咄嗟の選択では、ベストだと思っていても、結果的にはそうでなかったということは、長い人生ではしばしば経験するところだ。それが、運命なのだろう。
1.独り言コラム
八丈島近海で転覆した「第一幸福丸」に閉じ込められて奇跡の生還を果たした3人の言葉の生々しさに胸が詰まった。「半分諦めていた」「生きることだけ考えた」「後半は意識がない状態だった」「いつ、息が吸えなくなるか恐怖を感じた」。記者会見での言葉だが、本当によくぞ、90時間もの長い時間を堪え忍んだものと感動でいっぱいだ。
転覆時に、運よく脱出したと思われた4人、それに対して、出口をふさがれて取り残された3人、更には、何日かして、閉じ込められていた3人のうちの一人が「この暗闇から抜け出したい。出たら助かると思った」というのを、後の二人が止めたという。
運、不運があざなえる縄の如く8人の乗組員に迫ったが、我慢して待った3人が生還したことに、人生の微妙さを思う。生と死の分かれ目は、実に不鮮明であり、瞬間的にそれを見極めるのは難しい。長い時間堪えられた背景に、3人だったということが大きく、互いに励ましあったことが救いになったはずである。3人の方々には、これからの人生を十分に満喫されるものであって欲しいと思う。
日本航空の命運も微妙だ。その再建に向けて、運航継続に背水の陣を敷くということで、「企業再生支援機構」を活用するという。要するに政府の管理下での再建となる。果たして脱出は可能なのだろうか。直前に前原大臣の肝いりで設置した「JAL再生タスクフォース」が折角策定した再建計画がお蔵入りになったようだ。運命の分かれ道になるのではとの不安もある。
思えば、今日の日本国空の非常事態は、航空機史上最大に犠牲者を出した1985年に起きたあの御巣鷹山での墜落事故に端を発しているという。それにしても、あれから四半世紀を経過している訳で、今まで何をして来たかと言った思いが強い。脱出の機会は幾度もあったはずで、経営陣の責任は重いといった類を超越していると思う。
さて、鳩山内閣も、両院での代表質問を終えて、とにかく、国会論戦でのワンラウンドを終え、結果は、まずまずの出だしのようだ。とにかく、現状の悪い状況を生み出したのを、全て自民党のせいにできる点で、比較的楽に論戦を交わして来たが、何時までもそうはいかないだろう。
内閣誕生後、各大臣の相次ぐ個別の発言が目立ち、内閣不一致的な右往左往的な様子も見られる。また、それにも増して、ここに来ての小沢幹事長の凄みを利かせた口出しに、大物大臣も戦々恐々の状況にある。内閣と党の不一致が進めば、鳩山内閣の命運を左右しかねない。特に献金虚偽記載問題で脛に傷を負っているだけに、案外脆いところが露呈されるかも知れない。
筆者をも含めて、誰にとっても、生と死の分けれ目というのは、極めて不鮮明であることが多いだけに、毎日をしっかりと注意深く生きるに越したことは無い。
2.プライベートコーナー
4時50分起床。体重、60.9Kg。曇り空。今日の予報は良くない。
昨日の雅子だが、一時失われたのではと心配していた呼び掛けに対する反応が戻って来ていた。ほっとである。体温もほぼ平熱であったことや、久し振りの実姉の霧子さんのお見舞いもあって、元気を取り戻していたのかも知れない。車椅子での館内散歩も行なった。一進一退が続く。
3.連載、難病との闘い(1016) 第三部 戦いはまだまだ続く(310)
第七章 しつこい敵(26)
2.再びアウエイでの闘い(10)
(2)治療の始まり (その5)
最近の医学、医術の進歩は目覚しい。特に、開腹手術せずに内視鏡による手術が可能になったの大きな進歩だった。一考は驚きと感心が一緒になったような気持ちで思わず口走った。
「ええ! もう新しい胃ろうと取り替えて下さったのですか!」
「そうですよ」先生は特にどうと云うことのない顔で、一考に頷いて見せた。
「凄い早業ですね。まるで、手品を見せてもらっているような気がします」手術室に入って、僅か15分程度でのこの見事な処置に、一考は心底からびっくりしていた。そのびっくりの背景には、先生が手にしている胃ろうの先の膨らんだ部分が意外に大きかったからでもある。
「指し当たっては、暫くは栄養剤の量を調整したり、滴下スピードを変えて最適条件を探してみましょう。それで、下痢の症状が出なければ、良しということになりますが、以前と同じように下痢が続くようであれば、その時には、胃ろうの位置を変える手術をしなくてはなりません。もう少し、胃の方に移すことにします。ちょっと厄介な手術になりますが」そういうK先生の顔は、任せてくださいといった自信有り気だった。その時K先生が手にしていた胃ろうも、自信有り気に少し揺れていた。
「なるべく、今のままでうまくいってくれれば幸いなのですが。更なる手術というと、また大変だと思いますので。とにかく、宜しく、お願いします」一考はそう言ってはみたが、胃ろうの位置を変える手術が、どの程度大変なのかについては、その時点では何ら知見を持っていなかった。
「じゃ、そういうことで処置しておきます」K先生はそういうと、再びその手術室に姿を消した。雅子がストレッチャーでその部屋を出て来たのは、それから10分程度後のことで、そのまま、元に自分の部屋に戻って来たのは、4時にはまだ10分程度のゆとりがあった。
雅子の様子を改めて確認すると、それまでとほとんど変わっておらず、まずまずの状態だったので、後のことは看護婦さんに頼んで、これ幸いと病院を出た。これなら、一旦自宅に戻って着替えをして大阪に向かっても、待ち合わせ時間には、ちょうど間に合いそうだった。一考の心は弾んでいた。
お陰で、久し振りに昔の仲間と一席を楽しむことが出来て、愉快な一夜を過ごすことが出来たのだった。(以下、明日に続く)
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