プロフィール

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版

このブログは3部康成です。1部が「コラム」、2部が連載「難病との闘い」、そして3部が、速報、「昨日の雅子」です。

 

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美空ひばり

 NHK衛星第2テレビで昨夜から今夜に渡って「美空ひばり」特番を、「何と10時間」も放映中である。「生誕70年、珠玉の70曲」と題しての大々的な取り上げだ。集められた秘蔵の映像がかなりあるらしい。ファンにとっては堪らない企画だ。
 筆者には、小学生頃から、彼女の歌には記憶がある。但し、流行歌といわれていて、低俗視していたこともあって、ほとんど興味は持たなかった。自分の考え方が、幼い頃から、トップではなく二番手(弱い者)を応援するタイプだったことで、巨人が嫌いと同様に、嫌いな歌手の一人だった。
 しかし、社会人の終わりの頃になって、カラオケの登場で歌謡曲にも関心が出てきた頃から、筆者のレパートリーの中に、彼女の歌がかなりの数を占めるようになった。彼女の歌のうまさに惹かれた結果である。
 特に、死を目前にして歌った「乱れ髪」「愛、燦燦」「川の流れのように」は、そのうまさを見事に集約したもので、とても好きな歌である。
 亡くなって18年目を迎えて、なおNHKがかくも取り上げるだけの存在であったことを改めて思う。死後の受賞だったが、国民栄誉賞も、当然の結果だったのだろう。

連載(155) 難病との闘い 第六章 機能喪失の一部始終(12)

(5)歯磨き 洗顔
 10月に入ると、朝食時のコーヒーカップが持てなくなって来ていた。そして、11月に入ると、洗顔時に、口をゆすぐ際に、そのカップを持つのが難しくなったのである。一歩一歩、病魔は雅子を試すように悪化を楽しんでいるようであった。それでも、雅子は、何とか、片手であったが、一人で洗顔をしていたが、11月の後半に入ると、遂に、一考の助けが欠かせなくなった。
 一般的には、毎食後の歯磨きが理想であって、雅子も、一人で出来た時までは、三度の歯磨きを実行していたが、一考の世話が必要となってからは、一日に毎朝夕二回に止めることにした。一考への遠慮があっての自主規制なのだろう。
 今まで、何とも思っていなかった事が、一つずつ出来なくなって行くことに、雅子には、驚きや不満よりも、諦めが先行しているようだった。ここまで来ると、悔やんで見ても、焦ってみてみても仕方がない。とにかく、何処までも、与えられた土俵で精一杯頑張るしかないと自分に言い聞かせているようだった。
 具体的なサポートの方法も、症状の悪化と共に自ずと変化してゆく。お箸が握れなくなった頃のサポートは、歯ブラシに、歯磨き材を載せてやることと、不安定な姿勢を少し支えてやる程度でよく、歯磨きそのものの行為や洗顔は、何とか、雅子が自分で行なうことが出来た。それが、カップが持てなくなった11月初めには、電動はブラシを持って、口に入れて磨いてやらねばならなくなったし、口をゆすぐ際にはカップを持って、口に水を注いでやることが必要となった。また、11月後半に入ると、身体の支え方も、かなりしっかりと支えなければならず、結構な重労働となった。また、その前後の洗面所への移動も、手を引いてのサポートは欠かせなかった。
 一考も2007年1月で66歳となり、力仕事には不向きな年齢になっていた。それに、かつて、歩いて鍛えていた足腰も、次第に弱ってきていたことで、介護でも、なるべく、疲れを少なくする、いわゆる、省エネ対策が急務となっていた。
 しかし、2007年2月頃になると、身体の支えは、単純な支えだけでは手に負えなくなってきた。腕を抱えて、自分の肩を差し入れて持ち上げるようにしなければならなくなり、その場合は、他のサポート作業は片手で対応を余儀なくされた。
 一考も、いろいろと省エネのために腐心していたが、そこで思いついてのが、タクシー、即ち、屋内車椅子の利用で、これに座ったまま、歯磨き、洗顔をする方法に変更した。2007年5月に入ってからで、これで、それまで大変だった歯磨き、洗顔の力仕事を、のんびりとした介護作業にと変換することが出来た。(以下、明日に続く) 

タグ : 美空ひばり

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