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相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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2938 数字で振り返る2014年(私事編)

 波乱万丈と言えば大げさ過ぎるが、73年の自分の人生で、最も忘れられない一年となった。筆者の最愛の妻と母の二人を亡くした悲しい一年だった。今までにも紹介したが、幾つかの数字を再掲して、二人の死を偲び、新しい年を迎える心構えにしたい。

1、独り言コラム
 12131116 長ったらしい数字だが、これは最愛の妻、弘子が死去した月日時刻である。つまり、12月13日11時16分を表している。この数字には、我が夫婦、二人の息子たちの誕生日が、しっかりと組み込まれており、弘子の家族愛を示す貴重な最後のメッセージの一つと読み取った。(詳しくは、本コラム、2926をご参照)
 25813日  彼女の生誕から死去までの日数で。満71才に21日に足りなかった。最後の13は彼女の誕生日の1月3日を表していると解釈できよう。因みに、筆者の今日までの生きている日数は、27027日で、弘子より既に1100日あまり長生きしていて、申し訳ない気持ちでもある。
 5050日  左手の人差し指に違和感を覚えてから、難病の告知に至る不安の日々、そして、大変な苦悩、苦闘を強いられて、旅立つまで、懸命に頑張って闘った日数である。これにも彼女の決死のメッセージを読み取ることができた。それは「ありはとう、ありかとう」と告げていた、というのが筆者の解釈である。(詳しくは、本コラム2921ご参照)
 42回目  入院後、彼女は幾度も肺炎、尿路感染などの炎症に見舞われたが、その都度、それらを克服して来ていたのだが、遂に、奇しくも42回目に訪れた肺炎を乗り切ることができず、命を失うことになった。やはり、この数字は縁起の良くない数字である。
 47年目   結婚して47年目に入った直後の別れとなった。一家団欒の生活を夢見ていた彼女だったが、その中身は20年間が単身赴任での別居、最後の10年間が難病との格闘期間で、筆者が付添い、介護に尽くした期間でもあり、結局は、僅か16年少々が、一緒に生活を楽しんだ(?)期間に過ぎなかった。
 3548日  筆者が、施設ならびに見舞い、介護に通った回数
 4700日  妻の難病との闘いのドギュメントを本に仕上げ、「月の沙漠」として、7月に文芸社より刊行したが、その際に本の帯に書いた、昨年末までのおよその闘病日数である。
 85256Km 弘子の付添いなどに、車で走った距離。地球を2回り以上した距離である。。
 37069日 私の母親の生きていた日数で、これは当家の長寿の史上記録であることは間違いない。その母親は、今年の春のお彼岸に、101.5才で亡くなった。大正元年の秋の彼岸生まれなので、奇しくも彼岸から彼岸を101回も生き抜いて、百寿をという長寿を全うしたのだった。悲しくはあったが、反面、その大往生に安堵した一面もあった。

2.話の広小路
 弘子の死亡記事は、幾つかの新聞のおくやみコーナーで目にしたが、ほとんどは通り一編のもので、単に住所(市名)年齢、死去日の紹介に過ぎない物だったが、京都新聞、中日新聞からは、電話での取材もあって、比較的丁寧な記事にしてくれていた。中でも中日新聞は格別丁寧だったので、その内容を紹介しておこう。但し、記事内容から、本名、住所などは割愛しました。
 「○○弘子、(住所、喪主名)、13日死去、70歳、葬儀は15日に営まれた。遺族の話=明るく、協調性があり、いつも和を大切にし気遣いを忘れない人でした。」

追記、皆様方にとって、来年は良いお年でありますように。合掌。
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