起死回生の一手になるか否かは、全て国民の応接で決まる。永田町に蓮華は必要なのだろうか。
1.独り言コラム
今朝の報道では、ブレにブレている麻生総理だが、明日にも、遂に党役員人事と閣僚人事に手をつけるという。兼務している大臣も多くいることから、担当を分権するといった補充が行なわれるという。 そんな中で、何と、目玉があの東国原宮崎県知事の入閣だというから驚きである。加えて、選挙では、東京の比例代表で第一位にランクするという。筆者はこの件に関しては、先日、6月25日に「冗談は止せ、野に置け蓮華草」と書いた。(922回をご参照)
まさに、溺れる者は藁をも掴むである。東国原知事を藁に喩えるのは失礼な話かも知れないが、起死回生を期して、麻生総理は本気で考えているようだ。人気回復を狙う博打的な一手である。それだけに、本当にそこまでやるとは思わなかった。要は、国民がどう判断するかである。筆者の感覚としては、橋下徹大阪府知事ならまだしも、東国原英夫知事の起用には、今一つ馴染めないものがある。やはり、弁護士とお笑いの違いは小さくない。
2.プライベートコーナー
3時半起床。体重、59.6Kg。外は雨が上がっているが、湿っぽい。6月度での筆者の動きだが、施設のアクティバに40回、入院した琵琶湖大橋病院には、入院後の12日間で30回も通った。結果的に、この一ヶ月の運転距離は、今までにない1326Kmの記録更新だった。
さて、入院して12日目を迎えた雅子だったが、夕方になって、突然、思いも寄らない手術を受けるという激震の大変心配な一日となった。
この日の雅子の症状は、朝から相変わらず変わり映えなく、依然として熱もあって不安な状態が続いていたが、この日から新たに生体抗生剤が使われるということで、何らかの好転を期待していた。
しかし、そんな甘い思いは、予期せぬ暗転となった。何が起きたのか一瞬混乱し、命の心配をするほどの掴まえ所のない不安が拡がった。夕方4時前のことだったが、突然、胆嚢結石で胆嚢が膿でいっぱいになっていて、今直ぐそれを抜き取る手術が必要だと告げられたのである。それまでの院長先生ではなく、その道の専門医のK先生からの話だった。
幸いだったのは、そのK先生の名前は入院直後から、大変有能な先生だと聞いていたので、その直ちに手術というお話に、どきりとしながらも、内心ではほっとするものを覚えたのも事実である。とにかく、K先生に全てをお任せするしかなかった。手術は、1時間半に渡って、内視鏡を使って行なわれ、膿が飛び散るといったトラブルもなく、無事成功裏に終えて頂いた。突然の地獄に安心できる仏様に出会ったような安堵を覚え、大変な感謝とともに言葉に表せない感激だった。
これから暫くは、この術後の安定化を待つことになり、その後は、胆嚢の切除手術が行なわれることになるという。
従って、暫くは、厳しい入院生活が続くことになる。今までの11日間はなんだったのだろうかとの思いがある。人間万事、一寸先は闇である。
3.蓮載、難病との闘い(893) 第三部 戦いはまだまだ続く(187)
第五章 季節は巡る(58)
2.初夏から梅雨へ(16)
(2)いろいろあるね(その5)
雅子が元気な頃から、高島屋のハイランドクラブの会員になっていて、毎月カタログが送付されてくる。衣料が中心だが、料理、バッグ、靴などの雑貨、家具などのリビング関連の物なども含まれていてかなり分厚い資料である。
このカタログが役立ったのは、雅子の病気が急激に悪化し始めた頃で、まだ自宅での生活だったが、衣装や靴などは、それまで持っていた物では不都合になって、買い換えなければならなくなって来ていたからである。衣装の中でも、特にパンツはウエストがゴムタイプのものでないと不便となったので、全てを買い換えたのだが、それらは、このカタログを使っての注文だった。また、靴についても同様で、それまでのスマートなものでは、使えず、ゴム靴やサンダルのようなものにしなければならなかった。
どちらかといえば、雅子はブランドに拘る方だっただけに、このような変化に、屈辱的なものを覚えていたと思う。
当初は分からなかったのだが、二年に一度会費を支払わねばならず、結構な会費だったが、便利なこともあって、そのまま会員として継続手続きを取って来ていた。
その後、施設に入居して暫くも、このカタログを持ち込み、実姉の霧子さんが来てくれて際には、二人で一緒に見てもらい、その中から必要なものを注文していた。しかし、それらの購入も一段落してくると、毎月送付されて来る物をチェックする必要もなくなって来ていた。
連休明けに5月号を受け取った一考は、その中味をパラパラと何気なくページを繰っていたが、健康な雅子だったら、その一ページ一ページを目を輝かせて、楽しんで見ているであろうと思うと、何故か、込み上げる悲しさを覚えるのだった。自分がこんなにも何も出来ない人間になるなんて考えたことはなかっただろう。それだけに、「何故だ」といった思いで、その胸中はさぞかし悔しく、複雑な歪んだ心境になるだろうと思うのだった。
かくして、今では、このカタログ自体の必要性もなくなって来ていて、その役割は既に終えたといえそうだ。もうこれ以上の会員契約の更新の必要性もないだろうと、一考は思うのだった。
一つずつ、自分の身の回りの事柄をダウンサイズしたり、取り止めてゆくことが増えてきていて、人生のターミナルに向かっている事実に、改めて、何とも言えない寂しさを覚えるのである。(以下、明日に続く)
コメントの投稿