価格カルテルは、日本の企業社会に根深く蔓延っていて絶えることを知らない。ここ数日の新聞にも二つの関連記事が報道されている。
一つは、鋼板各社(淀川製鋼所、日新製鋼、JFE鋼板、それに日鉄住金鋼板)が2006年7月に値上げした際に結んだもので、刑事告発される方針が固いという。ただし、JFE鋼板は、最初に不正を公取委に申告したため課徴金減免制度(リーニエンシー)によって告発は見送られる。今朝の日経朝刊には、JFE鋼板では社長自らがその会議に出席していたという。刑事告発されれば、1991年のラップ事件以来17年ぶりのことになる。
今一つは、昨日の日経夕刊では、シャープが、韓国、台湾の3社と液晶パネルで国際カルテルを結んでいて、罰金を支払うことで米当局と合意したと報道されている。シャープだけで支払う罰金が1億2千万ドル(およそ114億円)に及ぶ大型事件だ。
以前にも告白したことがあるが、今から20年前に、不覚にも、筆者も公取委の手入れを受けた苦い経験がある。もちろん、会社のためを思っての行為だったが、然るべき課徴金を支払わされて多くの人に迷惑を掛けた。それ以来、二度とそういうことをしてはならないと心に誓ったが、日本の企業社会では、この種の事件は全く絶えることなく、毎年、多くの摘発事件が起きている。
この種の事件を取り締まる独占禁止法も、幾度も改定が行われ、ペナルティーである課徴金の増額、刑事告発制度の強化、或いは、企業だけでなく、個人の罪を問う制度も導入された。加えて、最近では、課徴金減免制度(リーニエンシー)で密告を促す制度も導入されている。しかし、事件が減る傾向は全く見られず、日本社会に深く染み付いた護送船団方式の延長上にある悪習慣として脈々として生きている。
最近発表された公正取引委員会の白書によると、昨年度(平成19年度)のカルテル違反で収められた課徴金の総額は、前年度を20%も上回る113億円近くに及ぶ高額となっている。事件の件数そのものはそんなに増えていないので、事件が大型化していると言えそうだ。事件を聞くだびに「またか」との筆者の思いも慢性化している。
一方、悪しき習慣と言えば、大麻汚染事件も衰えることなく拡大している。最近では大学生に拡がっているのが気になる。ここ5年間での事件に絞っても、少なくとも10大学で43人が逮捕または書類送検されている。その内訳は、関東学院14人、慶応8人、法政5人、上智、中央各4人、東京3人、関西2人、同志社、関西学院、龍谷各1人となっている。
また、テニスのプロ選手だった宮尾祥慈容疑者(27)が、大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕されたのを受けて、プロ登録選手としての資格を当面の間、剥奪(はくだつ)される処分を受けた。遺憾に思うのは、最近では、自分達がその目的で栽培している事例も多く、まさに確信犯であり、事件の根は深い。
これらの二つの悪しき習慣による事件は、一人一人が強い正義感と順法精神を持たなければ、根絶は難しいと思う。
2.連載(664) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(281)
第六章 真夏の夜の夢(132)
(8)決行へのカウントダウン(その18)
この日は、いつもと違って、一考は、午後の少し遅い目の四時前にドリームスペースに雅子を訪ねた。本当の意味での最後の晩餐を意識して、先日雅子がおいしそうに食べたステーキを、もう一度ご馳走しようと考えたからだった。しかし、一考が、雅子を一緒に連れて行くという最後の決断を伝えた日の翌日から、何故か、雅子の症状が完全に元の状態に戻ってしまっていて、発声も思うようにならず、言葉もイエス、ノーをはっきりと言えないような以前の厳しい状態に戻っていたのである。
あの奇跡的な数日間は一体なんだったのだろうかと一考は不思議に思うのだった。神様が特別な計らいをしてくれていたのだろうとしか考えられなかった。折角焼いたステーキも、残念ながらそのままでは食べられず、介護士さんに頼んでみじん切りにして貰ったのだった。
かくして、雅子にとっての最後の晩餐は、残念ながら思った形にならず、一考の心遣いも無駄になってしまったのである。そんなことで、雅子の方が申し訳なく思ったようで、一考にその気持ちを伝えようと、懸命に口を動かして頑張ってくれた。一考は、その気持ちが嬉しかった。明日、永久の旅に旅立とうとしているその間際でも、雅子はピュアーな気持ちで感謝の気持ちを表していた。そんな健気な顔をみていると、本当に連れて行ってもいいものかと戸惑うぐらいだった。
予定通り、この日の昼過ぎに雅子は入浴を済ませていた。その効果もあって、顔の色艶も綺麗で輝いていた。何か言おうとするのだが、思うように口が開かず、声も出ない。苦しそうだったが、その意図は充分に理解できた。多分、「明日は、必ず私も一緒に連れて行ってね」と懸命に念を押しているような感じだった。一考はその純情さがいとおしくなって、椅子に座ったままの雅子をそっと抱き締めるのだった。僅かに感じられる体温を通しての心の交流が、一考の気持ちを熱くするのだった。途中、20年の単身赴任期間での別居生活があったが、それをも含めて50年近い夫婦生活を送ってきた。本当に良くやってくれたと一考は改めて感謝の念に駆られるのだった。名残は尽きなかったが、雅子の就寝時間が近づいていたので、さよならを告げて部屋を出た。懸命に、「必ず迎えに来てね」と訴えているような雅子の顔がいじらしかった。
帰り道、一考は、車のハンドルを握りながら、1500回以上も通ったこの道も、こうして自宅に戻るのが今宵が最後だと思うと、何か切ない気持ちになるのだった。星が綺麗に輝いていて、明日は晴れるのだろうと一考は思っていた。(以下、明日に続く)
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