、思うように押せないのだ。
 考えてみると、今の生活様式は、あらゆるものがボタンを押すこと、つまり、オン、オフだけで、いろんな操作を行なうパターンになっている。テレビ、ビデオ、電話、エアコン、調理器、電子レンジ、トイレなどのほとんどがボタンで操作する訳で、それが自由に操作できなくなり始めたのだった。雅子は、恰も、楽しんで遊んでいた子供が、次から次へとそのおもちゃを取り上げられてしまうような悲しくて、堪らない、辛い思いに苛まれながら、悪戦苦闘の毎日を闘っていたのである。
 こうして、目に見える形で大事な能力、機能が失われ、不自由になって行く中で、人様の優しさ、温かさを感じることも増えていた。例えば、骨折以降、雅子は暫く左手を吊るしていたため、通院時に電車に乗る際や、乗車中で、周りの方からは、細かく気を遣ってもらって、むやみに押されたりすることもなかったし、直ぐに座席を代わって下さる親切な方にも多く出くわした。一考と雅子は、このような温かい配慮に、思わず胸を熱くするのだった。そして、この世の中は棄てたものではないと実感するのだった。
 ギブスを外したのは5月10日過ぎだったが、左手は少し変形していた上に手首が固縮していて使えず、バランスを保つのには苦労していて、少しでも押されたりすると倒れてしまうような不安定さだった。従って、その後も、人ごみの中に出て行く時には、安全性を確保するため、一考は、いつも、腕を吊る布紐をバッグの中に持っていて、電車に乗ったり、人ごみの中を歩いたりする時には、その布紐を使って腕吊りをした格好で連れ歩くことにした。こうすることで、人様から注意を喚起できて、押されたりすることから守ることが出来た。
 かくして、この頃になって、障害者であるということをはっきりと意識するようになったのである。(以下、明日に続く)

1478 今年の夢

 初夢をご覧になった方も多いだろう。それとは別に、今年こそは、今までの閉塞感を打破する明るい夢に期待をかけておられる方が多いと思う。心配なのは、今の民主党の政治の混乱だ。とにかく、何とかして欲しい。

1.独り言コラム
 筆者は今年の初夢は、元日の明け方に見た。つまり、2時頃に一旦目が覚めて、それから二度寝した時に見たのである。珍しいことだが、その内容をしっかりと覚えているのだ。それは、ある意味では不吉であり、ある意味では筆者にはラッキーなものだった。その内容は次のようなものである。
 ある酒場で、筆者が一人の男の友人と川崎さんという女性の三人で飲んでいたのだが、その帰りに、三人と駅のホームで電車を待っている時に事件は起きた。何故だか分からないのだが、男の友人が、突然駅のホームから転落して姿を消したのである。そのホームは線路の反対側が地上から相当高い処にあったので、転落した友人の命は助かるとは思えない。しかし、自分とその川崎さんは、その後もホームで、何事もなかったように二人で雑談していた。何だか怖い話だが、自分は無傷で無事だと言うラッキーな立場で夢に登場していたのである。何だか、とても不思議な夢だった。女性の名前が、川崎さんというのを覚えているのも不思議だが、現実に筆者の知り合いに川崎さんという人はいない。この夢は、一体、何を暗示しているのか、ちょっと理解に苦しむ初夢だった。果たして、筆者夫婦には、今年は、どんな人生が待ち受けているのだろうか。不安と助かった不幸と幸せが共存している複雑な気持である。
 さて、そんな馬鹿馬鹿しい初夢はさて置いて、既に新しい年は動き始めている。昨日の第55回ニューイヤー駅伝では、一昨年に富士通が劇的なゴール手前のデッドヒートを制して、僅差で優勝したレースの再現のようなゴール前の3チームによる激闘だった。そして結末は、何と、トヨタ自動車が初優勝したのである。最後まで競っていた富士通は、一昨年の再現はならず2位に、そして連覇を目指した日清食品グループは3位に終った。かくして、この長い歴史と伝統のある駅伝に、トヨタ自動車という新しい名前が刻まれたのである。何か、新しい時代の到来を予感させてくれているように思う。
 政界では、菅総理が官邸で新年会を行なったが、仙谷官房長官ら50人が集まったという。「多少ハレーションが起きるかも知れないが、自分がやりたいことを伝えていきたい」と述べたが、今までは、やりたいことを伝えていなかったのかと、びっくりである。なお、焦点の内閣改造には触れなかった。
 一方の小沢一郎元代表は、例年通り、私邸に政治家を招いた新年会を行なったが、120人の議員が集まった。前年の150人からは減少しているが、それでもまだまだ力を保持しているようだ。閣僚からは海江田万里経済財政相が出席した。小沢氏は「政府与党が強力してゆかねばならない」と述べたに留まったようだ。さあ、政治と金の問題はどんな展開を見せるのだろうか。
 さて、夢のない政界の話はここまでとし、各界の有名人の「今年の夢」を筆者なりに想像してみた。
 スポーツ界では、イチロー選手が、今年も頑張って、11年連続の200安打を目指しているだろう。日本ハムに入団した、あのかつてのハンカチ王子の斉藤祐樹投手は、開幕一軍入りを期しているはずだ。相撲界では横綱白鵬が、今年こそ、双葉山の69連勝突破を目指すだろう。
 女子フィギュアの浅田麻央さんは、3月の世界選手権で、キムヨナ選手を破っての金メダルを期していると思う。彼女は、長い間のスランプからは抜け切ったと筆者は見ている。麻央ちゃんのいないフィギュアは、壊れた肩揉み機のようで、今一つ力が入らない。麻央ちゃんの頑張りを期待している。
 歌舞伎界の御曹司、市川海老蔵さんも、心機一転、一刻も早い舞台復帰を願って、精進しようと心に期しているはずだ。
 将棋界は若手の台頭が著しい。羽生名人、森内九段、佐藤康光九段らの時代が、少しずつ侵食されて来ている。昨年には、広瀬章人新王位が誕生した。間もなく始まる王将戦でも、若手の豊島将之六段が久保利明2冠に挑戦する。恐らく、今年は、幾つかのタイトル戦に若手が出て来ることは必至だ。この世界も、漸く新旧の端境期に入ったようである
 そういえば、アースマラソンに挑戦して3年目に入った間寛平さんは、今現在はヨットで福岡を目指していて、明後日には上陸する段取りだ。来る1月21日には、大阪に目出度くゴールの予定である。地球一周を走るという、とてつもない夢が間もなく完結する。前人未到の大記録だ! 肉体の強靭さもさることながら、精神的な強さも信じられないくらい強い。
 なお、最後にもう一言付け加えるなら、今年こそ、株が大幅な回復を目指して欲しい。願わくば、東証平均株価で、夢ではなく、14000円台を期待しているが、どうだろう。
 
2.今朝の一考、昨日の雅子
 4時起床。体重、60.1Kg.お天気は、予報では雪の心配もありそうでちょっぴり心配だ。
 昨日の雅子は、38.4度もの熱があって、苦しかったようだ。昼前に長男が見舞いに来てくれたが、いつものように目を開けるのが少なく、大変のようだった。幸い、午後には熱が下がっていた。
 この日は、初めて歩き、電車、そしてタクシーで、病院を往復した。前日の雪のため、車では危険と考えたからである。改めて、車の便利さを思うのだった。

3.連載、「難病との闘い総集編」(72)
  第二部 自宅介護(32) 第三章 失われゆく機能(5)

 (1)その対応に大格闘(その5)
 かくして、リーフォームが終って以降は、1、2回の衣装類の持ち出し時の初期の例外を除いて、雅子が二階へ登ることはなくなった。二階は、長きに渡っての日常生活の基地であっただけに、直ぐ上にある部屋に行けないということに、心中は如何なものかと一考は同情するのだった。
 この頃の歩きは、手を引いてサポートすることで、ゆっくりであったが、何とか歩行は可能であった。戸外を歩く際には、腕を組むようなサポートの仕方が雅子には歩き易いようであった。馬鹿げた話かもしれないが、二人は出会い以降も、結婚後も、腕を組んで歩くと言うことは皆無だった。それだけに、こんな年齢になってから、そのポーズを取ることには、最初は戸惑いを隠せなかったが、そうしなければ、歩けないことから、次第に気にすることはなくなっていった。
 一方、室内での歩行は、「とんとんとん」と声を掛けることで、条件反射を使って、リズムに乗って比較的スピーディに歩けた。この場合、右手で雅子の右手を強く握ってやると安定して足が動いていた。
 しかし、7月には入ると、歩きの状況は更に悪化し、電車での通院にも困難が出始めていた。障害物に出会うと足の竦みが酷くなり、強く引っ張るか、後ろから押してやらねばならなくなり、そのため、転倒の危険性も増していた。
 その内に、身体のバランスがうまく取れなくなり、一人での移動は、難しくなった。転倒事例が目立ち始めたのである。例えば、7月19日には、寝室の入り口で転倒して起き上がれず、たまたま通りかかった久子が驚いて二階にいた一考を呼びに来た。7月23日には、洗面所で、8月2日にはトイレで手を洗おうとして転倒している。このような転倒回数の増加は、明らかに一考のサポートの手抜きによるもので、一考は、忸怩たる思いを噛み締めるのだった。 
 ところで、左手首の筋肉を和らげてもらう治療のために通院している醍醐にある武田病院へは、車でなければ通えなかったことから、最初から車での通院だったが、京都駅前の武田病院へは、7月度まではJRを使っての通院を続けていた。しかし、8月に入ると、雅子の症状から、電車への乗降が難しくなり、他の乗客の方々にも、お気遣いやご迷惑をお掛けすることになり始めたので、車での通院に切り変えることにした。しかし、この京都駅前の武田病院には、駅に近いこともあって、病院専用の駐車場がない。近くに二つの駐車場があるが、一方はビルの屋内にあって、料金も少々高くて使いにくい。他方は屋外にある青空駐車場で、料金も少し安くて使い勝手はいいものの、駐車スペースが限られていて、十台程度しか駐車できず、空車のタイミングを捉えるには、ラッキーに期待するしかなかった。しかし、幸いなことに、結構、そのラッキーに恵まれて、青空駐車場を利用することが多かった。いずれの場合も、駐車場からは百メートルそこそこの歩きが必要だったが、暫くは、車椅子を使わずに、腕を組んで歩いての通院だった。
 一方、毎日出掛けるスーパーでの買い物だが、その頃はなるべく二人で行くようにしていたが、足の動きが悪くなるにつれ、一緒に出掛ける回数が次第に減少し、最後に二人で出掛けたのは、記録によると、手首の骨折後5ヵ月後の2006年9月9日だった。この時点までは、買い物の手押し車を杖の変わりに支えと先導役として活用し、何とかよちよち歩きが可能であった。このような経緯を見ると、歩きに変化からも、急速な症状悪化の変化をよりビジュアルに捉えることが出来る。
 10月になると、ベッドから一人で立ち上がること、或いは椅子、トイレなどから立ち上がることが一人で出来難くなって来ていた。また、体が少し左に傾くようにもなり、その矯正に、一考はいろいろと手を尽くすが、治る気配はさらさらない。
 年の暮れが迫る頃になると、遂に歩くことが厳しくなった。手を引いても、腕を組んでも、なかなか前に進まず、少し手を離すと転倒しそうになる。頼りにしていた右足にも病気の影響が出始めていて、歩くという基本動作が、ほとんど出来なくなっていた。雅子には、とても悲しい症状の悪化であった。(以下、明日に続く)

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE