プロフィール

Author:相坂一考
滋賀県大津市出身
07年1月に推理小説「執念」を文芸社から出版

このブログは4部構成です。
冒頭の枕に続いて、
1部が「独り言コラム」でキーワードから世の動きを捉えようと試みる。
2部が「今朝の一考と昨日の雅子」で妻、雅子の近況。
3部が連載「難病との闘い」です。
(09−02−16に修正。09−03−01に再修正、09−09−30に3度目の修正、09−11−09に4度目の修正)


 

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932 石原裕次郎

 亡くなって何十年も経過しても、国民から忘れられず、強い支持を得ているというのは、大したものだと思う。

1.独り言コラム
 昨夜8時過ぎだった。たまたまテレビのチャンネルを回していたのだが、渡哲也さんと天海祐希さんが語り合っている場面に惹かれて、チャンネルをそこで止めた。真っ赤なドレスがよく似合っている天海祐希さんがとても美しく、知的で魅力的だったからである。
 その番組は、「昭和の太陽、裕次郎の遺したもの」と題する石原裕次郎の特別番組で、テレビ朝日が放映していたものである。筆者は、そこから思わずその番組にのめり込んでしまい、続いて放映された映画「富士山頂」もしっかりと見せてもらった。こんなに長い時間テレビを見たのは、妻の介護生活に入って、初めてのことである。改めて、大スター石原裕次郎の偉大さを教えられた。兄貴の慎太郎都知事と甥の石原良純氏の親子対談も、若い日の秘話などがうまく取り入れられていて、番組を盛り上げていた。
 同氏がなくなったのが1987年7月17日で、今年が23回忌だそうで、今日、国立競技場で、その記念法要が行なわれるという。23年目を迎えても、これほど大々的に取り上げられ、多くのファンが集まるというのだから、その偉大さにびっくりする。加えてそこまで裕次郎さんに心酔し、同氏のために命を捧げている渡哲也氏の存在にも、凄いものを感じる。
 ところで、先日、森光子さんが受賞した国民栄誉賞だが、これが創設されたのは、福田内閣の時で、裕次郎氏の死後1ヵ月後の8月に入ってからのことだった。その直後に、ホームランの世界記録を作った王貞治氏が最初の受賞者となっているが、この賞の創設がもう少し早ければ、この石原裕次郎氏が最初の受賞者になっていただろう。
 国民的な人気者といえば、もう一人いる、その2年後に亡くなった美空ひばりさんだ。彼女は、国民栄誉賞の始めての女性の受賞者である。今年は、京都にある美空ひばり記念館もリニューアルされていて、石原裕次郎さんの場合と同様に、その節目の命日では、同様な法要が行なわれていると承知している。
 とにかく、この二人の芸能人は、群を抜いて国民の支持を受けている。当面はその人気は衰えないだろうが、世代が替わり、二人のことが本当の伝説話になる頃には、新しい日本が誕生していることになろう。
 いずれにしても、昨日の天海祐希さんが、大変魅力的だったということで、いい番組を見ることが出来たことは、筆者には大変な幸いだった。 

2.プライベートコーナー
 4時起床。体重、60.1Kg。雨は降っていない。今日は琵琶湖の大掃除の日で、自宅の周りの溝掃除を、朝早くから行なうことになっている。
 昨日の雅子だが、一旦、治まっていた熱が、この日はぶり返していた。また、依然として痰も切れずに雅子を悩ませている。来週の8日に病院を移る予定だが、何となく心配で不安は尽きない。

3.蓮載、難病との闘い(897) 第三部 戦いはまだまだ続く(191)
  第五章 季節は巡る(62)

 2.初夏から梅雨へ(20)
  (3)不安な空模様(その2)
 世界を、そして日本にも大きな影響を及ぼしている新型インフルエンザに関しては、雅子や一考にも幾つかの話題があった。それらについて触れておこう。
 そもそもの今回の新型インフルエンザ騒ぎは、この3月頃からメキシコで起きていたようで、そこでは、多くの死者が出ていたようだったが、5月に入って、突如として、ショッキングな報道として伝えられることで、日本でも大騒ぎとなったのである。
 それは、久し振りのセンセーショナルなインパクトのあるニュースだった。直ぐに、多くの死者を出した戦前のスペイン風邪(1918年)、アジア風邪(1957年)、香港風邪(1968年)の過去のものとの比較が話題となった。そういう意味で、大変な怖いインフルエンザの可能性があるというのが、最初の頃の報道のポイントだった。
 そういうことで、日本でも、直ちに水際防止作戦が始められた。しかし、それにも関わらず、5月16日に大阪で初めての感染者が発見され、その後には、神戸にも飛び火して、次々と感染者が拡大し、その蔓延が進み、遂に、その6日後の5月21日には、ここ滋賀県大津市内で、一人の感染者が確認されるに至り、この騒ぎを身近なものとして実感することになったのである。
 その翌日の5月22日の午後1時半頃だった。何時ものように一考はアクティバ琵琶を訪ねた。その時、昼食を終えた雅子はベッドに横になっていた。このところの雅子は、ベッドに横になっている時と椅子に座っている時が、ほぼ半分くらいだったので、あまり気にもせず、いつものように雅子の顔を覗き込んだ。すると、雅子の様子がいつもの様ではなかった。その顔が少し赤くて腫れぽったい顔だった。どうしたのかなあ、と思いながら、いつものパターンでとりあえず、起して椅子に座らせてやろうと身体を持ち上げようとしたら、枕と腕の辺りがアイスノンで冷やされているのを発見、これは「いかん」と思いながら、彼女の身体を元へ戻した。身体も、結構熱っぽく、額に手を遣ると、確かに結構な熱がある。
 「どうしたの?」と声を掛けたが、苦しそうな顔を見せるが、相変わらず、声は出ない。直ぐに介護士さんに様子を確認した。その説明によると、朝食を終えた頃に熱があることに気がついて、計ってみると37.8度あったので、看護士さんと相談してアイスノンで冷やすことにしたという。しかし、昼食前の測定では、熱も少し下がって、37.4度になっていたという。昼食も、半分ぐらいは食べたという。
 とにかく、難病に認定されて以降は、幸いにも、それ以外の病気にはかかっていなかったので、風邪であるにしても初めての経験である。何処まで、神様は雅子を苛めれば気が済むのかといった不満を持った一方で、若しかしたらという別の心配が一考の頭の中に芽生えていた。(以下、明日に続く)

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