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相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
1941年1月2日生まれ
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版
2022年 渾身の愛を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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183 櫻井よしこ

 今、フジテレビの「報道2001」を見ながらこれを書いている。石原慎太郎都知事、中田宏横浜市長と一緒に桜井よしこさんが、興味ある議論を交わしている。今日はこの櫻井よしこさんのことに触れてみたい。 
 昔、日本テレビの「NNN今日の出来事」のメインキャスターをしている頃の櫻井よしこは、正直言って好きではなかった。あのゆっくりとしたモノトーンのしゃべり方は、何故か筆者の共鳴を呼び起こさなかった。それが、最近の彼女のものの考え方、主張には、なかなかの迫力があって、訴えてくるインパクトの大きさに共鳴するようになった。何よりも、よく調査し、勉強していることが窺われ、知見の深さを感じさせる。話し方そのものは以前のキャスター時代と変わっていないのだが、訴える力に雲泥の差があることに、不思議なものを感じる。
 学歴は、ハワイ大学マノア校歴史学部出身で、かつて「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。そんなバックグラウンドに、今の彼女が原点があるようで、改めてその関心を掻き立てる。大宅賞にかんしては、筆者もあこがれたことがあったが、箸にも棒にも掛からなかったことを思い出す。とにかく、最近の彼女の発言の説得力に惹かれることは多い。ジャーナリストの立場だけに留まらないで、アクションに結びつける立場での活躍を期待している一人である。

連載(148) 難病との闘い 第六章 機能喪失の一部始終(5)

 屋外で初めて車椅子を使ったのは、2007年1月11日の年明けでの最初の吉田病院への通院時である。その数日前の醍醐の吉田病院への通院では、車椅子を車に積んで持って行ったが、雅子が歩けるというので、駐車場から数十メートルの距離があったが、雅子の手を引いて頑張って歩いたので、何とか車椅子を使用することもなく済んでいた。
 車椅子の車への積み込み、積み下ろし作業は、見掛けよりも重くて、それほど容易ではない。しかし、一旦、雅子を車椅子に乗せてしまうと、移動そのものは、楽でスムーズで、その有り難味を実感する。雅子本人も、疲れずに済むことから、その方がいいと思ったに違いない。自ら歩くことの大変さは、手を引いていてもよく分かる。
 一方、室内でも、手を引いて、身体を支えての歩きが困難になって来ていたので、キャスターの付いた小型の椅子を購入し、それを利用するようになり始めていた。2月半ばのことである。二人の間では、このキャスター付きの椅子を「タクシー」と称し、リビングから寝室、トイレ、洗面所、風呂場などへの移動に多用するようになって行った。しかし、歩くことを止めてしまうのは、運動不足だけでなく、歩くという機能を忘れさせてしまう恐れがあり、それを避けるために、状況を見ながら、多少は無理があっても、歩行させることにも配慮した。
 そのうちに、雅子の足の動きが極端に悪くなり、身体を支えられても、引っ張られても、歩くこと自体が難しくなり、二人の体力の消耗と、一考の腰に負担が大きく掛かるようになり、次第に、そのタクシーを使うことで逃げることが多くなっていった。
 しかし、このタクシーは一般の家具である椅子を活用していたので、高さが低く、腰を屈めての作業となり、一考への腰への負担は拭いきれず、腰痛の心配が出始めていた。そのことを介護の業者の方に話すと、室内専用の車椅子があることが分かり、4月度からはそれをリースして使用し始めた。確かに、腰に負担が少なくて、随分と作業が楽になった。症状の変化に合わせて、いろんな工夫が施して、何とかやりくりしている今日この頃だ。(以下、明日に続く)
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タグ : 櫻井よしこ石原慎太都知事中田宏横浜市長報道2001

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