たまたま昨日見ていたテレビで、おしどり夫婦で知られていた長門裕之、南田洋子夫妻の近況を紹介していた。今まで知らなかったのだが、あの南田洋子さんが認知症になり、長門裕之さんが懸命な介護を施して頑張っているという話だった。いわゆる老老介護の典型的な事例である。長門さんは筆者より7歳も年上で74歳というだけに、その大変さは、推して知るべきだろうと思っている。同時に、この番組で筆者は、次の二つの点で、長門さんのお話に大いに共鳴したのである。
その一つは、長門さんが「もっと力が欲しい」と言っておられる点だ。「洋子が全体重を掛けてくると支え切れないんだよ」という告白は、筆者もまさにその通りだと実感する。筆者の場合は、妻が椅子に座っている生活時間が長いので、お尻が痛くなることが多い。それでタイミングを見計らって、身体を持ち上げてやって、お尻の位置を変えてやる作業が必要である。また、ベッドから椅子へ移動する場合には車椅子に乗せる作業を伴うし、通院時などでは、車への乗降作業が欠かせない。これらの作業の原点は、身体を持ち上げてやることである。これにはどうしても、その物理的な「力」が必要なのだ。トイレの介護は大変さの最たるもので、下着を下ろしてトイレの便座に座らせる作業は、とても一人では出来なく、二人の介護士さんのお世話でこなしている。ゲーテの「もっと光を」ではないが、長門さんが言っている「もっと力を」という叫びは全く同感で、筆者の叫びでもある。
二つ目の共鳴点は、この介護作業で感じる「遣り甲斐」である。長門さんは「今、こうして洋子を介護してあげるのが生きがいだ」とも語っておられたが、その点でも全く同じだ。今では、長門さんは「苦労を掛けた洋子への恩返し」ということで、介護に尽くしておられるという。南田洋子さんが健康だった頃に、長門さんのお父さんの沢村国太郎氏の介護を長年に渡ってやっておられたという。人生は不思議な巡り合わせだ。筆者の妻の場合も同様で、筆者が単身赴任の間は、両親の面倒見、二人の息子達の世話を丸投げしていた。そういう意味では、筆者も「つぐない」の気持ちで毎日の介護に当たっている。その気持ちが、介護に徹する自覚のバネとなっているばかりか、こうして毎日ブログを更新する作業に連動していて、今では、これらが大きなやりがいとなっている。
舛添要一厚労大臣の場合もそうだったが、とにかく、本当に自らがその立場に立って、初めてその苦労が分かる介護の世界である。エンドレスの闘いで、高齢者には大変だが、そこには、何とも言えない遣り甲斐も潜在していて、それが大きな力になっていることも確かである。
2.連載(686) 難病との闘い 第2部 小さな幸せを求めて(252)
第六章 真夏の夜の夢(154)
(9)さよならを告げる旅(その22)
かくして、作、構成、演出、並びに主演、相坂一考のこの大芝居は、いよいよ最終場面に向けてカウントダウンに入って行くのである。一考は、今までにない緊張感を覚えていたが、自分がやらねば誰も助けてくれない作品作りだけに、その意識を強く持って一つ一つの行動をこなして行くことに集中するのだった。先ずは、その最後の舞台と決めたその場所に車を進めて行くことになる。当然なことと言えばそれまでだが、そこには、今まで感じたことのない緊迫感があった。
展望台を出たのは5時近くになっていた。夏のこの時間帯はまだまだ明るくて、太陽の位置を除け、昼間とほとんど変わらない。一考は、車をゆっくりと走らせながら、この九十九折の坂道を下りて行った。一方通行だから対向車もないし、後ろから来る車もなかった。恰も、ひたすら天国へ向かって進んでいるような気分になっていた。パークウエイから出ると、先ほど走った岩熊トンネルの入口の手前に出た。そこから大浦までは一直線である。ハンドルを握る手に自然と力がこもる。自分達の人生のターミナルに近づいているとの思いが、一考の気持ちを高めていた。そっと助手席の雅子に目をやると、もちろん、まだお薬は効いておらず、はやり俯き加減でじっと物思いに耽っているようだった。
一考の頭の中に、突然、ある田舎の町の風景が甦った。もう50年近い昔のことだが、新会社に移った直後のことで、初めての海外出張で米国の親会社を訪ねた時の風景だった。、それはミシガン州のミッドランドという小さな町で、北国特有の雲に覆われた少し薄暗い雰囲気のする田舎町だった。幅広い大きな道の割には走っている車は少なく、当時の一考のような経験の乏しいものでも運転することには問題がなかった。A&Pというコンビニで初めて買い物をした。日本には、その種の店がなかった時代で、なかなか便利な店だと思った。広い敷地の真ん中にぽつんぽつうと建っている幾つかの低い建物が本社の建物だった。のんびりした田舎町の良さが一考には懐かしい。
退職したら、雅子と一緒に訪れてみたいと思っていたが、残念ながら、それも叶わぬことになった。その米国の田舎町が、自分の後半生のスタートラインだと捉えていた一考だっただけに、親しみのある懐かしさが甦って来たのだろう。こんな土壇場になって、そんな田舎町を思い出す辺りが、如何にも一考らしい。自分でそんなことを思いながらハンドルを握っているうちに、先ほど直進してドライブウエイに向かった大浦の三差路が近づいて来ていた。(以下、明日に続く)
コメントの投稿