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相坂一考

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
1941年1月2日生まれ
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版
14年7月に、難病との戦いを扱った「月の砂漠」を文芸社から出版
2022年 渾身の愛を文芸社から出版

このブログは3部構成です。
 1.タイトルへの一言。
 2.独り言コラムで、キーワードから世の動きを捉えようと試みる。
 3.プライベートコーナー
   (2015-06-03に修正) 

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794 納得できる? 出来ない!

 少子化担当大臣、小渕優子さんが率先して第二子を懐妊された。これはお見事な仕事ぶり(?)である。納得。しかし、15歳の母親、13歳の父親誕生には納得しかねる。

 今日からブログのスタイルを少し変えました。最初の1~2行で、上記のような短いトピックスを、続いて、第一部としてプライベートコーナー、第二部でコラム、第三部に連載「難病との闘い」です。今後とも宜しくお願いします。

1.プライベートコーナー
 4時40分起床。体重、58.3Kg。寒い。外に出ると雪で薄化粧。昨日の雅子は、ストローでの飲む力は回復、少し復調した様子でほっとする。
 昨夕の7時に、元勤務先の前社長、伊勢村美治氏の通夜の時間に合わせて合掌、黙祷した。今朝、9時から葬儀、告別式が行われるので、その時にも哀悼の意を表したい。このコーナーを使って、故人を追悼する意味で、故人との思い出を少しずつ書いてゆきたい。
(1)
 今一つはっきり思い出せないのが、同氏との最初の出会いである。昭和46年の入社組みで、会社が、それまでの親会社任せであった採用を、直接採用し始めた最初のメンバーの一人だった。今だから言えるが、当時、会社は設立されて5年目で、まだ海のものとも山のものとも分からない生まれたての会社だった。そんな未知の会社に、堂々と入社をしてくれた勇気ある若者達を頼もしく思ったのを記憶している。特に同氏は、筆者と同じ大学の出身だったので、何となく親しみを抱いていたのは確かだが、どうしても、最初の出会いを思い出すことは出来ないのである。多分、その入社直後に顔を合わせていたと思うのだが、記憶には全く残っていない。その後、故人は、直ぐに大阪に配属されたこともあって、顔を合わせる機会が限られていたことも、その印象を薄くしていたのだろう。(続く)

2.コラム
 ヒラリーの来日で何となく話題がそちらの方に片寄ることになる。さすがに女性ということで、何となく明るさがあっていいのだが、そこには、期待と不安が混在している。今日一日は、彼女の動きを注目することになるだろう。
 それにしても、中川昭一財務相の醜態はまずかった。自分もお酒を飲めばもっと酷いかも知れないが、公人で大事な国際会議でのことだけに、辞任は止むを得ないのではないか。麻生総理の裁定は甘すぎる。納得できない。ところで、永田町で、中川といえば、もう一人、女性問題を凍結したといわれる話題の中川秀直氏がいるが、番記者は、二人を区別して、中川(酒)、中川(女)と区別していたと言う。今回のアクシデントは、その分かり易い事例が表面化したものだという。これは納得である。
 再び、それにしてもなのだが、昨日、東京の新宿で起きたゴンドラの来ていないエレベーターで墜落死した事件だ。出前に出かけて、そのままあの世まで行ってしまわれたのは実にお気の毒過ぎる。今までにも同じような事故があったのは耳にはしていだが、また繰り返したのである。悲しい「ゴンドラの唄」平成版である。管理に問題があった訳だが、全く納得できない気の毒な事件である。
 昨日発表されたGDPの結果だが、年率-12.7%で戦後2番目の悪い結果だった。しかし、市場では、そのことは既に織り込み済みだったようで、昨日の株価にはそれほど大きく影響はしなかった。いつも思うのだが、この数字はもう過去の数字である。この数字の出し方の仕組みを知らなくて申し上げるのだが、このIT時代に、どうしてもっと早く結果が出ないのだろうか。納得できない。台風情報を台風が過ぎ去った後で聞くようなもので、今どうなのかを知りたいのだ。リアルタイムでの数値の発表を目指して欲しいのだが、…。

3.連載、難病との闘い(759) 第三部 戦いはまだまだ続く(55)
 第三章 施設での生活一年間の総括(1)

 賞味期限が切れないようにとの配慮で、お正月の自宅での48時間の闘いを先に紹介したので、今日からの話題は、時系列的には少し遡ることになる。早いもので、施設に入って一年を過ぎた。そこで、この間の生活、症状の変化などを総括して見たいと思う。先ずは、08年の下期で起きた思わぬ出来事から振り返っておきたい。雅子の症状悪化の一側面を捉えられると思う。

(1)08年下期のハプニングの数々(その1)
 ① お薬での異変
 5月半ばの定期診察時のことである。春日先生から新しいお薬の紹介があった。身体を柔らかくする効果が期待されるもので、最近ヨーロッパでの使用実績が増えているという。以前からも、そうだったが、可能性のあるものについては試してみようというのが一考の考えであったことから、この提案をすぐさま受け入れた。取り敢えずは少量だったが、その使用を開始したのである。
 一考は、そのお薬の服用開始直後から、その効果に注目して観察していたが、雅子の様子を見る限り、何となく効果がありそうな気がしていた。従って、一ヵ月後の検診の際に、その感想を報告すると、先生から、このお薬の量をもう少し増やそうという提案があり、それまでの服用量を4倍にしてもらった。6月12日のことである。
 そして、一ヶ月間服用を続けたが、一考の判断では、雅子の症状は更によくなったように思われた。身体の動きが軽くなるような感触である。なるほど、このお薬には期待が持てるのではと思い始め、その時点では、何となく心の安らぎさえ感じていた。
 こうして、7月10日の定期検診日を迎えたのである。雅子の症状について、一考は、自分が感じている通り、更に少しは良くなって来ているのではと報告した。それを聞いた先生は、雅子の様子をチェックしながら、それなら、お薬の量を更に増やし、思い切ってそれまでの倍の量にしようと云う方針を出されたのである。一考も、その提案に、それほど拘ることもなくそのまま受け入れた。このお薬に起死回生の期待を持ったからである。しかし、よく考えてみると、5月度の最初の服用量からすると8倍(思い違いがあって、実際には6倍)に増量されていた訳で、この辺りの急速な量のアップには、もう少し慎重さが必要だったのだが、それに気づくよりも、それ以上に、良い効果の期待が大きかったのである。(以下、明日に続く)
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