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相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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138 逆風に向かって

 日経新聞夕刊に、先週から昨日までに掛けて、「逆風に向かって飛べ」と題して、竹中平蔵氏へのインタビューが連載された。小泉純一郎ファンだった筆者には、それに全身全霊で尽くした同氏の忠誠心に感動を覚えた一人だ。
 かつて、大臣になる前に、筆者は或るセミナーで同氏のITに関する講演を聴いたことがあったが、ユーモアに飛んだ面白い内容だったことで同氏のファンになった切っ掛けだった。
「すさまじい戦いになる。一緒に戦場に行ってほしい」と要請を受けたと同氏は語り始め 2002年9月、金融担当相を兼務して不良債権処理に切り込んだ初期が一番苦しかったと述懐している。そこを頑張れたのは、小泉さんのリーダーとしての接し方の見事さで「絶対に考えを曲げるな」「君の考え方が正しいと思って任命したんだから正しいと考えたことを、その通りやれ」と励ましてくれたことだという。いずれにしても、そんな素晴らしい上司と5年5ヶ月一緒に仕事ができたことを誇りにしているようで、羨ましく感じた次第である。いずれにしても、日本経済を甦らせた同氏の手腕はお見事だったと言えよう。小泉総理からみれば、その能力を買われた竹中氏は、まさに特待生だったのだろう。今後の一層の活躍を期待している。
 特待生と言えば、高校球界が揺れている。400校に近い高校で、その制度が実施されていたのだから、今や、皆で渡れば怖くないで、続々と届出が相次いでいて、もっと増えるのではとも思われる。「特待生制度」そのもののの良し悪しには、いろんな議論があろうが、誰もが今年の夏の大会への出場を前提に、高校側は「春の大会の辞退」などで、禊を考えているし、高野連の脇村会長の会見を見る限り、夏の大会を成立させる前提での「阿吽の呼吸」での対応で、それは、まさに「暗黙の談合」の範疇に入るもので、大いに疑問を抱くのである。
 筆者は、長期的には、今、常識化している野球留学を規制して、高校生までは郷土を愛すると意識を醸成し、地元での教育を前提とした「特待生制度」を認める方向を打ち出してはと思うが、どうだろう。

連載(103) 難病との闘い 第四章 手探りの二人三脚(36)

 その頃だった。雅子の姉の霧子から、鍼治療が、この病気に効果的ではないかという情報を持って来てくれた。幼い頃は、一回りも違っていたこともあって、母親のように面倒を見ていたこともあり、妹の不幸をなんとかしてやりたいと、いろいろと気を配っていてくれていた。そのことを、春日医師に相談すると、何でも試してみることはいいのではとのお墨付きを得たので、雅子姉妹は揃って紹介者と一緒に、初めてその鍼治療の先生のところを訪ねた。2005年10月13日のことだった。北区の加茂街道から紫明通りに西に少し入った一角にその鍼治療病院はあった。
 今まで、雅子はこの種の治療を受けたことがなかった。新しいことには躊躇する性格の雅子だったが、とにかく何らかの手掛かりが得たいとの思いも強く、チャレンジしてみようということになった。この時点での雅子の症状は、左手の指が曲がっていて、自由が利き難い状態だったので、どんな効果が得られるのか、様子を見ることになった。
 一考は、元来、そのような理屈のはっきりしない治療には、乗り気ではなかったが、自分の妻の気の毒さを見ていると、若しかして、何らかの効果があるのではとの、藁をも掴む心境で、僅かな期待をするようになっていた。
 治療を受けた雅子の話では、治療そのものは、マッサージでもなく、何か気を吹き込むような神秘的な治療法で、おまじないのような感じもあり、精神的な面での刺激が狙いのようにも受け取れるとのことだった。いずれにしても、二人には、理屈はどうであれ、とにかく、効果がでれば、それはそれで良かったのだ。
 それ以降、向こう三ヶ月に渡って、週一回の頻度で通い続けることになるのだが、最初の頃は、曲がっていた指が伸びるような感じもあって、先行きの展開に期待を持たせたが、結局は、どうも効果がはっきりしないということと、新たに、雅子の通う美容院の店長から、電子治療という新しい治療法の紹介を受けたこともあって、この鍼治療を取りやめることにしたのである。2006年に入って間もなくのことだった。(明日に続く)
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タグ : 竹中平蔵 小泉純一郎 特待生 高野連の脇村会長 談合 野球留学 鍼治療

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