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相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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3124 ほろっと来る記事に乾杯

 筆者は、毎日と日経の二紙を購読しているが、毎日、2時間ぐらいかけてじっくりと新聞に目を通すのが日課となって来ている。ちょっとしたほとっとした温かい記事を見つけるのも悪くない時間の過ごし方である。大抵は、ファミレスでの長居なのだが、ウエイトレスさんたちが嫌な顔をしないのが嬉しい。ここ数日の新聞記事からのほろっとした話題の幾つかである。

1.独り言コラム
 日経新聞夕刊(7月3日付)のプロムナードというコーナーで、ノンフォクション作家の与那原恵さんが先輩の同じノンフィクション作家の井田真木子さんについて書いておられた。初めての出版をした際に「おめでとう」と言って励ましてくれたのが井田さんだったという。後になって、「長編を書きなさい」勧められ、沖縄でその取材中に、その方の突然の訃報を受けた与那原さんが、一晩悩んだ末に、井田さんなら「予定通り取材を続けなさい。それがあなたの仕事」と言うだろう、との思いに至り、そのまま取材先である台湾に向かう、という件である。甲板の上で、暗い海を眺めながら、井田さんの名前を何度も呼んだという。
 日経朝刊の交遊録(7月3日付)に萌木の村社長の松木上次さんの手記である。この村を1989年に開業されたのだが、その後まもなく、素敵なご夫婦が泊まりに来てくれるようになった。大蔵次官の長岡實ご夫妻だった。その後、松木さんは88年から未来を背負う子供を育てようと清里とドイツの小、中学生の交流事業を10年間を目標に始めたのだが、その間、匿名で毎月「1万円」が届けられた。筆跡などからそれが、長岡さんであると確信し「ありがとう」と伝えたが、「私はそんな奇特な人ではない」とおっしゃって否定されていた。松木さんは、そんな匿名で応援してくれたあしながおじさんの長岡さんに大きな勇気をもらって、目標の10年間続けられたと告白しておられるお話に、ほろっととした温かいものを覚えた。
私の履歴書は、今月は浅丘ルリ子さんである。1940年に満州で生まれ、その後、お父さんの仕事の関係でタイに移り、1946年に日本に引き揚げて来られるのだが、その際の引き上げ船の乗船の際に、たまたま、後から来た人を優先して乗せたために、降ろされて、一船後の船に乗船することになったのだが、それが命拾いに繋がって、無事日本に帰国したという。それというのも、先に出た船は、出港後間もなく沈没したというのである。この運命のいたずらがなかったら、後の浅丘ルリ子は存在していなかったことになる。帰国後は、茨城、千葉を転々とした後に、東京の神田に移って来る。幼い頃の苦しい生活の中で明るくふるまう彼女の生き方にほろっとした温かいものを覚えるのである。
 死亡欄にも時々熱いものを覚える時がある。7月3日付毎日新聞に、作詞家の水島哲さん(86才)の訃報記事を目にした。布施明さんの「霧の摩周湖」、西郷輝彦さんの「君だけを」などのヒット曲を手掛けたと付記されていた。この2曲は、いずれも筆者の好きな歌で、かつてはカラオケでも幾度も歌った。昔を思い出して、胸がジーンとくる歌の代表格である。
胸がジーンとくるような感動を覚えることに、ちょっとした幸せを実感する今日この頃である。

2.プライベートコーナー
 2時半起床。体重は62.8kg。▲昨日は、所用で朝早くたりして、ばたばたした一日だった。適度に忙しいことは、余計なことを考えずに済むので、メンタルには良いことである。▲夕方は、しっかり雨が降ったので、散歩は久しぶりにお休みした。
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