プロフィール

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版

このブログは4部構成です。冒頭の枕に続いて、
1部が「独り言コラム」でキーワードから世の動きを捉えようと試みる。
2部が「プライベートコーナー」で妻、雅子の近況。
3部が連載「難病との闘い」です。
(09−02−16に修正。09−03−01に再修正、09−09−30に3度目の修正)


 

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 一昨日の近畿ブロック知事会議で井戸兵庫県知事が「関東大震災が起きたら、それは関西にとってはチャンスである」という主旨の発言を行なった。このことについては、昨日もこのコーナーで取り上げたが、その後も不適切な表現だと非難轟々で、石原慎太郎都知事も「役人の浅知恵だな。よく言えば馬鹿正直」と手厳しい。
 こと、人間の命に関わる不幸を喜ぶようなことは厳に慎まねばならない。そういう意味で、確かに大変な不適切な発言である。しかし、関東大震災が来ないとは言い切れず、そういう場合は、かつての苦しかった経験を生かして、大いに頑張って人助けやその復興に貢献する機会として捉えることが大事で、その結果として関西が活性化されるという実体がついて来ると言う意味での発言だったと思う。
 しかし、我々の日常生活を見てみると、人の不幸をほくそ笑むことは実に多い。口先では「お気の毒ですね」と言いながら、心の中では「ざまあ、見ろ!」と思っていることは多いのではないか。
 スポーツの世界はその代表的なもので、それほど非難されることもない。事実、相手が失敗しなければ、自分に勝利が巡って来ない場合が多い。ホームランを打った人が賞賛される一方で、打たれた投手は失投したと非難を受けることになるし、ゴルフでも、相手のミスで自分の優勝が巡ってくることが多い。体操やフィギュアなどの採点する競技では、その失敗ごとに減点する仕組みになっている。むしろ、相手のミスをチャンスとして生かさねば叱責される世界である。勝ち負けの世界はそんな世界なのだ。
 こう考えると、不幸、エラー、ミスなどの言葉の使い方に注意が必要だということに気づく。つまり、人の人生そのもの、或いは命に関わる場合と人間のしでかす一過性の失敗の場合である。前者の場合は、それを喜ぶようなことがあってはいけないが、後者の場合は、それをチャンスとして生かせるという意味で、喜こぶことは非難の対象にはならないと言えそうだ。しかし、これも、後者が原因で前者になることも多く、ややこしい話である。
 今回の井戸知事の場合は、他人の命に関わる不幸を喜ぶ形に捉えられたのが不幸だった。心の中に潜んでいた先入観が、不用意に口を突いた単純なミスだと思われるが、立場上は許されない不適切な言葉となったと理解しておこう。
 さて、WBCのコーチ陣の陣容が昨日発表され。オリンピックでの星野仙一監督の場合で非難されたお友達内閣ではなく、それぞれの部門に相応しい適材適所の陣容のようで、総じて好評のようだ。イチローや松坂大輔、松井秀喜などの海外活躍組をも視野に入っているようで、既に具体的な候補者のリストも描かれているという。サムライニッポンと呼ぶことになるようで、是非とも連覇を果たして欲しい。
 いずれにしても、オリンピックや国際大会では、相手国の凡ミスや失敗は、日本チームには貴重なチャンスとなる訳で、そいう場合は、日本を挙げて皆でチャンスだと喜んでも、誰も非難しないだろう。逆もまた真なりだ。我々の日常生活では、その種のことは実に多い。

2.連載(663) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(280)
  第六章 真夏の夜の夢(131)

(8)決行へのカウントダウン(その17)
 その翌日、2011年7月23日は、決死の決行を翌日に控えていたが、一考の気持ちは、信じられないほど凄く落ち着いたものだった。長くても来年の3月頃が寿命とされているものを、少し早目だが、まだ身体に元気がある内に閉じようとする決断で、一考は満足していたのかもしれない。そうすることで、自分の醜い最後を曝け出すことから免れることができる。一考は、そうあってほしいという自らの美学を受け入れる形にしたのである。
 じっとベッドに横たわりながら、この日のうちに行わなければならないことについて頭の中で確認していた。大抵のことは済ませて来ていて、これといったことは思いつかなかった。そのままじっと横になっていると、今まで歩んで来た自分の人生が脳裏に浮かんで来るのだった。
 長いようで短い人生だったようにも思う。大学までは夢中だったし、就職後は、新たな自分を見つけ出そうとそれまでの自宅での生活からは離れて、勇躍として東京に向かった思いは、今でも生々しく記憶に鮮明だ。そして得られた新たな自分を待っていたものは、それまでの研究生活にピリオドを打つものだった。未練はあったが、むしろそれが自分の進む道だと改めて自分に言い聞かせたのを記憶している。思いも寄らなかった営業という仕事に転進し、それまでになかった躍動感を覚えたのが新鮮だった。当時の上司からかわいがってもらったことで、遣り甲斐に満ちた毎日だった。
 そんな幸せな日々の中で雅子とのお見合いがあり、多少の思いの齟齬があったが、晴れて結婚することになった。それからもいろいろと苦労はあったが、総じて順調な活動が続いた。毎日が楽しく生き生きしていた。最終的には、サラリーマンとしては役員に選出されず、常務理事止まりだったのには不満がなくはなかったが、大病宇も大怪我もせずに、長丁場のサラリーマン人生を完走できたことに満足するのだった。
 そんな中で、今一つ吹っ切れなかったのは、途中から始めた創作活動だった。処女作品が大手出版社の新人賞の一次予選をパスしたことで大いに気をよくしたのだが、結局はそれもビギナーズラッキーに終わったことだった。それでも、共同出版ではあったが、「執念」を刊行したことで、踏ん切りをつけることが出来たと思っている。
 しかし、その間に、雅子がとんでもない病魔に犯されていた訳で、その気の毒さに忸怩たる思いになるのだった。
 急遽帰郷した後は、それまで、何事も妻に丸投げして来たことへの償いの気持ちで雅子への対応、介護に全てを捧げて来たのである。お陰で、定年退職後の人生は、ある意味では、多忙で充実していたと言える。(以下、明日に続く)

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