人生では、自分からの意思とは無関係に、それまでの努力や功績が認められて、受賞したり、名誉ある会などに招待される嬉しい選ばれ方と、それとは逆に、全く偶然に、事件、事故などに巻き込まれてしまう不運な選ばれ方がある。
1.独り言コラム
昨日韓国の釜山で起きた射撃場での火災で、お気の毒にも日本人観光客5人(?)が死亡されたようだ。ツアーで訪れていたのは、長崎県雲仙市の中学の同窓生9人の一行で、一泊二日の日程で釜山を観光する予定だったようだ。免許なしでも射撃が楽しめて、それが安いということで、日本人には人気があったという。
通り魔事件や交通事故、更には今回の火災のように、突然の事故、事件に巻き込まれて不運な死を遂げるほど、無念で悔しいものはないだろう。世の中には思わぬところに落とし穴が待ち伏せている。うっかりと楽しむこともままならない怖い世の中だ。天に選ばれて召された方々のご冥福をお祈りします。
同じ一泊二日の日程で来日したオバマ大統領が、昨日の午前中に都内で演説した。アメリカはアジアにも積極的に関与し、日韓の核の傘になると述べたという。この演説会場に、およそ1500人の方が選ばれて、生のオバマ演説を楽しんだようだ。ビートたけしや東国原知事なども顔を出していたようだし、一般の方も選ばれていたようだ。その種の人選は、誰が、どのような基準で選抜しているのだろうか。
毎年、春と秋に天皇・皇后両陛下が主催される園遊会も同様で、誰が、どんな基準で選んでいるのか、その招待者の中でも、天皇陛下がお声を掛けられる方々の人選も同様で、その選択はどんな具合に行なわれているのだろうか。何か、はっきりした物差し、基準はあるのだろうが、我々一般人には薮の中だ。
ところで、最近の目立った受賞では、巨人軍の原辰徳監督が、今年度の正力松太郎賞を受賞した。原監督にとっては、2度目の受賞だそうだ。日本のプロ野球の生みの親を称えた日本球界最高の賞であり、受賞者には、きわめて名誉な賞である。同氏は、「光栄でびっくりしている。監督としては年齢、キャリアとも未熟者。これをステップアップにして、自分を高めることにつなげたい」と喜びを語っている。
もう一つ、筆者が好きな女流作家、村山由佳さんも、女性の性に大胆に取り組んだ「ダブル・ファンタジー」が、中央公論文芸賞、柴田連三郎賞、そして、島清恋愛文芸賞のトリプル賞を受賞した。離婚後に9歳年下のパートナーと同居し、新たな創作意欲に燃えているようだ。
選ばれるという意味を拡大解釈すれば、筆者の妻の雅子は、1000人に一人と言われているパーキンソン病に選ばれたという言い方も出来る。不運なのは、その中でも最悪の症状で、身動きも何も出来ない症状になっていて、大変な苦労を強いられている。このケースでも、神様から選ばれたという解釈をしているのだが、神様が、どんな基準で選んでいるのかは、誰も知らないし、知る由もない。たた、与えられた運命を懸命に生きるしかないのである。
2.今朝の一考、昨日の雅子
4時10分起床。体重60.9Kg。お天気は芳しくなさそう。曇り空。
昨日の雅子は体温は、一時的に37度台が見られたが、おおむね平熱で推移していた。そのためか、目を開けて見つめてくれることも何回かあって、問い掛けにも顔で反応してくれていた。
この日から、栄養剤の投入が、それまでの注射器での投与方式から、滴下方式に変わっていたし、抗生剤の投与も行なわれた。一方、でん部の床ずれ傷は、お陰で随分とよくなってきている。
3.連載、難病との闘い(1030) 第三部 戦いはまだまだ続く(324)
第七章 しつこい敵(40)
2.再びアウエイでの闘い(24)
(3)闘いの裏側で(その9)
一考が、気付いている若者世代の特徴のもう一つは、家庭での夫婦の役割分担が、結構、合理的に決められていると思われることである。その思うに至った背景は、架かって来た電話の取り方が、そんな風に分担しているんではと考えられたからである。今や、夫婦も対等というのが、彼らの思想の原点にあるようだ。
具体的に電話の取り方の場合で言えば、電話を掛けて来た相手が旦那の関係者の場合は旦那が、嫁の関係者からの場合は嫁が取るという合理的な対応である。そうすれば、「少しお待ち下さい」と言って、電話を替わると言った余計な作業が必要なく、効率的な対応となるのだ。
従って、一考が電話すれば、二郎が出ることが殆どだ。もちろん、二郎が居ない時とか、手が離せない時などは、もちろん嫁が出る。
そんな役割分担が可能になったのも、最近の電話が、発信者が誰だか分かる通知システムが採用されているからである。自分達の時代は、旦那の在宅の有無に関わらず、先ずは、嫁が先に出て挨拶をし、そして、旦那宛であれば、そこで替わるのが普通だったから、これも一つの様変わりと言えよう。
また、その他の通信に関しても、ちゃんとした葉書や手紙を受け取ることは極端に少なくなって来ている。携帯電話、或いはメールなどの便利な対応方法が出てきたことで、そんな手間な通信が必要なくなって来ているからだろう。加えて、メールを送っても極めて淡白で、返事を要求していない内容の場合は、滅多に折り返しのメールは来ない。一考の場合は、大抵のメールには、一応、受け取った旨の返事を兼ねて返信するようにしているのだが、そんなことをする必要は無いようだ。却って相手を煩わせることになるという考え方なのだろう。何だか淡白になり過ぎて少し寂しい世の中になってしまっているようだが、そんな思いは、一考の世代での古い考え方であって、彼らは合理的な対応に徹しているのである。この辺りが、いわゆる、世代間のギャップと呼ばれるものなのだろう。
そんなことで、今回の帰宅にしても、直前になって、見舞いに立ち寄ると言う最小限の連絡だけで、友人の結婚式の日程がどうなっているのか、何時までに神戸に着かなければならないのかも分からず、それ故に、この病院で、どのくらいの時間を使ってくれるのかも全く分からないまま、じっと連絡を待っていたのである。(以下、明日に続く)